WHITESNAKE TRIVIA

Trivia

2013年のワールド・ツアーは、日本から始まった。BARKSのインタビューでデヴィッド・カヴァーデイルは、これまで何度もツアーをしてきたが日本が初日というのはこれが初めてだと述べている。2013年が巳年——「イヤー・オブ・ザ・スネイク」——だったこともあり、特別なツアーになる予感がするというのが彼の言葉だった。日本でプレイするのはいつも楽しみで、ステージの前には何十年も前から知っている顔があり、言葉を交わしたことがなくても音楽を通じた長年の友人なのだ、とも語っている。

出典: BARKS

『The Purple Album』は、日本で世界に先駆けて発売された。2015年4月29日の日本先行発売で、BARKSが伝えたところによれば、初日のオリコン・デイリー・チャートで総合2位を記録している。ディープ・パープルの曲を現在のWHITESNAKEで録り直したこの作品が、まず日本の店頭に並んだことになる。

出典: BARKS

WHITESNAKEという名前は、バンドより先に存在していた。もとはデヴィッド・カヴァーデイルが1977年に発表したソロ・アルバムの題『White Snake』で、バンドの公式サイトは2017年5月にこの作品の40周年を取り上げ、ここが「White Snake」の始まりであり、のちに一語に縮めてWhitesnakeになったのだと明記している。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

デヴィッド・カヴァーデイルがディープ・パープルに加入したのは1973年、当時21歳の、ほぼ無名のシンガー・ソングライターだった。彼はこのバンドで3枚のアルバムを残し、数年後に自身のバンドWHITESNAKEへと歩を進める。そして加入から50年にあたる2023年、その加入を決定づけた1972年のデモそのものが、『The Purple Album』のスペシャル・ゴールド・エディションに未発表音源として収録された。この2CD+ブルーレイのセットは2023年10月13日に発売されている。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

1987年のアルバムの制作中、デヴィッド・カヴァーデイルは声を失いかけている。録音はカナダで始まったが、そのあと副鼻腔の手術に至る不調に見舞われた。当時の声を彼は、鼻をつまんで喋っているようだったと表現している。それまで自分の「才能」を当たり前のものとして受け取ってきたと彼は言う。始まりは順調で、声は絶好調、どのレンジも出て、バンドを鼓舞するために吹き込んだガイド・ヴォーカルも文句なしだった。曲は自分の喉に合わせて作られていた。それが崩れたのである。この経験を彼は、ピアノを弾くのが好きな人がひどい関節炎になって弾けなくなるようなものだと喩え、自分が経験したなかで最悪の、最も混乱した感情的な時期のひとつだったと語っている。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

2025年11月13日、デヴィッド・カヴァーデイルは引退を表明した。バンドの公式サイトに掲載された本人の言葉によれば、ディープ・パープル、WHITESNAKE、ジミー・ペイジらとの50年以上にわたる道のりを経て、ロックンロールのプラットフォーム・シューズとぴったりしたジーンズを吊るす時が来た、というのがその趣旨である。この数年でそれが自分にはっきり分かってきた、と彼は述べている。助けてくれたすべての人——ミュージシャン、クルー、ファン、家族——への感謝を伝えたうえで、これからは引退を楽しむ時間だと理解してほしい、と締めくくった。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

「Fool For Your Lovin'」は、もともとB.B.キングのために書かれた曲だった。Songfactsが伝えるデヴィッド・カヴァーデイルの説明によれば、そのためにオリジナル版はブルース寄りの手触りを持っている。曲はカヴァーデイル、バーニー・マースデン、ミッキー・ムーディーの共作で、彼の最初の結婚の破綻が下敷きになっている。1980年の『Ready an' Willing』に収められて英国13位、全米53位を記録し、1989年の『Slip Of The Tongue』で再録音されると英国43位、全米37位で再びヒットした。1989年版にはディープ・パープルで一時期同僚だったグレン・ヒューズがヴォーカルで参加している。

出典: Songfacts「Fool For Your Lovin'」

「Here I Go Again」の成り立ちについては、いくつもの説明が流通してきた。共作者のバーニー・マースデンはLouderに対し、デヴィッドが離婚のあとに書いたとか、ベネズエラで船の上で書かれたといった話を読んだことがあり、いつも腑に落ちなかったと述べている。彼自身の説明はこうだ——曲はバッキンガムにあった彼の旧宅で2トラックのデモとして始まり、その時点で冒頭の一行とコーラス、そしてリフがあった。前作『Come An' Get It』のセッション(1981年)の終わり頃にはすでに存在していて、シェパートンのRock Cityで録ろうとしたこともある。曲が本当に形になったのはクリアウェル城でのセッションでのことだった。マースデンによれば、その骨組みを聴いたカヴァーデイルはカセットを持って姿を消し、歌詞は1時間ほどで仕上がったという。なおこの曲の作者クレジットは一貫してマースデンとカヴァーデイルの連名だが、カヴァーデイル自身は自分の関与について複数の異なる説明をしてきた、とLouderは書いている。

