RIOT トリビア 全86件

RIOTにまつわる事実を、出典付きで86件掲載しています。

Trivia

RIOTのデビュー作『Rock City』(1977) は、翌1978年に日本で『ロック・シティ ~怒りの廃墟~』という邦題で発売された。収録曲「Warrior」は「幻の叫び」の邦題でシングル・カットされ、日本でヒットしている。バンドがアメリカ本国でほとんど売れなかった時期の話である。

出典: ワードレコーズ(日本盤レーベル)

2011年の『Immortal Soul』は日本先行発売だった。日本盤は10月19日にアヴァロン/マーキーからMICP-11020として、「Fight or Fall」のライヴ・テイクをボーナス・トラックに加えて出ている。ヨーロッパは10月26日のスカンジナビアを皮切りに10月末まで、米加は11月22日だった。マーク・リアリの生前最後のスタジオ盤である。

出典: アヴァロン/マーキー(日本盤レーベル)

ライヴ盤『Shine On』は、2017年6月30日にメタル・ブレイドからボーナスDVD付きで再発されている。そのDVDは1998年1月31日と2月1日にクラブチッタで行われた公演の映像で、アンコールの一部には2月1日の演奏が収められている。

出典: メタル・ブレイド・レコード(公式リリース・ページ)

2018年3月10日・11日の川崎CLUB CITTA'公演は『Thundersteel』発表30周年の記念公演で、二部構成・約2時間半、第2部が同アルバムの完全再現だった。両日の違いは第1部の2曲だけで、10日にしか演奏されなかった「Still Your Man」と「Black Leather and Glittering Steel」は、のちに映像作品の日本盤限定ボーナスとして収録されている。

出典: ワードレコーズ(日本盤レーベル、作品特設ページ)

その『RIOT祭2024』に出演し、川崎・渋谷の両公演にゲストとして加わったのが、イタリアのWHITE SKULLのヴァレンティノ・フランカヴィラだった。2026年にトッド・マイケル・ホールが脱退すると、後任としてバンドの前に立つことになったのはこの人物である。作品化された『RIOT祭2024 LIVE IN JAPAN』には、結果的に新旧のヴォーカリストが同じステージで歌う場面が残された。

出典: ワードレコーズ(日本盤レーベル)

『Mean Streets』の日本盤限定ボーナスCDには未発表音源が収められている。1990年の『The Privilege of Power』に入っていた「Killer」の、ジョー・リン・ターナー単独ヴォーカル・ヴァージョンである。同じディスクには「Sign of the Crimson Storm」のレット・フォレスターが歌った1986年ヴァージョンも入っている。

出典: ワードレコーズ(日本盤レーベル)

その「Warrior」は1979年8月、日本の歌謡界にまったく別の姿で現れている。アイドル歌手・五十嵐夕紀のシングル「バイバイ・ボーイ」がそれで、原曲のサビ「Shine, shine on」は「バーイ バイ ボーイ」という日本語詞に置き換えられた。編曲は馬飼野康二。

出典: Re:minder(音楽コラム媒体)

2作目『Narita』(1979) は、まず日本だけで発売され、アメリカ盤はそのあとに出た。タイトルは東京の国際空港「成田」から採られている。ただし空港名を借りた理由をバンド自身が語った資料は確認できておらず、日本側の音楽コラムが成田闘争を動機として挙げるのに対し、英語圏の資料は空港名までしか踏み込まない。

異説あり出典: Louder(Classic Rock)

1981年3月7日付の米業界誌ビルボードの国際欄に、RIOTが日本のビクターと再契約したという東京発の短信が載っている。同じ記事は、アメリカでの窓口はキャピトル・レコードだとも書いている。

出典: ビルボード誌 1981年3月7日号(World Radio History 所蔵)

RIOTの初来日は1989年12月で、ジャパン・ツアーの初日は12月11日の大阪・毎日ホールだった。開演はマーク・リアリが弾く「Narita」のイントロ、ヴォーカルはトニー・ムーアという布陣である。

出典: Re:minder(音楽コラム媒体)

マーク・リアリは2009年の取材で、1989年の初来日を自分たちにとって前例のない出来事だったと振り返っている。半年後には倍のギャラで再び呼ばれ、その年のベスト・ライヴ・バンドにも選ばれた、というのが本人の説明である。

出典: Metal Rules(マーク・リアリ本人インタビュー)

