RAGE トリビア 全40件

RAGEにまつわる事実を、出典付きで40件掲載しています。

Trivia

このバンドが1984年に結成されたとき、名前はRAGEではなくAVENGERだった。その名義でデビュー作『Prayers Of Steel』とEP『Depraved To Black』を1985年に出している。

出典: RAGE 公式サイト Biography

改名の理由は単純だった。イングランドに既に同じ名前を掲げる別のバンドがいたのである。そこで彼らはRAGEに変えた。ただし当初考えていたのはRAGEではなく「Furious Rage」で、それが最終的に短く詰められて今の名前になった。

出典: RAGE 公式サイト Biography

国際的な突破口となったのは1992年の『Trapped!』だった。そして公式サイトの記述によれば、その最初のハイライトになったのが日本でのツアーである。1990年代初頭の彼らは、ランニング・ワイルド、U.D.O.、モーターヘッド、サクソンといった面々とツアーを回り始めていた。

出典: RAGE 公式サイト Biography

1996年の『Lingua Mortis』について、公式サイトははっきりした言い方をしている。ドイツのメタル勢による史上初のクラシカル・アルバムだった、というのである。ここから、このバンドとオーケストラの長い付き合いが始まった。

出典: RAGE 公式サイト Biography

1998年3月に出た13作目は、そのまま『XIII』と題された。リンガ・モルティス・オーケストラを起用したこの作品はチャートで大きな成功を収め、のちにドイツのRock Hard誌が編んだ『史上最高のロック&メタル・アルバム500選』で272位に選ばれている。

出典: RAGE 公式サイト Biography

2001年、彼らの曲「Straight To Hell」がドイツ映画『Der Schuh des Manitu』で使われた。この映画は今日に至るまで、ドイツ映画史上でも屈指の興行成績を収めた作品の一つである。そして2025年、同じ曲がその続編にあたる『Das Kanu des Manitu』で再び使われた。公式サイトは、これによって新しい世代の聴き手にこの曲が届いたと書いている。

出典: RAGE 公式サイト Biography

2007年、彼らはベラルーシのミンスクの交響楽団を伴ってヨーロッパを回った。その公演で楽団が名乗ったのが「リンガ・モルティス・オーケストラ」である。同じ年の8月、ヴァッケン・オープン・エアで8万人を前に行われた公演は映像に収められ、翌2008年2月に出た『Carved in Stone』のボーナスとして付けられた。

出典: RAGE 公式サイト Biography

2009年、彼らはドイツの全国放送の音楽コンテスト番組に出演している。各ジャンルからドイツの代表的なアーティストが集まる「Bundesvision Song Contest 2009」で、司会はドイツで最も有名なテレビ司会者シュテファン・ラープだった。RAGEはこの番組で3位に入っている。公式サイトはこれによってバンドの人気がさらに高まったと書いている。

出典: RAGE 公式サイト Biography

結成40周年にあたる2024年、彼らは二枚組の『Afterlifelines』を出した。公式サイトはこの作品を、古典的なヘヴィ・メタルの要素とオーケストラのアレンジを組み合わせ、このバンドが長く続けてきた交響的な作曲との結び付きを改めて示したものだとしている。同じ年、ピーヴィー・ワグナーは初めての自伝『Soundchaser』も出版した。

出典: RAGE 公式サイト Biography

2027年の予定として、彼らはソナタ・アークティカとの共同ヘッドライナー・ツアーを発表している。2026年7月6日の告知によれば、4月から5月にかけてヨーロッパを回るもので、オーケストラを伴い、『Lingua Mortis』と『XIII』というオーケストラの遺産を含む、バンドの歴史のさまざまな章から曲を持ち込むという。ソナタ・アークティカにとっては、オーケストラを伴う初めての公演になる。

出典: RAGE 公式サイト News

2015年2月の発表のあと、シーンでは解散するのではないかという噂まで流れた。そこでピーヴィー・ワグナーは同月10日、公式サイトに自ら声明を出している。ヴィクターとアンドレとの決別はRAGEの終わりを意味しない、それどころか間もなく新しい編成で船出する、というものだった。彼はそのうえで自分の3つの活動を説明している。REFUGEは昔ながらのメタル・ファンに向けたもの、RAGEは自分が30年かけて築いてきた音楽的な幅の全体を担うもの、そしてリンガ・モルティス・オーケストラでメタルとクラシックの部分を続けていく、と。

出典: RAGE 公式サイト「Peavys Statement」

マルコス・ロドリゲスはベネズエラ生まれで、発表の時点ではベルギーのアントワープに住んでいた。公式の発表によれば彼は筋金入りのRAGEファンで、ピーヴィーと出会ったのはRAGEの30周年ツアーだった。彼は自分のバンドでそのツアーの一部をサポートしていたのである。そのバンドの名はSOUNDCHASERといった。

