GRETA VAN FLEET TRIVIA
Trivia
日本での初ライヴは、2018年8月のSUMMER SONIC 2018で実現するはずだったが、アーティスト側の予期せぬスケジュールの都合で出演はキャンセルされた。初来日公演が行われたのは2019年1月で、大阪のZepp Osaka Bayside(当初の21日から22日に変更)、東京のZepp Divercity Tokyo(24日)と新木場STUDIO COAST(25日)の3公演だった。日本の発売元ユニバーサル ミュージックのライヴ・レポートによれば、ジョシュは白いバラの花束を抱えて登場して花を客席に投げ入れ、「Highway Tune」で始まったステージは、ハウリン・ウルフのカヴァー「Evil」を含む10曲、約80分に及んだ。大阪公演の3日前の1月19日には、米国のテレビ番組『Saturday Night Live』に初出演していた。
日本での正式な作品リリースは、少し遅れてやって来た。2017年4月に配信で出たデビューEP『Black Smoke Rising』は、同年9月に輸入盤CDが日本に入り、タワーレコードの「タワレコメン」2017年11月度・洋楽編に選ばれた。続くダブルEP『From the Fires』もタワレコメンに選ばれている。日本デビュー作となったのは2018年10月19日発売の『Anthem of the Peaceful Army』で、日本盤にはボーナス・トラックとして『Black Smoke Rising』の4曲がすべて収められた。一方、グラミー賞を受けた『From the Fires』には長く日本盤がなく、初めて日本盤が出たのは2024年8月7日、SHM-CD仕様でのことだった。
2度目の来日は、初来日から約5年半後のSUMMER SONIC 2024だった。最新作『Starcatcher』を携えて、8月17日に大阪・万博記念公園のAIR STAGE、18日に千葉・ZOZOマリンスタジアムのMARINE STAGEに出演した。来日に合わせて、日本の発売元ユニバーサル ミュージックは、8月16日にYouTubeでライヴ映像とミュージック・ビデオを約60分にわたって流す特別配信を告知した。
初来日ツアーの途中でBARKSの取材に応じたサムは、日本の観客は敬意を払って真剣に聴いてくれると話し、何より日本人のリズム感は最高で、手拍子が決してずれない、アメリカではああはいかないと笑った。ジェイクは、日本の聴衆は音楽に集中するあまりときに静まり返ると事前に聞かされていて、確かにその通りだったが、跳びはねて楽しんでいる姿も見えたと振り返っている。2021年の激ロックのインタビューでは、ジェイクは東京から大阪へ向かう新幹線の窓から見えた富士山に触れつつ、いちばん心に残ったのは曲に耳を傾けるファンの敬意に満ちた反応だったと語った。
ドラムのダニー・ワグナーが加わったのは、結成から1年ほど後のことだった。ジェイクによれば、ジャムに呼んだダニーは、ジェイクの書いたリフをすでに残らず弾くことができた。ライヴに全部来ていなければ無理だったはずだとジェイクは不思議がり、4人がそろったとき、いよいよ本気で音楽に取り組む時だと感じたという。ダニーによれば、ドラムを始めたのは、町を離れることになったいとこがドラム・セットを置いていったからだった。日本での発売元ユニバーサル ミュージックのプロフィールによると、高校時代には自分に絶対音感があることにも気づいたという。同じプロフィールによれば、彼は、すでに互いを知り尽くした3人の中に後から加わったリンゴ・スターに自分を重ねており、長いあいだ、終わりのないオーディションを受けているつもりでバンドに臨んできた。
メンバー全員がまだ高校生だった2014年、オリジナル曲「Standing On」が、デトロイト都市圏のシボレー販売店が流した2014年型シボレー・エクイノックスのCMに使われた。販売店側のサイトは同年3月にバンドを紹介する記事を載せ、4人は14歳から17歳で、全員18歳未満のため宝くじも買えないと書いている。その記事でバンドは自分たちの曲作りを、ジェイクが曲の音色と態度を決めるリフを持ち込み、ダニーとサムのリズム隊が形を整え、最後にジョシュが歌詞と歌い回しを加える、と説明していた。
