FIREHOUSE TRIVIA

Trivia

FIREHOUSE が公式サイトに並べている実績は具体的である。ゴールドおよびプラチナ・ディスク16枚、全世界で700万枚を超える売上、ビルボード Hot 100 のトップ5ヒットが2曲、トップ25が4曲、トップ100が7曲。加えてアメリカン・ミュージック・アワードの受賞、ASCAP ソングライターズ・アワードの2度の受賞、そして「Love of a Lifetime」がウェディング・ソングの1位に選ばれたこと。同サイトは活動年数を「35年以上」とし、楽曲がテレビ、劇場公開映画、ビデオゲームで使われてきたことも挙げている。

出典: FIREHOUSE 公式サイト

FIREHOUSE の代表曲「Love of a Lifetime」は、バンドがまだ存在しない時期に書かれている。C.J. スネアが Songfacts の取材で語ったところによれば、当時の彼はキーボードとドラム・マシンを相手にホテルのラウンジでソロの仕事をしていた。ある晩、自分の出番が終わった後にラウンジへ戻り、ただで飲めるビールを楽しみながらこの曲をまとめたのだという。しかも彼自身は、その時点で歌詞にあるような「一生の愛」に出会っていなかった。いい理想だと思ったし、書くには面白い題材だと思っただけだ、と彼は述べている。

出典: Songfacts インタビュー(C.J. スネア)

その「Love of a Lifetime」は、危うくアルバムに入らないところだった。C.J. スネアが Songfacts の取材で明かしたところによれば、彼はこの曲をフェンダー・ローズで作って米国議会図書館に著作権登録までしていたが、ジョン・ボン・ジョヴィに聴かせたところ、その曲はしまっておけ、キャリアを台無しにする、と言われたのだという。彼はそれに従い、代わりに別の曲を書いてデモに入れ、そのデモで Sony Music と Epic Records との契約を得た。バンドのメンバーにさえこの曲の存在を伏せていたのは、そういう経緯である。

出典: Songfacts インタビュー(C.J. スネア)

「Love of a Lifetime」がようやく世に出たのは、アルバムが完成した後のことだった。Songfacts によれば、レコーディングを終えた段階でレーベル側は、収録したパワー・バラード「Midnight Fantasy」に満足しておらず、外部の作家を入れて手伝わせてはどうかと持ちかけてきた。そこで C.J. スネアが、自分にはもう1曲ある、と切り出す。バンドの他のメンバーは何のことか分からない顔をしていたという。出てきたのがまさにレーベルの求めていたもので、レコード会社はこの曲を気に入り、結果としてバンド最大のヒットになった。

出典: Songfacts「Love of a Lifetime」

「Love of a Lifetime」の作曲クレジットには、実際には書いていないビル・レヴァティの名前も並んでいる。C.J. スネアが Songfacts の取材で説明したところによれば、二人のあいだにはビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーに似た取り決めがあり、どちらが書いたかにかかわらずクレジットと収入を等分していた。この曲についてスネアは、たった1か月分で6桁の印税小切手を受け取ったことを覚えていると述べ、レヴァティにも同額が渡ったと語っている。彼はレノンとマッカートニーと比べるつもりはまったくない、と断ったうえでこの話をしている。

出典: Songfacts「Love of a Lifetime」

1995年の「I Live My Life for You」は、C.J. スネアが当時の妻を思って書いた曲である。取材で彼は、朝5時に目が覚めて彼女を念頭に書いたと語っている。二人はのちに別れており、Songfacts はその皮肉——彼女は結局「一生の愛」ではなかった——にも触れている。1995年のチャートは R&B/ヒップホップとメロディックなポップが占めており、POISON や MÖTLEY CRÜE といった同時代のバンドとそのバラードは人気を失っていた。その中でこの曲は全米26位まで上がり、3作目からの最大のヒットになった。スネアはこの結果を、思いがけないことだったと述べている。

出典: Songfacts「I Live My Life for You」

ラジオで知られた曲だけを聴いていると、FIREHOUSE のライヴは想像より重い——C.J. スネアは Songfacts の取材でそう述べている。彼が挙げたのは「Shake and Tumble」「Reach For The Sky」「Hold Your Fire」といった曲で、「Love of a Lifetime」「When I Look Into Your Eyes」「I Live My Life for You」で知られる姿とはかなり違うのだという。彼自身の出発点もそちらに近い。最初に好きになった音楽も最初に組んだバンドもヘヴィ・メタルで、影響を受けた歌い手として彼が名を挙げたのは、ロブ・ハルフォード、ブルース・ディッキンソン、そして SCORPIONS のクラウス・マイネだった。メロディと曲作りを学んだのはその系譜だ、と彼は語っている。

出典: Songfacts インタビュー(C.J. スネア)

