FAIR WARNING トリビア 全57件
FAIR WARNINGにまつわる事実を、出典付きで57件掲載しています。
Trivia
初の日本ツアーは、1992年のデビュー作発表から間もなく実現した。ワーナーミュージック・ジャパンによれば、そのハイライトとなったのが最終公演にあたる1993年4月18日の川崎クラブチッタで、この夜は丸ごと撮影されている。バンド公式のディスコグラフィーも、映像作品『The Call Of The East』を「1993年4月18日、日本・川崎のクラブチッタでのライヴ収録」と記している。
そのライヴ盤も、日本が先だった。アヴァロン・レーベルの2010年8月の新譜案内によれば、3枚組ライヴ・アルバム『TALKING AIN'T ENOUGH』(MICP-90048)は日本先行発売で、DISC2のみエンハンストCD仕様、ボーナス・トラック1曲を追加収録。同案内はこれを『ライヴ・アンド・モア』以来12年ぶりのライヴ・アルバムとしている。ヨーロッパ盤はSteamhammer/SPVから、ドイツ11月19日、ヨーロッパのその他地域11月22日、米国/カナダ11月23日の発売と告知された。
『Sundancer』は完全な日本先行発売だった。アヴァロン・レーベルの2013年4月の新譜案内によれば、日本盤は4月24日発売で、SHM-CD+CDの初回限定盤(MICP-30040)と通常盤(MICP-11080)の2形態。初回限定盤は特殊パッケージ仕様で、60ページのブックレットとボーナス・ディスクが付いた。一方Blabbermouthが伝えた発表では、ドイツでの発売は5月24日、ヨーロッパのその他地域が5月27日、アメリカとカナダが5月28日で、アジアを除く全世界をSPV/Steamhammerが担当した。
その日本盤は、キングレコードへの移籍第1弾として2016年8月31日に日本盤先行発売された(KICP-1760、SHM-CD仕様、初回生産分のみ「フェア・ウォーニング美旋律キャンペーン応募券」付き)。同じ日にキングは過去作5タイトル——『ゴー!』『ライヴ・アンド・モア』『フォー』『ブラザーズ・キーパー』『オーラ』——を最新デジタル・リマスターの廉価盤として一斉に再発している。ヨーロッパでの発売はSteamhammer/SPVから10月28日だった。
その最初の来日について、トミー・ハートは2017年のインタビューでこう語っている。ドイツ出身の自分たちにとって日本はまるで別の惑星のようで、客がどんな反応をするか想像もつかなかった。ところがステージに上がった瞬間に凄まじいエネルギーが押し寄せてきた。歌詞を知っていて、一緒に歌ってくれた。あまりの感動にステージの上で涙が出たという。
FAIR WARNINGは、初来日以来ずっと坂本九の「上を向いて歩こう」を歌い続けている。トミー・ハートは2017年、最初のジャパン・ツアーからずっと「スキヤキ」を歌っていると述べ、日本語は話せないが日本語の響きと起伏が好きで、発音やイントネーションがおかしくても心を込めて歌うことが大事だと語った。1993年のクラブチッタ公演を収めた映像作品にも同曲は入っており、2017年のデビュー25周年公演でも2日とも演奏されている。
再結成の引き金は日本にあった。トミー・ハートはMETAL HAMMER誌2006年2月号で、その間に自分が何をしていても、日本のファンからまたFAIR WARNINGのレコードを出してほしいという要望が来続けたと述べ、だからかつての同僚であるウレ・リトゲン、ヘルゲ・エンゲルケ、C.C.ベーレンスに連絡を取り、2006年にアルバムを出すと取り決めたのだと語っている。
この2度の日本公演が、次の作品を生んだ。ライヴ盤『Talking Ain't Enough - Fair Warning Live In Tokyo』の告知文は、2009年のLOUD PARK出演と2010年のソールドアウトした日本ツアーを受けて、バンドがライヴCDとライヴDVDを出すことにしたのだと説明している。3枚組CDはDISC1・2が2010年1月の東京公演、DISC3がLOUD PARK 2009で、2枚組DVDも同じ構成に私的な映像を加えたものだった。
