MEGADETH トリビア 全134件

MEGADETHにまつわる事実を、出典付きで134件掲載しています。

Trivia

2023年2月27日、Megadethは結成から40年目にして初の日本武道館公演を行った。実は1993年春にも武道館公演が予定されていたが、メンバーの健康上の問題で中止となっており、30年越しでの実現だった。さらにこの夜、当時在籍していて現在は東京在住のマーティ・フリードマンがゲストとして登場し、約24年ぶりの共演が実現。「Countdown to Extinction」「Tornado of Souls」「Symphony of Destruction」の3曲を共に演奏した。公演はWOWOWで生中継され、全世界へ同時配信された。二人はその年の8月、ドイツのWacken Open Airでも再び共演している。

出典: BARKS

Megadethが初めて日本の土を踏んだのは1987年で、それは同時に彼らにとって初のイギリス・ヨーロッパ・日本ツアーでもあった。3月6日のロンドン・ハマースミス・オデオンで始まったこの遠征は、4月6日、大阪厚生年金会館大ホールで幕を閉じている。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

2023年2月の来日は、Megadethにとって通算15回目の日本公演だった。この回、彼らは初めて日本でインストア・イベントを行っている。武道館公演の前日にあたる2月26日、タワーレコード渋谷店での開催で、長い来日の歴史の中でファンとこうした近い距離で向き合う場が設けられたのはこれが初めてだった。

出典: BARKS

1993年に予定されていた日本武道館公演が中止になったあと、Megadethは8度にわたって来日しているが、その間ずっと武道館のステージには立てなかった。2023年2月27日にようやく実現したのは、中止からちょうど30年後にあたる。予定されていた当時の編成には、マーティ・フリードマンとニック・メンザがいた。

出典: 激ロック ニュース

マーティ・フリードマンがMegadethを離れた後に拠点としたのは日本だった。長く東京で活動を続けており、2016年には日本遺産の大使に任命されている。2023年の武道館での共演が「奇跡の一夜」として日本で大きく報じられた背景には、彼がすでに日本の音楽シーンの一員になっていたという事情もある。

出典: Loudwire

2017年5月18日のZepp DiverCity(東京)公演の日、ムステインは開演前にサウンドガーデンのクリス・コーネル急逝の報を受け取った。彼はコーネルを大切な友人だと語り、その夜のアンコールでサウンドガーデンの「Outshined」を歌っている。リハーサルの時間はほとんど無かったと見られる。この来日はグラミー初受賞後としては最初のもので、東京の2公演はいずれも完売した。

出典: BARKS(公演オフィシャル・レポート)

バンド名は、1983年4月にMETALLICAを解雇されたデイヴ・ムステインが、帰路の長距離バスの車内で見つけた一枚のパンフレットに由来する。カリフォルニア州選出のアラン・クランストン上院議員による核軍縮の啓発資料で、そこに書かれていた「the arsenal of megadeath」という一節が彼の頭に残った。megadeath とは核爆発による100万人の死を数える単位を指す語で、綴りから a を落としてバンド名とした。同じ一節は「Set the World Afire」の歌詞の元にもなっている。

出典: Megadeth 公式サイト Scorpion Q&A #273

表題曲「Countdown to Extinction」は、私有地に囲い込んだ希少動物を高額な料金で撃たせる、いわゆる「囲い込み猟」を批判した曲である。この曲により、Megadethは1993年に全米人道協会のGenesis AwardsでThe Doris Day Music Awardを受賞した。同賞の受賞者にはポール・マッカートニーやピーター・ガブリエルらが名を連ねており、ヘヴィメタル・バンドの受賞は異例だった。なお曲中3分過ぎに入る女性のナレーションは、レコーディング・スタジオ近くの寿司店で働いていた女性によるもの。

出典: PR Newswire(バンド公式リリース)/ Rolling Stone

2018年のリイシュー『Killing Is My Business...And Business Is Good: The Final Kill』は、ムステインが本来意図していた形へ戻すことを狙った盤である。ミックスはマーク・ルイス、マスタリングはテッド・ジェンセンが担当し、ミックス作業の途中で行方不明になっていたドラム・パフォーマンスが見つかるなど、それまで聴けなかった演奏が表に出た。ボーナスとして、1984年の3曲入りデモに加え、ムステイン自宅の屋根裏から出てきたVHSテープ由来のライヴ音源7曲が収録されている。

出典: Megadeth 公式サイト(The Final Kill リイシュー告知)

Megadethの最初の5公演では、SLAYERのケリー・キングが2人目のギタリストとしてステージに立っていた。彼はその後SLAYERに戻り、Megadethのメンバーとして定着することはなかった。バンドの初ライヴは1984年2月17日、カリフォルニア州バークレーのRuthie's Innである。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

ムステインは当初、自分がヴォーカルを執るつもりではなかった。公式のTimelineによれば、1983年12月、シンガーのオーディションが何度も不調に終わった末に、彼自身がリード・ヴォーカルの役割を引き受けている。バンドの出発点は同年6月、ハリウッドでデイヴ・エレフソンと出会ったことで、初期の編成はギターにグレッグ・ハンデヴィット、ドラムにダイジョン・カラザーズという顔ぶれだった。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

メジャー・デビュー作となった『Peace Sells... but Who's Buying?』のBillboard 200最高位は76位にとどまったが、その後も長く売れ続け、アメリカとカナダでプラチナ認定を受けて100万枚を超えた。順位ではなく寿命で結果を出した一枚である。

出典: Megadeth 公式サイト(メジャー期5作のピクチャー・ディスク化告知)

『Rust in Peace』のBillboard 200最高位は23位。プラチナ認定を受け、Kerrang!誌の年間最優秀アルバムに選ばれたほか、『死ぬまでに聴きたいアルバム1001枚』、Metal Hammer誌の「史上最も熱いスラッシュ・アルバム50選」、Revolver誌の「史上最高のメタル・アルバム69選」にも名を連ねている。

出典: Megadeth 公式サイト(メジャー期5作のピクチャー・ディスク化告知)

『Countdown to Extinction』はBillboard 200に初登場2位で入り、Megadeth唯一のダブル・プラチナ作品となった。シングルの「Sweating Bullets」「Foreclosure of a Dream」「Symphony of Destruction」はいずれもMainstream Rockチャートのトップ30に入り、「Symphony of Destruction」はBillboard Hot 100にも到達している。

出典: Megadeth 公式サイト(メジャー期5作のピクチャー・ディスク化告知)

1992年7月、ムステインはMTVの取材者としてニューヨークの民主党全国大会に入っている。若い視聴者に投票を促す同局のRock The Voteキャンペーンの一環で、マディソン・スクエア・ガーデンから大会の模様を伝えた。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

「99 Ways to Die」は、1993年に『The Beavis and Butt-head Experience』のサウンドトラック用に録音された曲である。シングルとミュージック・ビデオも作られ、1995年のグラミー賞ではベスト・メタル・パフォーマンス部門にノミネートされた。アルバム収録曲ではない曲での候補入りだった。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