FIREHOUSE は、1992年のアメリカン・ミュージック・アワードで「Favorite Heavy Metal/Hard Rock New Artist」を受賞している。Blabbermouth はこの受賞について、NIRVANA と ALICE IN CHAINS を抑えての選出だったと書いている。C.J. スネア自身も後年の取材でこの受賞に触れており、自分たちはハード・ロック/ヘヴィ・メタルのバンドとして出発したのだと語る文脈でこれを挙げていた。バンドの公式サイトも、実績として American Music Awards の受賞を掲げている。

出典: Songfacts インタビュー(C.J. スネア)

C.J. スネアの体調が最初に崩れたのは、亡くなる2年半ほど前だった。ビル・レヴァティが2025年の取材で語ったところによれば、ミルウォーキーの公演中にスネアが彼のところへ来て、こんなに具合が悪いのは初めてだと告げた。それでも彼はショウを最後までやり切っている。休みに入って救急外来に行くと腸閉塞が見つかり、摘出手術を受けた。手術の2週間後には歌に戻っていたという。その際の検査結果は非常に悪いものだったが、本人は公にしないでほしいと望んだ。その後12時間におよぶ大手術も受け、そこからも6週間で歌に戻っている。傷跡は25センチほどあったが、見ていて分からないほどだった——それがあの人の頑丈さだ、とレヴァティは述べている。

出典: Blabbermouth.net

ネイト・ペックの名前を FIREHOUSE に伝えたのは、JACK RUSSELL'S GREAT WHITE のロビー・ロクナーだった。ビル・レヴァティが2025年の取材で語ったところによれば、公演が多く入っているなら代役が要るかもしれない、この男を見てみろ、と勧められたのだという。レヴァティは『American Idol』を観ておらず彼を知らなかったが、ペックのInstagramを開くと、名だたる歌い手の曲を弾き語りで、しかもすべて生で歌い切っていた。電話をかけて、C.J. は7月には戻る予定だがそれまで代役をやってくれないかと頼むと、ペックは快諾した。彼は FIREHOUSE の曲を「Love of a Lifetime」しか知らず、リハーサルは一度も行われなかった。初日となった New England Rock Fest では長めのサウンドチェックだけで本番に臨み、緊張しながらも歌い切ったという。その映像を見た C.J. スネアは、レヴァティにこう伝えた——彼が君の探している人物だ、と。

出典: Blabbermouth.net

C.J. スネアは2024年4月5日の夜、自宅で亡くなった。64歳だった。娘のヘザーによれば公式の死因は心停止である。バンドは4月7日にSNSで声明を出し、ロックンロールにとって悲しい日だと書き出したうえで、創設メンバーであり、ロックンロールの戦士であり、リード・ヴォーカリストであった兄弟を失ったと述べた。声明は、彼が世代を代表する声の持ち主の一人であり、34年にわたって FIREHOUSE として絶え間なく世界を回ってきたことに触れ、最後は自身の曲名を借りて「Reach for the Sky」と彼に呼びかけている。ファンにはすでに、この夏には手術から回復してステージに戻る予定だと伝えられていた。

出典: Blabbermouth.net

C.J. スネアの死から8日後、残されたメンバーはテネシー州グリーンヴィルの Niswonger Performing Arts Center で彼を追悼する公演を行った。2024年4月13日、遺族の同意を得ての開催である。この日、スネアの伴侶キャサリン・リトルと娘のヘザーが客席ではなくステージに立った。ヘザーがリード・ヴォーカルを取ったのは「Here For You」——C.J. スネアが、彼女がまだ2歳だった頃に彼女のために書いた曲だった。ヘザーはフロリダを拠点とするカヴァー・バンド AUDIO EXCHANGE のシンガーである。

出典: Blabbermouth.net

FIREHOUSE は今も毎晩の公演で C.J. スネアに1曲を捧げている。ビル・レヴァティが2026年の取材で説明したところによれば、その曲は「Home Is Where The Heart Is」で、彼とスネアが最初に一緒に書いた曲の一つであり、スネア自身がとても気に入っていた曲でもある。天国が彼を家に連れ帰ったのだと自分たちは考えている——だから毎晩、この曲は彼に向けたものだと告げてから演奏する、というのがレヴァティの説明である。

出典: Blabbermouth.net

2作目のシングル「Midnight Gasoline」は、ビル・レヴァティが何年もサウンドチェックで弾いていたリフから生まれた。2026年の取材で彼が説明したところによれば、サウンドチェックはドラム、ベース、各人のヴォーカル・マイクと進み、最後にPA担当がリズム・ギターを聴きたがる。その順番が回ってきたときに彼がずっと弾いていたのがこのリフだった。ネイト・ペックがそれを聴いて、これで何かやろうと言い出す。レヴァティが録音してメールで送ると、返ってきたのが「Midnight Gasoline」という題名だった。25歳でよくこの題名が出てきたものだ、と彼は驚いている。曲はそこからメールのやり取りで形になった。

