DESTRUCTION TRIVIA

Trivia

川崎のCLUB CITTA'で開かれてきたスラッシュ・メタルのフェスティヴァル〈THRASH DOMINATION〉の出演者に、DESTRUCTIONは2005年から2016年までのあいだに4度名を連ねている。主催者の公式サイトの記録によれば、最初は2005年9月17日・18日の〈THRASH DOMINATION 05〉で、TESTAMENT、LAAZ ROCKIT、KREATORと共演した。2007年9月22日・23日の〈07〉ではNUCLEAR ASSAULT、ANNIHILATOR、NEVERMOREと並んだ。2013年3月9日・10日の回は「ANASTASIS -復活-」と銘打たれ、TESTAMENT、DEATH ANGELとの3組による開催だった。2016年1月の〈THRASH DOMINATION 2016〉でもKREATOR、DARK ANGELとともに出演者に挙がり、関連公演として1月11日に大阪の梅田Shangri-Laでの単独公演が組まれた。

出典: THRASH DOMINATION公式サイト「HISTORY」(Internet Archive、2015年12月30日の保存版、2026年10月20日参照)

2018年、DESTRUCTIONはアジアとオーストラリアを回るツアーの幕を東京で開けた。東京のロック情報サイトRoppongi Rocksの記事によれば、公演の前日には都内のスタジオで、ごく少数の熱心なファンを前にリハーサルをまるごと披露する催しも開かれ、本番の目黒の会場は満員だった。シュミーアは楽屋で、この仕事でなければ日本に来ることはなかっただろうと話している。8年ぶりの来日として組まれたのが〈East Asia Thrash Attack 2026 JAPAN〉である。2025年11月25日にバンドが発表し、2026年1月30日の横浜ReNY beta、31日の新宿club SCIENCE、2月1日の大阪PANHEAD GROOVEという日程が組まれた。バンドによれば、東京は先行販売の開始から数分、大阪も数時間で売り切れた。公演ページを出したEvoken de Valhall Production.は、日本ではSODOM、KREATORとともに「ジャーマンスラッシュ三羽ガラス」と呼ばれるバンドとして紹介している。

出典: EVP4U(Evoken de Valhall Production.)「East Asia Thrash Attack 2026 JAPAN」公演ページ(2026年10月20日参照)

DESTRUCTIONの前身は、マイク・ジフリンガーとトミー・サンドマンがいたKNIGHT OF DEMONというバンドである。シュミーアの回想によれば、ヴァイル・アム・ライン周辺でヘヴィ・メタルに夢中な若者はほんの一握りしかおらず、ベーシストを探していた彼らは、パッチを縫い付けたデニムのベストに長髪というシュミーアの姿に目を留め、あるパーティーで加入を持ちかけてきた。シュミーアはそれまでベースを弾いたことがなく、翌日みんなで楽器を買いに行ったという。音がどんどん重く速くなるにつれ、KNIGHT OF DEMONという名前はそぐわなくなっていった。「Sonic Destruction」という言葉の響きが気に入り、投票でDESTRUCTIONという名前に決めたとシュミーアは話している。同じころ2人目のギタリストが抜け、練習場所も失った。2000年の取材でシュミーアは、メロディアスな音楽をやりたかったメンバーたちが去っていったことも改名の背景として挙げている。

出典: High Roller Records『Sentence of Death』MCD再発盤の商品ページ(HRR 544、Internet Archive 2024年11月6日の保存版、2026年10月20日参照)

デモ・テープを方々のレーベルに送ったところ、Noise Recordsからは、パンク・バンドとは契約しないという返事が来た。High Roller Recordsの再発盤に寄せたメンバーの回想は、この話を笑い話として紹介している。興味を示した中から当時いちばん大きかったSPV/Steamhammerを選んだが、経験不足のせいで長年縛られる契約を結んでしまったという。シュミーアによれば、レーベルは最初からアルバムを作らせたのではなく、EP『Sentence of Death』を試験と位置づけ、ファンに受け入れられれば本契約を結ぶと告げていた。写真にも逸話がある。デモ用の最初の撮影はメンバーの住む小さな村の墓地と古いナチスの掩蔽壕のあいだで行われ、レーベルが契約したのは3人が兄弟のように見えたからだったという。EPの写真はSPVの本拠地ハノーファーの墓地で撮られた。アメリカ盤には1984年の同じ撮影の別カットが使われたが、トミー・サンドマンは誰からも相談を受けておらず、誰がなぜ決めたのかは今も知らないと話している。