マーク・リアリは2009年の取材で、もう1人ギタリストを入れようと考えたきっかけを1989年の日本公演に置いている。日本では2時間に及ぶ長いステージをこなす必要があり、初期の曲まで全部演奏しなければならなかった、というのが本人の説明である。

出典: Metal Rules(マーク・リアリ本人インタビュー)

そのもう1人のギタリストがマイク・フリンツである。加入は1989年で、きっかけはマーク・リアリの従兄弟で大学の同級生だったジョン・ダンからの「RIOTが日本へ行くのでツアー・ギタリストが要る」という電話だった。自宅でリアリと会ってオーディションに通り、数週間後には日本のステージに立っている。以後、フリンツは現在までバンドに在籍している。

出典: Metal Shock Finland(マイク・フリンツ本人インタビュー)

RIOTのスタジオ盤には、日本が世界で最初の発売地になったものがある。『Nightbreaker』(1993年7月22日、SRCS-6733) と『Through the Storm』(2002年9月11日、TOCP-67017) は日本盤カタログにいずれも「日本先行発売」と明記されており、『Sons of Society』の日本盤 (1999年7月16日、TOCP-65264) は、メタル・ブレイドが示すアメリカ盤の発売日1999年9月3日より1か月半以上早い。

出典: CDジャーナル ディスク・カタログ

1995年の『The Brethren of the Long House』にいたっては、発売されたのが日本だけだった。アメリカ盤が出たのは4年後の1999年である。映画『ラスト・オブ・モヒカン』のためにトレヴァー・ジョーンズが書いたスコアをRIOT流に演奏した曲で幕を開ける、ネイティヴ・アメリカンを主題としたコンセプト作だった。

出典: Last Rites(メタル専門誌)

『Inishmore』(1997) の契約先を、RIOTはゼロ・コーポレーションに決めている。マーク・リアリによれば、『The Brethren of the Long House』のあと複数の会社から次作の契約を持ちかけられ、ソニーの提案など、選ばなかったほうが良い条件だったかもしれないものもあったという。それでもソニーを選ばなかった理由として彼が挙げているのは、ソニーは当時のRIOTの水準に満足しており、聴衆の関心を広げる手は打たずにレコードを出すだけだろうと感じた、ということだった。ヨーロッパと北米の流通はEMIとメタル・ブレイドが担当した。

出典: Metal Invader(1998年2月号のマーク・リアリ本人インタビュー再録)

『Immortal Soul』収録の「Wings Are For Angels」は、アルバムより先に日本のチャリティ盤で世に出ている。2011年6月22日発売のオムニバス『ONE FOR ALL, ALL FOR ONE ~東日本大震災チャリティ・アルバム』の9曲目がそれで、売上の一部が日本赤十字社へ寄付される企画だった。マーキー所属アーティストの未発表曲・書き下ろし曲で構成され、SONATA ARCTICA、EDGUY、GOTTHARD らが名を連ねている。

出典: CDJapan(商品ページ MICP-10999)

2013年にバンド名がRIOT Vへ改まったあとも、日本ではアルバムが「ライオット」名義のまま出ている。ドン・ヴァン・スタヴァンによれば、日本側から「自分たちにとってはRIOTだ、ずっとRIOTだった」と言われたためで、『Unleash The Fire』の日本盤にはVが入っていない。

出典: Metal Journal(ドン・ヴァン・スタヴァン本人インタビュー、スペイン語)

その30周年公演を日本でやったのには理由がある。ドン・ヴァン・スタヴァンによれば、ニュークリア・ブラストと組む日本のワードレコーズが『Thundersteel』完全再現のDVDを出したがったからで、川崎公演は20台のカメラで撮影された。同じ再現セットはドイツのマンハイムと、ヴァン・スタヴァンの地元サンアントニオでも組まれている。

出典: Metal Journal(ドン・ヴァン・スタヴァン本人インタビュー、スペイン語)

2018年3月の川崎公演で、トッド・マイケル・ホールは「Land of the Rising Sun」を演奏する前に、この曲は日本でしかやらない、ジャパン・スペシャルだ、と客席に告げている。2014年の『Unleash the Fire』収録曲で、日本以外ではほとんど演奏されることのない一曲である。

出典: BARKS

2015年9月3日の大阪Soma公演に、デビュー作『Rock City』を弾いたギタリスト、ルー・"L.A."・コウヴァリスがスペシャル・ゲストとして加わり、「Tokyo Rose」と「Rock City」を共演した。コウヴァリスは後年、この来日でRIOT Vと回ったことと、リック・ヴェンチュラがニューヨークでRIOT Vに客演したことの二つが火種になって、二人でRiot Actを組むに至ったと語っている。

