CORELEONI トリビア 全89件

CORELEONIにまつわる事実を、出典付きで89件掲載しています。

Trivia

このバンドが何のために作られたのかは、レオ・レオーニ自身が公式サイトのトップに書き残している。GOTTHARDのファースト・アルバムから25年という節目に、バンドがもう演奏しなくなっていた曲へ敬意を払いたかった——そう述べたうえで、対象になった曲を「DOWNTOWN」「FIREDANCE」「HIGHER」「HERE COMES THE HEAT」「IN THE NAME」「RIDE ON」「LET IT BE」「ALL I CARE 4」と自ら名指ししている。CORELEONIは漠然としたトリビュートではなく、曲目まで決まったところから始まっている。

出典: CORELEONI公式サイト HOME

ドラムのアレックス・モッタが最初に叩いた「ドラム・セット」は、祖父が作ってくれた鍋とバケツの寄せ集めだった。スティックは中華料理店の箸である。本物のドラム・キットを手にしたのは11歳のときで、そこから正式に師について習い始めた。5歳でドラムを始めたきっかけは、両親が持っていたロックンロールのレコードとカセットだったと本人は書いている。

出典: CORELEONI公式サイト アレックス・モッタのページ

ドラマーがヘナ・ハーベッガーからアレックス・モッタへ替わった時期は、長らくどの資料にも書かれていなかった。バンド自身の告知は2019年11月26日にある。ツアー初日を翌日に控えた投稿で、モッタがハーベッガーの代役に入ってから1年あまりが経ったので、正式かつ恒久的なメンバーとして発表する、と述べている。逆算すると代役として叩き始めたのは2018年の秋にあたる。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

発売から1週間足らずで、デビュー作はスイスのアルバム・チャート3位に入った。バンドが2018年3月7日に自分で報告している。同じ投稿はもう一つの数字も添えていて、地元ティチーノのアルバム・チャートでは初登場1位だった。文末には当時の5人——レオ、ヘナ、ロニー、イゴール、ミラ——の名前が連署のように並んでいる。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

『III』の10曲目「Deep In My Soul」は、バンドの誰も書いていない曲である。作曲したのはハモンド奏者のネロ“ニール”オトゥパッカで、レオーニのかつてのバンド仲間だった。初めて聴いたときにレオーニは惚れ込んだが、この曲は発表されないままになっていた。だから本人に、『III』のために録らせてもらえないかと頼んだのだという。歌詞はフラヴィオ・レネ・ホーホシュトラッサーとオトゥパッカの共作である。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS

2024年7月25日にヴァッレマッジャで行われたMagic Rock Nightは、CORELEONIにとって代役の仕事だった。5月14日の告知が、チェヴィオでのこの公演にグレン・ヒューズの代わりとして出ると明かしている。ところが7月中旬、バンドは「ここ数日の出来事」でアルタ・ヴァッレマッジャの地域が大きな打撃を受けたとして、会場をチェヴィオからゴルデーヴィオへ変更すると告知した。バンドは共演のChinaとともに、サイン入りのメイバック製ギターをチャリティ・オークションに出して被災地を支援している。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS

2025年7月3日、CORELEONIはチューリッヒのハレンシュタディオンでジューダス・プリーストの前座を務めた。この日の9曲、約40分がそのままライヴ盤『Live at Hallenstadion Zurich』になっている。バンドの告知はこの40分を永遠に残さなければならなかったと述べ、その理由を、会場にいた観客のためだけではないからだと説明している。観客数はバンドとレーベルがそろって7,000人としている。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS

「GOTTHARDのカヴァー・バンド」という呼ばれ方を、レオーニは受け入れていない。2022年5月のスイス誌の取材で彼は、GOTTHARDのカヴァーをやったことは一度もない、なぜならその曲は自分が共作したものだからだと述べ、ロジャー・ウォーターズが『ザ・ウォール』を全曲演奏したらピンク・フロイドのカヴァー・バンドになるのか、と問い返している。

出典: Metal Factory インタビュー(2022年5月11日)

レオーニがブッシュペパを見つけたのはユーロヴィジョン・ソング・コンテストの中継だった。アルバニア語の歌詞は一言も分からなかったが、並外れた歌い手であることは分かったという。次に彼が考えたのは「英語が通じるといいのだが」だったが、連絡を取ってみると相手はイタリア語も話した。イタリア語はレオーニの母語であり、そこから話は自然にまとまった。

出典: Highwire Daze インタビュー(2025年12月16日)

ロメロがマイケル・シェンカーのバンドで歌うようになったきっかけは、CORELEONIのツアーだった。2020年11月の取材で本人が語っている——シェンカーのプロデューサーであるミハエル・フォスと彼のバンドMad Maxが、2018年のCORELEONIのツアーで前座を務め、そこから親交が生まれた。のちにフォスから電話があり、シェンカーがアルバムにゲストを迎えることを考えていて自分の名前を挙げた、と伝えられたのだという。

出典: Rafabasa インタビュー(2020年11月17日)

