STRATOVARIUS トリビア 全31件
STRATOVARIUSにまつわる事実を、出典付きで31件掲載しています。
Trivia
STRATOVARIUSは1984年、ヘルシンキで結成された。翌1985年にギタリストのスタファン・ストロールマンが脱退し、代わって加入したのがティモ・トルキである。彼がクラシックからの影響を持ち込んだことで、バンドのサウンドは大きく変わることになった。
ティモ・トルキが持ち込んだ新しい方向性に見合う専任のヴォーカリストを、バンドは探した。ところが見つからない。結局そのまま、トルキ自身がギターとヴォーカルを兼任することになった。彼らが専任のシンガーを迎えるのは、この状態が数年続いたあとである。
デビューまでの道のりと、その直後につまずいた経緯が記録に残っている。バンドはCBS Finlandと契約し、1989年5月にアルバム『Fright Night』でデビューした。この作品はヨーロッパや日本のマニアのあいだで評判になったものの、バンドはCBS Finlandとの契約を失ってしまう。
契約を失ったバンドは、2作目を自費で作った。当初『STRATOVARIUS II』という題で完成させ、1992年にリリースしたところ、ドイツのShark Recordsとの契約が成立する。そこで題名を『Twilight Time』に改め、ジャケットも差し替えたうえで、同じ年の10月にヨーロッパ全域で出し直された。いま知られている2作目は、そうして二度世に出た作品である。
そのヨーロッパ盤『Twilight Time』を大きく動かしたのは、日本だった。ビクターの記述によれば、この作品は日本の輸入盤市場で大ヒットを記録し、それを受けて1993年6月に日本盤がリリースされている。バンドの名が日本で広まったのは、この輸入盤経由だった。
初来日は1994年6月である。同年2月にヤリ・カイヌライネンをベースに迎えて3作目『Dreamspace』を出し(このときからレーベルはT&T Records)、その6月に日本での初公演が実現した。そしてこのタイミングで、日本では未発売のままだったデビュー作『Fright Night』もようやく日本で発売されている。
専任シンガーのティモ・コティペルトが加わったのは、4作目『Fourth Dimension』(1995年2月)からである。バンドのサウンドをさらに強固にするための補強だった。その後、ドイツの実力派ドラマーであるヨルグ・マイケルと、スウェーデン人のキーボード奏者イェンス・ヨハンソンが加入し、この編成で5作目『Episode』が1996年4月に出た。
キーボードのイェンス・ヨハンソンは、加入前から名の知れた奏者だった。公式サイトの紹介によれば、彼はスウェーデンの著名なジャズ・ピアニスト、ヤン・ヨハンソンの息子であり、ヘヴィメタルのドラマー、アンダース・ヨハンソンの兄弟にあたる。クラシックの訓練を受けた彼は1982年にジャズ・フュージョンのバンドSlemを離れ、アンダースも在籍していたスウェーデンのメタル・バンドSilver Mountainに加入。翌1983年にはスウェーデンを離れてカリフォルニアへ渡り、イングヴェイ・マルムスティーンのバンド、ライジング・フォースの一員となっている。
ベースのラウリ・ポラーには、音楽家の家系がある。公式サイトの紹介によれば、彼の家は職業音楽家を4代にわたって輩出してきた家系であり、その中で最も有名なのが作曲家ジャン・シベリウスだという。ポラー自身も作曲家として活動しており、彼の作品はフィンランド放送交響楽団、トロンハイム交響楽団、ラハティ交響楽団、ニューベッドフォード交響楽団などによって演奏されている。
母国フィンランドでの初めての1位は、1998年9月に出た7作目『Destiny』だった。初登場での1位である。続く2000年2月の8作目『Infinite』でも再びフィンランドで初登場1位を記録し、この作品はのちにゴールド・ディスクも獲得した。『Infinite』からはレーベルがNuclear Blastに移っている。