出典: Record Collector(イギリス)/Sleaze Roxx

RIOTのジャケットに出てくる、相撲取りの体にアザラシの頭を持つ生きものは「The Mighty Tior」と呼ばれるが、「ジョニー」の名でも通っており、日本盤レーベルの解説でもこの呼び名が使われている。二つの呼び名が同じ存在を指すことは、マーク・リアリ本人が2011年の取材で述べている。彼はこのマスコットを、バンドが何作かで日本の文化を表現してきた例として挙げていた。

出典: Powerline Magazine(マーク・リアリ本人インタビュー)

このマスコットはバンドの発案ではない。当時のギタリスト、リック・ヴェンチュラは2022年の取材で、思いついたのはマネージメント側で、バンドのアイデアではなかったと述べている。それが次第に大きくなり、ジャケット全体を占めるようになっていった。

出典: MisplacedStraws(リック・ヴェンチュラ本人インタビュー)

デビュー作『Rock City』(1977) は、マネージメントが自分たちで持っていたレーベル、ファイア・サイン・レコードから出た。契約を取りに来るアメリカのレコード会社が無かったためである。一方で海外ではカナダと日本のレーベルがライセンスを取っている。

出典: Decibel Magazine

1980年8月16日、レスターシャー州キャッスル・ドニントンで開かれた第1回モンスターズ・オブ・ロックに、RIOTは2番目のアクトとして出演した。ヘッドライナーはレインボー、他にジューダス・プリースト、スコーピオンズ、エイプリル・ワイン、サクソン、タッチという顔ぶれで、この日ステージに上がった最初の2組はどちらもニューヨークのバンド(タッチとRIOT)だった。クラシック・ロック誌はこの日の観客を4万人以上としている。(本文は変更不要。relatedAlbum を "Fire Down Under" → "Narita" に修正すること。)

出典: Louder(Classic Rock)

3作目『Fire Down Under』は、契約していたキャピトル・レコードに商業的に受け入れがたいと判断され、発売を拒まれた。しかもキャピトルはバンドを手放そうともしなかった。1981年2月14日付のビルボード誌の業界コラムには、RIOTが金銭をめぐってキャピトルと法廷で争う構えだ、という記述が残っている。

出典: ビルボード誌 1981年2月14日号(World Radio History 所蔵)

キャピトルが発売を拒んだ本当の理由について、ドラムのサンディ・スレイヴィンは別の見方を示している。A&R担当が推していた「You're All I Needed Tonight」を、ローブとアーネルがわざとアルバムから外した——A&Rに身の程を教えるためだった、というのである。その曲は35年後、2016年にメタル・ブレイドが『Fire Down Under』を再発した際、ボーナス・トラックとしてようやく世に出た。

出典: Louder(Classic Rock)

この件でよく語られるのが、マネージメントが仕掛けた葉書と署名の運動である。ただしクラシック・ロック誌は、その運動が望んだ効果を生むどころか事態を悪化させた、と書いている。実際にRIOTを救ったのはエレクトラ・レコードで、敏腕のA&Rマン、トム・ズータウトの熱意に押されたこのレーベルが、バンドをキャピトルとの契約から抜け出させる後押しをした。

出典: Louder(Classic Rock)

『Fire Down Under』のアメリカでの発売は1981年8月だった。8月22日付のキャッシュ・ボックス誌のロック・アルバム・ラジオ・レポートに本作が「出荷されたばかり」として現れ、同じ日のビルボード誌のラジオ欄も「エレクトラのRIOTの新作」に触れている。翌週8月29日号のキャッシュ・ボックス誌にはレビューが載った(Elektra 5E-546)。ビルボード200には9月12日付で初登場、10月24日付で最高99位、通算11週チャートインした。

出典: キャッシュ・ボックス誌 1981年8月22日号(World Radio History 所蔵)

『Born in America』(1983) の制作では、プロデュースを担う2人がスタジオに入る時間を分けていた。スティーヴ・ローブが日中、ビリー・アーネルが夜。しかもアーネルは護衛を2人連れていた。アーネルはこの後マネージメントから離れる。

出典: Louder(Classic Rock)

