SOUNDGARDEN TRIVIA
Trivia
キム・セイルの回想録『A Screaming Life』の版元は、セイルのインドの出自と、創設ベーシストのヒロ・ヤマモトの日本の出自が、バンドの個性に独特の厚みを加え、音楽だけでなく業界での経験にも影響したと紹介している。ベースのベン・シェパードは、父が米軍で駐留していた沖縄で生まれた。
バンドが日本で公演を行ったのは、1994年2月の一度だけである。『Superunknown』が出る1か月前で、ウドー音楽事務所の招聘により、クラブチッタ川崎(8日)、東京厚生年金会館(10日)、大阪御堂会館(12日)、名古屋クラブクアトロ(13日)の4か所を回った。VICE Japanは客の入りが今ひとつだったと伝えており、その後バンドが日本に戻ることはなかった。
バンド名は、シアトルのサンド・ポイントにあるアメリカ海洋大気庁(NOAA)の敷地に立つ、風を受けてパイプが音を鳴らす彫刻作品にちなむ。NOAA自身も沿革のページで、バンドがこの作品から名前を採ったと書いている。解散から13年後の2010年4月16日、地元シアトルのShowboxで再びステージに立った夜、バンドはその名の綴りを並べ替えたNUDE DRAGONSを名乗っていた。2024年12月14日に同じShowboxで行われるチャリティ公演の告知でも、キム・セイル、マット・キャメロン、ベン・シェパードの3人はこの名で出演すると発表されていた。
Sub Popの誕生には、キム・セイルが関わっている。セイルは、のちにレーベルを創設するブルース・パヴィットとジョナサン・ポーンマンを引き合わせ、レーベルを始めるよう後押しした。パヴィットとは、シカゴ近郊で通った進歩的な高校の課程で同級生だった間柄で、同じ課程には、のちにSOUNDGARDENの初代ベーシストとなるヒロ・ヤマモトもいた。1987年10月、Sub PopはバンドのEP『Screaming Life』を発売している。
2011年3月22日に出たライヴ盤『Live on I-5』は、1996年に西海岸を回ったツアーの録音である。バンドがライヴを録音したのはこのツアーが初めてで、エンジニアのアダム・キャスパーが同行した。バンドはツアー後すぐに出すつもりだったが、解散したためテープはシアトルのStudio Xの物置に眠ることになった。題は、西海岸を南北に貫く州間高速道路5号線にちなむ。
結成当初、クリス・コーネルはドラムを叩きながら歌っていた。本人によれば、歌い手とドラマーのどちらが先に見つかるか分からなかったので両方を探し、先に見つかったのがドラマーだったため、自分が歌い手になったという。1985年に加わったのがスコット・サンドクイストで、プロデューサーのジャック・エンディーノは、ライヴの途中でコーネルが新しいドラマーを紹介し、そこから先は歌だけを歌ったのを目撃している。
創設メンバーのベーシスト、ヒロ・ヤマモトは、バンドがメジャー・レーベルへ移った1989年に脱退した。本人は後年、音楽が商品として売られる産業に、その頃はなじめなかったと語っている。大学に戻って学び直し、のちにワシントン州で飲み水の検査を行う会社の有機化学部門の責任者を務めた。2025年にバンドがロックの殿堂入りした際には、ヤマモトもクリス・コーネル、キム・セイル、ベン・シェパード、マット・キャメロンとともに殿堂入りしている。
「Black Hole Sun」の題は、テレビのニュースでアナウンサーが言った言葉を、クリス・コーネルが聞き違えたところから生まれた。コーネルはウッディンヴィルのBear Creek Studioから車で家に帰る道中で、頭の中で曲を組み立て、忘れないように旋律を繰り返し、家に着くと口笛で録音機に吹き込んだ。送られてきたデモを聴いたプロデューサーのマイケル・バインホーンは、15回続けて再生したと振り返っている。
「Spoonman」という題は、PEARL JAMのジェフ・アメンが、映画『シングルス』に登場する架空のバンドのために考えた偽の曲名の一つだった。クリス・コーネルはその題から実際に曲を書き、曲のきっかけとなったシアトルの大道芸人アーティス・ザ・スプーンマンが、録音でスプーンのソロを演奏している。この曲は第37回グラミー賞で最優秀メタル・パフォーマンス賞を受けた。
ジョニー・キャッシュが「Rusty Cage」をカヴァーしたのは、リック・ルービンの発案だった。キャッシュ向けの編曲を頼まれたクリス・コーネルは、初めは馬鹿げた考えだと思ったという。ところが、キャッシュの録音がラジオで流れ始めると、聴いた人々から留守番電話にメッセージが届くようになった。コーネルは、ビートルズが自分の曲をカヴァーすることを除けば、これほどファンとして嬉しい経験は無かったと語っている。
「Outshined」の歌詞の一節は、キアヌ・リーヴス主演の1996年の映画『Feeling Minnesota』の題になった。クリス・コーネルは1992年、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでGUNS N' ROSESの前座を務める前に、自分はこれまで歌詞で自分のことを書いてこなかったので、あの一節は書いていて新鮮だったと話している。
1996年の夏、バンドはMETALLICAとともにヘッドライナーとしてロラパルーザに参加した。1992年に続く2度目の出演で、SPIN誌は、この催しの6年の歴史でメイン・ステージに2度立つ最初のグループになると書いている。METALLICAとの組み合わせは、オルタナティヴの祭典にふさわしくないとして、当時一部から批判も受けた。
2025年11月8日のロックの殿堂入りの式典で、バンドを紹介したのはジム・キャリーだった。キャリーは1996年に『サタデー・ナイト・ライヴ』の司会を務めた際、音楽ゲストにSOUNDGARDENを強く望み、番組の後にクリス・コーネルのフェンダー・テレキャスターを贈られて、それを一番の宝物にしているという。式典では、1989年に脱退したヒロ・ヤマモトを含むメンバーがそれぞれ挨拶し、コーネルの娘トニとHEARTのナンシー・ウィルソンが「Fell on Black Days」を演奏した。