『III』が初のオリジナル・アルバムになった理由を、レオーニはただ一つに帰している。COVIDである。2週間で終わるはずのロックダウンが4週間になり、2か月になり、1年になり、結局2年続いた。当初は2曲だけ書くつもりだったのが、気づけば10曲を作れるだけの時間があった——唯一の「マスタープラン」はそこから生まれたものだ、というのが本人の説明である。

出典: Metal Factory インタビュー(2022年5月11日)

『III』の4曲目「Greetings From Russia」は、時勢を受けて書かれた曲ではない。レオーニは2022年5月の取材で、この曲は戦争が始まる前に書かれたもので当時の出来事とは関係がないと明言している。彼にとってロシアはアメリカと同じく「約束の地」であり、芸術家としてはアメリカ以上に興味深い国だった。妻がロシア人であるため、この国のもう一つの側面と歴史を知っている、とも述べている。

出典: Metal Factory インタビュー(2022年5月11日)

『Generection』の先行第2弾「Howling At The Moon」は、新しく書き下ろされた曲ではない。BURRN! ONLINEは2026年8月27日、この曲がGOTTHARD黎明期の未発表素材から新たに作り上げられたものだと伝えている。同誌はその素材を、故スティーヴ・リーが在籍していた時期のものだとしている。

出典: BURRN! ONLINE(2026年8月27日)

日本盤を出しているのはワードレコーズ1社だけである。同社の商品一覧に並ぶCORELEONI名義の商品は4点——『ザ・グレイテスト・ヒッツ パート1』『Ⅱ』『III』、そして予約受付中の『Generection』で、いずれもスタジオ作にあたる。ライヴ盤2作には国内盤が無く、日本では輸入盤で流通してきた。国際盤のレーベルが作品ごとに替わっていった8年間、日本側の窓口だけは一度も替わっていない。

出典: ワードレコーズ・ダイレクト CORELEONI商品一覧

バンド公式のLIVEページは2017年12月の最初の4公演から2026年秋のツアーまでを年ごとに並べているが、そのどこにも日本の会場と日程は出てこない。このバンドで日本の舞台に立った者がいないわけではなく、イゴール・ジアノラはGOTTHARDのDial Hardツアーの一員としてヨーロッパと日本を回っている——ただしそれは1990年代の、別のバンドでの話である。

出典: CORELEONI公式サイト LIVE

日本での紹介は発売の2か月前、2017年12月に始まっている。BARKSは12月21日、GOTTHARDのファースト25周年を記念した再録音盤として本作を伝え、日本盤が世界に先駆けて2018年2月14日に出ること、そして新曲「Walk On Water」のミュージック・ビデオが公開されたことを報じた。同記事はこの曲を、社会情勢への訴えと平和への願いを込めた曲だと説明している。

出典: BARKS(2017年12月21日)

再演された曲がGOTTHARDのどのアルバムから来ているかを一つずつ書き分けた資料は、日本側にある。タワーレコードの2018年2月6日の記事は、「ファイアダンス」「ダウンタウン」「オール・アイ・ケア・フォー」が1stの『ゴットハード』、「ハイヤー」「ゲット・イット・ホワイル・ユー・キャン」「ヒア・カムズ・ザ・ヒート」が2ndの『ダイアル・ハード』、「イン・ザ・ネーム」「レット・イット・ビー」「ライド・オン」が3rdの『G.』からだと整理している。

出典: TOWER RECORDS ONLINE 特集(2018年2月6日)

レオ・レオーニ本人のメンバー紹介ページには、同じ動機がもっと素っ気なく書かれている。GOTTHARDに敬意を表して昔の名曲を演奏しているバンドはいくらでもいる、ならば自分でやって楽しめばいい——それだけである。同じページは、12歳でレス・ポールに恋をした、という一文から始まっている。

出典: CORELEONI公式サイト レオ・レオーニのページ

公式サイトが開いたのは2017年12月15日で、その日の告知が現在たどれる最も古いニュース記事にあたる。文面は「レオの新しいプロジェクトの最新情報はここで」という短い挨拶で、ヘナ、ロニー、イゴール、ミラという4人の名前が並び、GOTTHARDの初期が甦る、と予告されている。バンド名義の最初の公開文書が、メンバー紹介を兼ねていたことになる。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

ジアノラとGOTTHARDの関係は、資料によって書き方が割れている。本人の紹介ページは1993年から1995年、『Dial Hard』ツアーの「ステージ・パフォーマー」として、ヨーロッパと日本で100本を超える公演を回ったと記す。一方でAFMレコーズは「ex-Gotthard」、メタルヴィルは「元GOTTHARDのギタリスト」と書く。当サイトは本人の表現に従い、正式メンバーであったとは書かない。

異説あり出典: CORELEONI公式サイト イゴール・ジアノラのページ

ジアノラが最初に組んだバンドはSabotageで、結成は1985年、15歳のときだった。初ライヴは翌1986年、地元ルガーノの青少年センターである。クラシック・ギターを手にしたのは1978年で、本人は良い生徒ではなかったと書きつつ、その時間がのちにエレキへ移るのに役立ったとしている。