テキサスへ移ったマーク・リアリは、S.A. Slayer のドン・ヴァン・スタヴァンらとジャムを始め、NARITA という新しいバンドを立ち上げた。名はRIOT自身の2作目から採られている。リアリは2009年の取材で、このバンドがそのまま『Thundersteel』期のRIOTへ姿を変えていったと語っている。

出典: Metal Rules(マーク・リアリ本人インタビュー)

『Thundersteel』でRIOTの声になったトニー・ムーアは、もともとニューヨークのベーシストだった。1986年、友人から1本のカセットを渡されてオーディションを受けることになる。そのテープに入っていたのが「Thundersteel」のデモだった。

出典: Full in Bloom(トニー・ムーア本人インタビュー)

『The Privilege of Power』(1990) のセッションには、ブレッカー・ブラザーズとタワー・オブ・パワーのホーン隊がスタジオ入りしている。トニー・ムーアは彼らを自分のヒーローだったと語り、RIOT在籍中で最も好きなレコーディング体験として、ジョー・リン・ターナーとホーン隊との仕事を挙げている。

出典: Full in Bloom(トニー・ムーア本人インタビュー)

『Inishmore』(1997) のコンセプトはマーク・リアリ自身の発案で、ケルトの伝統音楽に触れて「Black Water」を書いたのが出発点だった。19世紀アイルランドの本を読み込み、貧しさゆえに新大陸へ渡らねばならなかった時代を背景に、恋人を探して島にたどり着いた若者が、彼女はすでに家族とともに船で発ったあとだと知る——という物語を組み立てている。

出典: Metal Invader(1998年2月号のマーク・リアリ本人インタビュー再録)

『Through the Storm』(2002) でドラムを叩いたのは、レインボーやブラック・サバスを経たボビー・ロンディネリである。長く在籍したボビー・ジャーゾンベクがHALFORDに専念するため抜けた、その後任だった。

出典: Blabbermouth.net(レビュー)

『Army of One』は2006年の発売だが、録音されたのは2003年だった。ドラムのフランク・ギルクリーストによれば、マーク・リアリと2人きりで小さな部屋にこもり、3年かけて作った作品だという。1日のうち2時間を音楽について語り合いに、残る2時間をリハーサルに充てる、という進め方だった。

出典: BraveWords(フランク・ギルクリースト本人インタビュー)/Blabbermouth.net

『Immortal Soul』(2011) の制作中、マーク・リアリはクローン病の症状に苦しんで演奏できる状態になかった。ギターの大部分は、リアリの創作上の指示を受けながらマイク・フリンツが録音している。リアリはその出来を認め、自分の関与が薄くても誇りに思うと言って続行を促した。

出典: Blabbermouth.net

マーク・リアリは2012年1月25日、テキサス州サンアントニオの病院で、生涯にわたって闘っていたクローン病の合併症により56歳で死去した。1月11日にくも膜下出血を起こし、その後約2週間昏睡状態にあったと報じられている。訃報が届いたとき、バンドはリアリ抜きでメタル・クルーズ「70,000 Tons Of Metal」に出演中で、洋上にいた。

出典: Blabbermouth.net

リアリの死後、残されたメンバーは活動継続を決め、2013年にバンド名をRIOT Vと改めた。ローマ数字のVを足す案を出したのはドン・ヴァン・スタヴァン本人で、続けると腹を決めたのはヴァン・スタヴァンとマイク・フリンツの2人だった。フリンツはその際、マークの父トニー・リアリと直接会って話したいと申し出、父から了承を得ている。名前を丸ごと変えずVを足すだけにしたのは、自分たちが何者かがすぐ伝わるようにするためだった、とヴァン・スタヴァンは説明している。

出典: Metal Squadron(ドン・ヴァン・スタヴァン本人インタビュー)

この「V」はバンドの第5章を指すと同時に、スタジオ作を残した5人目のシンガーを迎えたことを示している。ドン・ヴァン・スタヴァンはその数え方を、ガイ・スペランザ、レット・フォレスター、トニー・ムーア、マイク・ディメオ、トッド・マイケル・ホールの5人と説明し、マイク・ティレリらツアーやデモだけで参加した歌手は含まないと明示している。

出典: Metal Squadron(ドン・ヴァン・スタヴァン本人インタビュー)

