DEEP PURPLE TRIVIA
Trivia
『Made in Japan』は、もともと日本国内だけで売る前提で録られている。ライヴ盤の話が来たとき、バンドは日本限定であることを条件に承諾した。ところが上がってきたテープを聴いた本人たちの評価が変わり、結果として世界中で発売されることになった。
「Woman from Tokyo」が書かれ、録音されたのは、バンドがまだ一度も日本で演奏していない時期である。1972年7月にローマで始まったセッションで完成したのはこの曲だけで、アルバムの残りはドイツで録られた。初来日はその翌月、大阪2公演と東京の武道館公演で、これが『Made in Japan』になる。
2026年8月12日、ニューヨーク州ウォンタのジョーンズ・ビーチでの公演のアンコールに、リッチー・ブラックモアが姿を見せて「Smoke on the Water」を弾いた。バンドと同じ舞台に立つのは33年ぶりで、公式サイトはこれを、第2期の存命メンバーが現在のメンバーとともに再び音を出した瞬間だと伝えている。イアン・ギランによれば、声をかけてきたのはブラックモアのほうで、近所に住んでいるから一緒に演奏させてほしい、という連絡だったという。
1969年の『Concerto for Group and Orchestra』は、初演のあと総譜が失われた。1990年代後半にオランダの作曲家マルコ・デ・ホーイが録音と映像から2年がかりで全曲を書き起こし、1997年から99年にかけて総譜を復元。ジョン・ロード自身とポール・マンが手を入れたうえで、1999年9月25日と26日のロイヤル・アルバート・ホール公演で再演された。
『Made in Japan』の制作費は3,000ドルで、オーバーダブは一切かけられていない。ロック史上有数のライヴ盤とされる作品が、その場で鳴った音をほぼそのまま出したものだということである。
1975年版のギネス・ブックは、ディープ・パープルを世界で最も音の大きなバンドとして載せている。根拠となったのは1972年のロンドン、レインボー・シアター公演で計測された117デシベルだった。この記録は1976年にザ・フーが126デシベルで更新している。
「Highway Star」は移動中のバスの中で作られた曲である。1971年9月13日、イギリスのポーツマス・ギルドホールへ向かう車中で書き上げ、その晩のステージでいきなり演奏した。スタジオ録音はそれから3か月後、『Machine Head』のセッションでのことになる。
アメリカで最初に当たったのは自作曲ではなく、ジョー・サウスが書いた「Hush」のカバーだった。1967年のビリー・ジョー・ロイヤル版が全米52位だったのに対し、1968年のディープ・パープル版は8月11日に83位で初登場し、9月15日に4位まで上がって2週その位置にとどまっている。
日本盤の『Made in Japan』は、当初『ライヴ・イン・ジャパン』という別のタイトルとジャケットで発売された。海外盤とは見た目もタイトルも違うものだったことになる。
1972年8月の来日は、バンドにとって初めての日本公演だった。もともとは同年5月に予定されていたが、アメリカ公演の組み直しとリッチー・ブラックモアの肝炎で延期になっている。録音されたのは8月15日と16日の大阪・厚生年金会館、17日の東京・日本武道館である。
『Concerto for Group and Orchestra』の初演は1969年9月24日、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールだった。共演したのはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団で、指揮はマルコム・アーノルド。1999年の再演版はそのアーノルドに捧げられている。
『Made in Japan』のうち武道館公演から採られているのは「The Mule」と「Lazy」の2曲だけである。東京で録れた音の状態が大阪の2公演より劣っていたためで、残りはすべて大阪の音である。
ミックスの現場に居合わせたのはロジャー・グローヴァーとイアン・ペイスだけで、イアン・ギランとリッチー・ブラックモアは発売まで『Made in Japan』を聴いていない。エンジニアのマーティン・バーチがそう証言している。
『Made in Japan』は全米6位まで上がっている。日本限定で出すはずだった録音が、そこまで行った。
『Machine Head』のセッションは、当初モントルーのパビリオンという会場で始まっている。ところが音量の苦情で警察が入り、そこでは続けられなくなった。バンドは移動先としてグランド・ホテルを使うことになる。
グランド・ホテルでの録音に使われたのは、ローリング・ストーンズの移動録音車だった。機材はホテルの廊下に組まれ、窓から長いケーブルを引いて裏手のトラックにつないでいる。録音期間は1971年12月6日から21日まで。
ホテルは録音するには明るすぎたので、電球を赤いものに替えて対処した。音の響きのほうはマットレスを立てて吸音材の代わりにしている。
「Smoke on the Water」のリフは、初日のサウンドチェックで歌詞のないまま録音されていたものである。曲自体はアルバムの尺を埋めるために最後に足された。いまバンドの代名詞になっている曲が、収録候補の最後尾から入ったことになる。
「Smoke on the Water」という題名を思いついたのはロジャー・グローヴァーで、その題に合わせて歌詞を書いたのがイアン・ギラン、リフを作ったのがリッチー・ブラックモアという分担だった。
ブラックモアによれば、あのリフは4度と5度で組まれた中世の旋法によるもので、ピックではなく指で開放弦を弾いて鳴らすのが本来の弾き方だという。5フレット目から押さえて弾かれることが多いが、それは違う、というのが本人の説明である。
1989年、ブラックモアとギランはチャリティ企画ロック・エイド・アルメニアのために「Smoke on the Water」を録り直している。参加したのはロバート・プラント、ブライアン・メイ、ブルース・ディッキンソンら、他バンドの面々だった。
「Child in Time」の土台になっているのは、イッツ・ア・ビューティフル・デイの「Bombay Calling」である。ジョン・ロードが鍵盤でそれを弾いていたところからバンドが手を加えて作り上げた。ギランは、原曲を先に聴いたことはなかったと述べている。
「Highway Star」のギター・ソロは、録音の1週間ほど前に音符単位で書き上げられていた。バッハ的な響きを狙って、Dm・Gm・Cmaj・Amaj という進行の上に硬いアルペジオを積む作りだと本人が説明している。
「Black Night」は、『Deep Purple in Rock』を録り終えたあとにシングル用として作られた曲である。アルバムに分かりやすいヒット曲が無いという理由でレコード会社側から求められ、リフ作りに費やした午後は空振りに終わったが、その日のうちにブラックモアが弾いたものが曲になった。グローヴァーはそのリフの発想元をリッキー・ネルソンが1962年に出した「Summertime」だとしている。
「Black Night」という題名そのものは、バンドの発案ではない。ギランによれば、アーサー・アレキサンダーが1964年に出した同名の曲から採ったものだという。さらに元をたどると、ジェシー・メイ・ロビンソンが書き、チャールズ・ブラウンが1950年12月に録音した曲に行き着く。
「Hush」は1988年、結成20周年に合わせて録り直され、全英62位に入っている。1997年にはクーラ・シェイカーによるカバーが全英2位まで上がった。ジョー・サウスの曲は、ディープ・パープル経由で二度ヒットしたことになる。
「Woman from Tokyo」は、1970年代のステージでは一度も演奏されていない。セットに入ったのは1984年の再結成以降である。70年代の編集盤にライヴ音源として収録されているものがあるが、グローヴァーはそれは事実ではないと否定している。
『Machine Head』は全米7位に達し、チャートに118週とどまっている。「Smoke on the Water」がアメリカでシングルとして出たのは1973年5月で、7月28日に4位まで上がった。
イアン・ペイスは、第1期から現在まで全ての編成に在籍している唯一のメンバーである。1968年の結成から数えて、バンドの音を一度も欠かさず支えてきたのは彼だけということになる。