出典: RAGE 公式サイト「RAGE announce new line-up」

「リンガ・モルティス・オーケストラ」は特定の楽団の名前ではない。公式サイトの説明によれば、これは1996年以降にRAGEとレコードや舞台で共演してきたオーケストラたちに与えられた名である。『Lingua Mortis』の楽曲が初めてライヴで演奏されたのは1996年の晩夏、オーストリアのクーフシュタインだった。2013年にはLMO名義で同名のアルバムが録音されているが、このときはスペインとベラルーシの2つのオーケストラが参加している。

出典: RAGE 公式サイト LMO ページ

2021年9月の『Resurrection Day』は4人編成で録音・発売された最後の作品になった。公式サイトによれば、発売の直後にギターのシュテファン・ヴェーバーが脱退し、ジャン・ボルマンがピーヴィー・ワグナーとヴァシリオス“ラッキー”マニアトプロスとともに残った。以後、バンドは3人編成で活動を続けている。

出典: RAGE 公式サイト Biography

2015年2月5日、RAGEは当時の編成での活動停止を発表した。ピーヴィーとヴィクター・スモールスキがこれ以上一緒に活動しないことを決断したというもので、公式の発表は理由を、音楽的なものと個人的なものの変化のためだと説明している。同時にアンドレ・ヒルガースとも袂を分かつことになった。発表の文面は、この15年間はたくさんのハイライトと素晴らしい作品に恵まれたが、その時代は終わったのだとし、あらゆる延長は自分たちにとってもファンにとっても偽りのものになるだろうと結んでいる。

出典: 激ロック ニュース(RAGE、現メンバーでの活動停止を発表)

ピーヴィー・ワグナー本人は、この決断についてより率直に語っている。2014年の終わり頃にかけてメンバー同士の人間関係が完全に崩壊してしまったので、一度すべてをクリアにしてゼロから立て直すしかないと悟った。それで2015年に入ってすぐ2人に別れを告げたのだという。その時点で彼には、マルコス・ロドリゲスと一緒にやるという考えが既にあった。

出典: BARKS【インタビュー】レイジ、原点回帰のメロディック・パワー・メタル

新しいドラマーは、バンドの内側から出てきた。ヴァシリオス“ラッキー”マニアトプロスは、2014年秋からRAGEのマネジャーを務めていた人物である。2015年1月、たまたま行ったマルコス・ロドリゲスの誕生日パーティーで、ピーヴィーは彼がドラムを叩けることを思い出した。ラッキーはかつてRAGEにいたクリス・エフティミアディスに教わっており、1990年代初期にはそのドラム・テクまでやっていたのである。その場のジャム・セッションでRAGEの昔の曲を一緒に演奏してみたところ非常に良く、ピーヴィーは彼の天職はマネジャーではなくドラマーではないかと思って、改めて加入を打診した。

出典: BARKS【インタビュー】レイジ、原点回帰のメロディック・パワー・メタル

新しい編成になって、ピーヴィーの録音のやり方が一つ変わった。バンドにきちんと歌えるメンバーが3人揃ったため、彼はRAGEのアルバムで初めて、バッキング・ヴォーカルとハーモニーを一切自分で歌わずに済んだのである。それまではリードを歌ったうえでハーモニーも全部自分でつけるのが当たり前で、スタジオ・シンガーを入れた場合もライヴではテープに頼るしかなかった。今度は文字通り全てを生で再現できるようになった、と彼は述べている。

出典: BARKS【インタビュー後編】レイジ

2026年10月24日、RAGEは神奈川のぴあアリーナMMで開かれる「FULL METAL JAPAN 2026」に出演する。ドイツのヴァッケン・オープン・エアが全面的にサポートするフェスのアジア初上陸で、同じ24日にはMICHAEL SCHENKER GROUP、STRATOVARIUS、GUS G. & Ronnie Romeroが名を連ねている。

出典: 激ロック ニュース(FULL METAL JAPAN 2026 開催決定)

『Seasons of the Black』に入っている「Septic Bite」のメイン・リフは、マルコス・ロドリゲスが持ち込んだものである。それを初めて聴いたピーヴィー・ワグナーは、1995年の『Black in Mind』に入っている「The Crawling Chaos」を思い出し、似ていると本人に伝えた。返ってきたのは否定ではなく、その曲が大好きだという反応で、ワグナーは小さな子供のようだったと語っている。マルコスがティーンエイジャーの頃からのRAGEの熱心な聴き手であることが、そのまま曲の作り方に出た一例である。

