SKID ROW トリビア 全109件

SKID ROWにまつわる事実を、出典付きで109件掲載しています。

Trivia

SKID ROWが公式のライヴ・アルバムを出したのは、活動35年を超えてからだった。2024年9月20日にearMUSICから発売された『Live in London』が最初で、コンサート映画も同時に公開されている。収録はロンドンのO2フォーラム・ケンティッシュ・タウンのソールドアウト公演である。

出典: SKID ROW公式サイト「Skid Row Releases First Official Live Album + Concert Film, Live in London Available Now」

結成当初のバンド名はSKID ROWではなくDARKNESSだった。レイチェル・ボランによれば、デイヴ・スネイク・セイボがAEROSMITHの曲名から思いついたもので、その名前でライヴをやったことは一度もない。

出典: Loudwire「Watch Skid Row Rachel Bolan Reveal What the Band Original Name Was」

SKID ROWの名を巡っては、1970年前後にフィル・ライノットとゲイリー・ムーアが在籍したアイルランドの同名バンドへ35,000ドルを支払った、という話が長く流通してきた。アイルランド側の創設者ブレンダン・ブラッシュ・シールズは2012年にこれを事実ではないと述べ、レイチェル・ボランは2026年の取材で、1986年に名付けた当時アメリカでアイルランドのSKID ROWを知る者はおらず、相手はとうに活動していなかったため法的な問題は一切起きなかったと語っている。

異説あり出典: BLABBERMOUTH.NET「RACHEL BOLAN Says SKID ROW Never Ran Into Any Legal Problems With Late 1960s / Early 1970s Irish Band Featuring PHIL LYNOTT And GARY MOORE」

セバスチャン・バックがSKID ROWに繋がったのは、一本の結婚式だった。1987年6月14日、ニュージャージー州レッドバンクで開かれたロック写真家マーク・ワイスの披露宴で、当時19歳のバックは招かれて歌っている。列席していたジョン・ボン・ジョヴィの両親が、その直後にバックをバンドへ引き合わせた。

出典: Rolling Stone「See Pre-Fame Sebastian Bach, Zakk Wylde Jam on Led Zeppelin at a 1987 Wedding」

『Skid Row』のドラムの響きは、機材で作ったものではない。録音場所はウィスコンシン州レイク・ジェニーヴァのスタジオで、隣接するコンベンション・センターの巨大なホールにドラムを立てて録っている。ワグナーによれば、その部屋は前夜に120台の車を並べてオークションをやれるほどの広さで、レコードで聴こえるリヴァーブの大半はその空間そのものだという。スタジオを教えたのはロイ・トーマス・ベイカーだった。

出典: BLABBERMOUTH.NET「Producer MICHAEL WAGENER On SKID ROW Self-Titled Debut」

デビュー作は全米で5倍プラチナに達したが、その成功には後味の悪さが伴った。ツアーへの帯同と引き換えに、バンドはジョン・ボン・ジョヴィが当時設立したばかりの出版会社アンダーグラウンド・ミュージック・カンパニーと契約し、出版印税の権利を手放していた。収入はジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラに支払われ、公の論争を経て、サンボラは自分の取り分をバンドに返している。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SEBASTIAN BACH Says He Threatened To Quit SKID ROW After He And His Bandmates Signed Away Publishing Rights To JON BON JOVI」

「18 and Life」は、地元紙の記事から生まれた曲である。セイボは、18歳の少年が弾は入っていないと思って撃った銃で友人を死なせ、終身刑を受けたという報道を読んで書いた。共作者はレイチェル・ボランである。

出典: Songfacts「18 And Life by Skid Row」

「I Remember You」は、危うくアルバムに入らないところだった。セイボもボランも収録に乗り気ではなく、外す側の山に積まれていたという。入れるべきだと押し切ったのはバック、共同マネージャーのスコット・マギー、そしてプロデューサーのマイケル・ワグナーだった。曲が広く受け入れられたことで、自分がいつも正しいわけではないと学んだ、とセイボは振り返っている。

出典: Louder(Metal Hammer)「The 10 best Skid Row songs, by Dave Snake Sabo」

『Slave to the Grind』は、ビルボード200に初登場1位で入った最初のメタル・アルバムである。初週の売上は134,000枚。首位に到達したメタル作品としてはQUIET RIOTの『Metal Health』が先だが、あちらは徐々に上り詰めたもので、いきなり頂点から始まったのはこの作品が初めてだった。7月の終わりにはプラチナに達している。

出典: Louder(Metal Hammer)「11 things you never knew about Skid Row Slave To The Grind」

『Slave to the Grind』のジャケットを描いたのは、セバスチャン・バックの父親である画家デイヴィッド・ビアークだった。下敷きになっているのは17世紀イタリアの画家カラヴァッジョの《聖ルチアの埋葬》で、中央に横たわる人物はバック本人によく似ている。原画は2021年時点でバックの手元にあり、ハリケーンと二度の火災避難をくぐり抜けてきたという。

出典: Louder(Metal Hammer)「11 things you never knew about Skid Row Slave To The Grind」

「Quicksand Jesus」というタイトルは、セイボの母親の裏庭から来ている。木の周りに花が植わっていて、その花に埋もれるように小さな陶製のキリスト像が置かれていた。置かれ方のせいで、それがいつも流砂に沈んでいくように見えたのだという。ボランがそれをクイックサンド・ジーザスと呼び、曲名になった。