『Pimp Your Past』は、日本側からの依頼で始まった企画である。ウレ・リトゲンはBlabbermouthが伝えた発表の中で、日本のレコード会社からこの種のアルバムを求められたときは最初こそ懐疑的だったが、単に録り直すのではなく新しいアレンジを施すと決めてから企画に勢いがつき、可能性を探ってみたいという気持ちに駆られた、と述べている。
2011年3月の東日本大震災のあと、トミー・ハートが呼びかけ人となってチャリティEP『Help! For Japan』が作られた。ザ・ビートルズ「Help!」のカバーで、DEEP PURPLE、EDGUY、HELLOWEEN、GOTTHARD、MAGNUM、KROKUS、TNTの現・元メンバーらが参加し、売上は日本赤十字社へ寄付されるとされた。ゲスト・リード・ギタリストの一覧にはヘルゲ・エンゲルケと、BOWWOWの山本恭司も並んでいる。
デビュー作をプロデュースしたのは、GIANT、TEN、BAD COMPANYを手がけたレイフ・マッケナだった。次作『Rainmaker』からバンドが自分たちでプロデュースするようになった経緯を、ウレ・リトゲンはこう説明している——マッケナに不満があったわけではない。デビュー作が仕上がったとき、レコード会社が元のデモの音を気に入っていて何曲かリミックスしてほしいと言ってきた。やってみたら先方は大変喜び、それ以来、自分たちでプロデュースするのが理にかなっているように思えた、と。
90年代初頭は伝統的なメロディック・ロックには逆風の時代だったが、デビュー作は日本でよく売れた。バンドの公式バイオによれば、FAIR WARNINGはメタル誌『BURRN!』の読者投票で「Newcomer of the Year」に選ばれている。
『Rainmaker』が日本でどれだけ売れたかについては、二つの数字が並んでいる。ウレ・リトゲンは公式バイオの中で「日本で14万枚か15万枚くらい売れた」と述べ、同作から初のヒット・シングル「Burning Heart」が生まれたとしている。一方キングレコードは自社の商品ページで、2ndアルバムが当時12万枚のセールスを記録したと書いている。どちらも出荷か実売かの別、集計時期、認定機関には触れていない。
『Rainmaker』は日本でゴールド・ディスクを獲得した。この点は日本の二つのレーベルの公式ページが一致して記しており、キングレコードは1995年発表の2ndアルバムとして、ワーナーミュージック・ジャパンは同作の商品ページに「ゴールド・ディスク授賞作品」と記載している。
オリコン週間アルバムランキングでの実績を並べると、FAIR WARNINGの最高位は5位である。『RAINMAKER』と『GO!』がともに5位で、登場回数はそれぞれ6週と8週。以下、『ブラザーズ・キーパー』11位、『フォー』12位、『AURA』19位、『サンダンサー』28位、『ピンプ・ユア・パスト』43位、『アーリー・ウォーニングス:’92-’95』50位と続く。トップ10入りは2作にとどまる。
『Four』のあと、バンドはいったん終わっている。公式バイオは「2000年に解散した」とだけ書き、理由には触れていない。その後トミー・ハートはハード・ロック・バンドSOUL DOCTORを率い、ヘルゲ・エンゲルケはC.C.ベーレンスとともにDREAMTIDEで再び姿を現し、同バンドはFrontiers Recordsから2枚のアルバムを出した。
2009年、FAIR WARNINGは日本のフェスに初めて出演した。LOUD PARK 09は10月17日(土)・18日(日)に幕張メッセ9・10・11ホールで開かれ、公式タイムテーブルによれば彼らの出番は2日目の18日、ULTIMATE STAGEの16時30分から。同日18時30分からは公式のサイン会も組まれていた。キングレコードの公式ページも、このLOUD PARKが日本のフェスティヴァルへの初出演だったと記している。