出典: CORELEONI公式サイト イゴール・ジアノラのページ

モッタは1985年生まれ。2008年にミラノのNAM(Nuova Accademia Musicale)でイタリアの名ドラマー、トゥリオ・デ・ピスコポに師事して音楽ディプロマを取得している。ジョン・ボーナム、アレックス・ヴァン・ヘイレン、キース・ムーン、コージー・パウエルからフィリー・ジョー・ジョーンズやバディ・リッチまでを聴き込み、パワーとグルーヴと音楽性を混ぜた自分のスタイルを作ろうとしてきた、というのが本人の書き方である。

出典: CORELEONI公式サイト アレックス・モッタのページ

CORELEONIのリズム隊とギターの片翼は、このバンドで出会ったわけではない。モッタが初めてプロとして舞台に立ったのは2013年、友人のイゴール・ジアノラのバンド、アルト・ヴォルタッジオでのことだった。それ以前は14歳だった1999年にミラノ近郊でHeadOrCrossというロック・バンドを始め、Why OutやOn-Offといったバンドでヨーロッパを回っている。

出典: CORELEONI公式サイト アレックス・モッタのページ

ベースのミラ・マーカーはベリンツォーナ生まれで、13歳からベースを弾いている。公式ページが挙げる在籍歴はNostran & Vomitors(グロット・パンク)、Soulline(メロデス)、Imperial(グランジ)、Naïve(ストーナー)、Mydevice(ポストハードコア)の5組。ところが日本のレーベル資料はまったく別の2組を挙げており、両者は一つも重なっていない。AFMレコーズが自社ページで彼女にSoullineの名を添えているので、当サイトは本人のページ側を主として、日本側の記述も併記するにとどめている。

異説あり出典: CORELEONI公式サイト ミラ・マーカーのページ

ブッシュペパの経歴には、ロック・シンガーとしての下地が並んでいる。2007年にはバンドSunriseでティラナのディープ・パープル公演の前座を務め、2011年には同じくティラナでダフ・マッケイガンのLoadedツアーの、2013年8月18日にはコルチャの伝統的な祭でロン“バンブルフット”サールの前座に立っている。2011年からはテレビ番組『The Voice of Albania』のヴォーカル・コーチも務めている。

出典: CORELEONI公式サイト ユージェント・ブッシュペパのページ

2014年にはメタルの現場にも立っている。ケリー・サンダウン・カーペンターの代役としてDarkologyのツアーに加わり、Killfest Tourをオーヴァーキル、プロング、エンフォーサーとともに回った。スペイン、ポルトガル、イタリア、スイス、ドイツ、オランダを通る行程だった。2006年から2017年まではアルバニアの民放Top Channelで働いてもいる。

出典: CORELEONI公式サイト ユージェント・ブッシュペパのページ

バンド自身の加入告知は2021年7月17日付で、驚くほど短い。人生と情熱を分かち合える新しい友人に出会えた、素晴らしい人間で、しかも素晴らしい歌手でもある——それだけ書いて、家族として迎えてほしいと結んでいる。前任者が抜けてから1年3か月が経っていた。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

バンドの側からの告知は、その翌日の2020年4月14日に出ている。友人ロニーに敬意をもって別れを告げなければならない、楽しい時間をありがとう、達者で——3行だけの文章である。この投稿は現行のニュース・ページからはすでに流れ落ちており、Internet Archiveの保存版にのみ残っている。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

ロメロ本人の公式サイトは、自分が関わったバンドの一覧にCORELEONIを載せている。表記は「レオ・レオーニのCoreleoni(2枚:Greatest Hits I, II)」で、マイケル・シェンカー・グループやヴァンデンバーグ、ザ・フェリーメンと同じ列に並んでいる。参加作を2枚と数える点は当サイトの記録と一致する。

出典: ロニー・ロメロ公式サイト

2018年秋のヨーロッパ・ツアーを終えたバンドは、12月1日の投稿で前座を務めたバンドを名指しで並べている。Redeem、MadMax、Underskin、Crystal Ball、Silverdustの5組である。ロメロによれば、このうちMadMaxとの縁が、のちに彼をマイケル・シェンカーへ引き合わせることになる。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

アルバムより先に世に出た曲がある。2017年12月19日、バンドは公式グッズの開始を告げるのと同じ投稿で、新曲「Walk On Water」をデジタル・ダウンロードとしてウェブショップで販売すると発表した。アルバムの発売はその2か月後である。既発曲の録り直しで固めた作品の中で、書き下ろしの1曲だけが先に単体で世に出た形になる。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

デビュー作の発売日には、テレビの側でも出来事があった。2017年12月30日のルガーノ公演はスイス公共放送RSIのLa2がカメラを入れて全編を収録しており、放送日は2018年2月23日——アルバムの発売とちょうど同じ日だった。バンドはそれに先立って、新録の「Walk On Water」の演奏部分を先行公開している。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

