PINK CREAM 69 TRIVIA
Trivia
日本盤デビューは1作目ではなく2作目だった。マーキー/アヴァロンによれば、1989年のデビュー作『Pink Cream 69』はまず輸入盤市場で話題になり、日本でのデビューは1991年の2作目『One Size Fits All』でようやく実現する。そして初来日公演がそのまま映像作品になった。この時のステージは後にビデオ『SIZE IT UP! LIVE IN JAPAN』として発売されている。
PINK CREAM 69 という綴りの読みにくいバンド名は、カクテルの名前から着想を得たものである。日本でこのバンドを扱ってきたマーキー・インコーポレイティド/アヴァロンは、アーティスト紹介のなかでその由来をそう説明している。バンド名を数字で締めくくるハード・ロック・バンドは珍しくないが、この 69 は西暦でも結成年でもなく、飲み物の名前から来ているというわけである。
PINK CREAM 69 は1987年、ドイツ南西部のカールスルーエで結成された。マーキー/アヴァロンのアーティスト紹介によれば、その顔ぶれはドイツ人のアンディ・デリス(ヴォーカル)とアルフレッド・コフラー(ギター)、アメリカ人のデニス・ワード(ベース)、そしてギリシャ人のコスタ・ツァフィリオ(ドラムス)の4人だった。ドイツのバンドとして紹介されることが多いが、出発点からしてドイツ人だけの集まりではない。
メジャー契約の入口は、雑誌が主催したコンテストだった。バンド自身のヒストリー・ページによれば、PINK CREAM 69 は1988年、ルートヴィヒスブルクのライヴハウス「ロックファブリーク」で行われた『METAL HAMMER』誌の新人コンテストを勝ち抜いている。これをきっかけに好条件のメジャーのオファーが多数舞い込み、バンドは最終的に CBS(現在のソニー・ミュージック)と契約した。
3作目『Games People Play』を出した1993年の後、アンディ・デリスはバンドを去る。マーキー/アヴァロンの記述によれば、彼はサウンドがヘヴィで暗い方向へ少し寄ったことを好まず、マイケル・キスクの後任シンガーを探していた HELLOWEEN へ移った。バンド自身の Bio も、音楽的および個人的な相違から1994年にデリスが HELLOWEEN 加入とソロ活動のために離れたと記している。ハード・ロック側の看板シンガーが、そのままジャーマン・メタルの看板バンドへ移った格好である。
『Endangered』の後、バンドはアルフレッド・コフラーが局所性ジストニアを抱えていることを公表した。バンド自身の Bio によれば、それは彼の左手と演奏に影響を及ぼす深刻な病で、以後のライヴのためにバンドはセカンド・ギタリストとしてウヴェ・リーテナウアーを迎え、ステージ上でのアルフレッドの負担を軽くする体制を取る。リーテナウアーはやがて正式メンバーとなり、2007年の『In10sity』ではレギュラー・メンバーとしてクレジットされている。マーキー/アヴァロンは、5人編成になったのは2003年のツアーからだと記している。
バンドが公式サイトに載せていた公演記録は、1988年から2011年までで日付のある公演を360本収めていた。国別に数えるとドイツが235本と圧倒的で、次いでスイス18本、スウェーデンとオランダが各12本、イギリス11本と続く。日本は7本である。年で見ると最も多いのは1990年の57本で、デビュー作の翌年にあたる。合計21の国と地域の名前がこの一覧には出てくる。
2019年11月25日、デニス・ワードが自身のフェイスブックで PINK CREAM 69 からの脱退を公表した。Blabbermouth が翌日伝えたところによれば、在籍は32年に及ぶ。ワードはこれが突然の決断ではないと述べ、ここ数年は数えるほどしかステージに立っておらず、その少ない公演を楽しめず、ステージ上で心地よさを感じられなくなったことを理由として挙げている。ガス・G との活動や MAGNUM への加入、プロデューサー/エンジニアとしての仕事とは関係がなく、メンバーに悪感情はないとも書いている。彼が出られない時にはローマン・ベゼルトが代役を務めることが多かった。
1992年の初来日は5本だった。バンド自身が公開していた公演記録によれば、1月30日・1月31日・2月1日とクラブチッタで3夜続けて演奏し、2月4日に名古屋ボトムライン、2月5日に大阪モダホールへ回っている。公式のヒストリー・ページも、この時のことを「日本で5本のショウ」と書いている。会場を3日連続で押さえるのは、デビューから3年目の欧州のバンドとしては小さくない扱いである。
