GUS G. トリビア 全23件
GUS G.にまつわる事実を、出典付きで23件掲載しています。
Trivia
2000年代の初め、彼はドイツのMYSTIC PROPHECYで2001年にアルバム・デビューを果たしながら、NIGHTRAGEとDREAM EVILにも同時に籍を置いていた。日本での発売元キングレコードの紹介文によれば、この掛け持ちぶりから当時は「世界一多忙なギタリスト」として話題になったという。初来日もこの時期で、本人によれば2002年にDREAM EVILとして日本を訪れ、2003年にも同じバンドで、2004年にはFIREWINDとして再訪している。
2026年、ガスG.と日本のギタリストSAKIは互いの作品でギターを弾き合った。6月24日に出たSAKIのメジャー・デビュー作『PLUVIA』では、8曲目「Flores a Flores」のギター・ソロをガスG.が弾いている。一方、秋の来日に合わせて10月7日に日本独自企画として出るガスG.のEP『Steel Burning Live』には、SAKIがギター・ソロで加わったIRON MAIDEN「Murders in the Rue Morgue」のカヴァーが入る。同作にはロニー・ロメロが歌うBLACK SABBATH「The Mob Rules」のカヴァーと、2026年のRock Hard Festivalでのライヴ音源も収められる予定だ。
ソロ名義での初来日公演は2017年3月22日の渋谷クラブクアトロと23日の梅田クラブクアトロで、AMARANTHEのエリーゼ・リードがスペシャル・ゲストとして同行した。ヴォーカルは当時FIREWINDのシンガーだったヘニング・バッセが務め、ソロ曲に加えてFIREWINDやDREAM EVILの曲も演奏された。エリーゼの出番は3曲の予定だったが、東京公演では締めくくりのオジー・オズボーンのカヴァー「Crazy Train」にも加わっている。
『Brand New Revolution』収録の「What Lies Below」は、ロサンゼルスの友人でプロデューサー兼ソングライターのMat Dauzatとの共作で、デモで歌ったのはその妻ヘザー・セント・マリーだった。ただ本人は最初からAMARANTHEのエリーゼ・リードの声を思い描いていて、アルバムにはエリーゼの歌うバージョンが入った。仕上がりのまったく違う二つがどちらも気に入ったため、ヘザーのバージョンは日本盤のボーナス・トラックに回された。面識のなかったエリーゼとは、AMARANTHEと彼の両方のビデオを撮っていた監督パトリック・ウラエウスを通じてつながったという。
18歳で奨学金を得てボストンのバークリー音楽大学に進んだが、授業にはなじめず数週間で退学している。ボストンではジョー・スタンプのレッスンを受けており、1998年、ヴォーカルのブランドン・ペンダーとドラムのマット・スカーフィールドの力を借りて10曲を録音した。この企画に付けた名前がFIREWINDで、作品は『Nocturnal Symphony』と題された。本人は2002年に、レーベルへの売り込みは実を結ばず、音楽的な方向がばらばらな作品だったと振り返っている。
FIREWINDというバンド名は、ウリ・ロートのアルバムの題名から採られている。2002年のインタビューで彼は、前から好きだった言葉で、力強い名前だと思ったと説明した。同じインタビューで本名ではなく「Gus G.」を名乗る理由を尋ねられると、理由は明かさず、秘密だとだけ答えている。
3作目の『Fearless』はトリオで録音された作品で、歌とベースはデニス・ワード、ドラムはEVANESCENCEのウィル・ハントが担当している。2017年11月にAFM Recordsとソロの世界契約を結んだ際、彼は同月末からのヴィニー・ムーアとの北米ツアーで、ワードとドラマーのリッチー・モニカを従えたパワー・トリオを初めて披露すると発表していた。アルバムは2018年4月20日に発売され、オジーのバンドを離れてから最初のリリースになった。
