JUDAS PRIEST トリビア 全214件

JUDAS PRIESTにまつわる事実を、出典付きで214件掲載しています。

Trivia

1978年に初来日を果たした翌年、バンドは再び日本を訪れ、その公演でキャリア初のライヴ・レコーディングを行っている。そこから生まれたのが1979年の『UNLEASHED IN THE EAST(イン・ジ・イースト)』だった。バンドの代表的なライヴ盤は、日本の会場で録られたものである。

出典: ソニーミュージック ジューダス・プリースト プロフィール

『Defenders of the Faith(背徳の掟)』は、日本のレーベル公式が全作品中1、2位を争う人気作と位置づけている一枚である。全米18位でプラチナを獲得し、全英は19位。代表曲として挙げられているのは「フリーホイール・バーニング」、「叛旗の下に(Some Heads Are Gonna Roll)」、「死の番人(The Sentinel)」。邦題が定着している数少ない曲群でもある。

出典: ソニーミュージック『背徳の掟ー30thアニバーサリー・エディションー』商品ページ

『背徳の掟』の30周年記念盤は2015年3月4日に日本で発売された。同月の来日公演に合わせ、世界最速での発売が実現している。リマスターを手掛けたのはオリジナルのプロデューサーであるトム・アロム。CD2枚分にわたって収録されたのは、絶頂期の1984年5月、カリフォルニアのロング・ビーチ・アリーナ公演の完全版である。外装は機械獣「メタリアン」の頭部がくり抜かれた三方背ボックスで、8面デジパックと20ページの記念ブックレットが付いた。

出典: ソニーミュージック『背徳の掟ー30thアニバーサリー・エディションー』商品ページ

50周年記念のボックス・セット『50 HEAVY METAL YEARS OF MUSIC』は、全カタログに未発表音源138曲を加えたCD42枚組で、全世界3,000セット限定として発売された。翌2022年、バンドはロックの殿堂入りを果たしている。

出典: ソニーミュージック ジューダス・プリースト プロフィール

2024年12月4日、来日ツアーの前日に、『Invincible Shield』が日本でカセットテープとして発売された。海外ではEC限定でスタンダード・エディション(11曲)のクリアレッド仕様が出ていたが、日本版はデラックス・エディション(14曲)のクリアブルー仕様である。デラックス版のカセットは日本のみの特別仕様で限定生産だった。日本でJUDAS PRIESTのカセットが出るのは、1988年の『Ram It Down』以来36年ぶりのことだった。

出典: ソニーミュージック ジューダス・プリースト ニュース

日本盤には独自の邦題が付けられてきた作品がいくつもある。ソニーミュージックのディスコグラフィに並ぶ表記では、『Sin After Sin』が『背信の門』、『Screaming for Vengeance』が『復讐の叫び』、『Defenders of the Faith』が『背徳の掟』、『Redeemer of Souls』が『贖罪の化身』である。一方で『Stained Class』『British Steel』『Painkiller』『Firepower』『Invincible Shield』などはカタカナ表記のままで、邦題を付けるかどうかは作品ごとに分かれてきた。

出典: ソニーミュージック ジューダス・プリースト ディスコグラフィ

1978年8月、バンドは『Stained Class』のツアーを日本での5公演で締めくくった。そのまま帰国してすぐ次のアルバムの制作に入り、そこから「Running Wild」などが生まれている。日本はこのバンドにとって、ツアーの終着点であると同時に次の作品への折り返し点だった。

出典: Songfacts「Running Wild」

1979年のライヴ盤『Unleashed In The East』は、もともと日本市場だけのために作られる予定だった。それが結果としてバンドにとっても、ジャンル全体にとっても大きな突破口になる。なお、このジャケットの写真は東京厚生年金会館でも中野サンプラザでも撮られておらず、ダンスタブルのシヴィック・ホールで作られたものだという。

出典: Louder(Classic Rock)

『Invincible Shield』は2024年3月6日に日本で発売された。これは日本先行リリースで、世界での発売より先に日本の店頭に並んでいる。結成から55年、デビューからは50周年という節目の年に出た19作目だった。

出典: 激ロック ニュース

2015年3月6日、東京・EXシアター六本木で約3年ぶりのジャパン・ツアーが幕を開けた。前年夏の『Redeemer of Souls』に伴うワールド・ツアーの一環である。この夜のアンコールには、前年10月のアメリカ公演では披露されていなかった「Hellion〜Electric Eye」と「Painkiller」が組み込まれた。演奏曲目自体は当時からほぼ変わっていなかったため、この2曲は日本のファンに向けた贈り物と受け取られている。

出典: BARKS ライヴ・レポート

2018年11月のジャパン・ツアーは、1978年の初来日公演からちょうど40年目にあたる来日だった。3年ぶりの日本公演で、同年3月に出た『Firepower』を携えて国内5都市を回っている。日程は11月21日の北海道・Zepp Sapporoに始まり、11月29日の東京・武蔵野の森総合スポーツプラザで終わった。

出典: BARKS

2024年12月5日、名古屋の愛知県芸術劇場大ホールで<INVINCIBLE SHIELD TOUR JAPAN 2024>が開幕した。オーケストラやオペラの公演も行われる会場で、100分を超える演奏が行われている。この日ロブ・ハルフォードは、この国の人々とは50年にわたってメタルの旅を共にしてきた、たくさんの思い出があり、ここに戻って来られてとても嬉しいと客席に語りかけた。最後に深く丁寧にお辞儀をして去っていく姿が印象に残ったと記事は伝えている。

出典: BARKS ライヴ・レポート

起点は1969年のバーミンガムにある。イアン・ヒルとK.K.ダウニングが在籍していた前身バンドの名は「FREIGHT」で、これが後にJUDAS PRIESTへと改名された。半世紀を超えて鳴り続けることになるバンドの出発点は、まだ何者でもない地元の若者たちの集まりだったことになる。

出典: ソニーミュージック ジューダス・プリースト プロフィール

1972年末に初代ヴォーカルのアル・アトキンスが脱退した後、当時HIROSHIMAというバンドで歌っていたロブ・ハルフォードが加入する。橋渡しをしたのは音楽業界の人間ではなく、当時イアン・ヒルと交際していたハルフォードの妹だった。メタル・ゴッドがこのバンドにたどり着いた経路は、身内の紹介である。

出典: ソニーミュージック ジューダス・プリースト プロフィール

バンドが実際にグラミーを獲ったのは第52回、2010年のことである。受賞したのは最優秀メタル・パフォーマンス部門で、対象は「Dissident Aggressor」。1977年の『Sin After Sin』に入っていた曲の、後年のライヴ演奏だった。この分野で5度候補に挙がったうちの、唯一の受賞である。

出典: グラミー賞公式サイト GRAMMY.com アーティスト・ページ

2011年、「最後のワールド・ツアー」と銘打たれたエピタフ・ツアーを前に、オリジナル・メンバーのK.K.ダウニングが脱退した。後任に入ったのがリッチー・フォークナーである。彼が初めて参加した2014年の17作目『Redeemer of Souls(贖罪の化身)』は全米6位を記録し、その時点でのバンドの全米最高位となった。

出典: ソニーミュージック ジューダス・プリースト プロフィール

18作目『Firepower』は二人のプロデューサーによって作られた。ひとりはメガデス、ARCH ENEMY、ACCEPTなどを手掛けたアンディ・スニープで、このバンドでは初起用である。もうひとりはトム・アロムで、1979年の『Unleashed In The East』から1988年の『Ram It Down』までの全作品を手掛けた彼を、実に30年ぶりに呼び戻した。さらに前作のプロデュースとミックスを担当したマイク・エクセターが録音エンジニアとして加わっている。

出典: ソニーミュージック『ファイアーパワー』商品ページ

2018年、オリジナル・メンバーのグレン・ティプトンがパーキンソン病であることを公表した。その渦中で発表された18作目『Firepower』は全米・全英ともに5位という大ヒットとなり、全米では自己最高位を更新、全英では『British Steel』以来のトップ10入りを果たしている。同作を共同プロデュースしたアンディ・スニープは、現在ツアーでもギタリストとして参加している。

出典: ソニーミュージック ジューダス・プリースト プロフィール

ロックの殿堂の公式サイトによれば、JUDAS PRIESTの殿堂入りに際して銘板に署名が刻まれたのは7人である。デイヴ・ホランド、グレン・ティプトン、イアン・ヒル、K.K.ダウニング、レス・ビンクス、ロブ・ハルフォード、スコット・トラヴィス。歴代のドラマー3人と、二人のギタリスト、ベーシスト、そしてヴォーカリストという顔ぶれで、在籍時期はまたがっている。殿堂入りの紹介を務めたのはアリス・クーパーだった。

出典: ロックの殿堂 公式サイト ジューダス・プリースト

『Invincible Shield』は全英アルバム・チャートで2位を記録した。これは1980年の『British Steel』の4位を超える、母国での自己最高位の更新である。デビューから50年を経てなお、彼らは本国のチャートで自分たちの記録を書き換えた。

出典: ソニーミュージック ジューダス・プリースト ニュース

バンド名を持ち込んだのはヴォーカリストのアル・アトキンスだった。彼が以前組んでいたバンドが名乗っていたのがJUDAS PRIESTで、その名はボブ・ディランの楽曲「The Ballad Of Frankie Lee And Judas Priest」から取られている。ヘヴィ・メタルの代名詞になる名前の出どころは、フォークの吟遊詩人の一曲だったことになる。

出典: Louder(Metal Hammer)

ツイン・ギターという編成は、バンド自身の構想ではなくレーベルの提案から生まれた。ガル・レコードが五人編成への拡大を勧め、そこにフライング・ハット・バンドを離れたばかりのグレン・ティプトンが入る。ティプトン自身は、加入するバンドの可能性を理解するのに一瞬もかからなかったと述べている。

出典: Louder(Classic Rock)

ガル・レコードとの関係が終わった理由は、はっきりした金額として残っている。バンドは事務所に出向き、曲作りに専念できるよう一人あたり週25ポンドを出してほしいと頼んだ。ツアーで得た金は経費の支払いに消えていた。要求は拒否され、彼らはレーベルを去る。

出典: Louder(Metal Hammer)

「Victim Of Changes」の成り立ちには二つの説がある。ひとつは、この長編が2つの曲を接合したものだというもので、ハルフォード加入以前からあった「Whiskey Woman」と、彼が前のバンドHIROSHIMAから持ち込んだ「Red Light Lady」を合わせたという説明である。ロブ・ハルフォード自身はこれを否定していて、曲名は最初からこれ一つ、別の題名がついていたことはないと述べ、混同が生じたのは「Whiskey Woman」が歌い出しの一節だからではないかと言う。なお作曲クレジットには、K.K.ダウニング、グレン・ティプトン、ハルフォードに加えて、初代ヴォーカルのアル・アトキンスの名前も入っている。

異説あり出典: Louder(Metal Hammer)

ベスト盤やコンピレーションに、初期2作のスタジオ音源が入っていないことがある。理由は権利にある。ガル・レコードを離れた後、移籍先のコロムビアは最初の2枚の原盤をガルから買い取ることができなかった。そのため「The Ripper」や「Victim Of Changes」の当時の録音は、公式の編集盤に載らない。ライヴ音源が代わりに使われることがあるのはこのためである。

出典: Songfacts「The Ripper」

「Dissident Aggressor」の舞台はベルリンである。ロブ・ハルフォードは2014年のインタビューで、眠れずに歩きに出た夜のことを語っている。11月の凍える寒さの中、西ベルリン側から壁ぞいの監視塔のような台に登ると、片側は酒場の明かりで賑わい、もう片側は真っ暗で何の光もない。そこから双眼鏡でこちらを見返す兵士たちがいた。歌詞の「I know what I am, I'm Berlin」はそこから生まれている。