『Unleash the Fire』のジャケットは、アザラシのマスコットと『Thundersteel』のジャケットの人物を一枚に収めるというドン・ヴァン・スタヴァンの発案から生まれた、とマイク・フリンツは説明している。街の標識に Bloodstreets と Reale Way を、ビルの一つに Johnny の名を入れたのもヴァン・スタヴァンで、それを絵に仕上げたのは別の絵描きだった。

出典: Metal Shock Finland(マイク・フリンツ本人インタビュー)

『Armor of Light』というアルバム・タイトルはトッド・マイケル・ホールが考えたもので、聖書のローマ人への手紙13章12節に出てくる表現でもある、とドン・ヴァン・スタヴァンが語っている。

出典: BARKS(ドン・ヴァン・スタヴァン本人インタビュー)

オーストリアとスイスのチャート・データベースがRIOT系の作品としてチャートインを記録しているのは2作だけである。2018年の『Armor of Light』(オーストリア71位/スイス56位)と2024年の『Mean Streets』(同59位/23位)で、いずれも名義はRIOT V、ランクインは各国1週ずつ。同じデータベースはドイツでの最高位を『Armor of Light』27位、『Mean Streets』35位としている。1981年の『Fire Down Under』など、それ以前の作品のページには「チャートインなし」と記されている。

出典: austriancharts.at(Ö3 Austria Top 40 アーカイブ、2024-09-15のWayback保存版)

オリコンのアーティスト・ページに載っているRIOTの作品は8作で、その中の最高位は2024年の『Mean Streets』の22位である。『Nightbreaker』(1993)、『The Privilege of Power』(1990)、『Armor of Light』(2018) がいずれも33位で続く。同ページが対象とするのは1987年10月5日付以降に週間アルバムランキングTOP50に入った作品に限られる。

出典: オリコン

2024年7月の来日は2公演だった。20日に川崎クラブチッタでイベント『RIOT祭2024』、22日に渋谷クラブクアトロで単独公演『RIOT after RIOT』。川崎公演にはLOUDNESSの山下昌良がスペシャル・ゲストとして加わっている。クアトロ公演はアンコールが当初の3曲から9曲に増え、全22曲・約2時間に及んだ。

出典: ワードレコーズ(公演特設ページ)/ヤング・ギター

『Mean Streets』は発売日が二度動いた作品で、当初の予定から2024年4月12日へ延期されたのち、最終的に5月10日の世界同時発売へと改められた。日本盤は形態が複数あり、日本盤限定仕様CD+Blu-ray+ボーナスCDの品番はGQCS-91424〜6である。

出典: ワードレコーズ(日本盤レーベル)

RIOTと日本の縁は来日よりずっと前に始まっている。1977年のデビュー作にはすでに「Tokyo Rose」という曲が入っており、この曲は「Warrior」やタイトル曲と並ぶ『Rock City』の代表曲として扱われてきた。

出典: Louder(Classic Rock)

『Nightbreaker』(1993) は日本で2種類のジャケットで出ている。ソニーからの盤と Rising Sun からの盤で絵柄が違い、さらに6年後にアメリカでメタル・ブレイドから出たときには3つ目のジャケットが使われた。

出典: Last Rites(メタル専門誌)

『Army of One』(2006) の日本盤には、ライヴ録音の「Road Racin'」がボーナス・トラックとして加えられた。日本盤は2006年7月に東芝EMIから出ており、ヨーロッパ盤の発売はその3か月後の10月だった。

出典: CDジャーナル ディスク・カタログ

この曲がチャリティ盤に出ることになった経緯を、マーク・リアリはこう説明している。日本のレコード契約をマーキー/アヴァロンとまとめたあとに、同社から震災の企画への参加を持ちかけられた、というのである。

出典: Powerline Magazine(マーク・リアリ本人インタビュー)

2009年10月の来日3公演は、千葉のラジオ局bayfm78の番組「POWER ROCK TODAY」20周年記念という枠で行われた。10月23日に大阪Shangri-La、24日・25日に川崎CLUB CITTA'という日程である。

出典: CDジャーナル

2018年9月23日、Zepp DiverCity TokyoでLOUDNESSとのダブル・ヘッドライナー公演が行われた。RIOTのアンコール「Warrior」にLOUDNESSの二井原実と山下昌良が飛び入りし、返礼として、続くLOUDNESSのアンコールにはマイク・フリンツ、トッド・マイケル・ホール、ドン・ヴァン・スタヴァンが客演する段取りになっていた。

出典: ヤング・ギター(シンコーミュージック)

