SHADOWS FALL TRIVIA

Trivia

SHADOWS FALL は、日本のメタル・フェスティヴァル「BEAST FEAST」に2年続けて招かれた唯一のバンドだった。2004年当時の公式サイトのバンド紹介がそう記している。同じサイトの少し前のバイオグラフィは、この舞台で彼らが PANTERA や SLAYER と同じステージに立ったことを挙げている。デビュー作から数年のバンドが、その顔ぶれの中に並んだことになる。

出典: SHADOWS FALL 旧公式サイト The War Within バンド紹介(2004年9月6日の保存版)

3作目『The Art of Balance』は、Century Media の歴史で初めて全米で10万枚を超えたアルバムになった。2004年当時の公式サイトのバンド紹介が、サウンドスキャンでの集計としてそう記している。2002年9月の発売で、プロデュースは Zeuss、録音は地元マサチューセッツの Planet Z Studios。オズフェスト出演とたゆまぬツアーが重なって、このアルバムがバンドをまったく新しい客層へ連れて行った。

出典: SHADOWS FALL 旧公式サイト The War Within バンド紹介(2004年9月6日の保存版)

7作目『Fire From the Sky』のプロデューサーは、KILLSWITCH ENGAGE のギタリスト、アダム・ドゥトキェヴィッツだった。2012年当時の公式サイトのバイオグラフィによれば、彼との縁は1990年代初頭にさかのぼる。当時ドゥトキェヴィッツは SHADOWS FALL のリード・ギタリスト、ジョン・ドネイズとマサチューセッツのメタルコア・バンド AFTERSHOCK で一緒に演奏しており、同じころブライアン・フェアと KILLSWITCH ENGAGE のベーシスト、マイク・ダントニオは OVERCAST にいた。何年も一緒にツアーを回りながら、スケジュールが合わずプロデュースを頼めないままだったが、この作品でようやく実現している。

出典: SHADOWS FALL 旧公式サイト Bio(2012年8月11日の保存版)

SHADOWS FALL の結成年と結成地は、市の公式文書に書かれている。Blabbermouth が2025年に伝えたスプリングフィールド市長の宣言文によれば、バンドは1996年、マサチューセッツ州スプリングフィールド市でギタリストのジョナサン・ドネイズとマシュー・バックハンドによって結成された。同記事によれば、2人が組んでから1年のうちに最初の編成が揃い、そこにいたのはヴォーカルのフィリップ・ラボンテ(現在は ALL THAT REMAINS)、ベースのポール・ロメンコ、ドラムのデイヴィッド・ジャーメインだった。

出典: Blabbermouth.net「SHADOWS FALL Day Declared In Springfield, Massachusetts」

2025年7月18日は、スプリングフィールド市の公式な「SHADOWS FALL の日」だった。Blabbermouth によれば、この日 LAMB OF GOD のサポートとしてスプリングフィールドのマスミューチュアル・センターに立つ直前、メンバー5人はドメニク・J・サルノ市長から、同日を「Shadows Fall Day」とする公式の宣言を受け取っている。バンドはこの日について、近所のフット・キャッツでの公演からこの会場まで、西マサチューセッツはいつでも自分たちの家だ、という趣旨のコメントを出した。

出典: Blabbermouth.net「SHADOWS FALL Day Declared In Springfield, Massachusetts」

SHADOWS FALL のブレイクは、2003年のオズフェストのセカンド・ステージだった。Blabbermouth によれば、その出演で広がったファン層を受けて、翌2004年の『The War Within』はビルボード200に20位で初登場し、30万枚以上を売り上げた。2004年当時の公式サイトも、オズフェスト2003で彼らが「その年のブレイク・バンド」と評され、サイド・ステージのどのバンドより毎週多くのレコードを売り続けたと記している。

出典: Blabbermouth.net「SHADOWS FALL Day Declared In Springfield, Massachusetts」

活動を止めているあいだに、ギタリストが ANTHRAX のメンバーになっていた。Blabbermouth が2024年に伝えたブライアン・フェアの説明によれば、ツアーを止めたのは音楽を作りたくなかったからではなく、全員が燃え尽きていて、それぞれの生活が変わっていったからだった。子どもが生まれた者もいれば、ジョン・ドネイズのようにいつの間にか ANTHRAX に入り、1980年代スラッシュの「ビッグ4」の一員になっていた者もいる。数年後に再び集まって公演を始めたとき、新曲の話がほとんど即座に出てきた、というのが彼の説明である。

出典: Blabbermouth.net「SHADOWS FALL Is Back With First New Single In More Than 12 Years, In The Grey」