4作目の『Quantum Leap』は、彼のソロ作で初めて全曲をギター・インストゥルメンタルで固めたアルバムである。2014年には、インストだけのアルバムを自分で作れば退屈なものになると話し、2015年にも、そうした作品を作るなら10年はかかりそうだと語っていたが、2020年のロックダウンで誰とも会えなくなったことが制作の引き金になった。題名の「大きな飛躍」は、ギターそのものに歌わせるという、彼にとっての一歩を指している。日本盤は海外より2日早い2021年10月6日に2枚組で出され、2枚目には2018年にブダペストで収録したライヴが収められた。
5作目『Steel Burner』のタイトル曲は、金属を加工する産業機械のメーカーから依頼を受けて書いた曲である。着想の元になったのは「Steel Burner」という名の機械で、曲の勢いがそのままアルバム全体の構想を決め、最後には題名にもなった。この曲ではギターのほか、ベース、キーボード、ドラムまで彼がひとりで担当し、ミックスとマスタリングはデニス・ワードが手がけている。
2019年のユーロビジョン・ソング・コンテストで、彼はギリシャのスポークスパーソンとして画面に登場した。2021年に自身のYouTubeチャンネルでその場面を振り返った彼は、しゃべるよりもギターを弾きまくる時間の方が長かったと書いている。
ギターを手にするきっかけは、父親が持っていたピーター・フランプトンの『Frampton Comes Alive!』だった。本人の回想では、9歳の彼はトークボックスで“しゃべる”ギターの音をロボットの声だと思い込み、父にギターの音だと教えられて、自分もこれを弾けるようになりたいと考えたという。本業は教師で、週末には結婚式でギリシャ音楽を歌っていたその父が最初に買い与えたのはクラシック・ギターで、エレクトリック・ギターを手に入れたのは14歳になってからだった。
2005年の夏、彼はクリストファー・アモットの代役としてARCH ENEMYのツアーに加わり、OZZFESTを回っていた。オジー・オズボーンが新しいギタリストを探しているというニュースが流れると、彼は会場でオジー側にFIREWINDのCDを託したという。そのときはザック・ワイルドがすぐにバンドへ戻って話は消えたが、4年後の2009年、オジーの事務所から届いたのはオーディションへの誘いだった。
2009年の夏、オジーのマネジメントからメールでオーディションの打診が届いた。本人の回想では、ロサンゼルスに着いてホテルに入ると当のオジーから電話があり、ミスは気にせず心のままに弾けばいいと声をかけられたという。後に聞かされたところでは、誰かがYouTubeの彼の演奏動画をオジーに見せたのが始まりだった。バンドでの初舞台は同年8月22日、アナハイム・コンベンション・センターでのBlizzCon '09閉幕イベントで、ドラムのトミー・クルフェトスもこの日が初参加だった。
オジーの新ギタリストとして彼が初めて世界に紹介されたのは、ギター・ワールド誌の表紙撮影だった。ロンドンでロス・ハルフィンが撮影したこの日、直前にカメラの前にいたのはジミー・ペイジで、ペイジは彼に新入りかと尋ねて幸運を祈ったという。オジーに呼ばれて3人で写真に収まったが、その一枚を本人は持っておらず、2026年に同誌を通じてハルフィンに送ってほしいと呼びかけている。オジーがスター型のギターを好まなかったため、この日は愛用のシグネチャー・モデルを家に置き、ESPのシングルカット、Eclipseを持参していた。
オジー・オズボーンの『Scream』(2010年)は、オジーの自宅スタジオで録音された。本人の回想では、毎朝プロデューサーのケヴィン・チャーコがホテルまで車で迎えに来て、オジーの家で朝食を済ませてから地下のスタジオで作業に入る日々だったという。アルバムはすでに録音されており、彼の役目はそこにギターを重ね、歴代ギタリストを思わせるフレーズも織り込みつつ、ソロで自分の色を出すことだった。アンプはこの頃使い始めたBlackstarのSeries One 200で、アルバムにも続くワールド・ツアーにも同じものを使っている。
2011年6月13日、メタル・ハマー誌の第9回ゴールデン・ゴッズ・アワードで、彼はDimebag Darrell Shredder賞を受けた。2017年9月15日には、ベルリンのケッセルハウスで開かれたドイツ版メタル・ハマー誌のアワードで「Riffgott(God of Riffs)」部門を受賞し、会場で自ら賞を受け取っている。この部門の候補には、ザック・ワイルド、マイケル・ヴァイカート、ウルフ・ホフマン、ルドルフ・シェンカーらも名を連ねていた。