デビュー曲「Highway Tune」は、ビルボードのメインストリーム・ロック・ソングス・チャートで5週にわたって1位を守った。カナダではさらに長く、2018年3月の時点でアクティヴ・ロックのラジオ・チャートで「Highway Tune」が9週連続、続く「Safari Song」が12週連続の1位を続けていた。ユニバーサル ミュージックによれば、最初の2曲のシングルがどちらも9週以上続けて1位になったアーティストは、全フォーマットを通じたカナダのラジオ・チャートで彼らが初めてだった。米国でもメインストリーム・ロックとアクティヴ・ロックの両チャートで1位は続き、2020年に発表した「My Way, Soon」が2021年1月に5曲目の1位となった。
2019年の第61回グラミー賞で、バンドは最優秀新人賞、最優秀ロック・パフォーマンス(「Highway Tune」)、最優秀ロック・ソング(「Black Smoke Rising」)、最優秀ロック・アルバム(『From the Fires』)の4部門にノミネートされ、ALICE IN CHAINS、FALL OUT BOY、GHOST、WEEZERの作品を抑えて最優秀ロック・アルバムを受賞した。ソングライターに贈られる最優秀ロック・ソングの候補には、4人全員の本名が作者として並んでいる。受賞作『From the Fires』のプロデューサーとしては、アル・サットン、マーロン・ヤングとともにハーシェル・ブーンの名がクレジットされた。3作目『Starcatcher』も2024年の第66回で最優秀ロック・アルバムにノミネートされたが、この年の受賞はPARAMOREだった。
2018年12月、第61回グラミー賞で4部門にノミネートされたバンドは、ファンへの感謝のしるしとして、同月末に地元デトロイトで行う完売の3公演のチケット1枚につき1ドルを、ミシガン小児病院基金に寄付すると発表した。寄付はファンを指す呼び名「The Peaceful Army」の名義とされた。会場のフォックス・シアターでは、同年9月14日に発売された12月27日と29日の公演が数分で完売し、30日の追加公演が組まれていた。
2作目『The Battle at Garden's Gate』(2021年)の頃には、4人はミシガンからナッシュヴィルへ移り住んでいた。録音はロサンゼルスで、プロデューサーのグレッグ・カースティンと行われた。ジェイクは激ロックに、映画のようなロックンロールを作ると方針を決め、何人かの候補の中で最も関心を示してくれたのがカースティンだったと話している。バンド自身の曲解説によれば、最初に録った「Light My Love」はカースティンとの相性を試すためのもので、これを経て彼と作ると確信した。アルバムの大半はロックダウン前にできあがっていたが、パンデミックのさなかに書いた「Caravel」と「The Barbarians」が最後に加えられた。
3作目『Starcatcher』(2023年)は、バンドとプロデューサーのデイヴ・コブの手で作られ、ナッシュヴィルのRCAスタジオで録音された。日本の発売元の紹介では、ライヴそのままのエネルギーを詰め込み、空想と現実、光と闇の対比を探る作品とされる。制作中のサムは、ガレージで練習していた頃に気持ちを戻し、完璧に仕上げることに時間をかけるより、その場で起きていることをとらえて生々しくしたいと話していた。アルバムはビルボードのトップ・ロック&オルタナティヴ・アルバム・チャートで初登場1位となり、アルバム3作続けての1位を記録した。