出典: Louder(Metal Hammer)「The 10 best Skid Row songs, by Dave Snake Sabo」

ボランは、バンドの最大の失敗は表題曲をシングルにしたことだと語っている。先行の「Monkey Business」が2週間でヒット扱いになり、次のシングルを決める前からラジオが勝手に「Quicksand Jesus」をかけ始めていた。にもかかわらず別の曲を出す方針が決まり、ボランとセイボはラジオ局に電話をかけて、その曲をかけないでほしいと頼んで回る羽目になったという。

出典: BLABBERMOUTH.NET「RACHEL BOLAN Reflects On SKID ROW Biggest Mistake」

1996年、KISSの再結成ツアーの前座という話がSKID ROWに来た。バックによれば、KISSに心酔していた彼はメンバーに相談せずにその話を受けてしまった。ボランはSKID ROWのローディーたちと組んだパンク・バンドの予定が入っていて動けず、話は流れる。腹を立てたバックはセイボに電話し、出なかったので留守番電話に罵倒を吹き込んだ。その音声はセイボの家族全員が聞くことになり、これが最後の一線だったと本人は認めている。

出典: Ultimate Classic Rock「How Sebastian Bach Profanity-Laced Rant Ended His Skid Row Run」

エリック・グロンウォールの加入は異例の速さだった。セイボによれば、バンドが彼に正式に依頼したのは初ステージの3週間半前で、実際に顔を合わせたのはその4日前。初日はSCORPIONSとのラスヴェガス・レジデンシーの初日である。しかもその時点で、彼はすでにアルバムのパートの大半を録り終えていた。

出典: Louder(Classic Rock)「How a new singer and producer helped Skid Row rediscover their fire」

SKID ROWはKISSの二度の「フェアウェル」ツアーの両方で前座に呼ばれている。2000年のツアーには約9か月同行し、2023年にもヨーロッパ公演への帯同が決まった。ボランは、それを言えるバンドは自分たちくらいではないかと語っている。彼にとってKISSの前座は、ジーン・シモンズを間近で見られるという意味でもあった。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW RACHEL BOLAN On Opening For KISS On Both Of Their Farewell Tours」

2026年、SKID ROWは結成40周年を迎えた。同じ年の2月5日、バンドは楽器販売のスウィートウォーターと組み、次のリード・ヴォーカリストを世界規模で公募すると発表している。締め切りは設けず、適任者が見つかるまで応募を見続けるという方針である。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW Partners With SWEETWATER To Launch Worldwide Search For New Singer」

2023年2月、SKID ROWは9年ぶりとなる日本公演を発表した。5月24日に大阪・COOL JAPAN PARK OSAKA WWホール、26日に東京・東京ドームシティホールという2公演である。

出典: SKID ROW公式サイト「Japan Concerts Announced」

しかしその日本公演は2023年5月22日に延期が発表された。理由はグロンウォールの体調で、彼はオーストラリア・ツアーの一部と日本公演を延期したことを自ら詫びている。

出典: SKID ROW公式サイト「Japan Tour Postponed - New dates announced soon」

初のライヴ・アルバム『Live in London』の日本盤は、ビクターエンタテインメントから発売された。公式サイトは2024年8月30日に日本のファンへ向けてその案内を出している。

出典: SKID ROW公式サイト「Available in Japan - Live In London」

バンド名義の酒類「Skid Row Spirits」は2024年8月に日本でも扱われるようになった。ミッドナイト・ウォッカと18 and Lifeラムの2本で、公式サイトは取扱店として宮古商会を案内している。

出典: SKID ROW公式サイト「Skid Row Rum and Vodka Available Now in Japan」

その来日は、エリック・グロンウォールを迎えた新体制で臨む初の日本公演になるはずだった。日本側の告知は「Youth Gone Wild」「18 And Life」「Slave To The Grind」といった代表曲から最新作『The Gang's All Here』までを網羅するベスト・ヒット・ライヴと案内している。

出典: 激ロック「SKID ROW、5月に来日公演決定!」

「I Remember You」は2025年、映画『マインクラフト/ザ・ムービー』のサウンドトラックに採用された。発表から30年以上を経て、レコードでもカセットでもCDでもなく劇場のスクリーンでこの曲に出会う世代が生まれている、というのがバンド自身の言い方である。

出典: SKID ROW公式サイト「Skid Row I Remember You Featured in the A Minecraft Movie Soundtrack」

1989年8月12日と13日、SKID ROWはモスクワのレーニン・スタジアム(現ルジニキ)で行われたモスクワ・ミュージック・ピース・フェスティヴァルに出演した。ドク・マギー率いるメイク・ア・ディファレンス財団が主催した薬物乱用防止のためのイベントで、共演はBON JOVI、MÖTLEY CRÜE、オジー・オズボーン、SCORPIONS、CINDERELLAだった。

出典: SKID ROW公式サイト「Celebrating the 35th Anniversary of the Moscow Music Peace Festival」

『Subhuman Race』の発売日は1995年3月28日である。バンドは2025年に30周年を記念し、公式チャンネルで制作の背景をまとめた映像と、ボランの自宅から届いたメッセージを公開した。

出典: SKID ROW公式サイト「30 Years of Subhuman Race」

ライヴ盤の場所がロンドンだったことには理由がある。バンドは、十代の頃はニュージャージーのストーン・ポニーやニューヨークのCBGBに立つことを夢見ていたが、やがてその夢の中心がロンドンに移り、憧れのバンドたちを生んだ街でヘッドライナーを務めることを思い描くようになったと述べている。スコッティ・ヒルはライヴ盤を出すことを長年やりたかったことのひとつに挙げ、場所の選択は完璧だったと語っている。

