CRASHDIET トリビア 全126件
CRASHDIETにまつわる事実を、出典付きで126件掲載しています。
Trivia
『Generation Wild』の日本盤は2010年6月26日、キングレコードから出た。ボーナス・トラックとして「Sick mind」が加えられている。
初来日は2015年1月10日と11日、川崎のクラブチッタで開かれた「KAWASAKI ROCK CITY VOL.3 2015」だった。同じスウェーデンのヨーロッパ、トリートとの3組編成である。彼らはこのイベントのみの出演で、同じ時期に組まれていたNAMBA ROCK CITYには出ていない。
契約のきっかけは、2004年6月にストックホルム郊外のバーで行った1本のライヴだった。そこにストックホルム・レコードとテン・マネジメントの関係者が居合わせ、話がまとまる。マーティンとエリック・ヤングを加えて組み直してから、ライヴを重ねていた時期のことである。
アルバムに残った10曲は、50曲以上書いたなかから選ばれている。「このアルバムには非常に満足している。50曲以上書いたなかから、最上の10曲を選んだ」というのがバンド自身の言葉だった。
2010年9月7日、彼らはストックホルムのGlobe Arenaでオジー・オズボーンの前座を務めた。開場は18時15分、出番は19時20分だった。
2011年12月、エリック・ヤングが手を骨折してローマ、ミラノ、リヒテンフェルスの3公演に立てなくなった。代役に入ったのはマーティン・スウィートの弟マイケル・スウィートである。彼が正式メンバーになるのは、それから12年以上あとのことになる。
4作目の予約はふつうの形を取らなかった。同じCDに4段階の値段が用意され、買う側が財布に合わせて選ぶ方式である。安い順に、バンドが妥当と考える価格、余裕のある分だけ上乗せする価格、ブックレットに名前を刷ってもらえる価格、そして最上位の「Overkill」は、ロンドンの尻に自分の名前をタトゥーで入れてもらえる、というものだった。
2013年4月、ツアー中にマネージャーのミカエル・スンデーンが急逝した。バンドは移動の途上でその報せを受けている。彼がいなければ到達できなかった高みへ連れて行ってくれた人だった、というのが4人の言葉だった。
ミカエル・スンデーンはツアーの財務を一人で回していた。彼を失ったバンドは資金面で極めて苦しい状況に置かれ、予定どおり出発するために方々から借金をしている。何年も債務を抱えることになりそうだと自ら書いたうえで、11日間限定のクラウドファンディングを立ち上げた。ヨーロッパ公演を続けると決めたのは、それが彼の望んだことだと考えたからだった。5日後、キャンペーンの成功でツアーは再開している。
2016年8月、バンドは自分たちのレーベルDÏET RECORDSを立ち上げた。CRASHDÏET関連の珍しい音源と、メンバーのサイド・プロジェクトを出すための場である。第1弾はマーティン・スウィートの新バンドSweet Creatureのデビュー作で、続く予定として2005年のライヴ盤、レア音源集の第2弾、『The Unattractive Revolution』のLP化が挙げられていた。
2017年、バンドはデイヴ・レパードが歌う2005年のライヴ盤『Live in Sleaze』を発表した。この時期の録音はほとんど残っていないと彼らは書いている。当時の彼らは20代の4人組で、スウェーデン中の小さな会場を回っていた。その数ヶ月後にデイヴはこの世を去る、というのが告知の言葉である。ミックスとマスタリングは『Rest in Sleaze』のプロデューサー、クリス・レイニーが担当し、アートワークはクリステル・メンゲスが手掛けた。
新体制で最初のシングル「We are the legion」をプロデュースしたのは、THE HOOTERSのエリック・バジリアンだった。ロビー・ウィリアムズ、ボン・ジョヴィ、シンディ・ローパー、SCORPIONSらと仕事をしてきた人物である。曲の冒頭で鳴っているアコースティック・ギターも彼が弾いている。ミックスは『Rest in Sleaze』も手掛けたクリス・レイニー、マスタリングはクラッセ・パーション、ドラムの録音はビョルン・サミュエルソンが担当した。
2022年4月、エリック・ヤングがライヴ・ドラマーの任を退くことを自ら告知した。どのくらいの期間になるかは時間だけが知っている、理由は個人的なもので、しばらく自分自身の健やかさに向き合う必要がある、という言い方だった。代役には元HANOI ROCKSのラク——カリ・ラハティネン——が入り、彼は次のシングル「Powerline」のビデオにも登場している。
