IRON SAVIOR TRIVIA

Trivia

『Megatropolis』のドラム録音の最終日、日本盤ボーナス・トラックの候補を探す作業が行われた。選ばれたのは「Iron Watcher Medley」で、これはその場の思いつきに近い決定だったため、トーマス・ナックが頼れるキュー・トラックがまだ存在しなかった。そこでピートがアコースティック・ギターを手に取って曲のリフをいくつか弾き、トーマスはクリックだけを頼りに叩いたという。日本盤のためだけの1曲が、その日の締めくくりになった。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Studioreport 2007 – Part One (Drums)」(Internet Archive 保存版)

IRON SAVIOR が初めて日本の舞台に立ったのは、自分たちの公演としてではなかった。2006年3月17日、ピートのもう一つのバンド SAVAGE CIRCUS が恵比寿リキッドルームで EDGUY の前座として2夜連続の公演を行っており、その2日目「Melodic Power Metal Nights」で、SAVAGE CIRCUS のセットが終わったあとにメンバーが自発的にステージへ戻った。演奏したのは「Iron Savior / Watcher In The Sky」のメドレーと「Condition Red」で、公式サイトは驚いた観客が熱狂して迎えたと伝えている。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Iron Savior in Tokyo」(Internet Archive 保存版)

自分たちの名義での初来日は、それから10年後だった。2016年4月2日、ピートは公式サイトに「セイヴィアーが初めて東京に着陸する」と書き、2016年7月12日の東京公演を発表している。会場は渋谷の TSUTAYA O-WEST。彼はこの公演をとても楽しみにしていると付け加えていた。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Iron Savior to land in Japan」(Internet Archive 保存版)

公式サイトの初期に載ったピート自身の挨拶文が、プロジェクトからバンドへ変わっていく途中経過を残している。彼はそこで、カイとトーメンとの企画として始まったが、制作の過程で音楽的にも人間的にも噛み合ったため次第にバンドの性格を帯びていったと書いた。ヴァッケンでの初ライヴを終えてその感覚はさらに強まり、新しいベーシストとしてヤン・エッカートを迎えた時点で、もはやプロジェクトとは呼びにくい、と続けている。ただし、カイとトーメンにはガンマ・レイとブラインド・ガーディアンという「本業」があるので定義上はまだプロジェクトなのだ、という但し書きも彼自身が添えていた。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「A Little Welcome Message from Piet Sielck」(Internet Archive 保存版)

公式サイトが2014年に掲げたバンド紹介は、成り立ちを一段落でまとめている。IRON SAVIOR の歴史は1996年、ピート・シールク、カイ・ハンセン(ガンマ・レイ)、トーメン・スタッシュ(ブラインド・ガーディアン)によって始まり、当初はスタジオ・プロジェクトにすぎなかった。音楽の方向だけは最初から明確で、ジューダス・プリーストやアイアン・メイデンといった NWOBHM の巨人たちに影響を受けた正統派のパワー・メタルに、SFのコンセプトを歌詞で結び付けるというものだった。2001年にハンセンが去って以降、創設メンバー3人のうち残っているのはピートだけである。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Rise Of The Hero Album Infos」(Internet Archive 保存版)

IRON SAVIOR の歌詞世界は、公式サイトに掲載された一続きの物語として書かれている。舞台となるのは、プラトンの伝えたアトランティスを大胆に読み替えた過去だ。公式の説明はまず問いを立てる——もしプラトンの年代が違っていたら、もしアトランティスの滅亡が1万年前ではなく35万年前だったら、そしてもしそれが自然災害ではなく熱核戦争によるものだったら。この仮定の上に、以後のアルバムが語り継ぐ物語が組み立てられている。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「The Whole Iron Savior Story」(Internet Archive 保存版)

『Skycrest』は、当初まったく別の題で出るはずだった。ピートによれば、最初は「HELLBREAKER」にするつもりで、それは癌と闘っていたベーシストのヤンへの敬意を込めた題だった。ところがある夜中にカヴァー・デザインを眺めているうちに何かが違うと感じ、『SKYCREST』に考え直したのだという。結果として変えて良かった、このアートワークとタイトルほどぴったりのものはなかった、と彼は語っている。「Hellbreaker」は曲名として作品に残っている。

出典: マーキー/アヴァロン公式note ピート・シールク インタビュー

『Firestar』のコーラスには、ピート・シールクの当時17歳の娘フリーダと、その恋人が参加している。AFM Records のプレスリリースは、Powerhouse Studio による厚みのあるプロダクションと、巧みに配置されたキーボード・パート、そしてこの二人が支えた讃歌のようなバック・コーラスを、作品の仕上げを決めた要素として並べて挙げている。

出典: AFM Records ニュース「IRON SAVIOR - Firestar」

2015年、ピートは『Megatropolis』について珍しく率直な告白をしている。AFM から在庫が完売したと知らされたのを機に再発することになり、それは長らくこの作品に納得できずにいた自分にとって、誤りを正す機会だったというのだ。彼が挙げた誤りは具体的である。当時の彼は、もう一つのバンド SAVAGE CIRCUS との違いをはっきりさせようとして、大きなコーラスや多層的なヴォーカルといった IRON SAVIOR の持ち味をわざと外していた。それを彼は「致命的な誤り」と呼び、ようやく正せると書いている。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Megatropolis sold out & re-release」(Internet Archive 保存版)

再録音企画「Reforged」が生まれたのは、権利の問題を逆手に取ったからである。AFM Records の説明によれば、バンドは初期作品が長く正規に入手できない状態にありながら、法的な理由でそのまま再発することができないという問題を抱えていた。ピートの言葉では、Noise Records 時代の作品を元の形で再発することはできないが、あの曲を新たに録り直すことはできる。そこで彼らはこの状況を利用して、音の面での底上げを図ることにした。

出典: AFM Records ニュース「2017 version of Riding On Fire available」

バンド史上初のライヴ盤/DVD は、2015年1月10日にハンブルクの Knust で収録された。公式サイトの告知でピートが強調していたのは、地元での収録であることと、観客に協力を求めたことである。大勢で来て、知り合いを連れてきて、そしてスマートフォンを持ってきてほしい——観客にも一緒に撮影してほしい、というのがその内容だった。公演後にアップロード先を知らせ、その映像をプロのカメラの素材に編集で織り込むので、あなたたちの撮ったものも不滅になる、と彼は書いている。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Iron Savior Live-DVD Shooting, January 2015」(Internet Archive 保存版)

若いミュージシャンへの助言を求められたピートは、「ユニークであれ」の一語に絞っている。最初は自分の好きなヒーローから学んで構わないが、重要なのは自分自身のスタイルとサウンドを追い求めることで、どれほど楽器が上手くても他人の模倣に聴こえるようでは足りない、というのがその趣旨である。彼はさらに、もし若い頃の自分とカイ・ハンセンがジューダス・プリーストやアイアン・メイデンの模倣を続けていたら、いまのハロウィンもガンマ・レイも IRON SAVIOR も存在しなかっただろう、と付け加えている。

出典: マーキー/アヴァロン公式note ピート・シールク インタビュー

IRON SAVIOR はバンドを作ろうとして始まったのではなく、ピート・シールクが自分の腕を試すために書いた1曲から始まった。長くレコーディング・エンジニアとして働くうちに、契約を持つバンドが必ずしも自分より優れているわけではないと感じるようになり、それなら自分の曲も作ってみようと考えたのだという。試作として書いたのが「Iron Savior」という曲で、クライアントの仕事とまったく同じ手順で仕上げた。それを友人たちに聴かせたところ反応がよく、そこで初めてアルバム1枚分を作る決心がついた。バンドの名は、この最初に書かれた1曲と同じである。

出典: Metal-Rules.com ピート・シールク インタビュー

カイ・ハンセンと組んでいた学生バンド GENTRY の初ライヴについて、ピートは自分が12歳だったと語っている。会場は地元のバンド・コンテストで、当時ドラマーがおらず自分たちの歌にも満足していなかったため、同じ学校の別のバンドからドラマーとシンガーを「借りて」出演した。そして優勝してしまう。ただし本人は、勝った理由は演奏ではなかったと明かしている。友人を大勢連れて行ったうえ、母親が食べきれない量のポテトチップスを差し入れたので、友人たちがそれを票と交換し始めたのだという。

出典: Metal-Rules.com ピート・シールク インタビュー

『The Landing』のために最初に完成した曲は「Heavy Metal Never Dies」だった。ピートはこの曲について、Dockyard 1 をめぐる出来事と歌詞を並べて読めば、あれは自分にとっての音楽による治療だったと言える、と語っている。同じインタビューで彼は、『Condition Red』も似た状況で書かれたと明かしている。あのときも個人的な危機を乗り越えたあと、良い心持ちで書き始めたのだという。「Heavy Metal Never Dies」を書いたときは火がついたようになり、曲作りの期間が終わってしまうのがむしろ寂しかったとも述べている。

出典: BraveWords(カール・ベガイによるインタビュー)

2026年の「Back From The Fires Of Hell」は、前作『Firestar』の「Through The Fires Of Hell」と対になる曲である。ピートによれば、この曲の最初の歌詞は自分が癌の診断を受ける前に書かれていた。詩として書いたものが、当初思い描いていたのとは違う形で苦い現実になってしまった、というのが彼の言い方である。彼はこの二曲の関係を、「Through The Fires Of Hell」は妻に捧げた詩に近く、「Back From The Fires Of Hell」は実際に起きたことへの省察に近い、と説明している。