1997年9月、Chaos! ComicsからMegadethのコミック『The Cryptic Writings of Megadeth』が刊行された。バンドの楽曲と歌詞を下敷きにした4号構成のミニシリーズで、全話を1冊にまとめた版のほか、2,000部限定のNecro Premium Edition、9,999部限定のLeather Premium Editionという特装版も作られている。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

『Cryptic Writings』は、アメリカでの最初の50万枚だけジャケットの地色が銀だった。以降のプレスとは見た目が異なるため、初期出荷分は現物で見分けがつく。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

Megadeth初の全編アコースティック公演は、1997年12月11日、アルゼンチンのブエノスアイレスにあるCentro Cultural Recoletaで行われた。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

マーティ・フリードマンがMegadethとして最後に立ったステージは、2000年1月14日、シアトルのムーア・シアターだった。後任のアル・ピトレリ(SAVATAGE)が最初に演奏したのはその翌日、1月15日のヴァンクーヴァー、コモドア・ボールルーム公演である。交代は1日で行われた。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

「Crush 'Em」は映画『ユニバーサル・ソルジャー』続編のサウンドトラックに提供された曲だが、その後の使われ方の方が知られている。NHLのアリーナやプロレス団体WCWの現場で流れる定番曲になったのである。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

ムステインが会いたいと公言していたAC/DCのアンガス・ヤングと初めて顔を合わせたのは、2001年6月、ドイツのベルリンとハノーファーで行われたフェスティバルでのことだった。MegadethはAC/DCのStiff Upper Lipツアーの一部にサポートとして帯同しており、公式サイトのQ&Aはその年を明記して答えている。

出典: Megadeth 公式サイト Scorpion Q&A 322

2002年に出た編集盤『Still Alive...And Well?』の題は、ムステインがある取材で「墓石に何と刻みたいか」と訊かれたときの答えから取られている。収録の前半6曲はアリゾナ州フェニックスのWeb Theatreで録られたライヴ音源で、後半6曲は『The World Needs a Hero』からの曲である。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

ムステインの神経麻痺からの回復は、4か月にわたる集中的な理学療法に、鍼治療、カイロプラクティック、ウェイト・トレーニングを組み合わせたものだった。公式サイトの説明によれば、この過程で以前から抱えていた指の腱の損傷も併せて治っている。医師から完治と告げられた後、彼はギターの弾き方を一から学び直した。その際に手を貸したのがギタリストのリック・フラウディングである。

出典: Megadeth 公式サイト Scorpion Q&A 156

『The System Has Failed』の演奏陣は、ムステイン以外がその時点のバンド編成ではなかった。公式サイトの説明によれば、ドラムはフランク・ザッパとの仕事で知られるヴィニー・カリウタ、ベースはプロデューサー/ソングライターでもあるジミー・リー・スローアス、リード・ギターは1〜2作目のクリス・ポーランドである。ポーランドは契約に基づいてリードとソロだけを弾いており、正式に復帰したわけではなかった。ツアー編成はこれとはまた別の顔ぶれになっている。

出典: Megadeth 公式サイト Scorpion Q&A 319

『United Abominations』の録音は2006年4月、イングランド・オックスフォードシャーのチェッケンドン近郊にある16世紀のエリザベス朝様式の館、Hook End Manorに置かれたSARMのスタジオで始まった。この館はかつてピンク・フロイドのデイヴ・ギルモアの所有だった。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

「Black Swan」が『United Abominations』から外れたのは、曲の出来のためではなかった。公式サイトのQ&Aによれば、「A Tout Le Monde (Set Me Free)」の方が良い曲だという判断が入り、2曲が入れ替わったのだという。ムステインはこの曲について、自分の過去と、少し薄気味悪く感じるものを覗かせたものだと説明している。

出典: Megadeth 公式サイト Scorpion Q&A 39

2006年のハロウィン、MegadethはXbox 360のゲーム『Gears of War』のローンチ企画に参加し、マサチューセッツ州スプリングフィールドの遊園地Six Flagsでミニ・コンサートを行っている。翌年のアルバム『United Abominations』には「Gears of War」という曲も収録された。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

「Head Crusher」のミュージック・ビデオは2009年7月、ロサンゼルスのシルマー地区で撮影された。エキストラとして映っているのは公募で選ばれたファン100人である。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

デイヴ・エレフソンがMegadethに復帰したのは2010年2月、ジェイムズ・ロメンゾと入れ替わる形だった。彼が参加したスタジオ・アルバムとしては、2001年の『The World Needs a Hero』以来となる。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

1980年代のスラッシュ四天王、いわゆるBIG FOURが4組そろって同じステージに立ったのは2010年6月、ポーランドのワルシャワが最初である。同月のブルガリア・ソフィア公演は撮影され、世界各地の映画館で上映された。アメリカでのBIG FOUR初公演は翌2011年4月、カリフォルニア州インディオのエンパイア・ポロ・クラブで行われ、その場でソフィア公演の映像作品にダブル・プラチナが贈られている。同年9月にはニューヨークのヤンキー・スタジアムでも実現した。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

ムステインが自身のレーベルTradecraftの設立を発表したのは2013年2月で、当初はユニバーサルが配給を担当した。2026年の最終作『Megadeth』も、このTradecraftとFrontiers Label Groupの新レーベルBLKIIBLKの提携によって出されている。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

『Dystopia』のドラムを叩いたのはLAMB OF GODのクリス・アドラーだった。彼はあくまで客演で、2016年7月にSOILWORKのダーク・ヴェルブーレンが正式なドラマーとして加入している。ヴェルブーレンはそれ以来定着し、2026年の最終作までバンドに在籍した。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

『Dystopia』では、当時としては珍しいVR企画も行われている。「Poisonous Shadows」「The Threat Is Real」「Fatal Illusion」の3曲を360度映像で見られるVRゴーグル付きの盤が2016年5月に出され、同年9月にはこの「Dystopia Virtual Reality Experience」がCLIO賞のシルバーを受けた。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

2022年作に付随する一連のミュージック・ビデオは、単発の映像ではなく連作として作られている。「We'll Be Back」に始まる各章は、マスコットのヴィック・ラトルヘッドがどのように生まれたのかを描く短編映画で、ムステイン自身がプロデュースした。第1章は戦場に立つ一人の兵士の物語である。アルバムには「Night Stalkers」でIce-Tがゲスト参加している。

出典: Megadeth 公式サイト(アルバム発表)

『The Sick, the Dying... and the Dead!』は、テネシー州ナッシュヴィルにあるムステインの自宅スタジオで録音された。共同プロデューサーは『Dystopia』を一緒に手がけたクリス・レイクストロウで、彼はその後2026年の最終作まで続けて起用されている。

出典: Megadeth 公式サイト(アルバム発表)

このアルバムの題が最初に世に出たのは、通常の告知ではなくファン向けのオンライン企画の席だった。2021年1月9日、ムステインはZoomで行ったファン向けのマスタークラスの中でこの題を明かし、ただし変更の可能性もあると断りを入れている。実際にはそのまま2022年9月2日に発売された。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

結成から43年目、17作目にして、Megadethは初めて全米アルバム・チャートの首位に立った。2026年2月、最終作『Megadeth』がBillboard 200で1位を獲得している。それまでの最高位は1992年『Countdown to Extinction』の2位だった。同作はオーストラリアのARIAチャートでも1位となり、こちらも同国での初の首位である。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