異説あり出典: Louder(Classic Rock)「Here I Go Again」の記事

2013年の来日では、東京・大阪・名古屋に加えて高松と鹿児島でも公演が行なわれた。デヴィッド・カヴァーデイルはBARKSに、新しい観客の前でやるのは刺激的で新しい友人ができるから楽しみだと語り、前回のツアーでも岡山と宮崎という初めての街でプレイできたと述べている。それらの都市には新幹線が通っていないかもしれないと断りつつ、新幹線は世界最高の電車だとも語った。飛行機は税関の前後でストレスが溜まり、ツアー・バスは揺れて眠りが浅くなる、というのがその理由である。

出典: BARKS

2013年4月3日、WHITESNAKEは〈ラウド・パーク11〉での公演を丸ごと収めた作品『メイド・イン・ジャパン~ライヴ・アット・ラウド・パーク 11』を発売した。ブルーレイ、DVD、2枚組CDという形態で、日本での公演がそのまま作品になったものである。BARKSはこの発売と、その翌月から始まる約1年半ぶりのジャパン・ツアーを合わせて伝えている。

出典: BARKS

WHITESNAKEが結成されたのは1978年である。レーベルCraft Recordingsのプレスリリースを公式サイトが掲載しているが、そこではデヴィッド・カヴァーデイルにとってこのバンドが、ディープ・パープルのフロントマンとして国際的な評価を得たあとの「次の章」だったと位置づけられている。彼はディープ・パープルの『Burn』『Stormbringer』『Come Taste the Band』に参加したのち、自分の作曲上の構想を追うためにWHITESNAKEを結成した。初期の作品はブルース、ソウル、そして英国のクラシック・ロックに根ざしていたが、後年の作品はその影響に大きなフックとギター中心の重いサウンド、アリーナ規模のスケール感を組み合わせていった、というのがこのリリースの説明である。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

デヴィッド・カヴァーデイルがディープ・パープルの一員として最後にステージに立ったのは、1976年3月15日である。バンドの公式サイトは2016年3月15日に、この日がその40年後にあたるとして「40 Years Ago Today」の投稿を出した。当時の編成はMk4と呼ばれるものだった。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

デヴィッド・カヴァーデイルはロックの殿堂入りを果たしている。バンドの公式サイトは2016年2月にこれを伝え、その式典が同年4月8日にニューヨークで行なわれることを告知したうえで、記念にディープ・パープルのライヴ作品を薦めている。この殿堂入りの翌年、公式サイトは1987年のアルバム『Whitesnake』の30周年を祝う記事のなかで、殿堂入りのちょうど1年後にこの記念日が来たことを取り上げ、偶然ではないだろうと書いている。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

1980年の『Ready An' Willing』は、Ridge FarmとCentral Recorders Studio & Saunaで録音された。エンジニア、ミックス、プロデュースはいずれもマーティン・「バッシャー」・バーチが手がけている。参加メンバーは、デヴィッド・カヴァーデイル(ヴォーカル)、ミッキー・ムーディーとバーニー・マースデンの2本のギター、ニール・マレー(ベース)、イアン・ペイス(ドラム)、そしてジョン・ロード(キーボード)——ディープ・パープルの二人を含む顔ぶれだった。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

『Saints & Sinners』は、のちに世界的なヒットとなる2曲のオリジナル版を収めたアルバムである。バンドの公式サイトは35周年の投稿で、このアルバムに「Here I Go Again」と「Crying In The Rain」のオリジナル・ヴァージョンが入っていることを指して、見逃せない1枚だと書いている。全10曲で、1曲目が「Young Blood」、最後が表題曲「Saints An' Sinners」という構成だった。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

1984年の『Slide It In』は、WHITESNAKEにとってアメリカで初めてトップ40に入った作品である。公式サイトが掲載するCraft Recordingsのプレスリリースによれば、このアルバムはブルース・ロックの土台をより引き締まったラジオ向きのハード・ロックへ押し出したもので、「Love Ain't No Stranger」「Slow an' Easy」と表題曲がその推進力になった。初期の粘りとスウィングを残しながら、まもなく国際的な成功を決定づけることになる大きなフックと厚い音作りをはっきり指し示していた、というのがこのリリースの評価である。同作はのちにアメリカでダブル・プラチナに認定された。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