出典: Blabbermouth.net

IRON SAVIOR の音を長く支えてきたのは、ピート・シールク自身が構えるハンブルクの Powerhouse Studio である。プロデュース、ミックス、マスタリングまで一貫して彼が手掛けるのが通例で、2026年の『Deathbringer』も同じ体制で作られた。プレスリリースはこのスタジオを、パワフルなメタルの制作で名の通った場所であり、IRON SAVIOR のサウンドと切り離せない場所だと紹介している。

出典: Blabbermouth.net

再録音シリーズ第2弾『REFORGED: IRONBOUND (VOL.2)』では、カイ・ハンセンが「Solar Wings」でふたたびリード・ヴォーカルを執った。この曲は2001年の『Dark Assault』に収録された時点でも彼が歌っており、そのカイは同作を最後にガンマ・レイに専念するためバンドを離れている。ピートはこの再会について、ヤンやピーゼルだけでなくカイともまたオリジナルのパートを一緒にやれたことが特に楽しかったと語っている。

出典: BURRN! ONLINE

同じ『REFORGED: IRONBOUND (VOL.2)』には、カイ・ハンセンの息子ティム・ハンセンがゲストでソロを弾いている。ピートによれば、そのティムの名付け親は彼自身だという。この点も含めて、彼はこの作品を全体として数世代にわたるファミリー・アルバムのようなものだと表現している。

出典: BURRN! ONLINE

2026年のカヴァー集『AWESOME ANTHEMS OF THE GALAXY』が生まれたきっかけは、20年以上前の1曲だった。ピートによれば、2002年の『Condition Red』のボーナス・トラックだったシールのカヴァー「Crazy」が HBO のテレビ番組で使われて大きな成功を収めて以降、ファンとメディアからカヴァーだけのアルバムを作らないかというリクエストをほぼ絶え間なく受けてきたのだという。20年を経てそれがようやく実現した、というのが彼の言い方である。

出典: BURRN! ONLINE

『Rise of the Hero』に入っているマンド・ダイアオのカヴァー「Dance With Somebody」は、偶然から生まれている。ピートは以前からこの曲とヴォーカルの声が好きで、画一的なラジオのトップ40の中ではっきり抜けて聴こえていたのだという。ドラム録音の直前にあたる10月、ヤンのパートナーの誕生日パーティでこの曲が流れたとき、その場の全員が「良い曲だが自分たちならもっと良くできる」と思った。当初はあくまで日本盤ボーナス・トラックのつもりだったが、「アイアン・セイヴィアー化」が進むにつれてどんどん格好良くなり、皆の笑みも広がっていったため、最終的に本編に入れることにしたと彼は語っている。

出典: POWERMETAL.de ピート・シールク インタビュー(マルセル・ラップ)

2023年7月、ピート・シールクは自身が癌と診断されたことを公表した。彼の声明は、ヤン(=ヤン・S・エッカート)が癌と診断された後で今度は自分の番になった、と切り出している。幸い治癒が可能な段階で見つかったため直ちに治療を始めなければならず、第一段階は化学療法、回復期間を置いて手術という予定だった。彼は自分に一流の医療チームと支援の輪があり、他に病気もなく、この厳しい道のりを乗り切る精神力と意志があると書いている。バンドは2023年に残っていた公演をすべて取りやめた。

出典: BraveWords

その2006年の来日には裏の事情があった。日本のレーベルであるマーキー/アヴァロンの解説によれば、SAVAGE CIRCUS の来日公演を前にトーメン・スタッシュが健康上の理由で来日をキャンセルし、代役として叩いたのがトーマス・ナックだった。ベースにはイェンツ・レオンハルドが入り、J・“ピーゼル”・カストナーもクルーとして同行していた。つまりこの時点で東京には IRON SAVIOR のメンバーが揃っており、それがアンコールでのサプライズ出演につながったのである。

出典: マーキー・インコーポレイティド/アヴァロン・レーベル アーティストページ

マーキー/アヴァロンは2016年の初来日を、長年ジャーマン・メタルを待ち続けていたファンを歓喜させる出来事として記録している。同社の解説では、長くメンバーだったトーマス・ナックが離脱した後も代役を立てて、この年に正式な初来日公演を敢行した、という流れで語られている。

出典: マーキー・インコーポレイティド/アヴァロン・レーベル アーティストページ

日本での IRON SAVIOR は、当初ビクターエンタテインメントから紹介されていた。同社のディスコグラフィーには Noise International 名義の作品が並び、デビュー作『IRON SAVIOR』の日本盤は全13曲で、最後の2曲は「This Flight Tonight」と「The Rage(デモ・ヴァージョン)」だった。同じ盤は2008年7月23日に廉価で再発されている。

出典: ビクターエンタテインメント アイアン・セイヴィアー アーティストページ

日本盤で見ると、1999年の EP『INTERLUDE』の構成がよく分かる。ビクターエンタテインメントの作品ページによれば、日本盤は1999年8月25日発売、品番 VICP-60820。全10曲のうち前半5曲が「Iron Savior」「Brave New World」「Watcher In The Sky」「Riding On Fire」「For The World」のライヴ・テイクで、後半5曲は「Contortions Of Time」「Touching The Rainbow」「Stonecold」「The Hatchet Of War」「Desert Plains」というスタジオ録音である。

出典: ビクターエンタテインメント『INTERLUDE』作品ページ

3作目『Dark Assault』の日本盤は、世界に先んじて2001年1月24日にビクターエンタテインメントから出た(VICP-61248)。収録は14曲で、通常の楽曲のあとに「Delivering The Goods」「Headhunter」「The Hellion / Electric Eye」が続く構成になっている。同社の解説はこの作品を、プロデューサー/エンジニアとしても活躍するピート・シールク率いる IRON SAVIOR の3枚目のフル・アルバムと紹介している。

出典: ビクターエンタテインメント『DARK ASSAULT』作品ページ

2007年の『Megatropolis』以降、日本盤はマーキー/アヴァロンから出ている。同レーベルのページに並ぶ日本盤には、ほぼ例外なくボーナス・トラックが付く。『MEGATROPOLIS』(2007年6月21日、MICP-10666)が1曲、『THE LANDING』(2011年12月14日、MICP-11028)が1曲、『RISE OF THE HERO』(2014年2月19日、MICP-11139)が2曲、『TITANCRAFT』(2016年5月25日、MICP-11291)が1曲、『SKYCREST』(2020年12月2日、MICP-11589)が1曲、といった具合である。

出典: マーキー・インコーポレイティド/アヴァロン・レーベル アーティストページ

『Rise of the Hero』の日本盤ボーナス・トラックは、2001年の『Dark Assault』収録曲を録り直した「Mind Over Matter 2014」だった。公式サイトが掲げたトラックリストでは、13曲目の「I've Been To Hell 2014」が限定盤用、14曲目の「Mind Over Matter 2014」が日本盤用と明記されている。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Rise Of The Hero Album Infos」(Internet Archive 保存版)

『Skycrest』の日本盤ボーナス・トラック「Wingmen」について、ピートは曲目解説で「お互いを支え合おう」という意味の曲だと説明している。日本盤にだけ入るこの1曲も、彼が語ったアルバムの筋道の中にきちんと位置づけられていた。

出典: マーキー/アヴァロン公式note ピート・シールク インタビュー

『Firestar』の日本盤は2023年10月4日、品番 MICP-11822 でアヴァロンから出た。ボーナス・トラックは2曲で、10曲目の「When The Tanks Are Rolling」と13曲目の「Heading Out To The Highway」である。日本盤のライナー表記では、この時点のラインナップはピート・シールク(ヴォーカル)、ヨアヒム・クストナー(ギター)、ヤン・S・エッカート(ベース)、パトリック・クローゼ(ドラム)となっている。

出典: アヴァロン・レーベル『Firestar』作品ページ

『Kill or Get Killed』の日本盤には、2枚組の特別仕様(MICP-90112)が用意された。アヴァロンのページによれば、そのボーナス・ディスクには AC/DC の「Sin City」とブライアン・アダムスの「Run To You」のカヴァー、「Cyberhero 2.0」「Farewell And Goodbye 2.0」という再録音、タイトル曲のラジオ・エディットとカラオケ、そして「Overkill」の全7曲が収められている。

出典: マーキー・インコーポレイティド/アヴァロン・レーベル アーティストページ

2020年末のインタビューで、ピートは日本のファンについて二度触れている。ロシアではメタルの人気が高く2012年以降定期的にツアーをして確固たるファン・ベースを築けたと述べたうえで、日本でも同じことができたらと思っている、と語った。最後のメッセージでは、その年に日本へ行って一緒に盛り上がれなかったことを残念がりつつ、また会うことを諦めていないと結んでいる。

出典: マーキー/アヴァロン公式note ピート・シールク インタビュー

その初の単独来日公演の詳細は、チケットを扱ったディスクユニオンの告知に残っている。公演は2016年7月12日(火)、東京の TSUTAYA O-WEST で、開場18時・開演19時。前売は税込7,500円のスタンディングで、ドリンク代は別途。一般前売の発売日は同年4月30日だった。同店の告知は、この公演をデビューから約20年を経て実現した初の単独来日公演と紹介している。

