SONATA ARCTICA トリビア 全133件
SONATA ARCTICAにまつわる事実を、出典付きで133件掲載しています。
Trivia
『Silence』はフィンランドだけでなく日本でも大きく売れ、公式サイトによれば発売から1年で日本だけで3万枚を超えている。この売上を受けて、バンドは2001年9月に4本の日本公演を行った。初来日は、日本のリスナーが数字で呼び寄せたものだった。
バンド初のライヴ・アルバム『Songs of Silence』は、2001年9月4日の東京公演を収録したものである。発売は2002年11月。ヨーロッパ盤とアジア盤ではジャケットがまったく別物になっており、どちらもヤンネ・“ToxicAngel”・ピトカネンが手掛けた。彼はこれ以降、SONATA ARCTICAの全作品のアートワークを専属で担当することになる。
2003年末に出た2枚のうち、シングル「Broken」には、ミッコ・ハルキンが在籍していた時期に録音された未発表曲2曲が収められた。もう一方のEP『Takatalvi』は日本向けで、当時すでに完売していたEP『Successor』の楽曲にライヴ音源を除いた追加素材を加えた内容だった。
SONATA ARCTICA初のDVDは日本で撮影されている。会場は東京の渋谷AXで、収録のためにバンドは同じセットリストのまま2公演を続けて行った。
日本のレーベルMARQUEE AVALONによれば、SONATA ARCTICAの日本デビューは2000年、1stアルバム『エクリプティカ』でのことだった。同レーベルは、彼らが登場するや否や日本のファンから多大な支持を得たとし、次作『サイレンス』を携えた初来日で人気を確立したと記している。
MARQUEE AVALONは自社のページで、SONATA ARCTICAを「弊社MARQUEE AVALONのフラグシップ・アーティストとして君臨してきた」バンドと位置づけている。日本のHM/HR専門レーベルにとって、彼らは看板だった。
日本盤には邦題が付いた作品がある。フィンランド語で「夢」を意味する『UNIA』は「ウニア~夢記(ゆめのしるし)」、同じくフィンランド語で「冬の夜」を意味する『TALVIYÖ』は「タルヴィユエ~冴ゆる宵闇」として日本で発売された。原題の意味をそのまま訳すのではなく、読みに副題を添える形が取られている。
日本盤にはボーナス・トラックが付くのが通例だった。MARQUEE AVALONの作品ページを追うと、『RECKONING NIGHT』『STONES GROW HER NAME』『PARIAH'S CHILD』『ECLIPTICA - REVISITED』『THE NINTH HOUR』『TALVIYÖ』がいずれも1曲追加、『THE DAYS OF GRAYS』が2曲追加、『UNIA』にいたっては3曲追加という構成になっている。
『STONES GROW HER NAME』には、2012年10月24日に日本で発売されたツアー・エディションがある。本編をSHM-CDに収め、2枚目のCDに「Only The Broken Hearts (Make You Beautiful)」「I Have A Right」「Alone In Heaven」「Somewhere Close To You」のアコースティック・ヴァージョン4曲を追加した2枚組で、品番はMICP 20003だった。
『THE DAYS OF GRAYS』の日本盤限定盤は2枚組で、2枚目に「OFFICIAL BOOTLEG LIVE AROUND EUROPE 2008」と題した6曲のライヴ音源が収められていた。「PAID IN FULL」「BLACK SHEEP」「DRAW ME」「IT WON'T FADE」「REPLICA」「DON'T SAY A WORD」という内容である。
『Clear Cold Beyond』の日本盤は2024年3月8日発売、品番MICP-11850、税込3,000円で、ボーナス・トラック2曲を追加収録している。海外ではデジパックとアナログ盤に限られたその2曲が、日本ではCDに入った形である。
デビュー作を丸ごと録り直すという企画を最初に持ちかけたのは、日本のレーベルだった。ヘンリク・クリンゲンベリは、最初は妙な話に思えたが次第に面白く感じられるようになったと述べ、オリジナルで演奏していたのがトニーとトミーの二人だけだったことから、今の編成でもう一度これらの曲をやるのは楽しいはずだと考えたと説明している。
現在の名前で活動を始める前、彼らはフィンランド北部の町ケミでTRICKY BEANSと名乗っていた。この名前のままFriends Till the End、Agre Pamppers、PeaceMakerという3本のデモを制作している。北欧パワー・メタルの代名詞となるバンドの最初の音源は、まったく別の名前で世に出ていたことになる。
1997年、バンドはTRICKY MEANSと改名する。同時に音楽性もロックからパワー・メタル寄りへ舵を切っており、公式サイトはこのときSTRATOVARIUSらから影響を受けたと記している。SONATA ARCTICAという名前に落ち着くのは、さらにその先のことである。
TRICKY MEANS名義でケミのTico Tico Studiosに入れて録音したデモ「FullMoon」が、スタジオのオーナーだったアハティ・コルテライネンの目に留まる。彼がそのテープをフィンランドのSpinefarm Recordsへ送ったことで1999年に最初のアルバム契約が成立し、バンドはそこで初めて、自分たちの音楽にふさわしい名前としてSONATA ARCTICAを名乗ることを決めた。名前が先にあったのではなく、契約のほうが先だった。