出典: SKID ROW公式サイト「Skid Row Releases First Official Live Album + Concert Film, Live in London Available Now」

2023年11月、バンドは自分たちの名を冠した酒類「Skid Row Spirits」を立ち上げた。ミッドナイト・ウォッカと、18 and Lifeという名の18年もののラムの2本立てである。ラムはガイアナで蒸留してアメリカン・オークで寝かせ、ヨーロッパでチーク材の樽に移して仕上げたもので、翌2024年に迎える同名曲の35周年に合わせた企画だった。

出典: SKID ROW公式サイト「INTRODUCING SKID ROW SPIRITS」

2006年の『Revolutions per Minute』は、2025年6月にearMUSICからリマスター再発された。180グラムのゲートフォールド・アナログ、CDデジパック、デジタル配信の3形態である。バンドはこの再発の告知のなかで、本作を手がけたのがデビュー作と『Slave to the Grind』も担当したマイケル・ワグナーであることをあらためて示している。

出典: SKID ROW公式サイト「Skid Row Revolutions Per Minute Returns: Remastered Album Reissue Now Available on Vinyl, CD & Digital」

応募者に課されたのは、自己紹介と、なぜ自分がSKID ROWの次のシンガーであるべきかの主張、そして「18 And Life」と「Monkey Business」を歌う映像である。バンドはこれをコンテストでも余興でもなく、バンドを先へ進める声と存在感を本気で探すものだと明言している。

出典: SKID ROW公式サイト「SKID ROW PARTNERS WITH SWEETWATER TO LAUNCH WORLDWIDE SEARCH FOR LEAD VOCALIST」

SKID ROWという名前は、リハーサルへ向かう車の中で決まった。ボランとセイボは片付いたばかりの事故現場を通り、四車線いっぱいにスリップ痕が残っているのを見た。ボランがTHE SKIDSを提案し、セイボが冠詞に難色を示したうえでSKID ROWを出し、ふたりはそのまま4マイルほど黙り込んだという。

出典: Loudwire「Watch Skid Row Rachel Bolan Reveal What the Band Original Name Was」

改名を告げられた側の反応も残っている。ボランはリハーサルに入るなり名前を変えたと宣言したが、当時彼が知っていたのはセイボだけで、他のメンバーとは面識が薄かった。ボランはその場の空気を、誰だこいつは、というものだったと振り返っている。

出典: Loudwire「Watch Skid Row Rachel Bolan Reveal What the Band Original Name Was」

名前について実際に話をつけた相手は、アイルランドのバンドではなくアメリカ人のソロ・シンガーだった。ボランによれば、中西部でアコースティック・ライヴをやっていたその人物はスキッドという名とロウという姓を名乗っており、バンドは大した金額ではない額で権利を買い取った。相手は、自分より君らのほうがこの名前を活かせるだろうと快く応じたという。

出典: BLABBERMOUTH.NET「RACHEL BOLAN Says SKID ROW Never Ran Into Any Legal Problems With Late 1960s / Early 1970s Irish Band Featuring PHIL LYNOTT And GARY MOORE」

同名だったアイルランドのSKID ROWは、フィル・ライノットとゲイリー・ムーアが最初にプロとして演奏したバンドとして知られる。ブラッシュ・シールズ(ベース)、ノエル・ブリッジマン(ドラム)、バーナード・チーヴァース(ギター)、ライノット(ヴォーカル)という顔ぶれで始まり、1970年代初頭に2枚のアルバム『Skid』と『34 Hours』を残して解散した。

出典: BLABBERMOUTH.NET「RACHEL BOLAN Says SKID ROW Never Ran Into Any Legal Problems With Late 1960s / Early 1970s Irish Band Featuring PHIL LYNOTT And GARY MOORE」

ベーシストのレイチェル・ボランは本名をジェイムズ・リチャード・サウスワースという。ステージ・ネームのレイチェルは、兄リチャードと祖父マニュエルの名前を組み合わせて作ったものだ。姓のボランはT・レックスのマーク・ボランへの敬意である。

出典: Loudwire「Watch Skid Row Rachel Bolan Reveal What the Band Original Name Was」

男性が女性の名前を名乗るという発想は、アリス・クーパーから来ている。ボランは少年時代に格好いいステージ・ネームが欲しいと考え、親世代が嫌がるだろうと踏んだうえでその名を選び、大人になってから法的に改名した。クレジットカードを出すたびに店員が発音に困るのは今でも変わらないという。

出典: Dallas Observer レイチェル・ボラン インタビュー

デイヴ・スネイク・セイボとジョン・ボン・ジョヴィは子供の頃からの友人である。セイボによれば、ジョンの家は3ブロック離れたところにあり、付き合いは2022年の時点で40年をゆうに超えていた。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW DAVE SNAKE SABO: JON BON JOVI Has Always Been A Great Mentor To Me」

ボン・ジョヴィがSKID ROWに与えたものは、ツアーの前座枠だけではなかった。セイボは、書いた曲を必ず聴かせては率直な感想をもらっていたと語り、いい程度では足りない、優れたものを目指せという姿勢を叩き込まれたと述べている。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW DAVE SNAKE SABO: JON BON JOVI Has Always Been A Great Mentor To Me」