出典: High Roller Records『Sentence of Death』MCD再発盤の商品ページ(HRR 544、Internet Archive 2024年11月6日の保存版、2026年10月20日参照)

EP『Sentence of Death』は1984年9月、ベルリンのCaet Studioで録音とミックスが行われた。スタジオを手配したのはレーベルで、ミックスとマスタリングはホルスト・ミュラーが担当した。プロデュースはS.A.D.O.のギタリスト、Wolfgang Eichholzだったが、シュミーアは、作業はすべてミュラーがこなし、プロデューサーは一度も顔を出さなかったと笑う。ミュラーの仕事ぶりを買ったバンドは、次の『Infernal Overkill』も彼に任せた。トミー・サンドマンにとっては、メンバーの誰もが初めて訪れるベルリンだった。一行はトラックで東ドイツを抜ける通過路を走り、国境では警備兵がバンドを怪しみ、バンドの方も警備兵を警戒していたという。シュミーアも、西ベルリンへの回廊を走ったときは鳥肌が立ったと語っている。

出典: High Roller Records『Sentence of Death』MCD再発盤の商品ページ(HRR 544、Internet Archive 2024年11月6日の保存版、2026年10月20日参照)

「Mad Butcher」の歌詞はマイク・ジフリンガーが1983年に書いたもので、シュミーアによれば、着想のもとは切り裂きジャックの事件だった。バンドが最初期に書いた曲の一つでもある。この曲は1984年のEP『Sentence of Death』に収められ、1987年には新しいメンバーを迎え、2本のギターのソロを加えてEP『Mad Butcher』の表題曲として録り直された。後年メンバーは、一度聴いたら耳に残るリフとスプラッター調の歌詞のおかげで、この曲がバンドの代名詞になったと振り返っている。

出典: High Roller Records『Mad Butcher』MLP再発盤の商品ページ(HRR 548、Internet Archive 2024年11月3日の保存版、2026年10月20日参照)

DESTRUCTIONのマスコットであるMad Butcherが初めて絵になったのは、1987年のEP『Mad Butcher』のジャケットである。描いたのはドイツの画家、Sebastian Krügerで、前年の『Eternal Devastation』のジャケットも彼の作品だった。このキャラクターの生まれた経緯については、メンバーの話が食い違う。シュミーアは、実在のモデルはいないとしたうえで、古い曲を録り直したのはレーベルの希望で、レーベルはそこに可能性を見ていたと説明し、この男がバンドのマスコットとして崇められるまでになったのはKrügerの見事な絵のおかげでもあると話す。一方のマイク・ジフリンガーは、肉屋というアイデアを出したのは当時のマネージャーだったと述べている。2010年にはシュミーア自身が、肉屋の図柄をバンドの「classical」な題材と呼んでいる。

異説あり出典: High Roller Records『Mad Butcher』MLP再発盤の商品ページ(HRR 548、Internet Archive 2024年11月3日の保存版、2026年10月20日参照)

EP『Mad Butcher』は1986年の終わりに、ノルトライン=ヴェストファーレン州のミュンスターで録音された。プロデューサーはWONDERLANDの元メンバー、カレ・トラップである。表題曲は2年前の『Sentence of Death』の曲を録り直したもので、新ドラマーのオリバー・カイザーによれば、加入を試すジャムで最初に合わせた曲の一つだった。曲の最後に流れる「ピンク・パンサー」のテーマは計画したものではなく、ハリー・ウィルケンスが遊びで弾き始めたところにカイザーが冗談でハード・ロック風のドラムを付けたのだという。録音を終えると、レーベルから当時のいわゆる「ミニLP」にするには曲が足りないと連絡が入り、ウィルケンスとマイク・ジフリンガーがスタジオに戻って「The Last Judgement」を短時間でまとめ上げた。ジフリンガーは、ジャム・セッションのような実験だったと振り返っている。