2026年1月17日、テネシー州ラヴァーンの市当局はこの日を「Megadeth Day」と宣言した。バンドが同市で開催した最終作の試聴イベント「Let There Be Shred」に合わせたもので、市への貢献と影響を讃える趣旨だった。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

最終作の発売前日にあたる2026年1月22日、ドキュメンタリー映画『MEGADETH: BEHIND THE MASK』が世界各国の劇場で限定公開された。ムステインへのキャリア全体にわたるインタビューに加え、新作の試聴と全曲解説が収められている。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

ムステインとMegadethは、アニメーション『ダック・ドジャース』の一編に本人役で登場している。2005年11月5日にカートゥーン/ブーメラン・ネットワークで放送された回で、火星人が地球の音楽からエネルギーを奪う装置を作り、ダック・ドジャースが凍結されていたムステインを解凍して、装置を過負荷で壊すだけのヘヴィ・メタルを演奏させるという筋書きだった。劇中でバンドは「Back in the Day」を演奏している。

出典: Megadeth 公式サイト Scorpion Q&A 85

公式サイトのQ&Aには、ジャケットを誰が描いたかの一覧がTH1RT3ENまで載っている。その範囲で最も多いのはヒュー・サイムで、『Countdown to Extinction』『Youthanasia』『Hidden Treasures』『Cryptic Writings』『The World Needs a Hero』の5作。エド・レプカは『Peace Sells... but Who's Buying?』と『Rust in Peace』の2作、ジョン・ロレンツィは『United Abominations』『Endgame』『TH1RT3EN』の3作である。デビュー作だけは、レーベルが撮影したものとしてマイケル・ミュラーの名が挙がっている。

出典: Megadeth 公式サイト Scorpion Q&A 151

2019年6月、ムステインは咽頭がんと診断されたことを公式サイトで自ら公表した。医師団が示した治療計画の奏効率は90%とされ、治療はすでに始まっていた。この年の公演はMegaCruiseを除いてほぼ全て中止となったが、同じ文の中で彼は、キコ、デイヴィッド、ダークと『Dystopia』に続く新作の作業をスタジオで進めていることも伝えている。

出典: Megadeth 公式サイト(デイヴ・ムステインからのメッセージ)

公式のTimelineが観客数を明記している公演は2つある。1991年1月23日、ブラジル・リオデジャネイロのマラカナン競技場で行われたRock In Rio IIは14万人。2014年6月、ケベック州モンテベロのAmnesia Rockfestは20万人を超えた。いずれも南北アメリカでの公演である。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

「Clash of the Titans」は、出演陣を入れ替えて2度行われている。1990年9月22日にベルギーのヘンクで開幕した欧州編はMegadeth、SLAYER、TESTAMENT、SUICIDAL TENDENCIESの4組で、10月14日のロンドン・ウェンブリー・アリーナで幕を閉じた。翌1991年の北米編は5月16日のダラス開幕・7月26日のハリウッド閉幕で、こちらはMegadeth、SLAYER、ANTHRAXに、前座のALICE IN CHAINSが付く編成だった。公式のTimelineは後者をヘヴィ・メタル史上最も成功したツアーの一つと位置づけている。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

1993年7月、MegadethはエアロスミスのGet A Gripツアーから7公演で降ろされている。後任にはJACKYLが入った。同じ年、彼らはアメリカでのStone Temple Pilotsとのツアーと、5月に予定されていた日本公演をいずれも失っている。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

Gigantourは、ムステイン自身が立ち上げた移動式のメタル・フェスティバルである。第1回は2005年夏の北米で、Megadethをヘッドライナーに、DREAM THEATER、ANTHRAX、FEAR FACTORY、NEVERMORE、SYMPHONY Xらが名を連ねた。以後2013年まで断続的に開催され、オーストラリアやイギリスにも渡っている。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

2014年4月、ムステインはサンディエゴ交響楽団と共演している。コープリー・シンフォニー・ホールで行われた「Symphony Interrupted」と題されたこの完売公演で、彼はワーグナーの「ワルキューレの騎行」をオーケストラと演奏したほか、ヴィヴァルディの『四季』の協奏曲やバッハの「G線上のアリア」も披露した。

出典: Megadeth 公式サイト Timeline

ただし「誰が名付けたか」については、確認できるだけで三つの説明が並立している。公式サイトのQ&Aはパンフレットを見つけた経緯を述べるだけで、名付け親には触れていない。ムステイン自身は2010年の自伝で、ごく短期間在籍したヴォーカリストのローレンス・ケイン(通称ロー)が提案したのだと記し、自分の手柄にしていない。一方、初期ギタリストのグレッグ・ハンデヴィットは2025年、デイヴ・エレフソンのポッドキャストで異なる話をしている。パンフレットを読んで衝撃を受けていたのはムステインだが、それを見て「バンド名にできる」と思いついたのは自分だ、というのが彼の主張である。さらに death の綴りから a を落とすことを提案したのも自分だとし、理由としてバンド名に death という語が入ることへの抵抗感と、当時のレーベルに敬遠されない名前にしたかったことを挙げている。ムステインは最初この案を気に入らず、数日かけて受け入れたという。

異説あり出典: Loudwire(ハンデヴィットの発言、およびムステイン自伝からの引用)

デビュー作『Killing Is My Business... and Business Is Good!』のジャケットには裏話がある。ムステインはマスコットであるヴィック・ラトルヘッドのスケッチを自ら描き、それをジャケットに使う予定だった。ところが所属レーベルのCombat Recordsがその原画を紛失(あるいは無視)し、市販のスカルに小道具を組み合わせて撮影しただけの安価な代替案が使われてしまった。ムステインは自伝でこの仕上がりに強い不満を記している。原画に近いアートワークは、後年のリイシュー盤でようやく実現した。

出典: Loudwire(ムステイン自伝を引用)

『Rust in Peace』の冒頭を飾る「Holy Wars... The Punishment Due」は、1988年の北アイルランド・アントリム公演での出来事から生まれた。会場内で海賊版のMegadeth Tシャツが売られていると聞いたムステインは撤去を指示したが、売り手が「the Causeのための資金集めだ」と説明したため容認。その意味を理解しないまま、Sex Pistolsのカバー「Anarchy in the U.K.」をthe Causeに捧げると宣言してしまう。the CauseがIRAを指すと知らずに放ったこの一言で客席は分断され、バンドは防弾仕様のバスで町を離れることになった。この体験が歌詞の下敷きとなっている。なお後半部「The Punishment Due」は、マーベル・コミックのパニッシャーが着想源。

出典: Louder (Metal Hammer) / Ultimate Classic Rock(ムステイン著 Rust in Peace: The Inside Story of the Megadeth Masterpiece を引用)

「Peace Sells」の象徴的なベース・イントロを弾いているのはデイヴ・エレフソンだが、そのフレーズを作ったのは彼ではない。エレフソンによれば、彼が自分でフレットを抜いた改造ベースをムステインが何気なく手に取って弾き始めたのが原型で、そのままバンド練習の場で曲が一気に完成したという。このイントロは長年MTV Newsのテーマとして使われ、Megadethの名を音楽ファン以外にも浸透させた。ただしムステインは、MTVでの使用に対して印税を受け取っていないと繰り返し主張している(バンド側の主張であり、第三者による確認は取れていない)。