日本公演は繰り返し行われてきた。1994年6月の初来日に始まり、1995年8月に2度目、1996年には6作目のレコーディングを一時中断してまで3度目の来日を実現させ、1998年の『Destiny』期に4度目、2003年の『Elements』2部作を携えて6度目を成功させている。人気は地元フィンランドと日本にとどまらず、ヨーロッパ全域、さらに南米にまで広がっていった。
『Elements』2部作のあと、バンドは危機を迎える。ビクターの記述によれば、ティモ・トルキが病に倒れ、バンドは分裂状態に陥った。それでも活動は再開され、Sanctuaryとの契約もまとまって、通算11作目にあたるバンド名を冠したアルバム『Stratovarius』が完成している。
2008年、ティモ・トルキがバンドを脱退した。1985年の加入以来、20年以上にわたってバンドの中心にいた人物である。後任のギタリストとして迎えられたのがマティアス・クピアイネンで、公式サイトの彼のページは在籍を2008年からと記している。ベースはこれに先立ってラウリ・ポラーに交代していた。
ヨルグ・マイケルがバンドを離れることを表明したのは2011年である。ビクターが2012年6月20日に出した後任発表の文面は、彼が「昨年」旅立ちを表明したと書いており、その在籍を16年間、9枚のスタジオ・アルバムを伴うものだったとまとめている。後任として紹介されたのが、当時24歳のフィンランド人ドラマー、ロルフ・ピルヴだった。
ヨルグ・マイケルの最後のツアーから生まれたのが、バンド史上初のフルレングス・ライヴDVD『Under Flaming Winter Skies - Live in Tampere』である。2012年7月25日に出たこの2枚組には、約2時間のライヴと、メンバー全員のインタビューを収めた30分のドキュメンタリーが入っている。ビクターの文面は、これがバンドにとって最初のライヴDVDであると同時に、ヨルグにとってはSTRATOVARIUSでの最初で最後のDVDになると書いている。なお日本盤にだけ、ヨルグを含む5人全員によるセルフ・ライナーノーツが付いた。
2009年の『Polaris』以降、彼らのアルバムの題には一つの決まりがある。文字数が7つなのだ。POLARIS、ELYSIUM、NEMESIS、ETERNAL、そして2022年の16作目SURVIVE。ビクターの記述はこれを、『Polaris』から続く「7文字のアルバム・タイトル」という拘りだとして、最新作でも健在だと書いている。
ティモ・コティペルトがバンドに誘われたのは1994年の夏だった。公式サイトによれば、当時バンドはシンガーを探しており、ヘルシンキのポップ/ジャズ音楽院で歌を学んでいた彼に声がかかった。同ページは、彼の高くよく通る声がバンドの大きな特徴であり、彼が最も長く在籍しているメンバーでもあると書いている。
2026年10月24日、STRATOVARIUSは神奈川のぴあアリーナMMで開かれる「FULL METAL JAPAN 2026」に出演する。ドイツのWacken Open Airが全面的にサポートするフェスのアジア初上陸で、同じ24日にはMICHAEL SCHENKER GROUP、RAGE、GUS G. & Ronnie Romeroが名を連ねている。翌25日にはANGRAとPOWERWOLFが出演する。
バンドを作ったのは、ギタリストではなくドラマーだった。1984年にヘルシンキでSTRATOVARIUSを結成したのはトゥオモ・ラッシラである。Blabbermouthの記述によれば、バンド名を考えたのも彼と、初代ギタリストのスタファン・ストロールマンだった。ティモ・トルキが加わるのはその1年後になる。
ティモ・トルキが歌をやめた瞬間には、記録が残っている。彼がリード・ヴォーカルを取った最後のアルバムは1994年の『Dreamspace』だった。続く『Fourth Dimension』では、彼は一度デモ用に自分のヴォーカルを録音している。そのうえでギターに専念すると決め、ティモ・コティペルトを迎えたのである。