出典: High Roller Records『Mad Butcher』MLP再発盤の商品ページ(HRR 548、Internet Archive 2024年11月3日の保存版、2026年10月20日参照)

オリジナル・ドラマーのトミー・サンドマンは、『Eternal Devastation』の録音中に脱退の意思を告げている。シュミーアによれば、録音は1986年4月、バイエルン州の小さな町ヒルポルトシュタインの小さなスタジオで行われ、なぜそこに決まったのかは覚えていないという。このアルバムでバンドはヨーロッパに足場を築き、初めてのヘッドライン・ツアーも実現したが、サンドマンの告白はシュミーアにとって大きな痛手だった。サンドマン自身もバンドに入れ込んでいただけに苦しい選択だったが、より高いところへ導けるドラマーに後を託そうと身を引いたという。そうして加わったのがオリバー・カイザーである。2000年の取材でシュミーアは、サンドマンはその後警察官になり、再結成を喜んでバーリンゲンの公演にも足を運んでくれたと話している。

出典: High Roller Records『Eternal Devastation』LP再発盤の商品ページ(HRR 547、Internet Archive 2024年11月7日の保存版、2026年10月20日参照)

トミー・サンドマンの後任探しは、バンドを4人編成に変えるきっかけにもなった。マイク・ジフリンガーによれば、2人目のギタリストに迎えたハリー・ウィルケンスは地元のバンドRAZOR'S EDGEで知られた腕利きで、技巧的でクラシカルなフレーズを弾きこなせたため、ギターが2本になれば音楽がもっと面白くなると考えたという。シュミーアによると、ウィルケンスは『Eternal Devastation』に伴うKREATORとのツアーの時点ですでにバンドに加わっており、新ドラマー、オリバー・カイザーの友人でもあった。RAGEも加わったそのツアーはバンド初のヨーロッパでのヘッドライン・ツアーで、シュミーアは自前のナイトライナーでの移動にロック・スターになった気分を味わったものの、終わってみれば稼ぎは一銭も無かったと笑う。EP『Mad Butcher』にPLASMATICSの「The Damned」のカヴァーを入れようと言い出したのもウィルケンスだった。カイザーは、バッハの和声やパガニーニに傾倒していたウィルケンスの功績を挙げ、「Reject Emotions」がMETALLICAの『Master of Puppets』へのバンドなりの答えになり、『Release from Agony』の曲作りのひな型になったと語っている。

出典: High Roller Records『Mad Butcher』MLP再発盤の商品ページ(HRR 548、Internet Archive 2024年11月3日の保存版、2026年10月20日参照)

『Eternal Devastation』という題名の出発点には、マイク・ジフリンガーの恋人がいる。ジフリンガーによれば、彼女が題名の案として出したのは「Uproaring Devastation」で、そこから今の題名に落ち着いたという。ジャケットを描いたのは、雑誌の表紙やLPジャケットのイラストで仕事を始め、のちに商業の仕事を離れて自由な絵画に専念したドイツの画家、Sebastian Krügerである。ただし絵の発想はKrügerのものではなく、バンドの考えを聞いた彼がそれを見事な絵に仕上げたのだとジフリンガーは話している。

出典: High Roller Records『Eternal Devastation』LP再発盤の商品ページ(HRR 547、Internet Archive 2024年11月7日の保存版、2026年10月20日参照)

シュミーアは、『Eternal Devastation』のころから自分が歌詞を書く比重が増え、初期の暗い世界観が社会を批判する題材へと移っていったと振り返る。このアルバムで彼が今もいちばん好きだという2曲には、それぞれ出どころがある。2000年のシュミーアの説明では、「Life Without Sense」はトミー・サンドマンの友人がバイクの事故で重い障害を負ったことから生まれた曲で、歌詞をまだ3人で書いていた時期の作品だった。「Curse the Gods」はマイク・ジフリンガーの発案で、シュミーアは当時、教会を心底嫌っていたから書くのは簡単だったと語った。ところがジフリンガー自身は後年、信心深い人には嫌われるだろうと認めながら、この曲は戦争に反対する歌なのだと話している。

異説あり出典: High Roller Records『Eternal Devastation』LP再発盤の商品ページ(HRR 547、Internet Archive 2024年11月7日の保存版、2026年10月20日参照)