出典: BLABBERMOUTH.NET(エレフソンのインタビュー)

マーティ・フリードマン脱退の引き金について、ムステインは繰り返しこう語っている。1999年作『Risk』収録の「Breadline」でフリードマンが弾いたソロをマネジメントが不採用とし、ムステインが差し替えた。その事実を誰もフリードマンに伝えないまま最終ミックスの試聴会が行われ、自分のソロが流れると信じていた彼は、別のソロを聴いて涙を流したという。ただしこれはあくまでムステイン側の証言であり、フリードマン自身は2012年のインタビューで、バンドの音楽性が攻撃的でなくなったことを脱退理由の一つに挙げている。

出典: BLABBERMOUTH.NET(AXSのインタビューを引用)/ NME Japan

マスコットのヴィック・ラトルヘッドは、姓名の双方に由来がある。「Vic」は Victor の略ではなく、victim すなわち犠牲者の略。「Rattlehead」は、ヘッドバンギングをしすぎる息子に母親が「そんなことをしていると頭の中で何かが緩む」という趣旨のことを言ったのが元になっている。造形の出発点は、ムステインが自分でタトゥーを入れるために描いたロゴだった。宗教と、表現の自由が抑圧されることへの彼自身の感情を込めたもので、友人ペイトン・タトルの助けを借りて、髑髏と交差した骨に、さらにもう一対の骨を十字架のように見えるよう配した図案に仕上げたという。そこから、目と耳と口を塞がれた骸骨、すなわち見ざる聞かざる言わざるを体現する存在としてのヴィックが生まれた。ただしムステインは自伝の中で、ヴィックは組織化された宗教への反感というより、自分のコミック好きから生まれたのだと述べている。とりわけパニッシャーの愛読者だった。ヴィックの成り立ちそのものは、デビュー作3曲目の「Skull Beneath the Skin」で語られている。

出典: Loudwire

デビュー作の制作費は、Combat Recordsが出した8,000ドルだった。バンドはそれを使い果たし、追加で4,000ドルを引き出したが、その多くも食費と酒と薬に消えた。結果としてプロデューサーを雇う金が残らず、彼らを契約に導いたデモを手がけた友人カラット・フェイに手伝ってもらい、実質的に自分たちで録音することになった。作業は1984年12月から1985年1月にかけて、カリフォルニア州マリブのインディゴ・ランチ・スタジオで行われている。

出典: Loudwire

デビュー作に収められた「The Mechanix」は、ムステインがMETALLICA在籍時に書き、同バンドのデモ『No Life 'Til Leather』に入っていた曲である。METALLICAはこれをテンポを落として作り替え、『Kill 'Em All』の「The Four Horsemen」とした。ムステインは自分のバンドで、自分の元の形のまま録り直したことになる。

出典: Loudwire

ナンシー・シナトラで知られる「These Boots」のカバーには、公式に3つの版が存在する。1985年のデビュー作では、ムステインが冗談半分に歌詞へ手を加えた版が収録された。作者リー・ヘイゼルウッド側が異議を唱えたため、2002年のリイシューでは書き換えた箇所を全て消音した版に差し替えられ、2018年の『The Final Kill』では原詞どおりに歌い直した版が入っている。エレフソンは、作者の許諾なく歌詞を変えることが問題になるのだと後年説明している。ムステインは、レーベル側への当てこすりを続けるより、女性を貶める文言をファンに届けないことを選んだと述べた。

出典: BLABBERMOUTH.NET

マスコットのヴィック・ラトルヘッドが初めて世に出たのは、アルバムではなく1984年のデモ『Last Rites』のインレイだった。そこに描かれていたのは、ムステイン自身の手による、まだ漫画的で未完成な姿である。バンドがCombat Recordsと契約した後、その原画はレーベル側で行方不明になり、デビュー作のジャケットは、ムステインの口頭説明をもとにレーベルが安価な小道具を組み合わせて撮影したものになった。ヴィックの成り立ちを語る「Skull Beneath the Skin」は、Megadeth最初期の曲の一つである。

出典: Louder(Metal Hammer)

アルバムの題名は、ムステインが交際相手の家に泊まった際、枕元にあった『リーダーズ・ダイジェスト』誌で目にしたパティ・スミスのインタビューから来ている。そこにあった「平和は売られているが、誰も買わない」という趣旨の一節が頭に残り、後日エレフソンを車に乗せている最中に、これをアルバム名にどうかと持ちかけた。

出典: Louder(Classic Rock / Metal Hammer)

「Peace Sells」の歌詞は紙に書かれなかった。ムステインの回想によれば、当時彼はカリフォルニア州ヴァーノンのリハーサル場所に住み込んでおり、部屋に紙が無かったのでマーカーで壁に直接書きつけたという。バンドがその部屋を出た後、次に入った誰かはその壁を知らずに塗り潰しただろう、というのが本人の見立てである。

出典: Songfacts

「Peace Sells」は当初、8分に及ぶ長尺の曲だった。これを4分前後まで刈り込ませたのはドラマーのガー・サミュエルソンである。当時ギタリストだったクリス・ポーランドは、良い曲なのだから引き延ばさずシングルの尺にまとめようとサミュエルソンが説得したと述べ、ムステインが音楽面で口出しを受け入れる数少ない相手がサミュエルソンだったと振り返っている。

出典: Songfacts

「Peace Sells」の冒頭のベース・フレーズは、MTVがニュース枠のテーマとして長年使い続けたことで、曲を知らない層にまで刷り込まれた。ムステインはこの使用について印税を一切受け取っていないと述べており、支払いが発生しない形に加工されていたのだろうと語っている。エレフソンは、10年にわたって各家庭に半ば無意識のうちに流し込まれた影響の大きさを振り返っている。

出典: Songfacts

2作目にウィリー・ディクソンのブルース「I Ain't Superstitious」が入っているのは、ジェフ・ベックが同曲を演奏していたからだった。当時在籍していたクリス・ポーランドとガー・サミュエルソンにとってベックは大きな影響源であり、それに乗る形で選ばれている。ムステインによれば、ディクソン本人はMegadethの演奏を聴いて気に入ったという。前作でナンシー・シナトラの曲を扱った際に作者側と揉めた直後だっただけに、対照的な反応だった。

出典: Louder(Classic Rock)

2作目に収められた「The Conjuring」は、オカルトの儀式を曲にしたもので、歌詞の中に呪文の断片が織り込まれているとされてきた。Megadethは2000年代に入ってこの曲をセットリストから外している。ムステイン自身のキリスト教信仰と噛み合わなくなったためである。

出典: Louder(Classic Rock)

『Peace Sells... but Who's Buying?』は1986年3月、プロデューサーのランディ・バーンズとともにミュージック・グラインダー・スタジオで録音された。制作費はデビュー作の3倍にあたる25,000ドル。その後、より広い層に届く音にするためポール・レイニによるリミックスが行われている。エレフソンは、ようやくまともな音のレコードが作れる予算がついたと感じたと振り返っている。

出典: Louder(Classic Rock)