出典: Blabbermouth.net

FIREHOUSE は新曲をストリーミング・サービスに出さず、自分たちのサイトで1曲1ドルで売っている。ビル・レヴァティが2026年の取材で説明したところによれば、そうすればファンは購入という形でバンドを支えられる。いずれ配信にも出すつもりだが急いではいない、というのが彼の言い方である。理由も率直で、配信になると自分たちのところにはほとんど落ちてこない——それが今の音楽業界だ、と彼は述べている。自分たちは金持ちになろうとしているのではなく、レコーディング費用と、移動の飛行機代と、次の場所まで走る車のガソリン代をまかなえるだけの収入があればいい、というのが彼らの立場である。

出典: Blabbermouth.net

FIREHOUSE の代表曲を自分の歌で録り直す話はないのか——2026年の取材でそう問われたネイト・ペックは、そういう話はないと思うと答えたうえで、あれは C.J. スネアのものであるべきだと述べた。自分がやること自体に抵抗はないしバンドが決めることだが、C.J. への敬意として、あのままにしておくのが安全だと思う、というのが彼の言い方である。旧曲を歌うときの姿勢についても彼は、かつて歌われていたとおり、あるいはアルバムで聴こえるとおりに歌うことを心がけていると語った。皆が覚えているのはその形であり、それが初めて聴いた場所や時のことを呼び戻すからだ、という理由である。

出典: Blabbermouth.net

デビュー作からの先行シングルは「Love of a Lifetime」ではなかった。Songfacts によれば、最初に切られたのはアップテンポの「Don't Treat Me Bad」で、1991年6月に全米チャートで19位に入っている。次に出た「Love of a Lifetime」がそれを上回り、同年9月に5位まで上がってバンド最大のヒットとなった。C.J. スネアは「Don't Treat Me Bad」がゴールド・ディスクになったことにも触れ、当時それは制作費を回収したという意味だったと述べている。

出典: Songfacts「Love of a Lifetime」

「All She Wrote」は、耳にした一言から逆算して作られた曲である。C.J. スネアが Songfacts で語ったところによれば、誰かが「and that was all she wrote」と口にするのを聞いた瞬間に発想が灯り、彼はそこから物語を後ろ向きに書いていった。この言い回しはもともと「それで終わり」という意味だが、彼はそれを文字どおりに取って、彼女が置いていった別れの手紙にした——帰宅してそれを見つけた男は、そうなることに気づいていて当然だった、という構成である。この曲はデビュー作から4枚目、最後のシングルになった。

出典: Songfacts「All She Wrote」

「Don't Treat Me Bad」は、特定の誰かについての曲ではない。C.J. スネアが Songfacts の取材で語ったところによれば、彼はピアノに向かってあのコード進行を思いつき、1番のヴァース、ブリッジ、コーラスまで作ってからバンドに持ち込んで、残りを——主にビル・レヴァティと二人で——固めていった。ピアノで弾くと、完成したギターの音とはまるで違って聞こえたという。彼はこの曲について、自分の書いたものには実体験に基づくものとまったくの創作とが混在しており、これは後者だと述べている。

出典: Songfacts「Don't Treat Me Bad」

デビュー作『FireHouse』のジャケットに描かれているのは、燃えさかる家を背にして手前でマッチをくすぶらせている女性である。Songfacts はこの絵柄を、同作の「Don't Treat Me Bad」が打ち出そうとした、危うい女性像の延長として説明している。マーク・レジカが監督したミュージック・ビデオでも、バンドのライヴ映像に、男の持ち物を破壊していく女性の場面が挟み込まれていた。バンド名がそもそも「消防署」を意味することを思えば、燃える家の絵柄はジャケットとして念入りな冗談でもある。

出典: Songfacts「Don't Treat Me Bad」

2作目『Hold Your Fire』の「When I Look Into Your Eyes」は、意図してもう一度同じことをやった曲である。Songfacts によれば、C.J. スネアとビル・レヴァティは2作目の曲作りに入る際、デビュー作の大ヒット「Love of a Lifetime」に似たものを書こうとした。スネア自身も取材で、もう1曲バラードが必要だ、という話から二人で作ったと認めており、特定の誰かについての曲ではないと述べている。狙いどおり、この曲も大きなヒットになった。

