GOTTHARD トリビア 全126件
GOTTHARDにまつわる事実を、出典付きで126件掲載しています。
Trivia
公式の公演記録には日本での公演が22本載っている。年でいえば1994年、1996年、2001年、2003年、2007年、2009年、2012年、2014年の8回の訪問で、最初が1994年7月29日のクラブチッタ、最後が2014年10月2日のTSUTAYA O-EASTである。
ハーレーでアメリカを走り抜けることはスティーヴ・リーの長年の願いで、過密なツアー日程のために何年も後回しになっていた。バンドの公式追悼ページによれば、一行は2010年10月5日、ラスヴェガスとメスキートのあいだの州間高速15号線で、機材のトラブルと降り出した雨のために路肩へ寄っていた。そこへ来たトラックの運転手が回避を試みたものの、トレーラーが停車中の5台をなぎ払い、そのうちの1台がリーに当たった。蘇生処置は20分続けられ、そこで中止された。
『Stereo Crush』は発売から10日後の2025年3月31日、スイスのアルバム・チャートで1位に立った。バンドは公式サイトでその報告を出し、レーベルのReigning Phoenix Musicもこの達成に加われたことを誇りに思うとコメントしている。
2025年7月20日、バンドはロカルノのピアッツァ・グランデで2005年のハレンシュタディオン公演を再現する催しを行った。最新のLED技術と記録映像によって、スティーヴ・リーがもう一度ステージに立つという趣向である。2023年のトリビュート公演が完売し、要望が続いたことを受けた企画で、会場にはリーが育ったティチーノ州が選ばれた。
『Stereo Crush』の「Liverpool」は、2025年11月7日にデュエット版として作り直された。歌うのはニック・メーダーとKROKUSのマルク・ストラーチェで、制作にはKROKUSの創設者でありGOTTHARDの長年の共同プロデューサー兼共作者だったクリス・フォン・ローがレオ・レオーニとともに加わっている。メーダーはストラーチェと舞台で歌うのは常に名誉だったと述べ、ストラーチェもスタジオで一緒に生で歌えたことを喜んでいる。
2026年、バンドは地元のサッカー・クラブFCルガーノのために2曲を書いた。「Lugano My Town」と「Bianconeri Alè」で、7月26日に新装のAILアレーナで行われたクラブのリーグ戦ホーム開幕戦でお披露目され、2026-27シーズンからホームゲームの定番になる。前者はキックオフ前にクラブと街と地域の結びつきを歌い、後者は選手入場に合わせて流れる曲である。
公式サイトには1992年から2025年までの公演記録が年ごとのタブで置かれている。日付・会場・都市・国だけの素っ気ない表が延々と続き、掲載されている公演は1,000本を超える。国別に数えるとドイツが347公演で最も多く、本国スイスの336公演をわずかに上回っている。
リーの死は本国スイスで前例のない現象を引き起こした。スイスのチャート史上はじめて、一組のアーティストのアルバム13枚が同時にトップ100に入ったのである。13枚はその時点でGOTTHARDが発表していたアルバムの全部だった。シングル・チャートも動き、「Heaven」が1位、「One Life One Soul」が4位に達し、合計9曲がチャート内に並んだ。
事故のあとバンドは年が明けるまで活動から退き、2011年2月1日になって続ける意思を表明した。レオ・レオーニは、まず痛みと向き合って落ち着ける場所を見つける必要があったと述べ、そのうえで自分たちにとってGOTTHARDは仕事ではなく人生そのものだと書いている。ヘナ・ハーベッガーは、探しているのは曲を蘇らせる声であると同時に、人として自分たちに合う相手だと条件を示した。
後任は2011年11月20日に発表された。選ばれたのはニック・メーダーで、1971年にローザンヌで生まれ、オーストラリアのメルボルンにも住み、スイスと「ダウン・アンダー」を行き来して育ったスイス人である。続けると決めてからの数か月で世界中から応募が殺到したとバンドは書いており、決定は満場一致だった。ヘナ・ハーベッガーは、探すのに長くかかったが会った瞬間に全員が確信したと述べている。
2024年10月8日、バンドはReigning Phoenix Music(RPM)との契約と、新作『Stereo Crush』の制作を同時に発表した。ニック・メーダーは、レーベル代表のスヴェン・ボグナーのもとに意欲と力のあるチームがそろっており、自分たちの音楽への熱意が決め手になったと述べている。レオ・レオーニが挙げたのはマーカス・ヴォスギーンの存在で、彼はGOTTHARDの多くの作品にすでに関わってきた人物だった。
最初の来日は1994年の夏で、7月29日から8月2日までの4公演だった。記録に会場名が入っているのは初日のクラブチッタだけで、残る3本は都市名しか残っていない。2枚目『Dial Hard』が出た年にあたる。
2度目の来日は1996年7月28日から30日の3公演で、名古屋と大阪のクラブクアトロ、そして新宿リキッドルームを回っている。3枚目『G.』が出た年である。
日本でいちばん本数が多かったのは2012年で、9月6日から11日までの5公演だった。渋谷AXの2連続に始まり、大阪、名古屋と回って、最後は広島クラブクアトロ。記録に残る22本の日本公演のうち、広島はこのとき一度だけである。ニック・メーダーを迎えた最初のアルバム『Firebirth』の年の来日だった。