2024年2月20日、バンドは二つの人事を同時に発表した。ガブリエル・キーズが人生の別のことに向かうため脱退し、後任にCONFESSのジョン・エリオットが入る。あわせて、マーティン・スウィートの弟マイケル・スウィートが正式なドラマーになった。2011年以来数えきれないほどエリックの代役を務めてきたのだから当然の顔だ、というのがバンドの言い分である。ピーター・ロンドンも戻り、4人の名前が並べられた。
2025年6月、バンドはNinetoneと契約した。同時に発表されたのは、2作目『The Unattractive Revolution』を手掛けたパトリック・フリスクと再びスタジオに入るということである。何度も道が交わり、また一緒にやろうと話してきた相手と、18年経ってようやく実現する——というのがマーティン・スウィートの言葉だった。マネージャーにはイェスペル・リンドグレンが就いた。
バンド名を持ち込んだのはデイヴ・レパードで、2000年のことだった。ただしその言葉をどこで拾ってきたのかは、マーティン・スウィートによれば誰も知らないという。由来の説明が残っていない名前を、バンドはそのまま使い続けている。
2000年に立ち上がったときのギタリストは、のちにGHOSTを率いることになるトビアス・フォージだった。当時彼が名乗っていたメアリー・グーアという名は、もともと自身のデス・メタル・バンドRepugnantのために考えたものである。
マーティン・スウィートがデイヴ・レパードに初めて会ったのは2002年のクリスマスの日だった。ピーター・ロンドンに連れられてデイヴの家を訪ねた彼は、どうしてもその席が欲しくて緊張しきっていたという。デイヴは音楽的に天才で、ロックスターの空気をまとった男だった、というのが彼の第一印象である。
契約前で最も記憶に残る失敗として、マーティン・スウィートはスウェーデンのRookieというフェスを挙げている。4時間かけて会場に着いたのに出番までさらに8時間待たされ、朝から飲み始めた結果、ウェブ中継のステージに全員泥酔で立つことになった。デイヴが違うキーで弾いていたのでマーティンが彼のシールドを引き抜くと、デイヴはギターを客席へ投げ込み、そのまま激しく頭を振って舞台から落ちた。その1年足らず後にユニバーサルと契約している。
デビュー当時、彼らは10年以上ぶりにメジャー・レーベルと直接契約した「スリーズ・ロック」のバンドだと報じられていた。相手はユニバーサル・ミュージックである。
2006年1月20日の朝、デイヴ・レパード——本名デヴィッド・ヘルマン——がストックホルム北方の街ウップサラの自宅で亡くなっているのが見つかった。25歳だった。デビュー作を出してから1年も経っていなかった。
その日のうちに、マーティン・スウィート、ピーター・ロンドン、エリック・ヤングの3人は連名の声明を出した。CRASHDÏETは間違いなくバンドとして続かない、CRASHDÏETは4人だったが今その1人が去った——というのが、当時の彼らの言葉である。
解散の宣言を撤回した理由について、マーティン・スウィートは2006年秋の取材でこう説明している。あの声明はショックの只中で出たものだった。その後多くの人と話し、レパード家の一部の人たちからも名前を残すことに前向きな言葉をもらった。名前を保てばデイヴが遺したものを生かし続けられる、と彼らは考えたのだった。
デイヴ・レパードの名で行われている活動を、エリック・ヤングは2011年にこう説明している。運営しているのは彼の母親で、機材が買えない、公演を組めないといった駆け出しのバンドを助けることを主眼にしている。年に一度Rest In Sleazeという名のフェスを開き、そこで最もふさわしいと彼女が判断したバンドに賞を出す。受け取った側はその金で機材を揃えられる、という仕組みである。
2作目『The Unattractive Revolution』には、MÖTLEY CRÜEのミック・マーズが2曲でゲスト参加している。彼は2007年6月にストックホルムへ飛び、楽曲づくりを手伝った。
ミック・マーズとの作業について、エリック・ヤングは伝聞として語っている。実際に部屋にいたのはギタリストのマーティン・スウィートで、憧れの人物に会えて興奮しきっていた。ところが一日一緒に過ごすうちに、相手も自分たちと同じ人間だと分かって落ち着いていったという。マーズは機材を置くなり座り込んでリフを弾き始め、その場でリフが次々に出てくる人だったと。彼のリフをもとに2、3曲が組み立てられた。
3人目のシンガーは自分から電話をかけてきた。サイモン・クルーズは、バンドがシンガーを探していると聞いてマーティンに連絡し、試してみようと言ったのだという。オーディションで最初に歌ったのは「Riot In Everyone」で、そのあとは飲みに行った——うまくいくかどうかを確かめるのに必要なことは全部やった、というのが彼の説明である。決めるまでにはかなり時間をかけた。
