GAMMA RAY TRIVIA

Trivia

バンドにとって最初のツアーが最も強い反応を得たのは日本だった。公式サイトのヒストリーは、その成功を「especially in Japan」と特筆したうえで、記録として東京公演を撮影したライヴ・ビデオ『Heading for the East』が作られたと書いている。つまり、結成直後のGAMMA RAYが最初に映像として残した公演は、ドイツでもヨーロッパでもなく東京だった。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

2024年5月の来日公演は、日本だけのために組まれた顔合わせだった。5月7日に東京・EX THEATER ROPPONGI、8日に大阪・なんばHatchという2公演で、スペシャル・ゲストに立ったのはINDUCTION。カイ・ハンセンの息子ティム・ハンセンが在籍するバンドである。Mikikiはこの2組の組み合わせを日本独自の企画だと伝えており、ハンセン自身は前年2023年9月にHELLOWEENの一員として来日したばかりだった。

出典: Mikiki by TOWER RECORDS「ガンマ・レイの来日公演が決定 カイ・ハンセンの息子ティム擁するインダクションを迎えた日本独自企画」

GAMMA RAYは、最初からバンドとして始まったわけではない。公式サイトのヒストリーによれば、カイ・ハンセンは4年在籍したHELLOWEENを1988年に離れており、脱退の理由として公表されたのは過密なツアー日程だった。そのあと彼が組んだのは、旧知のラルフ・シーパーズ(ヴォーカル)、ウーヴェ・ヴェッセル(ベース)、マティアス・ブルヒャルト(ドラムス)との録音プロジェクトで、この時点で新バンドを作る意図は持っていなかったという。ところがスタジオ・ミュージシャンたちとの作業が和やかに、しかも順調に進んだため、これはバンドだと誰の目にも明らかになった。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

『Sigh No More』の歌詞が一貫して重く沈んでいるのは、当時進行していた湾岸戦争を受けたものだと公式サイトのヒストリーは説明している。前作『Heading for Tomorrow』の明るさとの落差は大きく、同ページは作風そのものが「大きく異なる」と書いている。速く華やかな曲を得意としてきたバンドが、外の出来事に引きずられて別の色を出した記録として残っている1枚である。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

カイ・ハンセンがGAMMA RAYで歌うようになったのは、そう決めたからではなく、席が空いたからである。4作目の構想が動き出したころ、ハンセンとディルク・シュレヒターは、ラルフ・シーパーズの住まいがハンブルクから遠く、リハーサルが週末しか組めないことに行き詰まっていた。折しもシーパーズはJUDAS PRIESTのヴォーカル・オーディションを受けており、公式サイトのヒストリーによれば最終候補3人にまで残っていた。ハンセンが「本当にGAMMA RAYに残るのが正しいのか」と本人に問い、二人は円満に別れる道を選ぶ。以後、ギターと歌の両方をハンセンが担うことになった。シーパーズはのちにPRIMAL FEARを率いている。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

1995年の『Land of the Free』には、HELLOWEEN時代の盟友ミヒャエル・キスケが客演している。歌っているのは1曲まるごとの「Time to Break Free」と、表題曲のコーラス部分。ハンセンが自らヴォーカルを執るようになった最初のアルバムで、かつての歌い手が呼ばれているという構図になっている。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

1996年末の時点で、GAMMA RAYに残っていたのはカイ・ハンセンとディルク・シュレヒターの二人だけだった。その状態で次作の曲作りを始め、新メンバーが決まったのは1997年2月である。ドラムスにダニエル・ツィマーマン、ギターに前年のスペイン公演で代役を務めていたヘンヨ・リヒターが加わり、以後長く続く編成がここで完成した。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

ベスト盤を作る番が回ってきたとき、カイ・ハンセンは既存の音源を並べるという普通のやり方を採らなかった。バンドはスタジオに入り直し、旧曲を録り直している。それが『Blast from the Past』である。しかも収録曲を選んだのはバンドではなくファンで、レーベルearMUSICの2023年の告知によれば「各アルバムから3曲選んでほしい」と呼びかけた結果がそのまま曲目になった。対象は1990年から1999年までのスタジオ作で、全20曲。ジャケットはIRON MAIDENの絵で知られるデレク・リッグスが手掛けている。