デビュー作にはごく限られた特別仕様があった。2018年1月16日の告知によれば、フロンティアーズのウェブショップ限定で180グラムのゴールド・ヴァイナルによるゲートフォールド盤が用意され、その製造枚数は100枚だった。バンド自身が「very limited」と念を押している。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

発売直後の販促には、今ではあまり見ない形のものもあった。2018年3月、バンドはドイツの3か所——クルムバッハのBistro Denise、ウルムのRockside Club、ザールブリュッケンのGloria Stages——で「リスニング・パーティ」を告知している。集まって新しいCDを一緒に聴き、CDやグッズが当たる、という趣向だった。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

2作目からレーベルが替わっている。バンドは2019年7月31日、新しい所属先としてAFMレコーズを発表し、同時に『II』を9月27日に出すこと、通常CD・限定デジパック・クリアとレッドの2枚組ゲートフォールドLPという形態を告知した。新曲は「Queen Of Hearts」と「Don't Get Me Wrong」の2曲、加えてジョン・リー・フッカーのカヴァー「Boom Boom」が入ることもこの時点で明かされている。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

『II』が録音されたのはルガーノのイエロー・ハウス・スタジオである。バンドは2019年9月14日、レオーニがそのスタジオで制作について語る映像を公開したと告知しており、場所の名前もそこに書かれている。このスタジオはレオーニ自身のもので、以後『III』の録音もここで行われた。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

AFMレコーズが自社ページに書いたCORELEONI評は、音よりも人間関係に寄っている。このバンドは親しい友人と長年の同僚からなる一団で、レオーニと並んであの時代を切り開き、彼と多くの記憶を共有している面々だ——という書き方である。そのうえでレオーニと並ぶ当時の顔ぶれを、ロニー・ロメロ、ヘナ・ハーベッガー、イゴール・ジアノラ、ミラ・マーカーと列挙している。

出典: AFMレコーズ公式サイト CORELEONIページ

2019年12月の「The Travellin' Men Tour」は、バンドが最初に本格的にヨーロッパを横断した行程だった。終了後の12月23日の投稿でバンドは、自分たちの“Bastardos”ロード・クルーを一人ずつ、役職を添えて名指しで謝している——ツアー・マネージャー、FOH2名、照明、バックライン2名、物販、そして運転手3名の計10名である。バックラインの一人はダヴィデ・パガーノで、『III』の録音でレオーニと組むことになる人物だった。前座を務めたMAXXWELLへの礼も添えられている。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

そのツアーには1本、バンドの手を離れたところで消えた公演がある。2019年12月17日のドイツ・デッゲンドルフ公演で、11月22日の告知によれば、プロモーターが倒産したらしいという情報が入り、チケット販売は止められ、会場からも彼の他の公演がすべて中止になったと知らされた。バンドは破産管財人と連絡を取ろうとしているとしたうえで、購入先によって払い戻しの扱いが違うことまで書いている。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

CORELEONIはモントルー・ジャズ・フェスティヴァルにも出ている。2019年6月7日の告知によれば、出演は7月7日日曜の22時30分、無料エリアの「Music in the Park」だった。ハード・ロックのバンドとしては珍しい舞台だが、この年の彼らはスイス国内の夏フェスを次々に埋めており、その一つとして案内されている。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

2018年12月15日、カールスルーエのKnock Out Festivalにも出演している。7月27日の告知にはこの日の共演者としてハロウィン、プリティ・メイズ、プライマル・フィアの名前が並んでおり、デビュー作を出して1年足らずのバンドがドイツの屋内フェスでこの並びに入っていたことになる。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

バンド公式のLIVEページは2017年から2026年までの全公演を年ごとに並べているが、2020年の欄そのものが存在しない。2021年も1本だけで、7月30日のRun to the Hill Festival(ボルティゲン)である。最初の年、2017年も4公演——アーニョ、アールブルク、ディーティコン、そして12月30日のルガーノ無料公演——しかない。2019年12月の欧州ツアーから2022年3月のツアー再開までの空白に、シンガーの交代と世界的な公演停止がそのまま重なっている。

出典: CORELEONI公式サイト LIVE

2020年に公演が1本も残らなかったのは、予定が無かったからではない。3月20日の告知は、ドイツのPförring Open Air(7月18日)、スイスのOpen Air Etziken(7月25日)、ドイツのRock Of Ages(8月1日)の3本を確定として並べ、末尾に「みんな無事で」と添えている。その5日前には、Rock the Boatの公演がコロナウイルスのため中止になったことをすでに告知していた。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

公演の無かった2020年に、バンドのニュース欄が更新されたのは数えるほどである。10月5日には「Forever with us, beautiful soul.」という一文だけが置かれた。12月18日には、レオ・レオーニと仲間たちによるクリスマス・ソング「Xmas with you」の公開が告げられている。その年のニュース欄はこの2件と、離脱の告知と、中止の連絡でほぼ全部だった。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