日本公演22本のうち、会場名が記録に残っているのは16本。その16本でフェスティヴァルの名前が入っているのは、2009年10月18日のLOUD PARKだけである。残る6本は都市名しか残っていないので、そこに何があったかは公式の記録からは分からない。
『#13』の日本盤はマーキーから品番MICP-11540で出ている。発売は2020年3月18日で、世界での発売日である3月13日から5日遅れだった。
『Need to Believe』の日本盤はマーキーからSHM-CD仕様で、品番MICP-30017として2009年9月2日に発売された。ヨーロッパでの発売日である9月4日より2日早い。日本のリスナーが世界に先んじて聴けた数少ない例の一つである。
日本では『Domino Effect』からの「The Call」が単体のCDシングルとして発売されている。レーベルはAvalon、品番MICP-40008、発売は2007年9月5日だった。シングルを切ることが減っていた時期に、日本市場向けにフィジカルのシングルが用意されていたことになる。
スティーヴ・リーの追悼盤『Steve Lee - The Eyes Of A Tiger』の日本盤は、ワードレコーズから品番GQCS-90957として2020年10月16日に発売された。日本語解説書と歌詞対訳が付く仕様である。
『Stereo Crush』の日本盤はワードレコーズから品番GQCS-91576で、2025年3月21日に発売された。『#13』の日本盤が世界より5日遅れだったのに対し、こちらは世界と同じ日付である。
日本側で『Stereo Crush』を紹介した記事は、ニック・メーダーを迎えてから5作目にあたる点を最初に置き、5年ぶりの新作である点、そしてプロデュースとミックスがチャーリー・バウアファイントとレオ・レオーニ、マスタリングがサシャ・ビューレンである点を並べている。ヨーロッパ・ツアーの決定を受けて、日本公演への期待も高まると結ばれていた。
公式追悼ページの見出しは「Steve Lee - 5.8.1963 - 5.10.2010」という日付だけで構成されている。本文の締めくくりでバンドは、失ったのは世界屈指のロック・ヴォイスであると同時に、繊細で地に足のついた性格ゆえに周囲の人間へ常に敬意をもって接した友人だった、と書いている。
公式サイトのメンバー紹介ページには、今もスティーヴ・リーの欄がある。生没年と、伝道の書3章から引いた「すべてに時がある」という一節、そして「忘れられない、消えない。あなたの足跡は私たちの心に」という言葉が置かれ、追悼サイトへのリンクが添えられている。現メンバーの短い言葉が並ぶページの中に、その欄だけが別の時間で止まっている。
ビートルズの「Drive My Car」を録ることになったきっかけは、2年前のリハーサル室での雑談だった。カヴァー曲の候補を話しているうちにこの曲の名が出て、全員がビートルズのファンだったのでその場でジャムを始めたところ、すぐに手応えがあった。自前のスタジオを持っているのでほどなく録音まで進んだが、どこでどう出すかは決まっていなかった。前年に『Stereo Crush』の作業が本格化したとき、この曲がぴたりと収まってパズルの最後の一片になった——とフレディ・シェラーは説明している。
『Stereo Crush』は2025年3月21日に発売された。『#13』からほぼ丸5年、収録は12曲で、そのなかにビートルズのカヴァーも入っている。1月に公開された「Thunder & Lightning」はラジオでも動き、疾走する冒頭の「AI And I」からバラード寄りの「Burning Bridges」、来し方を振り返る「Liverpool」、ハープの入った「These Are The Days」まで、30年を超えるキャリアの手札が一枚ずつ置かれた作りになっている。
バンドは発売時のニュースに、各国の専門誌の評点を並べている。スウェーデン・ロック誌が9点、ドイツのロック・ハードが8.5点、イギリスのマイ・グローバル・マインドが9点、ドイツのハードライン誌が8点で、イギリスのファイアーワークス誌は、これで否定派も戻ってくるかもしれないと書いた。
レーベルの発表はその首位を数字で位置づけている。『Stereo Crush』でスイスのアルバム・チャート1位を取ったのは通算17回目、しかも13作連続だった。メーダーはファンへの謝辞として、この支持がまた自分たちをチャートの頂点へ押し上げたと書いている。
スイスのテレビ番組『Sing meinen Song』の第6シーズンには、マーク・リンとニック・メーダーの二人が参加した。放送は2025年3月17日から毎週月曜20時15分、チャンネルは3+で、番組では『Stereo Crush』収録の「Drive My Car」も取り上げられている。リンは、この種のテレビ番組には当初むしろ懐疑的だったが、あの親密な場での音楽家同士のやり取りと互いの音楽的な驚きは素晴らしい経験で、考えを全面的に改めたと述べた。
2025年のヨーロッパ・ツアーのスペシャル・ゲストにはY&Tが付いた。レオ・レオーニは、Y&Tは自分たちの若い頃のサウンドトラックだったと語り、その相手と同じステージに立てるのは夢がかなうようなものだと述べている。Y&Tのデイヴ・メニケッティも、ロックンロールが本物であり続ければ古びることはないという自分たちの持論を挙げ、この組み合わせは噛み合うとコメントした。