1999年夏に出たデビュー・シングル「UnOpened」には、タイトル曲と「Mary Lou」が収録されていた。ところが初回プレスは誤って再生速度が落ちた状態で製造されており、それが発覚したのはすでに店頭へ出荷したあとだった。レーベルはシングルを回収し、改めて正しいヴァージョンをリリースしている。
2000年、バンドはSTRATOVARIUSのヨーロッパ・ツアー(RHAPSODYとの帯同)のサポートに抜擢される。公式サイトによれば、15のレコード会社から挙がった32組の候補の中から選ばれた結果だった。フィンランドの外でステージに立ったのは、このツアーが初めてである。
初期のトニー・カッコは歌いながらキーボードも弾いていた。ライヴでは歌に専念したいという本人の判断から、2000年に専任キーボーディストとしてミッコ・ハルキンが加入する。しばらくの間は二人が同じ鍵盤を同時に弾く場面もあり、公式サイトはこれをライヴの見どころのひとつだったと振り返っている。
デビュー作の勢いを落とさないうちに、バンドはすぐ2作目『Silence』の録音に入っている。収録曲はすべてトニー・カッコが書いた。最初のシングル「Wolf & Raven」はフィンランドで撮影され、バンドにとって初のミュージック・ビデオとなった。
2002年夏にミッコ・ハルキンが脱退したあと、後任のキーボーディスト募集には世界中から応募が集まった。最終候補2名はケミまで呼ばれたが、バンドは演奏能力だけで判断するのをやめ、一人ずつ地元のバーへ連れて行って人となりを見ることにする。その結果選ばれたのが、コッコラ出身のヘンリク・クリンゲンベリだった。
キーボーディストを探している最中に、バンドは3作目『Winterheart's Guild』の制作へ入っていた。空席を埋めたのはSTRATOVARIUSのイェンス・ヨハンソンで、彼は4曲でソロを弾いている。残りの鍵盤はトニー・カッコが自分で処理した。
『Winterheart's Guild』からの先行シングル「Victoria's Secret」は、フィンランドのチャートで2位まで駆け上がり、その2週間後に1位を取った。公式サイトはこれを、当時までのSONATA ARCTICAのシングルとして最高位だったと記している。
『Winterheart's Guild』はSpinefarm Recordsでの最後の作品となった。バンドは移籍先を探し、ドイツのNuclear Blastと複数枚契約を結ぶ。公式サイトはこの契約のおかげで、2004年の日本公演でIRON MAIDENの前座に選ばれたと記している。
4作目『Reckoning Night』は2004年3月からTico Tico Studiosで録音された。ヘンリク・クリンゲンベリにとって初の参加作で、彼はハモンドとキーボードを担当している。トニーとヘンリクの鍵盤トラックが両方使われたのはこの作品が初めてで、公式サイトはそれがサウンドの厚みにつながったと説明する。
「Don't Say A Word」はフィンランドのチャートに初登場1位で入り、SONATA ARCTICAのシングルとして最速でその座に届いた。同名のEPも4位まで上がり、バンドは2作を同時にトップ10へ送り込んだことになる。
2004年10月、2作目『Silence』がフィンランドで1万5千枚を売り上げてゴールド認定を受けた。SONATA ARCTICAとして最初のゴールドであり、公式サイトはこれを「その後に続く多くのうちの1枚目」と書いている。認定の瞬間は、ヘルシンキのクラブTavastiaで観客とともに祝われた。
『Reckoning Night』は世界で10万枚を売り上げ、公式サイトはこれをSONATA ARCTICAの最も成功したアルバムだと書いている。ゴールド認定の知らせが届いたのは、バンドが北米ツアーの最中だった2006年2月のことである。
2年以上にわたったReckoning Night World Tourは、2006年8月に地元ケミで開かれた最初のSonata Arctica Open Airで幕を閉じた。バンドが自分たちの名を冠したフェスティバルを故郷で立ち上げた形である。ツアー全体では167公演・17か国を回った。
5作目『Unia』の制作過程は、『Songs From The North Or Something』というフィンランドのドキュメンタリーとして撮影されていた。しかしこの作品が公開されたのは2007年9月のオウルとヘルシンキの音楽映像祭のみで、それ以上の広がりは持たなかった。
この時期、バンドはアルバム『Winterheart's Guild』を題材にしたPC用ロールプレイング・ゲームへの参加を打診されていた。しかし企画は構想段階から先へ進まなかったと公式サイトは記している。
日本のレーベルMARQUEE AVALONの解説によれば、フィンランドのアルバム・チャートで初めて1位を獲得したのは2007年の『Unia』である。ライヴ作『FOR THE SAKE OF REVENGE』と初のベスト盤『THE END OF THIS CHAPTER』を挟んで届いた成果だった。
2007年8月6日、バンドは声明を出してギタリストのヤニ・リマタイネンの離脱を公にした。バンドはその中で、ヤニが兵役・民間役務の手続きを果たさなかったことが原因で亀裂が生じ、脱退を求めるほかなかったと説明している。通知は5月に行われ、別れ自体は円満だったこと、公表を遅らせたのはヤニが生活を立て直す時間を確保するためだったことも同じ声明に書かれている。
同じ声明の後半で、エリアス・ヴィルヤネンがその日をもって正式メンバーになることが告げられている。バンドは、その夏の各地の公演でエリアスがヤニの残した大きな穴を埋められることを示したと書き、目の前に長い『Unia』ツアーが控えていることにも触れた。声明は「Sonata Arcticaはまた完全な形になった」という一文で締めくくられている。