2012年の『Fire From the Sky』に続くアルバムを書くにあたって、ジョナサン・ドネイズは自分に制限をかけた。Blabbermouth が2026年に伝えたところによれば、彼は曲を書いているあいだ、SHADOWS FALL を始めたころに聴いていたバンドだけから影響を受けるようにしたのだという。具体的にはスラッシュと1990年代のデス・メタルで、17歳だったころの感覚を取り戻そうとした。なぜこのバンドを始めたかったのか、何が自分を突き動かしていたのかを、新しい耳で聴き直したのだと彼は語っている。同記事によれば、新作はすでに完成しており、発売は2027年が見込まれている。

出典: Blabbermouth.net「New SHADOWS FALL Album Is Done, Says JONATHAN DONAIS」

SHADOWS FALL のライヴ作品でただ一つ日本盤が出ているのが、フィリピン公演を収めた『マッドネス・イン・マニラ』である。ユニバーサル ミュージックの商品ページによれば、日本盤は2枚組で、発売は2011年2月16日、品番は IUCP-16099、オリジナルの発売日は2010年10月26日。同ページの紹介文はこのマニラ公演の観客を2万5千人としている。同社の日本語ディスコグラフィに並ぶシャドウズ・フォールの商品は、現在この1点だけである。

出典: ユニバーサル ミュージック「マッドネス・イン・マニラ」商品ページ

7作目『Fire From the Sky』の日本での発売元はユニバーサル ミュージックだった。同社のアーティスト・ページには、バンドが公式サイトに掲げていた2012年当時のバイオグラフィが、全文の日本語訳として掲載されている。メンバーの表記もマシュー・バックハンド、ジェイソン・ビットナー、ジョナサン・ドネイズ、ブライアン・フェア、ポール・ロメンコと日本語で並んでおり、原文で読める内容がそのまま日本語で読める、数少ない一次資料になっている。

出典: ユニバーサル ミュージック シャドウズ・フォール BIOGRAPHY

そのマニラ公演の映像作品には、正式な題名がある。Blabbermouth が伝えたスプリングフィールド市の宣言文によれば、SHADOWS FALL は7枚のスタジオ・アルバムのほかに2つの映像作品を出しており、その2つとは『The Art of Touring』と『Madness In Manila: Shadows Fall Live In The Philippines 2009』である。日本盤が出たのは後者のほうで、題名が示すとおり2009年のフィリピン公演の記録にあたる。

出典: Blabbermouth.net「SHADOWS FALL Day Declared In Springfield, Massachusetts」

デビュー作を出したのは、ギタリスト自身のレーベルだった。2004年当時の公式サイトによれば、1997年の『Somber Eyes To The Sky』はマット・バックハンドが持っていた Lifeless Records からのリリースである。この1枚がマサチューセッツ中で大きな注目を集め、その評判が世界へ広がって Century Media Records の関心を引いた。以後バンドはずっと同レーベルに在籍することになる。

出典: SHADOWS FALL 旧公式サイト Biography(2004年2月19日の保存版)

デビュー作の直後にシンガーが替わっている。2004年当時の公式サイトによれば、『Somber Eyes To The Sky』の後まもなくバンドはヴォーカリストを交代させ、OVERCAST の元シンガーであるブライアン・フェアを迎えた。Blabbermouth によれば、交代は1998年で、前任のフィリップ・ラボンテが参加したアルバムはデビュー作の1枚だけである。フェアが初めて歌ったのが Century Media からの第1作『Of One Blood』だった。

出典: SHADOWS FALL 旧公式サイト Biography(2004年2月19日の保存版)

2作目『Of One Blood』は、メタル系ラジオのチャートで何週にもわたって1位に居座った。2004年当時の公式サイトのバイオグラフィがそう記している。同ページによれば、この作品はカルト的とも言える地下の支持を生み、批評家からも高い評価を受けた。MTV も「You Hear It First」という枠でバンドを取り上げている。

出典: SHADOWS FALL 旧公式サイト Biography(2004年2月19日の保存版)

ドラムのジェイソン・ビットナーは、ニューヨークを拠点に STIGMATA で叩いていた人物である。2004年当時の公式サイトのバイオグラフィによれば、彼が SHADOWS FALL の椅子に本格的に座ることを決めたのは、バンドが掲げていた「すべての人と物はひとつにつながっている」という考えに触れたからだった。『The Art of Balance』の一部は彼の加入前に書かれていたが、そこに自分の刻印を残すことはできたという。彼は同ページで、この作品はメタルの歴史のなかで重要な1枚になると思う、それは自分がバンドにいるからではない、とも述べている。