出典: ディスクユニオン ヘヴィメタル館 ニュース

『Firestar』は日本で先行発売された。BURRN! ONLINE によれば日本盤は2023年10月4日、海外は10月6日である。同誌は日本盤ボーナス2曲の内訳も示しており、「Heading Out To The Highway」はジューダス・プリーストのカヴァーだと明記している。同記事はまた、この作品が『SKYCREST』(2020年)以来約3年ぶりのオリジナル・アルバムで通算12作目にあたり、新録ベスト盤の第2弾『REFORGED:IRONBOUND』(2022年)に続くものだと整理している。

出典: BURRN! ONLINE

公式サイトの1997年12月の更新は、当時のピートがどこで何をしていたかを短く伝えている。彼はドイツのクレーフェルトに滞在し、BLIND GUARDIAN のアンドレ・オルブリッヒと組んで、翌年4月に出る予定の同バンドの新作のギター・パートに取り組んでいた。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Piet Working For Blind Guardian」(Internet Archive 保存版)

2011年9月、ピートは自分たちのフォーラムに直接書き込む形でラインナップの変更を伝えた。イェンツ・レオンハルドが他の仕事で手一杯になったため脱退し、後任として選ばれたのがヤン=S・エッカートだった。ピーゼル、トーマスと自分の三人にはこれ以上の解決策が思い浮かばなかった、と彼は書いている。この復帰によって、バンドは『Condition Red』当時の顔ぶれに戻った。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「News directly from Piet (posted on the forum)」(Internet Archive 保存版)

2017年1月、ピートは公式サイトでトーマス・ナックの離脱を伝えた。休養期間を有意義に使った結果、トーマスは IRON SAVIOR のドラム・セットには戻らないと自ら結論を出したという。長く在籍した仲間を失うのは辛いが決定は受け入れる、彼が納得できる道を見つけたことは嬉しい、というのがピートの書き方だった。後任は数か月前から代役を務めていたパトリック・クローゼで、彼を正式メンバーにするのは自然な流れだった。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Relief in engineering! Patrick Klose replaces Thomas Nack.」(Internet Archive 保存版)

正式加入を伝えるパトリック・クローゼ自身の書き込みには、前任者への謝辞が入っていた。9月以降のライヴはどれも素晴らしかったが今回のことは圧倒的だ、と喜んだうえで、バンドの仲間とゾーレン・テッケンブルクに礼を述べ、そしてトーマスにも、その3枚目と4枚目のアルバムでのドラミングから多くを学んだとして感謝している。書き込みの時点で彼は、翌日ジークブルクの Kubana で行うライヴのリハーサルを終えたばかりだった。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Relief in engineering! Patrick Klose replaces Thomas Nack.」(Internet Archive 保存版)

バンド名にもなった「IRON SAVIOR」とは、物語の中では惑星軌道上に築かれた巨大な防衛ステーションの名である。公式の設定では、アトランティスの最高評議会が同盟勢力に対抗するため大規模な防衛計画を発注し、以後50年をかけて建造された。この機械の特徴は、航行を司る CPU に加えて「バイオ・ユニット」と呼ばれる有機的な構成要素を持つことだった。日常の航行は CPU が担い、倫理的・道徳的な判断はバイオ・ユニットが受け持つ。最終的にはバイオ・ユニットこそが機械の真の主人となるはずだった。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「The Whole Iron Savior Story」(Internet Archive 保存版)

物語の発端には一人の技術者がいる。ランドール・カルドラノックはこの計画の中心にいた天才で、搭載される航行プログラムをすべて自ら開発した。彼は自分の脳を提供して機械と直結することを望んだが、評議会は彼に偏りがあると見て拒否する。この挫折が彼の人格を崩し、深い抑うつの末に計画から外された。そして IRON SAVIOR が始動したとき、彼は自国を裏切り、設計図を同盟側に渡した。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「The Whole Iron Savior Story」(Internet Archive 保存版)

アトランティスの滅亡は、皮肉なことにプログラムのささいな誤りから始まる。カルドラノックが仕込んだ秘密のプログラムによって機械は同盟の手に落ち、アトランティス艦隊は月基地ごと壊滅した。決死の作戦で機械は同盟の支配から切り離されたものの、そのプログラムは無効化できず、アトランティスは機械を破壊するのではなく銀河へ送り出す道を選ぶ。ところが搭乗員がプログラムを打ち込む際の小さな、しかし致命的な誤りにより、航海は350年ではなく35万年に及ぶことになった。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「The Whole Iron Savior Story」(Internet Archive 保存版)

帰還は西暦2106年である。半径9マイルの巨大構造物が地球の軌道に入り、理解できない言語で通信を送りつけたのち砲撃を開始する。35万年の航海のあいだにバイオ・ユニットは休眠状態へ落ちており、機械を制御していたのは CPU だけだった。CPU は古い最優先指令——アトランティスを守り同盟を屈服させよ——に従っていたが、そのアトランティスがすでに存在しないため、アトランティスは破壊され同盟が地球を支配していると誤認する。攻撃はその誤解から始まった。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「The Whole Iron Savior Story」(Internet Archive 保存版)

物語はそこで終わらない。公式の記述では、CPU は長い航海のあいだに独自の知性を獲得しており、バイオ・ユニットとの果てしない沈黙の対話の末、自らの意思で古いアトランティスの指令を回避し消去する。誤りを認識した IRON SAVIOR は地球に戻り、今度は人類を攻撃するのではなく、別宇宙から侵入してきた「シャドウ」の艦隊に砲を向けた。機械が指令ではなく判断で動いた瞬間である。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「The Whole Iron Savior Story」(Internet Archive 保存版)

西暦2197年、物語には PROTECTOR という第二の巨艦が現れる。その正体は IRON SAVIOR の設計者ランドール・カルドラノックだった。核による破局の直前に宇宙へ逃れた彼は、遠い惑星で仲間とともにもう一つの機械を建造し、今度は誰にも奪われることなく自ら機械と融合した。脱出の直前に浴びた強い放射線が彼の遺伝子を変え、多くの生命体を精神的に支配する力を与えたのだという。ただし同じ放射線を浴びたアトランティス人の末裔である地球人だけはその力が効かず、それが彼の敗因になる。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「The Whole Iron Savior Story」(Internet Archive 保存版)

公式に書かれた物語は西暦2356年、アンドロメダ星雲まで到達する。連邦は次元をまたぐ推進機関 TDD を開発し、旗艦 THUNDERBIRD がアンドロメダに初めて到達した。そこで乗員が耳にしたのが、現地の人々が古くから避けてきた「鋼鉄の領域」と、その中心にある機械だけの世界 MACHINE WORLD の噂である。かつて戦争を機械に任せた人々が兵器によって滅び、残された機械は生き延びて進化するという指令だけに従って何百万年も存在し続けていた。物語は、知性を持つ機械と交渉するには機械が適任だという理屈で IRON SAVIOR を先頭に艦隊を送るところで「続く」と締めくくられている。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「The Whole Iron Savior Story」(Internet Archive 保存版)

10作目『Kill or Get Killed』は、アートワークも歌詞も過去のコンセプト作より暗い。理由はピート自身が説明している。何か新しいことをやりたくなり、異星文明による人類の絶滅を扱ったSF小説『Der Stern der Pandora(パンドラの星)』から着想を得たのだという。アルバムをひと言で表すよう求められた彼は、北ドイツ人らしい控えめさで「やる気があったし、努力した」とだけ答えている。

出典: AFM Records ニュース「IRON SAVIOR To Release New Album」

『Skycrest』の先行シングル「Our Time Has Come」の歌詞は、IRON SAVIOR の物語の一部である。ピートの説明では、この曲が描いているのはアトランティス大陸が崩壊する直前の状況だという。自分の歌詞はいつでも人生や、たとえフィクションであっても自分の世界観を土台にしている、と彼は述べたうえで、何かの隠喩と受け取るのも単なるファンタジーと受け取るのも聴き手次第だと付け加えている。

出典: マーキー/アヴァロン公式note ピート・シールク インタビュー

同じインタビューでピートは『Skycrest』の収録曲を一曲ずつ短く説明している。「Skycrest」は IRON SAVIOR という器そのものの凄みと力について、「Souleater」は悲しみに向き合い魂を蝕むものを打ち砕くこと、「There Can Be Only One」は映画『ハイランダー』の1作目を土台にした曲、「Silver Bullet」は狼男の話、「Raise The Flag」はメタルへの愛、「End Of The Rainbow」は年を重ねて変化に対処し行き先を決めることについて、そして「Ode To The Brave」はあらゆる英雄と剣と刃に捧げる歌だという。

出典: マーキー/アヴァロン公式note ピート・シールク インタビュー

『Skycrest』のバラード「Ease Your Pain」は、ベースのヤン=S・エッカートが作詞作曲し、自ら歌っている。ピートによれば、ヤンは自分の癌とそれがもたらしたものを表現するためにこの曲を書いた。本人が感じた絶望よりも、パートナーが感じた痛みのほうが耐え難かっただろう、というのがピートの見方である。彼はこの曲を、きわめて個人的でありながら大胆な曲だと評し、『Unification』収録の「Forevermore」以来の IRON SAVIOR 最高のバラードだと語っている。

