AT THE GATES TRIVIA
Trivia
2008年の再結成公演は、日本で幕を開けた。Louderによれば、2008年5月8日の大阪公演は、バンドにとって初めての日本公演であると同時に、1996年の解散から12年ぶりのステージだった。1曲目の「Slaughter of the Soul」でトーマス・リンドバーグが「Go!」と叫ぶと、客席全体が声を合わせ、ヨナス・ビョーラーは、そんなことはそれまで一度もなかったと振り返っている。公式サイトに残る1990〜1996年の公演リストには、日本での公演は1本も無い。
ベースのヨナス・ビョーラーは、1992年の初めに一度バンドを離れている。バンドの公式サイトに残る1990〜1996年の全公演リストでは、1992年1月のイェーテボリ公演にヨナス・ビョーラーの脱退が書き添えられ、4月の公演ではTony Anderssonがベースを弾き、11月のハルムスタード公演でヨナス・ビョーラーがベースに戻ったと記されている。公式サイトのメンバー紹介は、Tony Anderssonをライヴだけのベーシストとしており、1992年と1993年のアルバムのベースは、どちらもヨナス・ビョーラーのクレジットである。
創設メンバーのギタリストアルフ・スヴェンソンは、2作目『With Fear I Kiss the Burning Darkness』の後、1993年にバンドを去った。公式サイトのバイオグラフィーによれば、タトゥーの仕事やコミックの絵、自身のプロジェクトOXIPLEGATZに打ち込むためである。公式の公演リストでは、1993年5月にTIAMATと共演したヴァレントゥナ公演がスヴェンソンの最後のステージで、HOUSE OF USHERから迎えたマーティン・ラーソンは、同じ年の8月のセーデルテリエ公演で初めて舞台に立った。デシベル誌によれば、スヴェンソンはメンバーの中で5歳年上だった。
1995年2月、SEANCEと回ったイギリスでの短いツアーは、ノリッジで行き詰まった。バンドの公演リストには「ツアー崩壊、文無しで立ち往生」と書かれ、4月にはストックホルムで、その穴を埋めるための資金集めの公演まで開いている。トーマス・リンドバーグは2006年、当時のレーベルPeacevilleには自分たちを家に帰す資金も無く、イギリスに1週間ほど足止めされたと語り、その怒りは『Slaughter of the Soul』の歌詞に表れていると振り返った。続くEaracheとの契約は、リンドバーグによれば救われたような気持ちだった。
再結成後の最初のアルバム『At War with Reality』は、2015年に相次いで賞を受けた。2月にストックホルムで独立系の音楽賞Manifestを受け、2月25日のグラミス(スウェーデンのグラミー賞)では2014年の最優秀ハードロック/メタル・アルバムに選ばれている。6月には、ロンドンで開かれたメタル・ハマー誌のゴールデン・ゴッズ・アワードで、バンドがインスピレーション賞を受けた。グラミスの受賞についてトーマス・リンドバーグは、自分たちはずっとアンダーグラウンドのデス・メタル・バンドだと思ってきたので、とても現実とは思えないと語っている。
『At War with Reality』は、発売第1週にスウェーデンで3位、ドイツで25位、フィンランドで15位に入った。アメリカではBillboard 200で53位に初登場し、Blabbermouthによれば最初の週に7,700枚を売っている。バンドが公式サイトにまとめた初週の順位には、日本のオリコンの洋楽チャートでの17位も含まれている。
2019年4月、Roadburnフェスティヴァルで、トーマス・リンドバーグはキュレーターを務めた。2作目の題から取った「The Burning Darkness」の名のもとに出演者を選び、AT THE GATES自身も弦楽四重奏と次々に登場するゲストを迎えた特別な公演を行った。The Obeliskの評によれば、幕開けはKING CRIMSONの「Red」で、SLEEPのMatt Pikeを迎えてTROUBLEの「The Tempter」を演奏し、Anna von Hausswolffがフィリップ・グラスの曲を歌った。リンドバーグは2021年、この公演で、10代のころに夢見た「デス・メタルのKING CRIMSON」に今ならなれると気づいたと語っている。
AT THE GATESという名前は、FIELDS OF THE NEPHILIMの曲「At the Gates of Silent Memory」から来ている。トーマス・リンドバーグが2021年にネット上の質問に答えたところによれば、結成したばかりのバンドは、もっと長い「The dwellers at the gates of silent memory」を名乗っていたが、1週間ほどで今の短い名前に縮めた。メタル・ハマー誌は、元になったこの曲がAleister Crowleyの演説の録音を取り込んでいたことにも触れている。