『Generation Wild』はスウェーデンの公式チャートに3位で入った。スウェーデンでの発売は2010年4月14日、Gain/Sony Musicからである。
『The Savage Playground』の音について、マーティン・スウィートは2024年の取材ではっきり否定的なことを言っている。最初にミックスしたのが「Cocaine Cowboys」で、これはよく仕上がった。ところが作業を進めるうちに圧力がかかり、その場で決断を迫られる場面が続いて、途中からは引き返せなくなった。残りの曲は最初の1曲ほどうまくいかず、今聴くとあのミックスは安っぽく響く、というのが彼の言い分である。再ミックスの話は出ているが、優先順位は高くないとも述べている。
サイモン・クルーズが去ったのは、その日本公演の途中だった。マーティン・スウィートによれば、二日続きの公演の初日を終えた翌朝、彼は何も告げずにスウェーデンへ帰ってしまった。前々からおかしな様子ではあったという。マネージャーのミカエル・スンデーンが亡くなってから彼は変わり、個人的な問題を抱えているように見えたので、バンドは日本行きそのものを取りやめようとした。それでも彼は譲らず、東京へ向かった。ライヴ自体は1時間のセットをきちんとやり終えている。
『Automaton』の冒頭にはデイヴ・レパードの声が入っている。置いたのはバンドではなく、この作品で作曲にも深く関わったプロデューサーだった。マーティン・スウィートによれば、彼がアルバムのイントロを作り、そこにデイヴの声を入れて、こちらがどう反応するかを見た。全員が気に入ったのでそのまま残した、という順序である。
「Powerline」でSTEEL PANTHERのマイケル・スターが歌っている。これがCRASHDÏETのアルバムに載った初めてのフィーチャリング・ゲストで、ガブリエル・キーズとのデュエットになっている。
『Automaton』という題について、マーティン・スウィートは、止まることのない人間の機械のことだ、と説明している。何度打撃を受けても進み続けてきた自分たちに重なるから選んだのだという。
ピーター・ロンドンが離れたことで、現役のラインナップに『Rest in Sleaze』時代から残っているのはマーティン・スウィート一人になった。エリック・ヤングは2022年4月にライヴ活動を無期限で退き、2024年2月には後任のドラマーが正式に発表された。ロンドンは2023年以降断続的に離れている。
実現しなかった予定には日本も入っていた。マーティン・スウィートは2006年の取材で、『Rest in Sleaze』のあと日本へ行くことになっていた、と述べている。彼らが実際に来日するのは、それから9年後である。
2015年の来日は、実は二度目の予定だった。YOUNG GUITARは、当初2013年に来日する予定だったのがキャンセルされたという不幸もあった、と書いている。
このイベントにとっても彼らは例外的な存在だった。それまでKAWASAKI ROCK CITYに出たバンドはいずれも1980年代に全盛期を迎えた古参で、2000年代デビューのCRASHDIETが加わったことでイベントの幅が広がった、とYOUNG GUITARは書いている。
『Art of Chaos』の日本盤は品番MICP-12024で、11曲目にボーナス・トラックの「SCREAM」が加えられている。世界盤は10曲である。
日本のレーベルであるユニバーサル ミュージックが公開しているバイオグラフィは、初期の内紛をかなり率直に書いている。2000年の初めにストックホルム郊外でデイヴとピーター・ロンドンを中心に始まったバンドは、リハーサル・スタジオで大きな亀裂を抱え、出血するほどの殴り合いにまで至った末に、2002年にメンバーの半分を失った。
デビュー・シングル「Riot in Everyone」は2004年10月に録音され、そのプロモーション・ビデオは11月末にウップサラのスタジオで撮影された。そこはデイヴ・レパードが追い出されるまで住んでいた場所でもある。
10月25日に7インチ盤で世に出た「Riot in Everyone」は、ストックホルムのクラシック・ロック系クラブでかかり続けた。2005年1月10日にはスウェーデンの放送局ZTVがビデオを流し、2月18日にシングルとして正式に発売されると、売り切れるCDショップが相次いだという。
スウェーデン最大のロック誌Sweden Rock Magazineが2001年以降のアルバム50選を組んだとき、CRASHDÏETは2作を送り込んでいる。『Rest in Sleaze』は21位だった。
バンドが2012年に公開した2005年4月ごろの写真には、エリック・シンガーの前座を務めたときのものだと説明が添えられている。デビュー作を出した年、彼らはまだ前座の側にいたことになる。
