CYNTIA トリビア 全20件
CYNTIAにまつわる事実を、出典付きで20件掲載しています。
Trivia
バンド名の由来は、レーベルの公式プロフィールに一行だけ添えられている。Cyntiaは、Cynthia と Tiara を掛け合わせて生まれたバンドネームである。
メジャー・デビューより前に、彼女たちは東京ドームのステージに立っている。2013年1月、KARAの東京ドーム公演のバックバンドに抜擢されたのである。YUIがギター、AZUがベース、KANOKOがドラム、AYANOがキーボードという編成で、5万人を前に「シンティア」と紹介された。
バンドが生まれたきっかけは、別のアーティストのミュージック・ビデオの撮影現場だった。LIV MOONのMV撮影にYUIと前任ドラマーが呼ばれたのだが、そこに集められた他の面々はタレントで、実際に楽器を弾けるのはその2人だけだった。それなら女の子だけを集めてバンドを組んだらどうか、という企画が持ち上がり、YUIとKANOKOを中心にCYNTIAが結成されている。
ヴォーカルのSAKIは、CYNTIAのオーディションに一度落ちている。当時の彼女はロックを意識して聴いてこなかった人で、オリコンの1位から20位までをとりあえず聴くようなタイプだったという。そこから人生で初めてボイストレーニングに通い、SHOW-YAに出会って女性のハード・ロックはかっこいいと思うようになった。そして再びオーディションを受け、メンバーになっている。
SAKIがCYNTIAのオーディションで歌ったのは、偶然にもSHOW-YAの「限界LOVERS」だった。ただし採用後、無理にSHOW-YAへ寄せると自分らしさがなくなると言われたため、それからは何も考えずに歌っているのだという。このジャンルだからこう歌わなければならない、という決まりはないと思っている、というのが彼女の考えである。
2015年4月、リーダーを務めていたドラマーのKANOKOが脱退した。彼女は結成の中心にいた2人のうちの1人でもある。バンドは同年10月にレーベルをVillage Again Associationへ移籍し、4人編成での初のアルバム『Urban Night』を2016年12月にリリースした。
ドラマーの脱退後、バンドは約4か月間ライブができなかった。SAKIによれば、活動を始めてからの5年間でそれほどライブをやらなかったのは初めてで、その時期が一番つらかったという。サポート・ドラマーを決めるのにも時間がかかった。女性のドラマーがいいと思っていたものの、CYNTIAの曲は難しいのでなかなか見つからなかったのだそうだ。サポートが決まってからは少しずつライブができるようになった。
2015年の8月・9月・11月に行われた3本のワンマンで、バンドはそれまでにリリースした曲を全部演奏した。しかもそのうち1日はアコースティック・スタイルと通常のバンド・スタイルの2回公演で、アコースティック用にアレンジし直した曲も多かった。さらにメンバーから新曲もやりたいという声が出て、SAKIによれば準備の時間がまるで足りず、それなら寝ないという状態にまで追い込まれたという。ライブを終えたことでこれまでのバンドの歩みを振り返ることができ、次に何をやるべきかが見えてきたとAZUは述べている。
『Urban Night』は、それまでとまったく違う作り方で生まれた。ドラマーが抜けるまでのCYNTIAは毎年アルバムを出して走り続けてきたが、次はどうするかという段になって、こういう音楽にしましょうと誰も言い出さなかったのだという。そこで、やりたいことが見つかるまで、曲を書く3人——YUI、AZU、AYANO——でとにかくデモを出し合うことにした。この進め方は初めてだった。AYANOによれば、女性らしさを出そうとしたのが『Woman』、CYNTIAの持つハードさを前面に出したのが『Limit Break』で、本作はそのどちらとも違う成り立ちの作品である。