新シンガーを迎えて最初に予定された舞台も、そのままでは実現しなかった。2021年9月13日、バンドはブッシュペパの新型コロナ感染を告げ、日曜のTamaro Music Dayには彼が出られないと発表した。それでも行くつもりで、イゴール・ジアノラとアレックス・モッタのバンドであるアルト・ヴォルタッジオが演奏し、そこにレオーニとミラ・マーカーが特別ゲストとして加わる、という代案まで立てている。同じ投稿に、天候不良のため公演自体が中止になったと追記された。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2022年1月10日保存)

アトミック・ファイア・レコーズとの契約が発表されたのは2021年12月1日で、バンドはその発表文を自サイトにそのまま載せている。同社の代表マーカス・ヴォスギーンのコメントには個人的な縁が書かれていた——彼はGOTTHARDの『Lipservice』『Need To Believe』『Firebirth』の仕事に関わっており、メンバーと友情を築いてきたのだという。レオーニ側のコメントは、メタルの世界を健やかに保っているレーベルへの謝辞である。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2022年1月10日保存)

同じ発表文の中でレオーニは、新作を機材の話から説明している。これほどのアルバムはしばらく誰も出していないと思う、今どき自分たちのようにレス・ポールとマーシャルを使い、こういう考え方で書く者はほとんどいない、というのである。ロック・ファンとして近年それを寂しく思っていたところに、ブッシュペパという願ってもない当たりが来た、と続けている。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2022年1月10日保存)

『III』の成績はバンド自身が2022年5月30日に報告している。スイスのヒットパレードで2位、ドイツのオフィシャル・チャートで39位という数字で、「今週の始まり方としては最高だ」という一文が添えられていた。デビュー作のスイス3位から一つ順位を上げたことになる。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS

『III』は当初5月13日に出る予定だった。ところが2022年5月3日、バンドは製造上の理由で発売を5月20日へ延期すると告知している。日付だけが動かなかったものが一つあり、4月6日に告知されたランゲンタールのオールド・キャピトルでのリリース・パーティは、当初の5月13日にそのまま開かれた。発売の1週間前に行われたリリース・パーティである。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS

『III』の制作陣はバンドの告知に全員書かれている。プロデュースはレオ・レオーニ、録音はレオーニとGOTTHARDのダヴィデ・パガーノがイエロー・ハウス・スタジオで、ミックスはチャーリー・バウアーファインド、マスタリングはベルリンのTrueBusyness Musicでサシャ“ビジー”ビューレン、そしてアートワークはエカテリーナ・ボソヴァ・レオノワである。バウアーファインドはGOTTHARDのほかハロウィンやブラインド・ガーディアンでも知られる。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS

2022年秋の「Let Live Begin」ツアーで前座を務めたのは、スイスのシンガー、セライナ・テッリだった。同じ10月28日の告知にはもう一つ、アーニョのTemus公演(11月22日)には前売りが無く、チケットは会場でしか買えないという注意書きが添えられている。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS

メタルヴィル・レコーズが『Alive』の商品ページに載せたレオーニのコメントは短い。ジェント・ブッシュペパを迎えた最初のツアーのこの録音が、CORELEONIの本当の本質を捉えた、というものである。同ページは音源が2022年3月の「Rock Generation Tour 2022」から採られたことも記している。バンドにとって初のライヴ盤にあたる。

出典: メタルヴィル・レコーズ公式サイト CORELEONIページ

2024年1月の「ALIVE on tour」は、13公演をドイツ、オランダ、スイスで回る行程だった。終了後の1月29日の投稿でバンドは、自分たちの“bastardos”ロード・クルーと、前座を務めたThe Modern Day Heroesに礼を述べている。署名は「Leo, Alex, Gent, Jgor, Mila」——現在の5人である。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS

ブッキング・エージェンシーは短い期間に二度替わっている。2023年1月23日、バンドはニュルンベルクのペーター・ハラジム率いるCBF Booking GmbHを新しい国際エージェンシーとして発表した。ところが2024年6月14日には、Good News Productionsと新しい章を始めると告げ、この2年間の仕事に対してConcertbüro Frankenへ謝辞を述べている。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS

ライヴ盤からの先行曲に「Sick & Tired」が選ばれた理由を、イゴール・ジアノラが説明している。『III』の中でおそらく最も重い曲で、歌のパートはアルバム中でも最高音域に届く。チューリッヒの観客に押し上げられて、バンドは——とりわけジェントは——出せるものを出し切った。その様子は録音を聴けばはっきり分かる、というのが彼の言い分である。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS

ハレンシュタディオン公演が決まったのは、開催の8か月近く前だった。2024年11月8日、バンドは2025年7月3日にチューリッヒのハレンシュタディオンでジューダス・プリーストの前座を務めることを告知し、同じ投稿で7月17日にはシオンのSous Les Etoiles Festivalでも同じ舞台に立つと伝えている。同じ夏に同じ相手と2度共演した形である。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS

このライヴ盤を出したのはReigning Phoenix Music傘下のPerceptionである。同レーベルのCORELEONIページは、7月3日の暑い夏の夜にチューリッヒのハレンシュタディオンで7,000人のロックとメタルのファンを前にジューダス・プリーストの前座を務めた、と記し、その内容を初期GOTTHARDの曲と『III』からの新しめの曲を行き来する構成だったと説明している。

