EXTREME TRIVIA
Trivia
エクストリームという名前は、前身バンドの名を捨てるところから来ている。Songfacts の Artistfacts によれば、ゲイリー・シェローンたちがボストンで組んでいたバンドは The Dream を名乗っており、ヌーノ・ベッテンコートとパット・バッジャーが加わる直前に Extreme へ改名した。同ページはこの綴りを「ex-Dream(元 The Dream)」の言葉遊びとして説明している。
全米1位となった「More Than Words」は、ポーチにギターを持って座っている数分のあいだに出来ている。ヌーノ・ベッテンコートは Songfacts の取材で、5分から15分ほどのあいだに全部がいっぺんに降りてきたと語り、そのまま室内のゲイリー・シェローンのところへ持ち込んで歌詞を組み立てたと説明している。彼は続けて、速く出てこない曲は手を止めてしまうとも述べた。良い曲はいつもこうやって速く来る、というのが本人の実感である。
1992年4月20日、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで開かれたフレディ・マーキュリー追悼コンサートに、エクストリームはメタリカに続く2番目の出演者として立った。Songfacts の記述では、彼らはクイーンのメドレーと「More Than Words」を演奏し、ゲイリー・シェローンはのちにトニー・アイオミとクイーンの3人に加わって「Hammer To Fall」を歌っている。シェローン本人によれば、話はブライアン・メイとの食事の席で持ちかけられた。当時バンドは『III Sides to Every Story』を録音中で、その足でスタジオに戻ってクイーンのCDを引っ張り出し、メドレーの構想をヌーノ・ベッテンコートと詰めたという。彼はこの日をエクストリームの頂点だったと語っている。
その「Rise」のギター・ソロを録っていた当日、エディ・ヴァン・ヘイレンが予告なくヌーノ・ベッテンコートを訪ねてきている。Loudwire が伝えた SiriusXM「Hair Nation」での本人の話によれば、録音中は誰の連絡も受けないのが彼の流儀で、その日はゲイリー・シェローンから何度も着信があっても無視していた。玄関まで来いと繰り返す文面に折れて降りてみると、外に立っていたのがエディだった。エディは新作を聴きたがったが、ヌーノは仕上げてから聴かせたいと断り、エディはまた来ると言って帰っていった。その再訪はついに実現しなかった。時期について本人は2019年ごろと振り返り、あのとき聴かせなかったことを今も悔やんでいると述べている。
ビクターエンタテインメントの作品ページを見ると、日本盤『SIX』の邦題は『シックス』で、収録は全13曲。12曲目の「ヒアズ・トゥ・ザ・ルーザーズ(HERE'S TO THE LOSERS)」までが本編で、13曲目に「ライズ(ラジオ・エディット)」が日本盤ボーナス・トラックとして加わる。日本盤の特徴は曲目にも出ており、「バンシー」「アザー・サイド・オブ・ザ・レインボウ」「シッカー・ザン・ブラッド」というように、全曲に原題とカタカナ表記が併記されている。
『SIX』の日本盤は、世界に先んじて2023年6月7日に発売された。激ロックの記事によればこれは日本先行リリースで、日本盤にはシングル「RISE」のラジオ・エディット・バージョンがボーナス・トラックとして加えられている。国内盤の品番は VICP-65611、発売はビクターエンタテインメント、価格は2,970円(税込)。同記事はまた、VICTOR ONLINE STORE 限定のTシャツ付きバンドルが用意され、先着購入特典としてメンバー全員の直筆サイン入りポストカードが付いたことも伝えている。
2012年4月の来日公演で、エクストリームは『Pornograffitti』を全曲そのまま演奏している。BARKS の告知によればこれは4年ぶりの来日で、この傑作の完全再現は初めての試みとして紹介された。会場は東京ドームシティホールの2日間となんばHatch。メンバーはヌーノ・ベッテンコート、ゲイリー・シェローン、パット・バッジャー、ケヴィン・フィゲイレドの4人だった。
