ANGRA トリビア 全34件

ANGRAにまつわる事実を、出典付きで34件掲載しています。

Trivia

デビュー作『Angels Cry』は、ブラジルではなくドイツで録音された。キコ・ルーレイロの公式サイトの記述によれば、当時21歳だった彼にとってこれが初のスタジオ・アルバムであり、作品は世界規模で発売されて10万枚を超え、日本ではゴールド認定を受けている。

出典: キコ・ルーレイロ 公式サイト About

バンド名の意味について、日本のレーベルであるビクターエンタテインメントの公式プロフィールに一行の記述がある。ANGRAとは、ブラジルの神話で「火の女神」を意味するのだという。ただしこのページは、そう言われている、という形で書いており、断定はしていない。

異説あり出典: ビクターエンタテインメント ANGRA プロフィール

1991年の結成時の顔ぶれは5人だった。中心にいたのは元VIPERのアンドレ・マトス。そこにブラジルのローカル・バンドSPITFIREにいたラファエル・ビッテンコートとマルコ・アントゥネス、ジャズ・バンドで弾いていたキコ・ルーレイロ、そしてサンパウロを拠点にしていたFIREBOXのルイス・マリウッティが加わっている。翌1992年にデモを作り、1993年7月からアルバムの録音に入って、11月に『Angels Cry』でデビューした。

出典: ビクターエンタテインメント ANGRA プロフィール

デビュー作『Angels Cry』が日本で売れた背景には、加入前からの知名度があった。ビクターの記述によれば、アンドレ・マトスが在籍していたVIPERの『THEATRE OF FATE』が日本で大ヒットしていたため彼の名は既に知られており、そこにキコ・ルーレイロの華麗なギター、そしてヘヴィ・メタルとクラシックを融合させた独自の音楽性が加わって、アルバムは10万枚を超えるセールスを記録した。彼らは一躍人気バンドになっている。

出典: ビクターエンタテインメント ANGRA プロフィール

ANGRAが初めて来日したのは1997年1月である。2作目『Holy Land』を出した翌年にあたり、この公演は成功を収めた。以後も日本との関係は続き、1998年12月に再来日、2006年と2010年、2013年には「LOUD PARK」のステージにも立っている。

出典: ビクターエンタテインメント ANGRA プロフィール

『Temple of Shadows』(2004年)は、十字軍の騎士の物語と現代とを交差させたコンセプト・アルバムである。この構想と音楽的な水準が高く評価され、翌年にはNIGHTWISHをスペシャル・ゲストに迎えたジャパン・ツアーが行われて成功を収めた。プロデュースは前作『Rebirth』に続いてデニス・ワードが手掛けている。

出典: ビクターエンタテインメント ANGRA プロフィール

2010年の『Aqua』には下敷きがある。シェイクスピアの戯曲『テンペスト』である。前年にリカルド・コンフェソーリがバンドに復帰しており、その編成で作られた通算7作目にあたる。なお3作目『Fireworks』(1998年)のプロデュースを手掛けたのはクリス・タンガリーディスだった。

出典: ビクターエンタテインメント ANGRA プロフィール

ドラムの椅子はよく動いた。『Rebirth』以降を叩いていたアキレス・プリースターが2008年に脱退し、2009年にはかつてのリカルド・コンフェソーリが復帰する。ところがそのコンフェソーリも2014年5月に再び脱退し、後任には1990年生まれのブルーノ・ヴァルヴェルデが迎えられた。また2012年5月にエドゥ・ファラスキが脱退した際、彼はALMAHでの活動とプロデューサー業に専念すると表明している。キコ・ルーレイロがメガデスとの両立で参加できないときには、そのALMAHのギタリストであるマルセロ・バルボーサがライヴを助けていた。

出典: ビクターエンタテインメント ANGRA プロフィール

ANGRAは1991年に結成されたブラジルのバンドである。結成したのは、初代ヴォーカリストのアンドレ・マトスだった。彼はバンドの最初の3枚のアルバムに参加している。1993年のデビュー作『Angels Cry』は、ブラジルのパワー・メタルにとって扉をこじ開けた作品と評されている。

出典: BLABBERMOUTH.NET(キコ・ルーレイロによるアンドレ・マトス追悼)