ヴィック・ラトルヘッドの姿が決定版として固まったのは、1986年の『Peace Sells... but Who's Buying?』のジャケットにおいてである。描いたのはエド・レプカ。廃墟と化した国連本部ビルを、不動産業者のように得意げに売りつけるヴィックという構図で、全身像として初めて描かれた。レプカにとっても初期の代表作の一つとなった。

出典: Louder(Metal Hammer)

3作目に入っている「Set the World Afire」は、もともと「Megadeth」という題の曲だった。エレフソンによれば、バンド名を何にするか話し合っていた席で誰かがその曲名を挙げ、そのままバンドの名前になったため、曲の側が改題されたのだという。つまりバンド名は、先に曲名として存在していた。

出典: Louder(Metal Hammer)

「In My Darkest Hour」は、METALLICA時代の盟友だったベーシスト、クリフ・バートンの死を知った日に書かれた。ムステインは訃報をテレビで知ったと語っており、当時それが応えたことも繰り返し述べている。彼はこの曲を、それまでに書いた中で最も個人的な曲だとしている。

出典: Louder(Metal Hammer)

「In My Darkest Hour」のミュージック・ビデオを撮ったのは、のちに映画『ウェインズ・ワールド』を監督することになるペネロープ・スフィーリスである。彼女はこの曲を、自身の1988年のドキュメンタリー『ザ・ディクライン・オブ・ウェスタン・シヴィライゼーション PART II: メタル・イヤーズ』でも使っている。Megadethは同作に出演したバンドの一つでもあった。

出典: Songfacts

Sex Pistolsの「Anarchy in the U.K.」のカバーには、オリジナル・メンバーのギタリスト、スティーヴ・ジョーンズがゲストとして参加している。ムステインは当初、同じくSex Pistolsの「Problems」を取り上げたかったが、内容が否定的すぎるとして周囲に止められた。折衷案として2曲を1曲に繋ぐ案も試したものの、うまくいかず断念している。

出典: Louder(Metal Hammer)

「Anarchy in the U.K.」のカバーには、レコーディング時の聞き取り違いがそのまま残っている。原詞の一節を別の語に取り違えたまま歌われており、Sex Pistolsのジョン・ライドンはこれを快く思わなかった。後年Megadeth側がアンソロジー盤に同曲の歌詞を掲載する許諾を求めた際、彼はそれを拒んでいる。

出典: Louder(Metal Hammer)

3作目の「502」という曲名は、アメリカで飲酒運転を指す警察の交通コードから取られている。この曲は結果的に予言めいたものになった。ムステイン自身が1989年に飲酒運転で逮捕され、12ステップ・プログラムに入ることになったからである。

出典: Louder(Metal Hammer)

同じアルバムの「Hook in Mouth」は、当時の検閲、とりわけPMRC(ペアレンツ・ミュージック・リソース・センター)に向けた曲である。PMRCは1980年代半ばから後半にかけて、レコードに保護者向けの警告表示を義務づける法制化を求めた圧力団体で、代表者はティッパー・ゴア、その夫アル・ゴアはのちに合衆国副大統領となる人物だった。

出典: Louder(Metal Hammer)

3作目の編成が固まる過程には、少し意地の悪い経緯がある。ギタリストのオーディションにMALICEのジェイ・レイノルズが来たが、ムステインは彼を採らなかった。ただしレイノルズがジェフ・ヤングに師事していると知ると、弟子ではなく師の方を採る、という判断で、ヤングを迎え入れている。

出典: Louder(Metal Hammer)

ジェフ・ヤングとチャック・ベーラーを迎えた編成の最初の英国公演は、1987年末にリーズで行われたChristmas On Earthフェスティバルのヘッドライナーだった。Megadethにとってまだ2度目の英国公演にすぎず、その下にNUCLEAR ASSAULT、OVERKILL、KREATOR、CRO-MAGSが並ぶという顔ぶれだった。

出典: Louder(Metal Hammer)

1988年8月20日、ドニントンのMonsters of Rockへの出演は、本来なら大きな成果になるはずだった。だが当時のバンドは薬物の問題が限界に達しており、IRON MAIDENとの欧州公演を含むこの遠征の途中でツアーを打ち切り、帰国せざるを得なくなる。ムステインは後年、これがジェフ・ヤングとチャック・ベーラーの終わりの始まりだったと述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Rust in Peace』は、プロデューサーが二度替わっている。最初に着いたのはデイヴ・ジャーデンで、数日で降板。エンジニアのミカイア・ライアンによれば、現場に「デイヴ」が多すぎるという理由で外されたのだという。後任のマイク・クリンクはGUNS N' ROSESの新作のためいつでも抜ける可能性があると告げたことで最初から関係がぎくしゃくし、こちらもセッションの途中で離れた。最終的なミックスにはマックス・ノーマンが入っている。

出典: Louder(Metal Hammer)

録音場所はカリフォルニア州カノガ・パークのランボー・スタジオ。オーナーはメタルとは縁遠いポップ・デュオ、キャプテン&テニールだった。ムステインがマイク・クリンクを望んだ理由の一つは、彼がUFOの作品を手がけていたことで、マイケル・シェンカーのようなギター・サウンドを期待していたという。

出典: Louder(Metal Hammer)

マーティ・フリードマンの加入は、危うく実現しないところだった。マネジメント事務所に置かれていた彼のテープを、ムステインは髪の色を見た印象だけで二度突き返している。数か月おきに手に取っては放り出すという状態が続き、最終的に聴いたのは、マネージャーが諦めずに勧め続けたからだった。実際に演奏を目にしたときの衝撃も、本人が語っている。ドラマーのニック・メンザは、ジャズの素養を買われて先に決まっていた。

出典: Louder(Metal Hammer)

フリードマンが加入する前、プリプロダクションのデモではリード・ギターを弾いていたのは1〜2作目のクリス・ポーランドだった。ムステインは後年のリマスター盤にこのデモ音源を収録している。フリードマンの演奏がポーランドのデモに触発されたものであることを聴き手に示したかったから、というのが本人の説明である。

出典: Louder(Metal Hammer)

アルバム名は、ムステインが車の運転中に見かけたバンパー・ステッカーから取られている。核兵器が使われないまま朽ちていくことを願う趣旨の一文で、彼はそれを見た瞬間に次のアルバムの題だと決めたという。同じ発想は「Rust in Peace... Polaris」の歌詞にも通じており、ポラリスは実在の潜水艦発射弾道ミサイルの名である。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Rust in Peace』には、Megadeth以前に書かれた素材が2曲分入っている。「Hangar 18」の元になったリフは、ムステインがMETALLICA加入以前のバンドPANICで書いた「N2RHQ」という曲で、別の惑星の環境を題材にしたSF的な内容だった。「Rust in Peace... Polaris」も同じくPANIC時代に「Child Saint」という題で完成していた曲である。

出典: Louder(Metal Hammer)

「Hangar 18」の主題そのものは、ムステインではなくドラマーのニック・メンザから出たものだった。軍がUFOと地球外生命体を隠しているという説に強い関心を持っていたのはメンザで、ムステインは自分がその見方を信じているわけではないと明言しつつ、曲の形にして聴き手の判断に委ねたと語っている。