2023年秋の<EXTREME THICKER THAN BLOOD TOUR 2023>は、約7年ぶりの日本ツアーとなった。当初は9月17日の宮城・SENDAI GIGS から26日の大阪・Zepp Namba までの5都市5公演として発表されたが、東京・昭和女子大学 人見記念講堂と東京・Zepp Haneda の追加が重なり、最終的に計7公演となる。BARKS は6月の時点で、関東エリアの3公演のチケットがすでに完売していたと伝えている。
1985年の結成から『SIX』までの間に、エクストリームが発表したスタジオ・アルバムは6枚しかない。その少なさについてヌーノ・ベッテンコートは、オーストラリアの『HEAVY』誌の取材で理由を語っている(BARKS が伝えた)。リリースするからには理由がなければならない、その理由とは、みんなと分かち合うに値するものを作れたということでなければならない、という考えである。彼はごく若いころにゲイリー・シェローンへ、出すこと自体を目的に音楽は出さないと伝えたという。アルバムを出せばツアーが回って収入になるのだから金銭的には賢くない選択だと認めたうえで、本当に誇れる作品でなければ出さない、と述べている。
15年ぶりのアルバム『Six』は、ロサンゼルスにあるヌーノ・ベッテンコートの自宅スタジオで録音された。公式サイトに掲載された本人の言葉によれば、この作品の音を決めたのはエディ・ヴァン・ヘイレンの死である。自分がその座を継ぐわけではない、しかしギターという楽器を生かし続ける責任のようなものを感じた——だからこのレコードには火が入っている、と彼は説明している。ゲイリー・シェローンの側は、誰かと競うつもりはないが自分たちを超えたい、という言い方で同じ姿勢を語っている。
『Six』に収められた「Hurricane」は、実在の友人に向けて書かれている。公式サイトに載ったヌーノ・ベッテンコートの説明によれば、ツアー中にバイクの事故で亡くなったジョン・マーティンという親しい友人のことを歌った曲である。人を失えば打ちのめされ、時間が経てば静まりはするが、痛みが消えることはない——彼はそう述べている。ゲイリー・シェローンはこの曲を、ギター・ヒーローと見られがちなヌーノがまず作曲家であることの表れとして挙げ、収録は当然だったと語っている。
「More Than Words」がどこまで届いたかは、公式サイトの紹介文に数字で書かれている。ストリーミング再生は5億回を超え、YouTube の再生回数は6億3300万回に達したとされ、いまなお最も広く聴かれているロック曲の一つに数えられる。映画『寝取られ男のラブ★バカンス』で使われ、『ザ・トゥナイト・ショー』ではジミー・ファロンとジャック・ブラックがカバーしたうえ、あの象徴的なミュージック・ビデオまで作り直してみせた。The Piano Guys や Frankie J によるカバーもある。同じ紹介文はまた、RAGE AGAINST THE MACHINE のトム・モレロ、クイーンのブライアン・メイ、ジョン・メイヤーらが公然とエクストリームを称えてきたことにも触れている。
『Six』について、ヌーノ・ベッテンコートは公式サイトで面白い予防線を張っている。エクストリームのアルバムは2曲や3曲を聴いた印象では計れない、それはこれまでの全作品に言えることで、本当のファンは「予想外を予想する」ことを知っている——そのうえで彼はこの作品を「Extreme 2.0」と呼ぶ。ゲイリー・シェローンの側は、アルバム全体としてのまとまりを強調している。締めくくりの「Here's To The Losers」については、自分たちに書けるアンセムに最も近い曲だが、舌はしっかり頬の内側に入っている、と彼は言う。なお公式サイトは、バンドの総売上を1000万枚、Spotify の月間リスナーを平均500万人超としている。
一方で、同じ Songfacts のヌーノ・ベッテンコート取材ページに添えられた解説は、別の理由を挙げている。プリンスからレッド・ツェッペリンまで、影響を受けた音楽の幅が極端に広かったからこの名を選んだ、というものだ。どちらが正しいかを決められる資料は確認できていないので、当サイトでは二つの説明をそのまま並べておく。なお同じ解説は、1995年に始まった X Games が初年度だけ「Extreme Games」と呼ばれていたことにも触れている。