『Infernal Overkill』を出した1985年、DESTRUCTIONはSLAYERとともにヨーロッパを回った。シュミーアはこのツアーで人生が一変したと言う。その直後の1985年11月、バンドはカナダのモントリオールで開かれたフェスティヴァル〈World War III〉に出演した。VOIVODのマネージャーだったMaurice Richardが、VOIVODの2作目の録音資金を集めるために企画した催しで、会場はローラー・スケート場だったザ・パラディアム、共演はVOIVOD、CELTIC FROST、POSSESSED、NASTY SAVAGEである。DESTRUCTIONにとっては初めてヨーロッパの外で演奏する機会だった。トミー・サンドマンにとっては前夜の記憶が強烈である。地元の若者と街へ繰り出した彼は途中で仲間を見失い、着いたその日のことで、泊まるホテルの名前も場所も頭に入っていなかった。11月の冷え込む街を夜通し歩き回り、空が白むころにやっとホテルを見つけ、わずかな仮眠を取って本番に臨んだという。

出典: High Roller Records『Infernal Overkill』LP再発盤の商品ページ(HRR 546、Internet Archive 2024年11月13日の保存版、2026年10月20日参照)

DESTRUCTIONのロゴと髑髏は、どちらも『Infernal Overkill』で初めて世に出た。マイク・ジフリンガーによれば、ロゴの原案は、ある日アメリカの男性から届いた1枚のスケッチだった。案そのものは気に入ったが線が粗かったため、ジフリンガーが整え、文字に立体感を持たせて仕上げたという。シュミーアは、ロゴと髑髏がひとつになって、30年以上たっても通用する大きなトレードマークになるとは当時思ってもいなかったと話す。2000年の取材では、このアルバムのジャケットの刺青を腕に入れていることも認めている。

出典: High Roller Records『Infernal Overkill』LP再発盤の商品ページ(HRR 546、Internet Archive 2024年11月13日の保存版、2026年10月20日参照)

『Release from Agony』のジャケットは、画家、Joachim Luetkeの作品である。マイク・ジフリンガーによれば発想はすべてLuetkeのもので、えげつない絵だが、ときには人を驚かせるのも悪くないという。シュミーアによれば、今では想像しにくいほど、当時は人を動揺させる絵だった。アメリカのレーベルには怒った親たちから脅迫まで届き、ドイツの大手メタル誌の投票では、同じジャケットが最高のジャケットと最悪のジャケットの両方に選ばれたという。

出典: High Roller Records『Release from Agony』LP再発盤の商品ページ(HRR 549、Internet Archive 2024年11月7日の保存版、2026年10月20日参照)

POLTERGEISTのアンドレ・グリーダーは、『Release from Agony』でゲスト・ヴォーカルを務めた1人だった。同じアルバムには、KREATORのメンバー2人とV.O.プルヴァーもゲストとして声を加えている。バンド自身の2000年の年表によれば、1989年、4作目『Cracked Brain』の録音中にバンドはフロントマンのシュミーアと袂を分かち、1990年に出た『Cracked Brain』ではグリーダーがゲストとして歌った。これが彼がDESTRUCTIONに残した唯一の録音である。年表は続けて、1991年からはマイク・ジフリンガーとオリバー・カイザーが新しい顔ぶれとともにDESTRUCTIONの名を引き継いだと記している。シュミーアは2000年の取材で、分裂の原因を音楽性の違いに求め、新しく入ったメンバーが曲作りに加わり始めたところから問題が起きたと話している。

出典: DESTRUCTION公式サイト(destruction.de)ドイツ語版「Biographie」(Internet Archive、2000年5月21日の保存版、2026年10月20日参照)

1999年の再結成は、シュミーアの2度目の誘いで実現した。シュミーアは2000年の取材で、マイク・ジフリンガーに話を持ちかけたときは一度断られ、半年ほどたった1999年の春に改めて声をかけて2人で話し合ったと明かしている。laut.deのバイオグラフィーによれば、当時のシュミーアは繁盛するビストロを営んでおり、再結成を思い立ったのはファンとRock Hard誌がきっかけだった。新しいドラマーには、地元のバンドで叩いていた長年の友人で、DESTRUCTIONのファンでもあるスヴェン・ヴォーマンを選んだ。ギターは1本に戻し、3人編成で再出発した。バンドの年表によれば、復帰の舞台は同じ年のBang Your Head、With Full Force、Wacken Open Airというドイツ最大級の野外フェスティヴァルで、シュミーアはのちにこの1999年のヴァッケンを自分の最高の公演の一つに挙げている。

