DREAM THEATER トリビア 全179件
DREAM THEATERにまつわる事実を、出典付きで179件掲載しています。
Trivia
『Live at Budokan』は、2004年4月26日の日本武道館公演の記録である。公式サイトによれば、収録の際には時間の制約から「The Great Debate」「Under a Glass Moon」、そして長いドラム・ソロを含む「Caught in a Web」が直前でセットリストから外された。DVD版のエンドロールでは、ラブリエのヴォーカルを抜いた「Vacant」が流れる。
武道館公演の冒頭、鍵盤は壊れていた。公式サイトは、バンドの公式ブートレグDVD『When Dream And Day Reunite』のコメンタリーを引いて、公演最初の数分間ジョーダン・ルーデスの機材が不調を起こし、違う音が鳴るか、音が出ないか、半音上の音がでたらめに鳴るかのいずれかだったと記している。ルーデスはどのみち後処理で録り直すことになると分かっていたため、正しいパートを弾く手つきだけを続けた。
『Distance Over Time』は、日本の読者投票で年間最優秀アルバムに選ばれている。公式サイトによれば、同作はBURRN!誌の2019年読者投票でアルバム・オブ・ザ・イヤーとアルバム・カヴァー・オブ・ザ・イヤーの両方に選ばれた。同じ年、バンドはロンドンで開かれたプログレッシヴ・ミュージック・アワードでインターナショナル・バンド・オブ・ザ・イヤーを受けている。
日本武道館に初めて立ったのは2004年である。日本のレーベルの公式プロフィールによれば、ドリーム・シアターは2004年に初の武道館公演を行い、同年その模様を収めた『Live at Budokan』を発表した。2010年には<SUMMER SONIC 10>に出演し、日本で初めてフェスティバルのステージに立っている。2014年には<LOUD PARK 14>で来日し、2017年には『Images And Words』完全再現ツアーで再び日本を回った。
40周年のアニバーサリー・ツアーは、日本にも来る。日本のレーベルの公式告知によれば、<AN EVENING WITH DREAM THEATER: 40TH ANNIVERSARY TOUR 2026>の日本公演は、2026年2月25日の東京・日本武道館を皮切りに、2月28日の愛知・アイプラザ豊橋、3月2日の大阪・フェスティバルホール、3月3日の岡山芸術創造劇場ハレノワ大劇場の4公演が組まれた。告知は、来日公演としては15年ぶりに復活したラブリエ、マイアング、ペトルーシ、ルーデス、ポートノイのラインナップだと記している。
ラブリエが声を痛めたとき、10日後に控えていたのは東京公演だった。Songfactsのインタビューによれば、1994年12月30日頃、キューバへ旅行していた彼は重い食中毒にかかり、嘔吐の際に声帯へ出血した。1月4日か5日に診てもらった医師二人は半年間の完全休養を指示したが、1月10日には東京で歌う予定が入っていた。『Images and Words』の成功で軌道に乗り始めていたバンドにとって半年の停止は経営的に耐えられず、彼は歌うべきでない状態で歌い続け、以前の状態に戻ったと感じられるまでに数年かかったという。
ポートノイがドリーム・シアターと立った最後のステージは、日本のフェスだった。BARKSが伝えたインタビューによれば、2022年10月にペトルーシは、ポートノイが12年前に脱退したこと、そして二人が一緒に演奏した最後の公演が2010年8月のサマーソニックだったことを語っている。10月5日に始まる自身のソロ・ツアーは、その日本公演以来初めてポートノイとステージに立つ機会であり、二人にとって大きな出来事だと彼は述べた。
バンドの核は音楽大学の教室で組み上がった。公式サイトによれば、ジョン・ペトルーシは高校を出た18歳のとき、同級生のベーシスト、ジョン・マイアングとともにボストンのバークリー音楽大学へ進み、そこでドラマーのマイク・ポートノイと出会う。3人はすぐに、のちにドリーム・シアターとなるバンドの中核を形成した。
「ドリーム・シアター」という名前は、活動開始から3年後に付いたものである。公式サイトは、ペトルーシ、マイアング、ポートノイの3人がボストンのバークリーで出会い、1985年にマジェスティ(Majesty)名義でバンドを結成したこと、そしてその名前を1988年にドリーム・シアターへ改めたことを記している。
最初の名前はラッシュの一曲から来ている。公式サイトの説明では、1985年にマイアング、ポートノイ、ペトルーシの3人が結成したバンドの名前「マジェスティ」は、ラッシュの「Bastille Day」の終わり方についてポートノイが漏らした一言から生まれたものだった。その後、学校の同窓生だったケヴィン・ムーアが鍵盤として加わり、オーディションを経てクリス・コリンズがヴォーカルに決まっている。
改名は自分たちで望んだものではない。公式サイトによれば、マジェスティ名義で1985年から86年にかけてデモを録音した直後、同名の別バンドから法的措置を警告され、名前を変えざるを得なくなった。ニューヨーク周辺を回るうちにコリンズが去り、何人ものシンガーを経てチャーリー・ドミニシに落ち着く。代わりの名前が決まらずにいたところ、ポートノイの父親が近所の映画館の名前「ドリーム・シアター」を提案し、それが採用された。
2代目ヴォーカリストは、全米規模のオーディションの果てに、送られてきた1本のテープから決まった。公式サイトによれば、ドミニシの離脱後にバンドが試したのは全米で200人近く。そこへカナダのグラム・メタル・バンド、ウィンター・ローズにいたジェイムズ・ラブリエがオーディション用のテープを送り、短いセッションののちに加入が決まった。
ジョン・マイアングは、ベースを弾く前の10年をヴァイオリンに費やしている。公式サイトによれば、彼は韓国系の両親のもとイリノイ州シカゴに生まれ、ニューヨーク州ロングアイランドのキングス・パークで育った。5歳から15歳までヴァイオリンを弾き、15歳のときに地元のバンドからエレキ・ベースを頼まれて引き受けた。高校卒業後は同級生のジョン・ペトルーシとともにバークリー音楽大学へ進み、そこでポートノイと出会っている。
ジョーダン・ルーデスは9歳でジュリアード音楽院に入っている。公式サイトによれば、彼はジュリアードのプレカレッジ課程でクラシック・ピアノの訓練を受けたが、10代の後半にはシンセサイザーとプログレッシヴ・ロックへの関心が強くなり、両親と教師たちの助言に反してクラシック・ピアノから離れ、ソロのプログレッシヴ・ロック鍵盤奏者として身を立てようとした。
ルーデスは、一度ドリーム・シアターを断っている。公式サイトによれば、1994年にソロ作『Listen』を出したあとキーボード・マガジンの読者投票で「Best New Talent」に選ばれた彼には、ディキシー・ドレッグスとドリーム・シアターの双方から誘いが来た。幼い子どもがいた彼は、掛け持ちのきくドレッグスを選んだ。彼が正式にドリーム・シアターへ加わるのは1999年である。
3作目は、前作の成功そのものが重石になった制作だった。公式サイトによれば、バンドは1994年2月にニューヨークのプリンス・スタジオで2か月の作曲期間に入るが、そこには『Images and Words』と「Pull Me Under」の成功を再現せよという圧力がかかっていた。ポートノイは、最初のアルバムには一生かけて準備できるのに次の一枚には2か月しかない、という言い回しがまさに1994年初頭の自分たちの状況だったと述べている。
ケヴィン・ムーアが脱退を告げたのは、アルバムの録音中だった。公式サイトは『Awake』を、ムーアが参加した最後のドリーム・シアター作品と位置づけ、彼が脱退の意思を伝えたのはこのアルバムのレコーディング中だったと記している。
ペトルーシが7弦ギターを使ったのは『Awake』が最初である。公式サイトによれば、これによってリフを軸にした書き方が定着した。ペトルーシ自身は、この方向がメタルとプログレッシヴの融合をさらに固め、「A Change of Seasons」「The Glass Prison」「The Dark Eternal Night」といった後年の強く重い曲への道を開いたと述べている。
「A Change of Seasons」の詞は、よく言われる映画とは無関係である。公式サイトははっきりと、マイク・ポートノイが書いたこの詞は『いまを生きる』に触発されたものではなく、母の死をきっかけに書かれたものだと記している。曲はもともと1992年の『Images and Words』に入る予定で、代わりに録り直されてEPになった。
4作目の制作中、バンドは一度引退を考えている。公式サイトによれば、1996年初頭にニュージャージー州イースト・ラザフォードのドリーム・ファクトリー・スタジオで書き始めた頃、エレクトラ・レコードからは簡潔でラジオ向きの曲を書くよう圧力がかかっていた。バンドは1年以上にわたって録音の許可が下りないまま曲を書き続け、あまりの状況に引退を考えるところまで行った。録音の許可が出たのは1997年3月である。
「Hell's Kitchen」は、もともと別の曲の一部だった。公式サイトによれば、プロデューサーのケヴィン・シャーリーは残った曲にも大きく手を入れており、最も目立つのは「Burning My Soul」の中間部を抜き出して独立させ、それが「Hell's Kitchen」になったことである。またシャーリーの提案で「You Or Me」の詞をデズモンド・チャイルドと書き直すことになり、ペトルーシはフロリダまで飛んだ。曲はその作業を経て「You Not Me」となった。