出典: GAMMA RAY 公式サイト ニュース「BLAST FROM THE PAST」再発告知(earMUSIC)

結成30周年を記念する公演は、2020年8月27日にデュッセルドルフのISS Domeで、客を入れずに行われた。配信のために組まれた一夜で、ゲストにラルフ・シーパーズとコルヴィン・バーンを迎えている。これをライヴ盤にするにあたり、バンドは翌2021年3月、ファンに変わった依頼をした。好きな曲を聴きながら自分の歓声や口笛をスマートフォンなどで録り、音声ファイルをメールで送ってほしいというもので、集まった音を曲間にミックスして収録する計画だった。締切は3月31日と告知されている。

出典: GAMMA RAY 公式サイト ニュース「Scream For Us」

デビュー作を録り終えた直後、ドラマーのマティアス・ブルヒャルトはバンドを離れている。学業に専念したいという理由だった。そのため、音源はできているのにステージに立てない時期がしばらく続く。穴を埋めたのはウリ・クッシュで、HOLY MOSESを経てきた彼が加わったことで、ラルフ・シーパーズ(ヴォーカル)、ディルク・シュレヒター(ギター)、ウーヴェ・ヴェッセル(ベース)、クッシュ(ドラムス)、そしてカイ・ハンセンという最初のライヴ編成がようやく揃った。クッシュはのちにHELLOWEEN、さらにMASTERPLANへ進んでいる。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

1990年9月のEP『Heaven Can Wait』は、5曲のうち4曲がすでに存在していた音源から組まれている。表題曲はデビュー作収録曲の録り直しで、完全な新曲は「Who Do You Think You Are?」の1曲だけ。残る3曲はデビュー作のセッションで録りながら本編に入らなかったものだった。ツアー開始に合わせて出す必要があったという事情が、この構成をそのまま説明している。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

2作目『Sigh No More』の下準備は、スタジオではなくデンマークの人里離れた小さな家で行われた。1991年2月、新曲を抱えたバンドはそこにこもってリハーサルを重ね、そのうえでトミー・ニュートンのプロデュースのもと録音に入っている。完成した作品は同年9月に発売され、その後50公演規模のワールド・ツアーが続いた。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

1992年初頭の日本ツアーを終えた直後、リズム隊がそろって抜けた。ウリ・クッシュとウーヴェ・ヴェッセルの脱退理由を、公式サイトのヒストリーは人間関係の不一致としている。後任に入ったのは、ハンブルクのデモ・バンドANESTHESIAにいたヤン・ルーバッハ(ベース)とトーマス・ナック(ドラムス)で、当時まだかなり若い二人だった。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

3作目が1993年まで出なかったのは、曲が書けなかったからではなく、バンドが自前のスタジオを建てていたからである。公式サイトのヒストリーは、その工事に相当な時間がかかり、そのせいで録音の開始が1993年までずれ込んだと書いている。完成した『Insanity and Genius』は同年6月に発売され、作風は2作目より1作目の側へ戻った。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

『Insanity and Genius』をファンに披露する場として組まれたのが「Melodic Metal Strikes Back」で、HELICON、CONCEPTION、RAGEとGAMMA RAYが並ぶ全4公演の共同ヘッドライナー興行だった。このうちハンブルク公演が撮影され、2本目のライヴ映像『Lust for Live』となり、同じ音源が同年12月にライヴCD『The Power of Metal』としても発売されている。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

バラードだけを4曲集めたEP『Silent Miracles』は、1995年8月にカイ・ハンセンとディルク・シュレヒターがスタジオにこもって録音したものだが、発売は1996年2月まで延びた。理由は単純で、直後に始まるツアーまでに最終ミックスが間に合わなかったためである。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