出典: DESTRUCTION公式サイト(destruction.de)ドイツ語版「Biographie」(Internet Archive、2000年5月21日の保存版、2026年10月20日参照)

ジュラ・ハヴァンチャークは、その後もDESTRUCTIONのジャケットを描き続けた。2016年の『Under Attack』では、題名が決まる前からシュミーアの頭にあった、DESTRUCTIONの髑髏が大陸の形をとって地球が爆発するという構図を絵にしている。2019年の『Born to Perish』では、シュミーアがそれまでとは違う簡潔な絵を求め、ハヴァンチャークは絵筆ではなくインクの線画で応えた。題名を聞いたハヴァンチャークは、紋章によく描かれる勇ましい獅子や鷲の代わりに双頭のハゲワシを据えた構図を思いつき、これまでバンドのために描いた中でいちばん気に入っているかもしれないと述べている。2025年の『Birth of Malice』のジャケットも彼の作品で、バンドは彼を名人であり友人と呼んでいる。

出典: Nuclear Blast「DESTRUCTION - cover artwork released!」(レーベル発表、2026年10月20日参照)

再結成のときシュミーアは、ギター1本の3人編成でなければならないと考えていた。2000年の取材では、ギターが1本ならベースの鳴る余地が大きいと理由を述べ、2人目のギタリストと長く組んできたマイク・ジフリンガーも、再びギターを独り占めできることを歓迎していたと話している。その方針が変わったのが2019年の『Born to Perish』である。レーベルの発表でシュミーアは、このアルバムが4人編成のDESTRUCTIONの再出発になると述べ、ドラムにランディ・ブラック、2本目のギターにダミア・エスキッチを迎えた最初の作品となった。エスキッチはボスニア系のスイス人ギタリストで、ギター講師として働き、CORONERのトミー・ヴェッテルリに師事した経歴を持つ。GOMORRAでも弾いており、2016年の『Under Attack』には3つのソロを提供していた。

出典: Nuclear Blast「DESTRUCTION - cover artwork released!」(レーベル発表、2026年10月20日参照)

ドイツの公式アルバム・チャートでDESTRUCTIONの作品が入った期間は、どれも1週だけである。再結成後の『All Hell Breaks Loose』が67位、『The Antichrist』が89位、『Inventor of Evil』が68位、『D.E.V.O.L.U.T.I.O.N.』が65位、『Day of Reckoning』が95位、『Under Attack』が68位で、そこから『Born to Perish』が26位、『Diabolical』が12位、2025年の『Birth of Malice』が10位と順位を上げた。ライヴ盤では『Born to Thrash』が50位、『Live Attack』が70位に入っている。バンドは『Diabolical』の12位を過去最高と喜び、『Birth of Malice』の10位を歴史上いちばん高い初登場だと発表した。『Birth of Malice』はスウェーデンのフィジカル・チャートにも17位で入り、これがバンドにとってスウェーデンで初めてのチャート入りとなった。

出典: Offizielle Deutsche Charts(ドイツ公式チャート)の検索結果「Destruction」(2026年10月20日参照)

DESTRUCTIONを追ったドキュメンタリー映画『The Art of Destruction』は、2025年3月6日、ベルリンのアレクサンダー広場にある映画館Cubixでワールド・プレミアを迎えた。プレミアには制作者たちとシュミーアのトークとサイン会が付き、制作者の1人はDenise Dörnerである。その後ドイツ各地で上映が組まれ、3月29日にはバンドの故郷ヴァイル・アム・ラインの映画館kinopalastでも、シュミーアと制作者を迎えた特別上映が設けられた。バンドは、大手企業の出資も映画基金の助成も受けていない自主制作の作品であることを強調している。同年6月28日からはThunderflix、Amazon Prime、Apple TVで世界配信が始まり、字幕は英語、スペイン語、ポルトガル語が用意された。