幻の21分デモには、完成したアルバムの骨格がすでにあった。公式サイトによれば、バンドは1997年の『Falling Into Infinity』のセッションで「Metropolis Pt. 2」の21分のインストゥルメンタル・デモを録音している。このデモには「Metropolis - Part I」からの引用が複数含まれ、のちに「Overture 1928」「Strange Deja Vu」の大部分と「The Dance of Eternity」「One Last Time」の一部となるモチーフが並んでいた。ただし完成版とは大きく異なる部分も多い。
前作の商業的失敗が、逆にコンセプト作を可能にした。公式サイトによれば、『Falling Into Infinity』が売れなかったことでレーベルは新作の方向性をバンドに委ね、その結果として物語を完成させることができた。物語はニコラスという男が前世を知る筋書きで、恋愛、殺人、不貞が絡む。下敷きになったのは1991年の映画『Dead Again(愛と死の間で)』で、公式は「Metropolis - Part I」よりもこの映画の影響が強いと記している。
3枚組ライヴ盤は、発売日そのものが災難だった。公式サイトによれば『Live Scenes from New York』は偶然にも2001年9月11日に発売されたが、ジャケットのロゴがニューヨークの摩天楼——ワールド・トレード・センターのツインタワーを含む——が燃えている図であることに気付かれ、回収されたのち、マジェスティ・シンボルを使った別のジャケットで発売し直された。当初のジャケットの現物はいくらか残っており、今では収集品となっている。
2枚組の後半すべてが、1曲だった。公式サイトによれば『Six Degrees of Inner Turbulence』の1枚目は、アルコール依存、信仰の喪失、孤立、生と死の尊厳といった人生の苦しみを扱う5曲で構成される。2枚目を丸ごと占める42分の表題曲は8つの部分に分かれ、精神疾患を抱える6人の人物の物語を描いている。
7作目は3週間で書かれた。公式サイトによれば、ツアーで重い曲への反応がよかったことを受け、バンドは『Train of Thought』を重く暗いリフの、直球のアルバムにしようと決めた。アルバムは3週間で書かれ、エンジニアはダグ・オーバーカーチャー、ミックスはケヴィン・シャーリーが担当している。
アルバムの中に、1年半見つからなかった隠しメッセージがある。公式サイトによれば、「In the Name of God」の5分51秒から6分07秒には、はるかに大きな音の下に隠された仕掛けがあり、バンドはその存在を誰にも告げなかった。1年以上のちにポートノイが自身のドラム・カム映像作品で言及したことでファンが探し始め、掲示板で「DarrylRevok」と名乗る一人がその区間にモールス信号らしき音があると指摘、ニック・ボゴヴィッチがそれを抽出して解読した。中身はポートノイの決まり文句だった。
ヒット・ファクトリーで最後に録音したバンドが、ドリーム・シアターだった。公式サイトによれば、2004年11月からニューヨークのザ・ヒット・ファクトリーで始まった『Octavarium』の制作の時点で、このスタジオはすでに閉鎖が決まっていた。マイケル・ジャクソン、マドンナ、スティーヴィー・ワンダー、U2、ジョン・レノンらが録音した場所であり、ドリーム・シアターは永久閉鎖前にそこで録音した最後のバンドとなった。
バンドが初めてオーケストラと組んだとき、指揮台に立ったのはバークリーの同期だった。公式サイトによれば、「The Answer Lies Within」「Sacrificed Sons」「Octavarium」の3曲がドリーム・シアターにとって初のオーケストラとの共演で、指揮はジャムシード・シャリフィが務めた。彼はポートノイ、ペトルーシ、マイアングと同じ時期にバークリー音楽大学で学んでいる。
このアルバムを携えたツアーは、1年で35か国を回った。公式サイトによれば、カオス・イン・モーション・ツアーは2007年6月3日から2008年6月4日まで続き、5大陸35か国105都市で115公演を行った。ツアーには、バンドが何年も温めていた企画である第1回プログレッシヴ・ネイション・ツアーも含まれている。
アルバム題は、脱退した誰かを指したものではない。公式サイトによれば、『A Dramatic Turn of Events』というタイトルがポートノイの脱退をほのめかしているのではという憶測に対し、ペトルーシはそれが誰かを指したものでは一切なく、歴史上の劇的な変化が人々の人生に及ぼした影響という、アルバムに繰り返し現れる主題を指しているのだと強調している。
バンドは母校の学生たちとステージに立ったことがある。公式サイトによれば、2014年3月25日のボストン・オペラハウス公演では、バークリー音楽大学の「World Strings」と「Concert Choir」が「Illumination Theory」以降の全曲に参加した。ペトルーシはこれを、バンドの出自とバークリーとの縁を思えば大きな帰郷だったと述べ、自分とマイアングが同校の卒業生であり、マイク・マンジーニが10年間そこで教授を務めていたことから、学生たちと共演する機会は大変な喜びであり名誉だったと語っている。
2枚目のコンセプト作は、34曲・2時間を超える規模になった。公式サイトによれば『The Astonishing』は、荒廃した未来のアメリカを舞台に、レイヴンズキルの反乱軍が音楽の魔力によって北方大帝国に抗う物語である。着想源はペトルーシの好むファンタジーとSF——『ゲーム・オブ・スローンズ』『ロード・オブ・ザ・リング』『スター・ウォーズ』——と、現代社会における自動化への彼自身の観察だった。ビルボード誌に対し彼は、かつて人がしていたことが次々と自動化されロボットに置き換わっていく状況を考え、もし音楽までもがすべて人工物になったらどうなるかと考えたと説明している。
14作目は、納屋を改装したスタジオで書かれ、そのまま同じ部屋で録音された。公式サイトによれば、バンドは2018年6月にニューヨーク州北部の私有地にこもり、隣接する住居で夏を共に暮らしながら、「ヨンダーバーン」と呼ばれる、映画と録音のための設備を備えた納屋で昼夜曲を作った。その場所で掴んだものを手放したくなかったため、書いたその部屋でそのまま録音することを決めている。共同生活をしながら書いて録るという形は、33年のキャリアで初めてだった。
自前のスタジオが完成した直後に、世界が止まった。公式サイトによれば、バンドが『Distance Over Time』と『Scenes from a Memory』20周年のワールド・ツアーを回っている最中にパンデミックが起き、ラブリエはカナダ、他のメンバーはアメリカで足止めされた。ちょうどその頃、ライヴ録音のスタジオ、リハーサル空間、コントロール・ルーム、機材倉庫を兼ねたDTHQ(ドリーム・シアター・ヘッドクォーターズ)の建設が終わったところだった。ラブリエは当初DTHQのモニター越しにZoomで作曲に参加し、2021年3月にニューヨークへ飛んで隔離を経たのち、ペトルーシと対面でヴォーカルを録っている。
グラミー賞との縁は、受賞1回とノミネート4回である。レコーディング・アカデミー自身のデータベースによれば、ドリーム・シアターは第54回で『A Dramatic Turn of Events』の「On The Backs Of Angels」が最優秀ハード・ロック/メタル・パフォーマンス部門に、第56回で『Dream Theater』の「The Enemy Inside」が最優秀メタル・パフォーマンス部門にノミネートされ、第64回で「The Alien」が同部門を受賞、第68回では「Night Terror」が同部門にノミネートされている。
マイク・ポートノイの復帰が発表されたのは、2023年10月25日である。バンドの公式発表によれば、彼はバークリー音楽大学で1985年にバンドを結成したペトルーシ、マイアングと再び組み、ラブリエ、ルーデスとともに16作目のスタジオ・アルバムの制作に入る。それは2009年の『Black Clouds & Silver Linings』以来、ポートノイが参加する初めてのアルバムとなった。
ポートノイに音楽を教えたのは父親で、バンド名を出したのも父親だった。Songfactsのインタビューで彼は、自分が生まれたとき父はロック番組のラジオDJで、ビートルズ、フー、ストーンズ、レッド・ツェッペリンに囲まれて育ったと語っている。自分が音楽家になったのは父のおかげであり、ドリーム・シアターという名前を出したのも父で、結成以来25年にわたってバンドを応援し続けていたという。
『Images and Words』のプロデューサーは、バンドが選んだ人ではない。Metal Hammerの記事によれば、新しいレーベルATCOは新加入のラブリエを気に入らず別のシンガーを立てるよう迫ったが、この争いにはバンドが勝った。代わりに呑まされたのがプロデューサーの人選で、レーベルはファイアーハウスやダイヴィング・フォー・パールズを手がけたデイヴィッド・プレイターを指名した。プレイターは元サンタナのドラマーで、少なくとも音楽の言葉でバンドと話すことはできた。