2017年12月26日、CYNTIAは無期限の活動休止を発表した。同時に公表されたのが、ギターのYUIが約1年半前にフォーカル・ジストニアを発症していたという事実である。発症後も活動を続けてきたが、日常生活においても症状が出るようになったことを受け、YUIの治療に専念するため、そして彼女がいない状態のまま活動していくのは不可能だというメンバーの思いから、この決断に至ったと説明されている。YUIはコメントで、早くこの日が過ぎ去って笑い話になるように頑張ると述べ、SAKIは、YUIのギターの旋律が無いCYNTIAは考えも想像もできない、彼女があってこそのCYNTIAだと書いている。
休止から7年後、CYNTIAは一夜だけステージに戻っている。2024年11月29日、神奈川のCLUB CITTA'で行われたAldiousとのツーマン「Queen of the Night」がそれで、CYNTIAにとっては一夜限りの復活ライブだった。両者はかつてレーベルメイトとして活動をともにした間柄である。Aldious側もこの日は、元メンバーのRe:NO(Vo)とAruto(Dr)をゲストに迎えた特別編成で臨んだ。SAKIはコメントで、活動当時いつも背中を追いかけていたAldiousと再び共演できるのがとても嬉しいと述べている。
ベーシストの交代は、活動が始まってすぐに起きている。当初のベーシストAIRIが体調不良のため活動を休止して脱退し、元LAZYgunsBRISKYのAZUを迎えて2012年11月に正式メンバーとなった。音楽ナタリーの記述によれば、この交代は初ライブの直後だった。
インディーズ時代の成績はレーベルのプロフィールに残っている。デモテープが決め手となってインディーズ・レーベルのスピニングからリリースされたシングル「ラン・トゥ・ザ・フューチャー」がオリコンのシングル・デイリー・ランキングで28位、2012年9月に出た1stアルバム『エンドレス・ワールド』がオリコンのアルバム・デイリー・ランキングで22位を記録した。東京・表参道GROUNDで行った3か月連続ライブもソールドアウトしている。
インディーズ期の締めくくりとして、音楽専門誌「Player」の読者人気投票で「BEST NEW ARTIST」部門の1位を獲得している。
ヴォーカルのSAKIは、バンドの活動とは別に、プロ野球オリックス・バファローズの大阪ドームでの公式戦最終戦で国歌を独唱している。
メジャー・デビューは2013年3月20日、アルバム『Lady Made』でビクターエンタテインメントからだった。KARAの東京ドーム公演でバックバンドを務めてから、わずか2か月後のことである。
2014年1月に発売されたシングル「閃光ストリングス」は、テレビアニメ「聖闘士星矢Ω」のオープニング・テーマに起用された。
メンバーの音楽の好みは、見事にばらばらだった。AYANOはDREAM THEATERのようなプログレ・メタルを好み、そもそも音楽を始めたきっかけはMARILYN MANSONだという。YUIはジャパメタ、AZUは70年代のロック、SAKIは日本のポップスに詳しく、加入後はメンバーからロックの教育を受けて中学生の頃のようにCDを借りていた。AYANOがこのバンドに惹かれた理由は、「歌える激しめのロック」というコンセプトがあったからだった。
その空白の期間は、ベースのAZUにとっては転機でもあった。サポート・ドラマーが決まるまでの間にいろいろな人とセッションする機会があり、そこで今のままではだめだと感じたのだという。自分のプレイ・スタイルも音楽に対する考え方も見つめ直すことができ、初めて立ち止まって考えられた気がすると彼女は述べている。サポートのnatsumeともしっかり話し、リズム隊の2人だけでスタジオに入ることも増えたそうだ。
SAKIにとってロックの入り口だったSHOW-YAとは、ステージでも縁があった。SHOW-YAが日比谷野外大音楽堂で毎年開催しているロック・フェス「NAONのYAON」に、CYNTIAは2013年、2014年、2016年と出演している。SAKIによれば、1回目は雰囲気に呑まれてしまい、2回目はその反省を活かして周りをよく見たら今度は空気を読みすぎてしまった。3回目にあたる2016年は、それまでで一番いいライブができたと彼女は語っている。