出典: Songfacts「Dissident Aggressor」

「Raw Deal」は、ロブ・ハルフォードが自著『Confess』の中でカミングアウトの曲だったと書いている一曲である。ゲイの男として閉じた場所にいる苛立ちを吐き出したもので、書きすぎたかもしれない、歌詞から察されるかもしれないと彼は思っていた。ところが何も起きなかった。バンドは歌詞に何も言わず、批評家もファンも気づかなかった。彼はこれを、誰にも聞かれなかった怒りの叫びだったと振り返っている。

出典: Songfacts「Raw Deal」

「Beyond the Realms of Death」のギター・パートの大部分は、K.K.ダウニングによればギタリストではなくドラマーが書いた。『Stained Class』の録音中、左利きのレス・ビンクスがスタジオでギターを手に取り、上下逆さまに構えたままリフを作ったのだという。ソロを除くこの曲の骨格が、そこから生まれた。これは彼が在籍中に得た唯一の作曲クレジットで、曲はその後ライヴの定番になっている。

出典: Songfacts「Beyond the Realms of Death」

1985年12月23日にネヴァダ州で起きた青年の自死をめぐり、遺族はバンドとレコード会社を訴えた。『Stained Class』収録の「Better By You, Better Than Me」に「Do It」という言葉がサブリミナルとして埋め込まれていた、という主張である。同時期のオジー・オズボーンをめぐる訴訟が歌詞は言論の自由に守られるとして退けられていたため、原告側は歌詞ではなく潜在的メッセージを争点にした。裁判は17日間続き、判決は棄却。1990年の判示は、原告が敗れたのは潜在刺激に効果がないと証明されたからではなく、被告が意図的にメッセージを入れたことと、それが死の原因であることを証明できなかったからだと述べている。

出典: Songfacts「Better By You, Better Than Me」

5作目は本国イギリスでは『Killing Machine』として発売されたが、アメリカでは『Hell Bent For Leather』の題で出ている。米国のレーベルが、当時起きていた学校での銃撃事件を受けて「殺人機械」という題名を避けたためだった。バンドは腹を立てたものの、結果としてこの改題はうまく働く。アメリカのファンが「hell bent for leather」という言葉をバンドの合言葉として受け取ったからである。

出典: Songfacts「Hell Bent For Leather」

レザーとスタッズという装いは1978年に作られた。音は十分な水準に達しているという確信があり、統一された見た目があれば次の段階へ行けると考えたロブ・ハルフォードとK.K.ダウニングが主導し、メンバー全員分の革の衣装をロンドンで仕立てさせている。この装いは真似しやすいものではない。高価で実用性もないが、それこそが要点だった。既製品で買えない舞台衣装であることに意味があった。

出典: Songfacts「Hell Bent For Leather」

ロック史でも指折りの登場演出は1979年に始まった。革の帽子と鞭を持ち出したロブ・ハルフォードが、「Hell Bent For Leather」でバイクに乗って舞台に出るという案を思いつく。使ったのはファンから借りた1台で、それを舞台袖に停めておき、グレン・ティプトンがリフを鳴らすのに合わせてエンジンをふかしながら現れた。観客の反応は爆発的で、以後これは許可の下りる会場では必ず行われる定番になった。

出典: Songfacts「Hell Bent For Leather」

『British Steel』が録音されたのはスターリング・スタジオで、これはアスコットのティッテンハースト・パークという72エーカーの敷地内にあった。かつてジョン・レノンの所有だった屋敷で、録音当時はリンゴ・スターのものだった。しかも彼らは、これほど重要になる作品の曲を書き終えないままスタジオへ入っている。

出典: Louder(Metal Hammer)

サンプラーがまだ存在しない時代だったため、効果音はすべて自前で作られた。「Metal Gods」で鳴る金属の音は、引き出しにカトラリーを詰めて振ったものである。スプーンやナイフを一本ずつ抜きながら音を調整したとグレン・ティプトンは説明している。「Breaking The Law」のガラスの割れる音は牛乳瓶を地面に叩きつけて録った。同曲のサイレンは本物で、外に出て通りかかったパトカーを録音したという。

出典: Louder(Metal Hammer)

発売前、アルバムのマスター・テープがニューヨークで盗まれ、5万ポンドの身代金を要求されているという記事が流れた。すべて作り話で、当時の宣伝担当トニー・ブレインズビーがでっち上げたものである。彼は依頼主の話題を作るために突飛な作り話を仕込むことで知られていた。バンドは不快に思ったが、普段は彼らを取り上げない全国紙に載るという効果は確かにあった。K.K.ダウニングは、事前に知っていればやめさせた、自分たちの音楽こそが勝負どころであってこんな安手の売り込みは要らない、と述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)

アルバム名を出したのはイアン・ヒルだった。自分たちがやろうとしていることを言い当てていると感じたという。当時、国営企業ブリティッシュ・スチールの労働者がストライキをしており、その名前がニュースに出ていた。ロブ・ハルフォードは最初これで良いのかと迷ったが、時間が経つほど適切に思えてきたと述べている。グレン・ティプトンは同社に5年勤めた経験があり、そもそも他の題名の案は誰も持っていなかった。

出典: Louder(Metal Hammer)

剃刀の刃を握る手というジャケットの発想は、ロブ・ハルフォードがジレットの剃刀の刃に「Sheffield Steel」という刻印があることに気づいたところから来ている。デザインはロスワフ・シャイボ。バンド内には議論もあった。イアン・ヒルによれば、剃刀の刃はパンクの記号でもあったからである。それでも最終案は全員一致で通った。K.K.ダウニングは、見た瞬間に自分たちと同じくらい鋭いと思ったと述べている。

出典: Louder(Classic Rock)

「Living After Midnight」の題名は苦情から生まれた。ティッテンハースト・パークでの録音中、深夜にグレン・ティプトンがアンプを立ち上げて階下でリフを鳴らし始め、上の部屋で寝ていたロブ・ハルフォードが起こされてしまう。降りてきた彼が音を下げるよう頼み、そのときに口にしたのが「お前らここで真夜中を過ぎても生きてるな」という一言だった。ティプトンはそれを曲名にしろと即座に応じ、ハルフォードはその日のうちに詞を書いている。

出典: Louder(Classic Rock)

「Living After Midnight」は全英12位まで上がり、バンドにとって3度目の『トップ・オブ・ザ・ポップス』出演をもたらした。1980年3月27日に放送された回は前日に収録されており、そのためバンドはバーミンガムでの公演に2時間遅れた。口パクのテレビ番組を自分たちのファンより優先した形になり、当然ながら客は怒った。以後バンドは、公演のある日に同番組へ出ることは二度としないと決めている。

出典: Songfacts「Living After Midnight」

「Breaking The Law」の主人公は、退屈な日常から抜け出そうとして法を犯す。ロブ・ハルフォードは、この曲がそれまでのPRIESTが扱ってこなかった種類の焦燥に触れたと述べている。全員が厳しい労働者階級の出身で、当時のウォルソールやウェスト・ブロムウィッチはバーミンガム周辺でもかなり荒涼とした場所だった。不快な循環から抜け出したいという願いは、彼ら自身の実感でもあったという。

出典: Louder(Classic Rock)

「Metal Gods」の題名が指すのは機械である。反乱を起こして人類を滅ぼしにくるロボットたちで、当時ロブ・ハルフォードはSFを大量に読んでいた。直接の着想源として挙げられているのは、1977年のクイーンのアルバム『News Of The World』のジャケットに描かれた巨大ロボットと、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』である。この曲名が転じて、後に彼自身の呼び名になった。

出典: Songfacts「Metal Gods」

『British Steel』の発売時点で、バンドはすでにIRON MAIDENを前座に迎えたイギリス21公演を終えていた。その後アメリカへ渡り、ヘッドライナーと前座を組み合わせた日程をこなす。1980年8月にはドニントンで開かれた第1回モンスターズ・オブ・ロックにレインボウに次ぐ2番手として出演し、ワールド・ツアーの最終公演は8月23日、ドイツのニュルンベルクで行われたゴールデン・サマーナイト・フェスティバルだった。

出典: Louder(Metal Hammer)

イビサでの日程が押した結果、バンドはフロリダのビージェイ・スタジオへ移って仕上げを行った。そしてそこで、キャリアを決定づける一曲が書かれる。ロブ・ハルフォードによれば「You've Got Another Thing Comin'」はアルバムで最後に書かれた曲のひとつで、残り数日という段階でもう一曲欲しいと探していたところ、あっという間にまとまった。急ごしらえだったので、B面の奥に埋めたのだという。

出典: Louder(Metal Hammer)

その曲をシングルにすると言い出したのはレーベルの方で、バンドはコロムビアが正気を失ったと思った。強い曲だとは考えていなかったのである。イアン・ヒルは、間違っていて良かったと笑う。AM放送が拾い上げてかけ続けた結果、通勤の車でも、子供を送る車内でも、店先でも流れるようになった。アメリカだけでなく世界中でバンドを広めたのはこの曲だと彼は述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Screaming for Vengeance』でバンドの三人以外が書いた唯一の曲が「(Take These) Chains」である。作者はアメリカの出版社ユナイテッド・アーティスツに所属していたボブ・ハリガン・ジュニア。同社で曲を売り込む役だったメイ・パンから、FOREIGNERのような曲を書いてほしいと頼まれて数時間で仕上げたものだった。曲はFOREIGNERではなく、より穏やかなヒットを探していたJUDAS PRIESTのもとへ渡る。

出典: Songfacts「(Take These) Chains」

1984年の『Defenders of the Faith』に入っている「Eat Me Alive」は、翌1985年にPMRC(Parents Music Resource Center)が問題視した15曲の一つに挙げられた。PMRCは有力議員の妻たちで構成された団体で、上院公聴会を開かせるだけの力を持ち、結果としてレコード業界は問題ありとされた作品に警告表示を貼ることに同意する。ロブ・ハルフォードは2015年に、若い聴き手に指針を示すこと自体には反対しなかったが、政治的な怒号が前面に出たことでその趣旨が覆い隠されたと述べている。

出典: Songfacts「Eat Me Alive」

『Turbo』の音を決めたギター・シンセサイザーは、バンドが探しに行ったものではない。電子楽器メーカーのローランドが開発したばかりの機材を試してみないかと持ちかけてきたのである。ロブ・ハルフォードは、これはギターをマーシャルにつないだときの普通の音を根本から変えてしまう装置で、ギターらしくない音まで出せたと説明する。そしてそれこそが、伝統を重んじるファンからの反発を招いた核心でもあった。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Turbo』は当初、『Twin Turbos』という題の二枚組になる予定だった。イアン・ヒルによれば、バンドは一枚分の価格で二枚組を出したいと考えていたが、レーベルはその値段では製造して売ることができないと難色を示す。結局、曲作りの中盤で一枚に絞る判断が下された。このとき書かれた曲の一部は1988年の『Ram It Down』に収められ、残りは後年の再発盤のボーナス・トラックになっている。

出典: Louder(Metal Hammer)

「Turbo Lover」の出発点はグレン・ティプトンの機材だった。世界ツアーを終えたバンドはそのままスペインのマルベーリャに入り、海沿いの家に籠もって曲を書いていた。ある日ティプトンがペダルボードを蹴ったとき出た音を聴いて、ロブ・ハルフォードが「ターボ・エンジンが空吹かししているようだ」と言う。それが火種になって曲が育ち、題名が浮かび、さらにアルバムの題名にもなった。

出典: Louder(Classic Rock)

「Parental Guidance」は、PMRCの働きかけによってレコード会社が問題のある歌詞の作品に貼ることになった警告シールへの回答である。バンドは「Eat Me Alive」が15曲の一覧に載ったことに納得がいかず、この曲で立場を明確にした。ロブ・ハルフォードによれば、こんなことが起きるのはアメリカだけだと当時思ったという。皮肉なことに、この騒動は槍玉に挙げられた作品の売上をむしろ押し上げた。子供たちが何が問題なのか確かめようとして買ったからである。