その2018年秋の来日でマイク・フリンツは、ロスト・バゲージで自分のギター弦を失っている。本番は、対バンだったLOUDNESSの高崎晃から譲り受けたアーニーボールのコバルト弦を張って臨んだ。同じ来日に彼は日本製のオーヴィル(Orville by Gibson)のレスポールを持ち込んでおり、日本で弾くのだから、と語っている。

出典: ヤング・ギター(シンコーミュージック)

2016年9月、RIOT Vは『Fire Down Under』のオリジナル・ギタリストであるリック・ヴェンチュラを迎え、同アルバムを全曲通して演奏する公演を数本行うと発表した。日本ではその一本として、10月9日のLOUD PARK(さいたまスーパーアリーナ)への出演が組まれている。RIOT名義での2014年10月19日のLOUD PARK 14出演に続く来日だった。

出典: BraveWords/激ロック

RIOTは2018年1月24日、カリフォルニア州アナハイムで行われた Hall of Heavy Metal History の式典で殿堂入りした。同じ回にはブラック・サバスのビル・ワード、ドリーム・シアターのジョーダン・ルーデス、ビリー・シーンらが名を連ねている。この団体が主催する Metal Hall of Fame は、現在もRIOTを「Class of 2018」のバンド部門として掲載している。

出典: The Metal Hall of Fame(公式殿堂入り一覧)

『Mean Streets』(2024) の先行曲「High Noon」について、ドン・ヴァン・スタヴァンはマーク・リアリを念頭に書いた曲だと述べている。リアリは西部開拓時代を愛し、「Restless Breed」や「Gunfighter」といったその題材の曲を書いていた。楽曲そのものも『Thundersteel』『The Privilege of Power』を思わせる作りにしたという。

出典: Reigning Phoenix Music(レーベル公式発表)

『Mean Streets』の12曲は、ニュージャージーでブルーノ・ラヴェルが録音した。ミックスも同じくラヴェルで、DANGER DANGERのベーシストである。マスタリングはバート・ガブリエル、ジャケットはACCEPTやSTRATOVARIUSを手がけてきたジュラ・ハヴァンチャークが担当し、レーベルはRIOT恒例のアザラシも外していないと説明している。

出典: Reigning Phoenix Music(レーベル公式発表)

RIOTの日本盤は、発売元が時期によって別の会社に移っている。1997年11月12日の『Inishmore』は品番XRCN-2005で、CDジャーナルのカタログではレーベル欄が「MVP」。2006年7月12日の『Army of One』はTOCP-67977で東芝EMIの「Z」レーベル。2011年10月19日の『Immortal Soul』はMICP-11020でアヴァロン/マーキー。2018年4月25日の『Armor of Light』はGQCS-90578でワードレコーズが出している。

出典: CDジャーナル ディスク・カタログ

1981年、キャピトル・レコードが『Fire Down Under』の発売を拒んだとき、マネージャーのビリー・アーネルはメーリングリストのファン全員に葉書を送っている。その文面はマスコットを使ったもので、タイオーは狂気じみた会社の重役たちに象牙の塔へ監禁されている、と訴えるものだった。

出典: Louder(Classic Rock)

『Born in America』(1983) のジャケットには、『Narita』で描かれたタイオーが再登場する。Last Rites の評者はこれを、前作の絵から figure だけを抜き出して彩色を落とし、無地の地に星条旗と並べただけのものだと評している。

出典: Last Rites(メタル専門誌)

そのマネージメントは、ビリー・アーネルとスティーヴ・ローブの2人組だった。マンハッタンのソーホーにあるスタジオ「グリーン・ストリート」を買い取り、自分たちの新レーベル、ファイア・サイン・レコードから売り出すバンドを探していた1976年の夏、クラブで演奏していたRIOTに行き当たる。バンドが同スタジオに入ったのは同年末で、『Rock City』は2人自身のプロデュースで録音され、仕上がるまでに7か月を要した。

出典: Louder(Classic Rock)

RIOTが先にファンを掴んだのは本国ではなく英国だった。クラシック・ロック誌によれば、英国で流行を作るDJニール・ケイの後押しでバンドは英国にかなりの数のファンを得ており、1980年2月にはサミー・ヘイガーの英国ツアーの前座に起用されている。これが好評だったため、数か月後には第1回モンスターズ・オブ・ロックへの出演につながった。

出典: Louder(Classic Rock)