2010年、バンドは初期の2種類のTシャツを2004年から2005年以来はじめて再発した。その売上の20%はデイヴ・レパード記念基金に充てられている。
デイヴ・レパードへのトリビュート盤『Reborn In Sleaze』は、2010年12月にバンドが告知し、Street Symphonies Recordsから2011年に出ることになっていた。編纂したのはバンドではない。エリック・ヤングとピーター・ロンドンは2011年12月の取材で、あれはイタリア人が組んだもので、自分たちはほとんど出来上がってから聴いた、と述べている。
2009年6月にサイトを刷新したとき、バンドは登録した会員に新しいデモ音源を無料で配った。ただしその音源で歌っている人物の名前は伏せられており、告知には「まだ発表していない新しいラインナップ」とだけ書かれていた。
正式発表は2009年7月14日だった。バンドは新体制での最初の公式インタビューをスウェーデン最大のロック誌Sweden Rock Magazineに独占で渡すことに決め、その第63号の発売日に合わせて名前を明かしている。
サイモン・クルーズを迎えた最初の公演は、2009年10月8日のSweden Rock Boatだった。船上である。
2009年11月、バンドはHARDCORE SUPERSTARの前座として回るはずだったフィンランド公演を取りやめた。理由は隠していない。次のアルバムの制作が録音予定から大きく遅れており、発売を延ばさないためには公演を捨てるしかなかった、と自ら書いている。
3作目の録音は2009年11月12日に始まった。バンドはこれを10日間の集中したスタジオ作業になると予告し、その全過程をTwitterで毎日追えるようにすると書いている。
シングル「Generation Wild」は、店頭に単体で並ばなかった。2010年2月末、Sweden Rock Magazine第69号に付く形で独占的にリリースされ、「One of a Kind」「Fear Control」という2曲のボーナス・トラックはその号でしか手に入らなかった。
シングル「Generation Wild」は、スウェーデンで1万枚を売り、2010年4月にゴールド認定を受けた。
「Generation Wild」のビデオは、企画とプロデュースをマルクス・CF・ティンナーホルム、脚本と監督をロブ・F・ブロムが務めた。バンドが公開したクレジットには出演者も並んでおり、拷問される「Victim 1」を演じているのはサイモン・クルーズ本人である。
アメリカでの『Generation Wild』の発売は2011年6月7日、Frontiers Recordsからだった。スウェーデンでの発売から1年以上あとのことである。
『Generation Wild』のLP盤には、CDに入っていない「Hollywood Teaze」がボーナス・トラックとして収録された。
2011年12月、バンドは翌2012年6月7日にヘルシンキでMÖTLEY CRÜEの前座を務めることを発表した。5年前に自分たちのアルバムへ曲を書いたギタリストのバンドである。
『The Savage Playground』は2012年の夏から秋にかけて、ストックホルム郊外のKingside Studiosで、プロデューサーのオットー・ウェルトンと録音された。ジャケットのアートワークはC.A.ベックストンによる。
2012年11月、バンドは『Shattered Glass And Broken Bones - Three Years Of Generation Wild』というライヴ/舞台裏映像のDVDを発表した。制作にはBear Productionsと組んでおよそ2年をかけており、収録時間は3時間20分に及ぶ。
2014年2月、バンドは2003年のEPを再発した。デイヴ・レパードがマーティン・スウィートとエリック・ヤングを迎えて組み直した直後、ユニバーサルと契約する前年の音源にあたる。
バンドがこれを公表したのは1ヶ月以上あとの2015年2月26日だった。マーティン、ピーター、エリックの3人の署名で、しばらく音沙汰がなかったのはこのためだと断ったうえで、サイモンは日本でのミニ・ツアーの最中に、何の予告もなく離脱を決めた、と書いている。ここ数ヶ月は混乱していた、とも。新作の録音は予定どおり進めるとも付け加えられていた。
2016年のRest In Sleazeフェスは最終回だった。シンガーのいなかったバンドは3人編成でゲストを迎えて出演し、ピーター・ロンドンとマーティン・スウィートはそれぞれのサイド・プロジェクト、Alter EgonとSweet Creatureでも演奏している。告知にはフェスを主催しているのがデイヴの母リスベットであることが明記されていた。