SKID ROWは1986年にニュージャージーで、レイチェル・ボランとデイヴ・セイボが結成した。セバスチャン・バックが加わるのはその約1年後である。バンドはボン・ジョヴィと同じマネージャーと契約し、デビュー・アルバムが出るとすぐにボン・ジョヴィのニュージャージー・シンジケート・ツアーの前座に付いた。

出典: Songfacts「Youth Gone Wild by Skid Row」

セイボはボン・ジョヴィの初期メンバーだった。1984年にリッチー・サンボラがその座に就き、バンドはそこから急速に大きくなる。セイボが自分のバンドを立ち上げるのは、それから2年後のことだった。

出典: Songfacts「18 And Life by Skid Row」

同じ披露宴のバンドには、もう一人これから名を上げる若者がいた。ニュージャージー州ジャクソン出身の20歳のギタリスト、ジェフリー・ウィーラント。彼は同じ1987年のうちにザック・ワイルドと名を改め、オジー・オズボーンの右腕になる。二人はその日だけ同じバンドで、レッド・ツェッペリンの曲や、ケヴィン・ダブロウを迎えたQUIET RIOTの「Metal Health」を演奏した。

出典: Rolling Stone「See Pre-Fame Sebastian Bach, Zakk Wylde Jam on Led Zeppelin at a 1987 Wedding」

セイボが初めて観たロック・コンサートは、1977年12月にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたKISSだった。当時13歳。会場を出たときには自分が別人になっていたと語り、1年後にギターを手に取っている。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW RACHEL BOLAN On Opening For KISS On Both Of Their Farewell Tours」

ボランがベースを持った理由もKISSにある。ジーン・シモンズの存在がなければベースという楽器を知ることすらなかった、と本人が語っている。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW RACHEL BOLAN On Opening For KISS On Both Of Their Farewell Tours」

デビュー作を手がけたマイケル・ワグナーは、アトランティックに頼まれてニュージャージーへ飛び、彼らのライヴを観たのが初対面だった。ワグナーは即座に気に入り、全員が徹底してプロの音楽家だったと述べている。

出典: BLABBERMOUTH.NET「Producer MICHAEL WAGENER On SKID ROW Self-Titled Debut」

ワグナーはMETALLICA、MÖTLEY CRÜE、ACCEPTなど数多くの作品を手がけているが、2019年の時点で、自分が録音したなかで今も一番好きなレコードはこのデビュー作だと語っている。理由は音ではなく、全員がひとつの集団として噛み合っていたことだという。

出典: BLABBERMOUTH.NET「Producer MICHAEL WAGENER On SKID ROW Self-Titled Debut」

契約の中身を理解したとき、セバスチャン・バックは一度バンドを辞めている。本人が語るところでは、彼はボン・ジョヴィとの取り決めを結び直すこと、そして5人組のなかで自分が全体の25パーセントを取ることを条件に復帰を認めさせた。要求は通り、次のアルバムは全米初登場1位を記録することになる。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SEBASTIAN BACH Says He Threatened To Quit SKID ROW After He And His Bandmates Signed Away Publishing Rights To JON BON JOVI」

バック自身は後年、この件への恨みは残っていないと述べている。数えきれないほどのバンドがいたなかで自分たちが浮上できたのは、毎晩ボン・ジョヴィの観客の前に立たせてもらえたからだ、というのが彼の総括だ。契約は最初のアルバムの後に結び直され、『Slave to the Grind』『Subhuman Race』とベスト盤はその新しい条件で出ている。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW DAVE SNAKE SABO: JON BON JOVI Has Always Been A Great Mentor To Me」

デビュー作『Skid Row』はアメリカだけで500万枚を売った。発売から数日後にはボン・ジョヴィのツアーに合流しており、その報道の波に乗る形で一気に知られていった。

出典: Songfacts「I Remember You by Skid Row」

最初のシングルは「Youth Gone Wild」だったが、全米では99位止まりだった。流れを変えたのは次の「18 and Life」で、こちらは4位まで上がり、ラジオとMTVで大量に流れた。

出典: Songfacts「Youth Gone Wild by Skid Row」

「18 and Life」のミュージック・ビデオは、当時最前線にいたウェイン・アイシャムが監督した。歌詞をほぼそのまま映像化した内容で、MTVで大きく回り、バンドの知名度を一段引き上げている。

出典: Songfacts「18 And Life by Skid Row」

セイボにとって「18 and Life」は、ボランとの共作関係が本物だと確信できた曲だった。自分の頭の中にあった曲の輪郭をボランが受け取り、そこから先へ進めていく——その過程で、二人には人に届く曲を書ける可能性があると気づいたのだという。

出典: Louder(Metal Hammer)「The 10 best Skid Row songs, by Dave Snake Sabo」

「Youth Gone Wild」の歌詞は、最初はまったく別のものだった。ボランが書き直したものが採用され、セイボはこのとき、作詞家としては自分よりボランのほうが上だと理解したと語っている。

出典: Louder(Metal Hammer)「The 10 best Skid Row songs, by Dave Snake Sabo」

バックは加入時に送られてきたカセットの中で「Youth Gone Wild」が一番好きだった。レコード契約もマネージャーもまだ無い、クラブ回りのバンドだった時期に、彼はその曲名を腕に彫っている。売れてから彫ったと思われがちだが順序は逆だ、と本人が念を押している。

出典: Songfacts「Youth Gone Wild by Skid Row」

「I Remember You」のビデオは、ボン・ジョヴィの「Livin' On A Prayer」も手がけたマーク・レショフスキーが監督した。バンド名の由来である skid row(どん底)という言葉を踏まえ、想い人の写真を持ち歩くホームレスの男を描いている。

