SODOM TRIVIA

Trivia

1989年の『Agent Orange』は、SODOMを初めてドイツのアルバム・チャートに送り込んだ。公式チャートの記録では、7月24日付で47位に初登場し、8月7日付で最高の36位を記録して、16週にわたってチャートに残った。のちに「Teutonic Big Four」と呼ばれる4組のうち、ドイツの公式アルバム・チャートに最初に入ったのはSODOMである。TANKARDの初登場は1990年9月の『The Meaning of Life』、KREATORは1995年9月の『Cause for Conflict』、DESTRUCTIONは2000年5月の『All Hell Breaks Loose』だった。当のトム・エンジェルリッパーは、チャートなど自分たちの居場所ではないと、当時はまるで気にしていなかったという。それでも順位は物事がうまく運んでいるしるしで、その後のアルバムで良い契約を結ぶ足がかりになったと認めている。

出典: Offizielle Deutsche Charts(GfK)、『Agent Orange』のチャート記録(2026年10月21日参照)

laut.deのバイオグラフィーによれば、日本がSODOMに目を向けたのは1990年の『Better Off Dead』の頃で、バンドはその後何度か日本へ足を延ばしている。その時期の東京公演の録音は、30年以上たってようやく世に出た。2024年11月にNoiseとBMGが出した『Tapping the Vein』の拡大再発のうち、LP3枚とCD2枚から成るデラックス・ブックパック盤には、未発表だった1992年のデュッセルドルフ公演とケルン公演とともに「Live in Tokyo 1992」が収められている。東京でのセットは「Sodomy & Lust」で幕を開け、『Tapping the Vein』の曲に「Agent Orange」などを交えた12曲で、締めくくりは「The Kids Wanna Rock」だった。

出典: SODOM公式サイトのニュース「Sodom announce expanded editions of Tapping The Vein」(2024年9月5日)

SODOMとTANKのつながりは深い。トム・エンジェルリッパーは、歌いながらベースを弾く憧れの存在としてTANKのアルジー・ウォードの名を挙げ、戦争を多く歌うTANKが自分の歌詞を戦争へ向かわせたとも話している。『Agent Orange』の最後を飾る「Don't Walk Away」もカヴァー曲で、バンドの公式サイトはEP『Ausgebombt』の曲目でこの曲に「(Cover)」と添えている。作者はアルジー・ウォードとPeter Brabbs、Mark Brabbsである。10周年記念公演を収めたビデオ『Live at Zeche Carl』でも、最後に並ぶカヴァー曲の中にTANKの「Shellshock」が入っている。

出典: SODOM公式サイト『Ausgebombt』のページ(2026年10月21日参照)

1992年の『Tapping the Vein』は、ギタリストのアンディ・ブリングスが初めて作ったアルバムである。バンドの公式サイトによれば、1991年に加入したときブリングスは20歳で、まだ学校に通っていた。トム・エンジェルリッパーによれば、ブリングスはそれまでのどのギタリストとも違う弾き方をし、彼が入ったことでバンドはさらに重い音を目指した。トム・エンジェルリッパー自身もTHE EXPLOITEDやDISCHARGEを好むパンク好きで、ブリングスはRAMONESやグラムに傾いていた。初めてのリハーサルではカヴァー曲も演奏し、ギター1本でこれほどの轟音が出るのかと驚いたという。曲は短い間に次々と仕上がり、1回のセッションでできた曲も多かった。ファンの間では「SODOMのデス・メタル・アルバム」とも呼ばれるが、当時メンバーの誰もデス・メタルを聴いていなかったとバンドは明かしている。

出典: SODOM公式サイトのニュース「Sodom announce expanded editions of Tapping The Vein」(2024年9月5日)

SODOMのドイツ公式アルバム・チャートでの最高位は、新作ではなく30年以上前のアルバムの再発によってもたらされた。1992年の『Tapping the Vein』は当時98位で初登場し、最高56位、9週の記録だったが、2024年11月15日にNoiseとBMGから出た拡大再発盤によって、11月22日付のチャートで3位に入った。これがバンドの全作品を通じた最高位である。1994年の『Get What You Deserve』も、当時の最高45位に対し、2026年2月27日の再発を受けて3月6日付で5位に入っている。トム・エンジェルリッパーによれば、今では旧作の権利をBMGが持っており、BMGから『Agent Orange』を再発したいと連絡があったのが始まりで、レーベルはまず『M-16』の再発から手を付けたという。