スイスの二大ロック・バンドが並ぶ「Rock Monsters of Switzerland」は、2017年の公演が完売したあと2024年に再び組まれた。GOTTHARDとKROKUSがダブル・ヘッドライナーとして3公演を行う内容で、6月27日にバーゼル、12月19日にベルン、12月20日にチューリッヒという日程が発表されている。
2025年8月6日、ツォフィンゲンで開かれる「マジック・ナイト」でオーケストラとの共演が組まれた。自分たちの曲にクラシックのオーケストラの厚みを重ねると何が起きるかを試す企画で、告知ではロックの聴き手にもクラシックの聴き手にも届く音になるはずだと書かれていた。
バンドの物販には、子ども向けのオルゴールがある。「Rock my Sleep」という製品にGOTTHARDの6曲をあらかじめ入れたもので、収録曲は器楽の子守唄に編曲されている。子どもが育って本物の音楽やオーディオブックに興味を持ったら中身を入れ替えられる作りで、GOTTHARDのポーチが付く。
『Stereo Crush』の予約は2025年1月20日に始まった。用意されたのはデジパックCD、ジュエルケースCD、赤いマーブル模様のヴァイナル、そしてデジタルの4形態である。
『Stereo Crush』からの3枚目の先行曲「Rusty Rose」は2025年2月21日にリリック・ビデオ付きで公開された。アルバム発売のちょうど1か月前である。
『Stereo Crush』ツアーの初日は2025年5月23日、ボーフムのルールコングレスだった。バンドは翌日の投稿で、新しく設計した舞台をクルーが記録的な速さで組み上げて配線したことに触れ、観客とスタッフの双方に礼を述べている。
2025年8月、ウスターのH2Uオープン・エアで急な代役の依頼が来た。出演予定だったマンド・ダイアオのシンガーが公演の24時間前に入院したためである。マネージメントが一晩かけてクルーを集め、数時間のうちにGOTTHARDのショウを成立させた。会場は完売しており、バンドは新しい顔ぶれを含むクルーの働きに謝意を示している。
2025年6月7日、バンドはスウェーデン・ロック・フェスティヴァルに出演した。この場所は過去にも何度も踏んでおり、公式の公演記録には2006年、2008年、2012年、2017年、そして2025年のセルヴスボリ公演が並んでいる。
「Burning Bridges」のミュージック・ビデオは2025年5月1日、チャート成績を祝う形で公開された。先行の3曲が受け入れられたあと、ストリーミングでこの曲が追い上げてきたことが制作の理由だったとバンドは説明している。
2025年9月22日に公開された「Ride The Wave」は、ミニ・アルバム『More Stereo Crush』の存在を告げる最初の曲だった。リリック・ビデオ付きで、発売までの数か月のあいだにさらに新曲と仕掛けが出てくると予告されている。
クリス・フォン・ローは、GOTTHARDとの関係を11年におよぶ濃密で実りのある仕事だったと振り返っている。曲名の由来についても彼が説明していて、駆け出しの頃にリヴァプールから来たビートルズに大いに助けられたこと、そして新曲を作るときはまず「まだ存在しない題」を探し、残りは自然についてくるという自分のやり方を挙げた。
『More Stereo Crush』は8曲入りのミニ・アルバムとして2026年3月13日にRPMから発売された。プロデュースは『Stereo Crush』と同じくチャーリー・バウアファイントとレオ・レオーニ、マスタリングはサシャ・ビューレン、アートワークはマヌエル・シュッツとトーマス・エワーハードである。
「Smiling In The Pouring Rain」は、ニック・メーダーの声を前に出した抑制的な曲である。レオ・レオーニはこの曲に前向きな空気を持たせたかったと語り、人生には悲しい時期もあるが遅かれ早かれ良いことは来る、だから自分のすることと自分自身を信じ続けてほしい、という趣旨を込めたと述べている。メーダーは、人生は終わりのないジェットコースターのようなもので、この曲は自分たちなりの「雨に唄えば」だという言い方をした。
『More Stereo Crush』の中身は、『Stereo Crush』のセッションから出た未発表曲5曲、それまで映像でしか聴けなかった「Mayday」、バラード「Burning Bridges」のラジオ・エディット、そしてマルク・ストラーチェとのデュエット版「Liverpool」という構成である。形態はMCD、限定ミニLP、『Stereo Crush』との組み合わせCDバンドル、デジタルの4種類が用意された。
この2曲の録音にはサポーターが参加している。バンドはFCルガーノのゴール裏、クルーヴァ・ノルドの面々と新しいAILアレーナで落ち合い、多くのヴォーカル・パートをその場で一緒に録った。結果として曲にはティフォージの声が混ざり、スタジアムの空気がそのまま入っている。クラブの副会長兼CEOマルティン・ブレイザーは、ティチーノを代表する二つの存在が一緒になった仕事だと述べた。