AT THE GATESの前身は、トーマス・リンドバーグが1989年にギタリストのアルフ・スヴェンソンと組んだGROTESQUEである。ストックホルムのデス・メタルの音をイェーテボリにも持ち込もうとしたバンドで、のちの仲間アンダース・ビョーラーとヨナス・ビョーラーの学校のクリスマス・パーティーに出たときは、3曲を演奏したところで舞台から降ろされた。ヨナス・ビョーラーによれば、コープスペイントに1メートルもある逆さ十字という出で立ちに保護者会が待ったをかけたのだという。当時その舞台を何度も観たミカエル・スタンネ(DARK TRANQUILLITY)は、普段は穏やかで礼儀正しいリンドバーグが、ステージでは獣のようだったと振り返っている。
双子のアンダース・ビョーラーとヨナス・ビョーラーがトーマス・リンドバーグに初めて会ったのは、1989年、バス停でのことだった。肩を越える金髪に膝丈の革のトレンチコート、17歳とは思えないほど濃いひげという姿で、ヨナス・ビョーラーは老人のように見えたと笑う。リンドバーグの部屋の壁はデモのジャケットやファンジンの切り抜きで埋まり、オカルトに凝っていたころの頭蓋骨の模型まで置かれていた。METALLICAやSLAYERを聴いて育った兄弟は、彼を通じてアンダーグラウンドのデス・メタルに出会い、ヨナス・ビョーラーは、彼が自分の人生をすっかり変えたと語っている。
ドラムのエイドリアン・アーランドソンが加わったきっかけは、MORBID ANGELの公演に向かう長距離バスでトーマス・リンドバーグと乗り合わせたことだった。アーランドソンによれば、リンドバーグは最初、髪が短いやつはバンドに入れないと言ったが、ビールを何杯か飲むうちに、ツーバスは踏めるかと尋ねてきたという。こうして、リンドバーグとアルフ・スヴェンソンが始め、アンダース・ビョーラーとヨナス・ビョーラーが加わったバンドの最初の編成がそろった。
『Slaughter of the Soul』のジャケットを描いたクリスチャン・ヴォーリンは、トーマス・リンドバーグの古い仲間である。バンドが公式サイトに載せていた系譜図では、ヴォーリンはリンドバーグとCONQUESTを組み、続くGROTESQUEでもリンドバーグ、アルフ・スヴェンソンと並んでいる。リンドバーグの2006年の回想によれば、仕上げを急がせるEaracheと時間をかけたいヴォーリンの間で揉めたが、最後はバンドが押し切り、画家は必要な時間を手にした。ヴォーリンはのちにリンドバーグのバンドTHE GREAT DECEIVERにも加わっている。
ノルウェーのブラック・メタル・バンドDARKTHRONEのロゴを描いたのは、トーマス・リンドバーグである。デシベル誌は2013年の企画「デス・メタルのロゴ5選」でこのロゴを4位に挙げ、隠された五芒星や、木の根のように文字から垂れ下がる線に触れて、デザインしたリンドバーグの腕を称えた。同じ企画の3位は、AT THE GATES自身のロゴである。
3作目『Terminal Spirit Disease』は、もともと新しい編成のAT THE GATESを紹介するEPとして作られた。Louderによれば、レーベルの意向でアルバムの長さに引き延ばされたもので、レーベルのPeacevilleも、新曲は6曲だけだったと書いている。作品にはライヴ録音も収められており、バンドの公演リストは、1994年2月にイェーテボリのMagasinetでCARCASSと共演した夜を、この作品のための録音と記している。
KING DIAMONDのギタリストアンディ・ラロックとAT THE GATESのつきあいは長い。トーマス・リンドバーグによれば、『Slaughter of the Soul』の制作中、ラロックが地元の楽器店で働いていると知ってスタジオに来てもらい、「Cold」のソロを弾いてもらった。2011年にイェーテボリのフェスティヴァルMetaltownに出たときにもラロックが客演し、2021年の『The Nightmare of Being』では、ギターとベースの録音をSonic Train Studioでラロックと行い、「Spectre of Extinction」で再び彼がソロを弾いている。
アメリカのデシベル誌は、名盤を選んで特集する「殿堂」に、AT THE GATESのアルバムを3作選んでいる。2005年の『Slaughter of the Soul』は殿堂入りの2作目で、1作目のSLAYER『Reign in Blood』に続くものだった。2014年には『The Red in the Sky Is Ours』が116作目に、2023年には『Terminal Spirit Disease』が220作目に選ばれ、同誌は、IN FLAMES、DARK TRANQUILLITYと並ぶイェーテボリの3バンドのうち、殿堂入りを3作持つのはAT THE GATESだけだと書いている。
1996年の解散について、メンバーの説明は少しずつ違う。ギターのアンダース・ビョーラーは2007年、自分が全員に電話して抜けると告げたと語り、2026年には、空港やツアー・バスで待つばかりの毎日に、行商人にでもなった気がしたと振り返っている。ベースのヨナス・ビョーラーによれば、1996年の夏、秋の公演の誘いが来ていたところでアンダース・ビョーラーが抜けると言い出し、ツアーを重ねても金はほとんど残らなかった。歌のトーマス・リンドバーグは2006年、Earacheから次作をせかされていたことを挙げ、皆まだ若く、代わりを探して続ける気にはなれなかったと話している。