出典: Offizielle Deutsche Charts(GfK)、『Tapping the Vein』のチャート記録(2026年10月21日参照)

1993年のEP『Aber bitte mit Sahne!』の表題曲は、ウド・ユルゲンスが作曲し、Eckart HachfeldとWolfgang Spahrが詞を書いたドイツ語の歌のカヴァーである。laut.deのバイオグラフィーによれば、トム・エンジェルリッパーはこの頃ドイツの歌への愛着に目覚め、それをまずこのEPの録音で形にし、のちにはサイド・プロジェクトのONKEL TOMで追い求めることになった。バンドの公式サイトによれば、EPには表題曲のほか「Sodomized」「Abuse」「Skinned Alive '93」が入り、演奏はトム・エンジェルリッパー、ギターのアンディ・ブリングス、ドラムのアトミック・シュタイフの3人、制作はヴォルフガング・シュタッハが務めた。

出典: SODOM公式サイト『Aber bitte mit Sahne』のページ(2026年10月21日参照)

2016年の『Decision Day』は、ドイツのレコード批評家賞(Preis der deutschen Schallplattenkritik)が四半期ごとに発表する「Bestenliste」の2016年第4期に、ハード&ヘヴィ部門の1枚として選ばれた。この賞は直前の3か月に出た新作から特に優れたもの、興味深いものを選んで3か月ごとにリストを発表しており、『Decision Day』はまず同じ期のハード&ヘヴィ部門の審査員によるロングリストに挙がったうえで、Bestenlisteに残った。賞のサイトにはSteamhammerの0886922706004(SPV)として載っている。

出典: Preis der deutschen Schallplattenkritik、Bestenliste 04/2016(2026年10月21日参照)

SODOMの出発点にあったのは、VENOMの1作目『Welcome to Hell』である。トム・エンジェルリッパーによれば、仲間うちでいち早くイギリスからの輸入盤を手に入れたのがすべての始まりで、ギタリストのアグレッサーことFrank Testegenがこれを聴いて同じような音楽をやりたいと言い出し、トム・エンジェルリッパーがそれに乗った。とはいえ楽器を弾けたのはTestegenだけで、トム・エンジェルリッパーは何も弾けず、最初はドラムに座っていたという。クリス・ウィッチハンターと出会ってからはベースが必要になり、弦が4本なら初心者にも楽だろうと考えて自分で買った。もともと歌いながらベースを弾く人たちが好きで、MOTÖRHEADのレミー、RAVENのジョン・ギャラガー、TANKのアルジー・ウォード、VENOMのクロノスの名を挙げている。ギターの細い弦にはどうしてもなじめなかったとも話している。

出典: laut.de、SODOMインタビュー「Wir wollten gehasst werden」(2022年10月28日)

SODOMが最初に書いた曲は「Witching Metal」で、トム・エンジェルリッパーはこの曲をバンドの旗印であり音楽の方向そのものだったと言う。ブラック・メタルもスラッシュ・メタルもまだ呼び名として無かった頃で、自分たちのやっているのはヘヴィ・メタルではなく「Witching Metal」だと名乗っていたという。最初のデモは1982年の春、エッセンのアルテンエッセン地区シュタウダー通り、工業地帯の荒れ地にある小さなかび臭いリハーサル室で録られ、そこで録音されていたのが「Witching Metal」だった。トム・エンジェルリッパーによれば、5曲入りのこのデモはマイク2本で録っただけのもので、カセットのジャケットとSODOMのロゴは自分で考えた。毎週訪ねてくる祖父母やおじ、おばにもテープを聴かせたところ、両親と祖父は青ざめ、祖母だけが、好きにさせておけばそのうちやめるだろうと言ったという。41年後の2023年、バンドはEP『1982』で「Witching Metal」など初期の曲を録り直し、最初の一歩を振り返る新曲「1982」を書いた。