エリアス・ヴィルヤネンはもともとソロ・アーティストで、『Unia』のフィンランド・ツアーと日本ツアーにヤニの代役として雇われた。その働きが違和感なく収まったため、2007年7月に正式加入を打診されている。つまり彼は、代役として日本のステージにも立ったうえで正式メンバーになった。
2008年はSONATA ARCTICA史上もっとも過密な巡業の年になった。Wacken Open Airでは8万人以上を前に演奏している。一方、同じ年のNIGHTWISHとの米国ツアーは病気による中止が相次ぎ、会場に来てしまった客のためにSONATA ARCTICAが無料で演奏する事態が起きた。ロシアで初めて演奏したのもこの年である。
6作目『The Days of Grays』は、発売日当日にゴールド認定を受けた。SONATA ARCTICAの作品でこれを成し遂げたのは初めてである。エリアス・ヴィルヤネンがギタリストとして参加した最初のスタジオ作でもあった。
2010年、バンドはオーストラリアで初めて演奏し、続いて中国と台湾でも初公演を行ってから日本へ回った。The Days of Grays World Tourは2009年7月9日から2011年8月15日まで、182公演・38か国という規模になり、オーストラリア、中国、台湾のほかグアテマラ、エクアドル、ベネズエラ、エルサルバドル、ウルグアイにも初めて足を踏み入れている。
2010年9月30日にミラノで予定されていたDVD収録公演は、9月初めにエリアス・ヴィルヤネンがトレーニング中に手を骨折したため延期された。仕切り直された収録は2011年に持ち越され、会場もフィンランドのオウルへ変更されている。
収録地がオウルへ移ったあと、バンドはミラノで2時間の特別公演を行った。前年にDVD収録公演のチケットを買っていたミラノの観客への埋め合わせで、そこで新DVDのセットリストが初めて披露されている。完成した『Live in Finland』の発売日は11月11日、つまり11/11/2011に合わせられた。
2011年1月、バンドは第1回となる70,000 Tons of Metalクルーズに参加した。マイアミからメキシコへ向かう船内で3日間ぶっ通しの公演が組まれ、SONATA ARCTICAはセットリストを入れ替えて2公演を演奏している。
2011年9月にスタジオへ入った7作目では、曲をステージに持っていきやすくすることが主眼に置かれた。その結果生まれたのが『Stones Grow Her Name』である。
2012年5月に出た『Stones Grow Her Name』は、予約分だけでゴールド認定に達した最初のSONATA ARCTICAのアルバムになった。米国のチャートに入ったのもこれが初めてで、ビルボードのHeatseekersチャートで9位につけている。
2013年8月26日、バンドは10年にわたってベースを弾いてきたマルコ・パシコスキの脱退を発表した。マルコ自身の説明では、ツアーを続ける生活がもう選択肢ではなくなり、バンドに必要なだけの動機や情熱を今は持てていないため、双方にとって別れたほうがよいという判断だった。バンド側は、彼がStones Grow Her Name World Tourを最後まで務め上げたことに謝意を記している。
後任のパシ・カウッピネンは、加入以前からすでにバンドの音に深く関わっていた人物である。公式声明によれば、彼はSONATA ARCTICAのDVD2作をミックスし、直前3枚のスタジオ・アルバムの一部を録音していた。SILENT VOICESのメンバーで、REQUIEMとWINTERBORNの元メンバーでもある。
2014年1月にマスタリングを終えると、バンドはレコーディング・アーティストとしての15周年を祝う特別ツアーに出た。フィンランドとラテン・アメリカで計25公演、全キャリアから曲を選んだ特別なセットで、通常より長い約2時間の内容だった。
2015年春、バンドはEcliptica over Europeという特別なツアーを行い、デビュー作を頭から最後まで通しで演奏した。8か国13公演という短い日程だった。Pariah's Child World Tourは同年8月22日のタンペレ公演で幕を閉じ、そこで『Ecliptica』全曲演奏は最後になった。この夜はアコースティック曲と通常のセットも含めて2時間半に及び、The Preacherがゲストとして加わっている。
2014年12月、バンドを題材にした書籍の英語版が電子書籍として発売された。バンド自身と近しい人々の証言で構成され、完全なディスコグラフィと未発表写真、そしてトニー・カッコが書いた短編「The Key」が収められている。公式サイトは、英語版は電子書籍のみで、紙の本は出ないと明記した。
9作目のレコーディングに入ろうとしていた矢先、同郷のNIGHTWISHから2016年春の北米ツアーへのサポート参加の話が来た。バンドはツアーを取り、アルバム制作のほうを後ろへずらしている。
『The Ninth Hour』のワールド・ツアーの途中、バンドはフィンランドでThe Winter Chapter Tourという特別な一連の公演を行った。ここではCalebのサーガを時系列順に通しで演奏し、さらに「White Pearl, Black Oceans」の2部作も両方演奏している。
完全アコースティックの公演を始めたきっかけは、新作のない夏に何か違うことをやろうという判断だった。それまでも折に触れて数曲をアコースティックで演奏しており、その反応が良かったことから、フェス・シーズンの一部を丸ごとアコースティックにすることを決めている。この公演には友人であるAMORALの元ギタリスト、マシ・フカリがギターで加わった。
