ANTHEM トリビア 全22件
ANTHEMにまつわる事実を、出典付きで22件掲載しています。
Trivia
1980年代の日本のヘヴィ・メタル・シーンは「西高東低」と言われた。関西に有力バンドが集まっていたという意味だが、キングレコードはその構図のなかでANTHEMを東京の代表格として紹介している。バンドがどの土地の音楽として受け取られていたかを示す言い方である。
ANTHEMは1981年に東京で結成された。公式サイトのABOUTページは、熱く激しいパフォーマンスを繰り広げながら頭角を現していったバンドが、1985年にアルバム『ANTHEM』でメジャー・デビューを果たした、と記している。結成からデビューまでに4年が置かれていることになる。
デビュー作『ANTHEM』には、<POWER METAL戒厳令>というキャッチ・コピーが付けられて世に出た。キングレコードは自社のハードロック/ヘヴィメタル公式サイトでこの惹句を紹介し、同じページのバイオグラフィでは作品名そのものを「ANTHEM〜パワーメタル戒厳令」と書いている。惹句がそのまま邦題の一部のように扱われた例である。
3作目『BOUND TO BREAK』(1987年)から、プロデューサーにクリス・タンガリーディスが起用された。ゲイリー・ムーアやシン・リジィを手がけた人物で、以後『GYPSY WAYS』『HUNTING TIME』『DOMESTIC BOOTY』と、キングレコード時代のANTHEMの主要作を担当している。30年後の『ENGRAVED』(2017年)でもミックスに関わり、初回限定盤の映像にはそのインタビューが収められた。
1987年3月の『BOUND TO BREAK』に続き、同年6月にANTHEMは初の海外公演を行った。キングレコードのバイオグラフィはこれをロサンゼルス公演とし、その模様を収めたライヴ・アルバム『THE SHOW CARRIES ON!』が同年のうちに発売されたと記している。アメリカではレストレス・レコードがスタジオ作を扱っていた。
『BOUND TO BREAK』のツアー直後、ヴォーカルの坂本英三が脱退した。公式サイトはその後任として「抜群の歌唱力を備えた森川之雄」を迎えたと書いており、森川加入後の第一作が1988年の『GYPSY WAYS』にあたる。坂本は2001年の再結成時に呼び戻され、2013年まで再びヴォーカルを務めることになる。
6作目『NO SMOKE WITHOUT FIRE』(1990年)でギターを弾いているのは福田洋也だが、福田はこのレコーディングを終えた1990年2月に脱退の意を表明している。キングレコードのバイオグラフィによれば、即戦力を必要としたバンドは翌3月、当時ハリー・スキュアリーで活動していた中間英明を迎えた。作品に参加した人物と、その作品を持ってツアーに出た人物が異なるという形になった。
『NO SMOKE WITHOUT FIRE』はバンド初の海外録音作で、ロンドンで制作された。キングレコードの解説によれば、プロデューサーにはナザレスなどを手がけたトニー・タヴァナーが起用され、キーボードには元レインボーのドン・エイリーが客演している。ANTHEMの作品に海外の演奏者が加わった早い例にあたる。
中間英明が1991年初頭に脱退したあと、後任は長く決まらなかった。キングレコードのバイオグラフィによれば、同年8月に森川之雄の知人を通じてオーディションに参加した当時20歳の清水昭男が加入する。オーディションで見つかった新人が、その後30年以上にわたってバンドのギタリストであり続けることになった。
公式サイトのABOUTページによれば、清水昭男の才能に感銘を受けたリーダーの柴田直人は、清水とともにアルバムを完成させてバンドを解散させることを決意したという。つまり1992年3月の『DOMESTIC BOOTY』は、作り始めた時点ですでに最後の作品として構想されていたことになる。バンドは同年7月10日の東京公演をもって活動を終えた。
ANTHEMという名前が復活したきっかけは、「グラハム・ボネットがANTHEMの曲を歌うアルバムを作る」という企画だった。公式サイトによれば、柴田直人と清水昭男らがバッキングを新たに録音し、そこへボネットが歌を乗せたこのプロジェクトは2000年に『HEAVY METAL ANTHEM』として発売され、日本ツアーも行われた。解散から8年、バンドの再起動は企画盤から始まっている。