出典: laut.de、SODOMインタビュー「Wir wollten gehasst werden」(2022年10月28日)

SODOMのメンバーの多くは芸名を名乗ってきた。トム・エンジェルリッパーの本名はThomas Such、ドラマーのクリス・ウィッチハンターはChristian Dudekである。初期のギタリストは、アグレッサーことFrank Testegen、その後任のグレイヴ・ヴァイオレイターことJosef Dominik、さらにその後のデストラクターことミヒャエル・ヴルフと、3代続けて「-or」で終わる名前が並んだ。後の時代も同じで、フランク・ブラックファイアはFrank Gosdzik、ドラマーのアトミック・シュタイフはGuido Richter、ギタリストのベルネマンはBernd Kost、ドラマーのマッカはマーカス・フライヴァルドという本名を持つ。

出典: Decibel、『Sodom: The Official Authorized Biography』の抜粋(『Obsessed by Cruelty』の章、2026年5月29日)

SODOMがSPVと契約したのは、トム・エンジェルリッパーが最初の本格的なライヴと呼ぶフランクフルトでの公演がきっかけである。VENOMのサイン会を兼ねた催しで、TANKARDとDESTRUCTIONも演奏した。トム・エンジェルリッパーによれば、メンバーはそろって泥酔していたが、客席で見ていたSPVのManfred Schützは、これは世界最悪のバンドだから何としても契約すべきだと判断した。Schützがうまいバンドよりも何か特別なものを持つバンドを探していたからで、自分たちは特別にひどかったから賭けてもらえたのだとトム・エンジェルリッパーは言う。こうして最初のEP『In the Sign of Evil』が出ることになった。laut.deのバイオグラフィーは、その晩に契約を手にできなかったのはTANKARDだけだったと書いている。

出典: laut.de、SODOMインタビュー「Wir wollten gehasst werden」(2022年10月28日)

『In the Sign of Evil』を出したのはSteamhammerではなく、Devil's Gameというレーベルである。公認の伝記によれば、1984年にSPVを興したManfred Schützは、メタルの作品をSteamhammerの名で出していたが、SODOMが歌詞をレコードに載せることにこだわったため、そのまま出すのは危ないと考えた。そこでこの1枚のためだけに、もう一つの子会社レーベルとしてDevil's Gameが作られたという。ジャケットの絵はJoachim Pieczulskiが描いたが、バンドは満足しきれなかった。ロゴが真ん中に収まっていなかったからである。トム・エンジェルリッパーは、今見ればなかなか格好いいジャケットだと認めつつ、バンドの写真が入るはずだった内袋の裏がほとんど白紙のまま出てしまったことは今も腹立たしいと話している。

出典: Decibel、『Sodom: The Official Authorized Biography』の抜粋「In the Sign of Evil: The First EP」(2026年3月24日)

『In the Sign of Evil』の録音を西ベルリンで担当したのは、RUNNING WILDやCELTIC FROSTの最初の作品を手がけたホルスト・ミュラーである。表向きのプロデューサーはS.A.D.O.のギタリスト、Wolfgang Eichholzだが、トム・エンジェルリッパーの記憶では、ときどき現れては作業を確かめ、そのまま続けろと言い残して帰っていったという。メンバーにとっては初めてのベルリンで、録音の段取りも分からず、昼のスタジオより夜の街に夢中だったとトム・エンジェルリッパーは認めている。宿はトラック運転手や怪しげな客ばかりの「Pension des Westens」だった。やがて様子を見に来たSPVの社員が録音を打ち切らせ、アルバムではなくEPだけが仕上げられた。ブックレットにはトム・エンジェルリッパーのベース・ソロが載っているが、盤には入っていない。ギターを録り終えたグレイヴ・ヴァイオレイターは、経費を浮かせるため、ベルリン公演を終えたHELLOWEENのバスに乗せられて帰った。過激な音楽に傾倒していた彼は相手を「ポーザー」と見ており、帰りの車内はひどく冷え冷えとしていたという。

出典: Decibel、『Sodom: The Official Authorized Biography』の抜粋「In the Sign of Evil: The First EP」(2026年3月24日)