AT THE GATESとアメリカのメタルコアとのつながりは、1996年の米国ツアーまでさかのぼる。アンダース・ビョーラーによれば、のちにSHADOWS FALL、KILLSWITCH ENGAGE、UNEARTHで活動するメンバーと話してみると、皆がMORBID ANGEL、DISSECTIONと回った東海岸の公演を観に来ていた。バンドの公演リストでは、このツアーは1996年3月である。TRIVIUMのマット・ヒーフィーは2019年、『Slaughter of the Soul』がなければTRIVIUMは存在しなかったと言い切り、ほかのバンドならリード・ギターで弾くような旋律をリズム・ギターに置き換えたことを、スウェーデンのバンドがもたらした新しさに挙げている。
解散の後、アンダース・ビョーラー、ヨナス・ビョーラー、エイドリアン・アーランドソンは、2年ほどのあいだトーマス・リンドバーグと口をきかなかった。ヨナス・ビョーラーは、付き合う仲間が分かれてしまったからだと説明している。アーランドソンがリンドバーグと再会したのは1998年、リンドバーグの結婚式で、時間が止まっていたかのようだったという。余興のバンドを前に数曲やろうと持ちかけたが、そのころには皆が酔いすぎていた。やがてリンドバーグはTHE HAUNTEDの地元公演に顔を出すようになり、アンダース・ビョーラーは、息子が生まれてからのリンドバーグはすっかり人が変わり、謙虚になったと語っている。
再結成したAT THE GATESは、新作は作らないと繰り返していた。トーマス・リンドバーグは2007年、『Slaughter of the Soul』の遺産はそのまま残すと言い切り、2010年12月に翌年の公演を発表したときも、バンドは新しい音楽を作らないという約束を守ると書いている。それが変わったのは2013年の夏、アンダース・ビョーラーが新しい曲を送ってきたときだった。2014年1月、バンドは「状況も人も変わる」として『At War with Reality』の制作を発表し、ヨナス・ビョーラーによれば、アンダース・ビョーラーは1週間で2、3曲のデモを書き上げ、その中に「The Book of Sand」と「Death and the Labyrinth」があった。
再結成後の最初の3作は、いずれもトーマス・リンドバーグがそのころ読んでいた本と結びついている。メタル・ハマー誌によれば、『At War with Reality』はマジック・リアリズムの文学を、『To Drink from the Night Itself』はペーター・ヴァイスの反ファシズム小説『The Aesthetics of Resistance』を下敷きにしていた。2021年の『The Nightmare of Being』についてリンドバーグは、ホラー作家Thomas Ligottiをきっかけに悲観主義の哲学を読みあさったと語り、「Cosmic Pessimism」は、アメリカの作家で悲観主義の哲学者でもあるEugene Thackerとの共作になった。
創設メンバーのアンダース・ビョーラーは、AT THE GATESを2度離れている。1度目は1996年、2度目は『At War with Reality』のツアーを終えた後の2017年3月で、このとき彼は、情熱がすっかり消えてしまったとだけ述べた。後任には、トーマス・リンドバーグが1980年代の終わりにカセットを交換し合っていた旧友ヨナス・スタルハマーが加わった。アンダース・ビョーラーが戻ったのは2022年10月で、リンドバーグはこれをバンドの2度目の再生と呼び、本人は家に帰ってきたような気持ちだと語っている。
トーマス・リンドバーグには、社会科の教師というもう一つの顔があった。ツアーの合間の仕事として始めた教職に、生徒たちに感謝されるうちに打ち込むようになり、2005年ごろに資格を取ることを決め、再結成を計画していたころはまだ教員養成課程に通っていた。社会科で修士号を取り、最初は4〜6年生、のちには主に9年生を教えた。職場ではバンドの話をほとんどせず、「感じはいいが少し退屈な先生」でいたいと話していたが、イェーテボリでの公演には教え子たちが訪れ、楽屋でメンバーと写真を撮っている。
8作目のアルバムは、はじめ2曲目と同じ『The Dissonant Void』という仮題で呼ばれていた。2024年2月の手術と最初の放射線治療の後、薬の影響で悪夢にうなされていたトーマス・リンドバーグが、同年4月ごろ『The Ghost of a Future Dead』という題を選んだ。アンダース・ビョーラーは、自分たちなら決して付けない題だが、本人が選んだのだから受け入れたと語り、今振り返ると予言のようだとも述べている。歌はすべて手術の前に録られていたもので、リンドバーグ自身の言葉によれば、最後の歌入れは手術の前日、1日で済ませた。
2026年4月24日に出た『The Ghost of a Future Dead』は、スウェーデンのアルバム・チャートで1位に初登場した。Blabbermouthによれば、AT THE GATESがスウェーデンの主要チャートで1位に初登場したのはこれが初めてで、フィジカル、アナログ盤、ハードロックの各チャートでも1位になった。2014年の『At War with Reality』は、バンド自身の発表によれば発売第1週の3位が最高だった。