出典: Songfacts「Parental Guidance」

『Painkiller』は新しいドラマー、スコット・トラヴィスの加入なしには成立しなかった。レイサーXにいた28歳の彼は録音のわずか数か月前に加入し、アルバム冒頭の最初の15秒を単独で叩くという異例の役目を負う。イアン・ヒルは率直で、デイヴ・ホランドも良いドラマーだったがあの種のツーバスは無理だった、もし彼のままだったらこの曲自体が成立しなかったと述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Painkiller』のベースの大半を弾いているのはイアン・ヒルではない。体調不良でセッションに参加できなかったためである。代わりに弾いたのはキーボードのために呼ばれていたドン・エアリーで、彼はミニモーグでベース・パートを入れた。エアリーの証言によれば、アルバム全体がムーグのベースで、一部にヒルのベースが混ぜられている。バンドはより重い音を求めていたため、彼が実際に鍵盤で弾いたのは「A Touch of Evil」だけだった。彼はクレジットされなかったが、報酬は払われたと述べている。

出典: Songfacts「Painkiller」

1990年代にバンドを離れた件について、ロブ・ハルフォードは2025年のメタル・ハンマー誌で「脱退していない」と述べている。『Painkiller』のツアーは最も成功したものの一つだったが全員が消耗しきっており、休みを取ることで合意した。そこで彼が別の活動をすると告げたところ、それを実現するにはレコード会社に「離脱メンバー通知」を出す必要があった。契約上の条項にすぎなかったが、そこからすべてが爆発する。彼自身は、1年後に会おうと言って離れるべきだったと振り返っている。

出典: Louder(Metal Hammer)

後任探しは1996年5月までかかった。見つけたのはドラマーのスコット・トラヴィスで、相手はブリティッシュ・スティールというJUDAS PRIESTのトリビュート・バンドで歌っていた無名のアメリカ人、ティム・オーウェンズだった。バンドの曲名にちなんで「リッパー」と呼ばれるようになった彼は、ハルフォードの高音を難なく再現してみせる。グレン・ティプトンは、あの曲群をロブより上手く歌える人間は地球上に彼しかいない、見つけられたのは奇跡に近いと述べている。

出典: Louder(Classic Rock)

ロブ・ハルフォードとバンドをつなぎ直したのは、ベスト・ボックス『Metalogy』だった。長年のマネージャー、ジェイン・アンドリュースが両者の会合を設定する。場所はウォルソールにあるハルフォードの家の小さな台所で、彼とK.K.ダウニング、グレン・ティプトン、そしてマネージメントが同席するのはこれが初めてだった。紅茶とホブノブのビスケットを囲んだ末に、アンドリュースが「部屋の中の象」として再結成の是非を問い、彼らは「じゃあ、そうするか」と答えたという。

出典: Louder(Metal Hammer)

16世紀の占星術師ノストラダムスを題材にしたコンセプト作という着想は、バンドの中から出たものではない。持ち込んだのはマネージャーのビル・カービシュリーで、彼は『Tommy』や『四重人格』を持つTHE WHOも手掛けている人物だった。ロブ・ハルフォードは、コンセプト・アルバムをやりたいという気持ちは何年も前からあったが形にできずにいた、必要だったのはバンドをまったく別のことへ向かわせる題材で、それがこれだったと述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Nostradamus』の緻密な編曲を聴くと、オーケストラか少なくとも弦楽隊を入れたように思える。K.K.ダウニングはそれを否定していて、オーケストラに聞こえる部分はすべてグレン・ティプトンと自分のギターとキーボードだと述べている。メタルのリフをチェロで弾けばクラシックに聞こえる、その理屈でノストラダムスが生きた時代に耳にしたであろう響きへ近づけようとしたのだという。

出典: Louder(Metal Hammer)

リッチー・フォークナーは、ロンドンのカムデンにあるライヴハウス「METALWORKS」でJUDAS PRIESTのカヴァーを演奏していた。毎週日曜日の午後3時から深夜まで続く場で、そこで彼は実地の経験を積んだと語っている。バンドのマネージメントから電話が来て「JUDAS PRIESTの曲を何か知っているか」と訊かれたとき、セットリストの半分以上はカヴァー・バンドの経験で知っている曲だった。彼はロンドンにいるときは今もそこへ行き、時にはスコット・トラヴィスと一緒にLED ZEPPELINを演奏するという。

出典: 激ロック リッチー・フォークナー インタビュー

プロデューサーを二人立てるという発想は、候補を二人に絞った段階で出てきた。リッチー・フォークナーによれば、それを言い出したのはおそらくグレン・ティプトンで、「いっそ両方と組めばいい」という一言だった。トム・アロムはバンドとの歴史があり、2016年のライヴ盤『Battle Cry』でも一緒に仕事をしていて現在の音を知っている。アンディ・スニープはより現代的なアプローチができる。二人とも実績は十分で、悪い結果になりようがないという判断だった。

出典: 激ロック リッチー・フォークナー インタビュー(2ページ目)

50周年を記念して2021年10月15日にソニー・ミュージックから出たボックス・セット『Reflections: 50 Heavy Metal Years Of Music』は、全スタジオ作とライヴ盤に加えて未発表音源を多数収めたものである。修復とミックスはトム・アロムがラ・クチーナW8で行い、マスタリングはアビイ・ロード・スタジオでアレックス・ウォートンが担当した。

出典: Louder(Classic Rock)

2022年11月のロックの殿堂の式典で、バンドは「Award for Musical Excellence」を受け、元メンバーのK.K.ダウニングとレス・ビンクスを迎えて演奏した。リッチー・フォークナーは殿堂入りメンバーに選出されていなかったため、当初は自分が演奏を辞退しようと考えたという。だがロブ・ハルフォードとグレン・ティプトンが、2022年現在のPRIESTの全員が舞台に立つべきだと譲らなかった。ギターが3人並ぶPRIESTになったのが最高だったと彼は述べている。

出典: 激ロック リッチー・フォークナー インタビュー

2021年から行われた50周年ツアーは約100か所を巡るものだった。セットリストはバンドの歴史を総括する内容で、デビュー・シングル「Rocka Rolla」が1976年以来およそ45年ぶりに演奏され、『Painkiller』の「One Shot At Glory」や『Stained Class』の「Invader」といった、それまでライヴで披露されたことのない曲も初めて演奏されている。リッチー・フォークナーは、あの種の曲を演奏できたのはバンド全体にとって良い経験だったと述べている。

出典: 激ロック リッチー・フォークナー インタビュー

グレン・ティプトンは『Invincible Shield』のレコーディングにも部分的に参加している。リッチー・フォークナーの説明は明快で、彼に弾けるものは彼が弾き、弾けないものは自分が引き受ける、というやり方をこれまでも続けてきた。曲作りも同じで、ティプトンが自分で示せるアイディアは自分でやり、できないときは相談してスタジオで一緒に考える。調子の良い日に「Sons Of Thunder」のような曲のギターを録ってもらったと彼は述べている。できないことで気を揉んでほしくない、というのが方針である。

出典: 激ロック リッチー・フォークナー インタビュー

『Invincible Shield』のデラックス・エディションに入っている「The Lodger」を書いたのは、1984年の「Some Heads Are Gonna Roll」を手掛けたボブ・ハリガン・ジュニアである。リッチー・フォークナーによれば、彼が夫人とともにある公演に来て一緒に過ごした際、使えるか考えてほしいと1曲を提案してきた。他の曲に取り組んでいてもこの曲のことを思い出すような、独特で興味深い曲だったという。PRIEST流の味付けをして仕上げ、お蔵入りにはしたくないという判断からデラックス盤に収められた。

出典: 激ロック リッチー・フォークナー インタビュー(2ページ目)

日本盤『Invincible Shield』は2形態で出ている。完全生産限定のデラックス・エディション(SICP 31698)は高音質のBlu-spec CD2仕様で全14曲、28ページのハードカヴァー・ブック仕様。スタンダード・エディション(SICP 6557)は通常ディスクで全11曲、ジュエル・ケースに12ページのブックレットが付く。

出典: ソニーミュージック ジューダス・プリースト ニュース

2018年11月21日、Zepp Sapporoでのツアー初日は雪の日だった。開場前に取材に応じたリッチー・フォークナーは、この雪でまさに札幌に来たという気持ちになると語っている。バンドにとって史上初の北海道公演となった2015年3月の同じ会場でも当日は雪が降っており、その記憶が彼の中に強く残っていたためである。直前まで南米を回っていた彼は、Tシャツと短パンのツアーを終えて荷物を冬服に入れ替えて来たと笑い、寒さに縮こまるどころか雪の街を歩き回っていたという。

出典: BARKS ライヴ・レポート

2018年のツアーで、リッチー・フォークナーは訪れる土地ごとのラーメンを食べ比べることを楽しみにしていると語っている。同じ取材で彼は、グレン・ティプトンがパーキンソン病のため原則としてこのツアーに参加していないことに触れ、彼から学んだことを存分に活かしてショウに反映させたいと述べ、代役としてツアーに参加しているアンディ・スニープとのコンビネーションも日に日に良くなっていると語った。

出典: BARKS ライヴ・レポート

2024年のジャパン・ツアーは、来日公演としてはヘッドライナーを務めたDOWNLOAD JAPAN 2019以来、全国ツアーとしては2018年の『Firepower』以来のものだった。2022年のロックの殿堂入り後、初のワールド・ツアーの一環でもある。

出典: BARKS

日本のレーベル公式の記述では、『Screaming for Vengeance(復讐の叫び)』はバンドにとって初めて全米チャートのトップ20に入った作品であり、アメリカだけで200万枚を超える売上によりダブル・プラチナを獲得した。ヘヴィ・メタル・シーンの頂点に立ったのがこの作品だと位置づけられている。

出典: ソニーミュージック ジューダス・プリースト プロフィール

『Painkiller』は第33回グラミー賞で最優秀メタル・パフォーマンス部門にノミネートされた。バンドにとって初めてのグラミー候補である。以後、第41回に「Bullet Train」、第51回に『Nostradamus』(メタル部門)と「Visions」(ハード・ロック部門)、そして第67回に「Crown of Horns」が候補に挙がっている。

出典: グラミー賞公式サイト GRAMMY.com アーティスト・ページ

『Invincible Shield』からのシングル「Crown of Horns」は、第67回グラミー賞の最優秀メタル・パフォーマンス部門にノミネートされた。1991年の『Painkiller』から数えて5度目のノミネートである。

出典: グラミー賞公式サイト GRAMMY.com アーティスト・ページ

K.K.ダウニングが最初にオーディションを受けたとき、彼はまだギターを数週間しか弾いていなかった。当然のように断られている。のちにバンドの片翼を四十年以上にわたって担うことになる人物の出発点は、その不合格だった。

出典: Louder(Classic Rock)

アル・アトキンスが去った理由は音楽性の違いではなく生活だった。妻の妊娠を機に定職に就かざるを得なくなったのである。空いた席を埋めたのがロブ・ハルフォードで、K.K.ダウニングが自宅を訪ねてきたとき彼はすでに部屋で歌っていた。ハルフォード自身の記憶によれば、ハーモニーを重ねる声を聞かれた時点で採用は決まっていたという。

出典: Louder(Classic Rock)

1973年、アル・アトキンスとドラマーのアラン・ムーアが金銭的な事情で相次いで離脱した。前に出たのがロブ・ハルフォードで、ドラムにはジョン・ヒンチが入る。ハルフォードとヒンチはすでにHIROSHIMAというバンドで一緒に演奏した経験があり、二人はセットで移ってきた形になる。

出典: Louder(Metal Hammer)

デビュー前の彼らは地元を回る無名のバンドにすぎず、共演相手にはシン・リジィやバッジーの名前が並ぶ。グレン・ティプトンがフライング・ハット・バンドから、アラン・ムーアがドラムに加わったこの時期の活動範囲は、あくまで地域内だった。

出典: Louder(Metal Hammer)

最初期のドラマー交代の激しさは、最初の4枚のアルバムすべてで叩き手が違うという形で残っている。ドラム椅子が定まらないままメタルの原型を作っていたことになる。

出典: Louder(Classic Rock)

