BLACK LABEL SOCIETY TRIVIA
Trivia
BLACK LABEL SOCIETYのデビュー作『Sonic Brew』が最初に店頭に並んだのは日本である。1998年10月28日に13曲入りで発売され、ザック・ワイルド本人のギター・ピックが付いていた。北米で出たのはその半年以上あとの1999年5月4日で、そちらにはボーナス・トラックが3曲加わっている。そのうちの1曲がオジー・オズボーンの「No More Tears」のカヴァーで、ALICE IN CHAINSのマイク・イネズがベースで参加した。
BLACK LABEL SOCIETYは1998年、ザック・ワイルドが立ち上げたバンドである。公式サイトはこのバンドを、押しつぶすようなリフ、ブルースに浸ったグルーヴ、伸び上がるギター・リード、そして意表を突くほど無防備なバラードを一つにした音楽で四半世紀以上続いてきた存在として説明している。
バンド名は最初からBLACK LABEL SOCIETYだったわけではない。ザック・ワイルドが当初考えていたのはHELL'S KITCHENで、ドラマーのフィル・オンディッチはその名前でジャケットのデザインまで用意していた。ところが商標を取ることができず、名前を変えることになる。落ち着いた先がBLACK LABEL SOCIETYで、理由はジョニーウォーカーのブラックラベルが好きだったことと、「ブラックラベル」という言い方そのものが最上級を意味することだった。
『Sonic Brew』のジャケットは、いま出回っているものが最初の案ではない。ザック・ワイルドはスーパーマーケットでウイスキーの瓶を手に取り、そのラベルをそのままジャケットに使うことを思いついて実行に移した。発売後、ジョニーウォーカー側から連絡が来る。ワイルドは提携の話かと思ったが、届いたのは使用差し止めの通告だった。ジャケットは急遽作り直され、バイカー・クラブの紋章のようなバンド名のロゴに差し替えられている。
BLACK LABEL SOCIETYが生まれたのは、ザック・ワイルドの行き場が一度なくなったからである。オジー・オズボーンは1995年の『Ozzmosis』のあと活動を休み、同じ1995年にアクセル・ローズからGUNS N' ROSESでジャムをしないかと電話が入った。1997年の夏にBLACK SABBATHの再結成を経たオジーからツアーに出るがどうすると訊かれ、そこに弁護士やマネージャーが入って話がこじれる。ワイルドは1998年初頭の日本・オーストラリア・ニュージーランド公演には戻ったものの、同じ年の米国オズフェストからは外され、GUNS N' ROSESの話も形にならなかった。書き溜めたリフと曲のアイデアだけが手元に残った状態で、彼は1998年に自分のアルバムに取りかかっている。
『The Blessed Hellride』にオジー・オズボーンが参加したきっかけを作ったのは、ザック・ワイルドの妻である。数週間前までツアーを共にしていた相手にこれ以上頼み事はできないとワイルドが渋ったところ、妻がオジーのマネージャーでもあるシャロン・オズボーンに直接電話をかけた。シャロンはオジーを家から出して音楽をやらせる好機だと歓迎したという。録音そのものは2テイクほどで終わり、オジーが最初に口にしたのはビールがあるかという質問だった、とワイルドは話している。
アルバム『Mafia』の題名について、ザック・ワイルドは自分にとってのマフィアとは神でありファミリーのことだと説明している。それはBLACK LABEL SOCIETYそのものと同義で、世界のどこであれBLSのTシャツを着ている人間に出会えば仲間だと思える、大きな家族の一員だと思える——それがこの言葉の意味だという。
「In This River」は、はじめから追悼曲として書かれた曲ではない。ザック・ワイルドがこの曲を『Mafia』のために書いたのは、友人のダイムバッグ・ダレル・アボットが殺害される数か月前のことだった。ダレルの死後に歌詞を読み返し、これはダイムの曲にほかならないと考えて、そこから追悼曲として扱われるようになった経緯をワイルド自身が説明している。ミュージック・ビデオでは二人のギタリストが子供として描かれ、自転車で川べりまで来て泳いで渡ろうとするが、渡り切るのはワイルドだけである。川は人生そのものの比喩だとワイルドは述べている。
ライヴ作品『Unblackened』が記録しているのは、たった一度きりの公演である。2013年3月6日、ロサンゼルスのクラブ・ノキアで行われたこの日、バンドは全員が着席して演奏した。アンプラグドではなくエレクトリックも使う編成で、ザック・ワイルドはエレクトリック・ギター、アコースティック・ギター、ピアノを弾き分けている。準備には2週間のリハーサルが充てられ、実際に立ち会えたのは会場の2,300人だけだった。