出典: Perception公式サイト CORELEONIページ

2026年の『Generection』について、Reigning Phoenix Musicは3点を特徴に挙げている。土台になっているのは未発表の楽曲であること、これまでのどの作品よりもメンバー全員が作曲に関わっていること、そしてアナログ・ミックスであること——70年代と80年代の録音の質感を今の音で作り直す、という説明である。前作より重く硬い、とも書かれている。

出典: Reigning Phoenix Music公式ストア『Generection』商品ページ

『Generection』のフィジカル盤は10曲で、11曲目の「Lady Marmalade」は配信のみに付く。Reigning Phoenix Musicのプレスリリースが曲目にそう明記している。同じ文書によれば、2枚組デジパックの2枚目は2025年7月のチューリッヒ公演の録音——それまで配信でしか聴けなかった『Live at Hallenstadion』——である。つまりこのライヴ盤がフィジカルになるのは、この2枚組が初めてということになる。

出典: Reigning Phoenix Musicプレスリリース(C-Squared配信)

『Generection』を出したあとの2026年10月、CORELEONIはTykettoとの共同ヘッドライナー・ツアーに出る。7月8日の告知にある行程は、10月4日のベンスハイムから18日のリンダウまで、ドイツ、ハンガリー、スロヴァキア、スイス、オランダを回る12公演。同年9月にはスイス国内公演が組まれており、そのうち26日のSwiss Metal NightではChinaとShakraと同じ舞台に立つ。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS

6作のレーベルは、すべて名前が違う。デビュー作はフロンティアーズ・レコーズ、2作目『II』からAFMレコーズ、2021年12月にアトミック・ファイアと契約して『III』、初のライヴ盤『Alive』はメタルヴィル、2作目のライヴ盤はReigning Phoenix Music傘下のPerception、そして『Generection』はReigning Phoenix Music本体からとなる。バンド自身の告知を並べていくと、この移り方がそのまま追える。最後の2つは同じ会社の本体と傘下レーベルなので、法人として数えれば5社になる。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS(Internet Archive 2021年8月2日保存)

『Generection』の発売は2026年9月11日。先行第1弾シングル「Generation Rock」は7月2日に公開され、バンドはその告知でアルバム名と発売日、そして2枚組デジパックのディスク2が『Live at Hallenstadion Zurich』であることをまとめて明かした。第2弾「Howling At The Moon」の映像は8月8日に出ている。

出典: CORELEONI公式サイト NEWS

2026年7月の取材でレオーニは、最初から長続きするバンドにするつもりはなかったと述べている。自分の若い頃の音楽をもう一度祝い、その曲にもう一つの命を与える——ファンのための特別な企画のつもりだったが、反応があまりに良かったので少しずつバンドそのものになっていった、という説明である。一緒に演奏し始めたら自然に育っていった、とも語っている。

出典: Metal Rules インタビュー(2026年7月24日)

同じ取材でレオーニは、二つのバンドの守備範囲を分けて説明している。CORELEONIが受け持つのはGOTTHARDの初期、激しく鳴っていた時代であり、GOTTHARD自身はその後もっとメインストリーム寄りになった。だから今のGOTTHARDのサウンドにCORELEONIの流儀はもう合わない、という言い方をしている。

出典: Metal Factory インタビュー(2022年5月11日)

ギターのイゴール・ジアノラは2025年1月の取材で、自分とレオ・レオーニ、そしてスティーヴ・リーの三人がルガーノ界隈で育ち、15歳のときに知り合ったと語っている。1993年にGOTTHARDがギタリストを探していたとき、すでに彼らは自分を知っていた——それが音楽家として食べていく道を開いた機会だった、という説明である。

出典: il Bernina インタビュー(2025年1月7日)

ジアノラは1998年からU.D.O.に加わり、2012年に離れている。理由を彼は二つ挙げた。世界中の公演で長く家を空けることになる家庭の事情と、どんなに面白い仕事でも15年やれば繰り返しになるという気持ちである。選んだことに後悔はなく、今の自分にはCORELEONIが正しいバンドだ、とも述べている。

異説あり出典: il Bernina インタビュー(2025年1月7日)

ジアノラのもう一つのバンド、アルト・ヴォルタッジオは、1998年末に一件のライヴ依頼が来たことから、ほとんど偶然に始まったという。明確な構想があったわけではなく、70年代から90年代のロックに絞ったレパートリーと、腕のいい面子を集めたことで、予想以上に長続きした。米英のようにスイスのクラブでも一流の演奏を聴けるようにしたかった、というのが本人の説明で、バンドは2023年に25周年を迎えている。

出典: il Bernina インタビュー(2025年1月7日)

レオーニに誘われてCORELEONIに加わったときのことを、ジアノラは「家に帰るようなものだった」と表現している。GOTTHARDは自分と同じ根を持ち、自分のキャリアで特別な役割を果たしたバンドで、その音楽を長い年月を経てまた演奏するのは本当に胸が高鳴ったという。観客の受け入れ方も1994年のときと同じだった、と彼は続けている。