デビュー作『Rocka Rolla』のプロデュースを担当したのはロジャー・ベインで、彼はBLACK SABBATHの最初の3作を手掛けた人物でもある。メタルの原点を録った男が、その次の世代の第一歩も録っていたことになる。

出典: Louder(Classic Rock)

『Rocka Rolla』の出来について、グレン・ティプトンは録音そのものへの落胆を隠していない。曲は良く、その多くは時の試練に耐えたが、レコードとしての響きには打ちのめされたと述べている。次作でプロデューサーを替える判断は、この感覚から出ていた。

出典: Louder(Metal Hammer)

2作目『Sad Wings of Destiny』のプロデュースはジェフリー・カルヴァートとマックス・ウェストが担当した。二人はこの翌年、Typically Tropicalという名義で「Barbados」という軽妙なカリプソ調の曲を全英1位に送り込んでいる。ヘヴィ・メタルの設計図と評される作品の制作陣は、ロックの畑の人間ではなかった。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Sad Wings of Destiny』の現場には、まだ非常に若いエンジニアがいた。クリス・サンガライデスである。彼はここで最初の大きな機会を得て、以後80年代を通じてロックの大物たちの作品を手掛けることになり、1990年には『Painkiller』でこのバンドのプロデューサーとして戻ってくる。

出典: Louder(Metal Hammer)

録音はウェールズのロックフィールド・スタジオで始まったが、途中で資金が尽きた。ロンドンのモーガン・スタジオへ移った時点でツケが払えなくなり、K.K.ダウニングの言葉によれば食べるものも飲むものも買えない状態だったという。BLACK SABBATHやUFOが同じ建物で録音している傍らで、彼らは生活の最低線にいた。

出典: Louder(Metal Hammer)

ガル在籍時、アルバム1枚あたりの前払い金は2,000ポンドだった。CBSと契約するとこれが一気に60,000ポンドになる。K.K.ダウニングによれば、当時のバンドは仕事が増える一方でガソリン代やクルーの給料を払う金がなく、全員がアルバイトをしていた。彼自身は天井にボルトをねじ込む仕事をしていたという。

出典: Louder(Classic Rock)

『Sad Wings of Destiny』は1976年3月23日に発売され、全英48位でバンド初のチャート入りを果たした。順位そのものは控えめだが、まったく反応のなかったデビュー作からの前進としては決定的だった。アメリカでは当時チャートに入らなかったものの、この作品はその後同国で50万枚以上を売っている。

出典: Louder(Metal Hammer)

アルバム収録曲がデビュー作から外された持ち曲だという見方について、ロブ・ハルフォードは否定している。彼の記憶では、『Sad Wings of Destiny』の中で録音前からライヴでやっていたのは「Victim Of Changes」だけで、他はすべて新しく書かれた曲だという。

出典: Louder(Metal Hammer)

「The Ripper」は19世紀ロンドンの連続殺人犯、切り裂きジャックの犯行を犯人の視点から短く語る曲である。書いたのはグレン・ティプトンで、彼はこの時期すでにK.K.ダウニングと組んでツイン・リードの音を作り上げつつあった。一方でこの時点のバンドにはまだ、後に彼らの代名詞となる決まった見た目がない。レザーとスタッズにたどり着くのは、この1年後のことである。

出典: Songfacts「The Ripper」

メジャー移籍後の第一作『Sin After Sin』について、グレン・ティプトンは自己評価が辛い。「Dissident Aggressor」や「Starbreaker」といった良い曲はあるが、曲数が十分ではなく、プロデュースを手掛けたディープ・パープルのロジャー・グローヴァーが途中から関わったこともあって、音が薄く感じられるという。

出典: Louder(Classic Rock)

「Dissident Aggressor」は他のバンドにも渡っている。SLAYERは1988年の『South of Heaven』で取り上げ、HALESTORMも2013年のカヴァー集『ReAniMate 2.0』に収めた。1977年の曲が、スラッシュ以降の世代に定番として引き継がれている。

出典: Songfacts「Dissident Aggressor」

イアン・ヒルが自分の一番好きなJUDAS PRIESTの曲に挙げるのが「Dissident Aggressor」である。理由は生々しさで、スタジオでも二本のギターとベースとドラムと歌だけ、リード・ブレイクにギターが一本足されている程度の記憶しかないという。装飾のない音であることが、この曲を彼の一番にしている。

出典: Songfacts「Dissident Aggressor」

『Sin After Sin』に収められた「Last Rose Of Summer」では、グレン・ティプトンがフェンダー・ローズのピアノを弾いている。作詞はロブ・ハルフォード。レザーもスタッズもまだなく、ツイン・ギターの様式も固まっていない時期の、季節の移ろいに寄せた穏やかな曲である。

出典: Songfacts「Last Rose Of Summer」

「Raw Deal」の詞にはニューヨークのファイア・アイランドという地名が出てくる。同地のファイア・アイランド・パインズはゲイ・コミュニティの集まる場所として長く知られてきた。ハルフォードは踏み込みすぎたのではないかと案じていたが、歌詞を見せられたメンバーの反応は、言葉が曲のムードに合っているという肯定的なものだった。曲を書いたのは彼で、音楽はグレン・ティプトンが担当している。

出典: Songfacts「Raw Deal」

「Beyond the Realms of Death」の詞をロブ・ハルフォードは自分の書いたものの中でも特に個人的なものだと位置づけている。自著『Confess』では、1978年当時、ゲイの男同士が偏見なく自由に語り合える日が来ることは、火星まで棒高跳びで行くのと同じくらいあり得ないことに思えたと書いている。曲中の「自分と同じ者と話せる」という一節は、その感覚の裏返しである。

出典: Songfacts「Beyond the Realms of Death」

『Stained Class』に入っている「Better By You, Better Than Me」はJUDAS PRIESTのオリジナルではない。イギリスのバンド、スプーキー・トゥースが1969年の『Spooky Two』で発表した曲で、書いたのは同バンドのゲイリー・ライトである。アメリカでシングルとして当たることを期待したレーベルの求めで録音された曲だった。土壇場での追加で、プロデューサーのデニス・マッケイがすでに離れていたため、この曲だけジェイムズ・ガスリーが手掛けている。

出典: Songfacts「Better By You, Better Than Me」

「Heroes End」はグレン・ティプトンが書いた曲で、詞はジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、ジェイムズ・ディーンという3人の名を挙げ、なぜ人は死んでからでないと英雄と認められないのかを問う。裁判では、この曲が死を英雄的なものとして美化したと主張されたが、原告側はコーラスの歌詞を聞き違えていた。実際の一行は「なぜ英雄になるには死ななければならないのか」であり、意味はむしろ逆である。

出典: Songfacts「Heroes End」

『Stained Class』はバンドを一段上へ引き上げた作品だった。イギリスでは劇場規模の会場を回るようになり、アメリカではラジオでかかり始めて評判が立ち始める。Songfactsの記述によれば、初めてグルーピーが付くようになったのもこの時期のことである。

出典: Songfacts「Savage」

レザーの装いはゲイ・カルチャーと結びつけて語られることが多く、ロブ・ハルフォード自身がゲイであることから、彼が自分の性的指向のはけ口として仕組んだのだという説が流布した。ハルフォードは自著『Confess』でこれを明確に否定し、まったくの的外れだと書いている。

出典: Songfacts「Hell Bent For Leather」

「hell bent for leather」という言い回しは、1959年のフランキー・レインの曲「Rawhide」の歌詞にも出てくる。クリント・イーストウッドが出演した同名の米テレビ・シリーズの主題歌で、イギリスで6位まで上がったヒットだった。バンドが番組を見ていたとは考えにくいが、曲は知っていた可能性が高い。

出典: Songfacts「Hell Bent For Leather」

「Hell Bent For Leather」のリフは、グレン・ティプトンがスタジオで「Take On The World」を録り終えた直後に出てきたものだった。それを聴いたロブ・ハルフォードが「hell bent for leather」という言い回しを思いつき、バンドが気に入ったこの言葉を出発点にして残りの詞が書かれている。

出典: Songfacts「Hell Bent For Leather」

「Take On The World」の下敷きにあるのはクイーンである。ロブ・ハルフォードはクイーンの劇場性とファンとの結び方に注目していて、1977年に「We Will Rock You」と「We Are The Champions」が出たときに反応した。この曲がシングル・チャートに入ったことはバンド自身を驚かせ、結果として『トップ・オブ・ザ・ポップス』への出演につながる。1979年1月25日の放送回にはブロンディやレイフ・ギャレット、ドニー&マリー・オズモンドも出ていた。ハルフォードによれば、彼が持ち込んだ鞭にマリー・オズモンドが抗議し、ひと悶着あったという。

出典: Songfacts「Take On The World」

K.K.ダウニングによれば「Take On The World」はシングルとして40万枚ほど売れた。彼はこれを、近年のチャート1位より多いくらいだろうと言っている。『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出られたことはバンド自身を驚かせたが、クイーンが「We Will Rock You」でやったことと同じ発想であり、曲に込めた気持ちは大真面目だったとも述べている。

出典: Louder(Classic Rock)

「Evening Star」は東方の三博士の旅を一人称で描くように聞こえ、クリスマス・キャロルめいた曲だと言われることがある。しかしロブ・ハルフォードによれば題名の出どころはまったく別で、地元ウェスト・ミッドランズの夕刊紙『Express & Star』である。当時は街角で新聞売りが紙名を叫んでおり、その声が発端だったという。

出典: Songfacts「Evening Star」

「Evening Star」はイギリスでシングルとして発売され、1979年5月にチャート入りした。クリスマスの曲という解釈をハルフォード本人は歓迎しているが、そういう売り出し方はされていない。5月17日には『トップ・オブ・ザ・ポップス』でこの曲を演奏しており、同じ回にはドナ・サマー、アバ、ピーチズ&ハーブが出ていた。

出典: Songfacts「Evening Star」

『Killing Machine』に収められたバラード「Before The Dawn」について、ロブ・ハルフォードは2015年のメタル・ハンマーの番組で、自分の最初の失恋を書いたものだと明かしている。字義どおりではないにせよ、その出来事に関わる真実は確かにあると彼は述べた。

出典: Songfacts「Before the Dawn」

『Unleashed In The East』にはオーヴァーダブが多すぎるという批判があり、「Unleashed In The Studio」と揶揄されたこともある。グレン・ティプトンはこれを強く否定していて、手直しはあったが他のバンドの水準を超えるものではない、ライヴ盤でないという主張は嘘だと述べている。

出典: Louder(Classic Rock)

フリートウッド・マックの1970年のシングル「The Green Manalishi (With The Two Prong Crown)」のカヴァーは、イギリス盤の『Killing Machine』には入っていない。最初に収録されたのはアメリカ盤の『Hell Bent For Leather』で、この曲を70年代メタルの定番として定着させたのは、翌1979年のライヴ盤『Unleashed In The East』のヴァージョンだった。カヴァーだと気づかずに聴いていた者も多い。

出典: Louder(Classic Rock)

意外な曲をメタルに作り替えるのはこのバンドの手口のひとつである。フォーク歌手ジョーン・バエズの「Diamonds And Rust」も、スプーキー・トゥースのブルース・ロック「Better By You, Better Than Me」も、原型がほとんど分からないほど作り替えられた。「The Green Manalishi」もその系譜にある。ロブ・ハルフォードは2017年に、良い曲はどんな解釈にも耐える、何にでも作り変えられると述べている。

出典: Louder(Classic Rock)

アメリカでの足場が固まりだしたきっかけのひとつが、サンフランシスコのデイ・オン・ザ・グリーンでのレッド・ツェッペリンの前座だった。グレン・ティプトンによれば観客は65,000人。バンドはもう帰国したい気分だったところにこの話が来たといい、これが西海岸での認知につながり、アメリカ全体を攻略する起点になったと彼は述べている。

出典: Louder(Classic Rock)