ガイ・スペランザがバンドを離れると告げたのは1981年11月、グランド・ファンク・レイルロードの前座公演の最中だった。RIOTでの最後のステージは同年12月22日、ニュージャージー州ラザフォードのメドウランズで行われたラッシュのソールドアウト2公演の2日目である。

出典: Louder(Classic Rock)

スペランザは音楽業界から身を引き、フロリダに移って害虫駆除の仕事に就いた。2003年11月8日、膵臓癌により47歳で死去している。

出典: Blabbermouth.net

2代目シンガーのレット・フォレスターは、加入後の最初のツアーをナッシュヴィルで棒に振っている。サンディ・スレイヴィンによれば、現地でツアー・マネージャーから「ツアーは終わりだ、レットが入院した」と告げられたという。誌面はその理由を、フォレスターがマディソン・スクエア・ガーデンのクイーンの公演に行き、打ち上げで何かを摂取して4日間入院したためだと書いている。

出典: Louder(Classic Rock)

フォレスターは1994年1月22日、アトランタの路上でカージャックに遭い、抵抗して射殺された。37歳だった。

出典: Louder(Classic Rock)

RIOTの最初の活動停止は1984年5月、クイーンズのクラブ L'Amour での公演だった。直前にはKISSのサポートを回っている。マーク・リアリ本人は2009年の取材で、ヴァンデンバーグやKISSとのツアーの終盤で燃え尽き、バンドを数年たたんでテキサスへ移った、と説明している。

出典: Metal Rules(マーク・リアリ本人インタビュー)/Louder(Classic Rock)

『Thundersteel』はニューヨーク・ソーホーのグリーン・ストリート・レコーディングで数か月かけて録音された。作曲はマーク・リアリとドン・ヴァン・スタヴァンがインストゥルメンタルの形で渡し、トニー・ムーアが自由にメロディと歌詞を付けるという分担だったという。

出典: Full in Bloom(トニー・ムーア本人インタビュー)

同作のレコーディング前、バンドは約15曲を4トラックのカセットMTRでデモ録音していた。2009年に公開された「Metal Soldiers」のデモには、曲の終わりでトニー・ムーアが鬼軍曹よろしく腕立て20回を命じる場面が入っており、魚雷の効果音は安価なカシオのキーボードで作られ、バッキング・ヴォーカルはバンドとロード・クルーが入れていた。

出典: Blabbermouth.net

『The Brethren of the Long House』(1995) では、ボビー・ジャーゾンベクがスケジュールの都合で2曲しか叩けず、残りのドラムはジョン・マカルーソが担当した。この作品はスティーヴ・ローブがプロデュースした最後のRIOT作でもある。

出典: Last Rites(メタル専門誌)

同作におまけとして付いたライヴCDについて、マーク・リアリは、自分たちの誰も発売に同意していなかったと述べている。あの録音はもともと出すつもりのものではなく、音質も期待に届いていなかった、というのが本人の説明である。

出典: Metal Invader(1998年2月号のマーク・リアリ本人インタビュー再録)

『Inishmore』のジャケットに使われている写真は、マーク・リアリ本人が撮ったものである。

出典: Metal Shock Finland(マイク・フリンツ本人インタビュー)

同作は2曲のカヴァーとゲストを抱えている。「Only You Can Rock Me」はUFOの曲で、アルバムの最後を締める「Here Comes The Sun」はマーク・リアリによるジョージ・ハリスンへの敬意を込めたインストゥルメンタル——複数のギターとヴァイオリンを重ね、アコースティック・ギターがヴォーカル・ラインをなぞる編曲になっている。バッキング・ヴォーカルはTNTのトニー・ハーネルが全編で入れた。

出典: Blabbermouth.net(レビュー)

その3年のあいだにフロントマンが替わっている。2005年にマイク・ディメオがTHE LIZARDSに加わって日程が合わなくなり、公演をキャンセルしたくないバンドはマイク・ティレリをその年の数公演のフロントマンとして起用した。ティレリは2006年のスペインと日本のツアーでも歌い、2007年時点でもフロントに立っている。

出典: Blabbermouth.net(バンド自身の公式アップデートを引用)

『Immortal Soul』のジャケットは、ヴォーカリストのトニー・ムーア自身が描いたものである。アルバム・タイトルもムーアの発案で、何があっても死なないRIOTの歩みを表したものだった、とマーク・リアリは説明している。ジャケットで蘇るレスポールもその表現だという。