ビデオ『SIZE IT UP! - LIVE IN JAPAN』は、1992年1月31日に川崎のクラブチッタで収録された。バンドの公式作品ページがその日付と会場を記している。この日はクラブチッタ3夜のうちの2日目にあたる。発売は1993年、レーベルはソニー・ミュージック・ビデオ・エンタープライズ、品番は200492。収録曲にはデビュー作からの「Take Those Tears」や「One Step Into Paradise」に加え、日本盤ボーナス・トラックだった「White Men Do No Reggae」も入っている。
1991年の暮れ、PINK CREAM 69 は緯度と経度のような題名を持つ EP を2枚、18日違いで出している。11月21日発売の『36°/140°』は日本盤で、品番は ESCA 5509。12月9日発売の『49°/8°』はヨーロッパで CD と LP の両方が出た。収録曲は6曲と7曲でほとんど重なり、いずれも「Ballerina」のアコースティック版、KISS の「Detroit Rock City」のスタジオ・ジャム、1988年のデモのリミックスなどが並ぶ。公式サイトはこの2つの題名が何を指すのかを説明していないが、片方が日本向け、もう片方がヨーロッパ向けであることは品番と発売形態からはっきりしている。
日本盤だけのボーナス・トラックは、このバンドの場合ほぼ恒例だった。公式ディスコグラフィで「Bonustrack Japan」と注記されている作品を数えると10作にのぼる。デビュー作『Pink Cream 69』の「White Men Do No Reggae」に始まり、『Games People Play』の「A Good Waste Of Time」、『Food for Thought』の「Easy」、ライヴ盤『#Live#』の「Livin' My Life For You」、『Electrified』の「Always Love You」、『Endangered』の「Queen Of Sorrow」、『Thunderdome』の「The Edge of Sorrow」、『In10sity』の「Slave To What I Crave」、『Live In Karlsruhe』の「The Spirit」のアコースティック版、そして『Headstrong』の「Vagrant Of The Night」のアコースティック・リミックスまで続く。
2000年代以降、日本盤はいつも本国より先に店頭に並んでいた。マーキー/アヴァロンが示す日本の発売日と、バンド公式サイトが示す発売日を並べると、『In10sity』が2007年3月21日と3月23日、『Live In Karlsruhe』が2009年9月30日と10月16日、『Ceremonial』が2013年1月23日と1月25日、『Headstrong』が2017年10月25日と11月10日。4作すべてで日本が先行しており、差は2日のこともあれば16日のこともある。
日本デビュー作『One Size Fits All』は、2019年7月17日に日本で再発された。ソニーミュージックの1000円廉価盤シリーズのハード・ロック/ヘヴィ・メタル編「HR/HM LEGEND 1000」の第45弾で、品番は SICP-6176、税込1,100円。2020年12月末までの期間生産限定盤で、新規のライナーノーツが付く。同シリーズは Columbia と RCA を中心にソニーミュージックが持つカタログから50タイトルを選んだもので、日本盤としては CD ボーナス・トラックの「We Taught The Children」を含む全11曲が収められている。
バンドの公式サイトは、連絡先のページにマネージメントやレコード会社と並べて「Record Label Japan」という項目を独立して置いていた。そこに載っているのは、東京都新宿区矢来町のマーキー・インコーポレイティド/アヴァロン・レーベルである。ドイツのバンドの公式サイトが、日本の窓口を専用の項目として掲げていたことになる。
2度目の来日は1999年、招いた相手と一緒だった。バンドの公演記録には1999年3月5日の大阪バナナホールと3月6日の東京クラブチッタが「PINK CREAM 69, D.C. COOPER」の見出しで並んでいる。公式ヒストリーによれば、この時のツアーは元 ROYAL HUNT のシンガー D.C. クーパーと組んだもので、彼のファースト・ソロ・アルバムには PINK CREAM 69 の演奏陣が実際に参加していた。共演相手のレコードを自分たちで作り、その相手と日本を回ったことになる。