出典: BARKS(レイジ インタビュー「今回もハードでダイレクトなアルバム」)

新しい編成で作った『The Devil Strikes Again』は、その前の『21』とは正反対の作り方をしている。ピーヴィー・ワグナーの説明によれば、2012年の『21』はプロデューサーのチャーリー・バウアファイントがドラムの正確さに強くこだわり、演奏を細かく切り刻んでモザイクのように組み合わせて仕上げられていた。対して『The Devil Strikes Again』ではプロダクションの全権がワグナーとマルコス・ロドリゲスに委ねられ、人間らしい感触を前に出す方針が採られた。結果としてドラムはほぼ手を入れず、継ぎ目は1曲あたり2、3か所程度に留まっているという。

出典: BARKS(レイジ インタビュー 後編)

『The Devil Strikes Again』の日本盤には、海外盤には無いものがいくつも付いた。日本語解説書と歌詞対訳が封入され、ボーナスCDに加えて「マイ・ウェイEP」を同梱した日本盤限定のスペシャル・エディションが組まれている。さらに通販限定として、直筆サイン入りブックレットを付けた盤も用意された。発売は2016年6月10日である。

出典: BARKS(レイジ インタビュー 前編)

1999年の『Ghosts』のあと、編成が大きく変わった。ピーヴィー・ワグナー、ヴィクター・スモールスキ、マイク・テラーナという3人組である。この形で2001年8月のヴァッケン・オープン・エアに立ち、新作『Welcome to the Other Side』を披露した。

出典: RAGE 公式サイト Biography

2006年の『Speak Of The Dead』は、オーケストラを再び呼び戻した作品であると同時に、マイク・テラーナが叩いた最後の作品でもあった。後任の発表は2007年1月1日で、元アクシスのアンドレ・ヒルガースだった。

出典: RAGE 公式サイト Biography

新体制での2作目は、間を置かずに出た。2017年7月28日の『Seasons Of The Black』で、前作『The Devil Strikes Again』からわずか13か月後のことである。公式サイトによれば、この作品は世界各国のチャート入りを果たした。

出典: RAGE 公式サイト Biography

2019年、リンガ・モルティス三部作の20周年にあたって、彼らは『XIII』の全曲をライヴで演奏した。これがこのアルバムを丸ごとステージにかけた初めての機会であり、ヨーロッパ各地の大型フェスで披露されている。

出典: RAGE 公式サイト Biography

2020年1月に出た25作目『Wings Of Rage』は、複数の国のアルバム・チャートに入った。公式サイトが挙げているのはドイツ、スイス、スペイン、フランス、アメリカ、そして日本である。

出典: RAGE 公式サイト Biography

2020年5月、マルコス・ロドリゲスが個人的な理由でバンドを離れた。翌6月には2人の新しいギタリストが紹介されている。元アクシスのシュテファン・ヴェーバーと、ジャン・ボルマンである。2人の加入は、『Black In Mind』収録曲「The Price Of War」の新録版とともに発表された。バンドはこれを「THE NEW ERA」と呼んでいる。

出典: RAGE 公式サイト Biography

予定どおりに進まなかったこともある。2026年4月13日、彼らは予定していた南米ツアーの中止を発表した。文面によれば、チケットの売れ行きは素晴らしく、いくつかの公演はほぼソールドアウトだったにもかかわらず、舞台裏の事情によってツアーに出ることができなくなったのだという。払い戻しは現地のプロモーターの責任だとしたうえで、いつか道が交わることを願うと結ばれている。署名はピーヴィー、ジャン、ラッキーの3人だった。

出典: RAGE 公式サイト News

RAGEという名前で最初に出たアルバムは、1986年の『Reign of Fear』である。当サイトのディスコグラフィーがこの作品から始まっているのはそのためで、それ以前の2作はAVENGER名義のものだった。

出典: RAGE 公式サイト Biography

新しい編成を組むにあたって、ピーヴィー・ワグナーは名の知れた演奏家を選ばなかった。公式の発表によれば、確立されたミュージシャンからの申し出はいくつもあったが、それは自分の求めていたものではなかったという。全員が同じ方向を向いた本物のバンドをもう一度持ちたかった、というのが彼の説明である。選ばれたマルコス・ロドリゲスとヴァシリオス“ラッキー”マニアトプロスについて、彼はこの2人は生涯RAGEを吸い込んで生きてきた人間だと述べている。

出典: RAGE 公式サイト「RAGE announce new line-up」

新しい3人が初めて人前に立ったのは、2015年11月14日、ヴァイセンホイザー・シュトラントのフェリエンパルクで行われたメタル・ハマー・パラダイスだった。続く12月には『Black In Mind』のツアーに出ている。オリジナル盤の発売から20年を記念するツアーだった。