出典: DESTRUCTION公式サイトのニュース(ドキュメンタリー『The Art of Destruction』ワールド・プレミアの告知、2025年3月4日)

バンド自身が40周年と位置づけた2022年、DESTRUCTIONはその年ただ一度の記念公演の場に、地元の野外フェスティヴァル〈Baden in Blut Metal Open Air〉を選んだ。ドイツ、フランス、スイスの3国が接するヴァイル・アム・ラインの一帯は、バンドが始まった土地である。7月のこの公演には、トミー・サンドマン、ハリー・ウィルケンス、スヴェン・ヴォーマン、アンドレ・グリーダーらかつてのメンバーと、共同プロデューサーのV.O.プルヴァーが加わり、リハーサルから一緒に時間を過ごした。ところが嵐が襲い、主催者と当局の判断で、演奏はクライマックスを前に打ち切られた。バンドは途中で終わったことを詫び、いつか続きを披露したいと書いている。

出典: DESTRUCTION公式サイトのニュース「ANNIVERSARY FEST RECAP」(2022年7月29日)

DESTRUCTIONが初めて人前で演奏したのは、自分たちの公演ではなかった。シュミーアが2000年の取材で語ったところでは、SODOMに誘われて観に行った公演がVENOMのファンクラブの集まりを兼ねており、VENOMもサインに応じるために来ていた。SODOMが出番を終えると、次はお前たちがステージに上がれと言われ、2曲ほどを演奏した。思いがけない反応に驚いてから数週間後、エッセンで本当の初ライヴを迎える。このときはIRON ANGELとSODOMが前座を務め、DESTRUCTIONの後には、まだTORMENTORと名乗っていたKREATORがゲストのような形で演奏した。出演順にこだわる者などいなかったとシュミーアは振り返っている。

出典: Voices From The Darkside、DESTRUCTIONインタビュー(初出Sleepless Magazine第9号、2000年夏の取材、ページ初出2000年12月4日)

再結成後の第1作『All Hell Breaks Loose』のジャケットは、シュミーアの刺青から組み立てられている。シュミーアは2000年の取材で、刺青の図柄を寄せ集め、地獄から這い出てくるDESTRUCTIONの怪物のようなものに仕立てたと説明し、バンドが一つにまとまった姿と、アルバムの題名が示すテーマの両方を表したかったと話した。中央の人物と『Hellraiser』のピンヘッドとの類似を問われると、題名からして着想の出どころは明らかだと認め、最初の案には首をかしげたものの、手を加えるうちに納得のいく絵になったと語っている。

出典: Voices From The Darkside、DESTRUCTIONインタビュー(初出Sleepless Magazine第9号、2000年夏の取材、ページ初出2000年12月4日)

クロームの弾帯は、DESTRUCTIONの初期からの衣装である。シュミーアは2000年の取材で、弾帯はVENOMに倣ったもので、そのVENOMも自分の見るところMOTÖRHEADから取り入れたのだと語り、自分たちはそれをさらに過激にしたかったと話している。この衣装は思わぬ騒ぎも起こした。2004年5月、イタリアのブレシアでの公演を終えてミラノの空港から出国しようとしたところ、税関がこの弾帯を問題にし、ドラムのマーク・レインが身柄を拘束されたのである。バンドの声明によれば、実弾でも武器でもないという説明は通らず、延々と話し合った末に弾帯は没収され、レインは解放された。空港で衣装が問題になったのはペルーに続いて20年で2度目で、声明は飛行機まで足止めしたこの一件を、SPINAL TAPの名を挙げて笑い話にしている。

出典: Blabbermouth「DESTRUCTION Drummer Arrested In Italy」(2004年5月24日)

アルバム『Inventor of Evil』に収められた「The Alliance of Hellhoundz」には、メタルのさまざまなスタイルから9人のシンガーがゲストで参加している。SAXONのビフ・バイフォード、ドロ・ペッシュ、DIMMU BORGIRのシャグラス、SOILWORKのビョーン“スピード”ストリッド、元IRON MAIDENのポール・ディアノ、CANDLEMASSのメサイア・マーコリン、DEATH ANGELのマーク・オセゲダ、RAGEのピーヴィー・ワグナー、そしてHYPOCRISYやPAINのピーター・テクレンである。シュミーアは、この曲がメタルの歴史に名を残すと意気込んでいた。アルバムはテクレン、GURDのV.O.プルヴァー、バンドのライヴ・エンジニアであるFranky Winkelmannとともにドイツとスイスのスタジオで録音され、ミックスはスウェーデンのAbyss Studiosでテクレンが手がけた。