出典: Songfacts「I Remember You by Skid Row」

あのフェスの内幕を語るうえで外せないのが、出演した大物7組のうち5組——BON JOVI、SCORPIONS、MÖTLEY CRÜE、SKID ROW、そして地元のGORKY PARK——のマネージャーが同じドク・マギーだったという事実である。

出典: Louder「Parties and punch-ups: behind the scenes at the 1989 Moscow Music Peace Festival」

各バンドの持ち時間は6曲ずつだった。SKID ROWはその短い枠にセックス・ピストルズの「Holidays in the Sun」を差し込んでいる。

出典: Louder「Parties and punch-ups: behind the scenes at the 1989 Moscow Music Peace Festival」

表題曲「Slave to the Grind」は、リハーサル室で一発録りされたものがそのままレコードに入っている。共同プロデューサーのマイケル・ワグナーによれば、録音からミックスまで1時間で終わり、後からミックスし直してもいない。

出典: Louder(Metal Hammer)「11 things you never knew about Skid Row Slave To The Grind」

アルバムの大半は、フロリダ州フォート・ローダーデールにあるグロリア・エステファンのニュー・リヴァー・スタジオで録られた。バンドが中にいると知れ渡り、駐車場に集まる子供たちの数は日ごとに増えていく。ある日その数が40人ほどになったところで、バックは特大のピザを5枚注文し、外へ出て一緒に座って配った。翌日はもっと来てしまったので、やったのは一度きりだという。

出典: Louder(Metal Hammer)「11 things you never knew about Skid Row Slave To The Grind」

SKID ROWがPANTERAをアメリカに広く紹介する役を買って出たのは、アルバム制作中の休憩時間だった。スコッティ・ヒルが『Cowboys From Hell』を取り出してステレオにかけ、バックはそのリフを聴いた瞬間に、探していたツアーの相手が見つかったと確信したという。1991年の『Slave to the Grind』ツアーで、PANTERAはSKID ROWのサポート・アクトを務めた。

出典: Louder(Metal Hammer)「11 things you never knew about Skid Row Slave To The Grind」

そのツアーにはもうひと組、意外な名前が短期間だけ加わっている。PANTERAが一時離脱した3週間、代わりに前座に入ったのはSOUNDGARDENだった。バックは後年、クリス・コーネルが毎晩ステージ上で陸上競技のように走り回り、ドラム・ライザーの裏でトランポリンを跳ぶなどして、自分たちのヘヴィ・メタル的な所作をからかっていたと書いている。

出典: Louder(Metal Hammer)「11 things you never knew about Skid Row Slave To The Grind」

『Slave to the Grind』にはクリーン盤が存在する。PMRC(ペアレンツ・ミュージック・リソース・センター)の圧力を受けて作られたもので、収録曲「Get The Fuck Out」が「Beggar's Day」に差し替えられている。バック自身は、差し替えで入ったほうの曲のほうが優れていると述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)「11 things you never knew about Skid Row Slave To The Grind」

「Monkey Business」のヴォーカルを録った日、スタジオにはMETALLICAのラーズ・ウルリッヒがいた。バックは彼を正面に見据えながら歌い、出来を尋ねている。

出典: Louder(Metal Hammer)「11 things you never knew about Skid Row Slave To The Grind」

表題曲のビデオ撮影当日、現場にはビキニ姿の女性モデルが用意されていた。バックはその演出を拒否し、この曲はそういう内容ではないと主張して企画を止めさせている。当時としては波風を立てる行動だったが、監督は最終的にその判断を支持したという。

出典: Louder(Metal Hammer)「11 things you never knew about Skid Row Slave To The Grind」

セイボは『Slave to the Grind』を自身のお気に入りのSKID ROW作品に挙げている。デビュー作の薄めた焼き直しになるだろうという周囲の予想を裏切ったこと、そしてメンバー全員がその点で一致していたことを誇りに思う、というのが理由だ。

出典: Louder(Metal Hammer)「11 things you never knew about Skid Row Slave To The Grind」

「Quicksand Jesus」の制作が始まったのは湾岸戦争のさなかだった。セイボは、大人の目で戦争を見た最初の経験であり、その醜さと破壊について音楽で発言できる立場に自分たちが立っていることを意識したと述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)「The 10 best Skid Row songs, by Dave Snake Sabo」

「In a Darkened Room」はバラードだが、扱っているのは児童虐待である。1991年当時、それは公に語られ始めたばかりの題材だった。「Youth Gone Wild」のバンドがこれを歌うのは意外に映ったかもしれない、とセイボは認めたうえで、自分たちは最初から見た目より複雑なバンドだったと述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)「The 10 best Skid Row songs, by Dave Snake Sabo」

セイボによれば、第2作の方向を決めたのは「Monkey Business」だった。世界を回って見聞きしたものがそのまま出た曲で、無理に作ったところがなく、これでアルバム全体の調子が定まったという。

出典: Louder(Metal Hammer)「The 10 best Skid Row songs, by Dave Snake Sabo」

「Wasted Time」の歌詞は、バックが友人のスティーヴン・アドラーについて書いたものである。GUNS N' ROSESの初代ドラマーだったアドラーは、ヘロイン依存が演奏に影響し、1990年にバンドを解雇されていた。