出典: Louder(Metal Hammer)

「Five Magics」は、Megadethでは珍しく小説を下敷きにした曲である。題名も歌詞も、リンドン・ハーディが1980年に発表したファンタジー小説『Master of the Five Magics』から来ている。若い魔術師が5つの魔法を修めて悪しき支配者に立ち向かう物語で、曲の変拍子はムステイン自身が後年、プログレッシヴ・メタル勢への影響として名を挙げた箇所でもある。

出典: Louder(Metal Hammer)

「Lucretia」については、ムステインの家の屋根裏にいた幽霊のことを歌ったものだ、という説明が長く流布してきた。だが本人は2008年のQ&Aでこれを否定している。ルクレツィアは自分が作った話であり、名前はルクレツィア・ボルジアから取った、というのが本人の説明である。

出典: Louder(Metal Hammer)

短いインストゥルメンタル的な曲「Dawn Patrol」は、アルバムに最後に足された曲だった。エレフソンによれば、収録時間がやや短いというマネジメント側の指摘を受けて加えられたもので、後から聴き返すと、他の曲の畳みかけの間に入る良い息継ぎになっているという。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Rust in Peace』のジャケットは、ヴィックが各国首脳に地球外生命体の遺体を見せる場面を描いている。左端の人物は英首相ジョン・メージャーだと長く言われてきたが、Metal Hammerはこの通説に疑問を呈している。作品が発表された1990年9月の時点で英首相はマーガレット・サッチャーであり、メージャーが就任するのはその後だからである。

出典: Louder(Metal Hammer)

ニック・メンザは最後のインタビューで、『Rust in Peace』の生々しさはクリックを使わずスタジオで一斉に演奏したことから来ていると語っている。クリックに合わせて演奏すると熱量が澱んで無機質になる、というのが彼の考えだった。ムステインの側も、レコーディング前に同じ曲を何度も反復した積み重ねがあの演奏を生んだと述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)

「Hangar 18」はグラミー賞のベスト・メタル・パフォーマンス部門にノミネートされたが、受賞を逃した。その回に選ばれたのは、ムステインが1983年まで在籍していたMETALLICAのセルフタイトル作だった。Megadethが同部門で初めて受賞するのは、それから四半世紀を経た2017年になる。

出典: Songfacts

Megadethが2013年以降、ライヴの1曲目を「Hangar 18」に固定しているのは、PANTERAのヴィニー・ポールの助言による。2013年のGigantourで同行していた彼が、この曲で始めるべきだとバンドのバスに乗り込んで勧めたという。実際に試したところ手応えがあり、以来定着した。エレフソンは、ヴィニー・ポールの死後はその追悼の意味も帯びていると語っている。歌のない曲なので、front-of-houseが最初の数分でバンドの音を整えられるという実務上の利点もある。

出典: Loudwire

「Symphony of Destruction」の骨格には、メタル以外の出所がある。コーラス部分の和音の動きについて、ムステインはビートルズが和音の下でベース音を動かしていくやり方から着想を得たと述べている。刻みのベース・ラインの方は、ロサンゼルスのラジオから流れてきたQUEENSRŸCHEの「Jet City Woman」を聴いて、これだと思ったのだという。

出典: Louder(Metal Hammer)

「Symphony of Destruction」の完成形は、プロデューサーのマックス・ノーマンの提案で生まれている。彼はフリードマンのソロの前にあった最後のヴァースを曲の末尾へ動かすことを提案した。バンドが最初に録ったデモは完成版より88秒長く、2004年のリイシューにボーナス・トラックとして収められている。ムステインは、事前にデモを渡した相手のうち、曲そのものに意見を返してきたのはノーマンだけだったと語っている。

出典: Louder(Metal Hammer)

「Symphony of Destruction」の歌詞の一部は、運転中に浮かんだものを手近な紙に書き留めたものだった。ただしその紙が何だったかについて、ムステインは複数の説明をしている。Louderの取材では、キックボクシングの黒帯を目指して稽古に通っていた頃に立ち寄っていた寿司店のレシートの裏だと述べており、Songfactsは、寿司のレシートのほかに逮捕時の書類だという説明もしていると指摘している。曲の着想が映画・小説『影なき狙撃者』にあることは一貫している。

異説あり出典: Songfacts

ムステインによれば、Megadethにとって「Symphony of Destruction」が初めての本当の意味でのシングルだった。それ以前は、良いと思う曲を選んでビデオを作り、MTVに掛かることを祈るというやり方だったという。この曲のビデオは深夜のHeadbanger's Ballから昼間のリクエスト番組Dial MTVへ移り、同局の1992年年間ビデオ100選では68位に入った。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Countdown to Extinction』は、ヴィック・ラトルヘッドが表ジャケットから姿を消した最初のアルバムである。彼は裏ジャケットに回され、髑髏を珠にした算盤を弾いている。ヴィックがふたたび表を飾るのは、2001年の『The World Needs a Hero』まで待つことになる。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Youthanasia』という題は、安楽死を意味する euthanasia をもじった造語である。youth(若者)を重ねることで、上の世代の振る舞いによって若い世代が実質的に「処分」されているという含みを持たせている。

出典: Songfacts

『Youthanasia』はロサンゼルスを離れて作られた。ムステインが1994年、断酒を続けるために家族とアリゾナ州フェニックスへ移り、エレフソンとフリードマンも制作をしやすくするため同地へ移っている。当初はフェニックスのフェイズ・フォー・スタジオで録音していたが、機材の不調が続いたため、プロデューサーのマックス・ノーマンの助言で、借りた倉庫の中に自分たちのスタジオを作ってしまった。

出典: Loudwire

Megadethは、世界で初めて公式サイトを開設したバンドとされる。1994年10月、『Youthanasia』の発売に合わせて公開された「Megadeth, Arizona」がそれで、名称はフェニックスに作った自前のスタジオの所在地から来ている。チャットルームのMegadiner、グッズを置いたVic's Cactus Hut、Horrorscopesという名の新聞など、当時としては前例のない作りだった。ムステインは、キッスのジーン・シモンズがこれと同じものが欲しいと言っていたと聞かされて舞い上がった、と振り返っている。

出典: BLABBERMOUTH.NET

「A Tout Le Monde」のビデオはMTVで放送を拒否された。自殺を扱った曲だと受け取られたためである。ムステインはこの解釈を否定しており、母が天国から戻って一言だけ言葉を残す夢を見たことがこの曲の出発点だと語っている。彼はまた、MTVから特定の監督を使わないよう言われていたにもかかわらず、当時のマネジメントが別名義で提出しようとしたことが事態を悪化させたとも述べている。

出典: BLABBERMOUTH.NET(ムステイン本人の声明)

「A Tout Le Monde」が自殺の歌だと受け取られるようになった発端は、ムステイン自身の言い間違いだった。自伝によれば、あるテレビ収録でセットリストを取り違え、次の曲を「Skin o' My Teeth」だと思い込んで、自殺を試みた回数についての短い前置きを喋ってしまう。実際に始まったのは「A Tout Le Monde」だった。以後、この曲には自殺を推奨する歌という評判がついて回ることになる。