4人目のシンガー、ガブリエル・キーズは2017年12月6日に発表された。ストックホルム出身で、その声を初めて聴いたときに度肝を抜かれた、その後一緒に過ごして曲を書くうちに相性がはっきりした、というのがバンドの説明である。数年ほとんど沈黙していたことへのファンへの謝辞から告知は始まっている。
その「We are the legion」が書かれたのは2017年11月、録音は12月である。つまり新しいシンガーの加入が発表されたのとほぼ同時に書かれ、その月のうちに録られていたことになる。7インチ盤は手書き番号入りの300枚限定で、アートワークはクリステル・メンゲスによる。
「We are the legion」は2017年の大晦日にYouTubeで公開され、同時にニュースレターの登録者へ無料配布された。SpotifyやApple Musicといった配信で聴けるようになるのは、年が明けた2018年1月8日である。
ガブリエル・キーズを迎えた最初の公演は、加入発表から4ヶ月近く先の2018年3月30日、ストックホルムのKägelbananだと予告されていた。実際にその日程で行われている。
2019年、バンドはイギリスでSKID ROWの前座を務めることになった。公式サイトのバイオグラフィが自分たちの音の源として名前を挙げてきたバンドの一つである。
2021年9月、バンドはCrusader Records/Golden Robot Recordsと全世界を対象とする契約を結んだ。次のスタジオ作は2022年の早い時期に出すとされていた。
2025年12月、ピーター・ロンドンが次のアルバム・サイクルのあいだバンドを離れることが告知された。自身の健やかさと家族に向き合うためで、この数年、バンドとの両立が次第に難しくなっていたと説明されている。復帰を歓迎するつもりだ、ともバンドは書いた。
後任のベーシストはクリス・ヤングである。MIDNIGHT DANGERのメンバーで、LIPZの元メンバー。直前の3公演で急遽助けに入り、そのまま溶け込んだ、というのがバンドの説明で、以後は録音、ライヴ、ビデオを含めCRASHDÏETの活動すべてに関わることになった。
7作目『Art of Chaos』は2026年5月8日、Ninetone Recordsから出た。ここ何年かで最もスリージーな10曲だ、というのがバンド自身の説明である。
公式サイトを作っているのはバンド自身である。フッターには、ピーター・ロンドンとマーティン・スウィートが社内で開発したと書かれている。2011年の再デザインはマーティン・スウィートの仕事だと、当時の告知に書かれている。
フォージが2002年に去ったとき、抜けたのは彼だけではなかった。ベースのメイス・ケリーとドラムのトム・ボーンズも同時に離れ、残されたデイヴ・レパードが新しい顔ぶれでバンドを組み直すことになる。Metal Hammerは、フォージの離脱理由として同じ年に録音されたRepugnantのデビュー作に専念するためだった可能性を挙げている。
マーティン・スウィートが80年代のハード・ロックを掘り始めたのは10代半ば、1998年か1999年ごろだった。中古レコード店でRATTやCINDERELLA、DOKKENの盤が投げ売りされていたので片端から買ったという。ただし当時それを友人に言うことはなく、こっそり聴いていた。90年代半ばに『Dr. Feelgood』のCDを鞄に入れていると、周囲には笑われたそうだ。
2000年代のスリーズ・ロック復興の口火を切ったバンドの一つと言われることについて、マーティン・スウィートは、自分たちが始めたころ動きらしい動きはMÖTLEY CRÜEが再結成したことくらいだった、と振り返っている。
バンドは「スリーズ」という言葉から逃げない。マーティン・スウィートは、それは今でも格好のいい言葉だし定着してもいるので使い続ければいいと述べたうえで、自分たちが鳴らしているものの中身は結局ハード・ロックであり、ロックンロールだ、とも付け加えている。
ピーター・ロンドンが音楽で生きると決めた瞬間は、子どものころGUNS N' ROSESを聴いたときまで遡る。記憶の一番奥がそこで、以来「プランB」を持ったことは一度もないという。
マーティン・スウィートが初めて買った音源はEUROPEの『The Final Countdown』で、7歳ごろだった。次に手に入れたのはKISSの「Crazy, Crazy Nights」。初めて足を運んだコンサートもEUROPEで、Prisoners in Paradiseツアーに母親と一緒に行っている。
バンドの周年をいつから数えるかについて、マーティン・スウィートははっきりしている。それ以前にも別のラインナップはあったが、自分たちは『Rest in Sleaze』から数えるのが普通だ、というのが彼の言い方である。
デビュー作『Rest in Sleaze』は、スウェーデンのアルバム・チャートに12位で入った。