出典: Blabbermouth「DESTRUCTION: 'Inventor Of Evil' Cover Artwork Posted Online, More Guest Appearances Revealed」(2005年6月9日)

『D.E.V.O.L.U.T.I.O.N.』の10曲は、曲名の頭文字を順につなげるとアルバムの題名になる。1曲目の「D.evolution」から最後の「N.o One Shall Survive」まで、どの曲名も最初の1文字の後にピリオドを打って表記されている。シュミーアは、バンドの25周年を祝うことが新たな名作を作るもう一つの動機になったと語っていた。録音はデンマークのリーベにあるHansen Studiosで、プロデューサーのヤコブ・ハンセンとともに行われ、UFOのギタリスト、ヴィニー・ムーアが表題曲にいくつかのソロを提供している。

出典: Blabbermouth「DESTRUCTION: 'D.E.V.O.L.U.T.I.O.N.' Artwork Revealed」(2008年7月7日)

2011年の『Day of Reckoning』では、表ジャケットからおなじみの肉屋が姿を消した。シュミーアは発表の際、熱心なファンの文句が聞こえてくるようだと先回りし、髑髏と肉屋はイラスト入りのブックレットの中にいると説明している。世界の終わりに取り残された最後の人間というアルバムの構想には、題名の強さを少ない記号で突きつける、禍々しい絵がふさわしいと考えたという。初回限定盤はブックレットの表にバンドのロゴを載せず、アナログ盤とCDの2回目のプレスには赤いロゴが入った。絵を手がけたのはハンガリーの画家、ジュラ・ハヴァンチャークで、シュミーアによれば、それまでの最近の作品はすべて彼が描いていた。

出典: Blabbermouth「DESTRUCTION: 'Day Of Reckoning' Album Details Revealed; New Drummer Announced」(2010年11月18日)

2021年8月、結成以来ただ1人在籍し続けてきたギターのマイク・ジフリンガーがDESTRUCTIONを去った。ジフリンガーは、39年を過ごしたバンドを去る痛みを認めながら、心から納得できなくなった以上は区切りをつけるべきだと考えたと語っている。後任のマーティン・フュリアはアルゼンチン生まれでベルギーを拠点とし、NERVOSAやEVIL INVADERSのサウンド・エンジニア、プロデューサーとして知られていた。とはいえ新顔ではない。フュリアは2016年からバンドのサウンド技術者兼ツアー・マネージャーとして世界を回っており、シュミーアは、彼が長くDESTRUCTIONの家族の一員だったからこそ相性は抜群だと話した。フュリアが初めて録音に加わったのは、この発表と同時に公開されたシングル「State of Apathy」である。

出典: Blabbermouth「DESTRUCTION Officially Parts Ways With Founding Guitarist MIKE SIFRINGER, Announces Replacement」(2021年8月19日)

GURDのV.O.プルヴァーは、DESTRUCTIONの歩みに何度も登場する人物である。最初は『Release from Agony』で、ゲスト・ヴォーカリストの1人として名を連ねた。再結成後は、laut.deのバイオグラフィーがシュミーアの古い仲間と呼ぶとおり、2003年の『Metal Discharge』をスイスにある彼のLittle Creek Studioで録音し、再録音盤『Thrash Anthems』も彼のもとで作った。『Inventor of Evil』の録音にも加わり、2016年の『Under Attack』では録音の一部とミックス、マスタリングを担当し、2019年の『Born to Perish』は彼とともにLittle Creek Studiosで録音された。High Roller Recordsが出したEP『Sentence of Death』の再発盤のリマスターも彼の仕事で、2022年の40周年公演では、バンドが共同プロデューサーとして彼に感謝を捧げている。

出典: laut.de「Destruction」バイオグラフィー(2026年10月20日参照)