現在の編成には、結成時から在籍する二人が残っている。ギターのレオ・レオーニとベースのマーク・リンで、そこにフレディ・シェラー、ニック・メーダー、ドラムのフラヴィオ・メッツォディが加わる。レーベルのバイオはさらに、バンドの中に主要な書き手が三人いることが新しい曲の途切れない理由だと説明している。
クリス・フォン・ローとの再会は20年以上ぶりだった。かつての共同プロデューサー兼共作相手と組んで作られたのが『Stereo Crush』の「Liverpool」で、そこからデュエット版も生まれている。レーベルのバイオはこの曲を、アルバムにもう一色を足した明るく速い曲だと位置づけている。
チャーリー・バウアファイントは、しばしばバンドの「6人目の非公式メンバー」と呼ばれる。レオ・レオーニは彼を自分たちと同じ仕事中毒だと評し、長年の付き合いなので多くのことは言葉にしなくても通じる、創作の面で完全に理解し合えている、と述べている。
レーベルが2026年に掲げているバンドの規模は、活動30年超、スイスでの1位アルバム17作、販売350万枚超である。スイスでもっとも成功したバンドという言い方が、この数字とともに置かれている。
公式サイトはヘナ・ハーベッガーの離脱理由もはっきり書いている。「グルーヴ・マシーン」と呼ばれた彼は2019年、家族との時間を増やすためにGOTTHARDでの音楽キャリアを終える決断をした。友人であることは変わらず、会うたびに嬉しい、という一文が添えられている。
公式サイトのメンバー欄は、全員が短い自分の言葉を寄せる作りになっている。レオ・レオーニの欄は、12歳のときにレス・ポールに恋をしたという一文から始まり、数年後にロックンロールとバンドという夢にも恋をした、今も恋をしていて、今も夢を見て、今も鳴らしている、と続く。
現在のドラマー、フラヴィオ・メッツォディの欄には、無条件で情熱的な「ロックンロール」という生き方の根にあるのは連帯・忠誠・理想主義という価値だ、という趣旨の言葉が置かれている。自身のサイトのアドレスも併記されており、公式ページの中で唯一、外部の個人サイトへ導く欄になっている。
記録の最も古い行は1992年2月27日、チューリッヒのイェルモリでの公演である。同じ1992年には81公演が並び、これは記録全体で最も多い年でもある。デビュー作を出した年に、その後どの年も超えられない本数を回っていたことになる。
1992年10月の記録は目を引く。1日から3日までロサンゼルスのファウンデーション・フォーラムに3日連続で出演し、そこから9日にイギリスへ渡って28日までに18公演を回っている。さらに12月3日にはロンドンのハマースミスの名前がある。デビューした年にすでに英米へ出ていたことが、この一月分の行から分かる。
2007年の東アジア遠征は日本だけで終わらなかった。9月18日に渋谷O-EAST、19日に大阪クラブクアトロと回ったあと、21日にソウルのローリング・ホールへ渡っている。公式の公演記録に韓国が現れるのは、この一行だけである。
ハードロック・バンドとしては珍しく、モントルーの名前が記録に何度も出てくる。1994年7月7日のモントルー・フェスティヴァル、1997年・1999年・2001年のカジノ、そして2006年7月14日のジャズ・フェスティヴァルである。ジャズの街の常連であることが、この5行から分かる。
南米へは二度まとまって渡っている。2012年5月はブエノスアイレス、サンティアゴ、サンパウロ、メキシコシティを12日から20日にかけて回り、2014年12月にはブエノスアイレス、アスンシオン、サンパウロ、ベロオリゾンテ、サンティアゴ、メキシコシティと2日から13日まで回った。ニック・メーダーを迎えて最初の公演が置かれたのも、2012年のこの南米日程である。
1992年10月のロサンゼルス3公演を最後に、アメリカでの記録は二行しか増えていない。2013年1月28日の70000 Tons of Metalと、2016年2月22日のモンスターズ・オブ・ロック・クルーズ(記録上の綴りは Cruize)で、どちらも都市欄はマイアミである。ヨーロッパでの本数を思えば、アメリカはこのバンドにとって遠い場所のままだった。
チューリッヒのハレンシュタディオンは記録に四度現れるが、綴りが毎回違う。1996年10月13日と2015年9月23日は「Hallenstadion」、2005年12月8日は「Hallen Stadion」、2023年12月2日は会場名と都市名がくっついた「HallenstadionZürich」である。このうち2005年12月の公演が、ライヴ作品『Made in Switzerland』の音源になった夜にあたる。
アルバムの発表と同じ2024年11月29日、先行曲「Boom Boom」が公開された。発売までの待ち時間を少しでも縮めるための1曲目、というのがバンド自身の説明である。
2025年の年頭の挨拶が、そのまま発売日の告知になった。1月2日、バンドは新年の挨拶とともに『Stereo Crush』を3月21日に出すと明かしている。
2枚目の先行曲「Thunder & Lightning」は2025年1月17日に公開された。まだ雪の残る季節に、明るいリードと恋愛の物語を持つこの曲を出したことについて、バンドは一足早い春の気配だと書いている。
レーベル契約の発表は、ステージへの復帰予告と一体だった。2024年10月7日のプレスリリースは、『Stereo Crush』の制作が仕上げの段階に入っていることと、2025年5月からツアーに出ることを同時に伝えている。