出典: RAGE 公式サイト「RAGE announce new line-up」

2019年4月15日、RAGEはSPV/シュタインハマーとの契約を発表した。同じレーベルとは2000年代初頭にも組んでおり、公式の発表でピーヴィー・ワグナーは、戻ってこられて本当に嬉しい、あの頃の協働で自分たちが確かな手に委ねられていると分かっていた、と述べている。この契約の下で出たのが、翌2020年1月の25作目『Wings Of Rage』である。

出典: RAGE 公式サイト「RAGE SIGN WITH SPV/Steamhammer!」

『Seasons of the Black』は、前作の発売より前に書き始められている。ピーヴィー・ワグナーによれば、2016年の『The Devil Strikes Again』が世に出る時点で既に新曲が5曲できており、その年の10月には全曲が書き上がっていた。つまり同年秋にLOUD PARK 16で来日した時点で、次のアルバムの曲は揃っていたことになる。作品そのものが出たのは2017年7月で、書き上がってから発売まで、およそ9か月が置かれた計算になる。

出典: BARKS(レイジ インタビュー「今回もハードでダイレクトなアルバム」)

『Seasons of the Black』の限定盤には、前身バンドAVENGER時代の曲の再録音が収められた。きっかけは、AVENGERの『Prayers Of Steel』とRAGE名義の最初の2枚がリマスターされ、『THE EARLY YEARS』というボックス・セットとしてまとめられたことである。ボーナス・トラックを何にするか探していたピーヴィー・ワグナーは、その作業のなかでAVENGERの曲が古びていないと感じ、今のメンバーで録り直して現在の聴き手に届けるべきだと考えたのだという。

出典: BARKS(レイジ インタビュー「今回もハードでダイレクトなアルバム」)

『The Devil Strikes Again』の曲は、誰がどこを書いたのか分けられなくなった。ピーヴィー・ワグナーとマルコス・ロドリゲスがやり取りを重ねるうちに、どちらがどの曲をどれだけ書いたのかが判別できない状態になり、全曲のソングライター・クレジットをワグナー/ロドリゲスの連名にすることが決められている。ワグナー自身はこれをレノン/マッカートニーのようなものだと説明した。

出典: BARKS(レイジ インタビュー 前編)

ピーヴィー・ワグナーの曲作りは、暖炉の前から始まる。アコースティック・ギターを抱えてまずコード進行を書き、それに合うメロディを考え、メロディが決まると歌詞のとっかかりが出てくるのだという。組み上げたラフなアイディアはたいてい携帯電話に直接録音され、そのままマルコス・ロドリゲスへメールで送られた。返信は早く、ほとんどの場合は2日後に、アレンジを加えたデモが返ってきていたという。『The Devil Strikes Again』の時期には、ほぼ毎日新曲を書いているような状態だったとも語っている。

出典: BARKS(レイジ インタビュー 前編)

RAGEの曲において、ベースは最後に決まる。ピーヴィー・ワグナーは曲を書いている間ずっとギター・リフを考えており、その基本リフの8割方には既にベースが組み込まれているという。それでも実際に自分のベース・ラインを固めるのは、ギター・パートが出そろってグルーヴが決まったあとの最終段階になる。彼はベースをギター・リフとドラムの間を埋める接着剤と捉えており、ライヴではベースを弾きながらリード・ヴォーカルを務める以上、複雑にしすぎると手に負えなくなるという事情も、シンプルに徹する理由に挙げている。

出典: BARKS(レイジ インタビュー 前編)

マルコス・ロドリゲスがRAGEに入るまでには、長い前段がある。ピーヴィー・ワグナーとは加入時点で8年以上の友人で、最初に会ったのはロンドンだった。腕の立つギタリストであることは早くから知っていたものの、この人物こそRAGEにとって完璧だと気づいたのはずいぶん経ってからだったと、ワグナー自身が振り返っている。マルコスの側は、ティーンエイジャーの頃からの熱心な聴き手で、誘われたときは夢のようだと答えたという。移り住んだ土地も多く、南米からスペイン領テネリフェを経て、加入の4年ほど前にベルギーへ移っている。

異説あり出典: BARKS(レイジ インタビュー 前編)

マルコス・ロドリゲスがRAGEに加わる前にやっていた自分のバンドは、SOUNDCHASERという名前だった。ピーヴィー・ワグナーは彼を紹介する際に、そのバンド名を挙げて、これだけでも彼がどれほど熱心なRAGEの聴き手か分かるだろうと述べている。名付けの経緯そのものについては語られていない。

出典: BARKS(レイジ インタビュー 前編)