あのアルバムには呼び名が複数ある。『Whitesnake』、『1987』、そして『Serpens Albus』。バンドの公式サイトが再掲したインタビューでデヴィッド・カヴァーデイル自身が説明したところによれば、正式な題は『Whitesnake』で、『Serpens Albus』はそれをラテン語にしたものである。こんなに呼び名が増える計画などなかった、自分はいつも「87年のアルバム」と呼んでいる、というのが彼の言い方だった。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

1987年のアルバムで、WHITESNAKEは新しいロゴを手に入れた。デヴィッド・カヴァーデイルによれば、これは過去との断絶であり、まったく新しい始まりを意図したものだった。彼が組んだのはカナダ出身のグラフィック・デザイナー、ヒュー・サイム。カヴァーデイルは提示したい要素をすべて彼と話し合ったという——新しいロゴ、そしてケルト風・ルーン風の護符のような、ずっと昔からそこにあったように見えながら強い力を保っているエンブレムである。エンブレムに入っている象徴はどれも肯定的なエネルギーだけを表すもので、太陽、月、豊穣といったものが選ばれた。絡み合う2匹の蛇もそこにいる。黒魔術めいたものは何ひとつ入れていない、というのが彼の説明である。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

制作が長引くなかで、デヴィッド・カヴァーデイルはWHITESNAKEを解散することまで考えていた。公式サイトが再掲したインタビューで、アルバムが不運な星の下にあると思ったか、バンドをたたむことを考えたかと問われた彼は、そのすべてに当てはまると答えている。自分を正気に保ったのは、おそらく曲そのものへの信頼だった、というのが彼の説明である。あとは、いつか歌えるようになることをただ祈るしかなかった。当時のマネージャー、ハワード・カウフマンは強く支えてくれ、ジョン・カロドナーは曲とこの企画を完全に信じていた。この二人は浮き沈みを通じて素晴らしい支えだった、と彼は述べている。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

1987年のアルバムがその年最大級のヒットになると知ったときの反応を問われて、デヴィッド・カヴァーデイルは予想していなかったと答えている。当たったときは大きな安堵で、いちばん驚いたのは売れ続けたことだった。制作にまつわる問題と、感情面・金銭面の負担で、彼は見通しを完全に失っていたという。売れ始めて売れ続けたときの気持ちは「よかった」という一語に尽きる、そうでなければ自分は破滅していただろうし、それはWHITESNAKEの終わりを意味していたはずだ、と彼は述べている。自分の作り方の基本は、前作より何らかの点で少し良いアルバムを作ることだ、というのが彼の説明だった。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

『Slide It In』が扉を開けたとすれば、1987年のセルフ・タイトル作はその扉を蝶番ごと吹き飛ばした——公式サイトが掲載するCraft Recordingsのプレスリリースはそう表現している。「Here I Go Again」「Is This Love」「Still of the Night」を擁するこのアルバムは、バンドを国際的なスターに変えた。1982年に最初に出た曲を作り直した「Here I Go Again」はバンドの代表曲となってBillboard Hot 100の首位に立ち、アルバム自体はBillboard 200で最高2位、アメリカで8×プラチナに認定された。「Is This Love」もHot 100で2位に達している。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

1987年のアルバムの30周年盤は、単なる記念盤ではなかった。公式サイトが掲載したプレスリリースによれば、この『WHITESNAKE "1987": SUPER DELUXE EDITION』は、WHITESNAKEとRhino Entertainment——ワーナー・ミュージック・グループのカタログ部門——との新しい契約に基づく最初のリリースだった。この契約には北米と日本の権利が含まれており、WHITESNAKEのカタログの相当部分が世界規模でワーナー傘下に収まるのはこれが初めてだった。デヴィッド・カヴァーデイルはこれについて、ディープ・パープル時代にワーナーにいた記憶があり、ゲフィン時代もワーナーが配給していたので、家に帰ってきたような感覚だと述べている。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

『WHITESNAKE "1987": SUPER DELUXE EDITION』は4CD+DVDの構成で、リマスターした本編に未発表のライヴ音源とスタジオ音源、ミュージック・ビデオ、コンサート映像、そしてデヴィッド・カヴァーデイルへの新しいインタビューを含む30分のドキュメンタリーが加えられた。パッケージは60ページのハードカバー本で、当時の未公開写真と、新規インタビューをもとにした長い解説、さらにカヴァーデイルが手書きした歌詞のブックレットが収められている。発売は当初10月6日の予定だったが、製造上の遅れにより10月27日へ変更された。その旨はカヴァーデイル自身の名前で告知されている。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