バンドの最初の突破口はレコード契約ではなく、地元のテレビ局だった。1985年、ゲイリー・シェローン、ポール・ギアリー、ハル・ルボー、ピーター・ハント、ポール・マンゴーニの5人が The Dream として、ボストン周辺で「Mutha (Don't Wanna Go To School Today)」を演奏していた。当時のボストンには UHF 帯に音楽ビデオ専門局 V66 があり、家族や友人を出演させて自主制作した映像を送ったところ、繰り返し放映される。同じ映像を MTV の未契約アーティスト番組『Basement Tapes』にも送ったところ視聴者投票で優勝し、全米規模の注目を得た。
現在まで続く編成が固まったのは、その1年後である。Songfacts によれば、1986年にギタリストのヌーノ・ベッテンコートがハル・ルボーとピーター・ハントに代わって加入し、ベースはポール・マンゴーニからパット・バッジャーに交代した。以後もボストンのクラブを回り続け、1987年に A&M Records と契約。デビュー作『Extreme』が出たのは1989年で、V66 に送った「Mutha」もそこに収められている。ただしシングルとしての反応は「Play With Me」や「Kid Ego」の方が大きかった。
エクストリームはボストンで結成されたバンドだが、ヌーノ・ベッテンコートの生まれはポルトガルで、Songfacts の Artistfacts によれば4歳のときにボストンへ移っている。公式サイトの紹介文も彼らを「ボストンの4人組」と呼び、この土地との結び付きを前面に出す。同じ紹介文には、AEROSMITH の前座としてフェンウェイ・パークをソールドアウトにしたという記述もある。
「More Than Words」と「Hole Hearted」のミュージック・ビデオは、いずれもジョナサン・デイトンとヴァレリー・ファリスの夫婦監督が撮っている。二人は後年、映画『リトル・ミス・サンシャイン』(2006年)を監督することになる。「More Than Words」のクリップは曲そのものに注意を向けさせるためモノクロで簡素に作られ、スタジオに腰かけたヌーノ・ベッテンコートとゲイリー・シェローンの二人しか映らない。その結果、エクストリームをデュオだと思い込んだ視聴者が少なくなかった。実際には4人組である。
続くヒット「Hole Hearted」の成り立ちを、ヌーノ・ベッテンコートは Songfacts で自分から明かしている。アルバムがほぼ仕上がった頃、初めて手にした12弦ギターがスタジオに届き、箱から出して最初に弾いたのがあの冒頭のコードだった。そして彼は、それをトイレで書いたと語っている。新しい12弦に興奮したせいで席を立ちたくなり、腰を下ろしたら曲の方が出てきた、という順序である。当時は『Led Zeppelin III』をよく聴いており、そのアコースティックな感触を借りたとも述べている。
「Get The Funk Out」でゲイリー・シェローンに掛け合いで応じている声は、カナダのギタリスト、パット・トラヴァースのものである。ギターではなくヴォーカルでの参加だが、同じ『Pornograffitti』の「Song For Love」ではフレットレス・ベースを弾いている。曲を押し出すホーン・セクションを編曲したのはランディ・バダズで、ハーブ・アルパートの甥にあたる。クレジット上の名義は「L'il Jack Horn Section」で、これはホーン隊が参加したもう1曲「Li'l Jack Horny」から取られている。
『Pornograffitti』の「He-Man Woman Hater」は長いギター・イントロで始まるが、そこを弾いているのはヌーノ・ベッテンコートではない。フランク・ザッパの息子ドゥイージル・ザッパである。この導入部には「Flight Of The Wounded Bumble Bee」という別題が付いており、クラシックの「熊蜂の飛行」を下敷きにしている。曲名そのものは、往年の短編喜劇『ちびっこギャング』に出てくる「He-Man Woman Haters Club」から取られたものだ。
『Pornograffitti』は最初から設計された組曲ではなく、書いているうちにゆるやかなコンセプト作になっていった——ゲイリー・シェローンは Songfacts の取材でそう説明している。冒頭の「Decadence Dance」は序曲にあたり、少年が家を出て退廃的な世界に触れ、無垢を失っていくという主題を提示する。曲が母親の「Francis, be careful!」という叫び声から始まるのはそのためで、フランシスがこの物語の主人公の名である。終盤の「He-Man Woman Hater」は、その少年が旅の途中の行いと、本当に愛した相手を突き放したことに折り合いをつけようとする場面にあたる。