出典: il Bernina インタビュー(2025年1月7日)

ジアノラの家族の根はティチーノではなく、グラウビュンデン州のヴァルポスキアーヴォにある。母方がポスキアーヴォの出(トゥエナ家)で、祖父母はリ・クルトの集落アヌンツィアータに住んでいた。幼少期の一部をこの谷で過ごし、今も年に一度ほど戻る。ポスキアーヴォの方言も今なおよく理解できると本人は語っている。

出典: il Bernina インタビュー(2025年1月7日)

ユージェント・ブッシュペパが歌い始めたのは6歳、ロックに出会ったのは10歳のときで、きっかけは姉のエヴァが誕生日にくれた1枚のアルバムだった。そこから熱が上がり、以後アルバニアのロック・シーンで数多くのフェスやショウに出るようになったと本人は語っている。

出典: Arrow Lords of Metal インタビュー(2022年5月30日)

歌手になる前のブッシュペパは医者を目指していた。学校の成績は良かったと本人は言う。医学を学ぶためにボローニャへ移り、2年間在籍したところで、脇に置いていたもう一つの情熱に押し戻される形で大学を離れた。振り返ると、学業を終えられなかったあの国での時間は音楽の道に大いに役立った、もう一度やってもいいくらいだ、と述べている。なお加入時のレーベル発表文はこの学部を歯学と書いており、専攻の記述は資料によって割れている。

異説あり出典: Arrow Lords of Metal インタビュー(2022年5月30日)

ブッシュペパがCORELEONIに入った経緯は、彼自身の説明では公募でも紹介でもなくオーディションだった。ロニー・ロメロと袂を分かったあと、レオ・レオーニとイゴール・ジアノラの二人からオーディションの誘いが来たという。育つ過程でGOTTHARDを愛聴し、スティーヴ・リーを人類が聴いた中でも最高の歌手の一人だと考えていた彼にとって、その誘いは挑戦であると同時に夢の実現でもあった。

出典: Arrow Lords of Metal インタビュー(2022年5月30日)

オーディションに受かったブッシュペパはすぐスイスへ渡り、バンドと顔を合わせた。音楽の上でも人としても即座に噛み合ったといい、その場で新曲中心の次作について話し合ったうえ、4日間で3曲を録音してしまった。その3曲は『III』にそのまま収録されている。相性がどれほど早く分かったかを示す話として、本人がこの数字を挙げている。

出典: Arrow Lords of Metal インタビュー(2022年5月30日)

『III』の作曲にブッシュペパはほとんど間に合っていない。加入したのは制作の後半で、曲の大半はすでに書き上がっており、自分が足せたのはところどころのメロディ・ラインと歌詞の数フレーズだけだったと本人は言う。歌詞を書いたのはダニー・リーで、レオーニの他のプロジェクトでも多く仕事をしている人物である。

出典: Arrow Lords of Metal インタビュー(2022年5月30日)

『III』に入ったローリング・ストーンズのカヴァー「Jumpin' Jack Flash」は、ブッシュペパが加入する前にバンドが決めていた曲である。本人は自分がこの曲に関わっていないことをはっきり述べ、収録されると知ったのはミックスの段階だったと明かしている。

出典: Arrow Lords of Metal インタビュー(2022年5月30日)

『III』のボーナス4曲はいずれもGOTTHARD曲のセルフ・カヴァーだが、選曲はブッシュペパの声を基準に行われた。初期GOTTHARDのアルバムから、バンドにも彼の声にも合う曲を探したというのが本人の説明である。そのうち「Say Goodbye」は彼が自分で選んだ曲で、GOTTHARDの中でも昔から一番好きな曲の一つだったという。

出典: Arrow Lords of Metal インタビュー(2022年5月30日)

『III』からの5本のミュージック・ビデオは、ほとんどが撮影場所で性格を分けている。「Let Life Begin Tonight」はスイス南部タマロ山頂の現代建築の教会で、ケヴィン・メルツの組が撮影。「Purple Dynamite」はティチーノでマウリツィオ・デル・ピッコロが撮り、「Sometimes」はスタジオでの録音風景そのもの、「Like It Or Not」はティチーノ州アーニョのライヴ・クラブでの撮影である。曲に集中してほしいので凝りすぎないようにした、とブッシュペパは述べている。

出典: Arrow Lords of Metal インタビュー(2022年5月30日)

5本目の「Deep In My Soul」だけは撮影地がスイスを離れる。ブッシュペパの母国アルバニア南部にある5世紀の教会で、レヌアル・ロツァイの組が全編を撮った。バンド自身の告知もこの映像を古い教会の廃墟と表現し、歌っている姿が映るのは歌手一人だけだと書いている。

出典: Arrow Lords of Metal インタビュー(2022年5月30日)