バンド最大のヒットは、アルバムに後から足された曲である。Songfactsによれば「Pull Me Under」は『Images and Words』の制作終盤に加わった曲で、きっかけは元ケラング!誌の記者でATCOのA&Rに移っていたデレク・オリヴァーが「もう一曲書いてみないか」と勧めたことだった。仮のタイトルは、そのオリヴァーにちなんだ「Oliver's Twist」だった。
ヒットは、バンドにとって歓迎一色ではなかった。Songfactsによれば「Pull Me Under」はメインストリーム・ロック・トラック・チャートで10位まで上がり、バンド最大のヒットとなったが、ドリーム・シアターはそもそもシングルのバンドではなく、レーベルのATCOが同じような曲をもっと求めてきたことでかえって問題が生じた。
「Another Day」は、癌と闘う父に向けて書かれた曲である。Songfactsのインタビューでペトルーシは、父が病と闘っていた時期にこの曲を書いたこと、父は若すぎたし早く亡くなりすぎたこと、そして「まだ行かないでほしい」という息子の気持ちを表した曲であることを語っている。同じ主題で書いた曲はほかにもあり、『Falling into Infinity』の「Take Away My Pain」もその一つだという。
『Metropolis Pt. 2』は、冗談から生まれた続編である。Songfactsによれば、1992年の「Metropolis - Part I: The Miracle and the Sleeper」に「Part 1」と付けたのは軽い思い付きだった。ところがファンが「Part 2」はどこかと尋ね始めたため、バンドはそれを作ることにした。当初は1997年の『Falling into Infinity』に入れる予定だったが、それでは2枚組になってしまいレーベルが認めなかった。バンドは1999年に作り直し、結果として『Metropolis Pt. 2』はアルバム1枚分になった。
5枚のアルバムに1曲ずつ、10年近くかけて置かれた連作がある。Songfactsによれば、マイク・ポートノイが自らの依存症からの回復を題材に書いた「Twelve-step Suite」は、2002年『Six Degrees of Inner Turbulence』の「The Glass Prison」(第1〜3ステップ)に始まり、『Train of Thought』の「This Dying Soul」(第4〜5)、『Octavarium』の「The Root of All Evil」(第6〜7)、『Systematic Chaos』の「Repentance」(第8〜9)と続き、『Black Clouds & Silver Linings』の「The Shattered Fortress」(第10〜12)で完結する。
連作の構想は、しらふになった時点で最初から決まっていた。Songfactsのインタビューでポートノイは、断酒して10年になること、12のステップが自分の生活の大きな部分を占めてきたこと、そして酒を断ったときに12ステップについての曲を書こうと決めたことを語っている。全部を1曲に詰め込むのではなく、まず第1〜3ステップの曲を書き、次のアルバムで第4〜5の曲を続ける、という書き方を思いついたのだという。5曲は共通のテーマ、メロディ、リフ、詞を持ち、一つの大きなパズルのように組み合わさると彼は説明している。
「The Best of Times」は、まだ存命だった父に本人が聴かせている。Songfactsのインタビューでポートノイは、このアルバムの制作期間を通じて父が癌と闘っていたこと、そして完成前に亡くなったことを語った。彼が書きたかったのは病と闘った半年ではなく、それ以前の41年間の良い時間への献辞だった。ベッドの脇で自分が歌ったヴァージョンを流し、手を握って二人で泣いたという。多くの人は大切な人を亡くしてから曲を書くが、その前に渡して分かち合えたことは贈り物だったと彼は述べている。
後任のドラマーを決めるオーディションには、世界的な7人が呼ばれた。Songfactsによれば、ポートノイが脱退を表明したのは2010年9月8日で、翌月からオーディションが始まった。招かれたのはマイク・マンジーニ、ヴァージル・ドナティ、マルコ・ミンネマン、ペーター・ウィルドア、トーマス・ラング、デレク・ロディ、アキレス・プリースターの7人である。バンドがマンジーニを選んだと発表したのは2011年4月29日だった。
「The Enemy Inside」は、ボストン・マラソン爆破事件のさなかに書かれた。BARKSが伝えたビルボードのインタビューでペトルーシは、スタジオでアルバムを作り歌詞を書いていた時期にあの事件が起き、テロや同種の出来事を目撃した人々に及ぶPTSDについて盛んに議論されていたと語っている。曲の空気とも結び付いたため、ドキュメンタリーを多く観たうえで、これは書かなければならないものだと考えたという。ミュージック・ビデオはビル・フィッシュマンが監督し、冒頭にアフガニスタンやイラクでの体験からPTSDに苦しむ元軍人の証言が置かれている。
バンド初のグラミー賞は、拍子の数え方までスピーチで語られた。BLABBERMOUTH.NETによれば、ドリーム・シアターは2022年4月3日、ラスヴェガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナで行われた第64回グラミー賞の本放送前の式典で、「The Alien」により最優秀メタル・パフォーマンス賞を受賞した。代表して受け取ったジョン・ペトルーシは、かつて自分たちは曲が長すぎる、変な拍子を使う、ギター・ソロが多すぎると言われてきたと述べ、この曲は17/8拍子なので足で拍子を取ってみてほしいと付け加えたうえで、あのとき言うことを聞かなくてよかったと語った。同じ部門にはデフトーンズ、ゴジラ、マストドン、ロブ・ゾンビが名を連ねていた。
復帰への道は、まずペトルーシとの友情を結び直すところから始まっている。Louderが伝えたドラミオでのインタビューによれば、ポートノイは関係の修復に何年もかかったこと、5年前の時点では自分が復帰する側に賭けはしなかっただろうことを認めている。最初の一歩は2020年のペトルーシのソロ作『Terminal Velocity』への参加で、続いてペトルーシ、ルーデス、トニー・レヴィンとリキッド・テンション・エクスペリメントの3作目を録音した。個人的な面でも音楽的な面でも、すべてがまとまり始めているように見えたと彼は語っている。
14年ぶりの1本目で、ポートノイは自分でも珍しく緊張したと認めている。BLABBERMOUTH.NETが伝えたインタビューによれば、40周年ツアーの初日は2024年10月20日のロンドン公演だった。彼は、公演直後にメンバーへ「これでようやく息をついて楽しめる」と言ったこと、初日は集中と期待が大きすぎて演奏中もそればかりだったことを語っている。緊張したかと問われた彼は、自分は公演前に緊張することはまずないが、あのときは違ったと答えた。14年ぶりに彼らと立つ大きな会場で、注目が集まり、顕微鏡の下に置かれることが分かっていたからだという。
ペトルーシは、日本の読者投票でも2年続けて1位に選ばれている。公式サイトによれば、彼はBURRN!誌の読者投票で2020年と2021年の2年連続、ギタリスト部門の1位に選ばれた。
武道館公演は2度行われている。日本のレーベルの公式プロフィールによれば、2004年の初公演に続き、2007年の『Systematic Chaos』を携えたツアーで2度目の武道館公演が行われた。2011年の『A Dramatic Turn of Events』後の来日公演ではソールドアウトが相次いだと記されている。
公式のブートレグ・シリーズは、4年で21タイトルに達した。日本のレーベルの公式プロフィールによれば、ドリーム・シアターは2021年6月から公式ブートレグ・シリーズ『Lost Not Forgotten Archives』のリリースを開始し、2025年1月の時点で21タイトルが発売されている。
12作目は、日本で世界に先駆けて発売された。BARKSによれば、初のセルフ・タイトル作『Dream Theater』は、日本では2013年9月18日に先行リリースされている。
2022年の<DOWNLOAD JAPAN>は、5年ぶりの来日だった。BARKSによれば、バンドは2022年2月から9月にかけて70公演近くを行い、その8月に5年ぶりの来日を果たして<DOWNLOAD JAPAN>にヘッドライナーとして出演している。
翌2023年には、単独の来日ツアーが組まれている。BARKSによれば、『A View From The Top Of The World』を携えた<Top Of The World Tour>の日本公演として、2023年4月30日の日本武道館に加え、4月28日の東京・LINE CUBE SHIBUYA公演が追加された。
バンドの法人名には、最初の名前が逆さまのまま残っている。公式サイトの各ページ下端に表示される著作権表記は「YTSEJAMS, INC」で、これは最初のバンド名「Majesty」を逆から読んだ綴りを土台にした社名である。
デビュー作は、ある名盤と同じ部屋で録られている。公式サイトによれば『When Dream and Day Unite』は1988年の夏、ペンシルヴェニア州グラッドウィンのKajem/Victory Studiosで録音された。このスタジオは、クイーンズライクの『Operation: Mindcrime』が録られた場所として知られている。