デビュー25周年の記念公演は、日替わりの2デイズとして組まれた。「CLUB CITTA' PRESENTS Fair Warning - 25th Anniversary Twin Special Japan Tour 2017 -」は、2017年4月22日(土)が「-1993 CLUB CITTA' COLLECTION-」、23日(日)が「-2017 PIMP YOUR PAST COLLECTION-」。初日は1993年のクラブチッタ公演のセット・リストとデビュー・アルバム全曲を並べる構成、2日目は『ピンプ・ユア・パスト』の新アレンジを軸とする構成だった。会場は両日とも川崎CLUB CITTA'、OPEN 16:00/START 17:00、オールスタンディングで前売り9,000円(税込)。主催はbayfm78「POWER ROCK TODAY」、招聘・企画制作はクラブチッタ、協力はキングレコードとディスクユニオンだった。
トミー・ハートの回想によれば、FAIR WARNINGはZENOの行き詰まりから生まれた。当時ZENOはゲフィン・レコードとデモ契約を結んでいたが「もっといい曲を書け」と言われ続け、ついにジーノ・ロートが今の状況には満足できない、もう音楽をやりたくないと言い出したという。そこでウレ・リトゲンが新しいバンドを組もうと持ちかけ、ハート、C.C.ベーレンス、リトゲンの3人で始めたのがFAIR WARNINGだった。ギタリストを探す段になってリトゲンが挙げたのがヘルゲ・エンゲルケで、ハートは同じベルリン出身で気心の知れたアンディ・マレツェクを推したが、先にエンゲルケを試すことになり、彼が最初のギタリストになった。
ヘルゲ・エンゲルケがZENOのメンバーだったという説明は資料によく出てくるが、トミー・ハートはこれをはっきり否定している。エンゲルケがZENOに加入したことは一度もなく、当時はEMPIREというバンドをやっていて、イギリスやアメリカのレコード会社の人間を招いてハノーファーで行ったショウケースにセカンド・ギタリストが必要になり、ライヴ要員として呼ばれただけだという。ハートが彼と一緒にステージに立ったのも2〜3回にとどまる。一方、ワーナーミュージック・ジャパンの公式プロフィールは、エンゲルケをリトゲン、ハート、ベーレンスと並ぶ「ZENOのメンバー」として記している。
バンド名の由来について、METAL HAMMER誌がデビュー時の紹介記事(1992年4月号)で書いているのは、ジョン・ジャクソンのブッキング・エージェンシーの社名から採ったということである。同記事はまた、ギタリストのアンディ・マレツェクが結成の少し後に加わったとしている。
デビュー作『Fair Warning』の収録曲には、FAIR WARNING以前に一度録音されていた曲がある。トミー・ハートによれば、「Hang On」「Heat Of Emotion」「Longing For Love」の3曲は、それ以前にジーノ(ZENO)の曲としてレコーディングされたことがあった。ワーナーミュージック・ジャパンの商品ページも、同作を「ジーノ・ロートが作曲したナンバーも含む」アルバムと説明している。
3作目『Go!』は、日本ではゼロ・コーポレーションから発売された。トミー・ハートは2017年のインタビューで同社との関係を素晴らしいものだったと語り、元社長の橋本徹について、優れたビジネスマンであると同時にロックのファンで、FAIR WARNINGの音楽を信じてくれていたと述べている。ゼロが音楽ビジネスから撤退したことを彼は残念だとも語った。
4作目のタイトルは、もともと『MISSION IMPOSSIBLE』になるはずだった。METAL HAMMER誌2000年2月号によれば、同名映画のタイトルが法的に保護されていて許諾が下りず、断念せざるを得なかった。ウレ・リトゲンは、別のタイトルを探すしかなかったと肩をすくめている。結局、それまでのリリース順に従って単に『FOUR』となった。