作業の開始は1980年2月1日で、その月のうちに完成している。1か月である。レーベルが4月の発売を求めていたため2月末までに仕上げる必要があったが、プロデューサーのトム・アロムによれば、危機も仲違いもなく淡々と進んだという。

出典: Louder(Metal Hammer)

グレン・ティプトンによれば、スタジオ入りの時点で曲は6割ほどしか出来ていなかった。過去にそんなやり方をしたことはなく、以後も二度としていない。「The Rage」はスタジオで書かれ、「Living After Midnight」もそうだった。K.K.ダウニングは、時間内に書き上がるという自信は常にあったし、こういう即興性が有利に働くこともあると述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)

屋敷を貸すにあたり、リンゴ・スターは貴重品を運び出したうえで禁止事項を伝えていた。敷地内でバイクに乗らないこと、湖で釣りをしないこと。K.K.ダウニングによれば、バンドはその両方をやった。バーミンガムのヘヴィ・メタル・バンドに何を期待するのか、というのが彼の言い分である。敷地には巨大な張り子の恐竜が2体隠されており、近所のパブから酔って帰ってくると本気で驚かされたという。

出典: Louder(Metal Hammer)

録音はスタジオの中だけで行われたわけではない。楽器ごとに最適な響きを探して屋敷じゅうの部屋が使われている。ドラムは玄関ホールで巨大な音を得た。K.K.ダウニングによれば、ジョン・レノンが「Woman」の映像を撮ったことで知られる部屋からはテレビとビリヤード台を運び出してリハーサルに使い、彼自身のギターは書斎で録っている。

出典: Louder(Metal Hammer)

「Breaking The Law」のサイレンについては別の説もある。パトカーを録音したのではなく、K.K.ダウニングがギターのアーム操作で作った音だという説明である。ダウニング本人も今となってはどちらだったか思い出せないとされ、証言は割れたままになっている。グレン・ティプトン側の説明も「少なくとも自分の記憶では」という留保付きだった。

異説あり出典: Louder(Metal Hammer)

効果音の工夫はまだある。「Rapid Fire」で刃物が空気を切るように聞こえる音は、ビリヤードのキューを振り回して上下からマイクで拾い、テープの速度を落として作られた。「Breaking The Law」で鳴るカウベルらしき音の正体はやかんで、トム・アロムによればそのやかんは二度と湯を沸かせないほど叩き潰されたという。

出典: Louder(Metal Hammer)

試された仕掛けの全部が採用されたわけではない。K.K.ダウニングは、「Metal Gods」の冒頭にドアの閉まる音を使ったり、電球を電子レンジに入れて加熱時の音が使えないか試したりしたと語っているが、それらが実際に採用されたかどうかは分からないという。何でもありで、禁止事項はなかった。

出典: Louder(Metal Hammer)

トム・アロムがこのバンドとスタジオ作を手掛けるのは『British Steel』が最初だった。彼はその直前、同じスタジオでDEF LEPPARDのデビュー作『On Through The Night』を仕上げたばかりで、ほぼそのまま続けてPRIESTの現場に入っている。以後、彼は80年代を通じてスタジオ作5枚とライヴ盤1枚を担当し、2018年の『Firepower』で共同プロデューサーとして戻ってきた。

出典: Louder(Metal Hammer)

K.K.ダウニングは自著『Heavy Duty』の中で、『British Steel』をほとんど欠点のないレコードだと書いている。同時に、あえて厳しく言うなら、あの録音現場がどれほど素晴らしかったかまではレコードに収まりきっていない、何が足りないのかは自分にも分からない、とも書いた。またトム・アロムがDEF LEPPARDのメンバーを現場に招き、彼らが静かに礼儀正しく座ってPRIESTの演奏を聴いていたことも明かしている。

出典: Louder(Classic Rock)

ジャケットの刃は指に食い込んで見えるが、血は描かれていない。K.K.ダウニングによれば、これは「この音楽に夢中になっても安全だ」という意味を持たせたものだという。ロブ・ハルフォードも、血をつけていたらやりすぎだったと述べている。一方で、指が切れているように見えるのは不快だとして刃の位置を修正した国があった。バンドはこれを拒み、指に食い込んでいなければ意味がないと主張している。

出典: Louder(Classic Rock)

『British Steel』は1980年4月にコロムビアから発売され、全英4位に達した。これは今もバンドの英国での最高位である(後年これを上回るのは2024年の『Invincible Shield』の2位)。全米では34位まで上がっている。

出典: Louder(Metal Hammer)

『British Steel』からはイギリスで3曲がヒットした。「Breaking The Law」と「Living After Midnight」がともに12位、「United」が26位である。前2曲のビデオはいずれもジュリアン・テンプルが監督した。テンプル自身、このバンドには確かに喜劇的な要素があり、撮影は楽しかったと述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)

それでも同じことが翌年も起きた。「United」で『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出た日、公演地はまたも地元バーミンガムだった。時間には間に合わせるという約束だったが、チャーター機がルートン空港で霧に阻まれて動けなくなる。会場に着いたときには帰ってしまった客もいて、グレン・ティプトンはそれを責められないと述べている。彼はこの一件を、後年アメリカに長く滞在したことへの反感の一因だったと考えている。

出典: Louder(Classic Rock)

「Breaking The Law」は雨模様の日にスタッフォードシャーの農家で始まった。グレン・ティプトンがそこで曲の着想を得て、大枠をロブ・ハルフォードとK.K.ダウニングに持ち込み、三人で最終的な編曲を詰めている。ハルフォードによれば、曲の大部分はリンゴ・スターの旧邸で録音中に形になった。歌詞は「どこからともなく出てきた」もので、自分でも出どころが分からないという。

出典: Louder(Classic Rock)

「Breaking The Law」をシングルにすることを提案したのはコロムビア・レコードで、ビデオの制作費も同社が出した。ジュリアン・テンプルが撮ったその映像で、バンドは聖職者に扮して銀行を襲い、楽器を武器代わりに使って逃走する。ロブ・ハルフォードは、MTVがまさに巨大化しようとしていた時期でそれを利用する意識はあったと述べ、歌詞の内容どおりの映像にしていたら失敗していただろうとも言っている。

出典: Louder(Classic Rock)

ビデオを撮ったジュリアン・テンプルは、直前までセックス・ピストルズと仕事をしていたため誰も自分を使いたがらなかったと語っている。JUDAS PRIESTは気にせず、結果として彼はこのバンドと何本も仕事をすることになった。「Breaking The Law」と「Living After Midnight」の筋書きは、初期のウォークマンで曲を聴きながら歩き回っているうちに思いついたという。

出典: Louder(Metal Hammer)

「Living After Midnight」はバンド初のミュージック・ビデオでもある。監督はジュリアン・テンプル、ほぼ演奏の映像で、スタッズ付きの革の装いが前面に出ている。シェフィールド・シティ・ホールで撮影され、ドラマーのデイヴ・ホランドは実体のないドラム・キットを叩いている。この曲がヒットしたことで、コロムビアは次のシングルのビデオにより多くの予算を出した。それが「Breaking The Law」で、バンド初のコンセプト仕立ての映像になる。

出典: Songfacts「Living After Midnight」

「メタル・ゴッド」はロブ・ハルフォードの通り名になり、2009年には彼自身がこの言葉を商標登録している。パンクが全盛でメタルが見下されていた70年代末に旗を振り続けたことで得た称号だが、本人が偉ぶっているわけではない。労働者階級の出身でユーモアの感覚が強く、王冠をかぶるわけでもファンにひざまずけと言うわけでもない。

出典: Songfacts「Metal Gods」

「United」をロブ・ハルフォードは「世界を敵に回した自分たち」の歌だと呼ぶ。80年代初頭のイギリスで、多くの国民が自分たちを顧みない政権に対して一つになっている感覚があったこと、そしてパンクがすべてを占めていた本国の媒体からバンド自身が無視されていたことの両方が背景にある。イギリスに限らずどこのメタル・ファンにも届く号令にしたかったのだと彼は述べている。

出典: Songfacts「United」

『British Steel』はバンドを初めてアリーナのヘッドライナーへ押し上げた作品でもある。イギリスで初のトップ10入り(4位)を果たし、アメリカで初めて100万枚を売ったアルバムでもあった。作曲面で決定的だったのは、全曲がハルフォード、ダウニング、ティプトンの三人による共作になったことである。

出典: Songfacts「United」

「Grinder」の詞についてロブ・ハルフォードは、政府や企業が人間を肉のように扱い、すり潰して吐き出し、自分たちの目的のために搾取することへの批評だと説明している。K.K.ダウニングはこの曲を重要な一曲と見ていて、80年代のロックとメタルに続く多くの根を張った曲であり、AC/DCに通じるような真っ直ぐな4拍子のノリがメタルを大衆化するのに寄与したと述べている。

出典: Songfacts「Grinder」

K.K.ダウニングによれば、演奏する側から特に支持されてきた曲が「Steeler」である。パンテラのダイムバッグ・ダレルをはじめ多くのミュージシャンが愛聴曲に挙げてきたという。単純な曲なのになぜなのかは自分でも分からず、グルーヴと、終盤で彼とグレン・ティプトンが荒々しいフレーズを掛け合う流れのせいではないかと述べている。

出典: Songfacts「Steeler」

「The Rage」の最初の40秒だけを聴くと、メタル・バンドの曲には聞こえない。レゲエのような島のグルーヴで始まるからで、これはグレン・ティプトンの発案だった。他のメンバーは懐疑的だったが最終的に受け入れている。異質な導入を置いたことで、後から入るギター・リフの威力が増した。

出典: Songfacts「The Rage」

「Rapid Fire」という題名は歌詞には出てこない。曲そのものの容赦ないテンポを指した言葉である。K.K.ダウニングによれば、この曲は始まり方が変わっている。従来のPRIESTは大きなイントロを置くのが常だったのに、これは開始と同時に走り出す。曲の構造も妙で、いまだになぜそう書いたのか自分でも分からないという。

出典: Songfacts「Rapid Fire」

「You Don't Have to Be Old to Be Wise」で、バンドは初めて全員同時に演奏して録音した。それまでは楽器ごとに別々に録っていたが、プロデューサーのトム・アロムが一緒に演奏させたのである。ロブ・ハルフォードは、30代になっても中身は反抗的な少年のままで、指示されるのにうんざりしていたと詞について述べている。

出典: Songfacts「You Don't Have to Be Old to Be Wise」

アメリカでの『British Steel』ツアーでは、DEF LEPPARDとSCORPIONSが前座を務めた。イギリスとヨーロッパでの初期日程はIRON MAIDENが前座だったから、この年のPRIESTのステージには、後にそれぞれ一時代を築くバンドが順番に上がっていたことになる。

出典: Louder(Metal Hammer)

K.K.ダウニングは後年、この作品にはもうひとつ相応しい題名があったと考えるようになった。ある夜に思いついたのが「Sermons For The Teenage Rebel(十代の反逆者への説教)」で、「Breaking The Law」「You Don't Have To Be Old To Be Wise」「The Rage」といった曲名が並ぶ以上、若者の苛立ちがこのレコードの中身だという見方である。彼はこれを「人々のアルバム」と呼び、当時パンクこそが扇動者だと思われていたが、街の若者が考えていたことに歌詞のうえで近かったのは自分たちの方だと述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Point of Entry』はバンドが初めてイギリス国外で録音した作品である。選ばれたのはスペインのイビサ島だった。ロブ・ハルフォードは、以前はメタルは都会のような騒がしい場所でしか作れないと思い込んでいたが、スタジオの扉を閉めてしまえばどこにいても同じだと分かったと述べている。ただし島の魅力は作品には移らなかった。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Point of Entry』はラジオ向けに寄りすぎたとして批判を浴びた作品だが、バンドは後年、カヴァー曲を入れることやヒット曲を書くことについてレーベルからの圧力があったと認めている。K.K.ダウニングの言い方は「向こうの欲しがるものを渡した」である。イアン・ヒルはより控えめで、商業的にしようとして作ったのではなく、前作より軽くなっただけで、進もうとした方向がおそらく間違っていたのだと述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)