バンド名について、創設者のギタリスト、ラファエル・ビッテンコートが語ったことがある。2023年にアトミック・ファイア・レコードとの契約を発表した際、彼はこの提携を面白がって、「Angra」という語はブラジルにある、1970年代に原子炉が建てられた場所も指すのだと述べた。その原子力発電所はクリーンなエネルギーを生むために作られたものだが、非常に強力で、世界を救うこともできれば壊すこともできる、というのが彼の説明である。そこから彼は、新作もまた強力な作品になるはずだと言葉を続けた。

出典: BLABBERMOUTH.NET(ANGRA、アトミック・ファイア・レコードと契約)

デビュー作『Angels Cry』におけるアンドレ・マトスの役割は、歌うことだけではなかった。彼はヴォーカルとキーボードを録音したうえに、全10曲のうち9曲の作曲と編曲を手掛けている。その中には、今もバンドで最も知られた曲のひとつである「Carry On」も含まれる。

出典: BLABBERMOUTH.NET(アンドレ・マトス、47歳で死去)

マトスは『Holy Land』(1996年)と『Fireworks』(1998年)でもリード・ヴォーカルを務めたが、2000年にバンドを離れた。彼一人ではなく、ベースのルイス・マリウッチとドラムのリカルド・コンフェソーリを伴っての離脱である。3人はそのままSHAMANというバンドを立ち上げた。同バンドはのちに法的な問題から、表記をSHAAMANに改めている。

出典: BLABBERMOUTH.NET(アンドレ・マトスの死因)

ファラスキの後任はすぐには決まらなかった。常任のヴォーカリストを確保できないまま、2013年、ラプソディー・オブ・ファイアで歌っていたイタリア人のファビオ・リオーネが、あくまで一時的な措置として起用される。ところが彼はそのまま留まり、結果として13年にわたってバンドのフロントを務めることになった。

出典: BLABBERMOUTH.NET(ラファエル・ビッテンコート特集インタビュー)

2023年7月、ANGRAはアトミック・ファイア・レコードとの契約を発表し、あわせて10作目となるスタジオ・アルバム『Cycles of Pain』を11月3日に出すことを明らかにした。発売と同じ日には、サンパウロのTokio Marine Hallでリリース記念公演が組まれている。ビッテンコートはこの作品を、3人目のシンガーを擁する第3世代における3枚目だと表現し、これまでの積み重ねを引き継ぎながら先を見る作品だと述べた。

出典: BLABBERMOUTH.NET(ANGRA、アトミック・ファイア・レコードと契約)

2025年11月、ブラジル人シンガーのアリリオ・ネットが正式にファビオ・リオーネの後任となった。彼はSHAMANとQUEEN EXTRAVAGANZAに在籍していた人物である。つまりANGRAの4人目のヴォーカリストは、かつて創設者アンドレ・マトスが脱退後に立ち上げたバンドで歌っていたことになる。

出典: BLABBERMOUTH.NET(2026年 Bangers Open Air での再結成映像)

2026年4月26日、サンパウロのMemorial da América Latinaで開かれたBangers Open Airで、長く待たれていた再結成が実現した。『Rebirth』(2001年)と『Temple of Shadows』(2004年)を録った編成——ギターのキコ・ルーレイロ、ヴォーカルのエドゥ・ファラスキ、ドラムのアキレス・プリースター——が戻ってきたのである。同じ日には現在の編成も演奏しており、13年フロントを務めたファビオ・リオーネと、新たに加わったアリリオ・ネットが並ぶ形になった。

出典: BLABBERMOUTH.NET(2026年 Bangers Open Air での再結成映像)

2026年6月、ANGRAは現在の編成で「Pra Frente Brasil」を録り直し、そのミュージック・ビデオを公開した。この曲はミゲル・グスタヴォが1970年メキシコ・ワールドカップでのブラジル代表を応援するために書いたもので、以来ブラジルのサッカー文化を象徴する曲として世代を超えて残ってきた。ただしBlabbermouthは、この曲がブラジルの3度目の優勝の象徴となる一方で、作られた時代——軍事独裁の時期であり、当時の国家主義的な言説に組み込まれたこと——の歴史的な重みも背負っていると書いている。ANGRAがこの曲を扱ったのは2002年からで、当時この曲をヘヴィメタルの楽曲に作り変えていた。

出典: BLABBERMOUTH.NET(ANGRA、「Pra Frente Brasil」の新録版を公開)

2019年6月8日、アンドレ・マトスが47歳で亡くなった。彼の公式Facebookページは、死因が心臓発作であったことを翌日に伝えている。彼の死を最初に確認したのは、ANGRAの元ドラマーであり、SHAMANでも彼と演奏したリカルド・コンフェソーリだった。