10作目のプロデューサーには、長年バンドのフロント・オブ・ハウス(客席側の音響)を担当してきたミッコ・テゲルマンが起用された。2018年秋に再びStudio57へ入り、その秋を制作に費やしている。
2021年10月、バンドは2022年2月から3月にかけてフィンランドで15公演のアコースティック・ツアーを行うと発表した。声明の中でバンドは、Acoustic Adventuresの企画をここまで進めてきたので、そろそろ何枚か作品として出す時期であり、1枚目は2022年初頭に出ると述べている。長く行っていなかった土地でも演奏でき、セットには新曲もヒット曲も入るとした。
『Acoustic Adventures – Volume Two』は2022年9月30日にAtomic Fireから発売された。第1作と同じく、録音とプロデュースはミッコ・テゲルマンとバンドがフィンランドのStudio57で行い、ジャケットのアートワークはヤンネ・ピトカネンが手掛けている。
2020年12月、バンドは翌年の25周年を12公演のフィンランド・ツアーで祝うと発表した。2021年2月18日のユヴァスキュラ・Lutakkoで始まり、3月26日のエスポー・Kulttuurikeskusで終わる日程である。バンドはこの節目について、四半世紀続くバンドにいるのは本当に驚くべきことで、あらゆる冒険を経てまだここにいると述べ、キャリア全体から曲を選んで演奏するとした。
2023年10月13日に配信された「First In Line」は、電気を通したサウンドへ戻る新作の最初の断片として出された。トニー・カッコによれば、これは新作のために書いた最初のパワー・メタル曲で、デモ段階の仮題がそのまま曲名になっている。主題は、新しい世代を育てることへの不安である。テレビやタブレットといった電子的な画面に子育ての大きな部分を任せてしまっているのではないか、その端末は子どもにとって適切な「乳母」なのか、むしろ少し速度を落として本を読み、立ち止まることで得られる幸福を教えるべきではないか、という問いを立てた曲だと説明している。
11作目『Clear Cold Beyond』は2024年3月8日にAtomic Fireから発売された。初期作を思わせるアートワークはニコ・アンティラが手掛け、ミックスにはFinnvox Studiosのミッコ・カルミラが戻っている。公式発表はカルミラの担当範囲を『Ecliptica』(1999年)から『Stones Grow Her Name』(2012年)までと記した。マスタリングは、過去の作品にも関わってきたChartmakers Westのスヴァンテ・フォルスベックが担当している。
『Clear Cold Beyond』が速い曲に振れた理由について、トニー・カッコは、意図せず柔らかい作品が何枚か続いたあとで、もっとヘヴィにする必要をしばらく感じていたと述べている。それらの作品自体は今も好きだと断ったうえで、気持ちのいいメロディック・メタルのライヴを組み立てるための土台になる曲が前作には多くなかったと説明した。メタルへ戻ることは新たな出発のように感じられ、書くのも録るのも楽しかったという。
オリジナルの『Ecliptica』はTico-Tico studiosで録音され、ミックスはFinnvoxでミッコ・カルミラが手掛けた。カルミラはNIGHTWISHやCHILDREN OF BODOMの作品でも知られるエンジニアで、この人選は25年後の『Clear Cold Beyond』でもう一度効いてくることになる。
トニー・カッコは2019年のインタビューで、パワー・メタルというスタイルはバンドにとって一つの時期にすぎなかったと語っている。デビュー作『Ecliptica』にしてもパワー・メタルではない曲が相当数あり、彼は「FullMoon」や「Replica」をその例として挙げた。外から貼られたラベルと、当人の自己認識は最初から一致していなかった。
カッコによれば、この音楽性の出発点は1997年にSTRATOVARIUSの『Visions』に惚れ込んだことだった。まずカヴァーを演奏し、次に同じスタイルで自分のバンドの曲を書き始めたところで、思いがけずレコード契約が舞い込む。彼は、もし契約が5年遅れていたら別のスタイルの作品になっていたかもしれないと振り返っている。
初期の楽曲がライヴでキーを下げて演奏される理由を、カッコは2024年に説明している。デビュー作を録音した当時の彼はヘヴィ・メタルのステージ経験がほとんどなく、自分の声が定まっていなかった。そこでSTRATOVARIUSのティモ・コティペルトの歌い方を真似て、大きく高く歌っていたという。その音域は本来の自分のものではなく、彼自身は中音域のほうが自分の声が生きると考えている。
2003年、「Victoria's Secret」はフィンランドのシングル・チャートでEMINEMを追い抜いて1位に立った。Blabbermouthは、2001年にフィンランドのレコード産業協会から「Best Newcomer」に選ばれたことと並べて、この出来事をバンドの経歴上の目を引く達成のひとつに挙げている。
『Reckoning Night』は2006年2月にフィンランドでゴールド認定を受けた。同国のゴールドの基準は1万5千枚で、バンドはすでに3作目『Winterheart's Guild』で同じ水準に達していた。
2024年のインタビューでトニー・カッコは、『Reckoning Night』のツアーが180本から200本近くに及び、メンバー全員が燃え尽き気味だったと語っている。休みを取らずスタジオとツアーを往復し続けた結果で、振り返れば少し休むべきだったと本人は言う。次作での大きな方向転換は、この疲弊の直後に起きたことになる。