『Engines Of Demolition』の「Name in Blood」は、ザック・ワイルドと妻バーバラアンの関係について書かれた曲である。二人が一緒になったのは小学6年生のときで、その頃から自分は全部を差し出していた、というのが曲の出どころだと本人が説明している。ワイルドは「Broken and Blind」と「The Hand of Tomorrow's Grave」も同じところから出てきたとし、このアルバムは結局のところ結婚と愛と夫婦のカウンセリングについての作品だと述べた。オジー・オズボーンについて書いた「Ozzy's Song」も同じ盤に入っている。
『Sonic Brew』でザック・ワイルドが弾いていない楽器はドラムだけである。ギターはもちろん、ベースもピアノも歌も自分でやると決めたのは、そのほうが作品を握っていられるからだった。歌手を立てなかった理由も本人が説明している——10年間オジー・オズボーンという最高の歌い手と仕事をしてきた以上、間に合わせのヴォーカリストを雇う気になれなかった。ジミー・ペイジがLED ZEPPELINを自分でプロデュースしたのと同じ理屈だ、というのが彼の言い分である。
『Sonic Brew』でドラムを叩いたフィル・オンディッチは、ザック・ワイルドがまだオジー・オズボーンのバンドにいた頃に電子メールで本人に接触してきた人物である。オジーと離れてレコードを作る気になったら自分が叩く、というのがその内容だった。二人はワイルドの『Book of Shadows』ツアー中に顔を合わせ、ヴァージニア州ロアノークのラジオ局の外で時間を過ごしている。オンディッチが自分のバンドRAGING SLABのテープを渡し、その場でワイルドが書いたばかりの「Beneath the Tree」をアコースティック・ギターで弾き、オンディッチが膝を叩いてリズムを取った。ワイルドはそれで十分と判断し、フロリダ州マイアミへ来ないかと誘っている。
『Sonic Brew』のセッションは1998年5月、フロリダ州マイアミで始まっている。共同プロデューサーはロンとハワードのアルバート兄弟。ザック・ワイルドとフィル・オンディッチは日中ジャムを続け、夜はスタジオの角を曲がったところにあるアイリッシュ・パブに繰り出すという日課を作った。ワイルドはその店のジュークボックスがBLACK SABBATH、LED ZEPPELIN、BAD COMPANYといった古典で埋まっていたことを覚えている。
ザック・ワイルドは、何も用意せずにスタジオへ入る。2003年に来日した際、彼は持ち込むのは大量のビールだけで、すべてはジャム・セッションから始まると話している。自分をLED ZEPPELINとBLACK SABBATHの間に置けばアイデアは出てくるというのが本人の説明で、BLACK LABEL SOCIETYのアルバムはどんなに長くても50日ほどで仕上がるとも語った。2005年の『Mafia』のときは、スタジオに入って最初の8日間で23曲を書いている。
日本盤『The Blessed Hellride』の最後に置かれた「F.U.N.」は、出来が悪いことを承知のうえで収録された曲である。ザック・ワイルドは、音楽史上最低の録音かもしれないとしたうえで、あまりに最低なのでどうしてもアルバムに入れたかったと話している。周囲から「まさか本当に入れないだろうな」と言われるほど、入れたい気持ちが強くなったという。アルバムの最後に最低の曲を置くのは、キャラメル・ポップコーンの箱の底におまけが入っているようなものだ、というのが彼の言い方だった。
『Mafia』は全曲がベースで書かれている。ザック・ワイルドは曲作りを家を建てることに例え、土台にあたるのはドラムだと説明した。ドラマーのクレイグ・ヌネンマッカーが叩いてみて手応えがあれば、そこから組み立てていく。この録音で初めて使った機材としてミニモーグとトーキング・モジュレーターを挙げており、常に前とは違う音を出したいという考えからだと語っている。
『Mafia』の最後に置かれた「I Never Dreamed」はLYNYRD SKYNYRDのカヴァーである。ザック・ワイルドはオジー・オズボーンと組んでいた頃、ステージではヘヴィな曲を演奏していてもツアーバスの中ではメロウなものをよく聴いていて、そこでLYNYRD SKYNYRDを繰り返し聴いたのだという。とりわけ歌い手のロニー・ヴァン・ザントを敬愛しており、「Free Bird」ほど有名ではないこの曲を名曲だと考えている。