『Stereo Crush』の発売形態には、サイン入りカードを同梱したTシャツ・バンドルが含まれていた。CDと色付きヴァイナル、配信と並んで、レーベルの発売告知に並べられている。
事故の状況はネヴァダ州警察の広報担当ジョー・ファックレルの説明として報じられた。一行は10月5日の午後5時15分ごろ、ラスヴェガス・モーター・スピードウェイの北およそ50マイルの州間高速15号線北行き車線の路肩に停まり、雨具を着けていた。そこへセミトレーラーが横滑りし、停車中のハーレーダビッドソンに突っ込んだ。同じ記事は、リーの父がイギリス人、母がスイス人であることも伝えている。
その2か月前にもリーは事故に遭っている。2010年8月7日、休暇からの帰路にフィレンツェ近郊の高速道路で追突され、7台が絡む事故になった。彼はレーベルを通じて声明を出し、自分は無事であること、ロック好きの守護天使がついているらしいことを伝えていた。
訃報にいち早く反応した一人が、クロークスの創設メンバーでありGOTTHARDの長年のプロデューサーでもあったクリス・フォン・ローだった。彼はスイスの日刊紙『ブリック』に対し、言葉が出てこないと述べ、リーの両親への弔意を表している。
リーの公開追悼式は2010年10月17日の朝、ゴッタルド峠に建つサン・ゴッタルド・ホスピスで営まれた。氷点下の冬の天候のなか数千人のファンが集まり、バンドとリーのパートナーであるブリジット・ヴォス=バルツァリーニも参列した。峠のホスピスという場所が選ばれたこと自体が、この別れの規模を物語っている。
バンドが事故後に出した声明には、旅程がそのまま書かれている。ロサンゼルスを出発してデス・ヴァレーとラスヴェガスを通り、次の目的地はユタ州セント・ジョージ、そこからザイオン国立公園、ブライス・キャニオン、モニュメント・ヴァレーへ向かう予定だった。セント・ジョージはリーがブリジットに特別な装身具を贈って驚かせるつもりの場所でもあった、と声明は続けている。
同じ声明は、事故直後に現場で何が行われたかも記している。一行は現場の安全を確保して応急手当てを始め、911に通報した。数分で最初のパトカーが到着して警官が除細動器を使い、続いて二台目のパトカーが救急資材を運び、ヘリコプターも来た。土砂降りのなか蘇生は続けられたが、最終的に医師が死亡を確認した。同行した他の誰一人として負傷しなかったことにも、声明は触れている。
葬儀は身内だけで営まれ、リーの遺灰を納めた骨壺は2010年10月21日、彼の出身地であるティチーノ州ポルツァの墓地に納められた。参列したのはスペインから駆けつけた両親、姉妹にあたるカーリン・ニコルズとその家族、パートナーのブリジット・ヴォス=バルツァリーニ、残されたメンバー、そして数人の友人と近隣の人々だけだった。
スイスのテレビがどれだけこの訃報を扱ったかは、番組の尺に表れている。エンターテインメント番組『Glanz & Gloria』は2010年10月6日の回をまるごとリーに充て、11分のドイツ語のコーナーを組んだ。11日後の追悼式も同じ番組が伝えている。
リー在籍時の最後期の演奏は、事故の前からライヴ盤として録音されていた。『Homegrown - Alive In Lugano』は2010年7月17日のルガーノ公演を収めたもので、リーとの最後の数公演のひとつにあたる。急逝を受けて発売は延期され、2011年9月30日にニュークリア・ブラストから出た。マーク・リンは、すべてが始まった場所がルガーノであり、これで円が閉じたと述べている。
そのルガーノ公演は、ハーレーダビッドソン乗りが毎年開く地元のHOGラリーの一環だった。メンバー全員がハーレー乗りで、機会があればこうした催しに出演し自らも参加していた。そして地元ルガーノでの公演はバンドにとって数えるほどしかない。フレディ・シェラーによれば、その夜のリーは久しぶりに機嫌が良く、2万人を超える観衆が立つ広場との呼吸はこれ以上ないほど噛み合っていた。
そのライヴ盤の発売前、2011年9月2日に未発表曲「The Train」が公開された。リーの歌が入った音源で、バンドが新しい歌い手を探している最中の発表でもあった。同じ記事は、このアルバムがバンドにとって一つの時代の終わりを意味すると書いている。
メーダーが歌以外にギターとピアノも弾き、曲を書けることは、選考で重く見られた点だった。バンドは新しい歌い手を文章で紹介するより聴かせたほうが早いと考え、1曲とビデオを制作して無償ダウンロードとして公開している。それが「Remember It's Me」で、離れずにいたファンへ捧げられていた。マーク・リンは、あれほどの歌い手の後を継ぐには相当の勇気が要るとして、その点でメーダーは敬意に値すると書いている。
『Firebirth』のジャケットには不死鳥が描かれている。灰の中から空へ舞い上がるという言い回しが、そのままファンの心情と、バンドがくぐり抜けてきた時期を言い表しているという説明が発表時に添えられていた。レオ・レオーニはこのアルバムについて、サウンドもプロダクションも原点に戻し、GOTTHARDらしい素の音で意識的に作った「バック・トゥ・ベーシックス」の復帰作だと述べている。