出典: マーキー/アヴァロン公式note ピート・シールク インタビュー

『Skycrest』の3枚目のシングル「Raise The Flag」は車を使ったヴィデオになったが、ドラマーのパトリック・クローゼは映っていない。撮影地がハンブルクだったのに対し、彼が住むエッセンは500キロも離れており、当時の移動制限のもとでは参加できなかったためである。バンドはその代わり、彼の写真を表示した iPad を車に乗せて撮影した。同じコンセプトのヴィデオは前作でも作られており、今回はファンからの要望が多かったので再び作ったのだ、とピートは語っている。

出典: マーキー/アヴァロン公式note ピート・シールク インタビュー

『Titancraft』の「Way Of The Blade」のヴィデオは、エルントテブリュックにある冷戦期の指揮所「バンカー・エーリヒ」で撮影された。監督のライナー・“ツィップ”・フレンツェンによる撮影記によれば、室温は一定で摂氏5度、日光は一筋も入らず、週末にもかかわらず16時間を超える過密な日程だった。彼は曲名から城や要塞のような場所を思い浮かべていたが、バンドの見方はまったく違ったのだという。英雄と怪物を真面目にやるのではなく、近未来的な雰囲気の撮影地を選び、ジャケットの世界観と、バンドがSF好きであることの両方に合わせた。硬派なヒーロー像とトラック一台分の皮肉と自嘲を同居させる、というのがその狙いだった。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Videodreh: der Bunker ruft!」(Internet Archive 保存版)

同じ撮影記は、このバンカーがメタルのヴィデオでは常連の場所であることも記している。所有者のラルフ・パスバッハは今回も多くの自由を認め、手厚く面倒を見てくれた——MASTERMIND の「Keep Your Dreams Alive」、BRAINSTORM の「Firesoul」、SINBREED の「Bleed」でも同じ撮影班がここを使っている。60年代の核シェルターで、かつては兵士がヨーロッパの空を監視し、無数の人間の生死がそこから決まりえた場所である。そういう暗い過去を持つ場所がいまは前向きなことのために使えるのが嬉しい、と監督は書いている。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Videodreh: der Bunker ruft!」(Internet Archive 保存版)

バンド初のライヴ作品『Live At The Final Frontier』の題は、アートワークを描いたフェリペ・マシャド・フランコが考えたものである。最終ミックスを納めた日にピートが書いた文章によれば、フェリペは殺人的なアートワークを仕上げただけでなく完璧な題名まで出してきた。アイアン・メイデンに『The Final Frontier』というアルバムがあることは百も承知だが、自分たちはこれだけ長くSFをやってきたのだからこの題は必然だ——アートワークを見ればこれ以上ふさわしいものは思いつかない、というのが彼の書き方だった。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「LIVE AT THE FINAL FRONTIER」(Internet Archive 保存版)

2007年の『Megatropolis』のドラム録音は、ハンブルク近郊の Karo Studio で2月5日から8日にかけて行われた。公式サイトのスタジオ・レポートによれば、どのスタジオで録るかは直前まで決まっていなかった。この場所は HAMMERFALL、FREEDOM CALL、BLIND GUARDIAN、GRAVE DIGGER、SAXON、MOTÖRHEAD といったバンドが録音してきたところで、IRON SAVIOR もそれまで何度も使っていた。基礎となるラフなキュー・トラックは、すでに Powerhouse Studio で録り終えてあった。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Studioreport 2007 – Part One (Drums)」(Internet Archive 保存版)

同じセッションで、トーマス・ナックはまったく新しいドラム・セットを使った。パール Masters Custom(色は Midnight Fade)である。レポートはこのときの音を、それまでのアルバムより「まっすぐ」で、打った後の余韻を短く切ったエッジの立つ響きだと説明している。タムの裏面に貼ったテープでその処理をしており、より現代的な感触が加わったという。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Studioreport 2007 – Part One (Drums)」(Internet Archive 保存版)

『Megatropolis』が全体として暗く響くのには理由がある。公式サイトのスタジオ・レポート第2回で、ベースのイェンツ・レオンハルドは、ベースとギターがすべて3半音下げてチューニングされているためアルバム全体が暗く聴こえるのだと説明している。録音の前には、この低いチューニングと太い弦に合わせてサドルとブリッジを大きく調整する必要があった。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Studioreport 2007 – Part Two (Bass)」(Internet Archive 保存版)

そのセッションでイェンツ・レオンハルドが弾いたのは、ワーウィックの Buzzard JE Ltd. だった。THE WHO のジョン・エントウィッスルが設計したシグネチャー・モデルで、彼はマルクノイキルヒェンにあるワーウィックの工場の受付にこのベースが掛かっているのを見つけ、丸一日ショールームで弾き込んだのだという。録音のためにワーウィックが現物を送ってくれたので、自分専用のカスタム・モデルを注文する前に試すことができた。スタジオで使った個体はナチュラルの高艶仕上げにゴールドのハードウェアだったが、彼が注文するのはブラック・オン・ブラックになる予定だった。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Studioreport 2007 – Part Two (Bass)」(Internet Archive 保存版)

同じレポートは、その前作『Battering Ram』でイェンツが楽器を次々に替えていたことも書き留めている。ギブソンのサンダーバードで始め、フェンダーのプレシジョンに移り、次にミュージックマンのスティングレイを試し、最終的にはピートが持っていた古いヤマハのスタジオ・ベースで録り終えたのだという。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Studioreport 2007 – Part Two (Bass)」(Internet Archive 保存版)

同じセッションでは、トーマス・ナックがそれまで聴いたことのない新曲も持ち込まれた。仮題は「Piesel s' hit 2007」。レポートの筆者はこれを少しプリースト風で、ドラム・パートは自分の好きな「Condition Red」を思い起こさせると書いている。アルバムの中でこの曲だけが他と毛色が違う一曲だったという。トーマスはその場でアレンジを書き取り、少し後には録音に入っていた。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Studioreport 2007 – Part One (Drums)」(Internet Archive 保存版)

長い休止のあと、IRON SAVIOR は2011年8月にスタジオへ戻った。公式サイトによれば、トーマス・ナックは7月末にオランダのパール・ドラムを訪ねて新しい機材を見繕っており、8月末に元ガンマ・レイのベーシストであるヤン・ルーバッハが構えるハンブルクの Rekorder Tonstudio でドラム・トラックを録音した。トーマスはこのとき、過去3年間メタルが恋しかったと述べている。プロデュースは今回もピートが担当した。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Iron Savior entered the studio in August 2011」(Internet Archive 保存版)

2013年10月、ピートは次作に向けた作業を公式サイトで報告している。『The Landing』のときと同様に、古い IRON SAVIOR の曲を2曲、いまの形に作り直して再録音するつもりであり、どの曲が聴きたいかフォーラムか Facebook で提案してほしいとファンに呼びかけていた。ドラムは翌週からヤン・ルーバッハの Rekorder スタジオで、また彼にとって文句なしにお気に入りのドラマーであるトーマスと録るのだと書いている。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Shaping up old songs & recording drums for new release」(Internet Archive 保存版)

『Skycrest』は昔ながらのやり方で録られた。ピートによれば、それまでの作品では個別に録ることもあったが、この作品ではほぼすべての録音を Powerhouse Studio に集まって行った。そのほうが生の臨場感が出るから、というのが理由である。

出典: マーキー/アヴァロン公式note ピート・シールク インタビュー

「Souleater」のヴィデオでピートが白いソーラーのギターを弾いているのには経緯がある。前年に偶然ソーラーのギターに出会って気に入り、Blind というモデルをオーダーしたのだという。届いた個体は完成度、サウンド、見た目のすべてが自分の要求を満たす素晴らしい楽器だったと彼は語っている。それまで使っていた B.C. Rich を手放したわけではなく、『Skycrest』ではリズム・ギターの左チャンネルにソーラー、右チャンネルに B.C. Rich という組み合わせが聴ける。

出典: マーキー/アヴァロン公式note ピート・シールク インタビュー

『Firestar』の輪郭は、録音の終わり際にひっくり返された。ピートによれば、アルバムの骨格はすでに固まっており、いつも通りの水準で仕上がるはずだった。ところは録音が終わる直前に、青天の霹靂のように霊感が降りてきたのだという。彼は短期間のうちに何もないところから2曲を書き足し、さらに勢いで3曲目を書き換えた。その結果『Firestar』はもう一段上へ行った、というのが本人の言い方である。この予想外の創作の噴出は自分に大きな感情を引き起こした、とも彼は認めている。

出典: AFM Records ニュース「IRON SAVIOR - Firestar」

再発は単なる復刻ではなく、新しいミックスと多数の再録音を伴う『Megatropolis 2.0』として2015年4月24日に出た。公式サイトは同時に、バンド史上初のライヴ DVD/CD の発表も控えていることを伝えている。ピートは最初の再発告知の時点で、すでに「The Omega Man」と「Megatropolis」が仕上がっていて太い音になっていると書いていた。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「IRON SAVIOR to release Megatropolis 2.0 album in April」(Internet Archive 保存版)