出典: SHADOWS FALL 旧公式サイト Biography(2004年2月19日の保存版)

プロデューサーの Zeuss を、バンドは6人目のメンバーだと呼んでいた。2004年当時の公式サイトのバイオグラフィによれば、『The Art of Balance』は地元マサチューセッツの Planet Z で Zeuss と録音されており、彼は前作『Of One Blood』も手掛けていた。バンドから見れば、彼は動脈から最小の細胞までこのバンドを知り尽くしている存在だった。同じ公式サイトによれば、続く『The War Within』も再び Zeuss がプロデュースしている。

出典: SHADOWS FALL 旧公式サイト Biography(2004年2月19日の保存版)

『The Art of Balance』には、意外な曲が1曲混じっている。2004年当時の公式サイトのバイオグラフィは、収録曲を紹介するなかで、PINK FLOYD の「Welcome To The Machine」のカヴァーを挙げ、バンドがこの曲を完全に自分たちのものにしていると書いている。並んでいるのは「Thoughts Without Words」や「Destroyer Of Senses」といった自作曲で、そこに1970年代のプログレッシヴ・ロックの代表曲が置かれた形である。

出典: SHADOWS FALL 旧公式サイト Biography(2004年2月19日の保存版)

SHADOWS FALL は2003年から2004年にかけて、いくつもの賞と投票で名前を挙げられている。2004年当時の公式サイトによれば、Alternative Press 誌の「いま最も重要なメタル・バンド5組」に選ばれ、Revolver 誌の読者投票では EVANESCENCE と LAMB OF GOD を抑えて Best New Talent に選ばれた。さらに第1回 Metal Hammer Awards では Best Underground Act として Golden God を受けている。Blabbermouth が伝えた市の宣言文も、2003年の Metal Hammer Golden Gods での Best Underground Act 受賞を記録している。

出典: SHADOWS FALL 旧公式サイト The War Within バンド紹介(2004年9月6日の保存版)

メンバーは雑誌の側からも評価されていた。2004年当時の公式サイトによれば、マット・バックハンドとジョン・ドネイズの2人は Guitar World 誌に月1回の連載を持ち、同誌の読者投票で Best New Talent に選ばれている。2人は同誌の「史上最高のギタリスト100人」のリストにも名を連ねた。ジェイソン・ビットナーも Modern Drummer 誌の2004年の読者投票で、最も期待される新人ドラマーの1位に選ばれている。

出典: SHADOWS FALL 旧公式サイト The War Within バンド紹介(2004年9月6日の保存版)

ツアーの組み方そのものが、当時の勢いを示している。2004年当時の公式サイトによれば、SHADOWS FALL は KILLSWITCH ENGAGE、CHIMAIRA、GOD FORBID とともに「New Wave of American Heavy Metal」ツアーの一員としてヨーロッパを回り、アメリカでは第1回 Strhess Tour のヘッドライナーを務めた。このツアーはアートワークで知られるデレク・ヘスが後援したものである。さらに彼らは、KILLSWITCH ENGAGE と LAMB OF GOD とともに、第1回 MTV2 Headbanger's Ball Tour の共同ヘッドライナーにもなっている。

出典: SHADOWS FALL 旧公式サイト The War Within バンド紹介(2004年9月6日の保存版)

7作目を作るために、SHADOWS FALL は丸1年ツアーを離れた。2012年当時の公式サイトのバイオグラフィによれば、それまでは締め切りに間に合わせるためにツアーの合間に曲を書き、慌ただしく録音していた。今回は意識的にそのやり方をやめ、1年間道に出ずに新作だけに集中することを選んでいる。理由は単純で、メンバー全員が納得でき、妥協なしに自分たちのあらゆる面を捉えた1枚を作りたかったからだった。ブライアン・フェアは、10年以上やっていると自分を追い込んで新しい発想を出すのがいちばん難しく、安全圏に留まりたくなかったと説明している。

出典: SHADOWS FALL 旧公式サイト Bio(2012年8月11日の保存版)

『Fire From the Sky』の録音は、2つの場所にまたがった。2012年当時の公式サイトのバイオグラフィによれば、ドラムはマサチューセッツ州ウェストフィールドの Zing Studio で録り、その後アダム・ドゥトキェヴィッツの自宅スタジオへ移っている。トラッキングにかかったのは合わせて6週間。スタジオに入る前の準備を徹底していたおかげで作業は速く進んだが、それでも長時間の作業が続き、最後の最後まで新しいパートを書き足していたという。

出典: SHADOWS FALL 旧公式サイト Bio(2012年8月11日の保存版)