『Unia』はフィンランド語で「夢」を意味する。ミックスはヘルシンキのFinnvox studio、マスタリングはストックホルムのCutting Roomで行われた。
『Unia』は2007年5月にフィンランドでゴールド認定を受け、2009年時点ではプラチナ(3万枚)に近づいていた。
2007年、トニー・カッコはNORTHERN KINGSという企画に参加している。TERÄSBETONIのJ・アホラ、TAROT/NIGHTWISHのマルコ・ヒエタラ、CHARONのJ-P・レッパルオトと組んだ4人組で、80年代のヒット曲をメタル・アレンジで歌うカヴァー・アルバムを同年10月24日にリリースした。取り上げられたのはTINA TURNER、CUTTING CREW、PHIL COLLINS、DIRE STRAITS、PETER GABRIEL、DAVID BOWIEといった顔ぶれである。
8作目のタイトルを決めるにあたって、トニー・カッコはまず「8」の象徴性、無限のモチーフといった方向から考え、どれも使い古されていると判断して捨てている。行き着いたのは、自分たちがある時期からトーテム的な動物である狼を手放していたという気づきだった。楽曲が旧来のスタイルへ寄り、狼が何らかの形で複数の曲に戻ってきたことから、ジャケットに狼を置くことが決まる。追放された狼、すなわちパライア(のけ者)の子――そして古いロゴを連れ戻す新しい世代、というのが題の意味だった。
『Pariah's Child』は発売初週に、フィンランド1位、スイス13位、チェコ16位、オーストリア30位、ドイツ31位、オランダ52位、スペイン78位、イギリス127位という順位を記録している。ヘンリク・クリンゲンベリは、自国での1位はいつまでたっても古びない喜びだと語った。
再録音にあたってクリンゲンベリは、歴史を書き換えるつもりはないと明言している。オリジナルの『Ecliptica』はバンドの出発点であり、十代でなくなった今では再現しようのない無垢さと熱意を持つ特別な作品だという認識のうえで、新ヴァージョンはあくまで現在の編成で鳴らすとどうなるかというトリビュートであり更新だと位置づけた。どの曲かわからなくなるような大胆な再アレンジは避け、原盤に可能な限り忠実であろうとしたとも述べている。
2015年のクリスマス・シングル「Christmas Spirits」は、その時点で10年ほど前から存在していた曲だった。録音の時間が取れず、基礎トラックがようやく形になったのは『Pariah's Child』のセッションのときで、仕上げはその秋である。バンドは遅れた最大の理由を歌詞だとし、実際にクリスマスでもないかぎりクリスマスの気分に入るのはほぼ不可能だと説明した。そのうえで、雪もない秋にそれを書き上げたトニー・カッコに脱帽だと付け加えている。
『The Ninth Hour』のジャケットについて、トニー・カッコは背景に未来のユートピア的風景を置き、自然と人間の技術が均衡している状態を描いたと説明している。中央にあるのはつまみの付いた砂時計状の装置で、右側の器は人間の消えた自然、左側は自然を破壊し尽くした人間のディストピアを表す。つまみを回せば砂時計が傾き、片方の器が空いてその未来が消える――という仕掛けが彼の着想だった。
「Life」について、トニー・カッコは各アルバムに前向きな曲を最低1曲は入れようとしていると語っている。ただし前向きな歌詞を書くのはいつも苦労するとも認めており、メロディのせいで何度も「ハッピー・メタル」と呼ばれてきたが、歌詞のほうは大抵は日の当たる側を歩かず、音楽と対照をなしていると説明した。
『Talviyö』のジャケットには写真が使われている。ヘンリク・クリンゲンベリによれば、写真でジャケットを作りたいという話をしていたところ、故郷からさほど遠くない村の出身である受賞歴のある写真家オンニ・ヴィルヤミを見つけることができ、その作品がこのアルバムにぴたりと合ったという。
原点回帰に踏み切った理由として、トニー・カッコは3つを挙げている。ひとつは前作『Talviyö』が想定よりずっと柔らかく仕上がり、当時セットリストに1曲も残っていなかったこと。ふたつめは2枚のアコースティック・アルバムと10週間に及ぶそのツアーで、やりたかったことをやり切り、まったく違うことをやる準備ができたこと。みっつめは25周年公演で初期のパワー・メタル曲を持ち出したところ、観客の反応から大きなエネルギーを受け取ったことである。
「California」は、カリフォルニアが海に沈むという一行から始まった曲である。ただしトニー・カッコによれば、これは気候や地質の話ではない。彼は、大陸プレートの動く向きの関係で映画のように陸地が海へ滑り落ちることは物理的に起こり得ないという記事を読んでおり、そのうえで「カリフォルニアが海に沈んだらね」という言い回しを「豚が空を飛んだらね」と同じ意味で使ったと説明している。曲の中身は、自分を愛しているふりをしながら別の何かを狙っている相手に対して、それに気づいたと告げる関係の歌である。
『Stones Grow Her Name』のツアーの一環として、バンドは2013年2月に日本で3公演を行った。2月6日に東京・O EAST、7日に大阪・BIG CAT、8日に名古屋・クラブクアトロという日程である。
ライヴ作『FOR THE SAKE OF REVENGE』の日本盤には、「フォー・ザ・セイク・オヴ・リヴェンジ~レコニング・ナイト・ジャパン・ツアー2005」という副題が付けられた。日本での発売は2006年3月24日で、DVD+CDの限定盤とCD単体の通常盤が用意されている。
2018年7月25日には、日本でベスト盤『THE HARVESTS (2007-2017)』が2枚組で発売された。ボーナス・ディスクにはシングル・エディットや未収録曲に加え、BRYAN ADAMSの「RUN TO YOU」のカヴァーと「CHRISTMAS SPIRITS」が収められている。