ザック・ワイルドがオジー・オズボーンのバンドで最初に立ったステージは、1987年7月の刑務所での公演だった。当時の彼はまだ仮採用の身で、もし不合格ならそのまま置き去りにされていただろう、と本人は振り返っている。刑務所との縁はその後も続き、2010年7月にイギリスの刑務所で行った慰問のミニ・ライヴとトーク・ショーは、2013年の『Unblackened』のDVDにボーナス映像として収録された。
ニック・カタニーズは1997年からザック・ワイルドと行動を共にしてきたギタリストで、BLACK LABEL SOCIETYではワイルドの相棒にあたる存在だった。2014年の『Catacombs of the Black Vatican』の発売を前にバンドは彼と円満に別れ、後任にはLIZZY BORDENのダリオ・ロリーナが入っている。ロリーナはその後も在籍を続け、公式サイトが掲げる現在の編成はザック・ワイルド、ジョン・ディサーヴィオ、ジェフ・ファブ、ダリオ・ロリーナの4人である。
『Catacombs of the Black Vatican』は、アメリカでの発売初週に約26,000枚を売り上げ、ビルボード200の5位に初登場した。発売はヨーロッパが2014年4月7日でマスコット・レーベル・グループから、北米はその翌日にeOne Musicからだった。
10作目にあたる『Grimmest Hits』は、ザック・ワイルドが2017年にオジー・オズボーンのソロ・バンドへ復帰した年に、その合間を縫って作られた。録音の場所はワイルドの自宅スタジオ、ブラック・バチカン。発売は2018年1月19日でeOneから、先行して公開された「Room of Nightmares」のビデオは、バンドと長く組んできたジャスティン・ライヒが監督している。
2019年、eOneがBLACK LABEL SOCIETYの過去作品をまとめて取り扱うことになった。すでに同社から出ていた直近3作に加えて『Sonic Brew』『Stronger Than Death』『1919 Eternal』『The Blessed Hellride』『Hangover Music Vol. VI』『Mafia』『Shot to Hell』のライセンスを取得した形で、これによりバンドのカタログが一つの場所に揃った。
デビュー作の20年を記念した2019年の「20 Years Of Sonic Brewtality」ツアーでは、同じ街で2晩演奏する方式が採られた。1日目は『Sonic Brew』を頭から通しで、2日目は代表曲を並べたセットという構成である。ツアーは4月24日のデンバー、オリエンタル・シアターに始まり、5月23日にロサンゼルスのエル・レイ・シアターで2日目を終えて幕を閉じた。同じ時期に、演奏をやり直した『Sonic Brew - 20th Anniversary Blend 5.99 - 5.19』が5月17日に発売され、「Spoke in the Wheel」のバンド+ピアノ版と「Black Pearl」のアコースティック版が新たに加えられている。
11作目の『Doom Crew Inc.』は、1998年の結成時からバンドを支えてきたツアー・クルーと、世界中のファンに捧げられた作品である。2021年11月26日に発売され、収録された12曲はいずれもザック・ワイルドの自宅スタジオ、ブラック・バチカンで録音された。先行シングルは「Set You Free」。
12作目の『Engines Of Demolition』は、BLACK LABEL SOCIETYがそれまでやってこなかった作り方で仕上がった。ザック・ワイルドによれば、これまでは一気に書いて録り、煙が晴れたら完成という進め方だったが、今回は書いては中断し、また書くという往復になった。間にはPANTERAのセレブレーション・ツアーが1年、その後もツアーが1年、さらに1年半と挟まっており、収録曲には2022年に書かれたものと新しいものが混在している。ワイルドはデモを作らない主義で、曲はその場で完成させるとも語っている。
クレイグ・ヌネンマッカーは10年近くBLACK LABEL SOCIETYでドラムを叩いたのち、2010年初めにバンドを離れた。ザック・ワイルドは円満な別れであること、彼が別の音楽を試したがっていること、そしていつ戻ってきてもいいと伝えてあることを話している。後任のウィル・ハント(EVANESCENCE、STATIC-Xほか)を推薦したのは、ALICE IN CHAINSのジェリー・カントレルだった。
『Shot to Hell』はアメリカでの発売初週に32,000枚弱を売り上げ、ビルボード200の21位に入った。前作『Mafia』が2005年3月に記録した45,000枚には届いていない。