加入発表に添えられたレオーニのコメントは、経緯をもっと素っ気なく述べている。最初にブッシュペパに気づいたのはユーロヴィジョンで、声も曲も一度で気に入った。新しいシンガーを探さなければならなくなったとき、すぐに彼のことを思い出し、そのまま連絡した——相手は最初かなり驚き、同時に喜んでいた、というのが彼の説明である。

出典: Time For Metal(2021年7月31日)

ロニー・ロメロの離脱が表に出たのは2020年4月13日、本人のフェイスブック投稿によってだった。スイスの媒体theart2rockはその日のうちに、投稿によればバンドは3週間ほど前に彼と別れていた、と伝えたうえで、文面は解雇のように読めると評している。同記事は、バンド側からはまだ何も出ていないとも書いている。

異説あり出典: The Art 2 Rock(2020年4月13日)

レオーニ自身が離脱の経緯を語ったのは2022年5月の取材である。ロメロは多くのプロジェクトを抱えており、日程の調整が常に容易ではなかった。その中にはより大きなバンドもあって優先順位が動き、それを最後のツアーで感じ取った。そして別のシンガーで続けるよう勧めたのはロメロ本人だった、というのが彼の説明である。

異説あり出典: Metal Factory インタビュー(2022年5月11日)

3年半後の2025年12月、同じ話題にレオーニはもっと穏やかな言い方をしている。ロメロは間違いなく優れた歌い手で解釈者であり、一緒に仕事をするのは楽だった。ただ一度に抱えた企画が多すぎた。結局は互いのために別々の道を選んだほうが楽だったのだ、と述べ、今は彼が何をしているか追ってはいない、と付け加えている。

出典: Highwire Daze インタビュー(2025年12月16日)

同じ時期の英国の取材でも、レオーニはほぼ同じ経過を語っている。ロックダウンで時間ができたので1曲書いたら2曲になり、2曲が3曲になり、そのまま続けていったら終わる頃には1枚分が揃っていた——という言い方である。強いられた時間を正しく使った、とも述べている。

出典: The Midlands Rocks インタビュー(2022年4月13日)

「Jumpin' Jack Flash」を選んだ理由は、原曲ではなくアレサ・フランクリンの録音にある。少年の頃ダンス・パーティ用のトップ40を演奏していたレオーニの頭にこの曲は残り続けたが、彼はストーンズの原曲よりアレサ版のほうが好きだった。CORELEONIが下敷きにしたのはその硬いアレサ版で、そこに彼らなりの荒さを足している。GOTTHARDが前作でアバの「S.O.S.」を録ったときも同じ経緯で、リハーサル室でデモを録りながら彼が歌メロを口ずさんだのが始まりだった。

出典: Metal Factory インタビュー(2022年5月11日)

『III』のジャケットを描いたエカテリーナ・ボソヴァ・レオノワが誰であるかは、バンドの告知には書かれていない。スイスの音楽サイトbluevisionsはこの人物をレオーニの妻だと記している。レオーニがロシア人の妻について語っているのは別の取材だが、ジャケットの作者と結びつけているのはこのページである。

出典: bluevisions(スイス)CoreLeoniページ

この録音は偶然の産物ではない。レオーニは2025年12月の取材で、公演の前から録ることを決めていたと明かしている。その夜の魔法が捉えられることを期待して回したテープを聴き返し、エネルギーがそこにあると分かったので、翌日には出すことを決めた。レーベルに話を通したのはそのあとだった、という順序である。ハレンシュタディオンはスイスにとって特別な会場で、GOTTHARDでも何度も立った場所だとも語っている。

出典: Highwire Daze インタビュー(2025年12月16日)

レオーニの周辺には紛らわしいバンドがもう一つある。GOTTHARD出身者が関わるGotusで、2022年の取材でも取材者が混同している。レオーニはこれをはっきり否定した——自分はGotusとは何の関係もなく、あれはマンディ・マイヤーのバンドだ、と。マイヤーは一時期GOTTHARDにいて、その後クロークスへ戻った人物である。自分は2つのバンドしか持っていない、というのが彼の言い分だった。

出典: The Midlands Rocks インタビュー(2022年4月13日)

シンガーの交代についてレオーニが繰り返すのは、バンドを家族に喩える言い方である。2022年の取材では、GOTTHARDですでに一人シンガーを失っておりそれは悲劇的な出来事だったと述べたうえで、バンドは家族のようなもので、それをもてあそぶことはできない、と語っている。もうシンガーを他のバンドと分け合いたくはなかった、というのが交代についての彼の結論である。

出典: Metal Factory インタビュー(2022年5月11日)

CORELEONIにイゴール・ジアノラを呼んだのはレオーニ本人である。2025年12月の取材で彼は、二人が同じ地域で育ち10代の頃から知り合いで、同じ町に住んでいるのでずっと連絡を取り合っていたと語っている。いつか一緒に何かやろうという話は常にあり、CORELEONIを始めたときに電話をかけた。舞台に一緒に立ってみると、時間が経った感じがまるでしなかったという。

出典: Highwire Daze インタビュー(2025年12月16日)