いま代表曲とされている2曲は、シングルとしては後回しにされたものだった。『Pornograffitti』の先行シングルは「Decadence Dance」で不発に終わり、続く「Get The Funk Out」も伸びなかった。3枚目に切られたアコースティックのバラード「More Than Words」がここで全米1位に達し、次いで「Hole Hearted」もヒットする。公式サイトの記載では「Hole Hearted」はビルボード Hot 100 の4位、アルバムはビルボード200のトップ10に初登場し、のちにダブル・プラチナに認定された。ハード・ロック・バンドとしての実像とヒット曲の印象がずれたのは、この順序が原因である。
『III Sides to Every Story』は「Yours」「Mine」「The Truth」の三部構成を取り、最後の「The Truth」は〈Everything Under The Sun〉という約22分の管弦楽組曲になっている。Songfacts によれば、この部分の録音には70人編成のオーケストラが起用され、ロンドンのアビー・ロード・スタジオで行われた。組曲は「Rise 'n Shine」「Am I Ever Gonna Change?」「Who Cares?」で構成される。「Am I Ever Gonna Change?」の4分あたりに入るラテン語の語りは、カトリックの司祭が告解の締めくくりに唱える赦しの言葉で、アルバムのライナーノーツによれば Dr. Edward de R. Cayia が声を当てている。
「Peacemaker Die」で歌われる「平和をもたらす者」は4人いる。ゲイリー・シェローンは Songfacts の取材で、2つのヴァースの各連がそれぞれガンジー、イエス、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、そして「銃を持つのは自分だ」という一節で示されるジョン・レノンを指すと説明している。曲にはキング牧師の「I Have A Dream」演説の一部が使われており、その許諾はシェローン自身がマーティン・ルーサー・キング三世に電話をかけて取り付けた。曲名から「平和主義者を殺せ」と誤解されないかを気にされ、少し話し合いになったが、最後は了承を得たという。キング家が演説の使用を認めるのは異例で、Songfacts によれば LIVING COLOUR は「Cult of Personality」での使用を断られている。
「Rest in Peace」は湾岸戦争のさなかに書かれている。ヌーノ・ベッテンコートは Songfacts の取材で、ホワイトハウスの前で「MAKE LOVE, NOT WAR」と書かれたプラカードを掲げる人たちを見ていたと述べ、戦争はそれほど単純ではない、自分の国が侵略されるまでは誰も戦争を望まない、と考えたことが出発点だったと説明している。戦争を愛しているわけではないが、あの標語で片づく話でもない、というのが曲の立場である。冒頭のリフについては、ジミ・ヘンドリックスへの目配せをまったく隠していないと本人が認めている。
エクストリームが活動を止めていた期間、ゲイリー・シェローンは1996年から1999年までヴァン・ヘイレンのシンガーを務めた。在籍中に発表されたアルバムは『Van Halen III』1枚である。収録曲「How Many Say I」はエディ・ヴァン・ヘイレンが自らリード・ヴォーカルを取った唯一の曲として知られるが、その経緯はシェローンが Songfacts で語っている。彼が数日かけて書いていた歌詞を、肩越しに覗いたエディが「もらっていいか」と持ち去り、翌朝にはピアノで歌える形にして戻ってきたという。歌うことに乗り気でなかったエディを説得したのはシェローンの側だった。