『Rest in Sleaze』をプロデュースしたクリス・レイニーについて、マーティン・スウィートは最高の男だと語っている。二人ともKISSとW.A.S.P.の大ファンで、それが一緒に作業する楽しさを増していたという。
「Breakin' the Chainz」は、危うく世に出ないところだった。マーティン・スウィートが歌もタイトルも付けないまま録音して送ったところ、デイヴ・レパードはこの曲を嫌ったのである。歌を乗せてくれと本気で説得しなければならなかった、と彼は振り返っている。
当時のバンドには次の予定が入っていた。3月にはテキサス州オースティンのサウス・バイ・サウスウエストでアメリカ初公演を行うことになっており、1月28日にはヨーテボリのStoranに立つはずだった。
デイヴが亡くなった日、バンドは自分たちのフォーラムを閉じている。憶測が飛び交うのを遺族への配慮から避けるためで、のちにデイヴへの思いを書き込むための専用フォーラムを別に開いた。
バンドがロゴを公募したとき、デイヴの母リスベット・ヘルマンは最初いい顔をしなかった。ロゴを変えるなら名前も変えるべきではないか、というのが彼女の考えで、スウェーデン国内でも議論になったという。ただし彼女はのちに、好きな名前を名乗ればいい、CRASHDÏETという名前が残る限り皆がデヴィッドを思い出すのだから、と考えを変えている。
リスベット・ヘルマンが息子の舞台を最後に見たのは、2005年12月9日、ストックホルムのKlubbenだった。終演後デイヴは彼女のところへ来て抱きしめ、母と二人の姉妹が見に来ていたことを誇らしがったという。彼女はそれをバンドの最良の夜の一つに数えている。
Rest In Sleazeフェスでは毎年、デヴィッドの写真を使った記念Tシャツが作られる。リスベット・ヘルマンによれば刷るのは75枚だけで、シンガポール、カナダ、アメリカ、ヨーロッパ各地から購入を希望するメールが届くという。
ピーター・ロンドンはRest In Sleazeフェスの常連で、毎年違う編成で舞台に立ってきた。それが自分の運命なのだと彼が言っていた、とリスベット・ヘルマンは笑いながら話している。
デイヴ抜きでの最初の演奏について、エリック・ヤングは自然なことだったと語っている。新しい歌い手H・オリヴァー・ツイステッドとは前年11月から会って一緒に過ごしていたからだ。ただしデイヴの家族やファンからは、新しいシンガーと並んだ姿は不思議に見えたようだ、とも彼は言っている。それはRest in Sleazeフェスでの一夜で、悲しむためではなく彼の記憶を祝うための場だった。
ミック・マーズとの共作がどう始まったのかについては、同じエリック・ヤングの説明が二通り残っている。2007年6月の取材で彼は、話はレコード会社から出たもので、MÖTLEY CRÜEがスウェーデンに来たときにレーベルとマーズのマネジメントが顔を合わせ、マーズが書き仕事のために戻ってくると言った、と述べた。2011年12月の取材では、マーズがMÖTLEY CRÜE以外の人間と曲を書きたがっていて、彼のマネジメントから自分たちのマネジメントに連絡が来た、と説明している。どちらの説明でも、マーティン・スウィートが彼と一日を共にしたという点は変わらない。
『The Unattractive Revolution』のミックスはアメリカで、ケヴィン・チャーコが手掛けた。
『The Unattractive Revolution』は2007年10月、スウェーデンのチャートに11位で入っている。
アルバムの題は最後まで決まらなかった。制作終盤の2007年6月時点でもエリック・ヤングは、案が50通りほどあってどれにも決めていない、と話している。写真撮影を含めた全体の出来を踏まえて、それをうまく言い表す言葉を選びたいというのが彼の言い分だった。
H・オリヴァー・ツイステッドとの関係は2008年7月に終わった。バンドは当時、100%を注げるシンガーが必要だが彼にはそれができなかった、フィンランドに別のバンドを持つ彼と時間を分け合うわけにはいかなかった、という趣旨の説明を出している。
2019年8月31日、シェフィールドのHRH Sleaze IIIで、オリ・ハーマンが飛び入りして「In The Raw」を歌った。ガブリエル・キーズによれば、その曲はセットに入っていなかった。RECKLESS LOVEが同じ会場に来ることは知っていたが到着や滞在の予定は分からず、その場の思いつきで実現したという。二人とも歌詞を見ながら歌った。
『Generation Wild』を手掛けたRamPacは、ヨハン・ラムストレムとパトリック・マグヌッソンによるプロデュース/ソングライティング・チームである。録音はストックホルムのGröndalで行われ、ミックスはトビアス・リンデルが担当した。