評価はともかく、『Point of Entry』は3か月で50万枚を売っている。この時期にバンドの意識は完全に切り替わり、舞台演出の規模も跳ね上がった。K.K.ダウニングは、当時の自分たちのショウはKISSに次ぐ規模だったのではないかと言い、巨大な可動ロボットのような仕掛けは二度と見られないだろうと述べている。

出典: Louder(Classic Rock)

「Heading Out To The Highway」についてロブ・ハルフォードは、これは自由の歌だと語っている。ハンドルを握っているのは自分で、誰にも人生を奪わせない。人生という広大な風景の中へ出ていくという意味で、道路と人生を重ねた曲である。バイクと革と結び付けられてきたバンドにとって、これは自然な題材だった。

出典: Songfacts「Heading Out To The Highway」

「Heading Out To The Highway」のビデオもジュリアン・テンプルが監督している。砂漠の道路に見えるよう塗ったホリゾントの前でバンドが演奏するだけの低予算の映像だが、MTVが放送を開始した1981年当時、選べる映像そのものが少なかった。ビデオではドラマーのデイヴ・ホランドが革のジャケットにネクタイという格好をしている。

出典: Songfacts「Heading Out To The Highway」

1982年初頭、バンドは再びイビサへ渡り8作目の制作に入った。当時の島はまだヨーロッパの遊興の中心という評判を得る前だったが、彼らはその未来を先取りするような滞在をしている。イアン・ヒルは、車を何台も壊し、バイクも数台潰したと語る。ロブ・ハルフォードは、どうやってあのレコードを作り上げたのか分からない、死と踊っていたようなものだと述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)

イビサでの滞在ぶりを示す挿話がひとつ残っている。レンタカー会社の主人が話し合いの席にやってきて、封筒に入った白い粉をテーブルにぶちまけた。ロブ・ハルフォードは一瞬別のものを想像したというが、それはすり減ったクラッチとブレーキの残骸だった。バンドは別の会社を探す羽目になり、島じゅうに噂が回っていたためそれも簡単ではなかった。

出典: Louder(Metal Hammer)

「You've Got Another Thing Comin'」は、JUDAS PRIESTの曲で唯一、全米ビルボードのHot 100に入った曲である。最高位は67位で、シングルの売上とラジオでの支持がそこまで押し上げた。同じ月に全米メインストリーム・ロック・チャートでは4位まで上がっている。

出典: Songfacts「You've Got Another Thing Comin'」

曲がラジオでかかっていることをバンドが実感したのはツアー中だった。1982年8月から始まった北米ツアーで、バスの運転手が地元局をかけていると、行く先々で自分たちの曲が流れてくる。K.K.ダウニングによれば、地元ラジオでもスーパーマーケットでもショッピング・モールでも鳴っていた。会場は需要に追いつかず、より大きな箱へ移されていった。

出典: Louder(Metal Hammer)

「You've Got Another Thing Comin'」のビデオはジュリアン・テンプルが監督し、ロンドンのケンプトン・パーク浄水場で撮影された。煙とレーザーを背にバンドが演奏し、演奏を止めに来た役人らしき人物の頭を吹き飛ばす。ロブ・ハルフォードによれば火薬担当がマネキンにC4を詰め込みすぎ、跡形もなくなったという。

出典: Songfacts「You've Got Another Thing Comin'」

ボブ・ハリガン・ジュニアがJUDAS PRIESTの名を聞いたときの反応は「誰それ?」だった。1982年のアメリカ人としては珍しくない反応である。自分の曲が彼らに録音され、多額の印税が入ってくることを知った彼に、妻がもう一曲書くよう勧めた。そうして書かれたのが「Some Heads Are Gonna Roll」で、これも採用され、次作『Defenders of the Faith』で唯一の外部作家による曲になった。

出典: Songfacts「Some Heads Are Gonna Roll」

「Some Heads Are Gonna Roll」を書いたボブ・ハリガン・ジュニアは2023年のインタビューで、この曲は核による破滅への警告だと語っている。攻撃的で復讐心に満ちた語り口に聞こえるが、実際は「人を傷つけたい」ではなく「気をつけろ」に近い。権力と金銭への欲が勝ったとき人は簡単に傷つく、という意味だと述べている。曲はJUDAS PRIEST用に意図的に作られており、「(Take These) Chains」をピアノで書いたのに対しこちらはギターで書き、彼らに合うリフを入れ、高い声域を想定して仮歌をテナーの音域に置いたという。

出典: Songfacts「Some Heads Are Gonna Roll」

『Screaming for Vengeance』は1982年7月17日に発売された。発売から1週間で全英11位に達し、アメリカでは「You've Got Another Thing Comin'」のラジオでの成功を受けてチャートを登り続ける。10月に全米17位で頂点に達した時点で既にRIAAのゴールド認定を受けており(『British Steel』が同じ認定に2年を要したのに対して)、1983年4月にはバンド初のプラチナ認定作となった。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Screaming for Vengeance』のツアーで、バンドは初めてアリーナのヘッドライナーになった。イアン・ヒルによれば、プロモーターから会場をキャンセルする電話が次々に来た。同じ都市のより大きな箱へ取り直すためである。ヴァン・ヘイレンとどちらが多く客を入れられるかを競うような状態で、一晩に1万5千から2万人を前に演奏していた。1982年8月26日、ペンシルヴェニア州ベツレヘムのステイブラー・アリーナで始まったワールド・ヴェンジェンス・ツアーは1983年2月下旬まで続いている。

出典: Louder(Metal Hammer)

同ツアーには、『The Number Of The Beast』を出しブルース・ディッキンソンを迎えたばかりのIRON MAIDENが一部日程で同行した。ロブ・ハルフォードは、ほぼ毎晩彼らを観て、このバンドは大きくなると内心で確信したと語っている。一方でK.K.ダウニングは、最初は少しぎくしゃくしたとも認めていて、同じ場所を本気で奪い合っていた、王座はこちらのものだと思っていた、と当時を振り返っている。

出典: Louder(Metal Hammer)

ワールド・ヴェンジェンス・ツアーの終了から3か月後の1983年5月29日、バンドはカリフォルニアのUSフェスティヴァルに出演した。当時としてはキャリア最大の公演で、同じ日にはオジー・オズボーン、SCORPIONS、MÖTLEY CRÜE、QUIET RIOTが並び、ヘッドライナーはヴァン・ヘイレンだった。イアン・ヒルは会場までヘリコプターで運ばれ、丘を越えたところで地面の色が変わり、人が地平線の彼方まで続いているのが見えたと述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Defenders of the Faith』の制作にあたり、マネージメントが押さえていたイビサのスタジオは空の建物だった。差し押さえで機材が運び出されていたのである。ロブ・ハルフォードは、作業しているはずの時間に自分たちで新しい機材を運び込んだと笑い、なぜ別の場所へ行かなかったのかと振り返っている。

出典: Louder(Metal Hammer)

1984年1月に出た『Defenders of the Faith』は、今でこそ古典と扱われるが当時は相対的な失敗と見なされた。年末時点で80万枚。今日の基準では大きな数字だが、売れ続けていた前作より50万枚少なかった。ロブ・ハルフォードは当時のインタビューでこの数字に落胆したことを認め、十分に強いシングルがなかったと述べている。後年この作品もプラチナに達した。

出典: Louder(Metal Hammer)

「Eat Me Alive」の詞は、パブから戻ってきたその夜に書かれた。ロブ・ハルフォードによれば、メンバーがリフを録っていて、自分の番になったころには相当に出来上がっており、そのまま思いつくままに言葉を並べた。アルバムには「Jawbreaker」や「The Sentinel」のように漫画的な誇張を持つ曲が並んでいたが、PMRCはそれを認めようとしなかった、というのがバンド側の言い分である。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Defenders of the Faith』という題名は、アルバムの枠を超えて、メタルの歴史と価値観に根を張った者に与えられる合言葉になった。ロブ・ハルフォードは、自分たちが本当にその守り手だと考えているかと問われて即座に肯定している。長く名乗り続けるうちにそれは生きたものになる、というのが彼の説明である。

出典: Louder(Metal Hammer)

「Turbo Lover」の冒頭で鳴っているのは厳密にはシンセサイザーではない。グレン・ティプトンが使ったのはヘイマーA7ファントムというシンセサイザー・ギターで、メーカーから送られてきたものだった。これをローランドのGR-700というギター・シンセにつないで、あの音が作られている。このヘイマーA7ファントムは市場で長続きせず、これといった使用例はこの曲以外にほとんど残っていない。

出典: Songfacts「Turbo Lover」

『Turbo』の録音場所は三度移っている。まずバハマのナッソーにあるコンパス・ポイント・スタジオで始まったが、作業が進まなかった。ロブ・ハルフォードによれば、夕方6時に始めてもトム・アロムがジン・トニックを手にした時点でその日は終わりで、全員パブへ流れていった。バハマを出てマイアミへ移り、最終的にロサンゼルスで完成させている。彼はロサンゼルスで治療施設に入り、30日後に出てきたとき人生が大きく変わったと述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Turbo』に収められたバラード「Out In The Cold」は、ロブ・ハルフォードが素面の状態で録った最初期のヴォーカルのひとつである。治療施設を出た直後で、酒の力を借りなくてもマイクの前で全力を出せると分かったことを彼は喜んだという。曲はK.K.ダウニングとグレン・ティプトンが彼と共作し、イントロとソロの後半をティプトンが弾いている。

出典: Songfacts「Out In The Cold」

「Parental Guidance」のビデオはウェイン・アイシャムの監督で、1986年6月22日のダラス公演を撮ったライヴ映像である。この日、開演から間もなくロブ・ハルフォードが腕を振った拍子にK.K.ダウニングのギターに当たり、弦の先端が彼の目に入るという事故が起きた。ダウニングは出血した目を隠すために大きなサングラスをかけ、そのままビデオに映っている。多くのファンはそれを何かの主張だと受け取った。

出典: Songfacts「Parental Guidance」

『Turbo』は1986年4月に発売され、批評は困惑から敵意までさまざまだった。シンセサイザーの音は従来のツイン・ギターを求めていた層を離れさせている。それでも商業的には失敗ではなかった。「Turbo Lover」「Locked In」「Parental Guidance」の3曲がアメリカの主要ラジオとMTVに拾われたためである。イアン・ヒルの言い方は、失った友も多かったが、少なくとも同じ数だけ新しい友ができた、というものだ。

出典: Louder(Metal Hammer)

ロブ・ハルフォードは、「Turbo Lover」がラジオから流れてくるのを初めて聴いた瞬間を覚えている。ロサンゼルスのサンセット・ストリップをオープンカーで走っているときだった。ウォルソール出身の自分がこんなところにいる、という現実味のなさが最高の気分だったと述べている。

出典: Louder(Classic Rock)

『Turbo』が生まれた背景には、MTVという新しい力への意識があった。数年前に始まったばかりのMTVは、バンドの成否を左右する存在に育っていた。ZZ TOPやビリー・アイドルのように新しい技術を音に取り入れ、目を引く映像を用意して回転数を稼ぐ同時代のバンドを、彼らは見ていた。ロブ・ハルフォードは、MTVが音楽の様相をすべて変えたことがおそらく『Turbo』の全体的な結果に影響したと述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)

1988年の『Ram It Down』について、ロブ・ハルフォードは当時のバンドが将来に確信を持てずにいたと振り返っている。混乱期とまでは言わないが不確かだった、という言い方である。作品にはチャック・ベリーの「Johnny B. Goode」のカヴァーが収められている。彼自身の脱退は突発的なものではなく、1986年ごろから燻っていたと後年述べている。

出典: Louder(Classic Rock)