出典: BLABBERMOUTH.NET(アンドレ・マトスの死因)

その日の夜、ANGRAはサンパウロのTemplo Musicで公演を行う予定だった。かつての仲間への敬意から、彼らはこれを延期し、7月28日に振り替えている。バンドが出した声明は、自分たちの歴史の大きな部分を占めた旅の同行者を失って泣いているときにステージへ上がる意味はない、というものだった。そしてこの日、自分たちの楽器は喪に服して静かにしている、と結ばれている。

出典: BLABBERMOUTH.NET(アンドレ・マトス、47歳で死去)

キコ・ルーレイロが寄せた追悼の言葉は、出会いの古さから始まっている。14歳の頃、リオ・ブランコの学校にいた時点で、マトスは既に一つの基準だった。みんな彼のようになりたかったのだという。比類のない声と、ピアノの才能。そして運命が2人を9年間結び付けてくれた、と彼は書いた。一緒に過ごした年月に作り上げ、経験したことは記憶の中でも特別な場所にしまってある、リハーサルへ向かうバスの中で語り合った、世界に知られるヘヴィメタル・バンドを持つという馬鹿げた夢のことも含めて、と。そして彼は、マトスが書いた曲は時代を超えると述べ、「Carry On」を聴いてくれと書き添えている。

出典: BLABBERMOUTH.NET(キコ・ルーレイロによるアンドレ・マトス追悼)

2015年、キコ・ルーレイロのメガデス加入が決まったとき、ANGRAのメンバーは彼を送り出す声明を出している。ラファエル・ビッテンコートは、まだ鳥肌が立っていると書き出し、長年キコを知っているが彼ほどこの機会にふさわしい者はいない、自分たちは兄弟のような関係だから常に互いの最善を願っている、と述べた。ANGRAでの活動については、彼は約束したことを全うすると信じているし、これからもずっと自分たちの家族の一員だ、とも書いている。ベースのフェリペ・アンドレオーリも、ANGRAと同じようにいまキコがいるメガデスは幸運だと言葉を寄せた。

出典: BARKS(アングラ、キコ・ルーレイロのメガデス加入を全面的に支援)

日本との関係で言えば、2015年5月のジャパン・ツアーは長い空白のあとに実現したものだった。他バンドとの合同公演やフェスへの参加はあったものの、単独での来日は3作目『Fireworks』を携えた1998年12月のツアー以来、16年半ぶりである。ツアーというかたちでも、2007年のブラインド・ガーディアンとのカップリング・ツアー以来8年ぶりだった。

出典: BARKS(ANGRA、16年半振りの単独ジャパン・ツアーが決定)

2015年4月2日、メガデスはキコ・ルーレイロの正式加入を発表した。デイヴ・ムステインがこの時添えたコメントには、日本の雑誌が出てくる。彼がキコに初めて会ったのは8年ほど前、『BURRN!』の表紙の撮影の場だったのだという。そのときは相手が誰なのか知らなかったが、ものすごく才能があること、そして『BURRN!』のスタッフから敬愛されていることは分かった、と彼は述べている。その後どれほどのギタリストなのかを知ることになった、とも。

出典: BARKS(メガデス、キコ・ルーレイロの加入を発表)

メガデスを離れたあとも、キコ・ルーレイロがANGRAに戻ることはなかった。2024年7月、日本の『Young Guitar』誌の取材でANGRAへのゲスト参加の可能性を問われた彼は、直近の2作については、バンドの一員ではない立場でゲストのソロを録音したと答えている。当時はツアーが多く、小さな子どもがいたため、ゲスト参加のためにさらに移動したくはなかったのだという。将来はあるかもしれない、みんなと友人であり、ANGRAとは素晴らしい歴史があるし、それはメガデスについても同じだ、橋を焼きたくはない、と彼は述べた。

出典: BLABBERMOUTH.NET(キコ・ルーレイロ、メガデスでの2作を誇りに思うと語る)

2026年4月にサンパウロで実現した『Rebirth』期の再結成は、一度きりでは終わらなかった。同じ年の10月25日、神奈川のぴあアリーナMMで開かれる「FULL METAL JAPAN 2026」に、ANGRAはキコ・ルーレイロとエドゥ・ファラスキを迎えた編成で出演することになっている。激ロックの記事はこれを、初期メンバーがこのフェスのためだけに限定復帰する公演だと伝えている。この日はドイツのPOWERWOLFとのダブル・ヘッドライナーで、POWERWOLFにとっては初めての日本公演にあたる。