『In the Sign of Evil』の曲の多くはオカルト色が濃いが、「Burst Command Til War」には、のちにSODOMの柱となる戦争という題材がすでに顔を出している。公認の伝記によれば、この曲の着想はトム・エンジェルリッパーが兵役から持ち帰ったものである。彼はブレーメンに近いデルメンホルストで空軍に配属され、冷戦期のミサイル攻撃システムを収めた掩蔽壕で勤務していた。「burst command」とは、そこに置かれていた発射指令の装置のことだという。ミサイルの発射はいつも戦争と結びついていたとトム・エンジェルリッパーは話し、冷戦の時代だったことを忘れないでほしいと付け加えている。2022年の取材でも、冷戦期に2年間兵役に就き、核ミサイルと発射機を扱うアメリカ兵と働いたことがこの曲につながったと語り、「burst command」は軍で使われていた命令だと説明している。

出典: Decibel、『Sodom: The Official Authorized Biography』の抜粋「In the Sign of Evil: The First EP」(2026年3月24日)

SODOMの歌詞の中心にある戦争への関心は、トム・エンジェルリッパーの少年時代にさかのぼる。2022年の取材で彼は、1970年代に拡大していくベトナム戦争について両親と話し、ドイツの街頭で行われる反戦デモをテレビで見ていたと振り返っている。1979年に出会った映画『The Deer Hunter』はのちに歌詞を書く刺激になり、第一次世界大戦を戦った祖父が聞かせてくれた話も糧になった。バンドを始めた頃は悪魔的な題材を歌っていたが、『Obsessed by Cruelty』の頃に入れ込んでいたアレイスター・クロウリーの思想やサタニズムは何ももたらさなかったと言い、歌詞を戦争へと切り替えた。戦争を多く歌うTANKにも背中を押されたという。描きたいのは政治の問題ではなく、ジャングルで別の兵士と戦う一人の兵士の姿であり、自分の歌詞は戦争に反対するものだとトム・エンジェルリッパーは話している。

出典: Loudwire「Why German Thrash Icons Sodom Always Write About War」(2022年1月27日)

SODOMとKREATORは結成当初から行き来があった。トム・エンジェルリッパーによれば、グレイヴ・ヴァイオレイターの後のギタリストを探していた頃、KREATORの前身TORMENTORにいたミレ・ペトロッツァと一緒に音を出してみたことがある。当時はSODOMの方が名が知られていたが、ペトロッツァは自分のやりたい音楽ではないと言い、代わりにギタリストのミヒャエル・ヴルフを紹介してくれたという。ただし公認の伝記では、グレイヴ・ヴァイオレイター本人が、同じ街区に住む仲間だったヴルフを自分が推したと話しており、証言は食い違っている。逆向きの後押しもあった。ペトロッツァの回想では、『In the Sign of Evil』を録り終えたSODOMの面々がグレイヴ・ヴァイオレイターの家で酔って祝っていた晩、トム・エンジェルリッパーは彼に、お前たちもアルバムを作れと言った。まだそこまでの腕は無いと答えたものの、その晩の後、バンドのマネージャーだったAndreas SteinがNoise Recordsを創設したKarl-Ulrich Walterbachにデモを送ったという。

異説あり出典: laut.de、SODOMインタビュー「Wir wollten gehasst werden」(2022年10月28日)

1作目のアルバム『Obsessed by Cruelty』は2度録音されている。公認の伝記によれば、最初はEPと同じベルリンのホルスト・ミュラーのスタジオで録ったが、毎晩のように大量のビールを空けながらの作業になり、仕上がりを聴いたレーベルの担当者は、こんなひどい音では出せないと告げた。録り直しにあたっては、SPVを創設したManfred Schützがスタジオへ向かうメンバーを自ら待ち構えて釘を刺し、場所もフランケン地方の田舎町ヒルポルトシュタインへ移されて、SPVから厳しい禁酒が言い渡された。DESTRUCTIONが2作目『Eternal Devastation』を録ったばかりのスタジオである。それでも3人は従わなかった。トム・エンジェルリッパーによれば、泊まっていた小さな宿の女主人が部屋にビールを1ケース置いておいてくれたので、プロデューサーに見つからないよう、偽物のマーシャルのキャビネットを作ってその中に隠した。様子を見に来たSchützが扉を開けたとたん、およそ300本の缶が転がり出てきたという。この録音にはDARKNESSのギタリスト、Uwe Christoffersも控えのギタリストとして呼ばれていた。