アコースティック2部作の日本盤は、どちらも紙ジャケット仕様で発売された。『アコースティック・アドヴェンチャーズ Vol.1』は2022年1月19日(MICP-11630)、Vol.2は同年9月28日(MICP-11720)である。
『Acoustic Adventures – Volume Two』の日本盤解説は、この第2弾が特に人気のある初期の楽曲を中心に組まれていると説明している。クレジットを見ると、エリアス・ヴィルヤネンはギターに加えてバンジョーを、トミー・ポルティモはドラムとパーカッションを担当していた。
デモ「FullMoon」の時点で、速く、メロディアスで、キーボードが重く、クリーンなハイトーンが乗るという後年のスタイルはすでに固まっていた。公式サイトはこのデモを、バンドのトレードマークとなるサウンドを定めたものと位置づけている。
日本のレーベルMARQUEE AVALONの資料は、結成を1995年とし、中心にいたのはマルコ・パシコスキ(ギター)、ヤニ・リマタイネン(ギター)、トミー・ポルティモ(ドラム)の3人で、トニー・カッコ(ヴォーカル)とペンティ・ペウラ(ベース)が間もなく加わったと記している。一方でバンドの公式サイトは1996年と書いており、結成年については資料が割れている。
デビュー作『Ecliptica』の成功は、国内外でバンドに思わぬ仕事を運んできた。SCORPIONSやHELLOWEENといった大御所へのトリビュート盤に参加する道が、この一枚によって開かれている。
デビュー作を携えたEcliptica Tourは1999年8月8日に始まり、2000年6月30日に終わっている。公演数は60本、回った国は14か国。まだ無名だったバンドの最初の一年は、この規模で動いていた。
2000年夏、個人的な事情からベーシストのヤンネ・キヴィラフティが脱退する。後任に入ったのは初期メンバーのマルコ・パシコスキだった。彼はもともとギタリストだったが、復帰にあたってベースへ持ち替えている。
STRATOVARIUSとのツアーを終えたバンドは、次のアルバムまでの間をつなぐミニCD/EP『Successor』を発表する。未発表曲、カヴァー、ライヴ音源を集めた内容だった。
2002年初頭の南米ツアーは、ブラジル4公演とチリ2公演という短いものだった。それでも観客の声量は凄まじく、公式サイトは、いくつかの会場では客席のほうが楽器より大きく、バンド自身が自分たちの音を聴き取れなかったと記している。
デビュー作『Ecliptica』は、フィンランドのグラミー賞にあたるEmma Awardの「Best hard rock/heavy album」部門にノミネートされている。ノミネートが伝えられたのは、GAMMA RAYらとのヨーロッパ・ツアーの最中だった。
Silence Tourは2001年1月26日に始まり、2002年7月27日に終わっている。77公演、15か国。日本で初めて演奏し、そこで初のライヴ盤を録音し、南米へも初めて渡ったのがこの期間である。
ヘンリク・クリンゲンベリは、SONATA ARCTICAに加わる前におよそ10年をREQUIEMやSILENT VOICESといった地元のプログレッシヴ・メタル・バンドで過ごしていた。加入後の彼は、定位置から動かなかった前任者と違い、キーボード・コントローラーを抱えてステージを歩き回った。公式サイトは、バンドのライヴのエネルギーが上がり始めたのはこの頃からだと書いている。
ヘンリク・クリンゲンベリがSONATA ARCTICAの一員として初めてステージに立ったのは、2003年2月21日のトルニオ公演である。フィンランド国内の短いツアーで足慣らしをしたあと、バンドは新しい鍵盤奏者を披露するため日本へ向かった。
アルバム『Winterheart's Guild』自体もフィンランドで3位まで上がり、トップ10圏内に5週間とどまった。この年のフェス・シーズンはSweden Rock Festivalで幕を開け、Nummirock、ハンガリーのSziget Festivalを経て、2度目のWacken Open Airで締めくくられている。
Winterheart's Guild Tourは2003年2月21日から8月31日まで、46公演・6か国という短さだった。公式サイトはこれを、当時までで最も短いツアーだったと書いている。
『Reckoning Night』を出したあと、バンドは自分たちのヘッドライン・ツアーではなくNIGHTWISHのヨーロッパ・ツアーの前座を選んだ。公演によっては1晩に1万2千人を超える客席があり、公式サイトは単独ツアーよりも露出が大きかったと振り返っている。
2005年10月、バンドはヘルシンキのHartwall ArenaでNIGHTWISHの前座を務めた。その晩、NIGHTWISHは自らのDVD『End of An Era』を収録している。SONATA ARCTICAは2作目のフィンランド・ゴールド・ディスク(『Winterheart's Guild』)を2005年末に受け取った。
2006年初頭の北米ツアーは、29公演を28の異なる会場で行うという構成だった。バンドは2004年に短い東海岸ツアーを終えたとき、もっと長い形で戻ってくると約束しており、この日程はその履行にあたる。
『Unia』を携えたツアーで、バンドはメキシコで初めて演奏し、20日間の米国ツアーを回り、9月にはアトランタのProgPower Festivalに初出演した。ヨーロッパではEPICAとRIDE THE SKYを前座に迎えている。