エイドリアン・ヴァンデンバーグは1980年に自身のバンドVandenbergを結成し、そこで国際的な成功を築いた人物である。デヴィッド・カヴァーデイルが彼を自分のバンドへ誘い、1986年に合流した。バンドの公式サイトが紹介したオランダのドキュメンタリー番組の紹介文によれば、彼は「Here I Go Again」に新しいアレンジを施し、あのギター・ソロを弾いている。以後1999年まで、彼はカヴァーデイルとともにWHITESNAKEの曲を書き、世界中の大規模なスタジアムとアリーナを何度も回った。1999年に彼はもう十分だと考えて離れるが、カヴァーデイルとの友情はその後も続いており、WHITESNAKEの公演にサプライズで現れることもあるという。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

エイドリアン・ヴァンデンバーグは、オランダで最も成功したロック・ミュージシャンの一人と紹介される人物である。バンドの公式サイトが伝えた2018年のオランダのドキュメンタリー番組の紹介によれば、彼は自身のバンドでの国際的ヒット「Burning Heart」で知られる一方、WHITESNAKEでの成功はそれを上回り、「Is This Love」だけでYouTubeで9000万回以上再生されているという。番組は当時64歳の彼を、新バンドVandenberg's MoonKingsとともに複数の大陸で追いかけている。彼はエンスヘーデに住み、そこで絵を描き、作曲し、スケートをする生活を送っていた。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

『Slip Of The Tongue』の28周年にあたって、バンドの公式サイトはこのアルバムに関わった面々に祝意を伝えている。名前が挙がったのはエイドリアン(・ヴァンデンバーグ)、ルディ(・サーゾ)、DC(デヴィッド・カヴァーデイル)、スティーヴ(・ヴァイ)、そしてトミー(・アルドリッジ)だった。全10曲で、1曲目が表題曲、最後が「Sailing Ships」という構成である。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

『Restless Heart』はWHITESNAKEの9作目のスタジオ・アルバムで、1997年5月26日に発売された。バンドの公式サイトが記念の投稿でそう記録している。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

『Good To Be Bad』は地域ごとに発売日がずれている。バンドの公式サイトによれば、ドイツではSPV/Steamhammerから4月18日、ヨーロッパのその他の地域では4月21日、北米では4月22日だった。通常のジュエルケース盤に加えて、限定の2枚組も用意されている。こちらは紙ジャケットに入った追加CDのほか、ポスター、フォトカード、ステッカーが付くものだった。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

『Good To Be Bad』の編成は、デヴィッド・カヴァーデイル(ヴォーカル)、ダグ・アルドリッチとレブ・ビーチの2本のギター、ティモシー・ドゥルーリー(キーボード)、ユライア・ダフィー(ベース)、クリス・フレイジャー(ドラム)である。カヴァーデイルはこのアルバムについて、自分がWHITESNAKEで気に入っている要素がすべて、そしてそれ以上のものが入っていると述べ、初期のブルース寄りの時代からバンドの音楽的な歴史を通って現在のより電気的な側面までを聴き取ることができる、と説明している。作るのは愛情のこもった仕事であり、喜びだった、というのが彼の言い方だった。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

『The Purple Album』は、デヴィッド・カヴァーデイルがディープ・パープルで過ごした3年間へのWHITESNAKEからの贈り物である。バンドの公式サイトが掲載したプレスリリースによれば、選曲は『Burn』(1974年)、『Stormbringer』(1974年)、『Come Taste The Band』(1975年)から択ばれ、「Lay Down Stay Down」「Lady Double Dealer」「You Keep On Moving」といった曲が新たに録音された。参加したのはギターのレブ・ビーチ、ベースのマイケル・デヴィン、そしてこれがWHITESNAKE初参加となるギターのジョエル・ホークストラ、さらにドラムのトミー・アルドリッジ——1989年の『Slip Of The Tongue』以来となるWHITESNAKEのスタジオ作への復帰だった。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

『The Purple Album: Special Gold Edition』の2CD+ブルーレイ版には、オリジナルを超える内容が加えられている。バンドの公式サイトが掲載したプレスリリースによれば、The Purple Tourからのライヴ音源と映像(「The Gypsy」「Mistreated」)、公式ミュージック・ビデオ(「Sail Away」「You Fool No One」)、そしてアルバム収録曲の別ミックス6種を含む未発表音源が収められた。ブルーレイにはさらに制作の舞台裏と、カヴァーデイル自身による曲ごとの解説が入っている。ゴールド・ヴァイナルの2LP版も同時に用意された。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

引退の表明からおよそ1か月後の2025年12月11日、WHITESNAKEの公式サイトはソーシャル・メディアについての告知を出した。表題は「Fare Thee Well」——引退表明のときに使われたのと同じ言葉である。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