2023年、15年ぶりの新曲としてリリースされた「Rise」で最も話題をさらったのは、曲そのものよりヌーノ・ベッテンコートのギター・ソロだった。Louder の記事によれば、Guitar World 誌はこれを21世紀最高のソロの一つに挙げ、YouTube の Rick Beato は真似すると腱鞘炎になりかねないと(賞賛として)警告した。ブライアン・メイ、ジャスティン・ホーキンス、TOTO のスティーヴ・ルカサー、DEF LEPPARD のフィル・コリンが揃って称え、コピーに挑んで指を痛めたアマチュアが世界中に現れた。本人の受け止めは正反対で、Classic Rock 誌には、40年近く自分はそれなりのソロを弾いてきたのだから騒がれた理由はソロの出来だけではないはずだ、と語っている。アルバムに向かう際にマネージャーへ告げた狙いは、技術ではなく高揚と喜びの側からギターを取り戻すことだった。
デビュー作の「Play With Me」は、モーツァルトの「トルコ行進曲」を強引に加速させたイントロで始まる。この曲は1989年の映画『ビルとテッドの大冒険』で、現代に迷い込んだモーツァルトがショッピングモールの楽器店でキーボードを弾く場面に使われた。さらに Netflix『ストレンジャー・シングス』シーズン4の第1話にも登場している。ただし Songfacts が指摘するとおり、このシーズンの舞台は1986年で曲の発表は1989年——時代設定とは合っていない。ヌーノ・ベッテンコートは曲の下敷きについて、当時よく聴いていた KIX の感触だと述べている。
エクストリームの曲が思わぬところに残っていることを、ヌーノ・ベッテンコートはグラミー賞のサウンドチェックで知った。Songfacts の取材で語ったところによれば、会場でエド・シーランの方から声をかけられ、ギターで2曲目に覚えたのがエクストリームの曲だったと打ち明けられた。ヌーノは当然「More Than Words」だろうと思ったが、返ってきた答えは「Cupid's Dead」。シーランはその場で実際に弾いてみせ、ステージにいたジョン・メイヤーも加わって、周囲が急に「Cupid's Dead」を弾き始めたという。
2009年からヌーノ・ベッテンコートはリアーナのツアー・ギタリストを務めている。Songfacts の取材で本人が語ったところでは、話を受けたとき彼はまず「あなたの曲にはギターがほとんど入っていない」と伝えたが、先方の返答は、だからこそもう少しロックさせたいのだ、というものだった。エクストリームと同じ機材、同じ弾き方で臨めるのが面白いという。グラミー賞ではポール・マッカートニーの隣に立ち、数日間のリハーサルをともにしている。2023年のスーパーボウルのハーフタイム・ショーにも彼女のバンドとして出演した。
ドラマーだけが替わり続けたバンドでもある。Songfacts の Artistfacts が挙げる在籍期間では、ポール・ギアリーが1985年から1994年まで、マイク・マンジーニが1994年から1996年まで、そして再始動後のケヴィン・フィゲイレドが2007年から現在まで叩いている。一方でゲイリー・シェローン(ヴォーカル)、ヌーノ・ベッテンコート(ギター)、パット・バッジャー(ベース)の3人は、1985年から1996年までと2007年以降の両方を通して変わっていない。
「Hole Hearted」は失恋の歌として広く聴かれてきたが、Songfacts によれば歌の相手は女性ではない。心にあいた穴を埋められるのはただ一人だけ、というときのその一人は神である。ゲイリー・シェローンは信仰の篤いクリスチャンだが、ロックの歌詞ではそれを前面に出さなかった。キリスト教系の媒体に対しては自分の信仰をはっきり語っており、この曲の歌詞は一部を聖書から拝借したのだと冗談めかして述べたこともある。
1995年の『Waiting for the Punchline』は「There Is No God」で幕を開ける。題名に反して神を否定する歌ではない、というのが Songfacts の説明である。ゲイリー・シェローンはキリスト教系の音楽誌 Heaven's Metal の取材で、この曲では宗教と科学を突き合わせ、どちらを信じるにも飛躍が要るという共通点を扱ったと語っている。自分は神を信じるための飛躍を求められる側でよかった、というのが彼の立場だ。題名の出どころについては本人も断定しておらず、雑誌の見出しの言い回しから来たのだろうと述べるにとどめている。
