JOE SATRIANI TRIVIA
Trivia
1993年、リッチー・ブラックモアが脱退した直後のDEEP PURPLEに、サトリアーニは代役として加わった。公式のバイオグラフィがこの参加について記すのは「1993年の日本ツアー」である。つまり彼がこのバンドで弾いたのは、まず日本の舞台だった。
単独名義での来日は2017年2月、「Surfing to Shockwave Japan Tour 2017」として行われた。ソニー・ミュージックの公式アーティスト・ページはこれを15年ぶりの単独来日公演と告知しており、2月7日のなんばHatch(大阪)と8日の中野サンプラザホール(東京)の2公演。同行したのはマイク・ケネリー(ギター、キーボード)、ブライアン・ベラー(ベース)、マルコ・ミンネマン(ドラム)である。
サトリアーニがギターに向かうと決めた日は特定できる。公式のバイオグラフィは、彼が1970年9月18日以来ギターの芸に身を捧げてきたと記す。ジミ・ヘンドリックスが亡くなった日である。当時14歳で、知らせを聞いたのはアメリカン・フットボールの練習中だった。彼はその場でコーチに、辞めてギタリストになると告げている。
サトリアーニは長くギターを教えており、公式のバイオグラフィは十代のころにスティーヴ・ヴァイに教えたことを明記している。教え子として名が挙がるのは、ほかにMETALLICAのカーク・ハメットとTESTAMENTのアレックス・スコルニックである。のちにヴァイとはG3で同じ舞台に立ち、2024年からはSATCHVAIの名でツアーを共にすることになる。
サンフランシスコに移ったサトリアーニは、まずThe Squaresで演奏し、その後グレッグ・キーン・バンドに短期間在籍した。公式のバイオグラフィがソロ以前の活動として挙げるのはこの二つである。
1987年の『Surfing With The Alien』は彼の2作目のスタジオ作で、公式のバイオグラフィによればビルボード200で29位に達し、ラジオでかかる曲を生んだ。歌の入らないギター・アルバムとしては例外的な数字で、この成功が翌年ミック・ジャガーの誘いにつながっている。
『Surfing With The Alien』の成功は、1988年、ミック・ジャガーが初のソロ・ツアーのリード・ギタリストにサトリアーニを招くことにつながった。公式のバイオグラフィはこの起用を同作の成功の帰結として記している。
グラミー賞のノミネートは15回に及ぶ。公式のバイオグラフィはその対象に『Surfing With The Alien』と『The Extremist』を挙げている。受賞は一度もない。
公式のバイオグラフィは彼を「世界で最も商業的に成功したソロ・ギター奏者」と呼び、ゴールドとプラチナのディスクを6枚、アルバムの総売上を1,000万枚以上と記している。歌のないインストゥルメンタル作品でこの規模に達した例はほとんどない。
G3は1996年にサトリアーニが始めた、複数のギタリストが組を替えながら回るツアー形式である。公式のバイオグラフィはこれまでの共演者としてエリック・ジョンソン、スティーヴ・ヴァイ、イングヴェイ・マルムスティーンらを挙げ、2024年に行われた初期編成での再結成ツアーが米国で完売したと記している。
サトリアーニは2009年からCHICKENFOOTのギタリストでもある。サミー・ヘイガー、マイケル・アンソニー、チャド・スミスとのバンドで、公式のバイオグラフィはこの編成を「オールスター・バンド」と呼び、2枚のアルバムを出したと記している。
映画に出た記録もある。公式のバイオグラフィが挙げるのは2006年の『For Your Consideration』と2011年の『マネーボール』の2本である。
使う楽器にも彼の名が付いている。公式のバイオグラフィによれば、アイバニーズのJSシリーズ・ギターとマーシャルのJVM410HJSアンプは、いずれも彼のために設計されたシグネチャー製品である。
サトリアーニとスティーヴ・ヴァイがSatchVaiの名で作った初のスタジオ・アルバム『The Sea Of Emotion』からは、発売前に4曲が公開された。「The Sea Of Emotion, Pt.1」(2024年3月)、「I Wanna Play My Guitar」(2025年5月)、「Dancing」(2026年3月)、そしてアルバム告知と同時の「Mayhem」(2026年9月2日)で、いずれもレーベルearMUSICの公式チャンネルからの公開である。ふたりの関係は1973年のギター・レッスンに始まっており、共作のシングルはそれから50年を越えて初めてのものだった。