アンディ・マレツェクは、FAIR WARNINGが止まったあと何をしていたかを訊かれ、こう答えている。少し休みが必要だった、2000年に病気になった、回復してからはギターを弾いて友人に会い、FAIR WARNINGとはまったく違うバンドで演奏したかった、と。理由の一つとして彼が挙げたのは音量だった。ツアーではヘルゲとウレがステージ上で非常に大きな音のセットアップを好み、なぜそこまで大きくなければならないのか自分には分からなかった。二人は耳栓をしていたが、自分はしていなかったという。
エンゲルケがそのスカイ・ギターをどう手に入れたのかは、資料によって食い違う。エンゲルケ本人がドイツのウェブジンに寄せた一人称の連載では、80年代末にウリ・ジョン・ロートからスカイ・ギターを見せられ、自分も同じようなギターを作らせてよいかと尋ねたところ、その必要はない、いま7弦のスカイを作っているところだから6弦のスカイを1本譲る、と言われたという。その1本は数年間、彼のメイン・ギターになった。一方METAL HAMMER誌1997年3月号は、当時5本しか存在しなかったスカイ・ギターのうち3本をロートが所有し、残る2本を友人であるエンゲルケに売却した、と書いている。
ヘルゲ・エンゲルケは2023年4月28日、61歳で急逝した。ヤング・ギターは追悼記事で、DREAMTIDEを率いFAIR WARNINGでも非凡な才を振るった彼を、“Sky Guitar”の使い手として、また自らのモデルであるシュトラートマン“NCC-1701”の開発者として紹介している。ウリ・ジョン・ロートも追悼のメッセージで、エンゲルケが弟ジーノと親しく当時よく一緒に仕事をしていたこと、1987年以来ずっと自分を助けスタジオで多くを支えてくれたこと、自身の「Scorpions Revisited」2作をミックスしたことを述べた。
『Sundancer』の日本盤初回限定盤には、4曲入りのボーナス・ディスクが付いた。収録は「HERE COMES THE RAIN」「SEND ME A DREAM (PIANO VERSION)」「NATURAL HIGH (FREAK FLAG MIX)」「REAL LOVE (EXTENDED VERSION)」。ヨーロッパのデジパック盤のボーナス曲「Just As She Smiles」はここには入っていない。
結成年は、公式に近い資料の間で食い違ったままである。キングレコードの公式アーティスト・ページは1989年とし、ZENOにいたリトゲン、ハート、ベーレンスがジーノ・ロート脱退後にエンゲルケとマレツェクを加えて誕生した、と書く。ワーナーミュージック・ジャパンの公式プロフィールは同じ顔ぶれの結成を「90年」とする。バンド自身の公式バイオはデビュー作を1991年としており、そこから逆算するとさらに1年ずれる。当サイトはデビュー作の登録年である1992年より前という以上に踏み込まない。
ウレ・W・リトゲンのキャリアは、ウリ・ジョン・ロートその人のバンドから始まっている。ロートの公式バイオによれば、2年の休止を経て1983年に動き出したElectric Sunのライヴ編成は、ステージ上に総勢7人という大所帯で、そこにベースのウレ・W・リトゲンと、元JETHRO TULLのクライヴ・バンカーを筆頭とする2人のドラマー、2人のバック・シンガー、キーボードが並んだ。
バンド公式サイトのメンバー紹介欄では、ヘルゲ・エンゲルケの出身地はAltenhorst、FAIR WARNING以外に在籍したバンドは「VIP / TOP SECRET / DREAMTIDE」と書かれている。同じ欄でウレ・リトゲンは出身地ハノーファー、在籍バンドはElectric SunとZeno、C.C.ベーレンスも出身地ハノーファーで、Silent CircleとHeinz Rudolf Kunze Bandを挙げている。トミー・ハートだけは出身地ベルリン(グロピウスシュタット)で、在籍バンドの欄には「全部書くには場所が足りない」とある。