引退から1年ほど経った2026年8月15日、WHITESNAKEの公式サイトは活動を再開した。掲載された告知によれば、この1年のあいだにWHITESNAKEを語り合う場が無くなったことを惜しむ声が多く届いており、運営側も同じように感じていたという。以後この場所を、デヴィッド・カヴァーデイルとWHITESNAKEの音楽を祝い、名作を聴き直し、バンドの歴史にまつわる話を掘り起こし、その遺産を生かし続けるための拠点にする、という宣言だった。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

引退後のWHITESNAKEにとって最初の動きは、代表作3枚のアナログ復刻だった。新しいカタログ・レーベルとなったCraft Recordingsから、『Slide It In』(1984年)、『Whitesnake』(1987年)、『Slip of the Tongue』(1989年)が2026年9月18日にアナログで再発される。3枚とも当時のアメリカ盤と同じ1枚組の構成で、オリジナルのアナログ・テープからカッティングされた。通常の黒盤に加えて限定色盤も用意され、『Whitesnake』は「Tan Smoke」と「Stone Marble」、さらに「Gold Black Ice」、『Slide It In』は「Onyx」、『Slip of the Tongue』は「Crimson Moon」という仕様である。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

2025年、WHITESNAKEは2011年の『Forevermore』を作り直した『Forevermore – Revisited – Remixed – Remastered』を出した。バンドの公式サイトは同年10月9日に、その制作についてデヴィッド・カヴァーデイル本人が語る映像を公開している。この一連のリミックス作業は、彼が11月に引退を表明する直前まで続いていたものだった。

出典: WHITESNAKE 公式サイト

WHITESNAKEには、性格の異なる二つの時代がある。Louderの整理によれば、ひとつはデヴィッド・カヴァーデイルが1978年3月に結成したブルース・ロック期で、もうひとつは80年代半ばから始まったアメリカ攻略のための編成である。前者について、カヴァーデイルは音楽的な力量と、一緒にやれる人柄でメンバーを選んでいた。1984年に『Slide It In』がアメリカで発売された時点で、初期を支えたギターのバーニー・マースデンとミッキー・ムーディーはすでにおらず、代わりに元シン・リジィのジョン・サイクスが加わっている。ベースのニール・マレーは短期間ながら呼び戻され、その時点では定番と見なされていた編成の面影を残す唯一の存在だった。

出典: Louder(Classic Rock)「Here I Go Again」の記事

『Saints & Sinners』の制作は平坦ではなかった。Louderによれば、1982年1月にデヴィッド・カヴァーデイルはメンバーに厳しく言い渡し、態度に嫌気がさして一度は制作そのものを止めている。ゴールド・ディスクの水準で満足して流している者がいる、というのが当時の彼の言い分だった。制作の最後にはミッキー・ムーディーが去り、5月には給与が凍結される。夏にバンドが組み直されたときにはムーディーが復帰し、代わりにバーニー・マースデンが抜けて、アルバムでバッキング・ヴォーカルを歌っていた元トラピーズのメル・ギャレーが入った。マースデンはのちに、困難な状況で作られた作品でありながら出来は際立って良いと評し、同時にスリーヴでデヴィッド以外が正当にクレジットされなかったのは残念だったと述べている。

出典: Louder(Classic Rock)「Here I Go Again」の記事

「Slide It In」はシングルにはならなかったが、アルバムの表題曲になった。Songfactsによれば、この曲はキスの流儀に倣ったもので、露骨な言葉を一切使わずに性を扱っている。蛇というバンドの象徴と噛み合っている、というのが同サイトの見立てで、ジャケットには蛇を首飾りのように巻いた女性が写っている。2009年6月にロンドンのフリーペーパー『Metro』へ語ったところによれば、この曲で童貞を失ったと打ち明けてきたメディア関係者が何人もいたという。

出典: Songfacts「Slide It In」

ミッキー・ムーディーがバンドを去った痛手は、「Here I Go Again」がのちに「もう一つの頭を生やした」ことで大きくなった、とバーニー・マースデンは言う。彼の話によれば、ブリッジの部分で手を貸してほしいとムーディーに頼んだのだが、ムーディーはサッカーを観ていたかったのだという。あの90分を自分にくれていたらチェルシーを買えていた、とムーディーは今では言っている——というのがマースデンの語り方である。

出典: Louder(Classic Rock)「Here I Go Again」の記事

「Here I Go Again」は、困難に立ち向かう歌として受け取られることが多いが、Songfactsの解説によればそうではない。歌の中身は失恋と、それに伴う孤独である。デヴィッド・カヴァーデイルはこの歌詞をポルトガルで書いた。下敷きになっているのは、1974年に結婚した最初の妻ユリア・ボルコウスキーとの関係の破綻だった。