1996年、ヤン・ルーバッハがベースを降りた直接の理由は、ディルク・シュレヒターがベースに戻ることを強く望んだからだった。シュレヒターはもともとベーシストである。ルーバッハにギターへ移る案も出たが、本人が踏み切れずに離脱した。同時期にトーマス・ナックも、以前から続けていた別の音楽プロジェクトに専念するために脱退を決めている。ただしナックはスペイン公演だけは叩いており、一方のルーバッハの穴はギタリストのヘンヨ・リヒターで埋められた。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

GAMMA RAYの歌詞が宇宙を扱い始めた起点は、1997年8月末に出た『Somewhere Out in Space』である。公式サイトのヒストリーは、この作品がバンドの宇宙への傾倒を始めたと明記しており、続く『Power Plant』も同じ路線の延長として位置づけられている。ただし音楽的には別の方向へ進んだとも書かれており、題材の連続と音の変化が同時に起きた区切りだった。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

『Blast from the Past』は長く廃盤だったが、2023年5月に再発された。マスタリングを担当したのはプロデューサーのアイケ・フリーゼで、英国人ジャーナリストのデイヴ・エヴァリーがカイ・ハンセンへの取材をもとに詳細なライナーノーツを書き下ろしている。限定3枚組デジパックにはミニ・アルバム『Skeletons & Majesties』がボーナスとして加えられ、この作品がアナログ盤で出たのはこのときが初めてだった。

出典: GAMMA RAY 公式サイト ニュース「BLAST FROM THE PAST」再発告知(earMUSIC)

「Skeletons in the Closet」ツアーの曲目を決めたのはバンドではなく、公式サイト上で投票したファンだった。ほとんど、あるいは一度もライヴで演奏していない曲を並べるという企画で、公演数はごく限られていたが、そのうちバルセロナとストラスブールの2公演が録音され、同名のライヴ・アルバムになっている。このツアーにはMASTERPLANのアクセル・マッケンロットがキーボードで加わった。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

GAMMA RAYはIRON MAIDENのヨーロッパ公演の前座を務めたことがある。担当したのは冒頭10公演で、バンドはこの区間に自分たちで「Rayzin' Hell With The Beast」という名前を付けていた。公式サイトのヒストリーは、この帯同で多くの新しい聴き手に届いたと記している。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

ダニエル・ツィマーマンが14年ぶりにドラム・セットを降りたのは2011年1月で、公式サイトは円満な脱退だったとしている。後任にはミヒャエル・エーレが入った。FIREWINDとLove.Might.Killで叩いていた人物である。ツィマーマンは1997年2月の加入以来ずっと在籍していたので、この交代は長く固定されていた編成が動いた数少ない場面だった。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

『Skeletons & Majesties Live』は、一夜の記録ではない。本編は2011年4月29日、スイス・プラテルンのZ7で録られた約2時間の公演だが、DVDとBlu-rayに付く6曲のボーナスは、その前日にドイツ・ボーフムのZecheで収録された別ヴァージョンである。ミヒャエル・キスケは「Time to Break Free」「A While in Dreamland」、そしてハンセンがHELLOWEEN時代に書いた「Future World」の3曲で歌っている。

出典: GAMMA RAY 公式サイト バンド・ヒストリー

2024年4月の中南米ツアーには、ヘンヨ・リヒターとミヒャエル・エーレがどちらも参加できなかった。公式発表によると、リヒターは3か月ほど前に自動車にはねられて肋骨などを折り、回復は進んでいたものの、医師から完治まで飛行機に乗らないよう言われていた。エーレのほうは虫垂の手術後に経過がすぐれず、再手術と6週間の安静が必要になっていた。代役はギターがカスペリ・ヘイッキネン、ドラムスがイタリア出身のセッション・ドラマー、ミケーレ・サンナ。ヘイッキネンがリヒターの穴を埋めるのは10年以上ぶり2度目だった。

出典: GAMMA RAY 公式サイト ニュース(earMusic)