ヨーロッパでの展開は北欧を除いてFrontiers Recordsが引き受けた。スカンジナヴィアだけGain/Sony Musicが押さえ、その外側をFrontiersが持つという分け方である。
そのビデオはスウェーデンのMTVで放送されなかったと報じられている。Blabbermouthは2010年4月8日に「禁止されたと報じられている」という書き方をしており、Aftonbladet TVがその件を伝えた映像を紹介している。バンド自身も同じ日に「Generation wild banned on MTV!」という見出しで触れた。
海外に出るとアコースティック・セットを組むことが多いのには理由がある。エリック・ヤングによれば、通常の公演は18歳以上に限られることがほとんどなので、時間が取れて相手がいるときには必ずアコースティックの機会を作るようにしていた。ニュージーランドのような遠い場所で若いファンが自分たちを見られるようにするためである。
サイモン・クルーズのモヒカンの立て方も取材で訊かれている。彼の答えは、Osisというパウダーを毛根に振り、ヘアスプレーをかけ、それから逆毛を立てる、というものだった。スウェーデン製のスプレーで、非常に強いと彼は言っている。
『The Savage Playground』はほとんどライヴ録音だった。マーティン・スウィートによれば、4人が同時に演奏し、オーヴァーダブはあまり重ねていない。前作と比べて荒い手触りを残したかったからで、その分やりたいことをやる自信もついていた、と彼は述べている。当時のラインナップで3年ほど活動した後だった。
「Circus」という曲名は内容を表していない。マーティン・スウィートは、歌詞はさまざまな人の信仰を問い、周りで起きていることに目を向けろと促すもので、サーカスとはあまり関係がない、と説明している。
「Drinkin' Without You」は『Generation Wild』の制作中に書かれ、録音もされていた曲である。ただしそのときはデモを仕上げきれなかった。次の作品で仕留めたので収録できた、というのがマーティン・スウィートの説明である。
『The Savage Playground』はスウェーデンの公式チャートに2位で入った。発売は2013年1月、Frontiersからである。
オーストラリアでの発売のために、バンドは現地のレーベル3Wise Recordsと契約している。契約をまとめるためにマネージャーを見つけた、とマーティン・スウィートは述べている。
クルーズが去ったとき、『The Savage Playground』の次にあたる作品はすでに動き出していた。次のアルバムの計画があり、デモも作られていた、とマーティン・スウィートは語っている。彼が抜けたあとしばらく気力を失った、とも。結果としてその後継作が出るのは2019年になる。
空白の時期にバンドが終わったのかと繰り返し訊かれたことについて、マーティン・スウィートは2016年5月にはっきり否定している。CRASHDÏETは自分のメインのバンドだ、時が来ればシンガーを探し始める、というのが彼の答えだった。ただし当時は積極的に探してはおらず、シンガーからの売り込みのメールは全部聴いていると述べつつ、今は態勢を立て直しているところだとも語っている。
発表はスウェーデンのロック誌Sweden Rock Magazineの誌面で行われた。Sleaze Roxxはこのとき、キーズがデイヴ・レパード、H・オリヴァー・ツイステッド、サイモン・クルーズに続く4人目の正式なリード・ヴォーカルであることと、彼がHIGHRIDEのベーシスト、クリス・キーズの兄弟であることを書いている。
アルバム名『Rust』は曲名から来ている。ガブリエル・キーズによれば、マーティン・スウィートと「Rust」という曲を書いたときに、これがアルバムの題として正しいと気づいた。単語そのものに深い意味があるわけではなく、新しいイメージとテーマに終末後の世界のような手触りを与えたかったので、それに通じる言葉として選んだ、というのが彼の説明である。
『Rust』の作曲はガブリエル・キーズとマーティン・スウィートの二人で行われた。分担ははっきりしていて、メロディと歌詞がキーズ、音楽そのものはスウィートである。エリック・ヤングとピーター・ロンドンは書いていない、とキーズは述べている。書くのに1年ほどかかった。急がずに自分たちのものにしたかった、というのが理由だった。
『Rust』で二人だけの共作でない曲が2つある。「We Are The Legion」はTHE HOOTERSのエリック・バジリアンとの共作で、「Stop Weirding Me Out」はELECTRIC BOYSのコニー・ブルーム、バジリアン、マーティン・スウィートの手によるものだと、ガブリエル・キーズが説明している。