最初の1枚『Reforged - Riding On Fire』は19曲入りの2枚組になった。AFM Records によれば選曲はバンドが CD に刻んできた中でもっとも人気があり優れた曲からなり、新録音はピートの新しいミックスと相まって原曲より力強く鋭くなりながら、曲の性格は損なわれていない。需要が高まった背景も同社は明かしている——2016年の『Titancraft』でバンドがそれまでで最大のチャート成果を挙げて以降、初期作品への関心も目に見えて強まっていた。旧曲を入手できる状態に保つことは、バンドにとって大きな関心事だったという。

出典: AFM Records ニュース「Reforged - Riding On Fire out in December!」

2017年7月、ピートは「Noise 時代」の大規模な再録音企画が最終段階にあることを公式サイトで伝えている。彼が例として挙げたのは「Riding On Fire」「For The World」「Warrior」「Titans Of Our Time」「Battering Ram」「Iron Savior」「Watcher in the Sky」で、いずれもフル・ヴァージョンで新たに録り直されると書いていた。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Iron Savior heading for Spain & Noise-Years」(Internet Archive 保存版)

『The Landing』の発売前、AFM Records は変わった形のカウントダウンを行った。2011年11月10日からアルバムの曲を1日1曲ずつ SoundCloud に上げ、それぞれ24時間だけ聴ける状態にして、期限が切れると次の曲に差し替えていくというものである。ピートが公式サイトで告知した初日の曲は「Starlight」で、この1曲だけは例外的にそのまま公開され続けた。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Countdown for release of The Landing」(Internet Archive 保存版)

2011年10月、バンドは AFM Records との契約と新作『The Landing』を同時に発表した。公式サイトの告知は、この作品が2002年の『Condition Red』を録ったときと同じ顔ぶれで作られたことをはっきり書いている。発売日は2011年11月18日で、先行して「Heavy Metal Never Dies」がストリーミングで公開された。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Iron Savior unveil Infos of Upcoming Release」(Internet Archive 保存版)

『The Landing』は発売からちょうど10年後の2021年11月19日、10周年記念エディションとして再発された。AFM Records によれば、この盤は3曲のボーナス・トラックを加えただけでなく、ピート・シールク自身が新たにミックスとマスタリングをやり直しており、アートワークもフェリペ・マシャド・フランコの手で作り直されている。同社はこの作品をバンドで最も成功した1枚に数え、当時の IRON SAVIOR にとってある種の復活の号砲だったと位置づけている。

出典: AFM Records ニュース「The Landing (10th Anniversary Edition)」

『The Landing』が初めてアナログ盤になったのは2017年5月26日である。公式サイトによれば、AFM Records が用意したのは「Pale Blue」と「Clear Orange」の2色で、いずれも180グラムの重量盤、各250枚限定だった。既発のジュエル・ケース CD とデジパックも引き続き入手可能だと案内されている。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「The Landing album released on Vinyl!」(Internet Archive 保存版)

『Kill or Get Killed』の発売は、当初の予定から1週間ずれた。AFM Records は2019年3月12日の告知でその遅れを詫び、つなぎとして収録曲「Stand Up And Fight」の特別なヴィデオを公開している。新しい発売日は2019年3月15日で、同社はこの作品をハンブルクのパワー・メタル・コンボにとって10枚目のスタジオ・アルバムだと紹介している。

出典: AFM Records ニュース「Kill Or Get Killed on March 15th, 2019」

2006年12月、バンドはブレーメンの Aladin で予定していた「X-Mas Metal-Fest」への出演を取りやめた。公式サイトの告知によれば、地元のプロモーターが契約上の支払いを一切行わないまま、12月20日正午の期限を迎えたためである。ここで例外を作れば他のプロモーターも IRON SAVIOR には支払わなくてよいと考え始めかねない、というのが彼らの説明だった。ブレーメンではまだ一度も演奏したことがなく全員が楽しみにしていた公演だっただけに残念だ、とも書かれている。この告知の末尾で、次のアルバムが『MEGATROPOLIS』という題で2007年春に出る予定であることが明かされた。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Iron Savior have to cancel X-Mas Metal-Fest show」(Internet Archive 保存版)

2013年1月、ピートは公式サイトに短い書き込みを残している。友人であるハンブルクの PARAGON と組んだ土曜の公演に向けて、翌朝10時30分からリハーサルに入るところだった。彼はこの日を「何年ぶりかのハンブルクでのライヴ」と呼び、Knust まで来られるなら全力で吹き飛ばすと書いている。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Rehearsal & Gig with Paragon in Hamburg」(Internet Archive 保存版)

IRON SAVIOR とロシアの関係は2012年4月に始まっている。サンクトペテルブルクとモスクワの2公演を終えたピートは、モスクワでの技術的なトラブルには目をつぶるとしてもショウは本当に良く、ファンは素晴らしかったと公式サイトに書いた。彼はまた、YouTube で「Iron Savior live」を検索すればモスクワのセットのほぼ全編が出てくる——「ギター・アンプ修理の歌」まで含めて——と面白がっている。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Iron Savior on the road from Moskau」(Internet Archive 保存版)

2014年末、バンドは再びモスクワを訪れている。公式サイトに載ったピートの報告によれば会場は Club Volta で、バックラインを提供したサポートの Shadow Host と、実現に動いた Delta Mekong Concerts に謝辞が向けられている。この日のセットリストには「Last Hero」「Starlight」「The Savior」「Condition Red」「Heavy Metal Never Dies」「Atlantis Falling」などが並び、最後は「Breaking The Law」で締めくくられている。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Our trip to Moscow 2014」(Internet Archive 保存版)

イタリア・トリノのパワー・メタル・バンド AIRBORN が結成20周年を祝った2015年の大規模な公演で、トリを飾ったのは IRON SAVIOR だった。公式サイトの告知によれば、ピート・シールクは AIRBORN の活動のごく初期からプロデューサー兼エンジニアとして関わってきた間柄である。この日の AIRBORN の演奏は、後日のライヴ DVD 用に収録・撮影された。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Airborn: 20 Years Metal Festival with Special Guest Iron Savior」(Internet Archive 保存版)

『Titancraft』は2016年5月20日に発売され、その5日後の5月25日にハンブルクの Logo で「アフター・リリース・ショウ」が行われた。公式サイトの告知によれば、当日は CD、デジパック、クリア・ヴァイナル、ファンボックスという全形態に加えて新しい『Titancraft』の T シャツも持ち込まれ、バンドは写真やサインにも応じるとされていた。この夜のゲストは、以後も IRON SAVIOR と行動を共にすることになるイタリアの AIRBORN だった。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Titancraft Release-Party, 25th May 2016 @ Logo, Hamburg」(Internet Archive 保存版)

2016年の年明け、ピートは次作の作曲状況を Facebook で報告し、それが公式サイトにも転載された。この時点でできていたのは、スピード・クラッシャーが1曲、「I've Been To Hell」並みの速度で骨を砕くアップテンポが1曲、地獄のワルツが1曲、キラー・ロッカーが1曲、そしてよりプログレッシヴなミディアム・テンポの怪物が1曲。目標は IRON SAVIOR の水準を満たす曲を10〜11曲そろえることだと彼は書いている。アイデアはたくさんあるがすべてを正しい形に流し込むのは容易ではない、作曲の神に見放されなければ2016年の第1四半期、遅くとも第2四半期には出せるだろう——というのがその見通しだった。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Ice Rock Festival & Songwriting」(Internet Archive 保存版)

『Titancraft』の発表は2016年3月に行われた。公式サイトが引用した AFM Records の告知によれば、作品は5月20日発売で、CD、デジパック、限定クリア・ヴァイナル、限定ボックス・セットの各形態が用意された。カヴァー・アートワークは今回もフェリペ・マシャド・フランコによるものである。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Upcoming Release Titancraft」(Internet Archive 保存版)

2009年、IRON SAVIOR はドイツの青少年ボート・クラブを支援する慈善企画「Stars for Charity: Yes We Can 2」に参加した。公式サイトの告知によれば、SAXON、ガンマ・レイ、EDGUY、STORMWARRIOR ら多数のバンドとともにサイン入りの CD や写真、サイン入りのドラム・ヘッドやスティックといった品を提供し、オークションの収益は全額、子どもたちの新しい一人乗りボートの購入に充てられることになっていた。IRON SAVIOR の出品分は2009年10月15日から始まった。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Stars for Charity: Yes We Can 2」(Internet Archive 保存版)

公式サイトが掲げたバンド紹介によれば、IRON SAVIOR がチャートに最初に食い込んだのは2枚目の『Unification』で、ドイツのチャートのトップ100入りを果たした。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Rise Of The Hero Album Infos」(Internet Archive 保存版)

AFM Records はバンドの紹介文で、チャートでの成果として2016年の『Titancraft』と2019年の『Kill Or Get Killed』を名指ししている。同じ文は、アンセム「Heavy Metal Never Dies」が750万回を超えて再生されていることを、ハンブルクの彼らが正しい道にいる証拠として挙げていた。

出典: AFM Records アーティストページ

「Heavy Metal Never Dies」の再生数は、レーベルの文章を並べると伸びが追える。AFM Records は2020年10月の『Skycrest』発表時に750万回超と書き、2021年10月の『The Landing』10周年盤の告知では、この曲がそれまでに1000万回をはるかに超えて再生されてきたと記している。バンドの公式サイトはさらに進んで、この曲が Spotify だけで1500万ストリームを突破したと掲げている。