SHADOWS FALL はグラミー賞に2度ノミネートされている。Blabbermouth が伝えたスプリングフィールド市の宣言文によれば、対象は最優秀メタル・パフォーマンス部門で、2006年と2008年の2回。同じ宣言文は、2007年にボストン・ミュージック・アワードの3部門——年間最優秀メタル/ハードコア・バンド、年間最優秀アクト、年間最優秀アルバム——にノミネートされたことも記録している。

出典: Blabbermouth.net「SHADOWS FALL Day Declared In Springfield, Massachusetts」

SHADOWS FALL が出てきたのは、同じ時期に KILLSWITCH ENGAGE、ALL THAT REMAINS、UNEARTH を生んだマサチューセッツのメタル/ハードコア・シーンだった。Blabbermouth はそう位置づけている。実際、初代シンガーのフィリップ・ラボンテは現在 ALL THAT REMAINS におり、『Fire From the Sky』をプロデュースしたのは KILLSWITCH ENGAGE のギタリストである。狭い土地の中で人が行き来していた。

出典: Blabbermouth.net「SHADOWS FALL Day Declared In Springfield, Massachusetts」

『Fire From the Sky』の最後の1曲は、1時間でできた。マット・バックハンドの説明によれば、「Divide and Conquer」は長いあいだうまくまとまらず一度は棚上げになっていたが、録音の終わりごろに曲数が足りないと気づき、急いで1曲必要になった。彼はジェイソン・ビットナーがドラムを録っている隣の部屋で、ノートパソコンを開いて曲を引っ張り出していく。ドラムが終わったところで全員で20分ほど演奏してみたものの、サビが決まらない。そこへジョン・ドネイズが入ってきて少し聴き、ギターを手に取ってどこからともなくリフを弾いた。そこで曲は完成した。数個のリフとほとんど形になっていない着想から、完全な1曲になるまで1時間だった。

出典: Songfacts 「Divide and Conquer」

表題曲「Fire From the Sky」が歌っているのは、超新星爆発である。Songfacts によれば、この曲は年老いた恒星が超新星となって惑星を呑み込んでいく様子を語ったものだ。アルバム自体はコンセプト作ではないものの、終末を思わせる主題が全体を貫いている。ブライアン・フェアはその背景について、世界が混乱と腐敗と混沌のなかで制御を失っていくように見え、迫りくる終末の影の下で生きているようだ、その混乱と、暗い日々のなかで答えを探す苦闘から曲が生まれた、と説明している。

出典: Songfacts 「Fire From the Sky」

「The Wasteland」の下敷きになっているのは、T・S・エリオットの詩である。Songfacts によれば、ブライアン・フェアは自分の好きな詩のひとつであるエリオットの『荒地』からこの曲の着想を得た。同ページは、この現代詩がさまざまな音楽家に影響を与えてきたことにも触れている。フェアはあわせて、終末的な歌詞のために『ヨハネの黙示録』からも材を取っている。

出典: Songfacts 「The Wasteland」

『Fire From the Sky』には、依存症を扱った曲が2つ入っている。Songfacts によれば、「Walk the Edge」と「Nothing Remains」がそれにあたる。ブライアン・フェアは、メタルの世界で依存の問題に囚われて早くに世を去った人が何人もいること、その話の結末はたいてい同じで、近ごろあまりに何度も耳にしていることを語っている。そのうえで彼は、この曲が特定の誰かについてのものではないと断っている。

出典: Songfacts 「Walk the Edge」

ジョン・ドネイズは、ギター・ソロを曲の一部として考えている。Songfacts に載る Premier Guitar 誌でのやりとりによれば、彼はソロは曲の一部であるべきで、歌のサビと同じようにライヴでそれを聴きたいと思わせるものにしたいと語っている。具体的な組み立ても説明していて、数小節は思い切り飛ばし、そのあと速度を落としてメロディを弾く。そうすればギターを弾かない人もソロに入っていけるし、弾く人には凝った部分も残っているからだという。

出典: Songfacts 「Lost Within」

アルバムの売れ方は、10年で大きく変わっていた。Blabbermouth によれば、2012年5月に Razor & Tie から出た『Fire From the Sky』は、発売初週に全米でおよそ1万枚を売り、ビルボード200に38位で初登場している。2004年の『The War Within』が20位で入り30万枚以上を売ったのと同じバンド、同じ規模のレーベル体制ではなかった。この作品が、13年にわたってバンド最後のフル・アルバムであり続けることになる。