デビュー作は期待外れに終わり、契約もそこで切れた。公式サイトの記述では、デモの評判が良かったため大きな反響を見込んでいたにもかかわらず、アルバムはほとんど注目されず、Mechanic/MCAとの契約は解消される。ツアーもニューヨーク周辺の小さなクラブを回るだけに終わった。
デビュー作から切られた2枚のシングルには、ラッシュの音を作った人物が関わっている。公式サイトによれば「Status Seeker」と「Afterlife」のラジオ用リミックスとシングル・エディットを手がけたのは、ラッシュの制作で知られるテリー・ブラウンだった。
デビュー作だけが、チャートに名前を残していない。公式サイトのメンバー紹介ページに置かれた豆知識欄は、『When Dream and Day Unite』がドリーム・シアターの作品でただ一枚、ビルボード200に入らなかったアルバムだと記している。
ライヴで一度も演奏されていない曲が2つある。公式サイトの豆知識欄によれば、2017年の時点で、ドリーム・シアターのカタログ中ステージに乗ったことがない曲は「Don't Look Past Me」と「Raw Dog」の2曲だけだった。
デビュー直後、バンドは2年近く歌い手を失っていた。公式サイトはドミニシについて、バンド内の緊張と方向性の違いから解雇され、その後1990年の終わりまでヴォーカリスト不在のままだったと記している。
ラブリエの本名は、彼が名乗っている名前とは順番が違う。公式サイトによれば、彼はケヴィン・ジェイムズ・ラブリエとして1963年5月5日、カナダ・オンタリオ州の町ペネタンギシーンに生まれた。両親の話では3歳の頃からラジオで流れる曲を口ずさんで家中を歩き回り、歌詞は正しくなかったがメロディは追えていたという。
ラブリエの最初の歌の場は、家族の理髪店四重唱だった。公式サイトによれば、父に触発されて5歳で歌とドラムを始め、6歳の頃にはすでに様々な発声を真似ることに熱中していた。小学校では教師が彼を歌のクラスに入れ、父と叔父と兄たちが組んでいたバーバーショップ・カルテットにも加えられている。
ドリーム・シアターの話をラブリエに持ち込んだのは、別のバンドのマネージャーだった。公式サイトによれば、彼は21歳からヴォイス・トレーナーのローズマリー・パトリシア・バーンズに師事し、いくつかのカナダのバンドを経てウィンター・ローズの歌い手になる。そこへヴォイヴォドを手がけていたピエール・パラディスが、ソロ企画の話と、ヴォーカリストを探しているニューヨークのバンドの話を持ってきた。
弦が4本だから簡単だろう——マイアングがベースを引き受けた理由は、それだけだった。公式サイトの豆知識欄によれば、学校の友人にバンドでベースを弾いてくれと頼まれた彼は、ヴァイオリンと同じ4弦なのだから自分にも弾けるだろうと考えて承諾した。以来、ヴァイオリンには一度も触れていないという。
ドリーム・シアターには、メンバーが楽器を交換する裏バンドがあった。公式サイトによれば、『Falling Into Infinity』のツアー中、バンドはナイトメア・シネマという名の余興バンドとして各自の担当を入れ替えて演奏しており、そこでのマイアングはキーボード担当だった。
ステージで最も無口な男が、一度だけ歌い手にタックルした。公式サイトによれば、ドイツ公演でマイアングが突然ジェイムズ・ラブリエに組み付き、客席もバンドも呆気にとられたという出来事があり、これは「マイアング・タックル」として語り継がれている。バンドの公式伝記『Lifting Shadows』で、彼が数百ドルの賭けでそれをやったことが明かされた。
ドリーム・シアターと、ある女性だけのメタル・バンドは、三重の縁で結ばれている。公式サイトによれば、マイアングの妻リサ・マーテンス・ペイスはミーンストリークの元ベーシストであり、同じバンドにいたリナ・サンズはジョン・ペトルーシの妻、マーリーン・アプッツォはマイク・ポートノイの妻である。
ペトルーシがギターを手にしたのは12歳のときである。公式サイトによれば、彼はジョン・ピーター・ペトルーシとして1967年7月12日に生まれ、ロングアイランドの郊外の町キングス・パークで育った。初期に影響を受けた名前として、スティーヴ・モーズ、アル・ディ・メオラ、スティーヴ・ハウ、アラン・ホールズワース、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、ランディ・ローズ、ジョー・サトリアーニ、スティーヴ・ヴァイらが挙げられている。
ペトルーシのレーベルは、妻が作って運営している。公式サイトによれば、2000年に立ち上げられたサウンド・マインド・ミュージックは妻リナが設立・運営するもので、第一弾はペトルーシとジョーダン・ルーデスによるアコースティック即興のライヴ盤だった。リナ・サンズは女性だけのメタル・バンド、ミーンストリークのギタリストであり創設メンバーで、二人は1989年に出会い、1993年9月に結婚している。
ルーデスとロッド・モーゲンスタインのデュオは、停電から生まれた。公式サイトによれば、ドレッグス在籍中のある公演で電源が落ち、ルーデスのキーボードだけが生き残ったため、その場でモーゲンスタインとの即興演奏になった。そこで生まれた相性がルーデス/モーゲンスタイン・プロジェクトにつながり、スタジオ盤とライヴ盤を残している。
ルーデスがドリーム・シアターに入る前に、その半分とはもう組んでいた。公式サイトによれば、正式加入前の彼はギターのジョン・ペトルーシ、ドラムのマイク・ポートノイ、キング・クリムゾンのベーシスト、トニー・レヴィンとリキッド・テンション・エクスペリメントを結成し、2枚のインストゥルメンタル作を発表していた。
2作目の前に結ばれた契約は、7枚分だった。公式サイトによれば、ラブリエが加わったバンドはATCOレコードと7枚のアルバム契約を交わし、まもなく1991年の終わりから新作の録音に入っている。
ブレイク作としてよく語られる『Images and Words』も、アルバム・チャートの順位そのものは控えめだった。公式サイトの豆知識欄は、このアルバムがビルボード200で61位に達したと記している。
『Images and Words』も、もとは2枚組になるはずだった。公式サイトによれば、バンドの当初の構想はATCOに却下され、いくつもの曲がアルバムから外された。そのうちの一つ「A Change of Seasons」は、のちに録り直されて1995年に同名のEPとして世に出ている。
「Take the Time」には、ヒップホップとフランク・ザッパが同居している。公式サイトによれば、この曲にはカーティス・ブロウ「Christmas Rappin'」、フランク・ザッパ「Dancin' Fool」、パブリック・エネミー「Power to the People」からのサンプルが使われている。
クレジット欄で仕返しをしたことがある。公式サイトによれば、ラブリエは1991年のフェイツ・ウォーニング『Parallels』にゲスト参加したが、同作のスペシャル・サンクス欄でバンド名を「Dream Theatre」と綴られてしまった。ドリーム・シアターは『Images and Words』のクレジットで「Fatez Warning」に感謝することで応じている。
ドリーム・シアターの代表的なバラードには、フュージョンのサックス奏者が吹いている。公式サイトの豆知識欄によれば、「Another Day」でサックスを演奏したのはスパイロ・ジャイラのジェイ・ベッケンスタインである。
最初のライヴ盤には、生涯6回しか演奏されなかった曲が入っている。公式サイトによれば、ロンドンのマーキー・クラブで録音された『Live at the Marquee』には、即興を軸にした「Bombay Vindaloo」が独占収録されている。この曲はライヴで6回演奏されただけで、スタジオ録音は残っていない。
最初のライヴ盤の歌は、その多くがスタジオで録り直されている。公式サイトの『Live at the Marquee』のページは、ジェイムズ・ラブリエのヴォーカルの大半が実際にはスタジオで再録音されたものだと明記している。また「The Killing Hand」の前に置かれた「Another Hand」は、セットリストで必ず前に来る「Another Day」の終わりからつなぐためにツアー中に書かれたインストゥルメンタルである。
当時のバンドには、議論を打ち切る役がいなかった。公式サイトが引くケヴィン・ムーアの言葉によれば、線を引きに来る人間がいないため議論が延々と続いた。ポートノイも、殴り合いにこそならなかったが、64小節目の3つ目の音がどうあるべきかというような細部まで、あらゆる要素について言い争いがあったと振り返っている。
7弦ギターで最初に弾かれたリフには、ふざけた仮題が付いていた。公式サイトの豆知識欄によれば、ペトルーシが7弦を手に入れて最初に取り組んだのは「The Mirror」の冒頭部で、当時それは「Take The Time」のイントロとして使われており、「Puppies On Acid」と呼ばれていた。
ラブリエは『Awake』での自分の歌を、前作と別人と思われかねないほど変えたと語っている。公式サイトが引く彼の説明では、『Images and Words』に比べて表現の幅が広く、はるかに攻撃的で、シンガーが変わったと思う人がいてもおかしくないほどだという。