再始動にあたって柴田直人が掲げたのは、昔のメンバーを集めるノスタルジーの「再結成」は行わず、やるならば今を生きるバンドとして新しい音楽を作る、という方針だった。公式サイトはこの目的のために柴田がまず声をかけたのが清水昭男だったと書いている。2001年の『SEVEN HILLS』以降、このときの4人が11年間ひとりも欠けずに続いた。
2019年3月29日に全世界同時発売された『NUCLEUS』で、ANTHEMはドイツのメタル専門レーベル、ニュークリア・ブラストと日本人アーティストとして初めて契約を結んだ。公式サイトによれば流通はヨーロッパがニュークリア・ブラスト、北米・オーストラリア・ニュージーランドがゴールデン・ロボット・レコーズ、日本とアジアがワードレコーズという3系統で、翌4月にはドイツのKEEP IT TRUE FESTIVALに出演している。
40周年を締めくくる作品として2025年9月5日に発売された『BREATHING REAL〜40years of ANTHEM〜』は、キングレコード期・ビクター期・ユニバーサル期・メタルマン期をそれぞれ1枚に割り当てた4枚組である。公式サイトは、40年の歴史をあくまで柴田直人の主観で総括する企画であり、レーベルの枠を超えて実現したものだと説明している。ブックレットには柴田が全40曲を振り返る文章が収められた。
40周年の年である2025年11月、ANTHEMは中国公演を行った。公式サイトの告知によれば、11月15日に北京のOMNI SPACE疆進酒、16日に上海のバンダイナムコ上海文化センター未来ホールという2公演で、チケットはサイン会と写真会が付くVIP券と一般券の2種が用意された。1987年のロサンゼルス公演から38年を経ての海外公演である。
再始動が具体的に動き出した瞬間について、柴田直人はBURRN!編集長との公開対談で、清水昭男が酔ってANTHEMをどうしてもやりたいと迫ってきた場面を挙げている。タクシーで隣に座っていても耳を近づけないと何を言っているのか分からないほどだったという。柴田はこれを、再結成後の四半世紀で最も印象に残った出来事のひとつとして語った。
ANTHEMが2005年にデビュー20周年の記念公演を行ったのは、音楽評論家の伊藤政則がその節目を指摘したことがきっかけだった。柴田直人は前述の対談で、日本のプロのヘヴィ・メタル・バンドによる周年イベントはおそらく自分たちが最初だろうと述べている。伊藤は当初、元メンバーを呼ぶのは東京だけでという案を出したが、結果として元メンバーを全公演に帯同して回ることになった。
清水昭男は、BURRN!誌2024年4月号に掲載された「HEAVY METAL CHAMPIONSHIP 2023」のギタリスト部門で1位を獲得した。柴田直人は同誌編集長との対談で、この受賞を再結成後で最も嬉しかった出来事のひとつに挙げ、以後の清水の弾き方が積極的に変わったと語っている。
コロナ禍でロック・コンサートの開催が難しくなった時期、柴田直人は本気で音楽を辞めることを考えたという。そのなかで2021年に東海市芸術劇場で開かれた「鋼鉄フェスティバル」の舞台から見た光景を、柴田は一生忘れないと語っている。観客はマスクを着け間隔を空け、声を出せない状況でも、身体の動きで自分たちがそこに来たことを伝えていた。
17作目『CRIMSON & JET BLACK』(2023年)は、完成までに複数回のレコーディングを経ている。柴田直人はBURRN!編集長との対談で、1回目の録音と最終的なアルバムで同じものは2曲、2回目とは4曲しかなく、アレンジが根本的に違うので曲としてはほとんどが別物だと述べた。前作から6年が空いた理由の一端がここにある。
デビュー40周年にあたって柴田直人が選んだのは、元メンバーを呼び戻さないという方針だった。代わりに用意されたのが、自分たちのトリビュート・バンドを組んでもらい、本家が帯同してツアーを回るという企画である。柴田は、CONCERTO MOONの島紀史を筆頭とするトリビュート・バンドTHE JUGGLERの奮闘にメンバー全員が触発されたと語っている。
『CRIMSON & JET BLACK』はオリコンの週間アルバム・チャートで14位に入った。全曲が英語詞で書かれ、日本と海外で同時に発売された作品である。