バンド名の元になったのは、メンバーの地元フランケンムースに長く暮らしたグレトナ・ヴァン・フリート(Gretna Van Fleet)という女性である。最初のドラマー、カイル・ホークの祖父が「グレトナ・ヴァン・フリートのところへ薪を割りに行く」と口にしたのがきっかけでこの名前がバンド名になり、「Gretna」から n を抜いて「Greta」としたのは、そのほうが口にしやすいからだった。本人は2018年にビルボード誌に対し、名前を使うと聞いたときは笑って受け流し、長続きするはずがないと思っていたと明かしている。1950年代の終わりに3人の兄弟とダンス・バンドを組んでサックスとピアノを弾いていた彼女は、同じ年の5月にフィルモア・デトロイトでバンドの公演を見て、自分の好みの音楽ではないけれど、あの子たちはよくやっていたと感想を述べた。デビュー・アルバムの発売日となった2018年10月19日は、彼女の88歳の誕生日でもあった。グレトナ・ヴァン・フリートは2026年5月、95歳で亡くなった。
バンドは、ジェイク・キスカが高校2年のときにガレージで始めた練習から生まれた。ジェイクの回想によれば、当時学校のジャズ・バンドに入っていた彼が友人のカイルにドラムを頼み、2人で音を出しているところへ、ジョシュが歌いに、サムがベースを弾きにやって来るようになったという。デトロイト・フリー・プレス紙によると、2012年の夏の時点で、兄弟3人とカイル・ホークの4人はLED ZEPPELINやオジー・オズボーンの曲を練習する名前もないアマチュア・バンドだった。初めての本番はフランケンムース恒例のオート・フェストで、メイン・ストリートで演奏することが決まったとき、ようやくバンド名が必要になった。
デビュー・シングル「Highway Tune」のリフは、バンドより古い。2017年のインタビューでジェイク・キスカは、曲を書き始めたばかりの6〜7年前に作った、自分が書いた最初期のリフの一つだと語り、父親のハーモニカ用アンプにギブソンSGをつないで座り込み、5分ほどで形にしたと振り返った。そのリフを約5年前に最初の編成のバンドへ持ち込み、ダニーが加わってから曲として組み上げてデモを重ね、最後にラスト・ベルト・スタジオで録り直したものが完成版になったという。
2017年3月、バンドはラヴァ・レコードと契約した。ジェイクによれば、そもそもはレーベルに頼らず自分たちの手で一から積み上げるつもりで、マネージメントからジェイソン・フロムとラヴァ/リパブリックが契約したがっていると聞かされたときは、まったく本気にしなかったという。ニューヨークに呼ばれることもなく、フロムとフェイスタイムで話しただけで契約は決まった。ビルボード誌によれば、同社CEOのフロムはその場で契約を決め、1か月後にはデビューEP『Black Smoke Rising』がビルボード200に入った。
2017年11月の8曲入りダブルEP『From the Fires』の題名とジャケットは、ジョシュ・キスカの子供時代の記憶から生まれた。ジョシュの説明では、親戚や友人の家族と毎年夏の一時期をヤンキー・スプリングスという森の中で過ごし、夜ごと焚き火を囲んで演奏し、物語を語り合った。部族の長老たちが火のそばで知恵と勇気の寓話を語り継いだ太古の人々を思わせるその光景が、題名とアートワークの着想になったという。収録曲は、デビューEP『Black Smoke Rising』の4曲に、2017年9月にラスト・ベルト・スタジオで録った4曲——オリジナル2曲と、サム・クック、フェアポート・コンヴェンションのカヴァー各1曲——を加えたものである。
デビュー以来LED ZEPPELINとの比較がついて回ったバンドについて、2018年3月末、当のロバート・プラントが口を開いた。デトロイト・フリー・プレス紙によれば、プラントはインタビューで気に入っている若手を尋ねられてすぐに彼らの名を挙げ、「彼らは『Led Zeppelin I』だ」と評した。ジョシュを素晴らしい小さな歌い手と呼び、冗談めかして彼が憎いと付け加え、その声は自分がよく知る人物から借りたものだとも言った。ジョシュ本人はローリング・ストーン誌に、高校生になるまでLED ZEPPELINを知らなかったと話しており、あの高い声は、ある日の練習でバンドの音にかき消されまいとしたときに初めて出たのだという。