出典: Decibel、『Sodom: The Official Authorized Biography』の抜粋(『Obsessed by Cruelty』の章、2026年5月29日)

『Obsessed by Cruelty』は、売り上げの面でも存在感を示した。公認の伝記によれば、Metal Hammer誌の1986年7月号の売上チャートで5位に入り、上にいたのはJUDAS PRIESTやAC/DCといった大物だけだった。地元の仲間はその様子を面白がって見ていた。KREATORのヴェンターは、アルバムが出た頃、ボンネットに白い大きな字で「Sodom」と書いた小さな赤いシムカがクラブ「Mephisto」の前を通り過ぎていった光景を覚えている。開けた窓から身を乗り出したクリス・ウィッチハンターは3,000枚売れたと大声で叫び、ハンドルを握るトム・エンジェルリッパーは兵役で刈り込まれた短髪だったという。

出典: Decibel、『Sodom: The Official Authorized Biography』の抜粋(『Obsessed by Cruelty』の章、2026年5月29日)

トム・エンジェルリッパーがバンドの転機に挙げるのは、1987年にギタリストのフランク・ブラックファイアが加わったことである。ブラックファイアのギターはそれまでのギタリストとはまるで違い、曲の構成がずっと引き締まったという。『Obsessed by Cruelty』の頃は曲作りも録音もまだ混沌としていたが、この頃のプロデューサーだったハリス・ジョンズは、ぴたりと合わせて弾くようバンドを鍛えた。この手の音楽は正確さが命だというのがジョンズの口癖で、バンドは彼に全面的に身を預けた。そうしてEP『Expurse of Sodomy』と、それに続くアルバム『Persecution Mania』で、SODOMはバンドとしての姿を見つけたとトム・エンジェルリッパーは話している。バンドの公式サイトは『Persecution Mania』を、制作をSODOM、エンジニアをジョンズとしている。

出典: laut.de、SODOMインタビュー「Wir wollten gehasst werden」(2022年10月28日)

SODOMのジャケットにたびたび登場する、ガスマスクを着けた兵士のキャラクターは「Knarrenheinz」と呼ばれる。初めて姿を見せたのは1987年の『Persecution Mania』のジャケットで、描いたのはJohannes Beckである。トム・エンジェルリッパーはBeckと直接会ったことが無いという。BeckはSPVの経営者だったManfred Schützの友人で、自分の絵をSODOMの作品に使ってほしいと申し出た。バンドはこのアルバムで音楽と歌詞の方向を変えたところで、その絵がぴったり合ったとトム・エンジェルリッパーは話し、これがバンドの象徴となるマスコットの誕生だったと振り返っている。ただ、毎回のように登場するようになったのは『Agent Orange』の後からで、マスコットがいるとジャケットの自由はいくらか狭まるが、いて困ることは無いとも言う。「Knarrenheinz」という名前を誰が考えたのかは本人もはっきり覚えておらず、ギタリストのフランク・ブラックファイアだったかもしれないと話している。

出典: Heaviest of Art「Behind the Cover: SODOM - Genesis XIX」(2020年11月2日)

Knarrenheinzはその後も姿を変えながら登場している。2001年の『M-16』のジャケットには一見いないようだが、トム・エンジェルリッパーによれば、あれはヘルメットを脱いだKnarrenheinzである。2010年の『In War and Pieces』では、ついに彼自身に捧げた曲「Knarrenheinz」が収められた。2016年の『Decision Day』のジャケットを描いたジョー・ペタグノは、何世紀にもわたって戦い続けてきた無数の兵士の象徴として彼を描き、その頭部を内側から破裂させている。2020年の『Genesis XIX』では、トム・エンジェルリッパーの求めでKnarrenheinzがソドムとゴモラを滅ぼす役を担い、罪の町への神の報復を体現する存在として絵の中心に置かれた。