出典: Powerline Magazine(マーク・リアリ本人インタビュー)/Blabbermouth.net

同作収録の「Still Your Man」について、マーク・リアリはこれを「Johnny's Back」のパート2だと説明している。「Johnny's Back」は1988年の『Thundersteel』収録曲で、曲名はバンドのマスコットの呼び名と同じである。

出典: Powerline Magazine(マーク・リアリ本人インタビュー)

新ギタリストのニック・リーは、マイク・フリンツのギター教室の元生徒で、のちに同じ教室で教える側に回った人物である。フリンツとは10年来の付き合いで、マーク以外では自分に最も近いギタリストだと言う。そのフリンツは、リーがマーク・リアリの代役ではないと明言している——マークの代わりは誰にもできない、自分がマークのパートを引き受け、ニックが自分のパートを弾くのだ、というのがその説明だった。

出典: Blabbermouth.net

『Unleash the Fire』(2014) は全体がマーク・リアリへのトリビュートで、収録曲「Until We Meet Again」はマイク・フリンツがリアリのために、そしてリアリに宛てて書いた曲である。

出典: Metal Shock Finland(マイク・フリンツ本人インタビュー)

トッド・マイケル・ホールに行き着いたきっかけは、ミシガンに住む知り合いからの推薦だったと、ドン・ヴァン・スタヴァンは振り返っている。ジャック・スターのバンド、BURNING STARRの作品で歌っている男がいい——そう勧められて音源を確かめ、電話をかけてみると、ホールの側も乗り気だったという。

出典: BARKS(ドン・ヴァン・スタヴァン本人インタビュー)

同作の「Caught in the Witch's Eye」のブリッジにサックスとトランペットのホーン・セクションが入っているのは、ホーン・セクションを迎えた1990年の『The Privilege of Power』へのオマージュだ、とドン・ヴァン・スタヴァンは説明している。

出典: BARKS(ドン・ヴァン・スタヴァン本人インタビュー)

『Armor of Light』のボーナス・トラック「Thundersteel(2018 Version)」は、レコード会社ニュークリア・ブラストの担当者が30周年に合わせて提案したものだった。ドン・ヴァン・スタヴァンは当初ためらったが、君がマークと一緒に書いたのだから君の曲だ、と言われて再録音を決めたという。

出典: BARKS(ドン・ヴァン・スタヴァン本人インタビュー)

アメリカのビルボード200に入ったRIOTのアルバムは3作だけである。『Fire Down Under』が1981年10月24日付で最高99位(通算11週)、『Born in America』が1984年2月11日付で最高175位(6週)、『Thundersteel』が1988年5月28日付で最高150位(10週)。1位獲得作もトップ10入り作も無い。

出典: ビルボード(RIOTのチャート履歴)

2026年4月28日、トッド・マイケル・ホールがRIOT Vからの脱退を自身のSNSで表明した。在籍13年、3枚のアルバム、200本を超えるライヴを経て、妻と家族、そして家業により多くの時間を割くための休みが必要だ、というのがその理由である。バンドはこの時点で18作目を制作中だと発表している。

出典: Blabbermouth.net

マーク・リアリの訃報に際して、元メガデスのマーティ・フリードマンは『Rock City』『Narita』『Fire Down Under』の3枚を自分の生涯のフェイヴァリット・アルバムだと述べ、3枚とも擦り切れるまで聴いたと語った。アンスラックスの初代シンガー、ニール・タービンも『Fire Down Under』が「Metal Thrashing Mad」のような曲を書いていた頃の自分に非常に大きな影響を与えたと述べている。

出典: Guitar World

アメリカ本国でRIOTがラジオでかかることはほとんど無かったが、サンアントニオのKISS-FMは例外だった。同局で重い音を臆せずかけた「ロックンロールのゴッドファーザー」ことDJジョー・アンソニーが後押しした20組の一つに、この街のメディアは今もRIOTを数えている。バンドとこの街の結びつきは強く、創設者のマーク・リアリは最終的にサンアントニオへ移り住んだ。

出典: San Antonio Current

RIOTの曲は後続のバンドに数多くカヴァーされている。HAMMERFALLとALPHA TIGERが「Flight Of The Warrior」、LUCA TURILLI'S RHAPSODYが「Thundersteel」、AXEL RUDI PELLが「Warrior」、NIGHT DEMONが「Road Racin'」、SAVAGE MASTERが「Swords And Tequila」、STALLIONが「Rock City」といった具合である。

出典: Blabbermouth.net