出典: Songfacts「Wasted Time by Skid Row」

『Slave to the Grind』は初登場1位を取ったが、シングルは伸びなかった。最も当たった「Wasted Time」でも全米88位止まりである。

出典: Songfacts「Wasted Time by Skid Row」

ボランにとって『Slave to the Grind』が愛着のある作品なのは、1位を取ったからではない。音を180度変えたことで、SKID ROWがヘア・メタルのバンドではなくハード・ロックのバンドとして受け取られるようになった——そこが理由だと2013年に語っている。

出典: BLABBERMOUTH.NET「RACHEL BOLAN Reflects On SKID ROW Biggest Mistake」

1992年のカヴァーEP『B-Side Ourselves』では、ライヴ録音のJUDAS PRIEST曲「Delivering the Goods」にロブ・ハルフォードが参加し、バックと歌っている。他にKISS、RUSH、ジミ・ヘンドリックス、そしてRAMONESの「Psycho Therapy」が取り上げられた。

出典: Louder「Skid Row - B-Side Ourselves album review」

『Subhuman Race』でプロデューサーを務めたボブ・ロックのやり方は、SKID ROWが慣れていたものと違った。ロックは曲をいったん解体し、こう弾け、ここをこうしろと細かく指示した。ボランは、そのやり方がロック本人とMETALLICAにとって有効なのは分かるとしたうえで、自分にはロックが何を求めているのか分からなかったと語っている。

出典: Ultimate Classic Rock「Rachel Bolan Details Skid Row Frustration With Bob Rock」

ボランは『Subhuman Race』の制作期間を、バンドの終わりの始まりだったと振り返っている。当時すでにバンドは崩れつつあり、これが最後のアルバムになるだろうという見通しは制作中から明らかだったという。完成した音についても、自分は納得していなかったと述べている。

出典: Ultimate Classic Rock「Rachel Bolan Details Skid Row Frustration With Bob Rock」

「Breakin' Down」は、セイボが初めて一人で書き上げた曲であり、SKID ROWの曲として初めて映画のサウンドトラックに使われた曲でもある。使われたのはクリストファー・ウォーケン主演の『プロフェシー』だった。

出典: Louder(Metal Hammer)「The 10 best Skid Row songs, by Dave Snake Sabo」

セイボは同じ時期についてこうも述べている。成功は人間関係のひび割れを覆い隠してしまうが、逆境が来ると各人の本性が出る。90年代半ばのSKID ROWに起きたのはそれで、「Breakin' Down」はその時期の空気をそのまま映した曲だという。

出典: Louder(Metal Hammer)「The 10 best Skid Row songs, by Dave Snake Sabo」

バックは1996年までフロントマンを務め、解雇された。残されたメンバーは活動を止めてしまわず、OZONE MONDAYという名前で短期間バンドを続けている。

出典: BLABBERMOUTH.NET「Singer JOHNNY SOLINGER Quits SKID ROW」

オリジナル編成の再結成について、セイボは2024年にあらためて否定した。そのうえで彼は、決めているのは自分とスコッティ・ヒルとボランの3人であり、ボランの独断だと決めつけるのは間違いだと述べている。ボランは長年この件で一人だけ責めを負ってきたが、何も言い返してこなかった、というのがセイボの説明だ。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW Partners With SWEETWATER To Launch Worldwide Search For New Singer」

SKID ROWが動き出したのは2000年で、KISSのサポート・アクトとしてのツアーが再始動の場になった。ヴォーカルはテキサス出身のジョニー・ソリンジャー、ドラムは元SAIGON KICKのフィル・ヴァローン。ここにセイボ、スコッティ・ヒル、ボランが加わる編成が、2003年に『Thickskin』を出した。

出典: Metal-Rules.com スコッティ・ヒル インタビュー

『Thickskin』には、「I Remember You Two」という名で「I Remember You」の再録音が収められている。ソリンジャーの声域に合わせてテンポを大きく上げた作り直しで、この判断は往年のファンから強い反発を受けた。

出典: Songfacts「I Remember You by Skid Row」

『Thickskin』は完成までに2年かかっている。ボランによれば、この時期のバンドはKISSとのツアーやRock Never Stopsツアーで動き続けており、移動中に書き、ツアーの合間にまた書いては録音するという細切れの進め方しかできなかった。彼はその状況を、デモリション・ダービーの真ん中で運転を覚えるようなものだったと言い表している。ソリンジャーとヴァローンにとっては初めてのSKID ROW作品だった。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW To Release Thickskin In July」

『Thickskin』はバンド自身のレーベル、Skid Row Recordsから発売された。当初の予定は2003年7月22日だったが、流通側の事情で8月5日にずれ込んでいる。宣伝はすでに7月22日で進んでいたため、バンドはこの変更を歓迎していなかった。発売に合わせて、制作過程を追った映像作品『Under the Skin — The Making of Thickskin』も出ている。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW: New Album Delayed」

『Revolutions per Minute』でバンドが唯一決めていたのは、バラードを1曲も入れないということだった。スコッティ・ヒルは、そこはもう散々やったと述べている。部屋に入って演奏し、出てきたものをそのまま作品にする——それ以外に方針は立てなかったという。

出典: Metal-Rules.com スコッティ・ヒル インタビュー

そのアルバムには「You Lie」というカントリー曲が入っている。ヒルは、全体としては直球のロック作でありながらこの1曲だけが例外だと説明しており、RAMONESの影響が常に自分たちの肩に乗っているとも語っている。