ティモ・トルキが2008年に離れるまでに書いた曲は、100曲を超える。Blabbermouthはその中から「Black Diamond」「Hunting High And Low」「Speed Of Light」「Paradise」「Forever」「Destiny」を挙げている。同記事によれば、トルキ在籍期のSTRATOVARIUSのアルバムは、これまでに400万枚以上を売った。
2023年、『Dreamspace』を作った顔ぶれが別の名前で戻ってきた。ティモ・トルキ(ヴォーカルとギター)、トゥオモ・ラッシラ(ドラム)、アンティ・イコネン(キーボード)の3人が、TIMO TOLKKI'S STRATOという名義で再結集したのである。3人は2022年の夏に集まって話し合い、2023年1月からラッシラのガレージで人知れずリハーサルを重ねていた。彼らはワーナーミュージック・ジャパンと契約し、デビュー作『Return To Dreamspace』を10月27日に出すことを発表している。ライヴでは新作に加えて『Fright Night』『Twilight Time』『Dreamspace』からの曲も演奏するとされた。
2003年の『Elements』は、1枚に収まらなかった。バンドは2000年の『Infinite』のツアーを終えたあと長期の休暇を取ってソロ活動などを行い、2002年に再始動してこの作品のレコーディングに入る。完成したものは2003年に「Pt. 1」(1月)と「Pt. 2」(10月)の2枚に分けて発表された。
後任のギタリスト、マティアス・クピアイネンはプロデューサーでもある。公式サイトによれば、彼がギターを弾き始めたのは4歳のとき。これまでに複数のアルバムでプロデュースとミックスを手掛けており、MinorMusicという自身のスタジオを拠点にしている。
2011年、13作目『Elysium』のリリース直前にドラマーのヨルグ・マイケルに悪性の甲状腺腫瘍が見つかり、彼は一時ツアーから離脱した。ただしすぐに復帰しており、その直後の2月にHELLOWEENとのカップリングで行われたジャパン・ツアーには問題なく帯同している。
ヨルグ・マイケルは、その後個人的な理由でバンドを離れることを表明した。バンドは彼のためのフェアウェル・ツアーを祖国フィンランドで行い、そのタンペレ公演を収めたライヴDVD『Under Flaming Winter Skies – Live in Tampere』を2012年にリリースしている。後任として迎えられたのは、当時24歳だったロルフ・ピルヴだった。
ドラムのロルフ・ピルヴは、加入前から広く仕事をしてきた奏者である。公式サイトによれば、Miseration、Solution.45、The Magnificentといったバンドでの演奏で知られ、これまでに16か国で500本を超えるステージを踏み、30枚を超えるアルバムやデモ、シングルに参加している。
ヴォーカルのティモ・コティペルトには、バンドの外での仕事もある。公式サイトによれば、彼は2009年にヤニ・リーマタイネンとCAIN'S OFFERINGを組み、『Gather the Faithful』(2009年)と『Stormcrow』(2015年)を録音した。この2枚は高い評価を受け、彼らは日本とヨーロッパで数多くの公演を行っている。2人はまた、Blackousticというアコースティックのデュオ作も作った。
ティモ・コティペルトには、メタルの外での経歴もある。公式サイトによれば、彼は2009年、フィンランド版の合唱団対抗番組「Kuorosota」の第1シーズンで優勝している。
イェンス・ヨハンソンのSTRATOVARIUS加入前の経歴には、続きがある。公式サイトによれば、彼は1983年にイングヴェイ・マルムスティーンのライジング・フォースに加わったあと1989年まで在籍し、数多くのレコードとワールド・ツアーを重ねた。そして1989年から1990年にかけては、DIOでも演奏している。
その発表には、日本に関わる予定も添えられていた。ティモ・トルキは2023年11月にアルバムの宣伝のため来日するとされ、Blabbermouthはこれを2007年以来の彼の来日だと書いている。さらに2024年春には日本ツアーが計画され、ラテンアメリカとヨーロッパのツアーも進行中だとされた。