イアン・ヒルは80年代後半の路線変更をはっきり説明している。『Turbo』で実験に踏み込んだ結果、伝統的なファンをかなり失った。そこで『Ram It Down』からは硬い方向へ舵を切り、それが1990年の『Painkiller』で結実したのだという。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Painkiller』の制作にあたり、バンドは10年ぶりにプロデューサーを替えた。1980年の『British Steel』以来スタジオ作を任せてきたトム・アロムに代わって呼ばれたのがクリス・サンガライデスである。グレン・ティプトンは、時代は変わるのだから自分たちも変わらなければならない、1990年になったのだから音楽も更新したと当時述べている。サンガライデスは1976年の『Sad Wings of Destiny』でテープ係を務めていた人物でもあった。

出典: Louder(Metal Hammer)

スコット・トラヴィスがあのイントロを作ったのは、1990年初頭のフランス、ニースのミラヴァル・スタジオでのことだった。広い部屋にドラムが立ててあり、コントロール・ルームはずっと向こう。マイクの配置を試している間、彼はヘッドフォンをつけて好きに叩いていた。速い曲になると分かっていたので、それらしい手数を並べていたところ、周りが気に入って「そういうのをもっとやってくれ」と言われ、そのまま形になったのだという。

出典: Songfacts「Painkiller」

「Painkiller」の録音そのものは意外なほど手早く済んだ。イアン・ヒルによれば、その前にスペインで借りた古いフィンカに2週間籠もり、実際に演奏しながら曲を磨き込んでいたからである。全員が何をすべきか分かった状態でスタジオに入っていた。ソロ前に演奏が止まり、スイープ・ピッキングのアルペジオからグレン・ティプトンのソロへ入る箇所は、彼自身の一番のお気に入りだと言われている。

出典: Louder(Metal Hammer)

「Painkiller」のビデオは、ウェイン・アイシャムがこのバンドで撮った4本目にあたる。彼はピンク・フロイド、ローリング・ストーンズ、オジー・オズボーン、ボン・ジョヴィ、デフ・レパードの仕事を終えたばかりだった。映像は製鉄所のような場所で、色を抜いた白黒で撮られている。歌詞が描く終末後の世界を再現することは、費用の面からも選ばれなかった。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Painkiller』は1990年春に完成していたが、発売は遅らされた。バンドが裁判に出廷しなければならなかったためである。『Stained Class』にサブリミナル・メッセージを入れたと告発された一件で、彼らは無罪となったが、それは長く辛い審理を経てのことだった。

出典: Songfacts「Painkiller」

80年代末、バンドは台頭してきたスラッシュ勢を敵視するどころか受け入れていた。1988年のマーセナリーズ・オブ・メタル・ツアーにはSLAYERを帯同している。グレン・ティプトンは1990年12月のメタル・ハンマー誌に、自分たちの使命はメタルの旗を掲げることで、スラッシュもヘヴィ・メタルも同じものだと考えている、若いバンドやギタリストのことはよく知っていると語った。

出典: Louder(Metal Hammer)

ロブ・ハルフォードは2013年5月25日のKerrang!誌で、自分が書いた曲の中でもっとも誇らしいのは「Painkiller」だと述べている。メタルの体現そのものであり、全員が猛烈な速さで動いていながらメロディが伝わってくる。フェスティヴァルで3万人が「彼こそがペインキラーだ」と叫ぶのを聴くのは素晴らしい感覚だという。バンドにとっても、メタルにとっても重要な曲になったと彼は考えている。

出典: Songfacts「Painkiller」

ロブ・ハルフォードは離脱の1年後、スラッシュ寄りのバンドFIGHTでアルバム『War Of Words』を発表した。その後はインダストリアル寄りの2wo、続いて自身の名を冠したHALFORDへと移っている。一方バンドはティム・“リッパー”・オーウェンズを迎えて『Jugulator』(1997年)と『Demolition』(2001年)を発表した。

出典: Louder(Metal Hammer)

ロブ・ハルフォードは、自分が書いた曲の中で一番好きなのは「Victim Of Changes」だとガーディアン紙に語っている。二本のギターが入ってくるところ、重いリフ、歌の飛び方、変わった構成、静かになる中間部、そこから炸裂するグレン・ティプトンのブルースとメタルが混ざったソロ、そして絶叫で終わる作り。メタルの手触りをつかむために1曲だけ聴くならこれを薦めると彼は述べている。リッチー・フォークナーも2022年に、自分の一番好きなPRIESTの曲としてこの曲を挙げた。

出典: Songfacts「Victim Of Changes」

復帰が発表されたのは2003年7月で、翌夏のフェスティヴァル出演に向けて2003年の大半がリハーサルに費やされた。場所はブレイ・スタジオ。かつてハマー・フィルムの恐怖映画が撮られた撮影所で、彼らが入ったときには『テレタビーズ』の撮影が行われていた。ロブ・ハルフォードはそのセットを何度も見に行き、しまいには「誰かロブをテレタビーズのセットから連れ戻してくれ」と言われるようになったと語っている。

出典: Louder(Metal Hammer)

リハーサルで最初に鳴らした曲は、ほぼ間違いなく「Living After Midnight」だったとロブ・ハルフォードは記憶している。15年以上ぶりに全員で音を出すのだから、派手に始めたかったのだという。すべてが元の位置に収まる音を聴きながら、全員が顔を見合わせて頷き、笑っていたと彼は述べている。ハルフォードを迎えた最初の公演は2004年6月2日、ドイツ・ハノーファーのシュタディオンシュポルトハレで行われた。実に13年ぶりだった。

出典: Louder(Metal Hammer)

復帰の際の空気について、イアン・ヒルは「気まずかったのは10秒くらい」と言っている。あとはただ「帰ってきた」という感覚だったという。彼はまた、職を失うことになるティム・オーウェンズ自身も、この再結成を良い考えだと思っていたと述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)

2005年2月23日に出た『Angel of Retribution』は、15年ぶりにロブ・ハルフォードが参加したJUDAS PRIESTのアルバムである。全英ではトップ40に入り、全米ビルボード200では13位まで上がった。冒頭を飾る「Judas Rising」がその再登場を告げる役目を果たしている。

出典: Louder(Metal Hammer)

「Judas Rising」という題名がどこから来たのか、ロブ・ハルフォード自身も分からないという。灰の中から蘇るメタルの不死鳥という感覚が言わせたのだろうと彼は言う。すべてがフェードインで始まる作りが気に入っていて、それは長く待たされた末に自分のバンドを取り戻したファンの感覚に重なるとも述べている。

出典: Louder(Metal Hammer)

「Judas Rising」という言葉について、ロブ・ハルフォードは二重の意味に取れると述べている。彼自身の読み方は、『Sad Wings of Destiny』のジャケットに描かれた、重く沈んだ抑圧的な世界にいた天使が、そこから抜け出して威厳と輝きを取り戻し、楽観と力に満ちて戻ってくるというものだ。『Angel of Retribution』のジャケットにはヘヴィ・メタルの守護天使が描かれている。

出典: Songfacts「Judas Rising」

復帰後にアメリカでの立場を取り戻すうえで大きかったのがオズフェストへの参加だった。ロブ・ハルフォードは、BLACK SABBATH、JUDAS PRIEST、SLAYER、SLIPKNOTが並ぶ顔ぶれを驚異的だったと振り返っている。イアン・ヒルは、リッパー期の2作は批判にさらされ、大会場に出られなくなったのはそのせいだと言われもしたが、90年代は自分たち全員が少しずつ苦しんでいたのだと述べ、ハルフォードの復帰がジャンル内での本来の位置に引き戻してくれたと語っている。

出典: Louder(Metal Hammer)

『Nostradamus』の規模はK.K.ダウニングの言葉に端的に表れている。前作のツアーを終えたとき「これから何をするのか」と問われた、まるでもう出すものがないかのように。それに対する答えがコンセプト・アルバムで、100分を超え、CD2枚と3枚のレコードにまたがる作品だった。彼はこれを、もう終わったと思っていた者たちへの返答だと表現している。

出典: Louder(Metal Hammer)

グレン・ティプトンは、ノストラダムスを扱った作品は過去にもあるが、それらは予言を題材にしたものだったと述べている。自分たちが焦点を当てたのは予言ではなく彼の生涯の方で、そこには妻と娘をペストで失うという悲劇があった。調べるほどにこの方向で行くべきだと思えたのだという。

出典: Louder(Metal Hammer)

イアン・ヒルは『Nostradamus』の制作を率直に語っている。マネージャーからこの案を出されたとき、全員が最初は笑ったという。しかしK.K.、グレン、ロブの三人が本気で取り組み始め、その様子は学校に戻ったようだったと彼は言う。調査は徹底していた。ヒル自身は今もノストラダムスの信奉者になったわけではないと断りつつ、一人の男の物語としては壮大で、音楽的にも挑戦であり前進だったと述べている。

出典: Songfacts「Nostradamus」

なぜノストラダムスなのかという問いに、ロブ・ハルフォードはMTVでこう答えている。彼は予言者であると同時に錬金術師でもあり、並外れた才能を持つ人物だった。試練と苦難と喜びと悲しみに満ちた生涯を送った、非常に人間的な人物であり、しかも世界中で名前が通じる。どの言語に訳しても誰もが知っている、それは世界規模の聴き手に向けて作る以上、重要な条件だったという。

出典: Songfacts「Nostradamus」

『Redeemer of Souls』が到達した全米ビルボード200の6位は、バンドにとって初のアメリカでのトップ10入りでもあった。それまでの最高位は2008年の『Nostradamus』の11位である。デビュー作『Rocka Rolla』から40年目にして、彼らはアメリカのチャートで自己最高を更新した。

出典: Songfacts「Redeemer of Souls」

表題曲「Redeemer of Souls」のためにロブ・ハルフォードが作り出した人物像は、そのままジャケットに描かれている。彼はこれを力を与える歌だと説明し、幻想の要素を持つ形象で、破壊者ではなくメタルによって救済をもたらす存在だと述べている。曲には西部劇的な意匠が混じっていて、着想の一つは2011年の映画『カウボーイ&エイリアン』だった。グレン・ティプトンは「真昼」という言葉から、埃と回転草の中を歩く半ば金属で半ば人間の姿を思い浮かべると語っている。

出典: Songfacts「Redeemer of Souls」

「Halls of Valhalla」の題材は北欧神話のヴァルハラで、戦死した戦士の魂がヴァルキュリアによって運ばれる巨大な広間である。ロブ・ハルフォードは、スカンディナヴィアやその歴史と文化に惹かれてきたと語り、朝の4時ごろに目を覚まし、この音楽に合う題材は何かと考えているうちに「ヴァルハラ」という言葉が浮かんだと述べている。彼はそれを核となる単語として位置づけ、そこから書き進めた。

出典: Songfacts「Halls of Valhalla」

『Redeemer of Souls』のデラックス版ボーナス・ディスクに入っている「Never Forget」について、ロブ・ハルフォードは制作中に少し過去を振り返る日があったと語っている。グレン・ティプトンが弾いていたアコースティックの断片を聴いてファンや支えてくれた人たちのことを思い、そこから曲が生まれた。詞を書きながら考えていたのはPRIESTのファンと軍務に就く家族たちのことで、バンドを方程式から外して言葉だけを見ても十分に届く内容になっていると彼は述べている。

出典: Songfacts「Never Forget」

『Redeemer of Souls』からの最初の公式シングル「March of the Damned」について、グレン・ティプトンはお気に入りの一つだと述べている。単純で要点にまっすぐ向かう曲であり、ゾンビや『ウォーキング・デッド』の歌ではないという。行進して止まらない者たちとは自分たちのライヴに来る若い客のことでもあり、バンドと観客が別々なのではなく同じものだ、というのが彼の説明である。

出典: Songfacts「March of the Damned」

「Snakebite」についてグレン・ティプトンは、ライヴで演奏するために書いた曲だと述べている。「You Don't Have to Be Old to Be Wise」に似た手触りがあり、観客のために書かれた曲で、その役目を果たすという言い方をしている。