出典: Loudwire

「A Tout Le Monde」のビデオは、末尾に注意喚起のメッセージを加えることでようやくMTVで流れた。なお、映像に出てくる女性と子どもはムステインの妻パムと息子ジャスティスである。題名はフランス語で「みんなへ」を意味する。

出典: Songfacts

『Youthanasia』はBillboard 200に4位で初登場し、1995年1月5日にプラチナ認定を受けた。シングルは「Train of Consequences」がMainstream Rockチャート29位、放送を巡って揉めた「A Tout Le Monde」も31位に入っている。2004年には10周年記念のリミックス/リマスター盤が、未発表曲「Millennium of the Blind」やインストゥルメンタル「Absolution」を含む4曲のボーナス・トラック付きで出された。

出典: Loudwire

「Trust」はムステインとマーティ・フリードマンの共作で、Megadethにとってアメリカのラジオでの最大のヒットとなった。Mainstream Rockチャートで5位まで上がっている。中間部では一度速度を落とし、ナッシュヴィル交響楽団によるストリングスが入ってから、ふたたびギターが戻ってくる構成になっている。ビデオを撮ったのはリズ・フリードランダーで、彼女の他の仕事にはアラニス・モリセットやセリーヌ・ディオンなど、メタルとは縁の遠い顔ぶれが並ぶ。

出典: Songfacts

賛否の割れた『Risk』について、当事者二人の説明は噛み合っていない。ムステインは、フリードマンがオルタナティヴ寄りの方向を望んだことに自分が譲歩した結果だと述べている。一方のフリードマンは、あれは当時のバンドがいた場所そのものであり、全員が最善を尽くした、アルバムとはその時期の卒業アルバムのようなものだ、として振り返り方そのものを退けている。彼は録音以来この作品を聴いていないとも語っている。アルバムはBillboardチャート16位に入り、のちに全米50万枚のゴールド認定を受けた。

異説あり出典: BLABBERMOUTH.NET

フリードマンがMegadethを離れる直前の光景を、本人が自著で書き残している。1999年12月22日、テキサス州コーパスクリスティのスポーツバーでの公演で、店先の看板にはMegadethの名前とブリトーの値段が並んで書かれていた。演奏そのものはアリーナのようにやり切ったが、バンドメイトがその看板を見上げるのを見ているのは辛かった、というのが彼の述懐である。彼はすでに脱退を申し出ており、クリスマスの朝に強い発作を起こして救急搬送されたことで、残りの日程に出ないことを決めた。

出典: Louder(Metal Hammer、フリードマンの自著より)

2001年の『The World Needs a Hero』で、ヴィック・ラトルヘッドは9年ぶりに表ジャケットへ戻った。それも、映画『エイリアン』のようにムステイン自身の胸を突き破って現れるという構図である。

出典: Louder(Metal Hammer)

Megadethが2002年に一度活動を止めたのは、音楽的な理由ではなかった。ムステイン本人が公式サイトに掲載した説明によれば、彼は2001年末に再発して治療施設に入っており、2002年1月7日、椅子の背に腕を掛けた姿勢のまま眠り込んだ。目覚めたときには手の感覚が無く、橈骨神経の圧迫と診断される。専門医からは、腕の機能が8割戻れば幸運だと告げられた。彼はこれを受け入れず施設を出て、別の医師のもとで治療を始めている。

出典: BLABBERMOUTH.NET(公式サイト掲載のムステイン本人の説明)

ムステインが負傷後に初めてギターを手にしたのは、演奏のためではなかった。本人の説明によれば、負傷から13か月後、彼のもとで働いていた人物が亡くなり、その場で演奏を頼まれたのだという。2001年11月17日以来、彼が楽器に触れたのはそれが最初だった。演奏活動への復帰を決めたのは、そこからさらに5か月後である。

出典: BLABBERMOUTH.NET(公式サイト掲載のムステイン本人の説明)

『The System Has Failed』は、当初ムステインのソロ・デビュー作として作られていた。それがMegadeth名義で出ることになったのは、彼の出版契約上の義務によるものである。結果として、復帰作は本人のソロ作としてではなくバンドの10作目として世に出た。

出典: Songfacts

『The System Has Failed』は、Megadethのスタジオ・アルバムとして初めてデイヴ・エレフソンが参加していない作品でもある。同時に、ムステインが2002年の腕の負傷から回復して以降、最初に出したスタジオ作でもあった。

出典: BLABBERMOUTH.NET

先行シングルの「Die Dead Enough」は、当初は映画『ソウ』で使われる予定だったが、理由は公にされないまま見送られている。ビデオを撮ったのはSLIPKNOTやSEPULTURAを手がけたトーマス・ミグノーンで、映像にはセッション参加のメンバーは映らず、ムステイン一人だけが登場する。

出典: Songfacts

『The System Has Failed』のジャケットで、ヴィックは『Peace Sells』のときと同じ青いスーツ姿に戻り、ふたたび政治の側に立っている。廃墟となった最高裁判所の前で、無罪評決と引き換えに100ドル札を配っている構図である。

出典: Louder(Metal Hammer)

『United Abominations』のジャケットに使われたヴィックの図案は、バンドがDeviantART上で開催したファン参加のコンテストから出てきたものである。ただし、採用された絵はコンテストの優勝作ではない。上位11点には入ったものの、そこでは選ばれなかった作品だった。

出典: BLABBERMOUTH.NET

「A Tout Le Monde」の再録版でデュエットの相手に選ばれたのはLACUNA COILのクリスティーナ・スカビアだが、彼女は最初の候補ではなかった。ムステインの説明によれば、リサ・マリー・プレスリーの参加がいったん確定していたほか、別に2人へ打診していたという。この再録は当初、日本盤のB面用として作られたもので、その後アメリカのラジオ向けに副題を足した「Set Me Free (A Tout Le Monde)」名義で送り出された。ソロはグレン・ドローヴァーの新しいリードから、オリジナルのフリードマンのソロへ繋がる構成になっている。

出典: BLABBERMOUTH.NET(ムステイン本人の声明)

『Endgame』の先行シングル「Head Crusher」の元になった素材は、ドラマーのショーン・ドローヴァーが持ち込んだものだった。ムステインは冒頭部分がどうしても好きになれず、その理由が分からないまま何度か聴かされる。実際にギターで弾いてみて理由が判明した。それは『Rust in Peace』収録の「Take No Prisoners」の冒頭とほとんど同じだったのである。残りの部分は良い出来だったため、その先を二人で共作した。曲名は中世の拷問器具に由来する。

出典: Songfacts

『Endgame』は、ムステインが自分で建てたスタジオ「Vic's Garage」で録音された最初のアルバムである。名前はもちろんマスコットのヴィック・ラトルヘッドから来ている。スタジオはカリフォルニア州サン・マルコスにあり、2008年に建てられた。「Head Crusher」はまた、グレン・ドローヴァー脱退後に加入したクリス・ブローデリックにとって最初のMegadethでの音源でもある。

出典: Songfacts

『TH1RT3EN』という題には、少なくとも三つの意味が重ねられている。バンドにとって13作目であること、ムステインの誕生日が9月13日であること、そして彼がギターを始めたのが13歳のときであること。本人はこの符合を挙げて、この題にするのが自然だったと説明している。

