ANTHRAX トリビア 全16件
ANTHRAXにまつわる事実を、出典付きで16件掲載しています。
Trivia
12作目のアルバムの題名は、ドラマーのチャーリー・ベナンテがマリリン・モンローのドキュメンタリーを観ていて拾ったものである。彼女が最後に暮らした家のタイルに「Cursum Perficio」というラテン語が刻まれているのが映り、後からその意味を知って腑に落ちたのだという。レーベルの発表資料はこの語を「私の旅は終わりを迎えた」「私の旅は終わった」「私は旅を完遂する」と訳している。ベナンテはこれを最後の作品という宣言ではなく、ひとつの道のりを走り切ったという意味で選んだと説明している。
『Cursum Perficio』は本来2020年に作られるはずだった。それが叶わず、バンドが本腰を入れて録音に入ったのは2022年で、場所はロサンゼルスにあるデイヴ・グロールのスタジオ606である。プロデュースはジェイ・ラストンとバンド自身の共同名義。スコット・イアンは、パンデミックを経てようやくまたバンドとして集まれたのだと述べており、作業を始めた時点では同じ部屋にいられること自体が嬉しかったと振り返っている。
『Cursum Perficio』は2026年9月18日発売で、レーベルは北米が Megaforce Records、そのほかが Nuclear Blast Records という2社体制になっている。バンドにとって12作目のスタジオ・アルバムであり、前作『For All Kings』(2016年)から10年ぶりの新作にあたる。その『For All Kings』は Billboard 200 のトップ10に初登場していた。発表時点の編成はスコット・イアン(ギター)、チャーリー・ベナンテ(ドラム)、フランク・ベロ(ベース)、ジョーイ・ベラドナ(ヴォーカル)、ジョナサン・ドネイス(ギター)の5人。
1991年のパブリック・エナミーとの「Bring the Noise」は、スコット・イアンが単独で動かした企画だった。ジョーイ・ベラドナは『Persistence of Time』のリハーサル中にイアンが弾いていたリフを耳にして良いと思ったが、何なのかは教えてもらえず、気づいたときにはチャック・Dとフレイヴァー・フレイヴがスタジオに来ていたという。ベラドナは原曲すら後から聴いたと話している。両バンドが顔を合わせたのはハリウッドのコンウェイ・スタジオで、アンスラックス側はラップ寄りの試みとして1987年の「I'm the Man」を既に通過していた。
3作目『Among the Living』は、アルバム題名とジャケット・アートワークの両方がスティーヴン・キングの長編『ザ・スタンド』から採られている。聴き手が最初に触れる二つの要素、つまり看板と見た目を、この作品は一冊の小説にまとめて預けていることになる。
「I Am the Law」の題材は、イギリスの漫画誌『2000AD』のジャッジ・ドレッドである。この曲と「Indians」はアルバムが出るずっと前、『Spreading the Disease』のツアーの時点で既にライヴで演奏されていた。さらに「I Am the Law」には、初代ベーシストのダン・リルカーが残していた古い音楽的アイデアが使われており、リルカーは同じアルバムの「Imitation of Life」にも関わっている。作曲の分担はチャーリー・ベナンテが曲、スコット・イアンが詞という、最初の2作から変えていない形だった。
『Among the Living』のプロデューサーには、キッス、レッド・ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックスを手掛けたエディ・クレイマーが起用された。狙いは彼の70年代の生々しい音で、当時主流だった作り込んだプロダクションを避けるためだった。ところが最初に上がってきたミックスはヴォーカルにリヴァーブが厚くかかりギターも滲んだもので、バンドは自分たちがデフ・レパードのように聞こえることに衝撃を受けたという。激しい口論になったがクレイマーを降ろす話は出ず、スコット・イアンはむしろその怒りが演奏を速く、極端にしたと振り返っている。録音はマイアミのクアッド・ラディアル・スタジオで6週間、ミックスはバハマのコンパス・ポイントで行われた。