Unia World Tourは2007年4月27日から2008年11月29日まで、157公演・26か国。エリアス・ヴィルヤネンにとって初のツアーであり、バンドがロシア、メキシコ、アルゼンチン、ペルーで初めて演奏した機会でもあった。
『The Days of Grays』のツアーでは、北米・カナダ公演の第2レグでDRAGONFORCEが前座に付いた。新作の宣伝でヨーロッパより先に北米を回るのは、このバンドとしては珍しい進め方だった。ヨーロッパではDELAINとWINTERBORNが前座を務めている。
ライヴDVD『Live in Finland』は、フィンランドの公式チャートで1位に達した。
『Live in Finland』は、ドイツの公式DVDチャートにも7位で初登場している。
2012年のヨーロッパ・ツアーではBATTLE BEASTが前座を務めた。このツアーと同年12月の北米ツアーはどちらもトニー・カッコ自身がカメラを回し、映像をバンドのYouTubeチャンネルに随時上げている。ツアー中の日常をファンが追えるようにするための試みだった。
2015年4月、トニー・カッコはKarmaflow: The Rock Opera Videogameに参加した。ロック・オペラとビデオゲームを掛け合わせた作品で、複数のアーティストが役を持って登場する。彼はゲーム好きとして長く楽しい仕事だったと述べたが、自分がどんな役だったかについては、あえて自分で確かめてほしいとして明かさなかった。
『The Ninth Hour』は、フィンランドのEmma-gaalaでベスト・メタル・アルバム部門にノミネートされた。Emmaはフィンランドのグラミー賞にあたる音楽賞である。
The Ninth Hour World Tourは2016年10月7日から2018年8月26日まで、162公演・29か国。ホンジュラス、イスラエル、ベラルーシでの公演は、このツアーが初めてだった。
『Talviyö』のリリース前、バンドは先行曲「A Little Less Understanding」を夏のフェスで演奏し、新作の予告として使った。アルバムの発売は2019年9月6日である。
『Acoustic Adventures – Volume Two』からの2枚目のシングルには、2003年の『Winterheart's Guild』収録曲「Victoria's Secret」が選ばれた。かつてフィンランドで1位を取った曲が、19年を経てアコースティックの姿で二度目のシングルになったことになる。
2020年11月、ドラマーのトミー・ポルティモがGEM SESSIONSのシグネチャー・アーティスト・シリーズ向けにジュエリーをデザインした。同社からの依頼を受けたもので、ペンダントとして同社のショップで販売された。
『Clear Cold Beyond』の本編は10曲で、デジパックとアナログ盤にのみボーナス・トラックが2曲付いた。1曲は「A Ballad For The Broken」、もう1曲はMARTIKAの「Toy Soldiers」のカヴァーである。
公式サイトのディスコグラフィには、アルバムやEPだけでなくシングルも並んでいる。最も古い項目は1999年のデビュー・シングル「UnOpened」で、そこから最新作『Clear Cold Beyond』まで、スタジオ作・ライヴ作・コンピレーション・DVD・シングルが一続きに並ぶ構成になっている。
結成年が資料によって食い違うのは、外部の記録が不正確だからとは限らない。2024年のインタビューでトニー・カッコ自身が、バンドが始まったのは「95年か96年」だと語っており、当事者の記憶の中でも年がひとつに定まっていない。25周年公演を行ったのも2021年である。
2007年9月のインタビューで、そのゲーム企画の中身が少しだけ語られている。トニー・カッコによれば、バンドの担当はヴォイス・オーヴァーの録音になるはずだったが、しばらく開発側から連絡が来ていない状態だったという。彼はその会社について、大手ではないという言い方をしている。
『Unia』からの先行シングル「Paid in Full」は、フィンランドのチャートに1位で初登場した。
2007年12月、トニー・カッコは米メリーランド州のプログレッシヴ・ロック/メタル・バンドODIN'S COURTのアルバム『Deathanity』にゲスト参加したことが伝えられた。彼が追加のリード・ヴォーカルを入れたのは「Crownet」という曲である。当時のODIN'S COURTはレーベルを持たない独立バンドだった。
『The Days of Grays』はフィンランドの公式チャートに2位で初登場し、発売日当日に1万5千枚を超えるセールスでゴールド認定を受けた。北米では2009年9月22日にNuclear Blastから発売されている。
『Stones Grow Her Name』は発売初週、フィンランドで1位、ハンガリー13位、スイス21位、ドイツ24位、オーストリア29位という順位を記録した。米国では初週およそ2,100枚を売り上げ、Heatseekersチャートの9位に入っている。フィンランドでは1万枚を超えてゴールド認定を受けた。
『Stones Grow Her Name』はフィンランド各地の複数のスタジオで録音され、ミックスはSonic Pump Studiosでミッコ・カルミラ、マスタリングはChartmakersでスヴァンテ・フォルスベックが担当した。ヨーロッパでは2012年5月18日、北米では同22日にNuclear Blastから発売されている。
先行シングル「The Wolves Die Young」について、トニー・カッコはシングルになるべくして生まれた曲であり、アルバム全体の道筋と雰囲気を決めた曲でもあると述べている。狼はここでも比喩で、恐れとそれをどう処理するか――むしろ恐れていること自体を否認してしまうこと――を指しているという。