出典: Songfacts「Snakebite」

「Sword of Damocles」がライヴで初めて演奏されたのは、2024年3月15日、アイルランドのダブリンにある3アリーナだった。インヴィンシブル・シールドのヨーロッパ・ツアーの一環である。題材となったダモクレスの逸話は紀元前4世紀のシラクサの僭主ディオニュシオス2世をめぐるもので、王座に座らされた廷臣が頭上に馬の毛一本で吊るされた剣を見出すという話である。

出典: Songfacts「Sword of Damocles」

「Sword of Damocles」で伝えたいことをロブ・ハルフォードは簡潔に説明している。すべてを手にした王の頭上には細い糸で剣が吊られていて、それはいつ切れるかもしれない。だから今ある人生を、日々できる限りよく生きるほかない、というのが曲の趣旨だという。

出典: Songfacts「Sword of Damocles」

リッチー・フォークナーがJUDAS PRIESTの一員として初めて人前に出たのは、2011年5月25日のアメリカの番組『アメリカン・アイドル』だった。同番組では珍しいメタル志向の出場者ジェイムズ・ダービンと共に「Living After Midnight」を演奏している。

出典: Songfacts「Living After Midnight」

リッチー・フォークナーが曲作りに関わるようになった経緯は自然発生的だった。ツアーにノート・パソコンを持ち歩き、移動先や公演の合間に思いついたものを録音していたところ、その音をロブ・ハルフォードとグレン・ティプトンが耳にして、PRIESTの曲の素材に使えるかもしれないと言い出したのである。彼は、加入以前に生まれたものへの敬意と、自分自身の声を作ることの両方を同時にやらなければならなかったと述べている。

出典: 激ロック リッチー・フォークナー インタビュー

『Firepower』の先行シングルに「Lightning Strike」を選んだのは、バンドではなくレーベル側だった。リッチー・フォークナーによれば、ソニーのマークという人物のアイディアで、いくつかの候補の中から彼らが最も気に入った曲だという。短くまとまり、過去の要素も入っていて、バラードにもプログレッシヴにも寄らず、まっすぐにPRIESTらしさが出ている曲である。

出典: 激ロック リッチー・フォークナー インタビュー(2ページ目)

『Firepower』中盤のインスト曲「Guardians」は、もともとリッチー・フォークナーがずっと前から書いていたピアノ曲だった。JUDAS PRIESTに合うかどうか自分でも分からないまま提示したところ、そこから派生して生まれたのが「Rising From Ruins」である。「Guardians」のイントロは「Rising From Ruins」の中でリプライズされ、構造の断片が繰り返し現れる作りになっている。

出典: 激ロック リッチー・フォークナー インタビュー(2ページ目)

『Firepower』は全米ビルボード200で初登場5位を記録し、それまでの最高だった2014年の『Redeemer of Souls』の6位を上回った。全英でも5位に入り、これは『British Steel』が4位に達した1980年以来のトップ10入りだった。さらにスウェーデンでは、バンドにとって初めての1位を獲得している。

出典: Songfacts「Firepower」

リッチー・フォークナーは、表題曲「Firepower」がPRIESTの最速曲かもしれないと述べている。特にドラムの手法においてそうで、友人の一人はこれを「『Painkiller』の、もっと速いやつ」と評したという。速さで重さを測るなら、これはかなり重い曲だというのが彼の見立てである。

出典: Songfacts「Firepower」

「Sea of Red」の題名は、第一次世界大戦の西部戦線で塹壕のあいだに咲いた赤いヒナゲシの光景から来ている。この情景を歌ったジョン・マクレーの詩「In Flanders Fields」を、ロブ・ハルフォードは子供の頃から心に留めていた。リッチー・フォークナーは、音楽はほぼ出来上がっていたところにハルフォードが歌詞を持って現れ、それを歌った瞬間のことを覚えていると語る。頭の中に映像が見え、初めて聴いて鳥肌が立ったという。

出典: Songfacts「Sea of Red」

『Firepower』の制作で、バンドは録音の方法そのものを昔のやり方へ戻した。イアン・ヒルはレヴォルヴァー誌に、トム・アロムは1979年から関わっていて自分たちと音楽についての知識が計り知れないと語り、全員が一つの部屋に入って一緒に演奏する有機的なやり方に戻したと述べている。ロブ・ハルフォードは、アロムの持つ古典的なメタルの感覚と、アンディ・スニープの現代的な思考の均衡が見事に噛み合ったと表現している。

出典: Songfacts「Lightning Strike」

50周年ボックスの装丁はマーク・ウィルキンソンが手掛けた。ロス・ハルフィンが撮影したロブ・ハルフォード、グレン・ティプトン、イアン・ヒル、リッチー・フォークナー、スコット・トラヴィスのサイン入り写真が封入され、さらに通し番号入りの、刃を落とした「British Steel」の剃刀の刃が付く。写真やポスター、広告、ツアー・パスを集めた記念の本と、『British Steel』ツアーのプログラムの複製、そして1980年のドイツ公演と1984年のヨーロッパ・ツアーのポスター2種の複製も同梱された。

出典: Louder(Classic Rock)

その式典まで、リッチー・フォークナーはK.K.ダウニングと直接会ったことがなかった。ネット上でやり取りをしたことはあったが、実際に顔を合わせたのはあの日が初めてだったという。一方、レス・ビンクスとは旧知の仲だった。かつて同じバンドを組み、二人でJUDAS PRIESTのカヴァーを演奏していた時期があったのである。

出典: 激ロック リッチー・フォークナー インタビュー

リッチー・フォークナーは2021年、ラウダー・ザン・ライフ・フェスティヴァルでの演奏中に大動脈瘤破裂を起こして入院した。2024年のインタビューでは、主治医と家族の支えに加えてファンから届いた膨大な見舞いのメッセージや動画のおかげであの時期を越えられた、今はもう大丈夫だと思うと語っている。

出典: 激ロック リッチー・フォークナー インタビュー

『Invincible Shield』のクレジットで、トム・アロムは「Priest Metal Insight」という肩書きで記載されている。リッチー・フォークナーによれば、今回のメイン・プロデューサーはアンディ・スニープで、彼がトラックを送ってアロムに助言や意見を求めるという関わり方だった。二人が与えた影響は計り知れず、技術面だけでなくバンドから最良の演奏を引き出してくれたと彼は述べている。

出典: 激ロック リッチー・フォークナー インタビュー

『Invincible Shield』という題名が『Defenders Of The Faith』を意識したものかと問われて、リッチー・フォークナーは驚いている。考えたこともなかったという。ただ盾は守るものであり、同時に掲げる旗でもある、というのが彼の説明で、この盾を高く掲げて自分たちの音楽は決してなくならないと示すのだと述べている。『Screaming For Vengeance』の後に『Defenders Of The Faith』が来た並びを指摘され、実に興味深いと彼は応じた。

出典: 激ロック リッチー・フォークナー インタビュー

本編の最後に置かれた「Giants In The Sky」は、亡くなった先達へのトリビュートである。リッチー・フォークナーは、リフがブルース由来であること、中間部にスパニッシュ・クラシカル・ギターのソロが入ることを気に入っていると述べている。歌詞についてはロブ・ハルフォードが書き、レミー・キルミスター、ジミ・ヘンドリックス、ランディ・ローズ、そして前年に亡くなったティナ・ターナーといった名前が念頭にあったという。曲は高音のスクリームで「You won't ever die」と歌って閉じられる。

出典: 激ロック リッチー・フォークナー インタビュー(2ページ目)

2024年の来日公演までに、バンドは同年3月のグラスゴー公演を皮切りに、欧州や北米で大型フェスへの出演を含む80本以上の公演を重ねていた。開演前のステージは幕で覆われ、そこには『Invincible Shield』のアートワークにも使われた詩篇のような文章が描かれている。ロブ・ハルフォードはこの文章について、ヘヴィ・メタルのステートメント(声明)を作りたかったと以前説明していた。

出典: BARKS ライヴ・レポート

「Electric Eye」はシングルとして発売されていない。それでもアメリカのロック・ラジオではかかり、ライヴでは長く定番であり続けている。アメリカでの足がかりを作ったのは同じ『Screaming for Vengeance』からの「You've Got Another Thing Comin'」だったが、そのおかげで隣の曲まで届いた形である。イアン・ヒルは、このアルバムからはほぼ全曲をライヴでやったが、セットリストから外せたことがないのは「Electric Eye」だと述べている。

出典: Songfacts「Electric Eye」

「Turbo Lover」のビデオはウェイン・アイシャムが監督し、アニメーションの骸骨とメンバーやオートバイの映像を砂漠の風景に合成し、当時流行していたソラリゼーション風の処理をかけた作りになっている。MTVでもある程度流れたが、特に伸びたのは1987年にメタル専門番組『ヘッドバンガーズ・ボール』が始まってからだった。

出典: Songfacts「Turbo Lover」

オートバイは1979年以来このバンドの象徴になっていて、「Turbo Lover」の詞もその延長にある。ロブ・ハルフォードは、オートバイを愛の比喩に使うという発想が気に入っていたと述べ、性的な含みがあるがそれで構わない、機械や車やバイクを使う手法はロックンロールで何度も行われてきたと語っている。逃避としての楽しさが主眼だという。

出典: Songfacts「Turbo Lover」

『Angel of Retribution』からの「Revolution」は、全米メインストリーム・ロック・トラックスで23位に達した。JUDAS PRIESTのシングルが同チャートに入るのは、1992年の「Night Crawler」以来のことである。曲のイントロは、1970年代までさかのぼるリフを収めたデモのカセットから引き出されたものだった。

出典: Songfacts「Revolution」

「Never The Heroes」についてバンドは声明を出している。戦場に赴く勇敢な男女、英雄になるための訓練を受けたわけではないのに、自らの行動と犠牲によって英雄になっていく人々を歌った曲だという説明である。誰の中にも英雄はいて、困難のときには強く、団結し、自らの試練を越えて他者を助けることができる、というのが趣旨だとしている。

出典: Songfacts「Never The Heroes」

「No Surrender」についてロブ・ハルフォードは、自分たちの音楽をずっと希望の灯台のようなものにしようとしてきたと語っている。人生で何を抱えていても、困難を越えられる感覚、勝つ感覚、上に立つ感覚が常にある、と。この曲はそれを端的な事実として述べたものだと彼は言う。何に立ち向かうことになろうと、それに向き合い、越え、勝ち、決して降参しないことが最良のことだという趣旨である。

出典: Songfacts「No Surrender」

「Breaking The Law」はバンド自身の手でパロディにもなっている。『ザ・シンプソンズ』シーズン25の「Steal This Episode」で、違法ダウンロードに手を出して身を隠したホーマーをおびき出すために、JUDAS PRIESTがこの曲のもじりを演奏するという場面である。またアメリカの保険会社ステート・ファームの広告にも使われた。NFLのアーロン・ロジャースが安全運転で割引が受けられると説明されている脇で、代理人がこの曲を大音量でかけ、彼は安全運転などしないと言い放つという筋である。

出典: Songfacts「Breaking the Law」

「Breaking The Law」がどれほど速く書けたかについて、グレン・ティプトンはビルボード誌にこう語っている。いくつかの家を回りながら曲を書いていて、ある日そのリフに行き当たると曲は自然に出来上がった。1時間ほどで書けたと思う、ロブが「breaking the law」と歌い出し、気がついたときにはPRIESTの古典が一つ出来ていた、と。この曲は2分33秒しかなく、パンクに通じる推進力と反抗の姿勢を持っている点をハルフォード自身も認めている。

出典: Songfacts「Breaking the Law」

「Lightning Strike」の趣旨をロブ・ハルフォードは、対立にどう反応できるかという話だと説明している。稲妻が落ちるのは、暗闇から引き上げてくれる光がそこにあるからだと彼は言う。個人であれ集団であれ組織であれ、破壊的な場所へ導こうとするものに対して、人には反応し行動する権利がある、というのが曲の中身である。彼はまた、自分たちは政治的なバンドではないが、感情や考えを曲に入れる方法は見つけていて、ファンがそこから自分の見方を引き出せるのだと述べている。

出典: Songfacts「Lightning Strike」