2017年4月、オジー・オズボーンのバンドにザック・ワイルドが戻ることが発表され、ガスG.の8年間の在籍は終わった。本人によれば、ネットで知る前に直接伝えたいとシャロン・オズボーンがギリシャの自宅に電話をくれたのは、時差のせいで真夜中だったという。予想していたこともあってすぐに受け入れ、それまでの礼を伝えたと話している。2018年には、先の予定が見えないまま待機する年月が続いていたため、正直なところ少しほっとした面もあったと明かした。
『Fearless』収録の「Mr. Manson」のメイン・リフは、もともとオジー・オズボーンに聴かせるつもりで書いたものだった。本人によれば、BLACK SABBATHの「N.I.B.」を思わせるリフだったがオジーとの話は進まず、ほかのいくつかのリフとともに何年もハードディスクに眠っていた。いきさつを添えてデニス・ワードに送ると、ワードがそれに触発されて歌詞を書いたという。オジーのために作って使われなかったリフはFIREWINDの『Immortals』収録曲「Back On The Throne」にも生かされていると、彼は2017年に語っている。
初のソロ作『I Am the Fire』にはMEGADETHのデイヴィッド・エレフソンやMR.BIGのビリー・シーンらが参加しているが、その多くはミックスを担当したジェイ・ラストンのつてで集まった。THE WINERY DOGSのミックスを手がけていたラストンがシーンの名を挙げると、ファンだった彼は即座に承諾したという。エレフソンの場合は、先にラストン経由でエレフソンとフランク・ベロのプロジェクト、ALTITUDES & ATTITUDEでギター・ソロを弾く話が持ち込まれ、その返礼のような形で「Vengeance」への参加が決まった。
ロニー・ロメロとの共演は、ルーマニアに住むロメロが2024年に持ちかけたアコースティック公演から始まった。二人は10年来の知り合いで、かつてスウェーデンで一緒にカヴァーを演奏した仲であり、ルーマニアでの短いツアーの後、ガスG.がロメロをギリシャに招いてバンド編成のライヴを行った。そこから欧州のフェス出演、2025年秋の「Convergence」ヨーロッパ・ツアーへと広がり、ツアーで演奏するために二人で書いた「My Premonition」は2025年6月にシングルとして出た。2026年の『Steel Burner』では、この曲と新たに書いた「Frenemy」の2曲をロメロが歌っている。
2026年7月24日、KING DIAMONDは、40年にわたってバンドを支えたアンディ・ラ・ロックとの別れと、ガスG.の加入を同時に発表した。ガスG.は今後の作曲、レコーディング、ツアーに加わり、キング・ダイアモンドはFIREWINDやソロの活動もこれまでどおり続けてよいと明言している。2日後に公開した動画でガスG.は、自分も一ファンであると述べ、ラ・ロックを伝説であり友人でもある人物と呼んで、そのラ・ロック本人から激励のメッセージが届いたことを明かした。
2016年6月、彼は12年間契約していたESPを離れ、ジャクソンと契約した。ESPは彼に初めてのシグネチャー・モデルを作った会社だったが、移籍後のカスタムショップ製ギターは、ランディ・ローズの最初のジャクソンを製作したマイク・シャノンが手がけることになった。ジャクソン側の発表は、彼が生まれた1980年がジャクソン誕生の年でもあることに触れ、ランディ・ローズ以来続くオジーのギタリストとジャクソンの縁を強調している。
2021年1月、彼は自分のピックアップ・ブランド、Blackfire Pickupsを立ち上げた。最初に出た「Proteus」と「Immortal」はそれまで彼のジャクソン製シグネチャー・モデルにしか載っていなかったもので、これで単体でも買えるようになった。Proteusは彼とチームが最初に設計したセットで、内蔵のプリアンプを生かしてパッシヴとしてもアクティヴとしても配線できる。ブランドの公式サイトで彼は、大手メーカーとシグネチャー製品を作ってきた末に、製品づくりのすべてを自分で決められる会社を持ちたくなったと説明している。