ドラムのユルゲン“C.C.”ベーレンスは、シンバル・メーカーPaisteのエンドース・アーティストである。同社の公式アーティスト・ページに載る彼の経歴は、1985年からSilent Circle(創設メンバー)、1986年からPaisteとの契約、1991年Matthias Reimツアー、1991年からFAIR WARNING(創設メンバー、日本でのゴールド・ディスク)、1995〜2001年Heinz Rudolf Kunze、2000年からTrommelfeuer、2001年からDreamtide、2018年からÖ-Bandと並ぶ。
1993年のクラブチッタ公演は、まずライヴCD『Live In Japan』とビデオカセットになり、2005年11月9日にワーナーミュージック・ジャパンからDVD『コール・オブ・ジ・イースト-ライヴ・イン・ジャパン+5』(WPBR-95055)として出し直された。DVD化にあたってライヴ音声は本国ドイツでリマスターされ、CD版には入っていたがビデオカセット版には未収録だった5曲——「ヒート・オブ・エモーション」「ザ・コール・オブ・ザ・ハート」「イン・ザ・ゲットー」「スキヤキ」「ミッキーズ・モンキー」——がボーナス映像として加えられた。
日本での配給元は、作品ごとに移り変わってきた。ワーナーミュージック・ジャパンの公式プロフィールによれば、1992年にWEAからデビューしたのち、レコード会社を移籍して1997年に『GO!』、さらに2000年にはマーキー/アヴァロンへ移って『4』を発表している。2016年にはキングレコードへ移り、『ピンプ・ユア・パスト』が移籍第1弾となった。
1997年に『GO!』を完成させた翌年、来日公演の直前にドラマーのC.C.ベーレンスが脱退した。キングレコードの公式アーティスト・ページによれば、公演自体はサポート・ドラマーを迎えて行われ、その後バンドは正式なドラマーが不在のまま次作のレコーディングに入っている。
『Brother's Keeper』もまた、古い邸宅にこもって作られた。公式バイオによれば、バンドは『Rainmaker』『Go』『Four』のときと同じように邸宅に引きこもり、新作の大部分を2005年8月から2006年3月にかけて録音している。
再結成にあたって、アンディ・マレツェクは戻らなかった。バンド公式のディスコグラフィーでは、デビュー作から『Four』まではマレツェクを含む5人編成でクレジットされているが、『Brother's Keeper』(2006) はトミー・ハート(ヴォーカル)、ヘルゲ・エンゲルケ(ギター)、ウレ・W・リトゲン(ベース)、C.C.ベーレンス(ドラム)の4人だけになっている。ギターが1本になったこの編成が、以後の作品でも続いた。
LOUD PARK 09の翌年、単独での来日公演が組まれた。クリエイティブマンの公式ページによれば、<FAIR WARNING Japan Tour 2010>は1月17日(日)広島CLUB QUATTRO、19日(火)大阪BIGCAT、20日(水)名古屋CLUB DIAMOND HALL、22日(金)・23日(土)東京ウェルシティ東京(東京厚生年金会館)の計5公演。東京公演の主催はbayfm、協力はマーキー・インコーポレイティドだった。
この2デイズには“前夜祭”が付いていた。2017年4月20日(木)、羽田空港のティアット スカイ ホールで公開リハーサル・ライヴと参加者全員との交流会という構成の一夜が持たれ、クラブチッタはこれを「フェア・ウォーニング史上初の公開プレミアム・ウォーム・アップ・ショウ」と告知している。当日券は18時から9,000円で売られた。同ページには終了後に「無事終了!」の追記が残っている。
この2日間は録音・録画され、『TWO NIGHTS TO REMEMBER』として2019年5月22日に日本盤先行発売された。CD4枚組(KICP-1979〜82/税抜5,500円)、DVD2枚組、Blu-ray2枚組の3形態で、公演を完全収録した内容である。当初の告知は2018年7月20日で、そのときは2018年12月26日にCD2枚組・DVD・Blu-rayの3形態、タイトル未定として発表されていた。結果として発売は約5か月延び、CDは2枚組から4枚組になった。