出典: Songfacts「Here I Go Again」

「Here I Go Again」がアメリカで1位になったのは1987年だが、曲が書かれたのは1981年、最初に世に出たのは1982年である。Songfactsによれば、当時のWHITESNAKEはまったく違うバンドだった。デヴィッド・カヴァーデイルはギタリストのバーニー・マースデンとこの曲を書き、『Saints 'N' Sinners』に収めてイギリスでシングルとして発売、34位を記録している。1987年の時点でバンドの編成はすっかり変わり、残っていたのはカヴァーデイルだけだった。彼らはこの曲を録り直して同年のセルフ・タイトル作に収め、その夏、アメリカで初めてシングルとして発売する。10月に全米1位。イギリスでも「US Mix」と銘打った再発が9位まで上がった。

出典: Songfacts「Here I Go Again」

「Here I Go Again」には、目的の違う3つの録音がある。Songfactsの整理によれば、1982年のオリジナルは5分8秒で、ジョン・ロードのゴスペル調オルガンに乗せてゆっくり立ち上がり、ドラムが入るのは1分20秒からだった。1987年のアルバム版は4分35秒で、イントロのキーボードはドン・エイリーによるより強い音になり、ドラムは1分15秒から。ビデオで使われているのはこちらである。さらにレーベルのゲフィンがシングル用に徹底してラジオ向きの版を要求したため、カヴァーデイルはエイリーとスタジオ・ミュージシャンを連れてスタジオに戻り、3分52秒の3つ目を作った。こちらは冒頭からドラムとギターが鳴り、ヴォーカルが入るまでの22秒はDJが喋るのにちょうどよい長さになっている。

出典: Songfacts「Here I Go Again」

「Here I Go Again」のアメリカ向けの版では、歌詞が一箇所変わっている。オリジナルの「Like a hobo I was born to walk alone」が「Like a drifter」になった。理由の説明は二通りある。Louderは、別の語と紛らわしくならないようにするためだったと書いている。一方Songfactsはこの変更を紹介したうえで、単に言葉の選び方としてこちらのほうが良い、と評しているだけで理由には触れていない。

異説あり出典: Louder(Classic Rock)「Here I Go Again」の記事

1987年のラジオ向けヴァージョンをプロデュースしたのは、フリートウッド・マックの1975年のセルフ・タイトル作で知られるキース・オルセンだった。Songfactsによれば、彼は1983年にハートの『Passionworks』を手がけており、そのリズム隊——ドラムのデニー・カルマッシとベースのマーク・アンデス——をこのセッションに連れてきた。ギターはダン・ハフ。アンデスがSongfactsのポッドキャストで語ったところによれば、演奏していた面々はカヴァーデイルの歌から出るエネルギーに引っ張られていたという。風邪か何かを引いていたにもかかわらず彼はプロとして見事に歌いきり、それが演奏者の空気に伝わった、というのが彼の説明である。

出典: Songfacts「Here I Go Again」

「Here I Go Again」のビデオでタウニー・キティアンがボンネットの上で踊るジャガーは、2台とも関係者の私物だった。Songfactsによれば、1台はデヴィッド・カヴァーデイルの車、もう1台はビデオを監督したマーティ・カルナーの車である。このビデオはMTVで大きな成功を収め、いわゆる「じらし」系ビデオの先駆けのひとつになった。以後、とくにヘア・バンドのあいだでは、美しい女性の姿を映像に散りばめて視聴者をつなぎとめる手法が広まっていく。キティアンは1984年の映画『バチェラー・パーティー』にも出ており、WHITESNAKEのビデオには複数登場した。彼女とカヴァーデイルは1989年に結婚し、1991年に離婚している。

出典: Songfacts「Here I Go Again」

タウニー・キティアンが2021年に亡くなったとき、デヴィッド・カヴァーデイルは彼女をWHITESNAKEと切り離せない存在として振り返った。Loudwireが伝えたところによれば、彼は彼女がバンドと同義になっていたと述べている。彼女の死後、「Here I Go Again」はロック・チャートで再び首位に立った。

出典: Loudwire

「Still Of The Night」は1987年のセルフ・タイトル作からの最初のシングルで、デヴィッド・カヴァーデイルがギタリストのジョン・サイクスと書いた曲である。Songfactsによれば、この曲をレッド・ツェッペリンに似ていると感じる聴き手は多い。剥き出しのヴォーカルに続く巨大なリフは「Black Dog」を、ブリッジは「Kashmir」を思い出させる、というのが同サイトの説明である。ただしカヴァーデイル本人が語る音楽的な着想源はそこではなく、1957年のエルヴィス・プレスリーのヒット「Jailhouse Rock」だった。