出典: Songfacts

『TH1RT3EN』は、DISTURBEDやMACHINE HEADを手がけたジョニー・Kをプロデューサーに迎え、Vic's Garageで録音された。エレフソンによれば、ジョニー・Kは制作に入る前にムステインの自伝を読んでおり、それがバンドの成り立ちを理解する助けになったという。表題曲の歌詞は、その二人の会話から少しずつ形になっていった。

出典: Songfacts

『TH1RT3EN』のジャケットでは、ヴィック・ラトルヘッドが初めて背後から描かれている。13という数字が書き殴られた廊下を歩いていく構図で、画面下部にはうっすらと、それまでの12作のジャケットを表す図像が象形文字のように並べられている。

出典: Louder(Metal Hammer)

「Super Collider」の着想は、ムステインがサンタバーバラで読んでいた新聞記事から来ている。彼はもともとクロスワードなどのパズル目当てでUSA Today紙を手に取るようになったのだが、そこで粒子加速器によるヒッグス粒子の同定を伝える記事に行き当たった。ヒッグス粒子には「神の粒子」という通称があり、彼はそれを曲名にすることを意識的に避けている。自身の信仰を巡って周囲がどう反応するかを見てきたためだという。

出典: Songfacts

『Super Collider』のジャケットは、一見すると大型ハドロン衝突型加速器の写真である。ムステインはこの機械の巨大さそのものに惹かれたと語っている。ただし絵柄はそれだけではない。しばらく眺めていると、装置の中にヴィック・ラトルヘッドの横顔が浮かび上がってくる。12インチのアナログ盤で見るのがいちばん分かりやすい。

出典: Louder(Metal Hammer)

先行シングルとして出された「Super Collider」は、Billboardのどのチャートにも入らなかった。エレフソンは2018年の取材で、あれは選曲を誤ったと振り返っている。最初に軽い曲を聴かされると、聴き手はアルバム全体に対する印象をそこで固めてしまう、というのが彼の見立てだった。

出典: Songfacts

キコ・ルーレイロがMegadethに加わる過程には、変わった段取りがあった。2015年、彼はムステインとエレフソンから連絡を受け、ナッシュヴィルへ来るよう手配される。その前に自宅で演奏を撮って送りましょうかと自分から申し出たため、土日の2日間で「Trust」「Symphony of Destruction」「Holy Wars」「Hangar 18」の4曲を覚え、日曜に撮影した。本人は後年その映像を公開する際、間違った音や間違ったリフだらけなので教材にはしないでほしいと断っている。

出典: Loudwire

ナッシュヴィルで実際に会ったときの「オーディション」で、キコ・ルーレイロはギターを一度も弾かなかった。本人の説明によれば、その日は一日ムステインと過ごしただけである。加入が決まってからも、しばらくは自分から曲を持ち込むことを控え、まず観察してバンドの成り立ちを理解することに努めたという。

出典: Louder(Metal Hammer)

2017年2月、Megadethは「Dystopia」でグラミー賞のベスト・メタル・パフォーマンス部門を初受賞した。ところが受賞者が壇上へ向かう間、会場のハウス・バンドが演奏したのはMETALLICAの「Master of Puppets」だった。ムステインは腹を立てるどころか、歩きながらエア・ギターを弾いてみせ、後日SNSで、Megadethを演奏できないのは仕方がないという趣旨の一言を返している。

出典: Loudwire

2017年の受賞は、Megadethにとってメタル部門12度目のノミネートで初めての戴冠だった(廃止された「ベスト・ハード・ロック/メタル・パフォーマンス」部門での候補入りを含む)。エレフソンは、この部門ではJUDAS PRIESTやIRON MAIDENといった先達と同じ枠に入ることが多く、彼らが先に受賞するのは筋が通っていると感じていたと振り返っている。

出典: BLABBERMOUTH.NET

2022年作のベースを弾いているのは、TESTAMENTやDEATHでの仕事で知られるフレットレス奏者スティーヴ・ディジョルジオである。デイヴ・エレフソンの解雇によって録り直しが必要になり、ムステインは新しい曲を弾ける人物として彼を指名した。ライヴのベースは、2000年代にも在籍していたジェイムズ・ロメンゾが引き継いでいる。

出典: Loudwire

Megadethが活動の終わりを告げた方法は、声明ではなくカウントダウン時計だった。2025年8月、公式サイトに設置された時計がゼロになった時点で、次のアルバムが最後のスタジオ作となること、そして世界規模のフェアウェル・ツアーを行うことが明かされた。アルバムの曲目が発表されたのは同年10月29日で、収録は10曲、題はバンド名と同じ『Megadeth』である。

出典: Loudwire

最終作であることをバンド内で共有したのは、制作のかなり後半だった。ギタリストのテーム・マンテュサーリによれば、スタジオ作業に入ってから10か月ほど経った頃に初めて「フェアウェル」という話が出たという。そのため大半の曲は、これが最後だと意識せずに書かれている。例外が終曲「The Last Note」で、この曲の歌詞だけは決定の後に書かれた。

出典: BLABBERMOUTH.NET(Guitar World 誌インタビューより)

最終作には、ムステインがMETALLICA時代に作曲へ関わった「Ride the Lightning」のカバーが収められている。オリジナル版で彼は作曲クレジットを得ているが、自分のバンドで演奏するのは初めてだった。本人は、円を閉じるのにふさわしい時期だと考えた、ジェイムズ・ヘットフィールドのギターへの敬意を示したかった、と語っている。

出典: Louder(Metal Hammer カヴァー特集)

活動を終える判断は、レコードの制作中に下されている。ムステインは、作業が3分の2ほど進んだ頃、マネジメント・チームの一員でもある息子のジャスティスに、手が痛くこれをあとどれだけ続けられるか分からないと打ち明けた。すでに手には関節炎があり、指の一部には感覚が無いという。彼は2026年時点で64歳である。

出典: Louder(Metal Hammer インタビュー)

2023年の武道館でのマーティ・フリードマンとの共演は、一度きりでは終わらなかった。同年8月4日、ドイツのWacken Open Airで再び顔を合わせている。武道館では「Countdown to Extinction」「Tornado of Souls」「Symphony of Destruction」の3曲だったのに対し、ヴァッケンでは1曲目が「Trust」に差し替えられ、さらにアンコールで再登場して「Holy Wars... The Punishment Due」にも加わった。フリードマンの出演告知は翌5日だったため、この日の共演は予想されていなかった。

出典: BARKS

ムステインは1998年、シットコム『ドリュー・ケリー・ショー』にカメオ出演している。役どころは、ドリューたちが組もうとしているバンドのオーディションを受けるギタリスト。猛烈に速いソロを弾いてみせるのだが、その速さは緊張のせいだろうと受け取られ、採用されないという落ちだった。

出典: Songfacts(Megadeth Artistfacts)

ムステインはテコンドー(WTF)と極道空手の黒帯を持つ。2007年には世界テコンドー連盟の親善大使に任命された。「Symphony of Destruction」の歌詞の一部が、キックボクシングの稽古帰りに立ち寄っていた店で書かれたのも、この方面の習慣によるものである。

出典: Songfacts(Megadeth Artistfacts)