『Awake』のプロデューサーは、自分の作品にコーラスで入っている。公式サイトの豆知識欄によれば、「The Silent Man」のバッキング・ヴォーカルを歌っているのは、同作をプロデュースしたジョン・パーデルである。
EPと名乗ってはいるが、それは実質より意図の問題だった。公式サイトによれば『A Change of Seasons』は57分30秒あり、標準的なEPどころか多くのLP、そしてドリーム・シアター自身の最初の2作より長い。ポートノイの説明では、これを最新のスタジオ作と受け取られないようにすることがバンドにとってもレーベルにとっても重要で、だからEPと銘打ったのだという。
この曲は、冬季五輪の中継に使われたことがある。公式サイトによれば、表題曲の一部は2002年の冬季オリンピックにおける滑降競技の放送で、NBCによって使用された。
EPの残り半分は、ファンクラブ限定公演の記録である。公式サイトによれば『A Change of Seasons』は23分の表題曲と、ロンドンのロニー・スコッツ・ジャズ・クラブで行われたファンクラブ向け公演でのカヴァー曲のライヴ音源で構成されている。また同作は、デレク・シェリニアンが鍵盤で参加した最初のドリーム・シアター作品でもある。
このアルバムの制作は、バンドとペトルーシとポートノイの立場が正面から割れた時期でもあった。公式サイトによれば、レーベルの要求に対してジョン・ペトルーシは変化を受け入れる側に、マイク・ポートノイは抵抗する側に立ち、創作上の衝突が生じた。またこれは、1994年に脱退したケヴィン・ムーアの後任デレク・シェリニアンと初めて曲を書いた作品でもある。
このアルバムには、却下されたタイトルが残っている。公式サイトによれば、ペトルーシとポートノイは当初『Stream of Consciousness』と名付けたかったが、他のメンバーが仰々しすぎるとして退けた。ただしその語句自体は収録曲「Lines in the Sand」の中に残っている。最終的なタイトルはペトルーシの提案で、ジャケットはストーム・トーガソンが手がけた。
苦しかったのは書く段階までで、録音そのものは順調だった。公式サイトによれば、実際の録音は1997年6月2日にマンハッタンのザ・パワー・ステーション(のちのアヴァター・スタジオ)で始まり、7月30日に完了した。難航した作曲とプリプロダクションとは対照的に、バンドはこのセッションを問題のない楽しいものだったと受け止めている。
ジャケットにバンド名のロゴが入っていないアルバムが4枚ある。公式サイトによれば、これはジャケットを手がけたストーム・トーガソンが他人の作ったフォントを使いたがらなかったためで、『Once in a LIVEtime』のほか『When Dream and Day Unite』『Falling Into Infinity』『Dream Theater』がこれに当たる。『Once in a LIVEtime』のジャケットは、修道士の頭部にフランス・オランジュの古代ローマ劇場を俯瞰で嵌め込んだ絵である。
初のフル・レングス・ライヴ盤は、パリのバタクランで録音された。公式サイトによれば『Once in a LIVEtime』は、ツーリング・イントゥ・インフィニティ・ワールド・ツアーのヨーロッパ公演中にケヴィン・シャーリーがプロデュース兼録音を担当したものである。またスパイロ・ジャイラのジェイ・ベッケンスタインが「Take Away My Pain」でアルト・サックスを吹いており、彼が『Images and Words』の「Another Day」に続いて参加した2曲目にあたる。
「Raise the Knife」には、まったく別の名前だった時期がある。公式サイトの豆知識欄によれば、この曲はもともと「Showdown」というインストゥルメンタルとして演奏されていた。曲自体は『Falling Into Infinity』のために録音されながら収録から外れ、のちに2006年の『Score』で初めて世に出た。
同じスタジオへ戻り、その建物をジャケットの裏に写した。公式サイトによれば、バンドは新作の録音のためニューヨーク州サファーンのベアトラックス・スタジオへ戻った。ここは『Images and Words』を録った場所でもある。ジャケット裏面に写っているベアトラックスの写真は、アルバムの物語に出てくる家を表している。
ニューヨーク公演では、バンドの後ろで俳優が芝居を演じた。公式サイトによれば、アルバム発表後のワールド・ツアーのニューヨーク公演で、バンドは演奏中にアルバムの物語部分を演じさせるため実際に俳優を雇っている。その模様は撮影され、2001年に映像作品『Metropolis 2000』として発表された。
このアルバムがLPになったのは、発売から12年後である。公式サイトによれば、『Metropolis Pt. 2: Scenes from a Memory』が初めてアナログLPで発売されたのは2011年、レコード・ストア・デイを記念してのことだった。
燃えているリンゴの絵柄は、前例のある構図だった。公式サイトによれば、問題のロゴはそれ以前のジャケットで使われた「燃える心臓」の図を下敷きにしたもので、収録された公演がニューヨークで行われたため、ニューヨーク市を載せた燃えるリンゴに置き換えられていた。
その公演のあと、ポートノイは倒れている。公式サイトが引く本人の説明によれば、彼は極度の疲労、脱水、ストレス、食事と栄養の不足、そしてエナジードリンクの飲み過ぎなどが重なって倒れ、嘔吐を繰り返しながら毛布にくるまって横になり、公演から数時間後にようやく会場から運び出された。
タイトルの「6」は、いくつもの意味に掛かっている。公式サイトによれば、表題曲が扱うのは双極性障害、心的外傷後ストレス障害、統合失調症、産後うつ、自閉症、解離性同一性障害である。またタイトルは、アルバムの各曲がそれぞれ別の形の「内なる乱れ」だと見ることもでき、6曲という数と「六次の隔たり」への言及も重なっている。
このアルバムの制作中、バンドが聴いていたものの一覧が公式に残っている。公式サイトはその影響源として、メタリカ『Master of Puppets』、レディオヘッド『OK Computer』、パンテラ『Vulgar Display of Power』、メガデス『Rust in Peace』、U2『Achtung Baby』、トゥール『Ænima』、ナイン・インチ・ネイルズ『The Downward Spiral』、サウンドガーデン『Superunknown』、アリス・イン・チェインズ『Dirt』、キングス・エックス、ギャラクティック・カウボーイズ、ベーラ・バルトーク、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン『The Battle of Los Angeles』、マリア・ティーポによるショパンのノクターン集などを挙げている。
カセット版だけが中身の違う一枚がある。公式サイトの豆知識欄によれば、『Six Degrees of Inner Turbulence』のカセット版には「Misunderstood」のフル・ヴァージョンではなくラジオ・エディットが収められており、「Disappear」は収録されていない。
アルバムの端と端が、前後の作品につながっている。公式サイトによれば、『Train of Thought』の冒頭の和音は前作『Six Degrees of Inner Turbulence』を閉じた和音と同じであり、このアルバムを終える微かなピアノの音は、次作『Octavarium』の冒頭で聞こえる。
「As I Am」の詞は、あるツアーへの苛立ちから出ている。公式サイトによれば、2003年夏のクイーンズライクとの共演ツアーはポートノイの言葉で「苛立たしい一連の公演」だった。ポートノイの説明では、クイーンズライクのギタリスト、マイク・ストーンがジョン・ペトルーシにギターの助言をしようとしたことが、ペトルーシに「何が流行かではなく、どう書くかを教えてくれ」という趣旨の一行を書かせた。
「Honor Thy Father」は、愛の歌の反対として書かれた。公式サイトによれば、この曲はポートノイの継父について書かれたもので、何がきっかけかと問われた彼は、自分はラブ・ソングを書くのが得意ではないので憎しみの歌を書くことにした、と答えている。インストゥルメンタルの間奏に入っている台詞のサンプルは、ポール・トーマス・アンダーソンの映画『マグノリア』、『マンハント(At Close Range)』、そして『普通の人々』『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』『Oz』から取られている。
「Vacant」は、ラブリエの娘の身に起きたことから書かれている。公式サイトによれば、この曲の詞は、7歳の誕生日の3日前に原因不明の発作を起こして短い昏睡に陥った彼の娘に着想を得たものである。
同じ曲の後半には、南北戦争の讃美歌が潜んでいる。公式サイトによれば、「In the Name of God」の12分56秒以降、右チャンネルには「リパブリック讃歌」が聞こえる。
アルバムの最後の一音は、鼻で弾かれている。公式サイトによれば、『Train of Thought』を閉じる音——「In the Name of God」の14分06秒——をジョーダン・ルーデスが鼻で押さえたことは、メイキング映像に残っている。撮影していたポートノイは、そのテイクをそのまま採用した。