出典: laut.de、SODOMインタビュー「Impfung ist kein Allheilmittel」(2021年11月23日)

トム・エンジェルリッパーは、SODOMで暮らしを立てられるようになるまで炭鉱で働いていた。2013年の取材によれば、彼はシュロッサー(金属加工の職人)として職業訓練を受け、10年にわたって地下で坑夫として働いた。仕事を辞めたのは1989年で、バンドの評判が上がり、レーベルから毎月小切手が届くという話が来たのがきっかけだった。ツアーから帰って炭鉱に戻らなければならないとき、自分はここで何をしているのかと思ったと彼は振り返る。父親は、毎月決まった金が入るのだし、坑内の監督職であるシュタイガーの学校に行けばもっと稼げると言ったが、金は問題ではなかった。音楽で食べていけて朝はベッドにいられることこそ自分にとっての贅沢だと話している。2012年には、夢がかない炭鉱の仕事を辞められたと語っていた。

出典: bonedo、SODOMインタビュー「Interview: Tom Angelripper von Sodom」(2013年6月25日)

1994年の『Get What You Deserve』は、オーバーダブを一切加えず、すべて一発録りで仕上げられた。トム・エンジェルリッパーは2022年、最近ヘッドフォンで聴き直したらすさまじい迫力だったと話し、楽しく思い出せる録音だと振り返っている。バンドの公式サイトがプロデューサーとして挙げるのはヴォルフガング・シュタッハで、laut.deのバイオグラフィーによれば、前年のEP『Aber bitte mit Sahne!』に続き、それまでの常連のプロデューサーだったハリス・ジョンズが関わらなかった作品である。同じバイオグラフィーは、バンドがこのアルバムのために考えたジャケットの発売をレーベルが拒んだとも伝えている。アルバムの最後に置かれたのは、SODOMの原点であるVENOMの「Angel Dust」のカヴァーである。

出典: laut.de、SODOMインタビュー「Wir wollten gehasst werden」(2022年10月28日)

トム・エンジェルリッパーには、SODOMとは別にONKEL TOMというソロ・プロジェクトがある。酒の歌やパーティーの定番曲をロックに仕立てて聴かせるのが持ち味である。laut.deのバイオグラフィーによれば、Steamhammerとの契約が切れ、レーベルがベスト盤『Ten Black Years』だけを出した1996年、トム・エンジェルリッパーはこの空白をONKEL TOMの『Ein Schöner Tag』の録音に充てた。2018年の『Bier Ernst』は21曲を「Bier」と「Ernst」という2枚のCDに分けた作品で、「Ernst」には世の中の無関心への怒りを込めた曲が並ぶとトム・エンジェルリッパーは説明している。このときONKEL TOMでドラムを叩いていたCornelius Rambadtは録音エンジニアでもあり、2016年のSODOMのアルバム『Decision Day』ではプロデューサーを務めた。

出典: Blabbermouth「SODOM Frontman's ONKEL TOM To Release 'Bier Ernst' Album In September」(2018年7月17日)

1997年の『'Til Death Do Us Unite』のジャケットは、絵ではなく1枚の写真である。トム・エンジェルリッパーは2012年、生と死、そして胎児の命を一つの写真に組み合わせて何かを表そうとしたが、ファンには伝わらなかったと説明し、だから次の作品からは兵士と戦争の図柄に戻したと話している。一方で2022年には、これを見事なジャケットに挙げ、凝った絵でなくとも生と死を見事に象徴していると評価した。女性の胸が写っていたため、このジャケットは検閲も受けた。SODOMのジャケットが問題にされたのは初めてではない。laut.deのバイオグラフィーによれば、ギタリストのフランク・ブラックファイアを迎えてWHIPLASHの前座として初めて本格的に回ったツアーのデュッセルドルフ公演を収めた1988年のライヴ盤『Mortal Way of Live』も、みだらな図柄のため黒い覆いを付けなければ売ることができなかった。

出典: Decibel、SODOMインタビュー「Tom Angelripper (Sodom) interviewed」(2012年10月22日)