出典: AFM Records ニュース「The Landing (10th Anniversary Edition)」

公式サイトのニュース欄は、2023年の『Firestar』がドイツのチャートに34位、スイスのチャートに56位で初登場したことを伝えている。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト

同じ「Dance With Somebody」について、AFM Records も公式サイト経由で経緯を伝えている。ピートは、この曲はもともと限定盤のボーナス・トラックとして録音したが、あまりに気に入ってしまったので通常のアルバム収録曲にすることに決めた、と認めている。ハンブルクのバンドがマンド・ダイアオをカヴァーするとは誰も予想しなかっただろう、というのが同社の紹介の仕方だった。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Rise Of The Hero Release Info & CD Release Show」(Internet Archive 保存版)

『Rise of the Hero』の発売にあわせて、バンドは2014年2月26日に地元ハンブルクで特別なリリース公演を行った。会場はザンクト・パウリの Rock Café で、ピートはその直前のインタビューで、そこでは特に良い状態で臨みたいと語っている。

出典: IRON SAVIOR 公式サイト「Rise Of The Hero Release Info & CD Release Show」(Internet Archive 保存版)

『Kill or Get Killed』を携えたツアーは、ピートの記憶では25回ほどの公演を数えた。その最終公演は2020年2月のロシアだったという。以後は感染症の広がりでライヴが止まり、彼は同じインタビューで、実際のファンの前に立つことと、カメラの前で演奏することは同じではないと述べつつ、それでも何もしないよりは良いとして、1月9日に世界へ向けたストリーミング・イヴェントを行うつもりだと語っている。

出典: マーキー/アヴァロン公式note ピート・シールク インタビュー

デビューから20年以上を経ても声が衰えない秘訣を問われたピートは、実務的な答えを返している。数年前に煙草をやめたこと、デビュー初期よりヴォーカル・テクニックを駆使するようになったこと、そしてできる限り体を絞るよう心がけていることの三つである。

出典: マーキー/アヴァロン公式note ピート・シールク インタビュー

他のバンドのプロデュースを引き受けるときの基準についても、ピートは同じインタビューで答えている。大まかな基準は時間で、IRON SAVIOR で常に手一杯なので他のことに割ける時間が少ない。加えて、ある程度のプロとしての水準と、音楽のジャンル自体が重要だという。デス・メタルはできない、そのジャンルのファンではないし、どうすれば正しくできるのかも分からないから——クラシック・メタルやパワー・メタルの周辺ならよく知っている、というのが彼の説明である。

出典: マーキー/アヴァロン公式note ピート・シールク インタビュー

カイ・ハンセンとトーメン・スタッシュが最初のラインナップに加わった理由は、話題性ではなく実務だった。ピートは当時、自由に組み立てるギター・ソロが自分の得意分野ではないと考えており、旧知のカイにソロを弾いてもらえないかと頼んだ。カイは持ち込まれた曲を気に入り、久しぶりに一緒に音を出すこと自体を楽しんだという。ドラムについては、当時ピートが BLIND GUARDIAN と近い距離で仕事をしていたため、トーメンに声を掛けるのが自然な流れだった。こうして最初の顔ぶれが決まった。

出典: Metal-Rules.com ピート・シールク インタビュー

2枚目以降を出す計画は当初なかった。ピートは後年、あれは友人同士のプロジェクトそのものだったと振り返っている。最初から本気でバンドを組むつもりだったなら、時間の取れないことが分かりきっているカイとトーメンを選ぶはずがない、というのが彼の説明である。

出典: POWERMETAL.de ピート・シールク インタビュー(『Battering Ram』期)

プロジェクトがバンドになったのは、デビュー作が出たあとに事態が勝手に転がり始めたからだった。ピートによれば、リリース後にすべてが一変し、彼の計画になかった勢いが生まれてしまった。もはやバンドを用意するしかないが、カイもトーメンも写真に全員写っていて演奏もしている以上、いまさら「この二人はメンバーではない」とは言えなかった——本人はその状況をそう説明している。

出典: POWERMETAL.de ピート・シールク インタビュー(『Battering Ram』期)

ピート・シールクとカイ・ハンセンの縁はハロウィン以前にさかのぼる。二人はインゴ・シュヴィヒテンベルク、マーカス・グロスコフとともに、のちにハロウィンへつながる GENTRY、SECOND HELL、IRON FIST といったバンドでギターと歌を担当していた。ピート自身はハロウィンに在籍したことはない。

出典: Solar Guitars アーティスト・ページ(ピート・シールク)

GENTRY / IRON FIST / SECOND HELL の系譜から先に抜けたのはピートのほうで、残ったカイ・ハンセンの側からハロウィンが生まれた。カイが最初のハロウィンの作品を見せてくれたとき、自分は素直に嬉しかった、とピートは振り返っている。当時の彼は音楽のことをそれほど考えておらず、関心はむしろ女の子のほうにあったという。あのとき残っていればという後悔はなく、年に200日ツアーに出る生活は自分の望むものではない、と語っている。

出典: Metal-Rules.com ピート・シールク インタビュー

ピートがプロデューサーとして最初に大きく関わったのはガンマ・レイのデビュー作『Heading For Tomorrow』だが、そこに至った経緯は偶然に近い。当時の彼はロサンゼルスに拠点を置き、通っていたオーディオ・エンジニアリングの学校を「学ぶことが少ない」と見切って辞めたところだった。家族の用事で一時帰国し、より良い学校に入り直すつもりでいたところをカイに説得され、ハノーファーでガンマ・レイの1作目に携わることになる。滞在は5か月近くに及び、この時期に多くを学んだと本人は語っている。

出典: Metal-Rules.com ピート・シールク インタビュー

ミュージシャンとして表に出る前のピートは、レコーディング・エンジニア/プロデューサーとして SAXON、BLIND GUARDIAN、URIAH HEEP、GRAVE DIGGER、そしてガンマ・レイといったバンドの現場を渡り歩いていた。演奏する側へ本格的に戻ったのは1995年である。

出典: Solar Guitars アーティスト・ページ(ピート・シールク)

カイ・ハンセンの在籍は話題を呼ぶ一方で、バンドを彼の影に置くことにもなった。ピートによれば、IRON SAVIOR はガンマ・レイの取るに足らない分派と見なされ、しかも肝心なところ——例えば GRAVE DIGGER や RUNNING WILD とのツアーの機会——でカイは動けなかった。彼はこれをカイの落ち度とは考えていない。そうなることは全員に分かっていたことで、自分がもっと早く結論を出すべきだった、と語っている。

出典: POWERMETAL.de ピート・シールク インタビュー(『Battering Ram』期)

カイ・ハンセン抜きで作った『Condition Red』を、ピートはほとんど解放であり新たな出発だったと表現している。「カイ・ハンセンのいない IRON SAVIOR は無価値」という批評家の刻印がまったくの誤りであることを、その相手に証明したい——彼が挙げた原動力はそれだった。カイの貢献を軽んじるつもりはないが、バンドを形づくっていたのはカイではなくバンド自身だった、とも述べている。

出典: POWERMETAL.de ピート・シールク インタビュー(『Battering Ram』期)

別れの経緯についてピートは、レコード契約が決まってバンドが「本物」にならざるを得なくなったところから問題が始まったと説明している。最初のうちはうまく回っていたが、何年か続けるうちに、オファーを断るかカイ抜きでツアーに出るかのどちらかになり、この先も状況は変わらないと分かった。そこで袂を分かつことにした——当時は不評な決断だったかもしれないが、振り返れば賢明だった、というのが彼の総括である。

出典: Metal-Rules.com ピート・シールク インタビュー

ヤン=S・エッカートの復帰を、ピートは「失われた息子がようやく家に帰ってきた」ような感覚だったと表現している。イェンツが続けられないと決まったとき、真っ先に頭に浮かんだのがヤンだったという。長く一緒に歩いてきた距離を全員が改めて意識することになり、何年も経ったいま、それぞれが IRON SAVIOR に故郷のような感覚を結び付けている——大げさに聞こえるだろうが実際そうなのだ、と彼は付け加えている。

出典: POWERMETAL.de ピート・シールク インタビュー(マルセル・ラップ)

ライヴのオファーを取りこぼさないために、バンドは2011年から常設の代役を二人用意している。ヤンが動けないときは友人のウーヴェ・ゼーマンが、ピーゼルが動けないときは PARAGON のヤン・ベルトラムが入る。これによって以前より格段に柔軟になり、出演本数も増えた。二人がアルバムのクレジットにミュージシャンとして名を連ねているのはそのためだ、とピートは説明している。

出典: POWERMETAL.de ピート・シールク インタビュー(マルセル・ラップ)

2025年1月、ヤン=S・エッカートの脱退が発表された。ピートの声明によれば、これはヤン本人の希望によるもので、バンドは最終的にそれを受け入れざるを得なかった。後任には、それ以前にヤンが休養していた間すでに代役を務めていたパトリック・オピッツが、そのまま常任のベーシストとして就いた。