出典: Songfacts「Still Of The Night」

アルバムが発売された時点で、そこに参加していたギタリストはもうバンドにいなかった。Songfactsによれば、ジョン・サイクスはすでに脱退しており、後任のエイドリアン・ヴァンデンバーグとヴィヴィアン・キャンベルがビデオに映っている。演奏している人物と映像に映る人物が違う、という状態でこのアルバムは世界的なヒットになった。

出典: Songfacts「Still Of The Night」

「Is This Love」は、当初WHITESNAKEの曲として書かれていなかった。Songfactsによれば、デヴィッド・カヴァーデイルはアルバムの作曲期の初期に南フランスでジョン・サイクスとこの曲を書いているが、渡英前にEMIの友人から、ティナ・ターナーに合う曲のアイディアを探していると伝えられていた。『What's Love Got To Do With It』が世界的な成功を収めた直後で、作曲のために出かけると知った相手が、その後継になりそうな曲があれば知らせてほしいと言っていたのである。だからカヴァーデイルがこの曲を書き始めたとき、それはターナーのための曲だった。フランスの別荘で彼が手を入れていると、サイクスが聞きつけて良い曲だと言った。カヴァーデイルは、これはうちのバンドのではなくティナ・ターナーのための曲だと答えている。最終的に当時のレーベルの長デヴィッド・ゲフィンがこれを聴き、WHITESNAKEのために取っておけと彼に告げた。

出典: Songfacts「Is This Love」

「Is This Love」はアメリカで2位まで上がったが、1位には届かなかった。Songfactsによれば、それを阻んだのはジョージ・マイケルの「Faith」である。1987年前後は、大音量のギターときわどい歌詞で知られるロック・バンドが大きなバラードで最大のヒットを出した時期で、同じ1987年にはデフ・レパードの「Love Bites」やホワイト・ライオンの「Wait」、翌年にはポイズンの「Every Rose Has Its Thorn」やチープ・トリックの「The Flame」が出ている。もっともWHITESNAKEの場合、最大のヒットはバラードではなく全米1位の「Here I Go Again」で、「Is This Love」はその次のシングルだった。

出典: Songfacts「Is This Love」

「Is This Love」がシングルとして発売された時点で、それを録音した編成のWHITESNAKEは解散状態にあった。Songfactsによれば、デヴィッド・カヴァーデイルはこの曲を売るためのツアーに出るのに、別のバンドを組み直さなければならなかった。もともとWHITESNAKEという名前は、彼がディープ・パープルを離れたあとに手がけたいくつかのソロ企画の名前でもあった、というのが同サイトの説明である。

出典: Songfacts「Is This Love」

イギリスでのWHITESNAKEには、最初から土台となる聴衆がいた。Songfactsによれば、デヴィッド・カヴァーデイルはディープ・パープルを離れてこのバンドを結成した時点ですでに英国でよく知られており、その分アメリカを攻略するほうがずっと難しかった。足がかりになったのが1984年の『Slide It In』で、決定的だったのが1987年のセルフ・タイトル作である。そしてこのアルバムを携えてアメリカを回ったとき、彼らはモトリー・クルーの前座だった。

出典: Songfacts「Here I Go Again」

トミー・アルドリッジのWHITESNAKE加入は、2013年で3回目だった。デヴィッド・カヴァーデイルはBARKSのインタビューでその復帰を喜び、実は『Good To Be Bad』の多くの曲——たとえば「Best Years」——は、トミーが叩くことを前提にアレンジしたものだったと明かしている。その後、二人のあいだに誤解が生じて数年間は別行動になっていた。復帰にあたって彼は、『Good To Be Bad』や『Forevermore』の曲にトミーがどんな要素をもたらすのかを楽しみにしていると語った。

出典: BARKS

WHITESNAKEの最後のツアー〈The Farewell Tour MMXXII〉は2022年5月に始まったが、6月の終わりに中断された。BARKSが伝えたところによれば、デヴィッド・カヴァーデイルが副鼻腔と気管の感染症と診断されたためである。中断から1年以上が経った2023年10月、SiriusXMの番組に出た彼は、バンドとは年中連絡を取り合っていてWHITESNAKEは存在するしオファーも来ているが、自分の身体の問題が解決するまで何も受けられないと語った。最近転倒して腱板を2つ傷めており、それがパフォーマンスに影響するというのがその内容である。健康がはっきりするまで何も約束できない、ツアーに出て前年と同じことが起きて家に戻るようなことは絶対にしたくない、とも述べている。

出典: BARKS

引退の表明は、映像による発表という形を取った。Blabbermouthが伝えたところによれば、デヴィッド・カヴァーデイルは2025年11月13日に公開した映像でこれを明らかにしている。彼は当時74歳だった。