『Firebirth』の最後に置かれた13曲目「Where Are You?」には、発表時のトラックリストの時点で「dedicated to Steve Lee」と添え書きがされていた。新しい歌い手を迎えた最初のアルバムが、前任者に捧げた曲で終わる構成になっている。
新体制の第1弾シングルとなった「Starlight」は、メーダーとバンドがいちばん最初に書いた曲のひとつだった。レオ・レオーニは、腰を据えて一緒に書いた曲がそのままシングルになるのは普通ではないと語り、メーダー自身も最初から気楽な空気で良いアイデアが出たと述べている。シングルは2012年4月20日に、ロック版とアコースティック版の二つのヴァージョンで発売された。
『Firebirth』からの2曲目の公開はヨーロッパではなく南米で行われた。「Give Me Real」は2012年5月16日、チリのラジオ局ラジオ・フトゥーロの番組「La Ley del Rock」でレオ・レオーニ自身の紹介つきで初公開されている。新しい編成での最初のライヴも同じ時期の南米で始まった。
「Starlight」のミュージック・ビデオは、ベルリン近郊にある古い飼料工場で撮影された。クエンティン・タランティーノの『イングロリアス・バスターズ』の場面が以前そこで撮られている建物である。
新しい歌い手で作った最初のアルバムは、スイスのチャートに1位で初登場した。GOTTHARD名義の作品がスイスで首位を取ったのはこれで14度目にあたる。ドイツのメディア・コントロール・チャートでも9位に入っている。
2020年、リーの没後10年に合わせて追悼盤『Steve Lee - The Eyes Of A Tiger』が作られた。きっかけは、彼が最後に行った録音セッションの未発表テイクが見つかったことで、バンドはそれを核にアンプラグドのアルバムを組み立てている。「One Life One Soul」「Heaven」「Lift U Up」などが脆さを帯びた形に作り直され、後任のニック・メーダーはバック・ヴォーカルとして背後に置かれた。締めくくりはサヴァイヴァー「Eye Of The Tiger」のアコースティック版である。
バンドは追悼盤の新ヴァージョン群を「ディスティルド(蒸留)ヴァージョン」と呼んだ。選ばれた曲は『G.』『Homerun』『Lipservice』『Human Zoo』『Gotthard』と各時代に散らばり、「Let It Be」は大きなアリーナ・ロックからフォーキーなアコースティックへ、「Lift U Up」はカントリー調へと姿を変えている。未発表曲「Tarot Woman」も収められたが、これはレインボーの同名曲とは別の曲である。
没後10年の企画は、当初アルバムだけではなかった。トリビュート・ライヴの開催も検討されていたが、新型コロナウイルスの影響で実現しなかった、と日本盤を紹介した記事は書いている。追悼公演が実際に行われるのは、この3年後になる。
『Lipservice』はヨーロッパで2005年6月にG.Records/ニュークリア・ブラストから発売された。スイスでは翌2006年1月に4万枚超でプラチナに認定され、認定式はチューリッヒで開かれた催し「PISAファイナル」の場で行われている。
2006年4月27日、バンドはルツェルンのホテル・シュヴァイツァーホフでアンプラグドの公演を行った。入場は無料で、席数が限られていたため先着順だった。同じ日、スイスのテレビ司会者クラウディア・レッサーの番組で公演前にインタビューを受け、翌日発売のDVD『Made in Switzerland』が先行紹介されている。
ライヴ作品『Made in Switzerland』は2006年、バンドにとって10作連続となるスイス1位を記録した。同じ週に発売されたTOOLとPEARL JAMの新作を上回っている。内容は2005年12月にチューリッヒのハレンシュタディオンで行われた公演からの17曲で、CDとDVDの組み合わせだった。
『Domino Effect』は2006年の暮れに録音が始まり、2007年4月27日に発売された。プロデュースはレオ・レオーニと、前作『Lipservice』でも組んだロナルド・プレントである。ジャケットが公開された時点でレオーニは、これはGOTTHARD史上最良のアルバムだと言い切っていた。
『Domino Effect』からのシングル「The Call」のビデオは、2007年にニュルンベルクのグランド・ホテルで撮影された。監督はRCN-TVのマルティン・ミュラーで、リヒャルト・ワーグナーの名を冠したサロンとハネムーン・スイートが使われている。マーク・リンは地元紙の取材に、曲が正統派のバラードだからこそ映像は正統派から外したかったと語り、レストランでスティーヴ・リーが女性と座り、ウェイトレスが切り抜いたハートを運んでくる場面を例に挙げた。
バンドの取材範囲がヨーロッパの外へ広がっていたことは、2007年6月7日に行われたフレディ・シェラーのインタビューからも分かる。相手はチュニジアの放送局RTCIのメタル番組「ZanZanA」で、『Domino Effect』、スイスのヘヴィ・ミュージック・シーンの状況、そして自分たちの影響源が話題になった。
『Need to Believe』は2009年9月4日にニュークリア・ブラストから発売され、その3週間前の8月14日に先行してデジタル・シングルが出た。同じ年の秋にはヨーロッパ・ツアーが組まれ、スウェーデンのEUROPEとの共同ヘッドライナー興行としてドイツ各地を回っている。