デビュー作の「Rock A Bye Bye」は、ゲイリー・シェローンの信仰に沿って中絶に反対する立場から書かれた曲である。題名と歌詞は子守唄「Rockabye Baby」をもじったもので、はるかに激しい内容に置き換えられている。曲の前半はオーケストラで進み、いったん静寂に落ちてから、ヌーノ・ベッテンコートの長いギター・ソロで再開する構成を取る。Songfacts は、この種の主題を正面から扱う曲はエクストリームでも例外的だと付け加えている。
『Pornograffitti』からは「Song For Love」がヨーロッパでシングルとして切られ、イギリスで12位まで上がっている。Songfacts はこの記述にすぐ続けて、その2年後にクイーンのブライアン・メイからウェンブリー・スタジアムへ招かれ、フレディ・マーキュリー追悼コンサートの一角を担うことになったと書いている。アメリカ以外での足場が先にあったことが、あの日の出演につながっている。曲そのものは静かに始まって熱を上げていく構成で、ヌーノ・ベッテンコートのソロで閉じる。
「Rise」は名声の上昇と失墜をめぐる警句として書かれている。ゲイリー・シェローンは Songfacts に対し、夢が叶ったときについて回る落とし穴を扱った曲だと説明した。コーラスは一見すると高揚的で「持ち上げてやる」と歌うが、3行目で「持ち上げてから引き裂く」と続く。新しいリスナーのリアクション動画がその行で戸惑うのを見るのが面白い、とも彼は語っている。同じ主題は1995年の「Hip Today」と2008年の「Star」にも現れる。曲はヌーノ・ベッテンコートがプロデュースし、ミュージック・ビデオも彼が監督した。
エクストリームの曲づくりは長らくゲイリー・シェローンとヌーノ・ベッテンコートの二人が核だったが、2007年の再始動以降は外部の作家を迎えることがある。『Six』ではシンガー・ソングライターのジョーダン・フェレイラが4曲に名を連ね、先行シングルの「Rise」もその1曲だ。シェローンも Songfacts の取材で、バンドが一度解散した1995〜96年ごろから互いに別々に、また他人と書くようになったと述べている。もっとも彼とヌーノの間の進め方自体はほとんど変わっておらず、たいていはギターが先にあって、心が動けば歌詞を書く、という順序だという。
「Banshee」の題は、アイルランドの伝承に登場するバンシーから来ている。死の訪れを告げて夜に泣き叫ぶとされる存在で、多くは長い髪の女性の姿で描かれる。ゲイリー・シェローンはこの曲を、女性という存在の力とその精神への証しだと説明している。作曲にはヌーノ・ベッテンコートとシェローンに加えてベースのパット・バッジャーが加わっており、『Six』の中でバッジャーがクレジットされている唯一の曲である。ミュージック・ビデオはヌーノとルネ・リガルの共同監督。
「#Rebel」の頭に付いたハッシュタグは飾りではない。ゲイリー・シェローンは、自分では何も成し遂げないまま他人を断罪する者たち——彼の言い方では「ハッシュタグの反逆者」——への返答としてこの曲を書いた。彼にはその実感がある。エクストリームがバラードのヒットで誤解されたときの風当たりも受けたが、比べものにならなかったのがヴァン・ヘイレンに加入したときで、Songfacts によれば、デイヴ派とサミー派に分かれて争っていたファンがシェローン批判では一致し、しかもそれをインターネット上で初めて共有できるようになった時期でもあった。ビデオはヌーノ・ベッテンコートの共同監督である。
「Other Side Of The Rainbow」は、『オズの魔法使い』でドロシーが虹の向こうに思いを馳せる場面の主題を引き受けている。ゲイリー・シェローンの歌詞は、傷ついた相手を虹の向こう側へ誘い、愛への信頼を取り戻させようとする側から書かれた。演奏面では、ヌーノ・ベッテンコートがアコースティックで進めてからエレクトリックのソロへ移る構成を取り、そのソロを虹の音としての解釈だと説明している。彼はこれをアルバム中で一番好きなソロだとも述べた。ビデオはヌーノとルネ・リガルの共同監督。
「Thicker Than Blood」の題は、「血は水よりも濃い」という古い言い回しを裏返したものである。血縁がすべてに勝るという元の意味に対し、愛は血縁すら越えうるという読み替えだ。ゲイリー・シェローンはこの曲を部族主義への批判だと説明し、愛こそがそこから抜け出す手段だと述べている。恐れと不安の時代には人は自分の部族に引きこもり、隣人を愛することも見知らぬ他人を愛することも難しくなる——その状態に対する批判だという。彼は Songfacts の取材で、政治的分断が進む現在にも当てはまるが、10年後20年後にも通じるように一般的な書き方を心がけている、とも語っている。