1992年の川崎公演の映像は、17年間 VHS のままだった。2009年の2枚組 DVD『Past & Present』で初めて DVD 化されている。Blabbermouth が伝えた収録内容によれば、この『Size It Up – Live In Japan』は58分で、アンディ・デリスが歌っていた時代の記録であり、それまでは VHS でしか出ていなかった。同じ DVD にはカールスルーエでの2009年1月24日の公演88分、インタビューと舞台裏の映像55分、バンドの全ビデオクリップ31分も入っている。
長いバンド名は、日本でもドイツでも縮められた。マーキー/アヴァロンのアーティスト紹介によれば、結成直後から精力的にライヴを重ねた PINK CREAM 69 は、新人ながら卓越したライヴ・パフォーマンスで多くのバンドと共演し、ミュージシャンズ・ミュージシャン的な存在になっていき、ファンからは親しみを込めて「偉大なるピンキーズ」と呼ばれるようになった。
バンドが公開していた公演記録をいちばん下まで下りると、そこにあるのは1988年のルートヴィヒスブルクのロックファブリークが2件、4月24日と12月26日である。この一覧に載る360本の公演のうち、これより古い日付は無い。ロックファブリークは、同じ公式サイトのヒストリーが1988年の『METAL HAMMER』新人コンテストの舞台として名前を挙げている会場でもある。どちらの日付がそのコンテストなのかは、公式サイトのどこにも書かれていない。
デリスの後任は、複数のシンガーをオーディションした末に決まった。バンド自身の Bio によれば、そうして選ばれたデイヴィッド・リードマンのお披露目となったのが4作目『Change』である。公式ヒストリーは、この作品をロサンゼルスで制作し、それまでより現代的で開かれた方向へ進んだと記している。リードマンはイギリス人で、公式のメンバー紹介は出身地をイングランド北部のバーンリー、以前のバンドを ADAGIO と SIXMYTH としている。ドイツで結成されたバンドが、以後はイギリス人シンガーを立てて続くことになった。
『Live In Karlsruhe』の後、バンドはしばらく沈黙する。マーキー/アヴァロンによれば、2012年に入って再始動したものの、そこで結成メンバーのコスタ・ツァフィリオが脱退し、後任にクリス・シュミットを迎えた。こうして再出発した編成が出したのが、実に6年ぶりのアルバム『Ceremonial』である。バンド自身の Bio は、この作品を Frontiers Records での2作目のスタジオ・アルバムであり、新しいドラマーを迎えて作った最初のアルバムだと記している。
PINK CREAM 69 のメンバーは、HELLOWEEN の元シンガーの作品にも関わっている。マーキー/アヴァロンによれば、バンドは2005年、マイケル・キスクをフィーチュアした PLACE VENDOME のデビュー・アルバム制作に協力した。ただしヴォーカルのデイヴィッド・リードマンは参加していない。かつてのシンガーがキスクの後任として HELLOWEEN に入ったバンドが、今度はキスク本人の作品を支えたことになる。
バンドが沈黙していた時期、デニス・ワードとコスタ・ツァフィリオは UNISONIC で活動していた。マーキー/アヴァロンによれば、そこにいたのはマイケル・キスク、マンディ・メイヤー、カイ・ハンセンで、アルバムは大きな反響を呼んだ。HELLOWEEN の初期を作った2人と、その HELLOWEEN にシンガーを送り出したバンドのリズム隊が、同じバンドに揃ったことになる。
1999年、PINK CREAM 69 はドイツの公共放送 ARD のテレビ映画に出演している。バンドのヒストリー・ページによれば、これは「Shame」という曲を伴ったゲスト出演だった。「Shame」は前年のアルバム『Electrified』の冒頭を飾る曲で、シングルとビデオにもなっている。同じ年、バンドは秋に南米へも短期間出向いている。
『Ceremonial』は2つのスタジオにまたがって作られた。バンド自身の Bio によれば、録音の一部は Hofa Studios で行われ、ミックスはデニス・ワードの私設スタジオ The TrakShak で仕上げられている。ワードはこの作品について、曲が100パーセント仕上がっていなければならず、必要ならいくらでも時間をかけると述べ、そうすることで実験の余地が生まれ、可能なかぎり良い結果に届くのだと説明している。ベーシストがプロデューサーを兼ね、自分のスタジオを持っていることが、そのまま制作の進め方になっている。
『Past And Present』には、バンドが地元の夏フェスでやったアコースティック・セットも入っている。公式の作品ページによれば、これは2007年7月20日、カールスルーエの野外フェスティヴァル「Das Fest」での演奏で、ゲストにグンター・ヴェルノのピアノ、トミー・バルドゥのパーカッション、ジルケ・ハウクとディアナ・クローのバッキング・ヴォーカルが加わっている。同じ DVD には、同年7月にチェコのヴィゾヴィツェで行われた「Masters Of Rock」の映像も収められた。本編のカールスルーエ公演は2009年1月24日、フェストハレ・ドゥルラッハでの収録である。