新しいシンガーを紹介するために作られた3部構成の映像シリーズ「The New Kid」は、マーティン・スウィートの発案だった。前に出て話す役についてキーズ自身は嫌がっておらず、他の3人は長年やってきたので、新入りの自分がやればいいと引き受けている。
2019年10月、ヨーロッパを回っていたIdiots On Tourの途中でエリック・ヤングが抜け、マイケル・スウィートが再び代役に入った。2011年に続く二度目の穴埋めである。
『Automaton』はロックダウンの副産物である。各地が閉じ始めたとき、当分ツアーに出られないと分かったので書き始めた、とマーティン・スウィートは述べている。ただし時間があることは長所ばかりではなかった。作業が長い期間に散らばった結果、時間があり過ぎて曲作りの効率はむしろ落ちた、というのが彼とピーター・ロンドンの一致した見方だった。
いつもは大量に書いてから10曲を奪い合う、とマーティン・スウィートは言う。『Automaton』が11曲になったのは、10曲に絞り切れなかったからだった。
『Automaton』に入っているバラード「I Can't Move on」は、書かれてから15年ほど寝かされた曲である。マーティン・スウィートが2007年、あるいは2006年に書き、『Generation Wild』に入れる案も出たが実現しなかった。ときどき引っ張り出しては考えていた曲が、このとき初めて収まるべき場所に収まった、というのが彼の説明である。
『Automaton』はCD、アナログ盤、カセットに加えてMDでも出た。ピーター・ロンドンは、持ち運べるのがいいと擁護し、マーティン・スウィートはCDプレイヤーよりずっと振り回せる、と冗談を重ねている。
マイケル・スターとのやり取りは驚くほど簡単だったらしい。マーティン・スウィートによれば、STEEL PANTHERとは10年ほど前にフェスで顔を合わせており、互いに知っていた。ゲストを入れようという話が出たとき、ガブリエル・キーズがスターにメッセージを送り、彼は二つ返事で応じた。歌はリモートで録られている。
加入にあたってジョン・エリオットが考え込んだのは、二つのバンドを掛け持ちすることになるからだった。まずCONFESSの仲間に、それから妻に話を通す必要があった、と彼は語っている。二つのバンドと家庭と子どもの予定を組み合わせるには相当な計画が要るので、何度も考え直したという。
ジョン・エリオットの実質的なデビューは、よく言われるMonsters of Rock Cruiseではない。本人によれば、その1週前にストックホルムで小さな公演をやっており、それが自分の正式な初舞台だった。告知のない、いわば足慣らしの一本である。
新しいシンガーが入ったことで、セットリストは動いた。リハーサルの段階で何年も演奏していない曲の話になり、「Native Nature」と「Knokk 'Em Down」が戻ってきた、とマイケル・スウィートが明かしている。
4人のシンガーが歌ってきた曲を一人で歌うことについて、ジョン・エリオットは技術的な問題として説明している。歌い手ごとに曲のキーが違うので、リハーサルのたびにギターを上げるか下げるかそのままにするかを決めなければならなかった。高すぎる曲も低すぎる曲もあり、どの歌い手の曲が一番歌いやすいとは言えないという。ただし『Generation Wild』には歌っていて気持ちのいい曲が多い、とも述べている。
幾度もシンガーが変わったバンドを続けてこられた理由を訊かれて、マーティン・スウィートはファンだと答えている。歌い手が抜けるなどして何もかも投げ出しかけたことは何度もあったが、そのたびにファンと、自分たちをブッキングしたい人たちの存在によって、まだ需要があることを思い出させられた、という言い方だった。
ピーター・ロンドンは2023年の初めから断続的に離れており、2025年11月から12月にかけてのKISSIN' DYNAMITEとのドイツ公演も、椎間板ヘルニアからの回復が続いていることを理由にバンドごと降板している。
『Art of Chaos』のジャケットを手掛けたのはパトリック・ノーマンである。ジョン・エリオットが歌う最初のアルバムでもある。
もし歴史上どのアルバムの制作現場でも覗けるとしたら、という質問に、マーティン・スウィートは2013年と2022年の二度、いずれもGUNS N' ROSESの『Appetite for Destruction』と答えている。2013年には、あれは本当にあの4人で仕留めたのか、それとも別のミュージシャンが弾いたのか気になる、当時のことは読める資料がほとんどない、と話していた。
正当に評価されていないバンドを訊かれたマーティン・スウィートが挙げたのはMADAM Xで、曲名として『High in High School』を口にしている。ピーター・ロンドンもこれに賛同した。