同じ2016年の暮れ、トミー・ハートは初のソロ・アルバム『スピリット・オブ・タイム』を出している。キングレコードの商品ページによれば、12月21日に日本盤先行発売、ボーナス・トラック2曲収録(うち日本盤固有は1曲)で、アンディ・マレツェクがゲスト参加した。ゲスト・ギター・ソロにはヘルゲ・エンゲルケも名を連ねている。
ヘルゲ・エンゲルケの音を語るときに欠かせないのが「スカイ・ギター」である。ウリ・ジョン・ロート自身が設計したこの楽器は、公式のUJR Sky Guitarsによれば最初の1本が1983年にイギリスで名匠アンドレアス・デメトリウの手により作られたもので、狙いはエレクトリック・ギターの音域と音色の幅を大きく広げることにあった。
トミー・ハートがこの人脈に入ったきっかけは、V2のシンガーとしてHELLOWEENの前座でドイツを回っていたときのハノーファー公演だった。その夜の演奏をジーノ・ロートとウレ・リトゲンが観ていて、後日C.C.ベーレンスから電話がかかってくる。ハートは誰かの悪ふざけだと思ったという。当時19歳で、ベルリンからハノーファーのオーディションに向かうために生まれて初めて飛行機に乗った。
母体となったZENOは、ウリ・ジョン・ロートの弟ジーノ・ロートが1984年に、のちFAIR WARNINGのベーシストとなるウレ・W・リトゲン、そしてミヒャエル・フレクシグと結成したバンドである。同名のデビュー作は1986年に発表され、BLACK SABBATH、KEEL、KROKUSらとのツアーが続いた。ジーノ・ロートは2018年2月5日、61歳で亡くなっている。
作曲の中心はウレ・リトゲンだが、デビュー作にはヘルゲ・エンゲルケが書いた曲も入っている。トミー・ハートは、エンゲルケがソングライターとしても図抜けていたとして「One Step Closer」と「When Love Fails」を挙げた。ハートは同じインタビューで、「One Step Closer」は自分にとって声域も歌い方も勝手が違う難しい曲だったとも語っている。
そのマッケナとの制作は、平坦ではなかったらしい。ウレ・リトゲンはMETAL HAMMER誌1992年4月号で、プロデューサーのマッケナとはずいぶん多くの戦いを繰り広げた、彼は自分たちの曲がラジオでかけるには硬すぎると考えていた、と語っている。
同じ1993年の映像がヨーロッパで観られるようになったのは、それから13年後である。2006年、Frontiers Recordsは再結成作にあわせて、1993年4月18日の川崎クラブチッタ公演を丸ごと収めたDVD『Call Of The East – Live in Japan』をリージョン・フリーのNTSC盤で出すと発表した。同時にデビュー作と『Rainmaker』の2枚も、オリジナルのアートワークと曲順のままヨーロッパで再発されるとされた。
『Four』の録音場所は、スタジオではなく借りた農家だった。METAL HAMMER誌2000年2月号によれば、ヨーロッパ盤に収められた13曲は、その制作期間のためだけに借りたハノーファー近郊ビッセンドルフの農家で録音され、ミックスはハノーファーのHorus Sound Studioで行われた。同記事は、日本盤には「いつものように」ボーナス・トラックが付くと書き添えている。
『Four』の発売直前、バンドはヨーロッパ側のレーベルを替えている。METAL HAMMER誌2000年5月号によれば、FAIR WARNINGはG.U.N. Records傘下のDrakkar Entertainmentとの契約を解消し、イタリアのAORレーベルFrontiersと新たに契約した。ヘルゲ・エンゲルケは、Frontiersがヨーロッパ全域と南米、アメリカでの発売を保証してくれたと述べている。