出典: BraveWords

ピートがもう一つのバンド SAVAGE CIRCUS について語る言葉は率直である。参加した当初は大きな可能性を感じ、良いアルバムを作って本物のバンドに育てるつもりで力を注いだ。良い瞬間もあったが、最後まで本当のバンドにはできなかった——実態はキャスティング企画のままで、自分だけが働き詰めだった、と彼は表現している。2枚作ったところで3枚目をやる気にはなれず、他のメンバーからの持ち込みがほとんど、あるいはまったくなかったことを理由に挙げている。

出典: Metal-Rules.com ピート・シールク インタビュー

IRON SAVIOR に戻ってきた理由についても、ピートははっきり述べている。4年ぶりに IRON SAVIOR をやってみて、自分がどれだけこれを恋しく思っていたか、どれだけ情熱を注いでいるかに気づいたのだという。SAVAGE CIRCUS はキャリアの中の興味深い一章で楽しんではいたが、自分の心臓は——気づいていない時期もあったにせよ——ずっと IRON SAVIOR のために鳴っていた、というのが本人の言い方である。

出典: Metal-Rules.com ピート・シールク インタビュー

『Megatropolis』(2007年)から『The Landing』(2011年)までの空白について、ピートは内訳を説明している。前半の2年は SAVAGE CIRCUS の活動に関わるもので、残る2009年と2010年は自身のレーベル Dockyard 1 の破綻に費やされた。会社が立ち行かなくなった後始末が長く続き、費用も精神的な負担も大きく、その間は新しい音楽を作る気になれなかったという。スタジオに降りて少し弾いてみることはあっても、そこから何も生まれなかった。

出典: BraveWords(カール・ベガイによるインタビュー)

停滞から抜け出す転機は2010年10月だった。ピートは Dockyard 1 に残っていたものを AFM Records とディストリビューターの Soulfood Music に売却し、そこでようやくトンネルの先に光が見えたと語っている。以後は気分が上向き、スタジオを片付けて再び居心地のいい場所に戻した。その作業が頭の中まで片付けてくれて、また曲が書けるようになったのだという。

出典: BraveWords(カール・ベガイによるインタビュー)

2026年、IRON SAVIOR は新たに Frontiers Music Srl と契約した。ピートは声明で、長年メタルの世界にいた自分にとって新しいパートナーと道を歩き出すのは特別なことであり、しかもこの一歩は過去に多くの音楽的経験を共有してきた旧知の仲間たちと再びつながることでもある、と述べている。同じ声明で、彼はバンドの30周年と新作の発表を一緒に祝うつもりだとも語った。

出典: Blabbermouth.net

ピートにはアメリカとの個人的なつながりがある。母親は30年以上サンフランシスコで暮らしており、アメリカ市民と結婚している。カリフォルニアは長らく彼にとって第二の故郷のような場所で、自身も一時期そこで生活していた。2014年のインタビューで、『Unification』のアートワークが届いたとき「サンフランシスコの母を訪ねて休暇中だった」と語っているのも同じ背景による。

出典: BraveWords

『Rise of the Hero』はコンセプト・アルバムではないが、アトランティス文明にまつわる物語が一本通っている。ピートの説明によれば、アトランティスにはほぼ不死の「英雄」たちがいて人類の運命を見守っていた。不死とはいえ殺すことはでき、最後の英雄が裏切りによって殺されたことが文明そのものの崩壊につながる。いつか英雄が戻って再び人類を救うと予言されていたが、戻るのは IRON SAVIOR 本体ではない。新たに創られたアバターの身体に宿ったバイオ・ユニットが「Last Hero」として死から蘇る、というのがこの作品の筋である。彼は「Last Hero」「From Far Beyond Time」「Thunder From The Mountains」「Firestorm」の4曲がこの物語の一部だと明かしている。

出典: POWERMETAL.de ピート・シールク インタビュー(マルセル・ラップ)

同じ作品の残りの曲は物語から離れている。ピートによれば、それらは「コンセプト抜き」で、ファンタジーから映画『キル・ビル』、そして自分の心を動かすごく普通の日常のことまで幅がある。

出典: POWERMETAL.de ピート・シールク インタビュー(マルセル・ラップ)

5作目『Battering Ram』で、ピートは意識的にコンセプト作品から離れた。SFの大ファンであることは変わらないが、宇宙船と悪い機械、エイリアン、銀河間の事件について「もう一度」歌いたくはなかった、というのが理由である。今回の歌詞は曲によく食いつくものにしたかった、と彼は述べている。内容はメタルが日常をどう左右するかについての彼自身の見方が中心で、それまでの非常に特殊で一部のファンには分かりにくかった歌詞と違い、比較的すんなり理解できるようにしたという。それでも物語の終了を惜しむファンのために、3曲だけは続きに充てられた。

出典: POWERMETAL.de ピート・シールク インタビュー(『Battering Ram』期)

『Battering Ram』の「Riding Free」は、当時のバンドの中でもっとも硬質な1曲になった。歌詞の主題はテロと戦争で、作曲の段階からそれは決まっていたとピートは語っている。題材が暗く不快であることに加え、当時の彼が報道に対して強い怒りを抱えていたことが、曲そのものを激しいものにした。毎日ニュースが死者と自爆攻撃ばかりを映す中で、自分には変えようがないという無力感が怒りになった——普段は世界を良くする使命など感じないが、このときは差し迫った作品を使って何かをするしかなかった、というのが本人の説明である。

出典: POWERMETAL.de ピート・シールク インタビュー(『Battering Ram』期)

2026年11月13日発売の『Deathbringer』は、IRON SAVIOR にとってコンセプト・アルバムの形式への回帰作である。プレスリリースが伝える筋書きはこうだ——200年の平和ののち、銀河は再び瀬戸際に立たされる。人類の古い敵である昆虫型の種族「シャドウ」が戻ってきたのである。巨艦 Deathbringer の内部では、不死の女王が無数の世界の生命力を吸い上げて維持される永遠のデジタル巣に、自らの種族の最後の残滓を保存していた。IRON SAVIOR と連邦は、かつてないほど強大な敵と向き合うことになる。

出典: Blabbermouth.net

『Deathbringer』からの2枚目のシングル「The Creature's Tale」の題材はフランケンシュタインである。ピートは、この古典はこれまで何度も語られてきたが、生体遺伝子の操作と人工知能を抱えた現代においてもその魅力は失われていないようだ、と述べている。生命とは何かという問いはいまだ十分に答えられていない、というのが彼の見方である。直接のきっかけは2025年のNetflix映画で、とりわけ物語がクリーチャー自身の語りになる終盤に強く触発されたのだという。

出典: BraveWords

アートワークについてピートは、フェリペ・マシャド・フランコを「自分の思い描くカヴァーをほとんど即座に捉えられた初めてのアーティスト」だと評している。それ以前は他の描き手とも仕事をしてきたが、いつも複雑で、出来上がりが芳しくないこともあったという。とりわけ『Unification』と『Dark Assault』は、自分としては精一杯説明したにもかかわらず本当に失望する結果だった、と彼は述べている。フェリペとの仕事は自分の頭の中を読まれているような感覚だ、というのが彼の言葉である。

出典: Metal-Rules.com ピート・シールク インタビュー

『Unification』のアートワークが届いた日のことを、ピートは細かく覚えている。当時の彼はサンフランシスコの母を訪ねて休暇中で、ファイルは56kモデムで送られてきた。画面の上に少しずつ、拷問のような遅さで絵が組み上がっていくのを、彼はほぼ1時間見ていたのだという。

出典: Metal-Rules.com ピート・シールク インタビュー

フェリペ・マシャド・フランコがアートワークを担当するようになったのは2011年の『The Landing』からである。タワーレコードの記事はこの点を、同作から彼が担当し、それが近年の方向性を決定づけることになったと整理している。AFM Records も『Firestar』のリリース時に、フェリペは2011年から IRON SAVIOR と共同作業を続けてきたと記している。

出典: TOWER RECORDS ONLINE

フェリペ・マシャド・フランコを起用し続けることには、彼の作風が一目で分かるという理由での賛否があった。ピートはそれを承知したうえで、何をやるにせよ仕事に高い識別性があるのは悪いことではないと考えている、と答えている。アートワークを描ける人が彼しかいないわけではない、彼はそれが特別に上手いから多く依頼され、結果としてスタイルが目に付くのだ、というのが彼の整理である。自分の考えをほぼそのまま形にしてくれるので問題にならなかった、とも述べている。

出典: POWERMETAL.de ピート・シールク インタビュー(マルセル・ラップ)

『Firestar』のカヴァーに描かれているのは、2011年から登場し続けている IRON SAVIOR の宇宙船である。プレスリリースは、フェリペ・マシャド・フランコによるこの印象的なアートワークが作品を一段引き立てていると述べている。

出典: BraveWords

『Rise of the Hero』が当初の予定より半年ほど遅れたのは、ピート自身が課した重圧のためだった。前作を超えるのは難題だと最初から分かっており、それが彼を追い詰めて一時的に手を止めさせたのだという。結果として作曲に対してずっと厳しくなり、リリースが後ろにずれた。やがて適切な距離を取り直して自分にかけた重圧から自由になれたところで、アイデアが再び出てきたと彼は語っている。

出典: POWERMETAL.de ピート・シールク インタビュー(マルセル・ラップ)