2018年3月4日、バンドはエルトン・ジョンがエルトン・ジョン・エイズ財団のために毎年開くアカデミー賞パーティーで演奏した。ジェイクによれば出演はエルトン本人からの依頼で、エルトンは今年最大の新人バンドの一つになるとハリウッドの招待客に紹介し、自身の「Saturday Night's Alright for Fighting」とバンドの「You're the One」で共演した。その年の10月にジェイクがLoudwireに明かしたところでは、ロンドン公演を見たエルトンからステージの感想とともに「Highway Tune」の出だしをもっと長くドラマチックにしてはどうかと助言された。持っているものは見せつけろとも言われ、ジェイクはそれ以来、ステージではシャツの下の肌着をやめたという。
2018年のデビュー・アルバム『Anthem of the Peaceful Army』の「ピースフル・アーミー」について、ジョシュは日本のBARKSのインタビューで、バンドのことではなく人々すべてを指す言葉であり、アンセムとは平和と調和のための歌という意味だと説明した。ジェイクは、ライヴを重ねるうちに世代も文化的背景も異なる人たちが一つになる光景を何度も見たことがこの発想につながったと話し、バンドも観客もその軍勢の一員なのだと付け加えている。アルバムを締めくくる同名の曲「Anthem」は、ジョシュが朝5時ごろ、半分眠ったような状態で思い浮かんだ詩を書き留めたところから始まった。
『Anthem of the Peaceful Army』の制作について、サムはBARKSに、当初はツアーをしながら3〜4年かけて書きためた曲を使うつもりだったが、スタジオに入るとそれらが思ったほど良く聞こえなかったと話している。そこで古い曲の断片を生かしながらスタジオで新たに曲を書き始め、1か月ほど作業を離れた後、2週間足らずで全曲を書き上げ、録音もほぼ終えたという。ジェイクは、アルバムの半分ほどは録音が始まってから書かれたと見積もった。プロデュースは2枚のEPに続いてアル・サットン、マーロン・ヤング、ハーシェル・ブーンの3人が担い、ビルボード誌によれば録音はデトロイト郊外のラスト・ベルト・スタジオとナッシュヴィルのブラックバード・スタジオで行われた。
バンドは2024年9月、コネティカット州ブリッジポートのサウンドサイド・ミュージック・フェスティヴァルを最後にステージを離れた。2026年5月初め、歴代のミュージック・ビデオをつないだ映像に「Thanks for the wild ride」と添えた投稿が解散の憶測を呼んだが、8日にはスタジオで未発表曲を演奏する1分ほどの映像とともに「We're back, baby!」と書き込んだ。復帰のステージは5月27日、ニューヨークの定員575人のクラブ、バワリー・ボールルームで、チケットは前日に会場の窓口だけで、手数料込み20ドルで売られた。列に並ぶファンにメンバーが自らチケットを売る姿も動画で伝えられた。コンシークエンスの数えたところでは、前回のライヴから605日、この会場での公演は3,095日ぶりだった。
2026年10月9日発売の新作『Palace for the People』の題名は、ロンドンのアレクサンドラ・パレスに由来する。発表によれば、2022年のワールド・ツアーで同会場のヘッドライナーを務めたとき、ヴィクトリア朝に建てられたこの豪壮な建物がもともと「The Palace of the People」と呼ばれ、王侯や裕福な貴族のためではなく一般の人々が集う場として造られたことを友人から教えられた。サムは、自分たちの音楽やライヴで出会って親友になったと声をかけられることが本当に多く、そこから自分たちにとっての宮殿は音楽そのものだと気づいたと語っている。アルバムは2026年春にテネシーで録音され、マイク・エリゾンドがバンドと共同でプロデュースした。日本盤はSHM-CD仕様で10月14日に発売される。