出典: 激ロック ニュース(FULL METAL JAPAN 2026 開催決定)

2000年の離脱で残されたのは、2人のギタリストだった。キコ・ルーレイロとラファエル・ビッテンコートである。バンドはこの2人を軸に立て直され、エドゥ・ファラスキを新しいヴォーカリストに迎えて続くことになる。

出典: BLABBERMOUTH.NET(ラファエル・ビッテンコート特集インタビュー)

そのエドゥ・ファラスキは、2012年5月にバンドを去った。Blabbermouthの記述によれば、運営上の問題と、声への負担の蓄積とがその背景にあったという。

出典: BLABBERMOUTH.NET(ラファエル・ビッテンコート特集インタビュー)

マトスが最後に人前で演奏したのは、亡くなる6日前だった。2019年6月2日、サンパウロのEspaço das AméricasでSHAMANとして出演し、同じ公演のヘッドライナーだったAVANTASIAにもゲストとして加わっている。AVANTASIAのトビアス・サメットは、5日前に同じステージに立ったばかりの友人の訃報に打ちのめされていると書いた。

出典: BLABBERMOUTH.NET(アンドレ・マトス、47歳で死去)

その両立は、長くは続かないと当のバンドも見ていた。加入から4か月ほど経った2015年8月、ラファエル・ビッテンコートは『Revolver』誌にキコがANGRAのメンバーであり続けるのかと問われ、生涯のブラザーであり友人として自分たちは彼を誇りに思っている、彼は最初からより大きなものを目指して突き進んできたのであり、それにふさわしい、ハードワークの賜物だ、と答えた。BARKSはこの時期のバンドの見立てとして、近いうちに両立は難しくなり、彼に代わるギタリストを見つけることになるだろうと考えていたと伝えている。

出典: BARKS(アングラ「キコ・ルーレイロの代わりを見つけることになるだろう」)

2014年の『Secret Garden』には、外からの参加が目立つ。オランダのシンフォニック・メタル・バンド、エピカのシモーネ・シモンズと、ドイツのシンガー、ドロ・ペッシュがゲストとして加わっている。作曲にはキコ・ルーレイロの夫人であるフィンランド人のマリア・イルモニエミも関与した。プロデュースを手掛けたのはスウェーデンのイェンス・ボグレンである。

出典: BARKS(ANGRA、16年半振りの単独ジャパン・ツアーが決定)

『Secret Garden』の宣伝では、日本のファンを巻き込んだ企画が行われた。公式Facebookページ上で特定の記事をシェアすると、そのユーザー名がアルバムのカラー・ブックレットにもれなく記載されるというものである。BARKSはこれが大きな話題になったと伝えている。

出典: BARKS(ANGRA、16年半振りの単独ジャパン・ツアーが決定)

ANGRAが一貫して持ち続けてきた性格として、Blabbermouthはヘヴィメタルとブラジルの文化的な要素を結び付ける力を挙げている。パワー、技巧、込み入ったアレンジ、そしてブラジル的な影響を組み合わせることで、彼らは独自の音楽的な言語を作り上げてきたという評である。

出典: BLABBERMOUTH.NET(ANGRA、「Pra Frente Brasil」の新録版を公開)

ファビオ・リオーネの定着について、ラファエル・ビッテンコートは時間が必要だったと振り返っている。当初は一時的なつもりで始まったものが常任のメンバーになるまでには、彼の良さを最大限に引き出しつつ、それでANGRAでなくなってしまわない形を見つける必要があった。片方には元々の構想へ引き戻す力があり、もう片方にはあらゆる試みを新しく響かせる力がある。その両方が働くのに時間がかかったのだという。

出典: BLABBERMOUTH.NET(ラファエル・ビッテンコート特集インタビュー)

キコ・ルーレイロのメガデス在籍は、およそ9年で終わった。2023年9月、彼はフィンランドの自宅で子どもたちと過ごすためツアーの次の行程を離れることを明らかにし、同年11月には不在を延長すると発表する。バンドの計画や関わる人々の仕事の妨げになりたくない、というのがその際の説明だった。最終的に彼はメガデスを離れている。デイヴ・ムステインは、彼を一流のプロフェッショナルであり巨匠だと評したうえで、9年間の献身に礼を述べ、自分はキコなしにこれを成し遂げられなかったと述べた。

出典: BLABBERMOUTH.NET(キコ・ルーレイロ、メガデスでの2作を誇りに思うと語る)