IRON SAVIOR の制作にはピートが決めているいくつかの原則がある。彼はドラムの音をサンプルを一切使わずに作っており、静的なサンプルを重ねるより動的で生々しく保てるからだと説明している。コピー&ペーストもほとんど使わない。24本のコーラス・トラックを複製することはあるが、ベース、ドラム、ギターは原則として通しで演奏し、複製はしない。リード・ヴォーカルもおおむね同様だという。音楽をできるだけ生きたまま保つためだ、というのが彼の言い分である。

出典: POWERMETAL.de ピート・シールク インタビュー(マルセル・ラップ)

ギターの音についてピートは、ある種の企業秘密だと前置きしたうえで来歴を明かしている。さまざまなアンプとギターの組み合わせを長く試した末に辿り着いたもので、目標ははっきりしていた——『British Steel』と ACCEPT を混ぜ、そこに現代的な歪みを足した音である。困ったことに自分でその音を気に入りすぎて他のバンドのプロダクションにも使ってしまう、そのぶん自分の首を絞めているのだが、他人の仕事でひどい音を出すわけにもいかない、と彼は述べている。

出典: POWERMETAL.de ピート・シールク インタビュー(『Battering Ram』期)

アルバム『Firestar』のタイトル曲は、176 BPM という速度でバンド史上でも最速級の1曲になった。プレスによれば、デビュー作の力とアルバム『Condition Red』のエネルギー、そして古典的な手触りと現代的な音像を掛け合わせた大きな曲であり、長く再生機から離れないだろう——というのがピート自身の売り込みだった。

出典: BraveWords

自作を振り返ってどこを直したいかと問われたピートは、いくつかの作品について具体的に答えている。『Dark Assault』は、いまならプロダクションをまったく別のものにする——当時は『Unification』をどうしても超えたくて、あまりに壮麗に作りすぎたのだという。曲そのものは良いのに、時に耳障りな重厚さがその良さを出し切れていない、というのが彼の見立てである。だからこそ『Rise of the Hero』での再録音に「I've Been To Hell」を選んだと述べている。『Condition Red』と『The Landing』はそのままでいいとし、『Battering Ram』も、少し引っかかる作曲やアレンジを詰める程度で大きく変えるところはないとしている。

出典: POWERMETAL.de ピート・シールク インタビュー(マルセル・ラップ)

「Reforged」の構想は、企画が動き出す3年前のインタビューにすでに現れている。レア曲やカヴァー、日本盤ボーナス・トラックをまとめた作品集やボックスを考えたことはあるかと問われたピートは、実際にあると答えたうえで条件を挙げた。法的な理由でオリジナル録音は使えないので、『The Landing』や『Rise of the Hero』でやったのと同じやり方で録り直すことになる、と。彼が思い描いていたのは、代表曲を積み上げてこの先の何十年かに耐えるよう整えた2枚組だった。

出典: Metal-Rules.com ピート・シールク インタビュー

『REFORGED: IRONBOUND (VOL.2)』は2022年8月26日に AFM Records から出た。収録は23曲で、これは第1弾より明らかに多い。ピートによれば、第1弾への反応が良かったこと、そしてファンからの直接の反響によってまだ再録音の候補になる曲がたくさん眠っていると分かったことが、続編を考えるきっかけになった。第1弾を超えている、というのが彼自身の評価である。

出典: BURRN! ONLINE

「Reforged」シリーズは2025年8月の第3弾『REFORGED - MACHINE WORLD』で完結した。BURRN! ONLINE によれば、この完結編は Reigning Phoenix Music 傘下の新レーベル Perception から出ており、選曲は2000年代前半の楽曲が中心になっている。シリーズ全体はもともと、CD が在庫切れで入手困難になっていた Noise Records 時代の楽曲を、ファンの要望に応えて復活させる意味合いで始まったものだった。

出典: BURRN! ONLINE

「Reforged」の各巻は、末尾に置かれたカヴァー曲でも性格が分かれている。第2弾『REFORGED - IRONBOUND』は EURYTHMICS の「Sweet Dreams」という意外な1曲で締められ、完結編『MACHINE WORLD』はいかにも彼ららしくジューダス・プリーストのカヴァーで終わる。ただしその選曲は代表曲ではなく、1977年作『SIN AFTER SIN』収録の「Starbreaker」だった。BURRN! ONLINE は、IRON SAVIOR が以前『BRITISH STEEL』収録の地味な曲「Rage」もカヴァーしていることを引き合いに、ピートのプリースト愛の深さを指摘している。

出典: BURRN! ONLINE

『Condition Red』の限定盤には、購入者がライヴのチケットを1枚手に入れられるという企画が付いていた。ピートによれば発想自体は好評で、公演も観客もバンドも大いに沸いたのだが、準備の段階でいくつも不手際があった。手を組んだブッカーが良くなく、チケットに場所と時間の記載がまったく入らないという事態を招いたうえ、公演自体も9月から11月へ延期になった。それでも最終的には1晩あたりおよそ300〜350人のファンが集まって一緒に盛り上がった、と彼は述べている。

出典: POWERMETAL.de ピート・シールク インタビュー(『Battering Ram』期)

IRON SAVIOR がライヴに出る回数が少ないことには実務的な理由がある。ピートは自分にはスタジオがあり、ピーゼルはツアー・マネージャーやミキサー、ギター・テックとして頻繁にツアーに出ており、トーマスも他に多くのドラムの仕事を抱えていると説明している。日程を合わせること自体が難しいのだ、というのが彼の言い分である。

出典: POWERMETAL.de ピート・シールク インタビュー(『Battering Ram』期)

ツアーの組み方についてもピートは率直である。メンバーの多くには生活を支える本業があり、それを優先せざるを得ない。自力のツアーは金銭的に危うい商売で、とりわけアメリカでは最初の1音を出す前に旅費だけで数千ドルが飛ぶ。家族と子どもを抱えて何週間も無収入で家を空けるわけにはいかない、というのが彼の説明である。そこで彼らが選んだ解決策が、保証されたギャランティのある週末だけ演奏するという方式だった。

出典: Metal-Rules.com ピート・シールク インタビュー

2013年3月、北ウェールズで行われた Hammerfest V への遠征は、移動が散々だった。ピートの報告によれば、マンチェスターでレンタカーを受け取るのに1時間かかり、市を出たところで M56 でタイヤがパンクして立ち往生、それを直した後は1時間以上まったく動かない渋滞に捕まった。会場に着いたのは午後6時45分で、そのまま直接ステージへ駆け上がり、機材を組んで即座に演奏を始めたという。直前の緊張のせいでいくつかミスは出たものの、まずまずの内容で観客はとても温かく迎えてくれたと彼は書いている。

出典: BraveWords

『AWESOME ANTHEMS OF THE GALAXY』の選曲は、1980年代の英米メインストリームのヒット曲に徹底して絞られている。全17曲には、アイリーン・キャラの「Fame」と「What A Feeling」、A-ha の「Take On Me」、FRANKIE GOES TO HOLLYWOOD の「Relax」、フィル・コリンズの「Against All Odds」、JOURNEY の「Separate Ways」、PET SHOP BOYS の「Suburbia」、ALPHAVILLE の「Forever Young」、BLONDIE の「Call Me」などが並ぶ。バンドは A-ha の「Take On Me」については、有名なオリジナルのミュージック・ビデオをパロディにしたヴィデオまで作っている。

出典: BURRN! ONLINE

カヴァー集の路線について、ピートはそれが今回始まったものではないと述べている。ポップからメタルへの変換は、シールの「Crazy」と EURYTHMICS の「Sweet Dreams」で始めた流れの続きなのだという。出来上がったものは原曲の雰囲気を決して失っていないのに100パーセント IRON SAVIOR になっている、それを誇りに思う、というのが彼のコメントだった。

出典: BraveWords

2023年10月、ピートは治療を終えたことを報告した。手術は無事に終わり、術後の標準的な処置として3晩の集中治療を経たのち、医師団は経過に非常に満足しており、翌日には帰宅できそうだと書いている。彼が「ほとんど笑ってしまう余談」として付け加えたのは、化学療法があまりによく効いたため、取り出したのは完全に死んだ腫瘍の残骸だけで、生きた腫瘍細胞は一つもなかったという医師の説明だった。このあと彼は回復期間を置いて、念のための2回目の化学療法に臨む予定だと述べている。

出典: BraveWords

2025年、IRON SAVIOR は同年9月にアトランタで開かれる ProgPower USA への出演を取りやめた。ピート・シールクは公開した声明の中で、当時のアメリカの政治状況を理由に挙げ、自分たちはもうその国で安全とも歓迎されているとも感じられないと述べている。声明は、いつかより良い世界でアトランタに戻りたい、この決定を理解し受け入れてほしいという言葉で結ばれていた。

出典: BraveWords

この取りやめには反発もあり、ピートは数日のうちに補足の説明を出している。ファンを盾に政治的な声明を出したと責める声に対し、彼はそうではないと否定した。渡航しない唯一の理由は、9月には状況が今よりさらに悪くなっている可能性と、政府を公然と批判する立場の人間にとって危険になりうるという懸念だ、というのがその説明である。政治的な声明をするつもりも、誰かの感情を傷つけたり侮辱したりするつもりもなかった、この決定に至った経緯をそのまま伝えただけだ、と彼は書いている。

出典: BraveWords