再結成作『Brother's Keeper』は、2005年秋に新曲づくりが始まった。Frontiers Recordsが2006年5月に詳細を発表した時点では、タイトルはまだ仮題扱いだった。ヨーロッパでの発売は2006年8月25日で、それに先立ってデビュー作と『Rainmaker』がヨーロッパで再発され、同じ時期にDVD『The Call Of The East』が初めて全世界で発売されている。
再結成作に伴う来日公演は、2006年10月に4公演が組まれた。CDジャーナルが同年7月18日に伝えた日程は、10月10日(火)広島クラブクアトロ、11日(水)名古屋ダイアモンドホール、12日(木)大阪松下IMPホール、14日(土)東京渋谷公会堂。料金は税込7,500円で、東京公演のみS席7,500円・A席7,000円の2種、問い合わせ先はウドー音楽事務所とされた。
『Aura』の曲づくりは、ウレ・リトゲンとヘルゲ・エンゲルケで分担された。リトゲンは2009年8月のインタビューで、全12曲のうち9曲を自分が書き、エンゲルケが「Don't Count On Me」「As Snow White Found Out」「Walking On Smiles」を書いたと述べている。同じインタビューで彼は、Frontiersとの契約はいったん終わり、より良い条件を出したMetal Heavenから本作を出すことになった、悪感情があるわけではない、とも語った。
『Sundancer』では、バンド史上はじめて全員での共作曲が生まれた。Blabbermouthが伝えた2013年の発表によれば、録音された全15曲のうち数曲がメンバー全員の共作で、残る12曲はリトゲンとエンゲルケが書いている。プロデュースは従来どおりメンバー自身が手がけた。またアルバム・タイトルとジャケットは、1995年の『Rainmaker』を意識的に踏まえたものだとされている。
『Sundancer』というタイトルの背景について、アヴァロンはネイティヴ・アメリカンの儀式「サンダンス」をヒントに制作された作品だと説明している。ヤング・ギターのレビューも、タイトルとアートワークから想起できるとおり、『RAINMAKER』と同じくネイティヴ・アメリカンの文化に着想を得たところもあるようだ、と書いている。トミー・ハート自身は2017年、『サンダンサー』はハードで少しメタル寄りのアルバムだったと振り返り、自分はメタル・シンガーではなく、あえて定義するなら「メロディアス・ハード・ロック・シンガー」だと語った。
『Pimp Your Past』のジャケットには猿が描かれている。ヘルゲ・エンゲルケはその理由を訊かれ、「ドラゴンは使い切ってしまった。残念ながら絶滅した」と冗談で返したうえで、こう続けた——「pimp」という語からすれば旧車を並べたジャケットが順当だっただろうが、正直なところ、誰が普通のものを欲しがるだろうか。それに猿は、人類の進化の初期段階を表してもいる、と。
トミー・ハートはFAIR WARNINGと並行して、元EUROPEのキー・マルセロと組んできた。2017年5月19日、Frontiers Music Srlは両者を軸としたバンド・プロジェクトKEE OF HEARTSとの契約を発表している。ベースは元ALIENのケン・サンディン、ドラムはマルコ・ディ・サルヴィアで、制作は2016年後半に始まった。2022年にはOUT OF THIS WORLDとして、マルセロ、ハート、サンディンにドラムのダービー・トッドを加えた編成でアルバムを発表している。
ウレ・リトゲンにはもう一つの顔がある。BARKSが2009年に伝えたところによれば、彼はこれまでに1000を超える作品を描いてきた画家でもあり、幼少時から絵に興味を持ってさまざまな画法を学び、1995年から本格的に油絵などの制作に取り掛かった。影響を受けた作り手として、ヨーロッパの巨匠と並んで北斎の名も挙げられている。作品はウリ・ジョン・ロートのアルバム『Under A Dark Sky』やZENOのアルバム『Runway To The Gods』にも使われており、日本でも横浜のギャラリーで繰り返し個展が開かれてきた。