「Stream of Consciousness」は、スタジオ作に収められたバンド最長のインストゥルメンタルである。公式サイトはこの曲を、ドリーム・シアターのスタジオ・アルバムに収録されたインストゥルメンタルとして現時点で最も長いものと記している。
アルバムの構想そのものが音楽の「オクターヴ」から来ている。公式サイトによれば、『Octavarium』は音楽のオクターヴから発想を得た作品で、コンセプト作、2枚組、メタル一本の作品と続いたあと、バンドは今度は「典型的なドリーム・シアターのアルバム」を作ろうと決めた。ルーデスはそれを、バンドとしての作業に立ち返り、あらゆる様式的な影響を引き出すことだと説明している。
短い曲を書くほうが、長い曲より難しかった。公式サイトによれば、バンドは『Octavarium』で音楽の複雑さを抑え、ルーデスの言う「早く良さの伝わる」曲を目指した。曲を書く段階でピアノ、ギター、歌だけに音を削ぎ落とし、メロディと曲の構造に集中したという。ポートノイは商業的な狙いを否定し、バンドにはもともとそういう面があること、そして長い曲を書くほうが短い曲を書くより簡単だったと述べている。
そのオーケストラは、初見で弾ける能力を基準に選ばれた。公式サイトによれば、楽団は初見演奏の力で選抜されており、譜面を一度も見たことがない状態でも、すべてのパートを最大2テイクで録り終えることができた。
ユタ州には「ドリーム・シアターの日」がある。公式サイトの豆知識欄によれば、2007年7月30日をドリーム・シアターの日と定める布告に、ジョン・ハンツマン・ジュニア知事が署名した。
20周年ライヴのタイトルは、二重の意味を持っている。公式サイトによれば『Score』は2006年4月1日、ニューヨークのラジオ・シティ・ミュージック・ホールで行われた20周年ツアー最終公演の記録である。タイトルの「score」は「20」を意味する語であり、同時にジャケットに写る指揮者の総譜(スコア)も指している。公演の後半はオクタヴァリウム・オーケストラと名付けられた交響楽団との共演で、指揮は再びジャムシード・シャリフィが務めた。
20周年公演では、マジェスティ時代の曲が初めて世に出た。公式サイトによれば『Score』には未発表曲が2曲収められており、一つはマジェスティを名乗っていた初期に書かれた「Another Won」、もう一つは『Falling Into Infinity』のために録音されながら外された「Raise The Knife」である。
ロードランナー移籍は、レーベルを離れて別の会社へ行く話ではなかった。公式サイトによれば、『Systematic Chaos』はバンドにとってロードランナー・レコードからの最初の作品だが、そのロードランナーは前作『Octavarium』を出したアトランティックに買収されている。アルバムは2006年9月から2007年2月にかけて、ニューヨークのアヴァター・スタジオで録音された。
ポートノイはこのアルバムの構想を、わざと他のメンバーに伝えなかった。公式サイトによれば、それまでのアルバムはコンセプト作、あるいは「重い一枚」といった主題を共有して作られていたが、『Systematic Chaos』ではポートノイは自分の中にあった構想を口にせず、他のメンバーを白紙の状態から始めさせた。ただし全体を通じて鋭く攻撃的で現代的な空気だけは保ちたかったという。
アルバム・タイトルは、収録曲の歌詞から2語を拾って組み合わせたものである。公式サイトによれば、ポートノイとペトルーシは『Images and Words』や『Awake』のときと同じやり方で歌詞から言葉を選び、「The Dark Eternal Night」に出てくる「chaos」を採った。二人は「Constant Motion」の「Random thoughts of neat disorder」という一節の二重性にも惹かれ、そこから「chaos」の反対語を探して「systematic」に行き着いている。ポートノイは、この言葉はバンドそのものの説明としても的確だと述べた。
エンジニアの人選には、バンド自身の原点が反映されている。公式サイトによれば、『Systematic Chaos』のエンジニアにはポール・ノースフィールドが起用された。彼はラッシュやクイーンズライクなど、ドリーム・シアターに影響を与えたバンドを手がけてきた人物である。プロデュースはポートノイとペトルーシの共同で、ポートノイの説明では、外部の耳としてエンジニアとミキサーを雇う一方、最終的な判断はメンバー自身が下している。
ベスト盤のタイトルは、ヒット曲が1曲しかないことを自嘲したものである。公式サイトによれば『Greatest Hit (…And 21 Other Pretty Cool Songs)』の題名は、ラジオでトップ10に入った唯一の曲「Pull Me Under」を指している。ポートノイの説明では、選曲は新しい聴き手と既存のファンの双方に向けたもので、新しい聴き手には元のアルバムを買いたくなるように、既存のファンには別ヴァージョンを聴かせるように組まれている。
ベスト盤のジャケットには、赤い文字で隠された一語がある。公式サイトによれば、ジャケットの「Greatest Hit」という文字のうち、「Greatest」の s と「hit」の3文字が赤で刷られており、拾い読みすると別の語になる。
アルバムの題名は、詞の性質そのものから来ている。公式サイトによれば、『Black Clouds & Silver Linings』の詞はペトルーシとポートノイが書き、1曲を除いてすべてが二人の人生の中の、動揺させられた出来事や苦しい時期に関わっている。ポートノイはこのアルバムを「『A Change of Seasons』『Octavarium』『Learning to Live』『Pull Me Under』『The Glass Prison』が一枚に全部入っているようなドリーム・シアターのアルバム」と表現した。
収録曲の題材は、どれも実際に起きたことである。公式サイトによれば、「A Nightmare to Remember」はペトルーシが子どもの頃に遭った自動車事故、「The Count of Tuscany」はトスカーナで実際に彼が経験した出来事、「Wither」は彼にとっての作曲という行為そのものを扱っている。唯一それらと性格が異なる「A Rite of Passage」はフリーメイソンについての曲である。
ペトルーシは、脱退の後で「全部そのまま在る」ことを示す必要を感じていた。公式サイトによれば、彼はポートノイの離脱を受けてファンに対する責任を意識しており、アルバムの大半の曲は、バンドが地に足の着いた状態で無傷であることを示すために書かれたと認めている。1曲目「On the Backs of Angels」はドリーム・シアターらしい音を映すよう設計され、重い「Build Me Up, Break Me Down」は制作のかなり後になってプログレッシヴな要素との対比として書かれた。最後に書かれたのは、アルバムを閉じるバラード「Beneath the Surface」である。
ドリーム・シアターには公式の伝記がある。公式サイトによれば、『Lifting Shadows』を書いたリッチ・ウィルソンがその著者であり、彼は『A Dramatic Turn of Events』を評して、内容がプログレッシヴ・ロック寄りに振れており、『Images and Words』や『Scenes from a Memory』といった過去作を精神的に思わせると書いた。
新しいドラマーでの最初のライヴ作品は、ブエノスアイレスで撮られた。公式サイトによれば『Live at Luna Park』は、2011年7月に始まったワールド・ツアーの南米日程として2012年8月に行われたアルゼンチン・ブエノスアイレスのルナ・パークでの2夜を収めたもので、マイク・マンジーニが参加した最初のライヴ作品にあたる。本編は160分ある。
12作目でようやくセルフ・タイトルにしたのには理由がある。公式サイトによれば、バンドは自分たちが何者かを定義し、前へ進んでいることを示すためにアルバムを『Dream Theater』と名付けた。ペトルーシはギター・ワールド誌に対し、このアルバムをドリーム・シアターとは何かについてのファンにとっての参照点にしたかったのだと述べ、それが企画全体の目標であり基調になったと語っている。
このアルバムには、10年ぶりのインストゥルメンタルが2曲入っている。公式サイトによれば、「False Awakening Suite」と「Enigma Machine」は、2003年『Train of Thought』の「Stream of Consciousness」以来バンドがスタジオ作のために書いた最初のインストゥルメンタルである。前者は、ライヴの開幕曲として使うために書かれた。
このアルバムの詞の多くは、実際の出来事に基づいている。公式サイトによれば、PTSDを扱った「The Enemy Inside」はボストン・マラソン爆破事件を受けて書かれ、「Behind the Veil」はエリザベス・スマート誘拐事件に触れている。20分の終曲「Illumination Theory」は5つの部分に分かれ、2曲で弦楽アンサンブルが使われた。ルーデスはこの曲を、簡潔な曲を多く書いたあとで存分に暴れる機会だったと表現している。
その夜のオーケストレーションと指揮を担ったのは、バークリーの学生だった。公式サイトが引くペトルーシの言葉によれば、エレン・バシュブが同校の学生としてボストン・オペラハウスで生演奏を編曲・指揮しており、彼は直前のスタジオ作でも同じ役割を担っていた。