出典: Metal-Rules.com スコッティ・ヒル インタビュー

『Revolutions per Minute』は、マイケル・ワグナーが15年ぶりに手がけたSKID ROW作品だった。ミックスを終えて全員で聴いた後、ワグナーは自分から電話をかけてきて、この仕上がりは気に入らないので全曲ミックスし直したいと申し出たという。ヒルによれば、彼はドイツ人らしく完璧を求める人だった。

出典: Metal-Rules.com スコッティ・ヒル インタビュー

2010年5月、SKID ROWはドラマーのデイヴ・ガラと袂を分かち、後任にアトランタ出身のロブ・ハマースミスを迎えたことを発表した。ハマースミスは以後、現在まで在籍している。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW Parts Ways With Drummer, Announces Replacement」

ハマースミスの加入は急な話だった。セイボは、覚える曲を大量に渡したうえに時間はほとんど与えなかったが、彼は見事にやり切ったと述べている。

出典: Sleaze Roxx「Skid Row announce Rob Hammersmith as new drummer」

ジョニー・ソリンジャーは2015年4月にSKID ROWを離れた。在籍は15年に及び、AEROSMITH、BON JOVI、KISSといったバンドと同じステージに立ってきた。彼はSKID ROW史上もっとも長くマイクを握ったヴォーカリストである。

出典: BLABBERMOUTH.NET「Singer JOHNNY SOLINGER Quits SKID ROW」

ソリンジャーは2021年6月、55歳で亡くなった。同年春に肝不全と診断されたことを自身のSNSで公表しており、SKID ROWも訃報に際して追悼のコメントを出している。

出典: Ultimate Classic Rock「Former Skid Row Singer Johnny Solinger Dead at 55」

ソリンジャーの後任として2015年4月に加入したのは、TNTのトニー・ハーネルだった。その在籍は短く終わり、次のヴォーカリストにZPサートが座ることになる。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW Officially Recruits Ex-DRAGONFORCE Singer ZP THEART, Prepares To Make New Record」

ZPサートの加入が正式に発表されたのは、2017年1月14日、カナダ・ノヴァスコシア州ハリファックスの公演中だった。ボランはRAMONESの「Psycho Therapy」を歌う前に客席へ向かって、この男はもう1年一緒にやっている新しいリード・シンガーだと紹介している。南アフリカ生まれでイギリスを拠点とするサートは、DRAGONFORCE、TANK、I AM Iを経てSKID ROWに加わった。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW Officially Recruits Ex-DRAGONFORCE Singer ZP THEART, Prepares To Make New Record」

ワグナーは2019年の時点で、SKID ROWと再び組んでいた。手がけていたのはEP三部作『United World Rebellion』の完結編にあたる作品で、これはZPサートを迎えてからの初録音でもあった。

出典: BLABBERMOUTH.NET「Producer MICHAEL WAGENER On SKID ROW Self-Titled Debut」

グロンウォールが視野に入った経緯もセイボが説明している。バンドは2009年のスウェーデンのオーディション番組で彼が「18 and Life」を歌ったのを知っており、ヴォーカリストの交代を考え始めた頃、彼が同じ曲を新たに歌い直したものを耳にした。試しに数曲送ったところ、24時間以内に歌が返ってきて、全員がその場で決まりだと理解したという。

出典: Louder(Classic Rock)「How a new singer and producer helped Skid Row rediscover their fire」

『The Gang's All Here』はZPサートのヴォーカルで3〜4曲すでに録音されていた。セイボは、サートは良いシンガーで良い人物であり悪感情はないとしたうえで、進みたい方向が逆になっていたと説明している。

出典: Louder(Classic Rock)「How a new singer and producer helped Skid Row rediscover their fire」

プロデューサーのニック・ラスキュリネッツは、曲をいちど分解してから組み直すやり方でバンドを普段の型から引き剥がした。ある部分について彼が出した注文は、デビュー作の「Big Guns」の2番のヴァースで書いたようなものをここでやってみろ、というものだった。セイボは、それによって自分たちのもともとの本質に引き戻されたと述べている。

出典: Louder(Classic Rock)「How a new singer and producer helped Skid Row rediscover their fire」

ヴォーカリストを替えると決めたとき、セバスチャン・バックの名前が候補に挙がることはなかった。セイボは、その質問をされたのは初めてではないと前置きしたうえで、彼は検討の対象ですらなく、自分たちはとうにその段階を過ぎていると答えている。

出典: Louder(Classic Rock)「How a new singer and producer helped Skid Row rediscover their fire」

ニック・ラスキュリネッツがプロデュースした『The Gang's All Here』は、9か国のチャートでトップ20に入った。バンドはその後ヨーロッパ・ツアーを回り、SCORPIONSとのラスヴェガス・レジデンシーもこなしている。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW RACHEL BOLAN On Opening For KISS On Both Of Their Farewell Tours」

セイボによれば、ライヴ盤の構想自体は以前からあったが、いつも機が熟していなかった。ロンドンのフォーラムに向かう時点でバンドが完全に噛み合っていると感じられたため、次に同じ機会が来るとは限らないと考えて録ることにしたという。結果として、それがグロンウォール在籍期の記録として残った。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW DAVE SNAKE SABO Explains The Band Split With Singer ERIK GRÖNWALL」

2024年3月、グロンウォールはSKID ROWを離れることを発表した。2021年3月に急性リンパ性白血病と診断された彼は、バンドのリード・シンガーを務めながら健康と回復を最優先にすることが難しくなっていたと説明し、それができないなら自分はこの役目に相応しくない、とメンバーに伝えたという。