出典: Blabbermouth

1987年のアルバムでデヴィッド・カヴァーデイルと「Still Of The Night」や「Is This Love」を書いたギタリスト、ジョン・サイクスは2025年1月に亡くなった。Blabbermouthは同月21日、シン・リジィとWHITESNAKEでの仕事で知られる彼へ、多くのミュージシャンが追悼の言葉を寄せたことを伝えている。

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『The Purple Album』は、二人の人物への敬意と感謝を込めた作品でもあった。BARKSの記事によれば、その二人とは2012年に亡くなったジョン・ロードと、ロック界から一歩退いていたリッチー・ブラックモアである。デヴィッド・カヴァーデイルが在籍した第3期・第4期ディープ・パープルは『Burn』(1974年)、『Stormbringer』(1974年)、『Come Taste The Band』(1975年)の3枚を残しており、このアルバムはそれらの曲に現在のWHITESNAKEが新しい命を吹き込んだものだった。

出典: BARKS

『The Purple Album』でデヴィッド・カヴァーデイルが目指したのは、ディープ・パープルのオリジナルに敬意を払いつつWHITESNAKEらしくアレンジすることだった。BARKSのインタビューで彼はそれを「スネイク・アップした」と表現している。彼は現在のメンバーに『Burn』『Stormbringer』『Come Taste The Band』を渡し、全曲をしっかり学んだうえで自分なりの個性と解釈を加えてほしいと頼んだ。まるっきり同じことをやるなら意味がない、というのがその理由である。収録曲を決め、基本的な構成を決めたのは彼自身で、そこにアレンジを加えたのはメンバーだった。彼らはオリジナルに無かった新しいスリルをもたらした、というのが彼の評価である。

出典: BARKS

『The Purple Album』は、ツイン・ギター編成でディープ・パープルの曲に向き合った作品でもあった。BARKSのインタビューでデヴィッド・カヴァーデイルは、レブ・ビーチとジョエル・ホークストラという二人の異なる個性と才能をフィーチュアすることがこのアルバムの重要な点だったと述べている。とりわけレブの実力をWHITESNAKEの作品で示すことが大事だったという——2004年のツアーでも「Burn」を演奏していたが、そのときレブはギター・ソロを弾いていなかったからである。ディープ・パープルの曲にキーボードは不可欠で、デレク・ヒランドが参加しているが、彼には最初から主役は二人のギタリストになると伝えてあり、本人も納得していたという。

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デヴィッド・カヴァーデイルがソーシャル・メディアを始めたのは、バンドのギタリストだったダグ・アルドリッチの勧めによる。BARKSのインタビューによれば、ファンの声を直接聞ける役に立つ道具だと言われたが、当初の彼は否定的で、そんな暇はない、仕事があるし時間があれば家族と過ごすと答えていた。実際にやってみると案外楽しいと気づいたという。そして『The Purple Album』の制作中、彼は冗談の合間にヒントを忍ばせていた。前年のクリスマス時期に紫色のクリスマス・ツリーの写真を載せたり、スタジオに紫の照明をつけたりしていたのである。世界中のファンへのサプライズにしたかった、というのが彼の説明だった。

出典: BARKS

『The Purple Album』が生まれる前に、リッチー・ブラックモアとの共同プロジェクトの話し合いがあった。BARKSのインタビューでデヴィッド・カヴァーデイルが語ったところによれば、一緒にアルバムを作りワールド・ツアーを回れたら最高だと二人で話しており、新曲や往年のディープ・パープルの曲を演奏すること、さらには自分がレインボーの曲を歌い、ブラックモアがWHITESNAKEの曲を弾いたら凄いという話まで出ていた。ただしブラックモアはやるともやらないとも言わなかった。この「ブラックモア/カヴァーデイル」の企画はいったん流れ、その経緯を経て『The Purple Album』が生まれている。

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もし自分がレインボーの曲を歌うならどれを選ぶかと問われて、デヴィッド・カヴァーデイルは初期を挙げた。BARKSのインタビューでの彼の説明によれば、とくにコージー・パウエルがいた頃が好きで、1976年の『Rising』は素晴らしいという。1975年のファースト・アルバムについては、リッチー・ブラックモアがディープ・パープルで使えなかったアイディアを、かつて前座を務めたELFのメンバーを使って実現させた作品だと位置づけたうえで、『Rising』は新しいアイディアを最高のミュージシャンたちが作り上げていった作品だと評した。ロニー・ジェイムス・ディオの声も最高だったという。その後ロジャー・グローヴァーが加わってレインボーはよりポップな方向へ進むが、そちらは自分の興味を惹くタイプではなかった、自分が好きだったのはレインボーの暗い側面だ、というのが彼の言い方である。

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