この作品でバンドは、それまで使ったことのない楽器や語法に手を出している。公式サイトによれば、物語に音楽を合わせるためにアコースティック・ギターやピアノの比重が増え、「The X Aspect」ではドリーム・シアターの曲として初めてバグパイプが使われた。「Three Days」には、物語の暗い側面との対比として書かれた酒場風のスウィングの部分がある。5曲は、作中の存在NOMACSの音楽を表す短い電子音楽である。
チャート成績で言えば、バンドの最高作はこれである。公式サイトによれば『Distance Over Time』は19か国でトップ10に入り、ドイツとスイスでは1位を獲得した、チャート上バンド史上最も成功したアルバムである。ジャケットはラッシュやアイアン・メイデンを手がけてきたヒュー・サイムによる。
交代したマンジーニ自身の言葉も、同じ発表に載っている。バンドの公式発表で彼は、初日から言ってきたとおり自分の役目はポートノイが担っていたすべての役割を埋めることではなく、バンドが続いていけるようドラムを叩くことだったと述べた。毎晩のライヴを引き締めて保つことが自分の主な役目であり、それは激しく、報われる経験だったという。グラミー受賞についても大きな満足だったと記している。
16作目の題名は、睡眠時の異常行動を指す語である。公式サイトによれば『Parasomnia』は、夢、意識、現実と幻の境界を主題とする作品で、ポートノイが参加した最初のフル・レングス・スタジオ作としては2009年以来のものにあたる。潜在意識の謎に踏み込み、複雑な拍子と伸びやかな旋律を織り合わせた一枚として紹介されている。
40周年ツアーはロンドンのO2アリーナで始まり、パリで撮影された。公式サイトによれば、2024年にバンドは結成40周年とポートノイの復帰を、ロンドンのO2アリーナを皮切りに世界を回る大規模なツアーで祝った。『Quarantième: Live à Paris』はそのツアーの記録で、パリのアディダス・アリーナで大観衆を前に撮影・録音されている。ジャケットは長年の協力者ヒュー・サイムによる。
バンドは2010年に、地元ロングアイランドの音楽の殿堂に迎えられている。バンドの公式発表によれば、3つのプラチナと2つのゴールドの映像作品に加え、ドリーム・シアターは2010年にロング・アイランド・ミュージック・ホール・オブ・フェイムへ迎え入れられた。同じ発表は、全世界での売上を1500万枚としている。
『Images and Words』はゴールド認定を受け、雑誌の歴代リストにも入っている。バンドの公式発表によれば、1992年のこの作品はゴールド認定を受け、ローリング・ストーン誌の「歴代最高のメタル・アルバム100」に選ばれている。次作『Awake』はギター・ワールド誌の「1994年を決定づけた象徴的な50枚」で1位に置かれた。
『Scenes from a Memory』は、読者投票で歴代1位のプログレ・アルバムに選ばれたことがある。バンドの公式発表によれば、1999年のこの作品は2012年のローリング・ストーン誌の投票で「歴代1位のプログレッシヴ・ロック・アルバム」に選ばれ、クラシック・ロック誌では「歴代15位のコンセプト・アルバム」に位置づけられた。
ドリーム・シアターは、アルバムを丸ごと通しで演奏するツアーを何度も行っている。公式サイトの豆知識欄によれば、『Images & Words』のほかに『When Dream And Day Unite』『Octavarium』『Scenes From A Memory』『The Astonishing』も、収録順のまま全曲通して演奏されたことがある。
ヘッドライナーとして最も多くの観客の前に立ったのは、南米での一夜である。公式サイトの豆知識欄によれば、ドリーム・シアターがヘッドライナーとして集めた最大の観客は、2005年12月6日にチリのサンティアゴで記録した2万人だった。
ドリーム・シアターを通ったすべての人間が、外にも別の場を持っている。公式サイトの豆知識欄は、過去と現在のメンバー全員が、ソロ企画、別バンド、サイド・プロジェクト、あるいは何らかのトリビュート盤のいずれかに関わってきたと記している。
バンドは移籍のたびにレーベルの系列を変えてきた。日本のレーベルの公式プロフィールによれば、1991年にATCO/ワーナーと契約し、2005年の『Octavarium』をもってアトランティック/ワーナーとの契約を終えてロードランナーへ移籍、2019年にはインサイドアウト・ミュージック/ソニーミュージックへ移って『Distance Over Time』を発表した。
デビュー作が沈んだあとの2年間を、ポートノイは「もう二度と機会は来ないかもしれない」と感じていた時期として振り返っている。Metal Hammerのインタビューによれば、バンドはドミニシを解雇したあと、金もシンガーもないまま2年近くを過ごした。それでも続けられたのは、その間に書き溜めた曲が次のアルバムになるという確信があったからだった。
ラブリエには、別のバンドの席が回ってきかけたことがある。Songfactsは、1993年にブルース・ディッキンソンがアイアン・メイデンを脱退した際、その後任候補の一人にラブリエが挙がっていたと記している。
ペトルーシは、ドリーム・シアターの初期にロングアイランドでギターを教えていた。Songfactsのインタビューで彼は、教えていたことで常に弾き、復習し、新しいことを覚え続けていたため、腕も知識もその時期に最も高いところにあったと述べている。生徒の中には相当な弾き手もいて、彼らから学んだこともあったという。
長らくバンドの代弁者だったポートノイ自身は、その役回りを不思議に思っていた。Songfactsは、彼が脱退するまでバンドの主な口となっていたこと、そして本人が「ドリーム・シアター以外のあらゆることについて喋りたがる」自分がその役だったのは妙だと語っていたことを記している。
バンドの自己定義は、ミキサーの比喩で語られている。Songfactsのインタビューでポートノイは、自分たちはプログレッシヴ・ロックとヘヴィ・メタルの交差点にいると述べ、ラッシュ、イエス、ピンク・フロイド、ジェネシスで育ったプログレの側と、ジューダス・プリースト、アイアン・メイデン、メタリカ、ブラック・サバスで育ったメタルの側の両方を持ち、それを全部混ぜたものがドリーム・シアターだと説明している。
長い曲を書くことに、バンドはためらいがない。Songfactsのインタビューでポートノイは、アイデアを完全に表現するのにそれが必要なら15分でも20分でも書くことを恐れない、と述べている。
レーベルは、加入したばかりのラブリエを別の歌手に差し替えようとしていた。Metal Hammerの記事でポートノイは、ATCOがロバート・メイソンを立てようと動いていたことを、バンドが知ったのは何年も経ってからだったと語っている。
『Images and Words』の制作中、バンドとプロデューサーの対立は殴り合い寸前まで行っている。Metal Hammerの記事によれば、バンドはプレイターが自分たちの複雑さを「ポップ・メタルの発想」で薄めていると感じており、プレイターがケヴィン・ムーアの鍵盤のテイクを「弾き方が違う」として消したとされる件では、乱闘がかろうじて避けられたという。
それでもポートノイは、そのプロデューサーの功績を一つだけ認めている。Metal Hammerの記事で彼は、当時の自分たちの音楽はメタリカがイエスやラッシュとジャムをしているようなもので、誰かが主流の方へ押してくれなければ埋もれていたかもしれない、と述べた。
「Pull Me Under」の歌詞はシェイクスピアから来ている。Songfactsによれば、この曲は『ハムレット』、とりわけ父の復讐を自らの正気と引き換えに果たそうとするデンマーク王子の願望を扱っており、曲の最後には戯曲からの直接の引用が置かれている。
8分11秒で音の途中に切り落とされる終わり方には、下敷きがある。Songfactsによれば、「Pull Me Under」の唐突な幕切れは、ビートルズが『Abbey Road』に入れた「I Want You (She's So Heavy)」に着想を得たものだった。
最大のヒット曲の詞を書いたのは、鍵盤奏者だった。Songfactsによれば、当時のドリーム・シアターの詞はジョン・ペトルーシかマイク・ポートノイが書くのが普通だったが、「Pull Me Under」の詞はキーボードのケヴィン・ムーアによるものである。
「Under a Glass Moon」の詞は、雨の夜に停めた車の中で生まれた。Songfactsのインタビューでペトルーシは、曲を聴きながら詞の内容を考えようと夜に車へ出て、雨の中で満月が出ているのを見て一気にイメージが浮かび、そこからタイトルと詞を書き始めたと語っている。
「Metropolis - Part I」の詞は、テレビ番組から偶然生まれた断片である。Songfactsのインタビューでペトルーシは、この曲の詞の内容はかなり恣意的なもので、ずっと以前に観たドキュメンタリーか何かの番組から「奇跡(Miracle)」と「眠り手(Sleeper)」という登場人物が浮かび、そこから膨らませたと説明している。番組の主題自体はもう覚えていないという。
デビュー作の1曲目は、身近な事件から書かれている。Songfactsのインタビューでペトルーシは「A Fortune in Lies」について、自分の友人たちの知り合いだった男が手の込んだ窃盗の計画に関わっていたことが後から分かり、それを題材にした欺瞞についての曲だと述べている。