2009年時点でバンドが挙げていた実績は、スイスでの1位アルバム11作とトップ10シングル6曲だった。ヨーロッパではAC/DC、ディープ・パープル、ブライアン・アダムス、ボン・ジョヴィの前座を務め、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルにも出演している。受賞歴としてはスイスのプリ・ヴァロを2度、モナコのインターナショナル・ミュージック・アワードを1度受け、ヨーロッパのテレビ・シリーズ『Frankie』のサウンドトラックにも曲が使われた。
『Need to Believe』は本国スイスで3万枚を超えてプラチナに認定された。プラチナ盾が手渡されたのは2010年1月9日、テレビ番組「スイス・アワード2009」の場で、同じ回でラジオ・シングル「Don't Let Me Down」がテレビ初公開されている。バンドがスティーヴ・リーとともに受けた最後の大きな表彰だった。
「Unconditional Faith」のビデオは2009年の夏にクロアチアのザグレブで撮影された。演奏シーンに使われたのは、ボクシング世界王者ヘンリー・マスケがマックス・シュメリングを演じた映画で用いられたリングである。
『Bang!』は2014年4月7日にPIASから発売された。録音とプロデュースはチャーリー・バウアファイントとレオ・レオーニが、ティチーノ州ルガーノにあるバンド自身のイエロー・ハウス・スタジオで手がけている。ミックスはオランダのヴィッセロールト・スタジオでロナルド・プレントが担当した。
『Bang!』の最後に置かれた「Thank You」は10分を超える。オーケストラを伴う長尺で、ラジオ向けの尺という発想からはまるで外れている。この曲はレオ・レオーニが亡くなった母に捧げたもので、同時にすべての母親へのオマージュでもあると発表時に説明された。
『Bang!』のバラード「Maybe」は、当時まだ無名だったアメリカ人歌手メロディ・ティビッツとのデュエットとして録音された。同じアルバムにはブルース寄りの「Spread Your Wings」も入り、タイトル曲のブギー的なグルーヴはバンドにとって新しい領域だと紹介されている。
北米での『Bang!』はジ・エンド・レコーズから出た。デジタル版が2014年6月24日、ボーナス・トラック3曲を加えたデラックス版が8月12日という二段階の発売だった。
ヘナ・ハーベッガーは『Bang!』を過去作と比べる問いに、音の方向がいちばん近いのは2005年の『Lipservice』だろうと答えている。ただし『Bang!』のほうが遊びの感覚が強く、アレンジには意外性が一つ二つ仕込まれている、というのが彼の言い方だった。
『Bang!』からの「C'est La Vie」のミュージック・ビデオは、キューバでロケーション撮影された。メイキング映像が公開されたのは2014年10月で、本編のビデオが出た5日後のことである。
2015年、バンドはFreqsTVのドキュメンタリー・シリーズ「Ghosts On The Road」に登場した。ツアー中のバンドの内側を描く企画で、ニック・メーダーとマーク・リンが、世界から切り離される感覚、バンドとクルーの連携、そしてスティーヴ・リーの死後も続けることを選んだ理由について語っている。リンは、家や家族から離れる寂しさが新しい曲を書く材料になるという言い方をしていた。
12作目『Silver』はルガーノのイエロー・ハウス・スタジオで作られ、2017年1月13日にスイスではムジークフェアトリープ、国際的にはPIASから発売された。ニック・メーダーを迎えて3作目にあたり、プロデュースは『Bang!』に続いてチャーリー・バウアファイントとレオ・レオーニが担当している。前作の作業の進み方と結果に全員が満足していたので、もう一度組むのは自然な流れだった、とバンドは説明した。
タイトルの『Silver』は結婚記念日の言い方から来ている。バンドは発表文で、紙婚式・革婚式・木婚式・水晶婚式・磁器婚式はもう通り過ぎたのだから、25周年は銀婚式を祝うのが筋だ、と書いた。実際このアルバムは結成25年の節目に出ている。
『Silver』の発売直後には「25th Anniversary」と題したヨーロッパ・ツアーが始まり、初日はドイツのラーフェンスブルクで、サポートにデンマークのPRETTY MAIDSが付いた。レオ・レオーニは、25年ということは新作を別にしても150曲から選ぶという意味であり、簡単ではないが記念にふさわしい曲だけを選ぶと述べている。
『Silver』からの先行シングル「Stay With Me」は2016年11月18日に発売された。アルバム本体より2か月近く早く、当時はまだアルバム名も発表されていない段階だった。
2017年2月、『Silver』のヨーロッパ・ツアーの最中にヘナ・ハーベッガーが健康上の理由で離脱した。代役に入ったのはハロウィンのダニ・レブレで、バンドは彼が短時間でセットを覚えフランクフルト公演を救ったと感謝している。プロデューサーのバウアファイントを介して縁のあるバンド同士だった。
『Silver』からの「Miss Me」のビデオは2017年7月に公開された。監督はマルティン・ホイスラーである。