「Thicker Than Blood」の共作者として名を連ねるケヴィン・アントゥネスは、キーボード奏者であり、音楽監督・音響プロデューサー・ミックス・エンジニアとして活動してきた人物である。Songfacts が挙げる彼の仕事先には、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック、ブリトニー・スピアーズ、'N Sync、マドンナ、ジャスティン・ティンバーレイク、シルク・ドゥ・ソレイユが並ぶ。『Six』への関与はこの1曲だけである。またこの曲のアルバムは、ヌーノ・ベッテンコートのプロデュースでロサンゼルスの自宅スタジオに籠って録音された。
『SIX』が出るまでの15年が、はじめから15年の予定だったわけではない。BARKS が伝えたオーストラリアの『HEAVY』誌の取材で、ヌーノ・ベッテンコートは2018年5月の時点で、この時期までにあと2枚か3枚はアルバムがあってよかったはずで、出せていないことに自分たち自身が失望していると語っている。曲は溜まっていて、ほとんど完成に近いものが20〜25あり、その年の秋までに新作を出すのが目標だ、とも述べていた。実際に完成した『SIX』が世に出るのは、そこからさらに5年後の2023年になる。同じ取材で彼は、8年から10年ほど演奏しなかった時期があったこと、それでも続けたいと思わせるのはファンの熱意だということにも触れている。
エクストリームを1987年に迎えた A&M Records について、ヌーノ・ベッテンコートは、ミュージシャンがミュージシャンのために作ったレーベルだったと振り返っている。2023年に共同創業者のジェリー・モスが亡くなったのを受けた Louder の取材で、自分たちを誰よりも歓迎してくれたのは「A と M」——ジェリー・モスとハーブ・アルパートの二人だったと述べた。あるときアルパート本人から、部屋を取ったからジャムしないかと連絡が来たという。行ってみると彼はトランペットを持っており、ドラム・マシンを立てて、そのままグルーヴを作って演奏したそうだ。ちなみに『Pornograffitti』のホーン・セクションを編曲したランディ・バダズは、そのアルパートの甥にあたる。
2023年のツアー中、ヌーノ・ベッテンコートはフェスティバル出演をキャンセルしている。理由はバスケットボールだった。Louder の取材で本人が説明したところによれば、演奏前にそんなことは普段しないのに、ゲイリー・シェローンにコートへ引っ張り出され、10分だけと言われて付き合った。シュートの着地で相手にぶつかるのを避けようとしたときに膝が外れ、前十字靭帯・半月板・内側側副靭帯を一度に損傷したという。本人はこれを、本当に馬鹿なことをしたと振り返っている。
2023年はヌーノ・ベッテンコートにとって、『Six』がイギリスのアルバム・チャートでトップ30に入り、リアーナのバンドとしてスーパーボウルに立った年である。同時に、忘れたい出来事もあった。リアーナと共演する話題の流れでスラッシュには務まらないという趣旨の投稿をしてしまい、ガンズ・アンド・ローゼズのリチャード・フォータスとオンラインで衝突したのである。Louder の取材で彼は、送信ボタンから指を離した瞬間に後悔したと語り、翌日には自分が未熟だったと認める動画を公開したこと、フォータスは仲間をかばっただけであり自分は彼にも詫びるべきだと考えていることを述べている。
ヌーノ・ベッテンコートを訪ねてきたエディ・ヴァン・ヘイレンは、玄関先でしばらく話し込んでいる。Loudwire が伝えた本人の回想によれば、そこでエディは、マイケル・アンソニーを呼び戻す構想を含む「キッチン・シンク」ツアーの計画と、息子のウルフギャングが Mammoth WVH のソロ作で進めていた仕事について話した。話の途中、近所の道を曲がってきた車が急停止し、降りてきた男が二人を見て跪き、写真もサインも求めずに立ち去るという場面もあったという。おそらく自分ではなくエディに向けたものだっただろう、とヌーノは述べている。