負傷は、歌える音域そのものを変えた。Songfactsのインタビューでラブリエは、事故の前は目覚めてから眠るまで歌えるほど音域が広かったが、以降は慎重にならざるを得ず、いくらか音域を失ったと述べている。かつてD、E、F♯まで出していたところが、C、C♯、Dあたりになり、Fは出せることもあるが十分に気をつける必要があるという。ライヴで最も負荷が高い曲としては「Innocence Faded」「Take The Time」「Learning To Live」を挙げている。
この曲がアルバムから外れることを、バンドはスタジオ入りの初日に電話で知らされた。Metal Hammerの記事によれば、ATCOはバンドが最も強いと考えていた「A Change of Seasons」の収録を認めなかった。ポートノイは、それがセッションの出だしに苦い気分をもたらしたと振り返りつつ、収録していればアルバムが70分になっていたこと、1992年当時それを実行したバンドは多くなかったことから、結果的には正しい判断だったのかもしれないとも述べている。
デズモンド・チャイルドとの共作は、バンド史で唯一の外部作家との仕事だった。Songfactsのインタビューでペトルーシは、『Falling into Infinity』の「You Not Me」で彼と詞を書いたこと、それまでバンドはすべてを内部で完結させ外部の作家を入れたことがなかったこと、そして自分の詞を持っていって彼のもとで練り直したことを語っている。楽しい経験だったが以来同じことはしておらず、一度きりのことだったという。
コンセプト作でありながら、詞は複数の人間が書いている。Songfactsによれば、コンセプト・アルバムとしては珍しく『Metropolis Pt. 2』では曲ごとに別のメンバーが詞を担当しており、「The Spirit Carries On」の詞はジョン・ペトルーシ、その一つ前の「One Last Time」はジェイムズ・ラブリエが書いている。またこの曲の冒頭の一節は、ポール・ゴーギャンが1897年に描いた絵の題名とよく似ている。
ラブリエが書いた「One Last Time」は、失われた愛が別の形で戻る話である。Songfactsのインタビューで彼は、この曲について、三角関係の中で失われた愛が、生まれ変わりを通してより純粋な形で見つけ直される——裏切りのない愛として——という内容だと説明している。
連作の完結編は、AAの創設者に捧げられている。Songfactsのインタビューでポートノイは、「The Shattered Fortress」が捧げられているビル・W.とはアルコホーリクス・アノニマスの創設者であると説明した。また彼は、5曲の詞には実際のミーティングや、通称「ビッグブック」と呼ばれる手引き書から直接取った言葉が多く含まれていると述べている。
ポートノイは、この連作を説教として書いたのではないと繰り返している。Songfactsのインタビューで彼は、依存に苦しむ人々から曲に助けられたという声がしばしば届くと語る一方で、これらの曲を断酒の勧めとして書いたことは一度もない、自分は信条を説いて回る人間ではなく、自分の経験と苦しみについて書いただけだ、と強調している。
「The Root of All Evil」の冒頭には、ピンク・フロイドの影が落ちている。Songfactsによれば、このイントロはピンク・フロイド「Welcome to the Machine」の始まり方に着想を得たものである。曲は『Octavarium』の1曲目で、8分25秒ある。
「Prophets of War」は、9.11後の政治についての曲である。Songfactsのインタビューでラブリエは、この曲が9.11と、それに対する各国政府の反応を扱ったものだと説明している。隠された思惑が分断と憎悪と無知を生み、社会と人類に害を及ぼしているという見方を歌にしたという。
6曲しかないことが、アルバムの重さを決めた。Songfactsのインタビューでポートノイは、収録曲が6曲で、しかもそれぞれが長かったため扱える題材も6つしかなかったと説明している。曲数が多ければもっと幅広い題材を扱えるが、6曲では必然的に重いものになる。アルバム題も、重く暗く個人的な題材でありながら、どんな状況にも学べるもの、成長できるものが見つかるという内容をそのまま表しているという。
新しいドラマーは、バンドの母校で教えていた人物だった。Songfactsによれば、マサチューセッツ出身のマイク・マンジーニはエクストリーム、アナイアレイター、ジェイムズ・ラブリエ、スティーヴ・ヴァイと共演してきた経歴を持ち、ボストンのバークリー音楽大学で長年打楽器を教えてもいた。
オーディションの最中、バンドはそれを「バンド史上最も重要な決断」と呼んでいた。BARKSが伝えたケベックのラジオ局でのインタビューによれば、2010年10月末の時点でラブリエは、ペトルーシ、ルーデス、マイアングと頻繁に連絡を取り合っていること、前週にニューヨークでドラマーのオーディションを行ったばかりであることを明かしている。オーディション自体についてはバンドにとって新しい、現実離れした経験だったと述べる一方、この時点ではまだ繊細な話題だとして詳細を語らなかった。
ペトルーシが自分の詞で最も誇りに思っているのは、この作品である。Songfactsのインタビューで彼は、13作目のコンセプト・アルバムを挙げ、まず物語を書き、それから物語の構成に沿って、複数の登場人物それぞれの視点から詞を書いたと説明している。自分で作った神話と設定に基づくもので、大変な仕事量だったが、労力を注いだ大きな企画として非常に誇りに思っていると述べた。
ラブリエは、賛否の割れたこの作品を歌い手として高く評価している。Songfactsのインタビューで彼は、『The Astonishing』が物議を醸す作品であることを認めたうえで、歌手としての自分のあらゆる面を出せた作品であり、ファンを二分したとしても、表現者としては満たされる、報われる仕事だったと述べている。彼が最も誇りに思うアルバムとして挙げたのは『Images and Words』で、あの作品がドリーム・シアターとは何かを定めたからだという。
『Distant Memories』の2夜は、その後2年近く演奏できない最後の公演になった。Songfactsのインタビューでペトルーシは、成功したツアーだったので初めからライヴ作品用の収録を予定していたこと、2020年2月21日と22日のロンドン公演は望みうる最良の出来だったことを語っている。同時に、それがパンデミック前の最後の数公演になってしまったのは残念だったとも述べ、あの公演をやり切れたことを喜んでいる。
「The Alien」は、ポートノイ不在の最後の時期に、5人が久々に集まって最初に書いた曲である。BLABBERMOUTH.NETが引く2021年8月の発表時のコメントで、ペトルーシはこの曲が一緒に書いた最初の1曲であり、数か月の空白を経て集まったときの感触を聴き手に伝えるものだと説明している。冒険性、型どおりでない構成、重さ、そしてフックが揃っており、アルバム全体の基調を決めた。詞はラブリエが書いたもので、地球外に別の居住地を求めるテラフォーミングの発想を扱っており、我々が他の惑星へ出て行く以上、「エイリアン」とは我々自身のことになる、という着想だという。
その3年前、ペトルーシは同じ共演を復帰の前触れと読まないでほしいと述べていた。BARKSが伝えたメタル・ハマー誌のインタビューによれば、2020年のペトルーシは、ポートノイがソロ作に参加することで誤った受け取られ方をされることを気にしていた。マイク・マンジーニはすでに10年在籍し、3枚のスタジオ作と2枚のライヴ作を共に作り、多くのツアーを回ってきた「ドリーム・シアターのドラマー」であり、変な誤解を招きたくないと語っている。彼は自分がドリーム・シアターとソロの両方で世界最高のドラマー二人と演奏できていることを、ギタリストとして素晴らしいことだとも述べた。
40周年ツアーのセットリストは、全アルバムを網羅することを最初から諦めている。BLABBERMOUTH.NETが伝えたインタビューでポートノイは、ベスト・ヒッツのような、盛り上がることが分かっている曲で構成した公演にしたかったと語る。20周年ツアーでは全アルバムから演奏できたが、あのときは8枚だったのに対し今は16枚あるため、全部を網羅するのは不可能で、代わりに各時代を押さえつつ意外な曲も混ぜることにしたのだという。またかつては毎晩セットを変えるのが好きだったが、復帰直後はまずツアーの脚を取り戻すことを優先し、しばらくは固定すると述べている。
16作目の作曲とドラム録音が終わった日は、2024年3月30日である。BARKSによれば、ペトルーシとポートノイは4月2日にバンドのSNSへ動画メッセージを投稿し、その中でペトルーシは3月30日土曜日にアルバムの作曲とドラムの録音を終えたと報告した。彼が「頑張ったから髭が白くなった」と冗談を言うと、ポートノイは「このセッションが始まったときは真っ黒だった」と応じている。ポートノイがドリーム・シアターの録音に参加するのは15年ぶりだった。
アンコールでアルバム1枚を丸ごとカヴァーしたことがある。Songfactsによれば、ドリーム・シアターは2002年の公演で、本編を終えたあとのアンコールとしてメタリカの『Master of Puppets』を全曲演奏した。バルセロナ、シカゴ、ニューヨークの3か所である。