出典: Songfacts「When I Look Into Your Eyes」

C.J. スネアには、曲の作り方について自分でも気づいていなかった癖があった。Songfacts の取材で彼が明かしたところによれば、彼はいわゆるフックの一行をコーラスの冒頭に置き、終わりでも同じ言葉で締め、さらにコーラス以外の場所でももう一度繰り返す。聴き終えた人が「あの曲、何だったっけ」とならないためだという。この規則性を指摘したのは、彼のもう一つのバンド RUBICON CROSS のギタリスト、クリス・グリーンだった。以来グリーンは彼を「キャプテン・フック」と呼ぶようになったという。意図してやっていたわけではなく、画家が筆の運びを持つのと同じようなものだ、と彼は説明している。

出典: Songfacts インタビュー(C.J. スネア)

2023年9月26日、C.J. スネアは腹部の手術を受けるため、しばらくステージを離れることをSNSで告げた。医師の指示によるもので、いくつかの公演は延期・振替となり、残る公演は代役のシンガーを立てて行われることになった。彼はファンに向けて、自分が戻るまでのあいだも FIREHOUSE を観に行って盛り上がってほしいと書いている。この時点で公表されたのは手術のことだけで、代役の名前もまだ伏せられていた。

出典: Blabbermouth.net

C.J. スネアの死は、バンドにとって予期しないものだった。ビル・レヴァティが2025年の取材で語ったところによれば、スネアは2024年7月に復帰する予定で、まず1〜2曲歌ってネイト・ペックを紹介し、何曲か一緒に歌ってから休憩し、アンコールに戻ってくる——体力に合わせてできる範囲でやればいい、という段取りまで話し合われていた。レヴァティが最後に電話で話したのは亡くなる前日で、そのときスネアは体重が戻りつつあり調子は上向きだと話していたという。翌日、テキサスの空港で乗り継ぎ中に訃報の電話を受けたレヴァティは、その場にメンバーを集めて伝えた。誰も予期していなかった、と彼は述べている。

出典: Blabbermouth.net

ネイト・ペックが FIREHOUSE に正式加入したのは2024年5月である。彼は2023年に『American Idol』シーズン21でゴールデン・チケットを得た人物で、C.J. スネアが不在だった半年ほどのあいだ、スネア本人の全面的な了解のもとで代役を務めていた。バンドとして彼を迎えて最初の音源となったのが、2025年5月に発表されたシングル「Mighty Fine Lady」である。バンドがスタジオ・アルバムを出したのは2011年の『Full Circle』が最後で、しかもそれは旧曲の再録音を含む作品だった。新曲だけのアルバムとなると2003年の『Prime Time』まで遡る。

出典: Blabbermouth.net

「Midnight Gasoline」でビル・レヴァティが最も評価しているのは、ドラムのマイケル・フォスターである。2026年の取材で彼は、これはフォスターの生涯最良の演奏だと思うと述べ、録音物としても生の演奏者としても彼は良くなり続けていると語った。フォスターは近所に住んでいるため、あのフィルを変えたいと言っては来て直し、納得のいく形にできたという。ドラマーが満足していれば曲はグルーヴする、というのがレヴァティの持論である。ベースとコーラスはアレン・マッケンジーが自宅スタジオに来て録音した。曲の中間部は、大陸を横断する二人連れという物語がふと不穏になる場面として作られている。

出典: Blabbermouth.net

アルバムではなくシングルを1曲ずつ出していく方針について、ネイト・ペックは2026年の取材で自分の考えを述べている。まとめて大きなものを投げるより、シングルを出し続けるほうが聴き手の関心を保てる——3曲聴いた時点で離れてしまうより、もっと聴きたいと思わせておくほうがいい、というのが彼の言い分である。アルバム1枚分の曲が溜まるまでシングルで出すのが賢いやり方だと思う、とも語った。ビル・レヴァティの側も同じ時期の取材で、「Midnight Gasoline」が2曲目で、これから3曲目に取りかかり、あと7曲でCDになる、と説明している。

出典: Blabbermouth.net

C.J. スネアの死から2年が経った時点で、「C.J. がいないなら FIREHOUSE ではない」という声を聞くかと問われたビル・レヴァティは、少しはある、と認めている。そのうえで彼は、ネイト・ペックをきちんと聴いた人なら、彼は曲によく仕えている、どの曲も見事にこなしていると言うはずだと述べた。多くの人が期待するあの声質を彼は自然に持っている、というのが彼の見方である。実際にペックを聴く機会を得た後でそう言う人はごくわずかだ、とも彼は付け加えた。

出典: Blabbermouth.net

FIREHOUSE のいわゆるクラシック・ラインナップは、C.J. スネア(ヴォーカル)、ビル・レヴァティ(ギター)、マイケル・フォスター(ドラム)、ペリー・リチャードソン(ベース)の4人である。Blabbermouth によれば、リチャードソンは2000年にバンドを離れ、2003年にアレン・マッケンジーが後任として加わった。Blabbermouth は2023年の時点でこのバンドを、結成から40年近くになると書いている。

出典: Blabbermouth.net