出典: Consequence「Singer Erik Grönwall Exits Skid Row」

セイボの側から見た経緯も残っている。骨髄移植を経て寛解に入ったグロンウォールが歌える状態に戻りたがっていたところへ、バンドが録ったばかりの新作を歌わないかと声をかけた。ツアーが始まると体力の問題は早い段階で双方に見えており、日程を調整して折り合いを探ったが、医師や家族との話し合いを経て、健康面でもバンドの経済面でも成立しないという結論になったという。彼の在籍は3年近くに及んだ。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW DAVE SNAKE SABO Explains The Band Split With Singer ERIK GRÖNWALL」

代役の発表はグロンウォールの脱退と同じ2024年3月27日だった。バンドはリジー・ヘイルを長年の友人と紹介し、ヘイル自身もその日のうちにインスタグラムで受諾を告知して、グロンウォールの次の道が素晴らしいものになるよう願うと書き添えている。彼女がその投稿の最後に置いたのは、どのレザー・パンツを履くべきかという冗談だった。担当する4公演は5月17日イリノイ州、18日アイオワ州、31日ネヴァダ州、6月1日カリフォルニア州である。

出典: BARKS「リジー・ヘイル、スキッド・ロウの代理シンガー抜擢にコメント」

グロンウォールの脱退後、すでに決まっていた4公演のマイクを引き受けたのはHALESTORMのリジー・ヘイルだった。初日は2024年5月17日、イリノイ州カーターヴィルのウォーカーズ・ブラフ・カジノ・リゾート。セットは「Slave To The Grind」で幕を開けている。

出典: BLABBERMOUTH.NET「Watch: LZZY HALE Fronts SKID ROW For First Time In Carterville, Illinois」

ヘイルがSKID ROWとして歌った最後のステージは、2024年6月1日、カリフォルニア州ホイートランドのハードロック・ライヴ・サクラメントだった。全4公演は5月17日から6月1日までの短い期間に収まっている。

出典: BLABBERMOUTH.NET「Watch: LZZY HALE Plays Fourth And Final Concert As Singer Of SKID ROW」

ヘイルはこの4公演を競技のように準備した。エアロバイクを漕ぎながらセット全曲を歌い、最後まで声が持つか、高音が出るかを確かめている。ボランとセイボから送られてきたセットリストを手に、バックの節回しやアレンジ、タイミングを徹底的に聴き込むことになり、彼女はそれを願ってもない機会だったと語っている。

出典: BLABBERMOUTH.NET「Watch: LZZY HALE Plays Fourth And Final Concert As Singer Of SKID ROW」

ヘイルの代役を見たジョン・ボン・ジョヴィは、2024年6月の質疑応答企画で、彼女にSKID ROWへ加入してほしいと公に呼びかけた。ヘイル本人はその反応として、自分の中の十代の自分がジョン・ボン・ジョヴィに認識されていることに驚いていると述べている。

出典: Louder「Lzzy Hale reacts to Jon Bon Jovi telling her to join Skid Row」

反響は大きかったが、ヘイルが正式にSKID ROWへ加入することはなかった。彼女は4公演を終えてメンバーやクルー、ファンに感謝を伝えたうえで、この役目を恒久的に引き受けることはできないと明言している。

出典: BARKS「リジー・ヘイル、スキッド・ロウのメンバーやファンに感謝も「永続的にはできない」」

ヘイルとの公演は、バンドの次の一手にも影響した。SKID ROWはその経験でバンドの新しい面が見えたとし、以後シンガーを選ぶにあたって性別は条件にしないと述べている。

出典: BARKS「スキッド・ロウ、セバスチャン・バックとのリユニオン「これまで同様、ない」」

2024年夏の時点で、バンドは急いで後任を決めるつもりはないと語っていた。ボランはホラー系コンベンションでの質疑応答で、常に曲は書き続けており、いま並行してシンガーを探している最中だと述べ、注目している人物が2〜3人いてオーディションをやるつもりだと明かしている。

出典: BARKS「スキッド・ロウ、新シンガー・サーチ「何人かに注目していてオーディションをやる」」

ボランが挙げる条件は3つある。強い声が出ること、長期のツアーに耐えられること、そして一緒にいて楽しい人間であること。彼はこの3つ目が最も重要だと述べ、選考にはボラン、セイボ、スコッティ・ヒル、ロブ・ハマースミスの4人全員の合意が必要だと語っている。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW Partners With SWEETWATER To Launch Worldwide Search For New Singer」

選考にはプロデューサーのニック・ラスキュリネッツも加わっている。ボランは2026年初頭の時点で候補が数名に絞られつつあると述べ、期限を切るつもりはないとしたうえで、ブッキング・エージェントから、2年でも3年でもかかった分だけ公演はちゃんと残っていると言われたことを引いている。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW Partners With SWEETWATER To Launch Worldwide Search For New Singer」

SKID ROWのフロントマンの席は、バックの脱退以降4人が座ってきた。ソリンジャー、ハーネル、サート、そしてグロンウォールである。グロンウォールはその4人目にあたる。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW Partners With SWEETWATER To Launch Worldwide Search For New Singer」

スコッティ・ヒルは2026年1月末の取材で、この仕事の難しさを二つ挙げている。ひとつは単純に曲が歌いにくいこと。もうひとつは、自分たちは家族のように仲が良いので、その輪に入れる人でなければならないということだった。

出典: BLABBERMOUTH.NET「SKID ROW Partners With SWEETWATER To Launch Worldwide Search For New Singer」