BLINDMAN トリビア 全10件

BLINDMANにまつわる事実を、出典付きで10件掲載しています。

Trivia

バンド名の由来として公式サイトが挙げているのは、欧米で要人警護にあたる特殊職務を指す俗称である。ただしこの説明には但し書きが付いていて、結成当時に伝わっていた話であるため現在のネットワーク上のデータベースでは真偽を確かめようがない、とバンド自身が明記している。由来を紹介しながら、同じ一文でその不確かさまで開示している公式バイオグラフィーというのはかなり珍しい。

出典: BLINDMAN 公式サイト BIOGRAPHY

BLINDMANは歌詞も曲名も一貫して英語だけで、日本語のものが1曲もない。中村達也によればこれは意識的に決めたことで、きっかけは20歳前後に友人から渡された1本のテープだった。韓国でいま一番のメタルバンドだと言われて聴いてみると、歌はハングルなのにサビだけが英語になっていた。そのちぐはぐさが強烈に引っかかり、英語圏の人間には日本語と英語の混在も同じように聞こえるのではないかと思い至って、以後は英語のみと割り切ったという。メジャーに在籍していた頃に次は日本語で、と求められたこともあるが、それは断っている。

出典: BARKS(BLINDMAN メンバー全員インタビュー)

2024年12月22日、BLINDMANは目黒鹿鳴館で『LIVE 2024 -PROLOGUE TO 30TH ANNIVERSARY』を行った。中村は、自分は昭和・平成・令和とこのステージに立ち続けてきたと語り、客の顔がよく見えるということは客からもこちらがよく見えるということだ、と鹿鳴館の間合いを説明した。ドラムを誰が叩いているのか分からないような箱もあるのだから、と。老朽化なのだから仕方がない、形あるものはそういうものだ、とも述べている。

出典: Marshall Blog(2024年12月22日 目黒鹿鳴館公演のライブレポート)

中村達也は『BLAZING CRISIS』以降、録音からミックス、マスタリングまでを自分で手掛けている。本人はプロのエンジニアと同じ仕事ができるとは思っていないと明言した上で、自分の側にあるのは二つだけだと説明する。ひとつは「どうしたいか」が明確にわかっていること、もうひとつは自宅に作った防音の部屋で時間を無制限に使えること。スタジオを借りたらとても払えない量の時間をかけられることが、エンジニアとしての技術の不足を補っている、という理屈である。

出典: BARKS(BLINDMAN メンバー全員インタビュー)

『Expansion』は11枚目のアルバムで、収録曲は11曲、発売日は2020年11月11日という三重の11で揃っている。ただし作品そのものは、最初からフルアルバムとして企画されたものではない。出発点は「少し毛色の違う曲を集めたミニアルバム」で、そこに曲を足していった結果フルの尺になった。中村達也は増やしたことをあっさり認めた上で、最初からフルアルバムのつもりで作っていたら生まれなかった曲があったかもしれない、と語っている。ちなみに彼が理想とするアルバムの長さは、46分のカセットテープに収まる程度だという。

出典: BARKS(BLINDMAN メンバー全員インタビュー)

『Expansion』5曲目の「Over There」は、中村達也が書いた初めてのインストゥルメンタルである。書きたくなかったわけではなく、自分にその能力があると思えなかったから書かなかった、というのが本人の説明で、そろそろやってもいいと思えるまでにバンド歴20年以上を要したことになる。曲を聴いた人は例外なくゲイリー・ムーアを連想するらしく、どのインタビューでもそう言われるので認める、と本人も観念している。自分にとって一番大きな存在だから言われて嫌なわけではない、到底及ばないとわかった上で自分には別の良さがあるかもしれないと思って弾いた、というのが本人の言い分である。なお5曲目という配置(アナログでいうA面ラスト)にも意味を読み取られたが、そちらは意識していなかったという。

出典: BARKS(BLINDMAN メンバー全員インタビュー)

2023年の『OUTBURST』がフルアルバムではなくミニアルバムになったのは、コロナ禍の直接的な結果である。前作『Expansion』は感染拡大が始まった2020年の11月に出ており、それを追いかけるツアーがまともに打てなかった。ライブ本数が極端に少なく、前作の曲をやり切った感覚がないまま次のフルアルバムへ進むことを中村達也は避けたかった。前作の曲も含めた形でライブをやりたい、という理由で短い尺が選ばれている。あわせて以前から再録したかった2曲が収録されたが、その2曲がどちらもアップテンポだったため、新曲の側は速い方向へ寄せなかった。年齢とともに速い曲があまり湧かなくなってきた、とも本人は述べている。

出典: OKMusic(中村達也インタビュー)

中村達也は、BLINDMANがHM/HRバンドと呼ばれることにも、自分がHM/HRミュージシャンと呼ばれることにも抵抗はないとしている。ただし自分自身を説明するときは「ロックミュージシャン」としか言わないことにしている、という。理由は、同じ音を聴いても「これぞヘヴィメタルだ」と言う人と「これはメタルではない」と言う人がいる領域であり、その線引きは自分が言うことではないから。枠を作りたくない、というのが一貫した立場である。

出典: OKMusic(中村達也インタビュー)

BLINDMANがアルバムデビューした1998年前後の東京は、ヴィジュアル系が勢いを持っていた時期にあたる。中村達也は18歳からバンドを組んでライブハウスに立っていたが、20歳を過ぎた頃にはジャパニーズ・メタルのブームはすでに下火で、どこの箱に出ても客席では閑古鳥が鳴いている状態だった、本当にしんどかった、と振り返っている。それでも音楽性は変えず、長年影響を受けてきたHR/HMをひたすら愚直に演奏し続けるしかなかったという。90年代末にヴィジュアル系の熱気が一段落し、もう一度HR/HMの動きが起こるのではという気運が高まったところで、1998年のアルバムデビューにつながった。中村は、SABER TIGERやCONCERTO MOONも同じスタンスだったのではないか、とも述べている。

出典: Mikiki(タワーレコード運営、中村達也インタビュー)

2024年、結成時のキーボーディスト遠藤均が四半世紀ぶりにBLINDMANへ戻った。同年12月22日の目黒鹿鳴館公演で中村達也が語ったところによれば、前任者が抜けたあと真っ先に電話をかけ、久しぶりにBLINDMANをやらないかと持ちかけたところ、遠藤は快く応じたという。遠藤自身も同じMCで、これだけ年月を空けてバンドに戻るという例は他のバンドでも聞いたことがない、と述べた上で、何よりまずバンドがそこまで残っていたことが大きい、と語っている。ただし空白期間の長さについては説明が食い違っており、公式サイトのバイオグラフィーが26年振りとするのに対し、この夜のMCでは中村・遠藤とも25年ぶりと言っている。

異説あり出典: Marshall Blog(2024年12月22日 目黒鹿鳴館公演のライブレポート)