バンドの公演記録には、前座として付いた相手の名前が見出しとして残っている。1989年は WHITE LION、1992年は EUROPE、1998年はブルース・ディッキンソン、そして一覧の最も新しい2011年は HELLOWEEN と STRATOVARIUS である。最後の1つは、かつて自分たちのシンガーを迎え入れたバンドと同じ舞台に立ったことを意味する。公式ヒストリーは1992年の EUROPE 帯同について、14か国を3か月かけて回ったと記している。
チャートについて、バンド自身の Bio はいくつかの作品を名指ししている。2作目『One Size Fits All』と3作目『Games People Play』はドイツと日本の公式アルバム・チャートで高い位置に着き、2000年の『Sonic Dynamite』は再びドイツの公式アルバム・チャートに入り、2004年の『Thunderdome』もまたドイツのアルバム・チャート入りを果たした、というのがその記述である。日本のチャートが名指しで挙がるのは最初の2作についてだけである。
メジャーとの関係は6年で終わった。公式ヒストリーによれば、1995年、PINK CREAM 69 はサンダーヘッドとのコ・ヘッドライナー・ツアーを行い、通算6年にわたったソニー・ミュージックとの協働の後、ビジネス上の環境を変えている。1988年に CBS と結んだ契約から数えて6年強、デビュー作から数えて6年目のことだった。2000年代に入るとバンドはイタリアの Frontiers Records に移り、2007年の『In10sity』、2013年の『Ceremonial』、2017年の『Headstrong』はいずれもこのレーベルから出ている。
2020年3月3日、バンドは新しいギタリストとベーシストを同時に発表した。Blabbermouth によれば、ギターのマルコ・ヴリートは前年の暮れに脱退したウヴェ・リーテナウアーの後任、ベースのローマン・ベゼルトはデニス・ワードの後任である。ヴリートは AXXIS のメンバーで、21 OCTAYNE の中心人物でもあった人物で、コフラーの説明によれば、探すのに時間はかからず、決めるのも簡単だった——ヴリートは以前 HELLOWEEN と STRATOVARIUS とのツアーでリーテナウアーの代役を務めており、そのときの働きを覚えていたバンドは、新しいギタリストが要ると分かったとき彼にしか声を掛けなかった。ベゼルトはクラシックを学んだ音楽家で、ロシア、スペイン、イギリスのフェスティヴァルにベースとヴォーカルで参加した実績がすでにあった。
『Headstrong』は結成30年の節目に出たアルバムだった。Blabbermouth が伝えたところによれば、Frontiers Music Srl からの発売は2017年11月10日で、通算12作目のスタジオ・アルバムにあたる。プロデュースはベーシストのデニス・ワードで、演奏陣は2013年の『Ceremonial』と同じ顔ぶれ。さらに、バンドのカタログ全体から選んだ曲を集めたボーナスのライヴ・アルバムが付いた。先行公開されたのは冒頭の「We Bow To None」である。
『Headstrong』の作り方は、あらかじめ言葉にされていた。デニス・ワードは、1989年に最初のアルバムを出したとき自分たちは力強いリフと伸びるヴォーカル・メロディを持つギター・バンドであることを誇りにしていたと振り返り、『Ceremonial』の後、二歩進むために一歩下がる必要があると考えたと述べている。彼が挙げた計画は具体的で、最初期の書き方を蘇らせること、キーボードの量を減らすこと、音を重ねすぎず必要最小限に抑えること——狙いは太く歪んだギターの音に可能なかぎり忠実であることだった。
デビュー20周年の記念公演は、地元カールスルーエで行われた。Blabbermouth が伝えた内容によれば、2009年1月に撮影されたこの公演が2枚組ライヴ盤『Live In Karlsruhe』と2枚組 DVD『Past & Present』の中心で、DVD の総収録時間は4時間半を超える。ドラムスのコスタ・ツァフィリオは、この夜がバンドにとって特別だったと語っている。ファースト・アルバムから20年、スタジオ・アルバム10枚、そして地元での公演が初めての DVD として記録されるという状況で、懐かしさとこれから始まるショウへの高揚が入り混じっていた、というのが彼の説明である。