2001年の『M-16』のために、SODOMはベトナムまで足を運んでいる。トム・エンジェルリッパーによれば、当初はベトナムで公演を行うつもりで、現地に知り合いのいたSPVのManfred Schützのつてを頼った。サイゴンで数日を過ごし、ある人物の案内で、ベトナム戦争で重い傷を負った元兵士たちが暮らす施設を訪ね、話を聞いた。ナパーム弾で皮膚を焼かれた人たちにも会い、ビールを買ってきて一緒に飲んだという。しかし公演の許可は下りず、ライヴ・アルバムを録りたかった「Apocalypse Now」という店での演奏もかなわなかった。宣伝写真の撮影では、迷彩服をタイの大きな市場で買いそろえ、タイとカンボジアの国境地帯で撮った。アルバムのお披露目には記者たちをわざわざバンコクへ招いており、大変な出費だったとトム・エンジェルリッパーは振り返っている。

出典: laut.de、SODOMインタビュー「Impfung ist kein Allheilmittel」(2021年11月23日)

Loudwireが、SODOMが手がけた唯一のコンセプト・アルバムと呼ぶ『M-16』は、初めからそう計画されたものではなかった。トム・エンジェルリッパーによれば、曲作りを始めた時点で書き上がっていた5、6曲の歌詞がすべてベトナム戦争を扱っており、中には映画『Apocalypse Now』や『Full Metal Jacket』に題材を取ったものもあった。この分野の本をたくさん持っていたこともあり、残りの歌詞もベトナム戦争で通したという。書きたかったのは戦争の史実ではなく、兵士たちが自分の内側で戦わなければならなかったもう一つの戦争だったと彼は言う。最後に収めたTHE TRASHMENの「Surfin' Bird」のカヴァーも、『Full Metal Jacket』のサウンドトラックに使われていた曲を、メタル流に仕立て直したものである。「Napalm in the Morning」「M-16」「I Am the War」は今もライヴで演奏されているが、「Minejumper」は一度もライヴで演奏したことが無いという。

出典: Loudwire「Why German Thrash Icons Sodom Always Write About War」(2022年1月27日)

『M-16』は、ハリス・ジョンズと組んだ最後のアルバムであり、トム・エンジェルリッパーによれば、メンバーがそろってスタジオで録音した最後の作品でもある。録音はブランデンブルク州リュッテにあるジョンズのスタジオで3、4週間にわたって行われた。古い田舎の旅籠をジョンズが自ら改装し、中にスタジオを造った建物で、メンバーは朝から晩まで一緒に過ごし、そのまま寝泊まりもした。とてものどかな場所だったとトム・エンジェルリッパーは振り返る。もともと再発盤はあまり好きではないという彼が20周年記念盤づくりに力を貸したのは、細部までていねいに作られていたからで、当時の『M-16』がCDでしか出ていなかったことも理由に挙げている。

出典: laut.de、SODOMインタビュー「Impfung ist kein Allheilmittel」(2021年11月23日)

2016年の『Decision Day』と2020年の『Genesis XIX』のジャケットは、MOTÖRHEADの数々のジャケットで知られるジョー・ペタグノの作品である。トム・エンジェルリッパーは若い頃からペタグノのMOTÖRHEADの仕事に強く惹かれており、2016年にウェブサイトで連絡先を見つけて、次のSODOMのジャケットを描いてもらえないかと頼んだ。引き受けてもらえて誇らしかったと話し、MOTÖRHEADファンの自分には夢がかなったようなジャケットだとも語っている。ペタグノはSODOMのことをよく知っていて、打ち合わせを始めるとすぐにKnarrenheinzの話を持ち出したという。ペタグノは絵の制作にコンピューターを使わず、昔ながらの画材で描く。『Genesis XIX』では鉛筆の下絵で細部を詰めてからエアブラシで仕上げ、本番の作業に入ってからは手直しがきかなかったが、トム・エンジェルリッパーは常に全幅の信頼を置いていたと話す。ペタグノによれば、話し合いは1年以上前から始まり、制作にはおよそ80時間から100時間をかけた。