出典: Blabbermouth.net「SHADOWS FALL Day Declared In Springfield, Massachusetts」

バンドが止まった理由は、音楽ではなくお金だった。Blabbermouth によれば、SHADOWS FALL は2014年8月に声明を出し、経済的な事情によってフルタイムのバンドとして続けることが事実上不可能になったと説明している。2014年には「最後」と銘打たれたヨーロッパ・ツアーを終え、その1年後の2015年8月には米東海岸で数本の再結成公演を行った。市の宣言文は、この休止が2015年から5年近く続いたと記録している。

出典: Blabbermouth.net「SHADOWS FALL Day Declared In Springfield, Massachusetts」

6年ぶりの1本が、結果として新作につながった。Blabbermouth によれば、SHADOWS FALL の復帰公演は2021年12月18日、マサチューセッツ州ウスターの The Palladium で行われ、2015年の活動休止以来6年ぶりのライヴとなった。ジョナサン・ドネイズによれば、その時点で新曲を作る計画は無く、彼自身も復帰公演をやってそれで終わりだろうと思っていた。ところがリハーサルで昔の曲を鳴らしているうちに、日ごろ弾きためていたリフを出してみたところ、他の3人が乗って一緒に演奏を始め、気づけば曲を書いていたのだという。

出典: Blabbermouth.net「New SHADOWS FALL Album Is Done, Says JONATHAN DONAIS」

12年以上ぶりの新曲は、新しいレーベルから出た。Blabbermouth によれば、シングル「In The Grey」は2024年12月6日に MNRK Heavy から発表されている。ブライアン・フェアは、再結成公演の準備で練習場所に戻ったときには新曲につながるかどうか分からなかったが、一緒に演奏する高揚と、ジョン・ドネイズが頭の中に貯めていたリフの数々がすぐに方向を決めた、と説明している。レコーディングの大半はマット・バックハンドの自宅で行われ、プロデュースは Zeuss(クリス・ハリス)。フェアによれば、彼らは2000年の『Of One Blood』以前のデモの時期から Zeuss と組んでいる。

出典: Blabbermouth.net「SHADOWS FALL Is Back With First New Single In More Than 12 Years, In The Grey」

「In The Grey」が扱っているのは、うつの重さである。Songfacts によれば、ブライアン・フェアはこの曲で、重力が自分に落ちてくるような感覚、あるいは自分の心の暗い水の中に閉じ込められて水面へ上がり息をしようとするような感覚を、言葉にしようとした。そのうえで彼は、トンネルの先にはいつも光があり、明るい日へ向かって進み続けなければならないと付け加えている。曲はバンドの旧来の5人編成で録られ、初めてライヴで演奏されたのは2024年12月21日、マサチューセッツ州ウスターの Palladium でのヘッドライン公演だった。

出典: Songfacts 「In The Grey」

2曲目の新曲「Souls Devoured」は2025年5月に出た。Blabbermouth によれば、これも MNRK Heavy からのリリースである。ブライアン・フェアはこの曲について、大きなグルーヴとロックのリフで始まり、ブラック・メタル寄りのヴァースへ移り、コーラスではハーフ・タイムになり、ブリッジとソロにメロディック・デス・メタルを差し込んだ、と組み立てを説明している。録音の方針も変わった。彼によれば、今回は Zeuss とかなり切り詰めたやり方を取り、ギターのリアンプをあまり行わず、近年のメタルにありがちな外科的で臨床的な音ではなく、もう少しライヴに近い響きを狙ったという。

出典: Blabbermouth.net「SHADOWS FALL Releases Another New Song, Souls Devoured」

MNRK Heavy との契約は、アルバム1枚単位ではなかった。Blabbermouth が伝えたブライアン・フェアの説明によれば、バンドは数社としか話をしておらず、やりたい形がはっきりしていたので早々に決まった。契約はひとまとまりの曲群を対象にしたもので、少しずつ発表してから最後にまとめる形が取れる。全員にとってバンドが本業ではなくなった今、集まれる時間を最大限に使いたいというバンドの実情を、レーベル側が理解してくれたことが決め手だった、というのが彼の説明である。

出典: Blabbermouth.net「SHADOWS FALL Releases Another New Song, Souls Devoured」

結成30年の記念公演も、地元スプリングフィールドで行われた。Blabbermouth によれば、SHADOWS FALL は2026年7月18日、マサチューセッツ州スプリングフィールドの MGM Aria Ballroom で30周年を祝う特別公演を開いている。ちょうど1年前の同じ7月18日には、同じ市が彼らのための「Shadows Fall Day」を宣言していた。この夜のセットリストの4曲目には、復帰後の新曲「In The Grey」が置かれている。

出典: Blabbermouth.net「SHADOWS FALL Celebrates 30th Anniversary With Hometown Concert」