「The Wolves Die Young」のミュージック・ビデオは2014年1月、フィンランド・ラハティのシベリウスハウスで撮影された。演出はRevolver Film Companyのパトリック・ウレウスで、彼はLACUNA COILやIN FLAMESの映像も手掛けている。
アルバムに先立って配信された「Cloud Factory」について、トニー・カッコはこの曲に耳に残る要素があり、シングルには悪くない性質だと述べている。歌詞は、父親が幼い息子の将来を、自分が今も通い、祖父もその父も通った同じ工場に見てしまうという話で、その心地よくも悪辣な循環が終わらないことを描いているという。
短いバラード「Love」は、幼い頃に出会って生涯連れ添う二人を歌った曲である。トニー・カッコは、SONATA ARCTICAのラヴ・ソングはどれも残酷で悲しく、必ず何かが狂っていると言われてきたと前置きしたうえで、幸福という未知の海域へ漕ぎ出す試みとしてこの曲を書いたと説明している。手を繋いで歩く老夫婦のような、誰もが受け取るに値するはずの、しかし稀な生涯の愛について歌ったものだという。
再録音は『Pariah's Child』のワールド・ツアーの合間にスタジオへ立ち寄る形で行われた。完成した『Ecliptica - Revisited; 15th Anniversary Edition』は2014年10月24日にNuclear Blastから発売され、先行デジタル・シングル「Kingdom For A Heart」は9月12日に配信されている。ボーナス・トラックとしてGENESISの「I Can't Dance」のカヴァーが収められた。
「Christmas Spirits」は2015年12月18日、つまりクリスマスの6日前にNuclear Blastから発売された。配信のほか、Nuclear Blastのオンライン・ショップ限定の数量限定EPという形も取られている。収録はオリジナル、ラジオ・エディット、オーケストラ・ヴァージョンの3種だった。
『The Ninth Hour』の作業が本格的に始まったのは2016年4月半ばで、フィンランド各地のホーム・スタジオが起点だった。メインの録音とミックスはアラヴェテリのStudio57で行われ、トニー・カッコの説明では、そこがすべての作業が最終的に集まる中心点として機能した。
『The Ninth Hour』の先行シングルであり冒頭曲でもある「Closer To An Animal」は、セッションの途中でトニー・カッコが「これがアルバムの1曲目になる」という言葉を添えてスタジオへ送ってきた曲だった。ヘンリク・クリンゲンベリによれば、デモを聴いた全員がそれに同意するほかなかったという。彼はこの曲を、メタルと80年代が出会ったタイプの曲だと表現し、アルバムの手触りが伝わるという理由で先行シングルに選んだと説明している。
「Life」の歌詞についてカッコは、人生の中で良いものを見つけ、傷つけたり害になったりしているものを見つけて、友人の助けを借りながらそれを前向きなものに置き換えていくよう促す内容だと述べている。外へ出て人と一緒にいて、経験を分かち合い、生きろということで、彼自身は間の抜けた言い方だと断りつつ、生きているほうが人生は良いのだと付け加えた。
『Talviyö』はフィンランド語で「冬の夜」を意味する。録音は2018年9月から2019年5月にかけてStudio57で行われ、プロデュースはミッコ・テゲルマンとバンド、ミックスはテゲルマンとパシ・カウッピネン、マスタリングはChartmakersのスヴァンテ・フォルスベックが担当した。
先行シングル「A Little Less Understanding」について、トニー・カッコは歌詞の面では「I Have A Right」の続編にあたるところがあり、新しい人間を育てる過程で正しい選択をすることの難しさを扱った曲だと述べている。制作の狙いとしては、少なくとも直前2作と音楽的に地続きのアルバムを作ることを考えていたという。
『Clear Cold Beyond』のセッションで最初に書かれ、実際に録音まで進んだ曲は、収録曲には入っていない。歌詞とアレンジの一部に納得がいかず外したもので、トニー・カッコはそれを直して次のアルバムに入れると述べている。つまり、原点回帰の口火を切った速いパワー・メタル曲は、この作品では聴けないことになる。
『Unia』での方向転換について、トニー・カッコは2024年のインタビューで、あれは自分ひとりの決定であり、他のメンバーは自分が何をしているのか理解していなかったと語っている。芸術的な自由でありカタルシスだったと考えていた一方で、賢いビジネス上の判断だったとは思わないとも述べた。彼はそこから、生活が懸かっているときに大きく遊ぶべきではなく、そういう野心はソロ・プロジェクトへ向けるのがよいという助言も引き出している。
『Unia』を作った経験から何を学んだかと問われたトニー・カッコは、自分は物事を複雑にしたがるのだと笑ったうえで、あの作品では何もかも自分ひとりでやろうとしていたと振り返っている。オーケストレーションを曲に使ったのもこの作品が初めてだったが、うまく実行できていたとは思っていない。得意な人に任せて自分は自分にできることへ集中すればいい、というのが最大の教訓だったという。
Blabbermouthは『Clear Cold Beyond』を、パンデミック期にアコースティックの領域へ出かけたあと、パワー・メタル的な楽曲への嗜好を蘇らせた10曲だと紹介している。高速の「First In Line」「California」から、感情を湛えた「The Best Things」や締めのタイトル曲まで、キャリアの各時期の要素を混ぜ合わせた内容だとした。