「スラッシュ・メタル」という語を生んだのは、アンスラックスについて書いていた記者だとされている。Louder(Metal Hammer)は自誌の筆者紹介の中で、マルコム・ドームが1984年にアンスラックスの曲「Metal Thrashing Mad」について書いた際にこの語を作ったとされる、と記している。ドームは2021年に亡くなっており、当サイトが『Among the Living』について引いているスコット・イアンへのインタビューも彼の仕事である。
先行シングル「It's For The Kids」でスコット・イアンが狙ったのは、初期のアンスラックスに立ち返る4分のスラッシュ曲だった。ミュージック・ヴィデオも意図的な逆戻りで、バンドが最初に撮ったヴィデオ「Madhouse」を下敷きにしている。撮影にはファンが実際に参加した。チャーリー・ベナンテはヴィデオを撮ること自体は好きではないと断ったうえで、集まったファンがその曲を初めて聴く反応を目の前で見られたことが、この一本を楽しいものにしたと述べている。
スコット・イアンは新作を、自己申告で1987年の『Among the Living』に並べている。ただし言い方は比較ではなく連鎖である。『Fistful of Metal』と『Spreading the Disease』を作らなければ『Among the Living』は書けなかったのと同じで、『Worship Music』と『For All Kings』があったからこそ『Cursum Perficio』が書けた、というのが彼の説明である。本人はこの作品を突然変異ではなく積み上げの結果として位置づけている。
「Bring the Noise」のヴィデオはシカゴのダウンタウンで、メタルとヒップホップの客が入り混じった中で撮影された。1991年7月、アンスラックス版はイギリスのチャートで14位に達し、これが両バンドによる合同ツアーにつながっている。チャック・Dは後年、このヴィデオは双方が客を失いかねない賭けだったと振り返っている。ヒップホップ側からは「メタルに魂を売った」、メタル側からは「なぜヒップホップに手を出すのか」と言われる可能性が、現実に両方あったという。
『Among the Living』はイギリスのアルバム・チャートで18位、アメリカでは62位を記録し、最終的に全米だけで50万枚を大きく超えて売れた。順位そのものは本国アメリカのほうが低いが、スコット・イアンはこの作品について、キャリアの中の重要な一枚どころか、これがバンドにキャリアそのものを与えたのだと述べている。
「Efilnikufesin (N.F.L.)」という題名は、当時バンド内で口癖になっていた一言をそのまま逆から綴ったものである。逆さにしたのはチャーリー・ベナンテの発案で、そのまま並べては放送に乗らないという実務的な判断があった。曲の中身は冗談ではなく、薬物依存に壊されていったコメディアンのジョン・ベルーシについて書かれている。スコット・イアンによれば、今でもアメリカン・フットボールの曲だと思い込んで質問してくる書き手がいるという。
「Indians」でアメリカ先住民の扱いを取り上げたきっかけについて、スコット・イアンはアイアン・メイデンの「Run to the Hills」に触発されたという説をはっきり否定している。彼が挙げたのは『タイム』誌で読んだ居留地についての記事で、飲酒と薬物の問題が深刻で自殺率が非常に高いという内容に衝撃を受けたのだという。音楽面ではメイデンから多くを受け取っていると認めたうえで、歌詞については話が別だと述べている。
初期の制作にかけた時間はアルバムごとに大きく違う。スコット・イアンによれば、デビュー作『Fistful of Metal』は全工程で3週間しかかからなかったのに対し、2作目『Spreading the Disease』には6ヶ月を要している。長引いた理由の一つは録音そのものではなく歌手探しで、この時期に初代ヴォーカリストのニール・タービンに代わってジョーイ・ベラドナが加入した。なお『Spreading the Disease』は実質的にバンドの自主プロデュースで、ニューヨークのザ・ロッズのドラマー、カール・キャネディが手を貸している。
『Among the Living』が当たったことで、アンスラックスは1987年のドニントンに出演している。スコット・イアンは、「ビッグ4」という呼び方が生まれたのもおおよそこの時期だったと思う、と述べている。メタリカ、メガデス、スレイヤーと自分たちは年齢もキャリアの段階もほぼ同じで、スラッシュそのものが一気に広がった時期だった、というのが彼の説明である。