出典: Heaviest of Art「Behind the Cover: SODOM - Genesis XIX」(2020年11月2日)

2020年のアルバム『Genesis XIX』の題は、旧約聖書の創世記第19章を指している。バンドと同じ名を持つ町ソドムが、ゴモラとともに燃える硫黄によって滅ぼされる物語の章である。トム・エンジェルリッパーは、聖書は歴史的な背景をあまり教えてくれないが、調べて詳しく知るのはいつも面白いと話している。「Genesis 19」は、前年2019年のEP『Out of the Frontline Trench』に曲としてすでに収められていた。ジャケットではトム・エンジェルリッパーの求めでKnarrenheinzが町を滅ぼす側に立ち、神の役を担っている。トム・エンジェルリッパーは、このジャケットに政治的な主張は無いと強調し、Knarrenheinzは社会の不公正や身勝手さ、好戦性に満ちた世界を戒め、権力者たちに目を覚ませと迫る存在なのだと説明している。

出典: Heaviest of Art「Behind the Cover: SODOM - Genesis XIX」(2020年11月2日)

2007年の『The Final Sign of Evil』は、20年以上前にやり残した仕事の決着である。公認の伝記によれば、『In the Sign of Evil』の録音はレーベルによって途中で打ち切られ、EPの分しか仕上がらなかった。2007年になってバンドは、置き去りにしていた7曲を録音して発表するという計画をようやく実行し、そのためにEPを録ったときの顔ぶれ、トム・エンジェルリッパー、クリス・ウィッチハンター、グレイヴ・ヴァイオレイターを再び集めた。トム・エンジェルリッパーによれば、きっかけはSODOMの最初の「同窓会」で、昔話をするうちに、ウィッチハンターと、最初のミニ・アルバムを未発表曲を加えたフル・アルバムとして録り直そうという話になったという。バンドの公式サイトは、制作をThorsten HainとSODOMとしている。

出典: Decibel、『Sodom: The Official Authorized Biography』の抜粋「In the Sign of Evil: The First EP」(2026年3月24日)

SODOM、KREATOR、DESTRUCTION、TANKARDの4組は「Teutonic Big Four」とも呼ばれる。2012年12月には、ドイツの雑誌Legacyの第82号に付いたCD『The Big Teutonic 4』で4組が顔をそろえ、それぞれがメタルの名曲をカヴァーした。SODOMはMOTÖRHEADの「Iron Fist」、KREATORはIRON MAIDENの「The Number of the Beast」、DESTRUCTIONはMOTÖRHEADの「The Hammer」、TANKARDはIRON MAIDENの「The Prisoner」である。2013年5月30日から6月1日にかけてガイゼルヴィントで開かれた第1回Beastivalでは、4組が同じ晩に同じステージに立った。降りしきる雨のなかの公演で、トム・エンジェルリッパーはこの夜が歴史に残るだろうと話し、再演を望んでいた。2024年7月20日には、KREATORがSODOMの地元ゲルゼンキルヒェンのAmphitheaterでの開催を発表したフェスティヴァル「Klash of the Ruhrpott」に、4組がそろって名を連ねた。

出典: Blabbermouth「KREATOR, SODOM, DESTRUCTION, TANKARD: 'The Big Teutonic 4' Perform At Germany's BEASTIVAL」(2013年6月6日)

SODOMの10周年を祝う記念公演は、エッセンのZeche Carlで行われた。laut.deのバイオグラフィーによれば、この夜はRAGE、BLIND GUARDIAN、KREATORのミュージシャンが大勢ステージに加わってさまざまなカヴァー曲を演奏し、そのほとんどが公演を収めたビデオにも映っている。バンドの公式サイトに載るビデオ『Live at Zeche Carl』の曲目では、SODOM自身の曲のあとに7曲のカヴァーが続き、MOTÖRHEADの「Iron Fist」と「Ace of Spades」、TANKの「Shellshock」、RAMONESの「Blitzkrieg Bop」、IRON MAIDENの「The Trooper」、AC/DCの「Highway to Hell」などが並んでいる。

出典: laut.de、SODOMのバイオグラフィー(日付表示なし、2026年10月21日参照)