『Silver』に対する英クラシック・ロック誌の評価は割れていた。ニック・メーダーを迎えて3作目、結成25周年の作品として現代的に整えようとしており、うまくいっているところはうまくいっている——ただしミドル・テンポの曲がこれほど必要だったのか、という留保が付けられている。
13作目のスタジオ・アルバムには『#13』という題が付き、発売日は2020年3月13日、通常のジュエルケース盤の収録曲は13曲だった。数字を三つ重ねたところにこのアルバムの体裁がある。
先行シングル「Missteria」は、フランシス・ロッシとの共作である。レオ・レオーニは発表時に、フランシスとまた曲を書けたのは楽しかったし、本物のキラー・チューンができたと思う、と述べている。「また」という言い方から、二人の共作がこのときが初めてではないことも分かる。
「Missteria」のビデオはベルリンのマディ・ツェルトで撮影された。ヴェルヴェット、鏡、霧、LEDの効果のなかでバンドの演奏場面が組まれ、ダンサーが加わる作りになっている。曲そのものもロックの骨格に東洋的な楽器の色を差した構成で、映像はその延長に置かれた。
『#13』のプロデュースはアメリカのポール・レイニが担当し、レオ・レオーニが共同プロデューサーに付いた。録音はルガーノのイエロー・ハウス・スタジオ、ミックスはロサンゼルス、そして最終的な仕上げはニューヨークのヴァルハラ・スタジオでダーシー・プロパーが行っている。
『#13』の目立つ一曲は、アバの世界的ヒット「S.O.S.」のカヴァーである。同じアルバムには、勢いのある冒頭曲、速く重い曲、直截な言葉を持つ曲、オールドスクールなブルース・ロック、大きなバラード、そして70年代のサイケデリアまでが並び、発表文はその振れ幅そのものを特徴として挙げていた。
『#13』は3種類の形で用意された。13曲入りのジュエルケース盤、ボーナス2曲入りのデジパックにバンダナとポスター・ブックレットを組んだ限定コレクターズ・ボックス、そしてボーナス2曲入りの2枚組LPである。
『#13』が出た2020年初頭に発表されていた数字は、1位アルバム16作、全世界での売上300万枚超、ライヴ2000本以上だった。デビューから25年を越えてなお、その積み上げが続いていることを示す発表文だった。
『#13』の発売に合わせて、2020年4月からドイツを回るツアーが発表されていた。スペシャル・ゲストはMAGNUM、そのあとスイスに戻って旧知のSHAKRAと回る予定という内容である。
90年代のGOTTHARDがどのレーベルにいたかは、輸入盤の商品情報からも辿れる。2枚目『Dial Hard』のレーベル表記はドイツのAriola Recordsである。のちのニュークリア・ブラスト期、PIAS期、そしてReigning Phoenix Music期とは別の出発点だった。
RPMのマネージング・ディレクター、ヨッヘン・リヒェルトは契約発表のコメントで、ヴィルヘルム・テルと並べてGOTTHARDをスイスの英雄と呼んだ。自国最大のロック・バンドを迎えられて誇らしい、という趣旨である。
2024年末にレーベルが並べたバンドの実績は具体的だった。スイスでの1位アルバム16作、100万枚超の販売に対して贈られるダイヤモンド・アワード、4倍プラチナに達した『Homerun』をはじめとする複数のプラチナ認定、プラチナ・シングルの「Heaven」、トップ10シングル7曲、全世界350万枚超、そしてライヴ2000本以上である。
『Stereo Crush』の先行第1弾「Boom Boom」を書いたのは、レオ・レオーニが子どもを授かると知ったときだった。息子ガブリエルの誕生が自分の人生を一変させたと彼は説明し、腕に抱いて目を見たり笑顔を見たりするときの感情を曲にしたのだと述べている。
「Thunder & Lightning」はフレディ・シェラーが音楽的なアイデアを持ってメーダーの家に来たところから始まった。二人で構成と歌のメロディを作ってデモを録ったあと、メーダーは歌詞に時間をかけている。コーラスのリフが電気的に聞こえたことから雷のイメージにたどり着き、雷は同じ場所に二度落ちないという言い回しを逆手に取って恋愛の比喩にした。フランス語では一目惚れを稲妻に打たれることに例える言い方があり、フランス語を話す彼の頭にはそれもあった。
『Stereo Crush』のジャケットは、以前からバンドと組んできたトーマス・エワーハードによる。アートワークが公開されたのは2025年1月17日、世界同時に予約が始まった日で、アルバム本体の発売はその2か月後の3月21日だった。
新しい歌い手のお披露目は、アルバムより先にインタビューの形で始まっていた。2012年1月30日にはイタリアのスパツィオロックがニック・メーダーに取材した映像が公開されている。『Firebirth』の発売はその4か月後だった。
『Firebirth』の発売前、バンドは曲ごとの解説映像をシリーズで公開した。2012年5月22日に出たのはその第4回で、取り上げられたのは4曲目の「Fight」である。新体制の最初のアルバムを、曲単位で説明しながら出していったことになる。
『Bang!』の発売前、2014年3月20日にタイトル曲と「C'est La Vie」の短い試聴音源が公開された。アルバム発売の18日前である。
『Bang!』からの第1弾シングル「Feel What I Feel」のビデオは、メイキング映像とともに2014年4月に公開された。アルバム発売の直後という順番である。